男たちの手により、蜘蛛神の住処は蹂躙され尽くしていた。
己を祀る地蔵はひとつ残らず叩き壊され、注連縄も断ち切られた。
彼岸花はすべて毟りとられ、草一本はえぬよう塩を撒き散らされた。
この地は、もう死んだ。
残るは、石クズと、子蜘蛛の死骸と、男たちが食い散らかした弁当のゴミと、置き土産だけ。
夜になれば一匹残らず屠らんと、蜘蛛神は執念深く耐えていたが、男たちは日が傾く前には撤収してしまった。
壊されるだけ、壊された。
嬲られるだけ、嬲られた。
穢されるだけ、穢された。
許せるはずもない。
最奥の暗がりから、蜘蛛神はよろよろと這い出してきた。その身は軽く、そして小さい。もはや子蜘蛛とそう変わらぬ程に力を失くした。
戒めであり礎でもあったこの地は、もう死んだ。
土から抜かれた木がやがて腐り落ちるように、蜘蛛神もその力を失くしていく
だが自由だ。
手近にいた子蜘蛛を捕らえ、喰らう。
元より己の身から生み出されたモノ、その血肉はよく馴染んだ。それこそ蜘蛛の子を散らすように逃げ出すモノたちを、捕らえ、喰らって、力を蓄えていく。
もはや蜘蛛神を縛る物はない。
戒めが無くなった以上、もうこの地に留まる理由も無かった。子蜘蛛を喰らい尽くし、洞窟の出口へと進む。
じき、夜がくる。
こんなモノでは足りない。
山を下りれば、贄がいる。いくらでもいる。
囁き、その縁を死に繋ぎ、喰らう。贄が無くなるまで喰らい、また別の地へ向かう。
そうしなければならない。
その力を持つのだから。そうできるのだから、そうしなければならない。
止めるモノなど、いない。
出口へと近付き、斜陽が差しこむ前で、足を止めた。
その赤い眼をすべて見開き、贄を探す。
贄は、すぐそこにいた。
それも、ふたつ。
それも、生気にあふれた、
逃す手など無い。すぐに、囁く。
“ オイデ オイデ オイデ ”
“ コッチニオイデ オイデ オイデ…… ”
「「 うるさい 」」
贄が、
※
山の頂上。蜘蛛神の住処への入り口に、ハルとユイはいた。
夕日に照らされたその姿は、満身創痍。
ハルは、全身が泥と汚物にまみれ、その左半身は血に濡れている。
ユイは、傷こそ少ないものの、その体力は既に限界を迎えている。
しかしその心は
ただその精神力だけで、頭に直接響いた蜘蛛神の「声」を一蹴する。
“ オイデ オイデ オ…… ”
「「 うるさい 」」
ハルも、ユイも、その瞳の奥に、不思議な輝きを宿していた。
炎と呼ぶには儚い。
二つの魂が、かさなった証。
その輝きを視た時、蜘蛛神はその足を止めた。
そして少女たちは動き出す。
神殺し。その最後の仕上げを始めるために。
「やるよ! ハル!」
「うん!」
ハルとユイは同時に走り出した。
方向キーで移動します
その先には、一つのドラム缶。
視界内にアイテムがあると、頭上に?が表示されます
大きなそれを、二人でゆっくりと横に倒す。
押すことができるオブジェクトに対しては、手のアイコンが表示されます
「「 せぇーのっ!! 」」
ゴロゴロと転がされるドラム缶の中身は、ガソリン。
ボタンを押したまま、押す方向に移動してください
ドラム缶が二人に押され、蜘蛛神の住処へと近付いていく。蜘蛛神はその意味を解せない。だが、何かをしようとしているのは解る。
ドラム缶の周りには、大量のパチンコ玉と、そして花火が括り付けられていた。
アクションできるオブジェクトの前では、!アイコンが表示されます
ハルが、マッチを擦った。
ユイが、導火線をその火に向ける。
蜘蛛神が「声」をあげた。
!アイコンが表示されている間、ボタンで対象にアクションできます
“ ヤメテ ヤメテ ヤメテ ”
“ ヒドイ ヒドイ ヒドイ ”
“ ヤメテ! ヤメテ! ヤメテ! ”
