『この町は呪われている』と、誰かは言う。
『この町にはまだ神様がいる』と、別の誰かは言う。
それはどちらも正しくて、決して相反するものではないということを、知る人はすくない。
二人の少女が、それをよく知ることになるのは、また別の話。
確かなのは、明けない夜が無いように、沈まない太陽もまた無いということ。
今日もまた、深い夜が廻ってくる。
黄昏時。
まだ日も沈む前から、この町の住人は足早に帰路につく。
遊び盛りの子ども達ですら、幼少から厳しく植えつけられた躾けに従い、家に籠る。
店は仕舞われ、家々はその門扉を固く閉ざし、息を潜めるように夜が終わるのを待つ。
皆、知っているのだ。
太陽が完全に山の陰に沈み、昼が終わる。
夜は、彼らの時間。町が、彼らの物となる。
黒い影が、白い靄が、小さなナニカが、大きなナニカが。
笑い、泣き、叫び、怒り、狂い、歩き回り、走り回り、飛び回る。
『
そんな言葉が生まれたのも、この町のような地だったのかもしれない。
その百鬼夜行の如き町を、“お化け” は進む。
すれ違う別のナニカ達は、それを気にも留めない。
元より彼らは、同族に頓着しない。
元より “お化け” は、特に希薄な存在だった。
道を渡り、橋を越え、壁をすり抜け、一件の家の前に立つ。
赤い屋根の2階の窓で、カーテンがゆらゆらと揺れている。
“お化け” の真っ黒な触手もまた、ゆらゆらと揺れていた。
※
最近、ユイはつまらない。
理由は簡単、ハルが遊んでくれないのだ。しかも一日ではない、もう三日もだ。
今日も! 昨日も!
『ごめんなさい、ユイ。今日はちょっとやることがあって』
『今日もダメなの。うん、大事な用があって。ごめんね』
『……うん、ごめん。え、明日は……たぶん、無理』
しかたなく、ひとりで遊んでみるも、ちっとも楽しくない。公園も、空き地も、田んぼも、河原も、なんにも楽しくなかった。
ハルとなら、どこでだって楽しかったのに。
いつまでたっても真っ白なままの絵日記を前に、ユイは溜息をついた。
今日はハルとあそべませんでした。だからひとりであそびました。
今日もひとりであそびました。すぐにかえりました。
今日も、
このまま、つまらない日記を書いてばかりいたら先生に怒られそうだ。ユイはまた溜息をついた。
鉛筆を投げだすと、床の布団にゴロンと横になる。もう何もする気にならなかった。
視線の先にウサギのナップサックが見えて、ユイはもう何度目かもわからない溜息をつく。
3日前、急にお父さんがデパートに行こうと言いだして、その日に買ってもらったものだ。ウサギはかわいい。ハルもかわいいと言っていた。
これを見せれば、ハルも欲しいと思うにちがいない。ハルのお父さんはハルを甘やかしてるから、ハルが欲しいと言えばすぐに買ってくれるだろう。
おそろいのリボンをつけて、おそろいのウサギを背負って、ふたりで遊ぶのだ。考えただけでユイはわくわくした。
だというのに……。
――ハルのばか。もう、さそってあげないから。
じんわりと目が熱くなってきて、ごしごし目をこすった。
起きて、窓から外をながめる。夕日がもうすぐ沈みそうで、一日が終わろうとしていた。
風が、カーテンをゆらゆらと揺らす。ユイの髪と赤いリボンも、ゆらゆらと揺れる。涙のにじんだ目元がひんやりしてくる。
どうやったら、ハルと遊べるだろうか。
何かこう、すごく楽しそうなことがあればいい。ハルの用事より楽しそうなことが。
そのまま考えこんでいると、玄関の近くで何か、白いものが揺れているのが見えた。
じっと見てみるが、まだ目がぼやけてよく見えない。しかたなく1階に降りて、玄関から外に出てみる。
――なあんだ。
それは、ただの紙だった。ポストに入れられたチラシが風で飛ばされて、植木にひっかかっていただけだ。
退屈していたユイは、なんとなくチラシを見てみる。むずかしい漢字も多かったが、読める字と写真とイラストをもとに中身を解読していくユイの目が、みるみる輝いていく。
――これだ!
