二夜廻   作:甲乙

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07:喧嘩(なかなおり)

『ユイ、どうしたのそれ!?』

 

 朝、いつものように家を出たハルは、頭に包帯を巻いた親友の姿に色をなくした。

 対して、ユイはただ「寝ぼけて階段から落ちちゃった」と笑うのみだが、ハルは気が気でない。

 

『大丈夫なの? 休んだほうがいいんじゃ……』

平気(へーき) 平気(へーき)、ほら行くよ!』

 

 いつものように、力強く手を引かれて二人で学校まで走る。赤いランドセルと、赤いリボンが元気に揺れていた。いつも通りのユイだった。そしてまた、いつも通りに教室の前で別れる。

 「また後でね」と手を振って自分のクラスに向かうユイの表情が、こちらに背を向ける瞬間、わずかに歪んだのを覚えている。

 

 ハルは授業中もまったくの上の空だった。ユイのクラスが校庭で体育の授業をしているのを窓から見ても、ユイの姿はない。運動神経ばつぐんのユイは、いつも体育では大活躍なのに。移動教室の時、ユイのクラスをのぞいてもいなかった。今日はほとんど一日を保健室で過ごしていたのだと、先生から聞いた。

 そう聞いたのに、放課後のユイはいつも通りだった。手をつなぎながら、家とは逆方向に歩く。

 

『ユイ、もう帰ろうよ』

 

 空き地、河原、田んぼ、ぶらぶらと歩き回り、ユイはなかなか帰ろうとしない。本当は傷が痛むのではないかと心配で、ハルは帰宅を促す。いつもはハルの方が別れたがらないのに。

 

『ユイ』

『……』

 

 夕日が、ユイの顔を照らしていた。黙っているユイの表情は、陰になって見えない。つながれた手が、更に強く握られた。

 

『もうちょっとだけ。おねがい』

 

 あの時、ユイの目に涙が光っていたのを、ハルは見ていた。

 だが、幼く愚かな自分は、傷が痛んだからだとしか思わなかった。その傷が、母親からの暴力によるものだと気付いたところで、無力な自分にはどうしようもなかったのだけれど。

 しかし知る機会はあったのだ。

 ユイは、無敵のヒロインなんかじゃない。ハルと同じ、ただの女の子で、その心も体も容易に傷つくのだと。つらい時も、助けてほしい時もあるのだと。

 ハルが、ユイといる時に勇気をもらえるように。ユイもまた、ハルとのつながりを求めていたのだと。

 それを知った時はもう、何もかもが手遅れだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 最悪の目覚めだった。

 机に伏せたまま朝を迎えたせいか、体のあちこちが痛む。枕になっていたノートが涎で台無しになっているのを見て、深い溜息をついた。見れば窓も開けっぱなしだ。8月とはいえ、夜となれば気温も下がる。途端に寒気を感じて薄い上着を羽織った。

 窓の外は既に明るい。朝霧につつまれた町をぼんやりと眺めながら考えるのは、今しがた見た夢のこと。そしてユイのことだった。

 もう二度と繰り返してはならない。ユイを守るのだ。それは今も変わらない。間違えてなどいない。

 

『ハルのばかっ! ……もう、嫌いっ!』

 

 例え、それでユイに嫌われても。

 ……ユイの心を、傷つけてでも?

 

 ――やめなさい。

 

 頭を振って、思考をかき消す。自分がユウジに言ったのではないか。今はあの蜘蛛神を倒すことだけに集中しろと。他のすべては、命さえあれば後から取り戻せるのだと。

 ……そんなに簡単に取り戻せるとでも?