蜘蛛神は、はじめての情に戸惑った。気が付けば、命乞いに等しいことを囁いていた。
はじめての情、恐怖ゆえに。
しかし。
「「 やだ!! 」」
少女たちがそれを聞くには、蜘蛛神は罪を重ね過ぎていた。
「あなたの言う事を聞くのは――――」
「あんたとの、この腐れ縁は――――」
※
ドラム缶は、緩やかな傾斜にそって蜘蛛神の住処の中へと転がり落ちていく。
舗装などされていない、ゴツゴツとした地面の上を跳ね、岩肌にぶつかり、また転がる。
その内に外装に穴が開き、中に詰められたガソリンが漏れ出した。燃料を撒き散らしながら、ドラム缶は転がっていく。
そして、導火線の火が、花火に達した。
一片の光も差さない暗闇の中で、鮮やかな炎が乱舞する。
打ち上げ花火が次々と撃ちだされ、遠くまで炎を届かせる。
手持ち花火が炎を噴き出し、転がるドラム缶に合わせて炎を回す。
漏れ出した燃料にもそれは達し、炎が洞窟の地面を舐めていく。
最後に、ドラム缶の中へと炎が達した。
炎が、炸裂した。
爆発的に燃え上がったガソリンはドラム缶の破片を、パチンコ玉を高速で弾き飛ばし、火の玉と化したそれらが第二の花火となって炸裂する。
だがまだ終わらない。
男たちが残した置き土産。
同じ仕掛けを施されたドラム缶が、点々と、そこら中に、奥へ奥へと、いくつも置かれていた。
それらにも、炎が届く。
炸裂。
炸裂。
炸裂。
もはや逃げ場などない。
蜘蛛神の住処は、その奥まで満遍なく、炎に焼かれていった。
“ アアアアアアアアアアアアッ! ”
“ アツイ! アツイ! アツイ! ”
蜘蛛神も、その身を炎にのみ込まれた。たしかな血と肉を、持っていたが故に。
『あの神に炎が有効か、ですか?』
『効きますよ。必ず』
『……理由は言えませんが、確信しています』
『これだけは、絶対に』
正直なところ、このプランは積み木細工のように脆いものであった。
なにせ神殺しである。前例などありはしない。
蜘蛛神がユウジを直接に殺傷する術を持たないというのは、あくまで推測だった。
蜘蛛神の声が外国人に効かないというのも、推測だった。
住処を荒らすことで蜘蛛神の力を本当に奪えるかどうかも、分からなかった。
すべてハルの推測。希望的観測とも言ってよかった。
ただ、ひとつを除いて。
“ 前回 ”の蜘蛛神は、その眼のひとつを潰されていた。
鮮血を流すそれは古傷などではなく、つい最近に失ったようであった。
そう、ほんの一夜ほど前に。
考えるまでもない。ハルは確信している。
あれを成したのは、ユイとクロだ。
あの夜の前夜、さらわれたハルを助けるために、ユイとクロは蜘蛛神に戦いを挑んだ。
なんの力もない少女と子犬が、あの怪物に一矢報いたのだ。
故に、確信した。
あの蜘蛛神はたしかな血肉を持つ。故に、人の手でも討てると。
蜘蛛神が、焼かれていく。
神の炎でもない、怪異の炎でもない、人の生み出した、ただの炎で。
たしかにクロは死んだ。ユイも死んだ。
だがその少女と子犬が成した一刺しが因果となって巡り、今ふたたび蜘蛛神に届いたのだ。
“ アツイ! アツイ! アツイ! ”
“ イヤダ! イヤダ! イヤダ! ”
蜘蛛神の「声」が、断末魔が、ハルと、ユイと、そしてユウジにも届いた。
多くの悲嘆を生み出してきた悪神の悲鳴が響き渡る。
蜘蛛神は、ただ逃げた。
その身を焼かれながら、出口へ、出口へと這い進む。
這うための足も焼け落ちていく。一本、二本と焼け落ちていく。すべてが焼け落ちていく。
その最後の足が焼け落ちる直前、ついに蜘蛛神は出口に辿りついた。
ボンっ、と。
火の玉と化した蜘蛛神が、入り口から飛び出す。まるで、花火のように。
その先に、手をつなぐ、二人の少女がいた。
