どれぐらい、泣いたのか。
両親にしがみつきながら、ユイは降り積もる雪を見ていた。
思い出すのは、チャコのお墓。その前で祈るハルの姿。
やがて雪が融けて消えた時。
ユイは立ち上がった。
固く冷たい土に、木の枝を突き立てる。
何度も、何度も突いて、土をほぐし、手でかき出した。枝が折れたら、別の枝にとりかえる。枝が無くなったら、さがしに行く。
ユイは穴を掘っていた。
公園の砂場ではない。山奥の地面だ。掘ればすぐに、石が、木の根が、時には岩が顔を出す。それらをすべてほじくり、石で叩き折り、無理なら横に穴を広げた。
ユイは穴を掘り続ける。
クロを埋めた時とはわけが違う。人間の、それも3人分の穴。
無心で掘り続けるユイの頭上で、月と太陽が何度も行き来する。また雪が降ってきたのを見て、ユイは土を掘る手を速めた。
穴を掘りきった時は、紅葉が舞っていた。
それが何度目の秋だったのかを、ユイはもう数えていない。
穴の中に紅葉が降り積もるのを見て、暖かそう、とユイは久しぶりに笑った。
骨だけになった両親を、穴の底に並べる。
小さな骨も残さず、一本ずつ丁寧に、並べていく。父の足りない左手の骨は、削った木の枝をかわりにした。天国で、不自由しないように。
最後に、ユイの服が詰まった鞄を、両親の間に置く。
本当は、自分がここに納まるべきなのかもしれない。
でもまだユイには、やらなければいけないことと、やりたいことがあった。
土を、かぶせていく。
白い骨がだんだんと見えなくなり、ユイの視界もだんだんと滲んでくる。
一度手を止めて涙を拭い、両親の頭蓋骨を目に焼きつけた後、最後まで土をかぶせた。
できあがったこんもりとした墓に、大きな石と、中くらいの石と、小さな石を並べる。
お父さんと、お母さんと、ユイの墓だ。
自分で掘った墓の前に座る。
ハルの真似をして、重ねた両手を胸に当てた。目を閉じて、頭を下げて、祈る。
念仏を唱えたわけではない。ただ、両親との記憶を思い出していた。
それが楽しい思い出でも、つらい思い出でも、すべて、思い出していた。
父とも、母とも、つらい別れとなった。
それでも、大好きな両親だったのだから。
ユイなりの祈りが終わった時、見下ろしたその手は、ほとんど消えかけていた。
それをじっと見るユイの顔に悲哀は無い。ただ静かな笑みだけがあった。
墓に眠る両親にもう一度だけ笑いかけてから、ユイは歩きだす。
最期の場所へ、向かうために。
頭がふわふわしていた。
体もすごく軽くて、それこそ消えてしまいそうに軽い。
時間の感覚はいっそう曖昧になって、もう朝も夜も区別がつかない。まばたきする度に季節が変わっている気がする。
きっと、ユイの未練は二つあった。
ひとつは、ハル。
でも、あの木の下でハルとお別れした時にはもう、ハルは未練ではなくなっていた。
もうひとつは、家族。
それを今、終わらせてきた。両親と、自分自身の弔いを済ませてきた。
だから、今のユイを繋ぎとめているのは、未練ともいえない小さな欲。
ハルに会いたい。
話したいことがたくさんある。たとえ声が届かなくても。
ふわふわ、ふわふわと。ユイはまた、ハルの元へ向かう。
これがユイの、きっと最後の旅になる。
ハルの家に、ハルはいなかった。
かわりに、ハルにそっくりな女の人がいた。
はじめはハルの娘さんかと思っていたら、おばあちゃんがどうとか言っていて、まさかと思った。
どうやら、帰りがだいぶ遅くなってしまったらしい。
運よく、ハルのお見舞いに行くというその人の後をつけていった。
病院は、ユイの知っている病院とはぜんぜん違っていた。
いろんな物がかってに動いていたし、丸っこいロボットがあちこちにいる。探索したら、さぞ面白いだろう。
でももう、その時間はない。
階段を上る女の人についていった先の、4階の部屋。
暖かな色の部屋の奥、窓の近くのベッドの上に、ハルがいた。
ハルは、おばあちゃんになっていた。
やさしい顔をした、きれいなおばあちゃん。
孫の女の人と話しているハルの横に座って、心の中だけで語りかけた。
――おそくなってごめんね。
――ハル、がんばったんだね。
――たくさんがんばって、たくさんの家族に囲まれて。
――つらいことも乗りこえて、こんなに長生きして。
――そして、天国にいこうとしてる。
女の人が帰って、ハルが眠って、夜に起きる。ハルが鞄をあけて、中から、懐中電灯と、
『あ――』
赤と、青のリボンを取り出した。
それは、とても古い物のはずなのに、今でも鮮やかな色をしていた。
きっと、大事に、大事にされていたから。ハルが、色褪せないようにしてきたから。
あの日、ハルはユイにさよならを言った。でも、忘れてはいなかった。
ユイのことを、忘れないでいてくれた。
自分は、不幸だったとは思う。
お父さんが死んで、お母さんはおかしくなって、家族は壊れてしまって。
毎日、痛くて、苦しくて、寂しくて。
ハルも、クロも、大切にしているものはどんどん離れていって。
お化けになって、死ぬこともできなくて。
でも、お化けになったから。
お父さんも、お母さんも、ハルも、自分のことを大切に思ってくれていたことを知った。
こんなに、あんなに、自分を想ってくれた人たちがいた。
不幸だった。でもそれだけじゃなかった。
ユイは、そう、思った。
病院を抜けだして、中庭のベンチに腰掛けたハルの、隣に座る。
きっとハルは気付いている。そろそろ、その時がくるということを。
ハルの右手。ふたつのリボンを握るその手に、ユイも触れた。
『……、……ュィ』
ハッと、横を見る。
ハルは、ただ月を見上げていた。自分の手を握るモノの存在には気づいていない。それでも、良かった。
いっしょに月を見上げる。あの時、いっしょに花火を見た時みたいに。
そして、灰色の怪異が現れた。
ユイも見たことのないお化け。いや、お化けですらないナニカ。あの山の神や、コトワリさまとも違う気がした。
久しぶりに感じる恐怖に、思わずハルの手を強く握る。
『よまわり、さん……』
『私を、迎えにきてくれたのですか』
ハルは、笑っていた。
ハルはすべてを受け入れている。なら、ユイも怖がることはない。
ハルの手を握り、ハルによりかかって、語りかけた。
――ねえ、聞いてよハル。
――わたしも、がんばったんだよ。
――お母さんを見つけたよ。
――お母さん、お父さんと仲直りできたんだよ。
――それでね、ちゃんとお墓だってつくったんだよ。
――わたしのお墓だってつくったよ。わたしがつくったんだよ。
よまわりさんが、近付いてくる。
――だからね。
――こんな、ダメなわたしでも。
――こんな、悪いお化けでも。
――お父さんと、お母さんと、ハルと、同じところにいけるかな。
――いけたら、いいな。
よまわりさんが、その袋を。
――でも、もし。
――もし生まれ変われるなら。
――また、ハルと友達になりたい。
その、
――あなたも、そう思うでしょ?
『――――ハル…』
最期に、己の生涯でもっとも鮮やかな名前を、大切につぶやき、ユイは、目を閉じた。