二夜廻   作:甲乙

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03:再開(もういちど)

 その日、ユイはご機嫌だった。

 

 お父さんとお母さんと一緒に、朝からバスと電車に乗って、遠くの町のデパートに行ったのだ。ユイは近所のスーパーや本屋も好きだが、やっぱりデパートは特別だ。

 色とりどりの色えんぴつ、かわいい動物が描かれたノート、たくさんのぬいぐるみ、見たこともないお菓子、どれもユイの心をワクワクさせる。

 最近また靴が小さくなってきたから、新しい靴を買ってもらった。赤い運動靴と、かわいらしい赤い靴。すこしだけ悩んで、運動靴に決めた。外でハルと走って遊ぶためだ。ユイは赤が好きだった。ハルと外で遊ぶのも好きだった。

 ゲームコーナーでウサギのぬいぐるみを見つけた。ふわふわした形を見てハルに似てるなと思っていたら、お父さんが「一回だけだよ」と百円玉をくれた。UFOの形をしたクレーンは何も取ってくれなくて、その後お父さんが百円玉を4枚入れてもダメだった。二人でお母さんに怒られてしまった。

 食品売り場では、お菓子を一個だけ買ってもらえる。10個入り、8個入り……、ハルと二人で分けられるお菓子を選んでいたら、お父さんもひとつ欲しいと言ってきた。おかげで、ユイは頭がこんがらがってしまった。

 3階にはレストランがたくさんあって、ユイははじめて回転寿司を食べた。ツナマヨを食べるのもはじめてで、つい5皿も食べてお腹がパンパンになってしまった。ツナマヨはおいしい。ハルにも教えようと思った。

 帰る前、ウサギ形のナップサックを見てユイは目を輝かさせた。目が釘づけになっているユイを見て、ぬいぐるみの代わりにと、お父さんが買ってくれた。本当はもう一つ買ってほしかったけど、さすがにガマンした。ハルのお父さんも買ってくれないかな。

 とても楽しい一日だった。今日の絵日記はきっと1ページにはおさまらない。でも、

 

 ――ハルとは遊べなかったな……。

 

 朝、今日は遊べないことを伝えた時の、ハルの寂しそうな顔を思い出す。チクリと胸が痛くなった。

 ハルはすごく怖がり屋で、寂しがり屋。放っておけない妹みたいな子で、ユイの一番の友達。

 もしかしたら一人で泣いているんじゃないか、さすがにそれはないか。なんて思っていたけれど……。

 

「泣きすぎだよ、ハル……」

「ぅぅっ……ぐぅ……。ごめんなざいぃ……」

 

 まさか、本当に泣いているとは思わなかった。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 ――数分前。

 

 

「ハル?」

 

 デパートからの帰り道。両親と手を繋ぎながら歩いていると、ユイは自宅の前から走り去ろうとする親友の姿を見つけた。

 自然と声をかけると、青いリボンの少女――ハルは、ぴたりと固まってしまった。まるでビデオの一時停止でも押した時のように、完全に固まったものだからユイはすこし驚いてしまう。

 その後ゆっくりと、怖くなるぐらい本当にゆっくりと、ハルが振り返る。

 

「うちで何し……って、どうしたのそれ!?」

 

 やっと振り返ったハルは傷だらけだった。手にも足にも、柔らかそうなほっぺたにまで、すり傷がある。白いシャツは砂で汚れていて、なぜか靴も履いていない。石でも踏んだのか、白いソックスには赤い染みができていた。おまけに、三つ編みもほどけかけている。

 元々かけっこは苦手な子だけど、いったいどこをどう走ったらこんなことになるのか。傷の手当のために、まずは家に入れてあげようと両親にお願いしようとした時、

 

 

「ユ……イ……?」

 

 

 呆然とつぶやきながら、傷だらけのハルがよたよたと近づいてくる。テレビで見た映画に出てきた、ゾンビみたいですこし怖い。

 

「ユイなの……?」

「う、うん」

 

