二夜廻   作:甲乙

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10:幽霊(おばけ)

“ お化け ”は、山道を歩く二人を見ていた。

 息も絶え絶えなハルを応援するように横に立ち、

 その背を押すユイの真似をするように横に立つ。

 二人は、それに気づかない。

 

“ お化け ”は、その不揃いな両目で、じっと自分の手を見た。真っ黒なその手を。

 

 やがて荒れ果てた神社に辿りつき、二人の後を追った“ お化け ”が境内に足を踏み入れると、あの神が現れた。

 あの神だけが、“ お化け ”を視ていた。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 石畳が青白く輝きだし、その本来の姿を取り戻した。

 体力を使い果たしたユイはついに崩れ落ち、ハルがその背を支えた。油断なく、鋏神の動きを見守る。

 

()アァァ――――ッ! ”

 

 金属音と共に鋏神がユイめがけて突進する。

 だが、まるで吸い寄せられるように石畳の形代へと方向を転じた。赤い鋏は無意味に形代を(ついば)み、甲高い金属音が響く。その後も何度となく鋏を開くも、その刃がユイに届くことは無かった。

 

「やった……」

 

 ハルもようやく体から力を抜く。

 これで、あの鋏神をこの地に繋ぎ留める戒めが完成した。恩人ならぬ恩神(おんじん)に対する行いとしては不届きとも言えるが、あの形代は鋏神に力を与える礎でもある。力を取り戻し、その身に降り積もった穢れが(はら)われれば、()()()()を聞いただけで無差別に人を切ることもなくなるだろう。

 あとは、あの神が鎮まるのを待ち、境内を改めて掃除すれば――――。

 

 

 ばつんッ

 

 

「……え?」

 

 ハルは目を疑った。

 鋏神の、背にあたる部分に生えた腕の一本が、弾け飛んだのだ。赤黒い霞がまるで血煙のように宙を舞う。

 

()ウゥゥ…………ッ! ”

 

 唸っている。何かを堪えるかのように、何かに耐えるかのように。

 ミチミチと、鋏を掴む腕が膨らんでいる。ギシギシと、赤い鋏が軋んでいる。また腕が一本、弾け飛んだ。

 

 ――戒めに、逆らっている?

 

 前回とは違う。あの時は、形代以外はまったく眼中に無い様子だった。ただただ石畳を無意味に突いていたのに。

 いや、そもそも最初からおかしかったのだ。

 ()()()()も聞かずに現れた。供物を捧げても消えなかった。そして、ユイに対する異様な執着。

 

「ユイ! ユイ、起きて!」

「うーんにゃ……」

 

 嫌な予感がした。

 今にも寝てしまいそうなユイを揺すって起こし、肩を貸して立ち上がる。とにかく今はこの神社を離れようとした時。

 

 腕が弾け飛ぶ。霞が宙を舞う。鋏が、甲高い金属音を奏でる。

 徐々に減っていく腕は、まるでカウントダウンのよう。

 そして。

 

 

()オォ――()ア゛アァァ――――ッ! ”

 

 

 咆哮。神社を、山を揺るがすような咆哮。

 ハルの肌をビリビリと震わせるほどの大音声に、朦朧(もうろう)としていたユイも飛び起きる。

 それと共に、背の腕が全て弾け飛んだ。もはや満身創痍となってなお、あの鋏神は抵抗を止めない。

 

「どうして、そこまで……」

 

 いったい何があの神を駆り立てるというのか。ハルには到底、理解できない。

 だがその時、鋏神の執念がついに実を結ぶ。

 ピシリ。石畳に亀裂が入る。光が、消えた。

 

 

 ぐるん

 

 

 鋏神が、こちらを向く。

 霞にまみれながらも、ただ二本残ったその腕で鋏を(しか)と掴み。その眼なき眼で、こちらを視た。

 

 切る。

 必ず切る。

 何としても切る。

 

 その絶対の意思を、ハルは確かに感じた。

 

「――ユイ! 逃げよう!」

 

 無理だ。

 あの常軌を逸した執念、いつまでもどこまでも追ってくるに違いない。絶対に諦めはしないだろうという確信がある。

 だがそれでも逃げるしかないのだ。ユイの手を掴んで、神社の入り口へと走り、

 