 頭を掻きむしる。さっきからなんだ。もしや自分にも「あの声」が聞こえ始めているのではないかと疑い始めた時、霧の中を走っていく人影が見えた。

 それが誰かを見て取った後、ハルもまた家を飛び出した。

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 朝、起きてきた娘の目が真っ赤だったものだから、ユウジはトーストを落としそうになった。

 

「……おはよう」

「お、おはよう、ユイ」

 

 そのままノロノロと食卓の席につく娘を横目に、さてどうしたものかとユウジは考えを巡らす。

 何かあったのは明白。だがそれを聞くべきか否か? 父として聞くべきだろうと決意を固める。たとえそれが藪蛇(やぶへび)でも。

 

「……大丈夫かい、ユイ。何か悩み事でも、」

「別に」

 

 胃が痛い。トーストが戻ってこないよう、インスタントスープでのみ込んだ。

 どう考えても、ハルと何かあったのだろう。子どもの喧嘩など可愛いものだが、相手があの少女だとすれば、何が起きても不思議ではない。

 

 ――勘弁してくれ。

 

 ここ数日でもはや何度目か分からなくなった愚痴(ぼやき)を心中で漏らす。くわばらくわばら、と胃のあたりを撫でていると、当のユイが口を開いた。

 

「お父さん、今日もお仕事?」

 

 寂しそうな眼差しに、射貫かれる。

 今すぐ抱きしめて海でも遊園地でもハワイでもつれて行ってやりたい衝動に駆られるが、自制心を総動員してなんとか堪える。やるべきことを、やらなければならない。

 

「……うん、そうなんだ。いつもゴメンね、ユイ」

「……そっか」

 

 ゴトリ、と目の前にコーヒーが置かれる。

 横を見上げれば、妻がニコリと微笑んだ。微笑んだのに、何故かまた胃が痛みだす。何故か? 目が笑っていないからだ。

 

「あなた、今日もお仕事?」

 

 なんで同じことを聞いてくるのか。

 

「……うん、そうなんだ。いつもゴメ」

「そう」

 

 返事し終える前に、愛しい妻はスタスタと洗い物に戻っていく。

 愛しい娘は、じっとりとした目でこちらを見ながらトーストをかじっている。可愛いけれど怖い。

 胃が痛い。

 

 ――勘弁してくれ。

 

 妻が淹れてくれたコーヒーは、地獄のように熱かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

“ オイデ ”

 

 

 

 

 

 

 

 

 胃から、すべてを逆流させそうな「声」だった。

 熱いコーヒーを一気に流し込み、焼けるような舌と喉の痛みで、反抗の意思を奮い立たせる。

 

 ――うるさい。こんな朝から話しかけるな。

 

 淹れたばかりのコーヒーを一気飲みするという奇行に、二人が目を丸くする。

 

“ オイデ オイデ ”

 ――黙れって言ってるだろ。ぶん殴るぞ。

 

 気弱な自分をぶん殴るように、あえて暴力的な思考で気合いを入れる。

 

「ごちそうさま。今日は早いから、もう行くよ」

“ ミンナ イッショ イッショニ オイデ ”

 ――もう一度言ってみろ。その目玉をえぐりだしてやるぞ。

 

 貼りつけたような笑みを妻と娘に向けてから、身支度もそこそこに玄関に向かった。

 ユイが追ってくる。「お父さん? どうしたの?」不安そうな顔に後ろ髪を引かれそうになる。

 

「ごめんねユイ。大丈夫だよ。大丈夫だから」

“ サミシソウ サミシソウ カワイソウ ”

 ――殺すぞ。

 

 限界だった。

 火傷した舌を噛んで、痛みと血の味でなんとか正気を保つ。ユイの声を振り払うように玄関を飛び出し、朝霧の中を走った。

 

 

 

 

 隣町まで走れる気はしなかった。田んぼ道をつっきり、墓地を通り過ぎて、町のはずれにある神社に飛び込んだ。

 ムカデ神社ほどではないが、多少は「声」が遠くなる。狛犬(こまいぬ)の石像に頭をこすりつけながら、ありったけの罵詈雑言をぶつぶつと呟くこと数分、ようやく「声」は聞こえなくなった。

 そのまま、石畳の上で大の字になって転がる。さっきから不審者そのものの様相だが、もはや構っていられない。

 だから、すぐ近くまで来ていた足音にも気づかなかった。

 

「ユウジさん!」

 

 起き上がる気力も無く顔だけを横に向けると、鳥居に手を置きながら息を切らせるハルがいた。こちらに歩み寄りながら、スカートのポケットからハンカチを取り出そうとするような動きをするが、どうやら手ぶらなようだ。ここ数日は超然とした佇まいしか見ていなかったが、どこか抜けた様子にすこしだけ口元がゆるむ。

 