 今朝に会った時とはまったく違う親友の様子に、だんだんユイは不安になってくる。思わず後ずさりすると、すぐに平垣に背中が当たった。

 

「ユイ……」

「ハル? いったいどうしうにゅっ」

 

 今度は、両手で顔をつかまれた。そのままぺたぺた肩やらお腹やら触られるものだから、くすぐったくてユイは身をよじった。

 

「ユイ……」

「ねえハル、どうしたの? なんか変だよ」

 

 尚も触ってくる両手をつかんで止め、すこし屈んで目線を合わせる。二人の視線がまっすぐ交差した瞬間。

 

 ぶわっ、と。

 

「へ?」

 

 ハルの大きな瞳から涙があふれた。

 

「ちょ、ちょっとハルうわぁっとっと!」

 

 半ば押し倒すように抱きついてきたハルを支えきれず、ユイは尻もちをついた。

 

「ユイ……! ユイぃ……ッ!」

「えぇ……」

 

 しかも、そのまま泣きだされるものだから、さすがのユイも遠い目になってしまう。ずっと成り行きを見守っていた両親ですら、どうしたものかという様子で顔を見合わせていた。

 

「ずっと会いたかった……。会いたかったよう……!」

「いや、朝に会ったばっかりじゃない……」

 

 ほんの一日、自分と遊べなくてそんなに寂しかったのか。呆れ半分、嬉しさ半分で、ハルが泣き止むまでの間、ユイは背中をさすってあげることにした。

 ちょうど目の前で、ハルの青いリボンがひょこひょこ揺れているのが見えて、ユイは目を細める。

 町が黄昏に沈むまで、二人の影はずっと重なっていた。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

「もう、ほんとハルは寂しがり屋なんだから」

「うぅ……。ごめんなさい……」

 

 呆れるような口調とは裏腹にユイは嬉しそうに世話をやいてきて、ハルは年甲斐もなく恥ずかしくなった。

 あの後ようやく落ち着いてきたハルを、ユイは快く家に迎えてくれた。

 濡らしたタオルで体中の傷をきれいに拭い、消毒。小さな傷には絆創膏を、大きめの傷には切ったガーゼを貼りつける。汚れたシャツとソックスは脱がされて、代わりにユイの服を着せられた。元の服は下洗いした上でビニール袋に詰められ「忘れちゃダメだよ」と手に持たされる。ついでとばかりに髪まで結いなおされた。

 なんという手際か。ものの数分で、リビングには小綺麗になったハルが鎮座していた。ユイもやりとげたような顔で、ソファの隣に座ってくる。

 

「で、何があったの?」

 

 小さな缶ジュースを手渡されながら、先ほどの醜態の説明を求められた。家に押しかけ、傷だらけの状態で泣きついてしまったのだ。気になるのも当然だろう。とはいえ。

 

 ――なんて言えば良いの…?

 

 まさか「老衰で死んだら若返ってタイムスリップしてきました。80年ぶりの再会で感極まって、つい」などと言うわけにもいかない。言えば間違いなく病院送りだろう。しかも扉が鍵付きの方の。

 どうしたものかと見返すと、ユイは缶ジュースに口をつけながらハルの言葉を待っている。

 

 後ろ髪(ポニーテール)をくくる、ハルとおそろいの赤いリボン。

 すこし日に焼けた、傷ひとつ無い健康的な肌。

 釣り目がちな、でもやさしい眼差し。

 

 すべて、すべて、記憶の中のユイだった。

 自分は確かに帰ってきた。またユイに会うことができた。神の御業でも怪異の仕業でもなんでも構わない。この奇跡に心の底から感謝した。

 また涙がこぼれてきて、ハルは顔を覆う。

 

「ああもうほら。ちーんってして、ちーんって」

 

 すかさずユイにあやすように抱き寄せられ、柔らかいティッシュで(はな)までかまれてしまう。嬉しいやら情けないやら恥ずかしいやらで涙が止まらず、なかなかハルは顔を上げられない。

 

「……あれ、ティッシュもう無いや。おかーさーんっ!」

 

 

 涙が、ひっこんだ。

 

 