「え、」

 

 ドン、と。

 ユイに、突き飛ばされた。

 鋏神が、咆哮と共に、ユイに向かって。

 ユイは、ただ、じっと鋏神の方を見ていて。

 

「ユ――――」

 

 血しぶきが、舞った。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 なにも考えていなかった。

 ただ、逃げられないな、と思って。あの神さまは、わたしを狙ってるから、と思って。

 だから、ハルをつき飛ばした。

 やってすぐ後悔した。

 だって、ハルは助かっても、わたしはきっとバラバラにされちゃう。

 バラバラになったら、もうハルと遊べない。

 それに、ハルはきっと、わたしがいないと泣いちゃって、あの神さまからも逃げられない。

 イヤだ。そんなのは絶対にイヤだ。

 だから。だから、

 

 ――だれか、たすけて!

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユイの視界は、灰色に染まっていた。

 

「…………へ?」

 

 鬱蒼(うっそう)と茂っていた緑色の木も、あの神さまの赤いハサミも、何かを叫んでいるようなハルの青いリボンも、すべて灰色。

 テレビでよく見る、昔の映像みたいになって、しかも一時停止したみたいに止まっていた。

 色があって動いているのは、自分の体と、()()()()()()()だけだった。

 

「……、だれ?」

 

 ソレが一見、人間のように見えたため、ユイはそう問いかけた。だが、ソレが振り返った瞬間、その考えが間違っていたことに気付く。

 

 何よりも目立つのは、その不揃いな目。どこか焦点のおかしい二つの目は大きさが異なり、上下でも左右でもない歪な並びをしている。

 顔だと思われる部分は影を切り取ったように真っ黒で、鼻も耳も口も無い。その周りから伸びた髪はウネウネと蠢いており、深海生物の触手を思わせた。

 そして首から上は異形そのものなのに、その体は華奢な人型だった。しかも女物の服のような物まで着ている。

 

 どこまでも歪な、まさに異形のナニカがそこにいた。

 あまりに不気味な姿にユイは悲鳴をあげそうになったが、ハサミの神さまを思い出して何とか堪えた。あんな怖い見た目でも神さまだったのだ。お化けだって、見かけにはよらないのかもしれない。

 それに、そのお化けは、あの神さまと自分の間に立っている。もしかしたら、助けてくれたのかも。

 

「あなた、良いお化け?」

 

 だから、期待をこめてそう聞いた。

 

“ちがうよ、悪いお化け”

 

 期待はあっさり裏切られた。

 しかも当然のようにしゃべった。高い、女の子みたいな声で。

「ひゃっ」と思わず後ずさると、お化けは「待って」とでも言うように片手を上げる。本当に人間みたいな動きだった。

 

“大丈夫だよ、ひどいことはしないから。今も、助けてあげたでしょう?”

 

 今のこの、時間が止まったみたいになっていることを言っているのだろうか。それなら、確かに助けてもらった。

 

“かわりに、あなたにお願いがあるの。大事なことだから、よく聞いて”

 

 どこか逆らえない、お姉さんみたいな口調だった。思わずうなずいてしまう。

 

“ハルに伝えてほしいの。コトワリさまに力を借りるのは諦めて、って”

“あの神様は、絶対にあなたを切ろうとする。もう何をしてもそれは止められない”

“わたしの声はもう、ハルには届かない。だから、あなたから伝えて”

 

「?」

 

 ユイは首をかしげた。

 なんでハルの名前を知ってるんだろうとか、なんでハルと自分の目的まで知ってるんだろうとか、なんでハルには聞こえないんだろうとか、分からないことが多すぎた。

 ユイが理解できていないと察したのか、お化けは更に続ける。

 

“一度断ち切られた絆が、また結ばれている。だから、あの神様はそれを絶対に切ろうとする”

“でも、ハルの左手は一度切られているから、もう捧げることはできない”

“だから、今度はあなたを切って、絆そのものを無くそうとしているの”

 

「???」

 

