「あのチルタリス、見るからに相当毒が回っておった。恐らく痺れて体が動かないのであろうな。先ほどチルットに使った毒消しでは気休めにしかならんだろう」
一度家に戻った一人と二匹は、チルタリス救出に向けて作戦を練っていた。言って聞かぬというのであれば、せめて最善を尽くすしかない、とニャン太郎は思ったまでである。
「しかし手が無いわけではない」
「どうするの?」
「まずは
人間が作った薬で回復させる手はあるが、宗太はきっと使い方を理解していない。であれば確実なのは果実を使った自然治癒に限る。
「買いにいこう」
宗太は思い立って鞄を探ったが、がま口財布にあったは僅か八十七円のみ。駄菓子を買うのが精一杯であり、口を閉ざす他ない。そこでニャン太郎が一言漏らす。
「ならば
そういって、ニャン太郎はチルットを見る。チルットは「任せてください、私に出来ることならばなんでも手伝います」と胸を張った。
「人は人、ポケモンはポケモンでそれぞれ出来ることが異なるのだ。ゆめゆめ忘れるでないぞ」
当たり前のことだが、妙にその言葉が宗太の胸に深く響いた。そうして話していくうちに、おおまかな指針は定まった。まずは
昨日試した時と変わらず、宗太の背では
その折、たまたま視界に入ったのは昨日庭で見かけたピジョンであった。彼の大きな体であれば、きっと
「いいか、相手に何かを頼むときは相手をまず褒めるのだ。そうすればポケモンだって気分が良くなる。まずは彼奴の羽でも褒めるがいい」
促されるままに宗太は言う。「なあ、自分めっちゃ羽綺麗やなぁ」
「ほう、羽無き人間の子よ。私の羽の素晴らしさを理解するか」
こちらに気付いたピジョンは、右の羽を広げて恍惚とする。その隙に更にニャン太郎は耳打ちをし、宗太がそのまま答えるのだ。
「そんなに羽が綺麗やったら、さぞ飛んでる所も恰好良ぇやろうなあ」
「ああ、その通りだ。
ピジョンの使う言葉が難しく意味は理解できなかったが、その様相から中々の自惚れであることは宗太にも分かった。そろそろ頃合いである、と思って話を切り出す。
「一つお願いしたいんやけど、この
饒舌だったピジョンの口が、初めて止まった。すかさず助け船をニャン太郎が差し出す。「無論、タダではない。
そこまで譲歩すると、うーむと首を傾げてしばらく唸った後に「良いだろう」と承諾を得た。ピジョンは宗太の前まで降りてくると、軽々と
「ではチルット、ピジョンを母君の元まで案内してやるとよい」とニャン太郎が促すと、二羽は山の方へ飛んで行った。
残された
アスファルトを蹴りつけ、少年と虎猫は走る。幸いながら、道は一本道であるから迷う事は無い。とはいえぐねぐねとうねる坂道を、
「あの、近くの街まで乗せていってくれませんか?」
窓から顔を覗かせた運転手は、ひどく困惑した。「君、家出?」「買い物です」「うーん、買い物、ねぇ」運転手は顎に手を当て少年と虎猫を見た。
「すまないねぇ。君かそのブニャットか、大きさ的にどっちかしかこの助手席に乗せられないんだ。君だけなら構わないんだけど」
宗太は足元のニャン太郎を一瞥すると、首を横に振って断った。運転手は「気をつけてな」とだけ言葉をかけ、出立した。
「わしのことなど気遣わず乗ればよかったものを」
「たぶんおれ、ニャン太郎がおらんと一人やったらなんも出来ん。だから一緒に行くんや」
ニャン太郎は少し顔を綻ばせ、「そうか」とだけ呟いた。宗太も
「すみません、近くの街まで行きたいんです。乗せてくれませんか?」