 “前回” つまりハルにとっては80年前、ハルはユイの家族のことを知った。

 始まりは、ユイの父親の失踪だった。それを夫の不貞と疑ったユイの母親は豹変。家庭を放棄し、男を連れ込み、娘に暴力を振るった。

 ユイの体には絆創膏が増え、包帯を巻いていることすら珍しくなくなった。ハルは家に招かれなくなり、ユイも家には帰りたがらなくなった。

 そして全てが終わった後、彼女は警察に出頭したという。ユイの捜索が打ち切られた直後のことだ。ユイは、公式には行方不明のまま。葬式すら、あげられなかった。

 それらの事実を、ハルは引っ越し先で知った。新聞で、雑誌で、インターネットで、あらゆる方法でユイの死の真相を調べあげた。

 それがユイへの弔いであり、ユイを助けられなかった罪と向き合うことであり、ユイの死という現実を直視することだと考えていた。

 

 ――娘のことは愛している。でも感情(きもち)を抑えられなかった。

 ――娘に謝りたい。だからはやく見つかってほしい。

 

 彼女は、そう語ったらしい。その後、彼女自身がどうなったのかまでは、ハルも知ろうとはしなかった。

 憎んでいない、と言えば嘘になる。彼女もまた、ユイを死に追いやった要因の一つであることは間違いないのだから。

 蜘蛛神、父親、母親、そしてハル。多くの縁に絡めとられて、ユイは死んだ。憎むものが多くて憎み切れないだけなのではないか、それは今でもハルには分からない。

 だからハルは、未だに彼女への気持ちを割り切れないでいた。

 

 

 

 

 パタパタとスリッパを鳴らしながら、一人の女性がリビングに入ってくる。

 女性は、ユイとよく似ていた。気が強そうながらも優しげな目元が特に似ていて、ユイの母親だと一目で分かった。初対面ではないはずだが、ユイの家には招かれなくなって久しい。ましてやハルにとっては80年以上会っていない相手だ。顔にはまったく見覚えが無かった。

 

「あら、ハルちゃん。もう大丈夫なの?」

 

 しかし、明るく微笑むこの女性にとってはそうではなかったらしい。ユイは「朝に会ったばかり」と言っていた。もしかしたらその時、彼女にも会っていたのかもしれない。自分と周囲の時間感覚にあまりにも差がありすぎて、ハルは頭痛がしてきた。

 更には、ユイを虐待していた心神喪失の母親というイメージとまるで重ならない。よく見ればリビングの中は掃除も行き届いており、荒れた様子も無い。ユイ自身にも怪我など無く、その頭にも包帯は巻かれていなかった。いったい、どういうことなのか。

 

 ――あれ?

 

 ユイの姿を見ていると、違和感を覚えた。

 怪我の有無ではない。今の今まで気付かなかったが、記憶の中のユイより、すこしだけ髪が短いような。背が低いような……。

 

「……あのね、ユイ」

「うん?」

 

 母親から新しいティッシュの箱を受け取りながらユイが顔を向けてくる。その顔はやはり、すこしだけ幼く見えた。

 

「……もうすぐ、夏休みも終わりだね」

「そうだねー。あっという間!」

「……夏休みが終わったら、2学期になるね」

「当たり前じゃん」

「……2学期と3学期が終わったら、学年もいっこ上になるね」

「ちょっと気が早すぎない?」

 

 まるで要領を得ない会話を始めるハルに、ユイもだんだんと怪訝な表情になってくる。どうやら、単刀直入に聞くしかなさそうだった。 

 

 

「私たち……今、何年生だっけ……?」

 

 

 コトッ、と。ユイがティッシュの箱をテーブルに置いた。そのまま真顔でハルの目を見つめてくる。視線が痛い。あと沈黙も痛い。

 

「ハル」

「う、うん」

「起きてる?」

「お、起きてるよぉ!」

 

 ユイは「はぁー」と心底呆れたような様子で溜息をついた。仕方のない事とはいえ、ひどく頭の悪い質問をしてしまったハルも赤面する。

 

 

「……2年生だよ。ほんとに大丈夫なの? ハル」

 

 

 ゴトッ、と。今後はハルが缶ジュースを落とした。

 幸いタブを開ける前だったため床は汚さずに済んだが、裸足の小指に直撃してハルは悶絶した。「あーもう」と既に何度目かの溜息をつくユイに介抱されながら、涙目でハルは反芻(はんすう)する。

 2年生。小学2年生。あの夏が4年生時の出来事であったことは忘れようもない。つまり今は、

 

 ――あの夏の、2年前……?