 もっと分からなくなった。

 このお化けも、精いっぱい分かりやすく説明してくれているようだが、分からないものは分からない。そもそも、ハルには両手がちゃんとあるではないか。

 更に首をかしげていると、お化けに溜息をつかれた。お化けでも溜息をつくのか。口も無いのに。

 

“つまり、こういうことだよ”

 

 まばたきする間に、お化けの姿が変わった。

 

「――――え?」

 

 しかも、その姿はユイには非常に見覚えのあるものだった。それこそ、見ない日が無いほどの。

 

 切れ長の目。後ろでくくられた亜麻色の髪。それを結ぶ、赤いリボン。

 服まで同じ。黒いシャツ、白のスカート、赤のネクタイ。ウサギのナップサックまで。

 見間違えようもない。この姿は……。

 

 

『はじめまして、わたしはお化け。名前は、――ユイというの』

 

 

 お化け(ユイ)は、そう微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………。

 

『聞いてる?』

「――へ?」

 

 ユイは、ぽかんと口を開けたまま、頭が真っ白になっていた。

 しかし、いったい誰がそれを責められるというのか。ハサミの神さまにバラバラにされそうになって、変な灰色の世界にいて、目の前に不気味なお化けがいて、そしてそのお化けは、ユイと同じ姿でユイを名乗っている。

 

「かんべんしてよ……」

 

 こんなの、完全に理解できる範囲を超えている。頭がいたくなってきた。しかしお化け(ユイ)はその反応に満足したらしい。

 

『ね? おかしいでしょ?』

『ユイが二人もいるのは、おかしい』

『だからコトワリさまは、あなたを切って、ユイを減らそうとする』

『これなら、分かる?』

 

 それならば、さっきよりは分かりやすい、だろうか? ユイは首をかしげるとも、うなずくとも言えない動きをした。

 

「まあ、……うん?」

『よかった』

 

 お化け(ユイ)は微笑んだが、すぐにその表情を正す。何かを決意したような顔で、神さまに向き直った。

 

『じゃあ、ハルをお願いね。……コトワリさまは、わたしが』

「ちょ、ちょっと待ってってば!」

 

 慌ててお化け(ユイ)の前に走り出る。すこし驚いたような顔は、よく見ればユイより目線がだいぶ高い。まるで、ユイがいくつか歳を重ねたみたいに。

 

「それだけじゃ何にも分かんないって!」

「なんで、わたしがもう一人いるの!?」

「ハルの手を切るってどういうこと!?」

「ちゃんと説明してよ!」

 

 まくしたてると、お化け(ユイ)はひどく困った顔になってしまった。おでこに手を当てて、何か考えこんでいる。そのおでこには、何故か包帯が巻かれていた。

 お化けでもケガするんだ、とユイはまたいくつ目かの発見をしていると、お化け(ユイ)が言葉を選ぶように口を開いた。

 

『……あなたが、分かる必要はないよ。ハルに言えば、きっと分かるから』

「なんで?」

『え?』

「なんで、ハルなら分かるの?」

 

「しまった」と思っているのがありありと分かる顔で、お化け(ユイ)は頭を抱えた。

 ことハルに関することなら、ユイの頭の回転は速い。ここ最近のハルの変な様子、あきらかにハルのことを知っているようなお化け(ユイ)の言葉、二人のユイ。ユイが二人いるのなら、まさか。

 

「ハルも……」

 ――二人いるの?

 

 

 

 

『そうだよ』

 

 観念したように両手を上げてから、お化け(ユイ)は語りだした。

 

『わたしとあなたが二人いるみたいに、ハルも二人いる。……いえ、()()の』

『でも、今は一人』

『ちょっと前までは分裂しかかってたけど、もう大丈夫。自分(ハル)たちでも分からないぐらいに、自然に溶け合ってる』

『あの喧嘩のおかげだね』

 

 見られてたんだ、とユイはすこし恥ずかしくなった。まだちょっと腫れている頬を掻きながら目線をそらす。

 

『だから安心して。今そこにいるハルは、あなたが知っているハルでもあるし、わたしが知っているハルでもある』

『青い絵の具を2つ混ぜても、色は変わらないでしょう?』

 