「血が……。まだ起き上がらない方が良いです」

 

 額に手をやると、わずかではあるが血が流れていた。別に頭を打ったわけでもなく、すこし狛犬の世話になっていただけだ。

 

「……大丈夫だよ。“ あの野郎 ”にちょっと頭突きしてやっただけさ」

 

 明らかな強がりだが、ハルも否定はしなかった。苦笑とも安堵ともつかない笑みをわずかに浮かべる。その目には、濃い隈がみられた。

 ユイのあの様子と無関係でないのは明白だが、さて詮索すべきかどうか。眼鏡をかけ直してから再び考えを巡らせようとして、神社の入り口にたたずむ影を見た。

 蜘蛛神の「声」にも耐えたユウジの顔が、今度こそ青ざめた。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 ユウジの影を追うハルが辿りついたのは、町のはずれにある神社だった。

 おそらく「声」が聞こえ、慌てて避難したのだろう。こんな朝から聞こえたということは、蜘蛛神の力は確実にユウジの精神を侵し続けているのだろう。

 案の定、境内の真ん中で倒れるユウジの顔はやつれ果てていた。元々やせ過ぎな顔は、もはや骸骨のような有様だ。その上、自傷でもしたのか額と口からは血も流れている。ハンカチを貸そうとしたが、手ぶらで飛び出してきたことを思い出して、ハルは歯噛みした。

 

 ――もう、時間がない。

 

 ユウジは強気な様子だが、明らかに無理をしている。根性論などで耐えるのも限界だろう。計画を早めるべきかと思案していると、ユウジの顔が青ざめていた。

 その視線を追った先に、

 

「ユイ……」

 

 ユイが、いた。

 

 

 

 

 ユイは無表情だった。

 表情の無いまま、つかつかとハル達の方に歩み寄ってくる。ハルの顔を一瞥(いちべつ)すると、ぷいと視線を外し、ユウジのそばにしゃがみ込んだ。

 

 ――なによ、それ。

 

 ハルの存在を無視するような態度に、昨夜の苛立ちが再燃するのを感じる。心中穏やかでないハルを置いて、ユイはユウジの額にハンカチを当てた。

 

「お父さん、ケガしてるよ」

「あ、ああ、うん、ありがとう、ユイ」

「もう帰ろう。お仕事は休んでよ」

「いや、それは……」

 

 助けを求めるような目を向けてくるユウジにも、思わず冷たい目を返してしまう。しゃんとしなさいよ、父親でしょう。

 

「……あのね、ユイ。おじさんには大事なお仕事が、」

「ハルには関係ないでしょ」

 

 こちらを見もせずに言い放つユイに、ハルもいよいよ抑えが効かなくなってくる。

 

「ユイ、ちょっとあなた、」

「うるさいっ!」

 

 肩をつかんだ手を振り払われる。もはや、我慢の限界だった。

 

「わたしはお父さんと話してるの! あっち行っててよ!」

「な――」

「他の人と遊べばいいでしょ! もうほっといて!」

 

 

「ハルはもう、わたしのことなんて、どうでもいいんでしょ!」

 

 

 目の前が真っ赤になった。

 

「――――して」

「……なにさ」

「取り消してよっ!」

 

 それだけは聞き捨てならない。いったい、自分がどれだけ。

 

「私が、わたしがどれだけ、あなたのことを……っ!」

「なに言ってんの? ずっと他の人と遊んでたのはハルでしょ!」

「ユイこそ何言ってるの! 遊びじゃないんだってば!」

「意味わかんない!」

 

「ふ、二人とも、ダメだよ喧嘩は! まずは落ち着い」

 

「「 お父(ユウジ)さんは黙っててっ!! 」」

 

「あ、ハイ」

 

 邪魔者(ユウジ)を黙らせると、少女達はますます激昂(ヒートアップ)していく。もう相手の言葉など半ば聞こえていない。ただただ、自分の腹の内に積もった物をぶちまけるのみ。

 故に、それは必然だった。

 

 

 

 

「ユイの――」

「ハルの――」

 

 

 

 

「「 分からず屋っ!! 」」

 

 

 バチンッ!!