手をつないだまま、それぞれの、もう片方の手を、蜘蛛神に向けている。
ぴたりと指さされた蜘蛛神は、すべての眼で、
少女たちの頭上に浮かぶ、赤い鋏を持った、己の
遠い、遠い何時か。
遠い、遠い何処か。
其処には、二つの “ 手 ” があった。
右の手は、縁を切り。
左の手は、縁を結ぶ。
故に。
右の手には、赤い “ 鋏 ”が、
左の手には、赤い “ 糸 ” が、
一つずつ、握られていた。
故に。
常に。
“ 鋏 ”と“ 糸 ”は、箸のように共にあった。
一瞬だった。
鋏神の刃は、ほんのまばたきする間に、蜘蛛神をバラバラにした。
ハルとユイが願った縁切りの対象、そして同時に供物として。
小さな火の玉と化したそれらは、赤い空にパラパラと消えていく。
まるで、空に咲き損なった花火のように。
悪神の、あまりにもあっけない最期だった。
※
「「 ありがとうございました 」」
ハルたちは、最後の詰めを成してくれた鋏神に頭を下げた。
それに対し、かの神は何も語らず、ふわふわと浮かぶのみ。だがハルは、その様になぜか違和感を覚える。
蜘蛛神が消えたその空を視ている、気がして。
シャキンッ!
今までとは違う、澄んだ金属音を鋏から響かせた。その意味を、ハルもユイも理解することはできない。
それきり、鋏神――コトワリさまは、赤い空へと消えていった。
「あいかわらず、カッコいいなぁ、あの神さまは」
「見た目は怖いけどね」
二人で改めて深々と頭を下げた後、ユイはそう評した。言い方こそ軽いが、ハルも概ね同意するところではある。
黙して語らず、成すべきを成す。終始一貫したその在り方には、一種の
あとはその、見た目がもうすこしこう、親しみやすければ……。
「“礼には及ばぬ。フッ……また、つまらぬものを切ってしまった”」
唐突に響いた、無駄に
声の主のユイはといえば「コトワリさまごっこ!」とノリノリであった。
「ちょっと、ユイ! やめてってば!」
「“ひかえおろう! このハサミが目に入らぬか!”」
「
きゃあきゃあと笑いあっている内に、何故かユイが体当たりしてきて押し倒される。そのまま、いつかのようにくすぐられて、くすぐり返して、ふたりで笑いながらゴロゴロと転がった。
ふたりの笑い声がようやくおさまり、並んで赤い空を見上げる。夕方を報せるサイレンが聞こえた。
「……おわったね」
「……うん」
どちらからともなく、言った。
長い一日だった。しかも、ハルはここ数日ろくに休まず奔走していたし、長い追憶の旅をしたユイの体感時間は一日や二日どころではない。更に“前回”から続く戦いだったと考えれば、80年。そう考えると、疲労がドッと押し寄せてきて眠くなってくる。
とはいえ、ここは夜ともなれば、お化けたちが
まだ寝ころんでいるユイに右手を差し出そうとして、――止めた。
手を取ろうとして空振りしたユイは、怪訝な顔で起き上がる。自分の手をじっと見ていたハルは、固い表情で、言った。
「……ねえ、ユイ」
「んー?」
ユイは、すべて見ていたと言った。
ハルが、ユイとの縁を切ったところも。ハルが、自暴自棄になって夜の町をさまよったところも。ハルが、あの木をユイに見立てて別れを告げたところも。
ハルが、その後、のうのうと生きてきたところも……。
「こんな、こんなこと聞くの、今更だと思うんだけど」
怖い。
聞くのが怖い。でも聞かないと。
「わたしのこと、恨んでないの……?」
巨大なお化けに戦いを挑んだ時と同程度の勇気を以って、ハルは聞いた。
対して、ユイの顔からは表情が消える。ハルの血の気を引かせるには充分な変化だった。
だから勇気が
「それで、それでも、こんなこと言うの、最低だと思うけど」
「もし、もしも、ユイがよければだけど」
「もう一度、わたしと、友だちになってくれない……?」