 分かりやすい例えだったが、なんだか子ども扱いされているようでユイは面白くない。同じ顔なのに。ちょっと背は高いけど。

 

『それで、その、わたしとハルは、すごく色々あって……』

 

 その色々を聞きたいのだけれど。

 

『とにかく! あなたはハルを助けてあげて! わたしのことはいいでしょ!』

『わたしが囮になるから、その間にハルと逃げるの!』

『コトワリさまの力が無くても、山の神はきっと倒せるから!』

 

 話は終わりだとばかりに、神さまの方に向かおうとするお化け(ユイ)の手を掴む。

 今、聞き捨てならないことを言った。囮になる。それはつまり、あのたくさんのぬいぐるみのようにバラバラになって時間稼ぎをするということか。

 止めようとして、その掴んだ手が、ずるりと抜け落ちた。

 

「ひっ!?」

 

 思わず離してしまった手は、地面に落ちる前に花弁のように散って消える。お化け(ユイ)の左腕は、もう無かった。

 お化け(ユイ)はそんな自分の腕を見て、なんとも言えない笑みを浮かべる。

 

「切られちゃったの!?」

『……驚かせてごめんね。大丈夫だよ、痛くないから』

 

 そうお化け(ユイ)は笑うが、そんなわけがない。おでこの包帯だけじゃない、残った右手にも両足にも、絆創膏やアザがたくさんあった。

 すごく、痛そうだった。

 それを隠すように、お化け(ユイ)はまた不気味なお化けの姿に変わる。

 

“ほら見て。わたしはお化けなんだよ”

“お化けは死なない。だから、大丈夫”

 

 嘘だ。その姿になっても、左腕は無いままじゃないか。

 だから、ユイは絶対に行かせたくなかった。相手がもう一人の自分(ユイ)じゃなくても、ユイはそうしただろう。

 ほんのすこしの時間で考えて、考えて、一つだけ閃いた。

 

「……ユイが、一人になればいいんだよね」

「ハルは、一人になったんだよね」

「だったら、」

 

“ダメ!”

 

 そんな考えはお見通しだったのか、お化け(ユイ)は髪にも触手にも見えるソレを蠢かせた。まるで、ユイを威嚇するように。自分の異形の姿を、見せつけるように。

 

“見てよ! わたしはお化けなの!”

“ハル達とは違う! わたしと混ざったりしたら、あなたはタダじゃ済まない!”

 

「大丈夫だよ」

 

 ゴチャゴチャうるさいもう一人の自分(ユイ)を黙らせるように、残った右腕を両手で掴む。べっとりと墨に濡れたような黒い手は、とても冷たかった。

 

「へーきへーき。きっと何とかなるって」

“どうして……”

「勘だよ」

 

 「かん……」と、あまりにもいい加減な返事に、お化け(ユイ)の触手が萎れたように下がった。

 

“あなたねぇ……”

「同じなくせに」

 

 はあ、と。またお化け(ユイ)は溜息をつく。口も無いのに。その不揃いな両目を一度閉じて、こちらを睨みつけながら言った。

 

“――――後悔するよ”

「しないよ」

 

“頭がおかしくなるかも”

「ならないよ」

 

“すごく、苦しいよ”

「……へーきだよ」

 

“すっごく、つらいから”

「そんなに脅かさないでよ……」

 

 せっかくの決心がグラグラし始めてしまう。そんなユイに満足したのか、お化け(ユイ)は手を握り返してきた。

 

“まあ、もう逃がさないけどね!”

 

 本当に悪いお化けみたいなことを言いながら、その触手をユイに巻き付けてくる。手足や首に感じるゾワゾワと冷たい感触に耐えるユイに、お化け(ユイ)はその不気味な顔を近づけた。

 

 

“全部、見せてあげる。これが、わたしの歩いてきた道”

 

 

 ユイ達の額が触れ合い、何かが、頭に流れ込んでくる。

 ユイの視界が、影にのみ込まれた。

 

 

 

 

 そして、ユイは知ることとなる。

 

 ある少女が歩んだ、あまりに多くの苦難に塗れた道を。

 

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