長い、長い追憶が終わろうとしていた。
まじり合った二つの魂が、ふたたび一つの形を成す。
形はそのまま、密度だけを増したかのような、その魂。
それが小さな炎のような輝きとなって、瞳の奥に灯った時。
深い眠りの底から、ユイは目覚めた。
まず最初に、ハルの顔が見えた。
目が合うと、心配そうな顔が更に近づいてくる。
「ユイ、起きたの? 大丈夫?」
頭の下に、柔らかな感触がある。どうやら膝枕をしてくれているらしい。前かがみになったせいで垂れてきたハルの三つ編みが、ユイの鼻をくすぐる。
「……へぶしっ」
「ひゃっ!」
おもわずくしゃみが出てきて、更に唾が飛んでしまったのかハルが顔を押さえる。
……なんとも締まらない再会となってしまった。
「……もうっ!」
「ごめんって」
まだ起き上がる気にはなれなくて、怒り顔のハルをあやすようにその三つ編みを弄った。
お姉さんのハル、お母さんのハル、おばあちゃんのハル。いろんなハルを見てきたが、やはり少女のハルが一番しっくり来た。あと2年すれば更にそうだろう。
「ユイ、動ける? 疲れてるみたいだけど、そろそろ行かないと」
忘れてはならないが、今はあの蜘蛛神との戦いの真っ最中だ。プランA、その最後の仕上げに向かわなければならない。
それはユイも分かっている。分かってはいるが。
顔を傾ければ、ハルの左手が見える。かつて失われ、今もまた傷ついた、細く小さな左手。掌の傷にハンカチを巻いただけの、血まみれの手をそっと撫でる。
「……ごめんね、ハル」
「なにが?」
「左手、痛かったでしょ」
「ああ、これ? 大丈夫だよ」
「わたしが、切らせちゃった」
ハルの動きが、止まった。
「…………え?」
信じられないものを見たようなハルの顔が見えて、その顔も涙で滲んでくる。
もう、気持ちを抑えられない。
「ごめんね。いっぱい怖がらせて」
「ごめんね、あの時……道連れに、しようとして」
「ごめんね……。あんなお別れで……っ。本当に……っ!」
目をこすってもこすっても涙は溢れて。くしゃくしゃになった顔をユイは手で覆う。
ハルは、ただ呆然と、ユイを見下ろしていた。
※
ハルは、自分がついにおかしくなったのだと思った。
あの夜すべてが夢なら良かったと、もはや何度思ったか分からない。ユイが生き返った夢など、もう何度も、数えきれないほど見た。
毎日、何年も、80年、ユイを想って、想って、ついに夢と現実の区別がつかなくなったのだ。そうでなければこんな、都合の良いことがあるはずがない。
ユイが生き返る? 馬鹿な。ありえない。死者は生き返ったりしない。過去を変えられたりも、しない。
ああ、そうだ。
この、こんな、よまわりさんの手で若返って、過去の世界に戻ったなど、こんなこともありえない。
きっとこれは、
「うにゅ」
頬を、手でつままれた。
膝に頭を乗せたままのユイは、その顔もくしゃくしゃなままで、ハルの頬を両手で引っ張る。
痛い。
「
「ほら、痛いでしょ!」
見下ろしたユイの、涙で濡れた瞳に、自分の顔が映る。頬を引っ張られたまま泣いている、なんとも間抜けな顔が。
「夢じゃないんだよ! ハル!」
ユイは手を離した。
今度は、ハルがユイの頬を両手で挟む。その感触を確かめるように、そっと。
「ユ……イ……?」
「うん」
「ユイなの……?」
「そうだよ」
「ユイ…………?」
「そうだってば!」
しびれを切らせたように、ユイががばりと起き上がる。ハルの両肩をがっしりと掴み、真正面から。
「
あまりに単純な。それでも、二人にとっては、あまりに重い一言。
その言葉が、ハルの頭に届いた時。
「――――――ぁ」
「――あぁ……」
「ああぁ……っ」
「あああぁぁっ!」
80年。
ユイと過ごした月日より、遥かに長い年月を生きてきた。
ユイの死を受け入れられず、夜をさまよった。
ユイの死を受け入れ、別れをつげた。
ユイの死を乗り越え、生きてきた。
それでも、ユイを忘れたことなど無かった。
80年。
ずっと、ずっと祈り続けてきた。
その死後の安寧を。その来世の幸福を。
それでも、ユイを想わない日など無かった。
80年。
ユイがいなくても、生きてきた。
孤独ではなかった。新しい家族も、新しい友人も得た。
精いっぱい生きた。立派に死んだ。
自分は、幸せだった。
だけど、もし。もしも、生まれ変われるなら、その時は。
80年。
そのすべての、積年の想いが、はじけた。
※
山奥の、荒れ果てた、忘れられた神社。
傾きはじめた太陽の、赤く色づきはじめた光に照らされたそこで。
ふたつの影が、かさなっていた。
影は、少女たちは、泣いていた。
互いの涙が、涙を呼ぶように、ふたつの
「ごめんなさい! ごめんなさい、ユイ!」
「たすけられなくて、ごめん……! ごめんなさい……っ!」
「ずっと、ずっといっしょにいたかった! ほんとうは! ずっと!」
「ごめんなさいハル! わたしが、わたしがわるかったの!」
「ちゃんと言えばよかった! たすけてって、もっとはやく!」
「あんな、ダメなわたしでごめん……、あんな悪いお化けで、ごめんなさい……!」
「ユイとの、縁を切っちゃった……! わたしが、死にたくないからって……」
「最低だ! 卑怯者! ユイは、わたしをたすけてくれたのに! わたしは、わたしは……」
「わたしのせいで……ユイは、あんな……!」
「痛かったよね……つらかったよね……」
「わたし、ずっと見てたよ。お化けになって、ずっと!」
「ハルががんばってるのを! わたしは、ぜんぶ見たよ!」
「みつけられなくて、ごめんなさい!」
「もっと、もっとはやく、みつけてれば!」
「わたし、いつも、……いつも……」
「ありがとう……あの時、わたしを、さがしてくれて!」
「あの後も、ずっと、わたしを、わたしなんかを……」
「みてたよ、みてることしか、できなくて……っ!」
「ユイは、ずっとみててくれたのに!」
「わたしだけ……わたしだけ生きた! ユイだって生きたかったのに!」
「ハルはがんばったよ! ずっとみてた!」
「がんばってたじゃない! ハル!」
「ほんとうは、ユイと生きたかった……!」
「ユイと、おとなに、おばあちゃんになりたかったのに!」
「わたしだって生きたかったよ!」
「みてたけど、さわれなくて、はなせなくて、さみしかった……!」
「ずっと、ずっと……」
「ずっと……」
あいたかった!
慟哭がやみ、嗚咽もやみ、やがて影がかさなるのみになり、黄昏が山を覆いはじめた頃。
ふたつの影は、立ち上がった。
成すべきを、成すために。
もう一度つないだその手を、もう二度と、はなさないために。