返事は、溜息だった。
深い、深い、ひどく深い、溜息。
ユイは腰に手をあてて、頭を下に向けて、ボリボリと頭を掻きながら、
「ハル」
「う、うん」
「起きてる?」
「お、起きてるよぉ!」
ほんの数日前にも、同じやり取りをした気がする。
ユイはまた「はあぁぁ――――」と大きくて深い溜息をついてから、呆れた顔で。
「あのさ」
「その言い方だとさ」
「まるで、わたしとハルが友だちじゃなかったみたいなんだけど?」
つまり、どういうことだろうか。やはり拒絶されたのかと、ハルの目に涙がにじみはじめた頃。
がっしりと、両肩をつかまれた。そのまま、ユイは「あーもう、つまりね」と続けて、
「もうずっと! これからも! わたしたち、友だちじゃない!」
ユイの切れ長の、でもやさしい瞳。
ハルの大好きなその目の奥に、今は不思議な輝きがあった。
すこしだけ涙で濡れたその目に、自分の泣き顔が映っていて。
ハルは、また泣いた。
※
――先を越されちゃった。
泣き虫なハルの背中をさすりながら、ユイはすこし自嘲していた。
本当は、自分が聞くべきことだと思っていた。
こんなダメな自分が、一度はハルを殺そうとした自分が、あなたの友だちでいいの? って。
ユイはずっと友だちでいたいと思っていたが、ハルはどうだったのか。怖くて聞けなかった。
――やっぱりダメだなぁ。わたしって。
元々、自分などよりハルの方がよっぽど強いと、ユイは思っていた。
そんなハルが、長い人生を経てもっと強くなったのだ。お化けとしてさまよっていた自分とは比べものにもならない。
今に立場も逆転してしまうかもしれない。
でも。
「泣きすぎじゃない……?」
「うぐぅえぇ……っ。ごめんなざい、ユイぃ……!」
――まあ、いっか。
別にそうなってもいいし、ハルもこの調子ならまだまだ先だろう。その間に、ユイも追いつけばいい。時間は、たっぷりあるのだから。
ユイは、そう思った。
※
「おちついた?」
「うん、ごめんね……ユイ」
「またそれ。こういう時は、なんて言うんだっけ?」
「……うん。ありがとう、ユイ」
「ん、よろしい」
「あのね」
「うん?」
「わたし、なにか忘れてるような気がするんだけど……ユイは?」
「え?」
「「 あ 」」
※
ユウジは、なんとか生きていた。
大急ぎで下山したユイたちがコンテナをこじ開け、全身の拘束を解かれたユウジはぐったりとしていた。
木陰とはいえ、真夏のコンテナ内で数時間もがいていたのだ。汗やらなんやらで
「お父さん! しっかりして!」
「ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」
元々やせていた体が干物のようになっていた父に、ゆっくりと水を飲ませる。少女たちの
「あ、ああ……ユイ。ケガは、無いかい?」
こんな状態でも、まず最初に娘の心配をする父に、じんわりと目が熱くなる。あの時、自分の手で埋めた父と、目の前の父が、かさなる。
ポン、と。ハルが背中を押してきた。
ユイは、父に飛びついた。そのまま、ぎゅうぎゅうと抱きしめる。
「ユ、ユイ、汚いから」
「うん、くさい」
「えぇ……」
本気でショックを受けている様子の父に、ユイは、笑いも、涙も止まらなかった。
「――ただいま。だいすきだよ、お父さん」
※
「ああ、さすがに疲れたよ。もう、くたくただ」
「本当にお疲れ様でした。ユウジさん」
「はやく帰らないと、お母さんもカンカンだね」
「ははは……それは参ったな」
「あ、そうだ。お母さんに何かプレゼントしたほうがいいよ?」
「……あのね、ユイ。お父さん、もう本当にお金がね?」
「
「は、え? …………本当に?」
「うん!」
「……ご愁傷様です」
「…………勘弁してくれ」