女性は汗だくの少年と虎猫を見て、少し狼狽えた。「どうしたんよ君たち?」「街まで買い物に行きたくて」「買い物? 何を?」「チルタリスを助けるためにラムが欲しいんです」
只ならぬ様相を感じた女性は、その申し出を許諾した。宗太は助手席に、ニャン太郎は空いていた荷台に乗せられ、軽トラックは動き出した。車内では、人の好さそうな女性が宗太に色々話を聞く。名前、年齢、ラムが欲しい理由、チルタリスについて。安心しきった宗太は、洗いざらい全て話した。そうすると、「ポケモンのためにそこまで頑張るの、偉いね」と言われ、自然と頬が緩んだ。
しばらくして宗太とニャン太郎は、街の八百屋の手前で降ろされた。簡素に礼を言い、
「ラム一つください」
気だるげに椅子から立ち上がった店主は、薄い頭を掻きながら「二百三十円ね」と答える。とてと宗太の小遣いでは及ばない。そこですかさずこう言い張るのだ。
「持ってきた
想像もしていない出来事に店主は戸惑った。なんという珍客だ。
「坊や、家はどこや?」
店主からの切り返しに、宗太は少したじろいだ。ここで答えればきっと確認されてしまう。そうすると祖父母に話され、家を出たことが明るみになる。とびっきりの雷が、宗太を襲うことになるだろう。困った宗太は沈黙を貫いた。店主は黙りこくった子供を前に、溜息を吐く。
「すまんけど、うちは物々交換やってないんや。坊や、家の人の電話番号教えてくれへんか」
宗太は絶句した。思わず目の前が真っ暗になった。呆然と立ち尽くしていると、背後から声がかかる。
「おっちゃん、じゃあそのラム私が買うわ」
背後から先ほどの軽トラックの運転手が現れ、小銭を店主に手渡しラムを手に取る。そして、宗太に向かってこう言った。「私のラムと君の
彼女は「帰り道も送ってあげたかったんだけど、私も行くところがあるからごめんね」とだけ言い残して軽トラックと共に去っていった。
「さあ、後は帰るだけだな」とニャン太郎が言えば、「そうやな」と宗太は答えた。ラムは
行きとは違い、帰りは全くというほど車に遭遇することすらなく、己の足で長い上り坂を戻るしかなかった。暑さは先ほどと変わらないが、じめじめとした湿気が体に纏わりついて体力はさらに奪われていく。徐々に宗太の進む速度は遅くなり、いよいよ立ち尽くした。今すぐこの車道の小脇でもよいから、五体を地に投げだしたい所だった。
「どうした。まだまだ歩かねばならんぞ」というニャン太郎にも、疲労の色が顔に現れていた。いつしか遠くにあったはずの入道雲が、空に蓋をしてしまっていた。まだ太陽が出ている時間のはずなのに、のっぺりとした灰色の雲が光を閉ざし、果てにはぽつぽつと雨が降り出した。気付いた頃にはザアザアと音を立てて激しい雨となり、宗太とニャン太郎は、合図せずとも揃って駆け出し、沿道の外れの木の下に逃げ込む。足元の砂利を少し払い、宗太は膝を抱えて座り込んだ。
真っ直ぐ伸びていたはずの道も、霧によって遠くが見えなくなっていた。あらゆる音は雨に流され、土と湿気の匂いが肺いっぱいに広がる。まるで、今いる場所だけが世界と断絶されたかのような錯覚に襲われ、心細くなる。チルタリスやチルットと出会ったこと、祖父母の家にいた事。それらがまるで遠い過去の出来事のように感じられた。きっと祖父母も心配しているかもしれない。早く家に帰りたい。それでもこれだけは失ってはいけないと、ラムを抱えて
「君たちそんなところで何をしているんだい?」
「ここで雨宿りしてるねん」
「そっかあ。でもね、ここは僕のナワバリなんだ。勝手に居座られても困るんだ。それでもここにいたいのなら」と言いつつヘラクロスは宗太に近付き、「君が持ってるその美味しそうな木の実を渡してもらおうか」
