皆が泊まる部屋で晩ごはんを食べた後皆で花札やらゲームやらで遊んでいた所で柱を叩く音が聞こえた。
コンコン。
「はい?」
「朽井だ。入っても良いか?」
「いいか?」
皆構わないと言わんばかりに頷いた為。入れることにした。
「どうぞ。」
「失礼。」
そう言って入って来た人物は鎌倉時代の武士の格好をした人物だ。はっきり言うと場違いな人物である。
「ご先祖様…どうされたので?」
「面を拝みに来ただけである。…立派になったな…まるで武士(もののふ)の様な面構えだ。」
「武士(ぶし)としての心得は教わっておりませんが…」
「ぬかせ、拙者がそう言うのだ。主は立派な武士である。異論は認めぬ。」
「左様で。」
そこで宙弥が皆の代わりに聞く。
「あの…何方ですか?」
「拙者か?百之助の先祖で朽井迅三朗光景と申す。以後見知り置かれたい。」
それに百之助が補足した。
「補足しておくと、元寇襲来の時の人で元鎌倉御家人、参加した主な戦いは、蒙古進行、日清日露戦争、支那事変、大東亜戦争、日中戦争、南極戦役、そして…台湾奪還戦。」
全員が驚愕した。何せ、参加した戦いがほぼ国の命運がかかっているものだからだ。
ここで、日中戦争と、台湾奪還戦について説明しておく。
日中戦争とは、日本が富国強兵をひたすら行った為に脅威に感じた中国が宣戦布告、40年前に沖縄に進行した。それに伴い米軍及び防衛軍、が迎え撃ちこれを撃破、陸海空全てに置いて中国軍が全滅。中国軍の3分の1を失った。この際陸軍を指揮していたのが迅三朗であった。
次に台湾奪還戦であるが、これはヒュージによって壊滅させられた台湾を奪還するために世界各国が共同で作戦を展開した物の敗北を喫した戦いだ、この戦いでは船坂家の3分の2が戦死した。
余談ではあるが百之助は、当時6歳で参加していた。
「一応、拙者は、防衛陸軍予備役大将である。」
流石に全員が言葉を失うレベルであった。
「俺も参加したぜ?台湾奪還戦。…6歳だったがな。」
更に追い打ちをかけた。
「まあでも、蒙古よりマシであったな…」
「比べるもんがおかしい…」
「そうか?…まあ総指揮官が馬鹿過ぎたのが問題だったのだが…それで負け戦になったようなものだ。」
「まじかよ…」
「状況把握がまるでなっていなかったからな。まるで初めて戦を経験した様な指揮官であった。仕方がないから拙者が前線の指揮をしてやったわ…とんだ貧乏くじであったが。」
「そのおかげで日本が一番戦死者が少なかったけどな。」
「違いない。」