ユイの頭に、すばらしいアイデアがうかんでいた。
すぐに家に戻り、ハルの家に電話をかける。ハルのお母さんが出たが、ハルはまだ帰ってきていないそうだ。大事な用とやらは、そんなに忙しいのか。
電話を切ったあともユイはおちつかない。はやくハルに会わなければ。モタモタしていたら、ハルはまた別の用事を先に決めてしまう。
お父さんは、お仕事でまだ帰ってこない。3日前からずっとそうだ。お母さんも、今日は用事で遅くなると言っていた。
外は、暗くなりはじめている。暗くなったら外に出てはいけないと、昔からなんども言われている。
玄関の懐中電灯が目にとまる。
――ハルは、ひとりで帰ってた。わたしだって!
背負ったウサギにチラシをつめ、懐中電灯を手に、ユイは夜の町に飛び出した。
※
――数時間前。
ユウジは、隣町の神社にいた。
木陰の石段に座っているというのに、真夏の太陽は容赦なく降り注いでくる。冷房に慣れ、日差しにも暑さにも弱いユウジは既に参ってしまっていた。
しかも虫が多い。さっきも足元を大きなムカデが這っていって、「ぎゃっ」と大声をあげてしまった。
ちょうどお参りに来ていたらしい少女の二人組にも見られた。おそらく姉であろう少女の、不審者を見るような目が忘れられない。
深い深い溜息をついていると、石段をひとりの少女が登ってくる。
小柄な、年端もいかぬ少女。しかしその目だけが、ギラギラと異様な光を放っていた。
「お待たせしました」
トレードマークの青いリボンは外され、特徴的な色素の薄い髪も、大きな麦わら帽子に隠されている。
軽い変装をした上で現れたハルは、「暑いですね」と近くの商店街で買ってきたらしい麦茶のペットボトルを渡してきてから、ユウジの隣に座った。
「調子はいかがですか?」
「おかげ様で大丈夫だよ。熱中症にはなりそうだけど」
ハルの言う調子とは、「あの声」を聞いていないかどうかだ。曰く、この神社には大ムカデの神様がいて、他のナニカからこの商店街を守っているとかなんとか。
現に、この神社に入ってからは耳鳴りも聞こえない。ありがたい話ではあるが、巨大なムカデだなんてゾッとしない。冷たい麦茶と寒気のする想像のおかげで涼しくなってきたユウジを横目に、ハルは鞄から自由帳と筆箱を取り出した。
真夏の神社、中年男性と少女の二人組。傍目から見れば、親子連れが夏休みの自由研究でもやっているとしか見えない光景。まさかこれが、神の
「やはり、私はプランAを推したいところです。これがもっとも手っ取り早い」
「まあ、そうなんだろうけど、予算がね……」
「命あっての物種ですよ、ユウジさん。お金なら後でいくらでも稼げば良いではないですか」
――簡単に言ってくれるよ!
件のプランAの欄に書かれた必要経費の額を見て、ユウジは唇をひくつかせた。これを全て己の財布から出せというのだから恐ろしい。例え命が助かったとして、こんな使い込みがバレたら今度は妻に殺されるのではないか。あの愛しくも恐ろしい妻の顔が般若の如き
すこしは援助してくれないかと、恥を忍んで頼んではみたものの、
『無理を言わないでください。こんな子どもに、そんな大金を用意できる訳がないでしょう』
にべもなく断られた。まったくもって正論ではあるが納得はできない。君のような8歳児がいるか。
思えば、3日前のあの夜、自分は明らかに冷静ではなかった。自宅で朝を迎えた後、妙な夢を見たものだと思いながら新聞を取りに行けば、ポストにはノートの切れ端が挟まっていた。嫌な予感を覚えながら開いてみれば、今後の打ち合わせは隣町のこの神社で行う旨が達筆な文字で書かれているのを見て、夢ではなかったことに絶望したものだ。
そして今もまた、この老獪そのものの少女と “
「何者なんだ君は……」
思わず口に出てしまった。鉛筆を止めたハルが、呆れたように口を開く。
「何度も言いますが、ユウジさん。私の話は事が終わってからにしてください。その時は好きなだけお話しますから、今は」
「ああ、分かってるよ。君は “そういうもの” だ。今は “あの野郎” を倒すことだけに集中する」
“あの野郎” とは、例の蜘蛛神のことだ。到底ユウジらしくない強い言葉だが、ユウジはあえてその言葉を使っていた。
「その意気です。あの神は言葉で精神を操り、獲物を死に誘う。反抗には精神力こそが必要となります」
「……それって、つまり」
「気合いです」
ぶは、と麦茶を吹き出す。
可愛らしい眉をひそめるハルを横目に、ユウジは大声で笑った。腹の底から笑うのは、ずいぶんと久しぶりだったように思う。
