二夜廻   作:甲乙

13 / 20
13:朝日(ひかり)

 かつて、いくつもの長い夜があった。

 

 ある少女は、己の命と引き換えに母を失い。

 

 ある少女は、姉の命と引き換えにその目を失った。

 

 またある獣は、死してなお主を守り続け。

 

 またある怪異は、一人の少女をただ見守り続けた。

 

 明けない夜は無かった。

 

 ただひとつの例外を除いて。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

『このトンネルは通れないよ。このあいだの地震で崩れちゃった』

 

 隣町の、山道の先にあるトンネル。お化けになったユイでも分かるほどイヤな雰囲気のするその先に、ハルが進もうとした時。

 ゆらりと、その子はいつのまにか、トンネルの前に立ちふさがっていた。

 

 小柄で、色白な女の子。頭の上には、ユイと同じような赤いリボンが花のように揺れている。

 くりっとした可愛い目をしていたけど、ものもらいでもあるのか、左目には眼帯をしていた。

 

『あれ?』

 

 女の子は、何かに気付いたようにハルの顔をのぞき込む。ひとつだけの目が、すと細められた。

 

『前にも会ったよね?』

『……うん』

 

 ユイは初めて見る子だったが、ハルとは知り合いだったらしい。つまり、あの夜に知り合ったということだろう。

 

『雰囲気が変わってて分からなかったよ。――お化けかと思った』

 

 あまりに核心をついた言葉に、ユイの視界にまた触手がざわつきだした。

 ハルは、それを皮肉と受け取ったのか、暗い笑みを浮かべた。ハルには全然似合わない、イヤな表情(かお)だった。

 女の子は、そんなハルを見ても特に動じた様子もなく、手にした懐中電灯をぶらぶら揺らす。その右目が、ハルの中身のない左袖と、暗い目を順に見て、

 

()()()()()()()()()?』

 

 また、見透かしたようなことを言う。

 あの夜に出会ったのなら、ユイを探していることもハルは話したのだろう。

 でも今の言葉は、きっと。

 

『……まだ、見つからないの』

『そっか』

 

 絞り出すように答えたハルに対し、女の子はあっさりと返した。くるりとトンネルに向き直った後、懐中電灯をトンネルに向ける。

 あまりにも深い暗闇が、懐中電灯の弱い光を飲み込んでいた。

 ユイですら寒気を覚え、チャコは既に工事看板に隠れている。見れば、ハルも恐怖に顔を強張らせていた。久しぶりに見る、ハルらしい表情だった。

 

『とにかく、このトンネルはあぶないから、入らない方がいいよ』

『それとも、あぶない場所(ところ)へ行きたいのかな?』

 

 女の子が振り返る。闇夜に爛々と光る右目が、ハルの暗い瞳の芯を捉えていた。

 言外に、ここは通さないというように。

 

『探すなら町の方にしなよ。商店街とかさ』

 

 ユイは、この女の子がハルに夜廻りをやめるよう説得してくれることを期待していたが、その気は無いようだった。

 ハルは無言で(きびす)を返すと、山道を下り始める。商店街とやらに向かう気なんだろう。

 

『見つかるといいね』

 

 ユイだけが振り返るが、暗いトンネルの前には、もう誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『こんばんは』

 

 それからハルは毎晩、隣町に向かった。そして、あの女の子もどこからともなくハルの前に現れた。

 ハルのことを見張っているのかと思えば、挨拶だけしてすぐに立ち去ってしまうこともある。トンネルにだけは行かせたくないようだったが、それ以外の場所なら止めようともしない。

 そんな女の子の態度にユイは正直やきもきしていたが、ハルはそうでもないようで、何度目かの遭遇からはハルも多少は話をするようになっていた。

 

 女の子は、ことも という名前らしい。この町で生まれ育って、ハルと同い年。お姉さんと二人で暮らしているそうだ。

 しかも、もう2年間も夜廻りを続けていると言う。

 明らかに普通の女の子ではないと思っていたが、ユイの想像以上に変わった子だった。

 

『見つかった?』

 

 今夜も、小さな神社の前でこともと出会った。ハルは、ただ首を横に振る。こともは「そっか」と、いつものようにあっさりとしていた。

 どちらからともなく、神社の石段に並んで座る。ユイは、すこし離れた場所で色褪せた鳥居を見上げていた。

 何度か、ハルと来たことのある神社だった。たしか、図工の宿題で(しおり)を作るために、紅葉を拾いにきた。あの時は、もう少しきれいな神社だったはずだが。

 

『引っ越しは、いつだっけ?』

 

 こともは、右目で夜空を見上げながら聞いた。ハルは、暗い目でじっと石段を見つめながら、だいぶ間をあけて答える。

 

