二夜廻   作:甲乙

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02:帰郷(ただいま)

 私は、いつ間違ったんだろう。

 

 私は、何を間違ったんだろう。

 

 私は、どうするべきだったんだろう。

 

 

 ねえ、ユイ。

 

 

 私は、いつ、何を、どうすれば、あなたと一緒にいられたの?

 

 あの時、手を放さなければよかったの?

 ――いいえ。放さなくても、朝になれば、きっとあなたは消えていた。

 

 あの時、あなたとの縁を切らなければよかったの?

 ――いいえ。私がお化けになっても、一緒にはいられなかった。お化けは孤独(ひとりぼっち)なんだから。

 

 あの時、もっと早くあなたを見つければよかったの?

 ――いいえ。離れ離れになる前にはもう、あなたは幽霊になっていた。

 

 あの時、私が引っ越さなければよかったの?

 ――いいえ。引っ越しが決まる前から、あなたの心と体は傷だらけだった。

 

 あの時、私がもっと強ければよかったの?

 ――そうかもしれない。でも、私は弱虫だった……。

 

 あの時、あの時、あの時……。

 

 

 私と、あなたは、こうなる運命だったの?

 

 どうしようもなかったの?

 

 もう、分からないよ。ユイ。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 ハルは、柔らかなベッドの上で目覚めた。

 コチコチと、ベッド脇の置時計の音がする。窓から、赤くなりかけた光がさしこんでくる。薄汚れた天井の、大きな染みが怖い顔で見返してくる。

 手足のたしかな重み、シーツから香る自分自身の匂い、カーテンを揺らす風の涼しさ。

 生きているという、実感。

 

「……」

 

 どうやら、死に損なってしまったらしい。

 落胆と、安堵が入りまじった溜息をひとつこぼし、両手で目を覆った。

 最期は夜の中で逝こうと中庭に出たが、そのまま眠ってしまったのか、あるいは警備ドローンにでも見つかったのか。どちらにせよ無断で病室を抜け出したのだ、主治医と子と孫に説教される未来が目に見え――。

 

「…………」

 

 待て。今なにか、ひどい違和感を覚えた気がした。

 そっと目を開けて、両手を離すと、ふたつの小さな手のひらが見えた。

 

「………………」

 

 ぎゅっと目をつぶり、目頭をもむ。もう一度目を開け、じっと()()()見て、

 

「……ッ!?」

 

 ベッドから転げ落ちた。

 

「ぶえッ!」

 

 鈴の鳴るような声で、まるで可愛らしくない悲鳴が出た。しかし無理もない。

 目覚めたら失くしたはずの左腕が復活していたなんて、誰が想像できるだろうか。

 

「な、に……これ」

 

 しかも、なんだこの小さな手は。何度も断ったのに、無断で生体義手を移植されたのだろうか。ならばせめて普通の手をつけてほしかったと思う。

 ふらふらと立ち上がっても、ハルの混乱は収まらない。

 そもそも、ここは病室ですらなかった。青い花柄のシーツが敷かれた子ども用ベッド。開かれっぱなしのノート。勉強机。赤いランドセル。

 忘れもしない。ここは、80年前に去ったはずの、生家の子ども部屋だ。

 

「冗談、でしょう……?」

 

 冗談であってほしかった。それとも悪戯好きな次男の娘がしかけたサプライズだろうか? 遠い昔に取り壊されたはずの生家を、わざわざ復元したというのか?

 痛み始めた頭を抱えながら、ふと、棚に置かれた手鏡に目が留まる。

 

 

 頭に揺れる、空色のリボン。

 皺ひとつ無い、色白で、小さな丸い顔。

 色素の薄い髪で編まれた、ふわふわの三つ編み。

 

 

 もう古い写真の中にしか無いはずの、少女ハルの姿がそこにあった。

 

 

 

 

 ハルは気絶した。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 よまわりさん……孫……看護ロボット……主治医……。

 

 

 私は、夢を見ていた。新しい記憶から古い記憶へと、逆回しで流れていく風景を見ていた。

 

 

 夫の葬式……母の葬式……父の葬式……。

 

 

 お父さん、お母さん、あなた、私はやっぱり死んだようです。でももう十分に生きたはずです。決して早くはないでしょう?