 

 ハルの中で、あの夏が生涯でもっとも鮮烈な記憶であった為か、子ども時代つまり(イコール)あの夏という図式ができあがっていたようだ。子ども時代に戻ってきたと気付いた時点で、あの夏に戻ってきたものだと思い込んでいた。

 80年前ではなく、()()()()。それがハルが戻ってきた時代だったのだ。

 

「うわぁ、痛そう。ハルちゃん大丈夫かい?」

「ああ、ちょうど良かった。お父さん湿布もってきて、湿布」

「はいはい、了解」

 

 それを裏付けるように、男性がまた一人リビングに現れる。

 ひょろりと背が高く、痩せた体つき。気弱そうに下がった眉毛と(まなじり)を黒縁眼鏡が覆っている、いかにも学者然とした男性だった。

 まちがいなく、ユイの父親だ。

 その彼は、娘にお使いを言いつけられてすぐにリビングを出て行ってしまう。気の強そうな妻にもきっと逆らえないのだろうが、本人は満更でもなさそうだ。

 気弱な父親、しっかり者の母親、明るい娘。誰一人欠けていない、幸せそうな一家。

 

「――っ、ふ、ふふ……」

「ちょっともう、今度はどうしたの」

 

 思わず笑いがこみあげてきた。涙目のまま笑い出すと、うんざりしたような――でもやさしげな顔を向けてくるユイに笑いかける。

 

「ユイ」

「なに?」

「お父さんもお母さんも、やさしいね」

 

 ユイはしばらくキョトンとしていたが、花がほころぶように笑い、

 

「――うん!」

 

 そう、答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その笑顔を見ただけで、ハルは全てが報われた心地だった。

 

 遠い昔に失った親友。小さな体にあまりに大きな苦難を背負い、あまりに短い生を終えた少女。

 

 80年、想い続けた。せめて死後の安寧を、叶うなら来世の幸福をと祈り続けた。

 

 今のこの奇跡が、神の御業だろうと怪異の仕業だろうと構わない。

 例え、すべてが今際の夢であっても良い。

 

 この子が、幸せであるならそれで――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――さい、だま――はな――――るな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠くから、声が聞こえた。

 怪異による声ではない。空気を震わせ、ハルの耳に響いた現実の声が。

 

「ユイ、ちょっとお手洗い借りるね」

「どうぞー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗く、狭い廊下の奥に、彼はいた。

 

「だめだ。だめだだめだ、絶対につれていかない」

 

 誰もいないというのに、壁に向かってぶつぶつと呟いている。

 

「嘘だ。ふざけるな。信じないぞ」

 

 両手で耳を覆い、何かを(こら)えるかのように壁に頭を打ち付けている。

 

「くそぉ……! ……ッ “ ()()()――」

 

 

「おじさん!」

 

 

 びくん、と。ハルの鋭い声に男性――ユイの父親は肩を跳ねらせて振り返った。

 その目は血走り、唇がひくひくと痙攣している。さっきとはまるで別人のように険しい、張り詰めた顔だった。

 

「誰と、話していたんですか」

「え、ああ、いや……。独り言だよ。ごめんねハルちゃん、すぐに湿布を持ってくるからね」

 

 ハルの横をすり抜け足早に去っていく男性を、ハルもまた険しい顔で見つめていた。

 その左腕を、右手で強く握りしめながら。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

“ オイデ オイデ オイデ ”

 

 

“ ミンナ イッショ ”

 

 

“ イッショニ オイデ オイデ ”

 

 

 

 

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