 

 お互いの柔らかい頬に、お互いの平手(ビンタ)が炸裂したのは、まったくの同時だった。

 こうなればもはや止まらない。

 手が出る、足が出る、髪をつかんで馬乗りになり、ゴロゴロと地面を転がり、上下が激しく入れ替わる。子犬がじゃれ合うような動きの合間にも、溜まりに溜まった不平と不満が口撃(こうげき)となって飛び交った。

 

「人が大人しくしてれば調子にのって! すこしは聞き分けてよ!」

「なにさ大人ぶっちゃって! ハルの方が子どもじゃない!」

「8歳児が生意気言わないで!」

「同い年じゃん! わたしの方が誕生日先だもん! 背だってわたしのほうが高いもん!」

「もうあなたの10倍生きてるのよ、こっちは!」

「意味わかんないってば!」

 

 子どもの体力は無尽蔵である。その半面、感情を制御する能力には欠ける。それは今のハルとて例外ではなかったか。

 必然、この本気喧嘩(マジげんか)が勢いを無くすまでには長い時間を要した。少なくとも、太陽の位置が変わるほどには。

 夏の朝、さわやかな空気の境内で、少女達の怒声だけが響き続けた。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

“ お化け ”も、それを見ていた。

 完全に蚊帳(かや)の外となったユウジの横、その特等席で、少女達の喧嘩を眺めていた。

 不揃いな両目を、羨ましそうに細めながら。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 ぜえぜえ、はあはあ。

 可憐と呼んで差支えのない二人の少女だったが、今や無残な姿となり果てていた。

 平手(ビンタ)の応酬により白かった頬は共に赤く腫れている。ハルの色素の薄い髪はぼさぼさに乱れて四方に跳ね、ユイの後ろでくくられた亜麻色の髪も、散々つかまれて解けてしまった。お互いの服も手も足も顔も泥にまみれ、それぞれの母親が見れば卒倒することは必至。

 ユイは体力面で圧倒的に優れ、ハルはその知識量による口撃で的確に急所をえぐる。戦況は互角といえた。

 それでも、喧嘩はまだ終わらない。まだまだ、やり足りなかった。

 

「もう……っ いいかげんっ 観念してよ……っ!」

「ハルこそ……っ あやまってよ……っ!」

「わたしは、悪くない、でしょっ!」

 

 全力で突き飛ばしたつもりだったが、元より乏しいハルの腕力では、ユイはわずかによろめく程度だった。とはいえ、ユイも満身創痍。フラフラと体勢を崩し、反撃までにかかる時間も長かった。

 

「さっきから……っ えらそうに、説教しないでっ! ハルのくせにっ」

「なによ、それっ ユイこそ……、子どものくせに、生意気なのっ!」

「ハルのくせに……ハルなのにっ!」

 

 狙いを外したのか。偶然、ユイの手はハルの耳に命中した。耳がキンとして、足元がふらつく。

 

 

「なんなの……! ハルは、わたしのお母さん? お姉ちゃん? ちがうでしょ!」

 

 

 すがりつくように、ユイはハルの襟元をつかんだ。吐息もかかる距離で、ハルと目が合った。

 ハルは、グラグラと揺れる視界の中でユイの言葉だけが聞こえていた。

 

 

「ハルは――――っ」

 

 

 ユイは、おもいきり頭をふりかぶり、

 ハルは、ただユイの言葉を、

 

 

()()()()()()()でしょ!」

 

 

 渾身の頭突きをお見舞いした。

 その言葉を、聞いた。

 

 

 

 結果としては、お互いの顔面が直撃するような形となった。小さな鼻がぶつかり合い、タラリと鼻血が垂れる。

 二人とも、精魂尽き果てたように座り込み、そして、

 

 

 

 

「――――ぷっ」

 

 

 

 

 先に噴出したのは、ハルだった。石畳の上に寝転んで、高らかに笑い出す。

 鼻血を垂らしながら大の字で笑い転げる親友の姿に、ユイもまた、腹をかかえて笑い出した。

 日も高くなり始めた境内で、二人の少女の笑い声だけが響く。

 

 

 ハルは、痛快な気分だった。憑き物が落ちたとも言える。

 いったい自分は何を思い悩んでいたのか。ユイとユイは違うだのなんだのと、バカバカしい!

