二夜廻   作:甲乙

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01:序章(ぷろろーぐ)

 『人生は後悔の連続である』とは、誰の言葉だっただろうか。

 

 それなりに苦難の多い人生だったと自覚している。

 そして、その中で精いっぱい生きてきたと自負している。

 

 それでも、思うのだ。

 

 もしも生まれ変われるならば、私は――。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 祖母は時々、変なことを言う人だった。

 

『夜道を出歩いてはいけません。どうしても行くなら、必ず明かりを持ちなさい』

『夜道でマンホールを踏んではいけません。中にいるモノが出てきてしまうから』

『夜道で赤ちゃんの泣き声を聞いても、近づいてはいけません』

『夜道には、夜を見張るナニカがいるの。もし出会っても、ぜったいに目を合わせてはダメ』

 

 すべて、寓話(ぐうわ)なのだろう。「夜道は危険だから出歩いてはいけない」という教訓を、子どもにトラウマとして植えつけるための寓話。多かれ少なかれ、どこの家庭でもやっていることだ。ただ、祖母のソレらは、少し度を過ぎていたように思う。

 あまりにも恐ろしいのだ。不気味で、醜悪で、残酷で、()()()()()()()()()()()()()()。おかげで、私も子どもの頃は夜が恐ろしくて仕方がなかった。もっとも、私も母も夜遊びをせず、非行とも犯罪とも無縁の人生を送っているのは、そのおかげだったと言えるのかもしれないが。

 大人になった今でも、夜は恐ろしい。新素材ライトが町をくまなく照らす、この時代になってもだ。

 

『――様の病室は、401号室です』

 

 病院の受付AIに住民コードを読ませると、親族と認証され病棟へのゲートが開放された。私と同じ見舞い客、滑るように動く無輪車イス、丸いフォルムの看護ロボット、それらとすれ違いながら病室を目指す。エレベーター前で、しばし黙考。もう珍しくなった手動ドアを開けて、階段を使うことを選択した。祖母曰く「足腰は鍛えておきなさい」だ。

 すこし息が上がってきたあたりで4階に辿りつく。季節は夏、天井のセンサー付き冷房が、私という熱源を見つけて冷風を吹きつけてくるのがありがたい。汗が引くのを待ち、祖母ゆずりで色素の薄い髪を整えてから病室に入った。暖色系の調度品で統一された個室の奥、窓際のベッドに、祖母がいた。

 

 こちらを見て微笑む、柔らかな相貌。

 ゆるく編まれた、長く真っ白な髪。

 そして、存在しない左腕。

 

 私は、祖母よりも美しく老いた女性を知らない。その顔にも手にも、年齢と苦労の数だけ皺が刻まれているというのに、内側から淡く輝くような美しさ。欠けた左腕ですら、かの女神像のような神秘性を感じさせた。まるで月のようだと、私は常々思っている。

 祖母は、夜が似合う女性だった。

 

「いらっしゃい。また来てくれたのね」

 

 すすめられた椅子に座り、今日もとりとめの無い話をした。仕事のこと、流行っている映画のこと、太ってきた父が運動を始めたこと、母が犬を飼おうと思っていること、伯父が旅行に行ったこと、従妹に恋人ができたこと。そして、私も秋になったら結婚すること。

 

「あら、じゃあ来年には、また曾孫(ひまご)の顔を見られるのね」

 

 でも間に合うかしら? などと冗談めかしながら、片手を口に当てて祖母は笑う。祖母は先月に卒寿、つまり90歳を祝ったばかりだ。目立った病気もなく、痴呆の気配もない。それでも、祖母は病院にいる。

 

「大丈夫よ。まだまだ元気だもの」

 

 ……私が逆に励まされてしまった。努めて笑顔をつくり、話を再開しようとすると、ベッド脇の置時計がチャイムを鳴らした。午後5時。面会時間が終わるにはまだ早い。

 

「そろそろ帰りなさい。これから日が落ちるのも早くなるわ。夜道には――」

 

 はいはい。夜道には気を付けます。ちゃんとまっすぐ帰ります。あいかわらずな祖母を見ると力が抜け、今度は自然に笑えた、と思う。そのまま病室を出ようとすると、祖母に呼び止められ、振り返った。