『…………あした』

『じゃあ、もう今日だね』

 

 商店街に立てられた錆びた丸時計の針は、0時を過ぎていた。

 ついに、夏が終わろうとしている。ユイもその時が来たことをようやく実感しはじめたが、ハルは……。

 

『ハルともお別れか。寂しくなるね』

『わたしは行かない』

 

 抑揚のないハルの声に、ユイは振り返る。こともは、ただ黙っていた。

 

『一人でも残る。まだ、ユイを見つけてないから』

 

 あの花火の夜と同じようなことを、ハルは言う。

 だけど、あの夜の、寂しさと決意に濡れた瞳とは違って、今のハルの瞳には、ただ暗い夜の闇だけがあった。

 

『ずっと探す。ユイを、見つけるまで』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『私が探すよ』

 

 ハルとユイは、同時に振り返った。

 しかし石段に座っていたはずのこともは、いつの間にか境内でチャコをうりうりと撫でている。

 

『なにを……』

『どうせ暇だからね』

 

 暇だから。

 ユイを探すことを暇つぶしのように言われたからか、ハルの顔に怒りの表情が浮かぶ。それもまた、ユイが久しぶりに見るハルの人間らしい表情だった。

 ハルが石段から立ち上がり、こともに詰め寄ろうとした時。

 

 

『私は、もう戻れないから』

 

 

 決然とした、でも諦観に満ちたような声に、ハルは足を止める。

 その横をすりぬけるように、こともは立ち去ろうとしていた。撫でられ足りなさそうに、チャコは甘えた声で鳴く。

 

『ハルに何があったかは聞かないけど、引っ越しても元気でね』

 

 後ろ向きにヒラヒラ振られた左手を、ハルの右手が掴んだ。こともは足を止め、眼帯にふさがれた左目をハルに向ける。

 

『……待って』

『聞いてよ』

『聞いて、ほしいの』

 

 消えるような声で、ハルは言った。縋るような口調だった。それに何を言うでもなく、こともはただ聞く姿勢を見せる。

 

 

『わたしは、ハル。隣町に住んでいて――』

 

 

 そしてハルは語りだした。

 ハルのこと。ユイのこと。家族のこと。クロとチャコのこと。話の順序の整理も、話題の取捨選択もされていないハルの話は長かったが、こともは黙って聞いていた。

 やがて話は、引っ越しのこと、お化けのことと、あの夜に近付いてくる。徐々にハルの声は震え、右手は左腕を握りしめていた。

 あの夜の話は、ハルの恐怖と悲しみにばかり満ちて話の道筋がたっておらず、ユイが聞いても滅茶苦茶だった。こともが理解できるはずもない。

 最後は、ハルが自分を責める言葉だけが続いていた。

 こともは、ただそれを黙って聞いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『わたしのせいで、ユイは、しんだんだ』

 

 何時間たったのか。ようやく話し終えたハルは、そう締めくくった。

 途中から石畳に座り込んでいたハルの顔は、何もかも吐き出したような無表情で、その目にはもう何も無かった。あの夜の闇ですら。

 右手だけが、ずっとこともの左手を掴んでいた。誰かの体温を求めるみたいに。

 

 ユイは、叫びたかった。

 違うんだと。ハルは悪くないんだと叫びたかった。でももう、ハルに声は届かないと分かってしまっていた。

 叫びの代わりに、黒い触手だけが激しく蠢いていた。

 

 夜明けの直前、もっとも暗い空の下で、重い沈黙だけが横たわっていた。

 

『だから、ユイを探す。わたしが、探さないと』

『私が探すよ』

 

 ハルの声に再び狂気が首を(もた)げた時、こともはもう一度同じことを言った。

 ハルが透明な瞳をこともに向ける。右目だけでそれを見返しながら、こともは続けた。

 

『キミの代わりに、私がユイちゃんを探すよ』

『見つかったら、手紙を出すから』

『だから安心して』

 

 こともは、ハルの言葉を否定も肯定もしなかった。ただ、受け止めてくれた。

 

『私はもう、この町を離れられない』

『夜廻りをやめることもできない』

『でも、キミは違うんでしょ?』

 

 ただ、ハルの背負った重荷を、すこしだけ肩代わりしてくれた。その心の中の狂気(よる)を、預かってくれた。

 

 

 

 

『だから、キミはもう、夜廻りをやめていいんだよ』

 

 

 

 

 こともの背後から、太陽が顔を出す。

 朝日を正面から浴びて、ハルの瞳が涙でにじんだ。まぶしかったから。でもきっと、それだけじゃない。

 ハルは泣いた。

 泣き虫のハルが、あの夜からはまったく泣かなかったのに。今は、ただ泣いた。

 こともに縋りつきながら、ユイの名を呼んで、泣いた。

 泣いて、泣いて、ハルの涙が涸れた時。

 