 ユイは、ユイではないか。

 前回でも、今回でも。過去でも、未来でも。生きていても、死んでしまっても。

 ユイは、いちばんの友だち。

 タイムスリップだろうがタイムリープだろうが、それだけは絶対に変わらない。

“ そういうもの ”ではないか。

 

「……ダメね。歳をとると頭が固くなっていけないわ」

 

 こんな少女の姿(なり)で何を言っているのか。それが自分でも可笑しくて、ハルはまた笑った。

 

 

 

 

 ユイは、ただただスッキリしていた。

 ハルに対する不満も、不安も。ここ数日ろくに遊べなくて有り余っていた体力も、何もかも吐き出した。頭も体もからっぽになって、心が軽い。

 そして何より、

 

「はじめて、ケンカしたね!」

 

 ハルと遊べた。最高に刺激的な遊び(ケンカ)だった。それがただ面白くて、ユイはまた笑った。

 

 

 

 

 ――そう、初めて喧嘩したね、ユイ。

 ――あれ、でも。

 ――前にも、こんなことがあった気がする。

 

 

 

 

 二人の笑い声だけが響き、それも無くなる。

 気付けば、ふたり並んで、横になって、空を見上げていた。

 ハルの左手と、ユイの右手がつながっていた。どちらが先につないだのか、あるいは同時だったのか。

 謝罪の言葉など無くとも、仲直りは、済んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ユウジさん」

 

 どれぐらいそうしていたのか、いろんな意味で隅に追いやられていたユウジに、寝転んだままでハルは言う。

 

「ユイにも、協力してもらいましょう」

「え? ああ、…………はぁ!?」

 

 さしものユウジも、こればかりは声をあげずにいられない。

 そもそもユウジは、ユイと妻を守る為に戦っているのだ。それにユイを巻き込むなど、本末転倒もいいところではないか!

 

「元々、人手は足りなかったんです。それに目の届く所にいた方が、ユイも安全でしょう」

「いやいや待ってくれ! その理屈はおかしいだろう!」

「――お願いします」

 

 ようやく起き上がったハルと目が合う。ハルの目に、あの異様な眼光はもう無かった。ただ瞳の奥に不思議な輝きを残すのみだ。

 

「やっぱり、わたしは、その……ユイがいないと、ダメみたいです」

 

 はにかむように、大人しい性格の、娘の友達の少女は、そう言った。

 

 

 

 

「……もう、好きにしてくれ」

 

 ユウジは天を仰いだ。胃が痛い。あと舌と喉も痛い。ついでに額も。

 

「ねえ、なんの話なの?」

 

 ひとり、話についていけないユイが口を尖らせる。

 ハルとユウジは顔を見合わせ、ハルは満面の笑みで、言った。

 

「お化け退治だよ!」

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

『ねえ、ハル』

 

 田んぼ道でようやく腰を上げたユイは言った。

 

『プロレスしない?』

『へ? ああ、うん。…………えぇ!?』

 

 やっと帰る気になったのかと胸をなでおろしていたハルは、親友のあまりに突然な提案に変な声が出てしまう。

 

『だ、ダメだよ! ユイ、ケガしてるのに!』

『へーきへーき、ほら行くよ!』

『ひゃあっ!? ちょ、ちょっと、やめてってば!』

 

 朝と同じような返事と共に、ユイが体当たりしてくる。思わず田んぼ道に転んだハルに馬乗りになった上、こちょこちょとしてくるものだから、くすぐったがりのハルはたまらない。

 

『あはっ! あひゃはっ! ……もう、この!』

 

 仕返しとばかりに下からくすぐり返すと、ユイも笑い転げて、上下が入れ替わる。そのままゴロゴロと転がっていると、二人とも泥だらけになっていた。

 

『もう! お母さんに怒られちゃうよ!』

『ごめんごめん』

 

 泥だらけの恰好で、ふたり並んで歩く。ぷりぷりと怒るハルに対し、何故かユイは嬉しそうだった。

 

『いっしょに、お母さんに怒られようね!』

『なに笑ってるの! ユイのばかっ!』

 

 ――ハルといっしょなら、へーきだよ。

 

 涙は、とまっていた。

 

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