「……いや、あんたなにしてんの?」
「……ほっといてください」
聖なる夜、赤城さんとのデートも悪くない雰囲気だった俺はルンルンで鎮守府へと帰ってきたのだが、真っ暗な執務室の秘書艦机で大井は項垂れていた。
驚いた……というよりは正直ビビった。
さっさと風呂に入って寝ようと思って執務室の前を通ると、若い女の啜り泣く声が聞こえてきたんだ。膝をガクブルさせながら扉を開いて電気をつけたよ。大井っちがそこにいたよ。
「……お茶、淹れようか?」
優しく声をかけてやったというのに、机に突っ伏したまま身動きひとつ取らない。
なにがあったかはわからないが、十中八九そうなのだろう。普段抑えている気持ちも、特別な日に二人きりとなると中々それは難しい。まあ普段から抑えきれていませんが。
時期尚早……いや、きっと最初から最後まで向こうにその気は無かったのだろう。
「ほれ」
普段使っている湯呑みに茶を淹れて差し出すと、大井は目元を真っ赤に腫らした情けない顔をゆっくりと上げた。
暫く湯呑みを見つめたあと、こちらへと視線を移す。
小さく開いた口からまず初めに「ありがとう」は出てくるのか、そんな淡い期待は立ち昇る湯気と一緒に部屋のどこかへ霧散した。
「これ、提督の湯呑みじゃない……。こんなの汚くて使えない……」
「おう、死ぬか?」
悪態を吐く元気が残っているのなら、こんなところでメソメソ泣いてんじゃねえよ。
もちろん心配はしてないけど今日くらいは元気づけてやろうかなとか思っちゃった自分が情けないわ。
ここには俺の湯呑みしか置いてないんだから仕方ないじゃん。
もう知らん。こんなヤなやつ見たことがない。
「まあ、飲んでくれと頼んだわけじゃない。俺が飲もうとしたのをお前に差し出しただけだ」
ひとつ、小さくため息をつく。
冷める前に湯呑みを手に取り、執務室を出て行こうとした俺の袖を、大井は左手で掴みしおらしい表情で見上げてくる。
なにか言いたいことがあるのだろうか、更に悪態を吐くつもりなのか。少しの間待ってみたが一向に口を開く気配は無い。
「おい、離せよ」
「……今日くらい、傍にいなさいよ」
「なんなのお前……」
今日くらいってなんだ。こいつは俺の秘書艦なのだから、執務中と言わず飯時と言わず普段四六時中一緒にいる。
そのせいだ。そのせいで俺とこいつはお互い悪態ばかり吐く。口を開けばケンカばかり。それなのに、こんな表情は初めて見せるから、不覚にも今日くらいは仕方が無いかと折れてしまう。
──持っていた湯呑みを机の上に置き、大井の正面に腰を下ろした。
「訊かなくてもわかるけど、なにがあったんだよ?」
「――さん、――れた……」
「は?」
もにょもにょと、普段の威勢はどこへ置いてきたのか……。トナカイに乗った白ひげのじじいにでも引ったくられたのだろうか。
実に調子が狂う……。
「北上さんに、振られた……」
「さいですか」
当然予想通りだった。大井をこれほどまでにしおらしくさせてしまう原因など、世界中どこを探せどひとつしか思い浮かばない。
クリスマスに北上と二人でデート。帰ってくるなり真っ暗な執務室で泣き濡れているとあってはもうお察しだ。
なんというかまぁ、ご愁傷様です……と、再び突っ伏した大井に両手を合わせ、少し冷め始めたお茶を啜った。
「それだけですか……?」
「それ以外にかける言葉は見つからんな」
「チッ……。そんなだからモテないのよ」
「キミ意外と元気なの?」
すぐこれだ。俺はこの先何度こいつに貶されるんだ。ていうか俺は何故こいつを秘書艦にしているんだ……。
まぁ俺が提督として着任したそのときからずっと秘書艦だったからという理由で、そのままズルズルと来た俺が悪いのだが、この際だし秘書艦を北上に変えてしまおうか。
「……なんで告白しちゃったんだよ」
「仕方ないじゃない……。なんか……そういう雰囲気だったのよ……」
「ばか」
「は?」
「ばか丸出し」
気持ちはわからんでもないが、雰囲気に流されるなんてのは一番やっちゃいけないことだろう。
告白というのはもっとしっかりと計画を立て、何度も復習をして一言一句間違えず噛まずに言えるようになってからだ。
……そうアドバイスしてやろうとした俺を、目の前の狂犬はものすごーく鋭い目つきで睨みつけていた。
おっと、勘違いしないでくださいね。俺が震えているのは恐怖からではありません。しっかりと暖房が行き届いたこの部屋でも俺は寒さに弱いからね。寒くて震えてるだけ。
「な、なんて言われたんですか……?」
「…………」
その問いに、狂犬に見えた大井は一変してか弱いチワワに変わり果てた。