 夜が、明けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 別れ際、こともは赤い花を一輪くれた。

 ハルは赤い花弁を愛おしそうに撫でてから、ウサギのナップサックに丁寧に仕舞った。

 一言二言、別れの挨拶をして、ハルは神社を後にする。泣きはらしたハルの目は、朝日を反射してキラキラと輝いていた。

 チャコがボールのように跳ねながらそれを追い、最後にユイが続く。

 ユイが肩越しに後ろを見ると、こともは鳥居の下で、ヒラヒラと手を振っていた。

 

 その右目が、ユイを視ていた、気がして。

 

 もう一度振り返った時、鳥居の下には、もう誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 

 

 

 酸漿(ほおずき)色の空が町を染めていく。

 一望できる町を黄昏が飲み込もうとしている時。あの山のあの木の下で、ハルが奮闘していた。

 

『うん……しょっと!』

 

 つい先日に自分が散らかした紙クズやらガラクタの破片やらをようやく片付けたハルは、右手で額の汗をぬぐった。

 大きく膨れたゴミ袋を見て、ハルはげんなりとした顔で溜息をつく。チャコはもちろん、ユイも手伝うことはできない。これを持って山を下りるのはハルの仕事だ。

 一人なのにころころ変わるハルの表情を見て、ユイも肩の荷が下りた心地だった。しゃがみこんでハルを観戦していたユイの足元を、チャコが何かを咥えて走っていく。

 

『あ……』

 

 チャコからハルに渡されたのは、紙片だった。ハルが破り捨てた地図の切れ端。それを見たまま動かないハルの後ろから、ユイも覗きこむ。

 

 黒の色鉛筆で描かれた、二人の女の子。

 いいかげんな線で描かれているのに、色もついていないのに、どちらがどちらかすぐ分かった。

 

 偶然その部分だけが破られなかったのか、ハルが無意識にそうしたのか、二人の落書きだけがきれいに残っていた。

 ハルは、一回だけ鼻をすすった後、太腿を机がわりにしてその紙を折りはじめる。

 きれいな折り紙でもなく、まして片腕のハルが作ったそれは、ひどく不格好な紙飛行機だった。

 まともに飛ぶかも不安な代物だったが、精いっぱいの助走と力で放られると、わずかな風にのって、茜色(あかねいろ)の空へと消えていく。

 

 あれは、だれが読んでもいい、だれが受け取ってもいい手紙。

 予想もしていなかった場所に()ちて、想像もしなかったような人に拾われる。

 

 ひとつも文字が書かれていないあの手紙に、ハルはどんな想いを込めたのか。

 ユイが横から見たハルの目は、夕日を反射させながら、点になって消えていく手紙を追っていた。

 

 

 

 

 やがて、遠くから夕方を報せるサイレンが聞こえてくる。

 ハルは木の方へ向き直ると、ナップサックから花を取り出し、木の根元へと供えた。

 こともがくれた、一輪の花。赤の百日草(ジニア)

 花を置いたその手を、そのまま胸に当てる。もう手を合わせられないハルの、祈りの姿だった。

 

 それをユイは、木に重なるように立って見ていた。

 もう声をかけることも、手を触れることもできない親友の姿を。

 だがもうその必要もない。ハルは、やっと前に進もうとしているのだから。

 

 立ち上がったハルは、涙に濡れた、きれいな目をしていた。

 ユイが大好きだった、泣き虫な、ハルの目。

 何かを振り切るように、ハルは木に背を向ける。

 

『いってらっしゃい。ハル』

 

 あふれる気持ちのまま、ユイは親友を送り出す。

 

 

 潮騒(しおさい)のような音がして。

 尾根を撫でるように、強い風が吹く。

 

 

 ハッとした顔で振り返ったハルと、ユイの目が合うことはなかった。

 しかし。

 こぼれた涙を手でぬぐい、ユイが見た中で、もっともきれいな笑顔を浮かべたハルの。

 

 

 

 

『――またね』

 

 

 

 

 その言葉だけは、たしかにユイに届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 親友の背を見送りながら、ユイの目からは透明の涙だけが流れていた。

 

 これだけ心が波立っているのに、その姿は少女のままで。

 

 ハルは「またね」と、再会を約束した。

 

 だが、ふたりが再び会うことはもう、無い。

 

 ならば、それは。

 

 ユイは理解していた。

 

 だから泣いた。

 

 ハルは、本当の意味で、ユイに別れ(さよなら)を告げたのだ。

 

 

さよなら(またね)。ハル……』

 

 

 それは、喜びの涙だったと、ユイは思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 でも、ユイはまだ消えなかった。

 

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