“あの野郎” に目をつけられて数週間、まるで生きた心地がしなかったが、この少女らしくない少女のおかげで今はひどく心が軽い。今なら、あの声が聞こえたとしても “あの野郎” に放送禁止用語のひとつでも言い返せる気がした。
ようやく笑いがおさまったユウジの目に、揺れる赤いリボンが映った。
一瞬ユイかと思ったが、道を歩いていたのは別の少女だ。白い大型犬を連れているが、まるで犬の方に散歩されているようで微笑ましい。よくよく見れば、お参りに来ていた姉妹のひとりだ。
ちらと横を見れば、ハルもまたその少女を見つめている。小さな唇が何かをつぶやいたが、聞き取れはしなかった。放心したような表情は、見た目通りの少女にしか見えない。
あの少女も、ハルとユイと同い年ぐらいに見えた。
――そういえば。
「ユイとは、あまり遊べていないんじゃないのかい?」
特に何も考えず発した問いだったが、ハルは、なかなか答えなかった。
「……遊んでいる暇はありませんから」
「……そうだね」
再びノートに目を落とすハルを横目に、空を見上げる。
日が、傾いてきていた。
※
――なんでこんなに、人がいるんだろう。
懐中電灯を片手に、ユイは不思議に思った。
元々この町は人がすくない、らしい。かそかとか、ドーナツがどうとか学校の先生は言っていたけど、この町で生まれ育ったユイにはよく分からなかった。
人混みなんていうのは、テレビでだけ見る遠い世界のもの。しずかなこの町が、ユイは嫌いではない。
なのに今は。
ふらふらと道を歩く人たちと、さっきから何度もすれ違う。みんなやけに猫背で、顔も見えなかった。
横断歩道の前に立っている人は、車も来ていないのにいつまでも道を渡ろうとしない。
ぽつぽつと、釣りでもしているみたいに河原で座り込んでいる人がいる。釣り竿も持っていないのに。
あの電信柱の横にいる人は、工事の人なんだろうか。いつ帰るんだろう。
すこし歩くたびに変な人たちを見つけるせいか、なかなかハルの家に着かない。
ユイは、ハルの家になら目をつぶっていても行ける自信がある。それぐらい通い慣れた道だ。
なのに、着かない。
「……」
きっと暗いせいだ。よそ見ばかりしてたから、どこかで道をまちがえたんだ。
だったら、すぐに来た道を戻らないといけないのに、足を止められない。
うしろを、見たくない。
なんだか、誰かがついてきている気がする。
なんだか、誰かが家の窓から見ている気がする。
なんだか、誰かが笑っている気がする。
ユイは、早歩きになって、小走りになって、ついに走りだした。
せわしなくブレる懐中電灯の光が、いろんなところにいる変な人たちを照らし出す。
なんで、こんなに人がいるの。
なんで、誰も家にかえらないの。
なんで、みんな顔が見えないの。
怖い。
なんでか分からないけど、怖い。なんだか分からないから、怖い。
「ハル……」
ハルといっしょなら、怖くないのに。
ハルはすごく怖がりで、たまに変なことを言う。何も聞こえないのに声がしたとか、誰もいないのに人がいたとか。それを聞かされるとユイもすこし怖くなるけど、それ以上にハルが怖がるものだから、かえってユイは怖くなくなる。
ユイが手を握ってあげると、ハルは元気になると言うけど、それはユイも同じなんだと思う。
だから、早くハルに会いたかった。
「……っ!」
曲がり角の先に、また変な人がいた。
なんとか悲鳴はこらえて、塀の陰に戻る。そっと、目だけを出して、見た。
背が低い、ちいさな女の子。
大きな帽子をかぶっていて、顔は見えない。
手には懐中電灯を持って、光をあちこちに向けている。
誰かを探している、と思った。あの光に照らされたら、きっと見つかってしまう。
頭をひっこめて、声をださないよう口を覆った。さっきまで走っていたから息が苦しい。
向かいの塀を、丸い光が照らしている。女の子のじゃない、ユイの懐中電灯だ。
そっとスイッチを切ったのに「パチンッ」と音が響いて、ユイは青ざめた。
じゃり、と女の子の靴が鳴った。こっちを見たのだ。
心臓の音がうるさい。女の子の足音が聞こえない。近づいてきてる? 見つかった?
ころん、と近くに小石を投げられて、今度こそユイは悲鳴をあげそうになる。
次はなぜか紙飛行機が飛んできた。
何なの? 何をしてるの? わたしをどうするつもりなの?
じゃり。
足音。
すぐそば。
もうダメだ! お父さん! お母さん! ハル!
「…………ユイ?」