つい数時間ほど前の記憶を呼び起こしているのだろうか、目がうるうるしている。
「大井っちのことは友達として大好きだよって……。それはこの先もずっと変わらないよって……う、うわぁぁあん」
ヒェー……。勘弁してくれよ。のび太じゃないんだから、そんな大声で泣かれても普通に困っちゃうよ……。
なんだこいつ、もしかして俺が未来から来たねこ型ロボットにでも見えてんのか? 俺に四次元ポケットはついてないんだ。なんともできないので是非諦めて自室に戻ってから存分に泣いてほしい……。
と思ったが、よくよく考えてみれば何故こいつは最初から自室ではなく執務室で泣いていたのか。
そんなことは考えるまでもない。こいつの部屋が北上と相部屋だからだね。
「あの、僕そろそろ部屋に戻りますね……」
嫌な予感というものは往々にしてよく当たる。
こいつがクソみてえなことを言い出す前にさっさと逃げてしまうのが吉だろう。
わかる。付き合いも浅くない。次になにを言うかなんて、この状況下では簡単にわかってしまうのだ。
「……あんたの部屋に泊めなさいよ」
ほら来た。
「ざっけんな! 自室ってのはオアシスなんだよ、なんでお前みたいな狂犬を招き入れなきゃいけないんだよ!」
「きょうけ……はぁ!? 私のことなんだと思ってるのよ!?」
「犬だよ! お前は犬! 狂犬!」
「……犬、好きなんでしょ」
なるほど一理ある……ってねえよ。犬好きの「好き」ってのは最初は噛みつかれることがあっても、ちゃんと時間をかけて注いだぶんだけ、もしかしたらそれ以上に愛を返してくれる可能性が非常に高く、且つ愛嬌があって可愛いから好きなんだよ。
そこが最低ライン、スタート地点だ。飼うか飼わないかはそこを満たしてようやく選択肢になりうるのだ。
お前みたいに一生懐くことなく毎日噛みついてくる犬しかいなかったらみんな猫に流れるっての。
「いやいや、他にも艦娘いるでしょ。そいつらのとこ泊まれば良いだろ」
「無理……。北上さん以外と仲良くしてなかったし……」
アイタタタ……。そういえば確かに北上以外と仲良くしているところは見たことがない。そりゃ普通に会話したりはしてたが、出かけたりするほどの仲ではなかった。
急に押しかけりゃ相手もさぞ困惑するだろう。
ん? なら俺は?
俺とお前も別に仲良くないが? なんなら仲悪いが?
「俺もお前と仲良くないから無理だな。諦めてくれ」
「仲良くないから言ってるんです。そんなこともわからないんですか?」
ああ、そういうことか。つまり俺にはどれだけ迷惑をかけようが構わないと、そう言いたいのだろう。
……こいつやっぱクソだわぁ。
顔は可愛い、それは間違いない。スタイルも抜群。
今は私服だから流石に無いが、普段の格好はもう風紀を乱しまくり。
北上もそうだがどうしておへそを見せちゃうの? 極めつけはその胸だよ。凶悪でしょうそれは。お前の性格が終わってなけりゃ危うく欲情して憲兵さんのお世話になるところだよ。
「……よーく考えてみろ。万が一にも無いが俺たちは一応男女の関係にあたる。間違いがあったらどうする気だ」
「提督、不能じゃないですか」
「は?」
「あ?」
……億が一にも無いわ。こいつにそんな気は起こさない。断言できる。
だが泊めるのは別問題だ。そもそも何故俺がこんなやつの面倒を見てやらなきゃならんのだ。
帰る部屋が無いのなら、野宿でもなんでもすれば良いじゃないか。艦娘だし寒さで凍えて死ぬことだって無い。不審者に襲われたとしても返り討ち、どころか息の根を止めてしまうだろう。
うーん、そうなると俺の監督不行届ということで俺にも被害が出るのか参ったな……。
「まじで泊めなきゃだめ?」
「まじに決まってるじゃない。いつまでウダウダ言ってるつもりですか?」
「……わかった。泊めてやろう」
「本当ですか!?」
「ただし、条件がある」
「……チッ。最低ね」
じとりと、「軽蔑」をその目に浮かべ、両手で身体を抱え二歩後ろへ下がる。
……違うよ?
泊めてやる代わりにお前のその身体で俺に奉仕しろ、とか言い出すような顔に見えましたかね?
言ったらしてくれんの? してくれんなら言うかも……。
「ばか、なに勘違いしてんだよ……」
「じゃあどんな最低なことを頼むつもりですか?」
「俺がなにか頼む前提かよ……」
まぁその通りなんだが。
「条件ってのはな」
──こほんと、大袈裟に咳払いをしてからじっと大井の瞳を見つめた。
なにを言いつけられるのか、さすがの大井といえど些か不安を感じているらしい。
口を引き結び、息を呑んで続く言葉を待っていた。
「赤城さんと上手くいくように協力してくれない?」
「……は?」