雷光のように飛び出したニャン太郎が、ヘラクロスの胸元に飛び掛かる。「走れ!」その声に従って、状況を掌握しきれないまま宗太は豪雨の中走り出した。ヘラクロスは倒れた状態から角でニャン太郎の側部を突いて弾き飛ばす。ニャン太郎は車道をゴロゴロと転がされたが、立ち上がっては走る宗太の後ろを追いかける。さらにその後ろをヘラクロスが走って追いかける。激しい雨が何度も瞼に当たり、目を開けるのも苦行であった。整然とした三両編成の電車のように等間隔で走り続けていたが、水を吸った服と毛で鈍重になった宗太とニャン太郎に、目を真っ赤にした兜虫が迫りくる。戦いについては
「トゲキッス、もう一度エアスラッシュだ」
前方で傘を片手に立つトレーナーらしき人影の傍ら、トゲキッスが放つエアスラッシュが怯んだヘラクロスに再び襲い掛かる。たちまちヘラクロスは背を向けて、森の中へと逃げていった。
「君たち大丈夫?」
そう言って近付いてきたトレーナーは手に持っている傘を宗太に押し付けた。
「でも」と言葉を詰まらせていると、トレーナーは手際良くポーチから取り出した傷薬でブニャットを手当てした。
「こんな雨の中だし、その傘はあげるから使ってよ。俺はトゲキッスがいるから大丈夫。君たちの方こそ気を付けて」と言い、トゲキッスに乗って去っていった。すぐに霧の中へ混ざっていったその背に、ありがとうと叫んだが、声が届いたかどうかは知る由も無かった。
服を絞り、再び小走りで走り出した宗太とニャン太郎。ニャン太郎が傘からあぶれないように気を付けた。ここまで来て、自分に出来る事はたったこれだけの気遣いしかないのだ、と考えると、自分がとても矮小な存在に感じられた。自分一人では
「ニャン太郎、ごめんな」
「何を謝ることがある」
「いつも迷惑かけて」
ニャン太郎はくく、と笑って「どうした、何を今更」と答えた。
「嫌いにならんといて欲しい」
涙と鼻水混じりの声で、宗太は嘆願する。
「まさか嫌いになるものか。確かにお主は悪戯ばかりで迷惑をかけることが多かった。だがな、それでもかつてわしを助けたように。今もチルタリスを助けようとしてるように、ポケモンのために何かしようとする。そういう所が好きなのだ。だから、そう易々と嫌いになったりなぞせん。わしもお主の声を聞く。だからこそ、お主もわしらの声を聞く。さすればわしらはより良い関係になれる。だと思わんか?」
宗太は傘を肩に乗せ、空いた手で涙と鼻水を拭った。赤らめた顔のまま愛猫を見れば、自信ありげにニヤリと笑っていた。その様子がなんだか可笑しくて、宗太は笑った。
「ほれ、家まであともう少しだ。急ぐぞ」
宗太はうん、と頷いた。依然として体は重いままだが、ニャン太郎と話すことで心はとても軽くなった。肉体は変わらず重い。それでも、僅かながら希望が生まれた。金科玉条の希望である。自分の行いと、それを支えてくれた人とポケモンを信じる希望である。霧に包まれた視界の先へ、なんとしてでも行かねばならぬ。この信じる力を、あのチルタリスへ聖火のリレーのように届けねばならぬ。
ここに来るまでニャン太郎に、いや、多くの人とポケモンに救われた。それは決して悔やむことでなく、むしろ誇るべきことなのだろう。だからこそ知った。人とポケモン同士、苦しい時は支え合い、楽しい時は笑い合う。その意味を字面でなく、言葉で理解した。そこには人とポケモンの境界は無い。ああ、なるほど。これは確かに鰹節である。