 祖母は、じっと私の目を見てから、すこしうつむき、顔を上げて、

 

「またね」

 

 と、手を振った。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 夜半に、目が覚めた。

 ずっと霞んでいた視界がやけに鮮明で、耳鳴りも聞こえない。

 暗い天井をしばし眺めた後、片腕の老女――ハルは、ベッドから起き上がった。ひどく、体が軽い。

 

「……」

 

 孫から贈られた肩掛けを羽織り、愛用の杖を右手に握る。私物の入った鞄を探り、三つの物を取り出した。

 一つは、骨董品のような懐中電灯。二つは、青と赤のリボン。

 それらをひとしきり指で撫でた後、懐中電灯を首から下げ、リボンは杖ごと握りしめて、病室を後にした。

 

 そろそろ、その時がくる。

 

 エレベーターで1階に降り、無人のロビーをゆっくりと歩く。

 いや、無人ではない。

 柱の陰に、待合椅子の下に、受付パネルの奥に、そこかしこに、()()

 ソレらは、ただぼうと佇んでいるだけで、かつてのように追ってはこない。やはり、あの町が異常だったのだろう。あるいは、気を使ってくれているのか。

 そのまま裏口からこっそりと抜け出し、中庭に出た。

 普段はまぶしい程に道を照らしているライトも鳴りを潜め、大きな噴水もさらさらとせせらぐのみ。真ん中に置かれた、もう滅多に見られない木製のベンチに腰掛ける。

 ハルは天を仰いだ。大きな満月が、こちらを見返している。

 

「……いい、夜」

 

 そう、死ぬには、いい夜だった。

 

 

 

 

 

 それなりに苦難の多い人生だったと自覚している。しかし、決して孤独ではなかった。

 父がいた。母がいた。愛犬もいた。

 新たな友人も多くできた。心から愛せる伴侶とも出会えた。3人の子と、5人の孫を得た。

 2人目の曾孫は、もう間に合わないようだが。

 孤独ではなかった。精一杯生きてきた。

 だが、それでも。いや、だからこそ。

 

「……、……ィ」

 

 ぽつりと、何かをつぶやいたハルの耳に、奇妙な音が響いた。

 

 

 

 

 ずりずり ずずず ごりっ

 ずりずりずり ごりっ ずりずり

 

 

 

 

 病棟の陰、暗がりに目を向ける。

 そこに、なんとも(たと)えようのない、ナニカがいた。

 

 灰色の闇のような体色。芋虫のような、深海魚のような胴体。

 体から生えたミミズに似た何かで、大きな袋を3つ抱えている。

 正面にある白い円は顔なのか、目なのか、仮面なのか。

 

 人の想像の範疇を越えたその存在を、ハルは知っている。

 怪異の中の怪異。夜を見張るモノ。

 

「よまわり、さん……」

 

 ハルは、その名を呼んだ。

 灰色の怪異――よまわりさんが近づいてくる。あいかわらず、その動きからは何の感情も、意思も感じられない。心など無いのか、あるいはそんな人間の物差しで計れるものではないのか。

 

『よまわりさんは、夜に出歩く子どもをさらうモノ』

『理由なんて分からない。あれは、ああいうモノだから』

 

 かつて、故郷の隣町で出会った片目の少女はそう語った。だが、ここに子どもはいない。いるのは老いたハルだけだ。いったい何のために現れたのか。ここにハルしかいないのであれば、それはもしかして、

 

「私を、迎えにきてくれたのですか」

 

 ハルは、そっと微笑んだ。元より、もう逃げる必要などない。手から、足から、力が抜けていく。体のすべてが、命が、終わっていくのが分かる。

 思えば、ハルにとって怪異は身近な存在だった。

 物心がついた時には、感じていた。あの夏の、あの夜ほど鮮烈な記憶は生涯なかった。あの夜の後も、故郷を去るまで夜廻りを続けていた。

 怪異で始まり、怪異で終わる。己を看取る存在としては、ふさわしいと思えた。

 

 よまわりさんは、ただ動いた。2つの袋を、そのミミズのような何かでつかみ、

 

 

「――――ユイ…」

 

 

 最期に、己の生涯でもっとも鮮やかな名前を、大切につぶやき、ハルは、目を閉じた。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 もしも、生まれ変われるならば――。

 

 

 

 

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