 

 

 長男の結婚式……次男の結婚式……長女の結婚式……。

 

 

 子どもたちはみんな立派に育ちました。みんなひとり立ちして、自分の家族を持ちました。もう私の役目は終わったんです。

 

 

 結婚式……入社式……卒業式……チャコのお墓……。

 

 

 チャコとのお別れは悲しかったけれど、愛する人と出会えました。不自由な体では苦労もいっぱいしたけれど、私は幸せでした。

 

 

 新しい町……新しい家……新しい学校……新しい友達……。

 

 

 こんな体でも、みんな良くしてくれた。こんな私でも、ひとりでがんばったんだよ。新しい友達だってできたんだよ。

 

 

 蜘蛛神……コトワリさま……お化け……お化け……お化け……。

 

 

 あの夏の夜は今でも、こわくて、つらくて、さみしくて。

 

 

 ユイ……ユイ……ユイ……。

 

 

 ねえ、私は、あの時、どうすれば。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

「――ユイっ!」

 

 再び、ハルは飛び起きた。

 そのまま転げ落ちるように階段を降り、何も持たないまま外に飛び出す。考えるより先に、走り出した。思い出すまでもなく、体が道を覚えていた。

 黄昏に沈もうとする町並みが見える。ジグザグの水路。夕日に温められたアスファルト。錆びついた標識。魔法陣のようなマンホール。退屈そうな電信柱。何もかもが記憶通り。

 いったい何が起こっているのかなど、ハルにはまったく分からない。死ぬ直前によまわりさんに会って、目覚めたら子どもの姿になっていて、80年前の故郷にいて……。

 過去に戻った? そんなバカな。

 でももしかしたら。もしそうだとしたら!

 

「ユイ……!」

 

 遠い昔に失くした親友と、もう一度会えるかもしれない。その思いだけが、ハルを突き動かしていた。

 しかし、視点が低く、歩幅の短い体をうまく動かせない。そして左腕が重い。長年を片腕で生きてきたハルにとって、五体満足であることの方が平衡感覚を狂わせていた。そのくせ体は軽いのだから、加減を誤って何度も転んだ。

 それでも、すり傷だらけになりながら、夕日の町をハルは走り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、辿りついた。

 赤い屋根の一軒家。かつてはよく遊びにいったのに、いつからか招かれなくなった、ユイの家。

 息も絶え絶えになりながらインターホンに飛びつく。1回、2回、もどかしくなって一気に5回連打するが、錆びた電子音が聞こえるだけ。

 返事は、無い。2階の窓も、開かない。

 

「ユイ! ユイっ! 私よ! ハルだよ! いないの!?」

 

 たまらなくなったハルは、小さな手で玄関を叩きだした。ドアを開けようとするが、鍵がかかっている。ガチャガチャと固い音だけが響くだけ。

 玄関を離れ、家の周りをぐるぐると歩いてもユイはいない。狭い庭の片隅に、古びた赤い三輪車を見てやけに不吉な気分になった。

 窓枠に手をかけて中をのぞきこんでも、家の中は(くら)い影に満たされていた。誰も、いない。

 ここに来て、ハルの脳裏に最悪の可能性が浮かんだ。

 

 ――過去に戻っているとして、()()()()()

 ――左腕がある以上、あの夜よりは過去のはずだ。

 ――ならば何故ユイはいない?

 ――もしかしたら、ユイは、今まさに、あの木で、首を……。

 

 一瞬で血の気が引いた。半狂乱で山に向かって駆け出すハルの耳に、

 

 

 

 

「ハル?」

 

 

 

 

 あまりにも懐かしい声が響いた。

 

 

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