「ユウジさん、やっぱりプランAで行きましょう。あれが一番早く済みます」
「ええ……。いやだから、予算が、」
「それと、決行は明日にしましょう」
「明日!? 無理いわないでくれ!」
「お父さん、おねがい! はやくしないと間に合わないの!」
「間に合わないって……何が?」
「「 花火大会!! 」」
※
「ごちそうさまでした!」
結構な量の朝食を平らげ、手を合わせたハルは食器を流しに運んだ。その目から隈は消えている。
パタパタと忙しく歯を磨きに行く娘の姿に、ハルの父親はホッと息をついた。最近どうも様子のおかしかった娘が、ようやく元に戻った気がしたからだ。もしや悪い虫でもついたのか、いやまさかそんなと不安に思う事もこれで無くなると、新聞を広げ、
「あ、そうだ。今日はお昼ごはんいらないから。夕方までには帰るね!」
前言撤回。手にした新聞が、グシャリと折れ曲がった。
懐中電灯よし。電池よし。小石よし。折り紙よし。お塩よし。マッチよし。十円玉よし。
必需品をバッグに詰め込み、服を着替える。白いシャツ、紺のスカート。髪を梳かし、三つ編みにして、最後に青いリボンを結んで完成。
手鏡に映る自分自身と目を合わせる。
「……よしっ」
心身ともに良好。気合いは充分。準備も万端。
階段を駆け下り、靴を履いて、何か言いたげな父親を置いて玄関を飛び出した。
「いってきます!」
※
「ごちそうさま!」
普段の倍近くは朝食をつめこんだユイは、食器もまた倍速で片付けた。バタバタとまたまた忙しく歯を磨きにいく娘の姿に、おもわず苦笑する。
「そんなに急がなくても大丈夫よ」
「はーい!」
今日は久しぶりに夫も休み。
これで、すこしは自身の疑念も晴れると良いのだが……。
懐中電灯よし。電池よし。小石よし。紙飛行機よし。お塩よし。十円玉よし。
ハルに言われた物をウサギのナップサックに詰め込み、服を着替える。黒いシャツ、白のスカート、赤のネクタイ。髪を後ろでくくり、最後に赤いリボンを結んで完成。
そして、昨日に準備していた
『お父さんは悪いお化けに呪われてしまった』
『だから、お化けがよく見えるハルにも、お化け退治を手伝ってもらっている』
昨日、ハルとお父さんにはそう聞かされた。そして、ユイにもそれを手伝ってほしいとも。
お化け退治。お化けは怖いけど、ハルとお父さんの為だ。それに、ハルもいっしょなら怖くない。ユイは燃えていた。
「よしっ!」
今日も元気。
階段を駆け下り、靴を履いて、ようやく出てきたお父さんより先に玄関を飛び出した。
「いってきます!」
※
「置いてかれちゃうわよ?」
「ごめんごめん、今行くよ」
妻の淹れてくれたコーヒーを充分に味わった後、カップを置いて立ち上がった。準備は全てできている。愛用の眼鏡をかければ完成だ。
洗い物を再開した妻の後ろに近づき、危なくないタイミングを計って、そっと抱きしめた。わずかに身を固くした肩を撫でて、静かに告げる。
「行ってくるね。夕方には帰るよ。ユイといっしょに」
この体勢で言うことがそれか、とでも言いたげな妻に苦笑し、ユイがもう行ったことを確認して、唇を重ねた。
※
山のふもと、小さな地蔵の前に十円玉を置く。しゃがみ込んだハルは、静かに両手を合わせた。特に何を祈るでもない。ただなんとなくだ。
思えば、お地蔵様に手を合わせたのは随分と久しぶりだった。何せ、つい最近まで合わせる手が片方無かったのだから。
じっと左手を見て、思うのはこれまでのこと。
ユイと出会えた。ユイと友達になれた。ユイが死んだ。左手も失くした。ひとりでも生きて、精いっぱい生きて、立派に死ねた、と思う。それはハルの小さな誇りだ。
だから、よまわりさんがくれた、この奇妙な生は「二度目」。やり直しでも、巻き戻しでもない、ハルの歩んだ道の先に続いた、二度目の道。
だから、次は違う道を行く。過去を無かったことにするのではない。過去のその先で、新たな道を――。
「まーた難しいこと考えてるでしょ!」
「ひゃっ!」
突然、耳元にかけられた声に、思わず飛び上がる。口を膨らませた赤いリボンの少女――ユイに、眉間をツンとつつかれた。
「ほら、しわがよってる! そんなことばかりしてると、すぐお婆ちゃんになっちゃうよ?」
「……どうせ中身は90歳ですよーだ」
「え?」
「なんでもない!」
きゃあきゃあと緊張感の無い二人の少女に、遅れてきたユウジは苦笑した。娘はいつも通りだが、ハルも年相応の少女にしか見えない。数日前の、あの怪異も顔負けな凄みは一切感じられなかった。不安と言えば不安だが、きっとこれで良いのだと、ユウジは確信している。
「はいはい、二人とも。お望みのプランAを始めるから、お喋りはやめ!」
「「 はーい!! 」」
完全にハイキングか何かのような雰囲気。だがそれでも、ハルも、ユイも、ユウジも、その意思は盤石。準備もすべて整っている。
やがて、その「準備」が姿を現し、寂れた山道には似合わない、騒がしい空気が場を満たし始める。
神殺し。そのプランAが、始まった。
※
暗い、暗い洞窟の最奥に、“ ソレ ”はいた。
人の手と、人の指と、人の目を、
“ ソレ ”に名は無い。
“ 山の神 ” または “ 縁結びの神 ” あるいはただ、“ 蜘蛛のようなナニカ ”と。
かつては、名のある神だったのだろう。
だがしかし、
ただただ、供物を求め、
対となる彼の鋏神も、堕ちて久しく。故に止める者も無し。
まさに荒神。まさに悪神。
怒りなど無い。愉悦も無い。慈悲もまた無い。
ただ。ただ、その力ある故に。
そうできるが故に、そうするのだ。
今日もまた、祟りに触れた愚かな供物がひとつ。
故に囁く。故にその縁を、この赤き糸で死に繋ぐのだ。
“ オイデ オイデ オイデ オイデ ”
“ コッチニオイデ ミンナ イッショ ”
“ ダカラ オイデ オイデ オイデ ”
死すれば、皆、同じ縁となるのだから。
………………。
…………。
……。
解せぬ。
ありえぬ。
贄が、供物が、その場から動かぬ。
死せぬ。
囁きは、届いている。その四肢の先まで、染み込ませた。
背いている気配も無し。
なのに、動かぬ。
ありえぬ。
何故、その身を死に繋げぬ。
………………。
…………。
……。
しびれを切らす。
その赤き
己の領域、この山の地を、すべて視わたす。
視て、視て、探して、探して、見つけた。
山の端。その樹の陰。鉄の
その中に、贄がいた。
函の中も視通し、そして、視た。
贄の眼を、視た。
※
ユウジは、もがいていた。
はやく、はやく首を吊らなければいけないのに。そうしたくてたまらないのに。
そう、できない。
はやく、死ななければいけないのに。死にたいのに。
ユイも、妻も、みんな一緒に死にたいのに。
そう、できない。
ユウジは、叫んだ。
蜘蛛神の「声」に指先まで侵されたユウジは、ひたすら叫んで、もがいていた。
『前にも言いましたが、あの神は言葉で精神を操ります』
『巧みな話術で思考を誘導し、あたかも自分の意思であるかのように、言いなりにしてしまう』
『逆に言えば、肉体を直接に操るわけではない』
『そして、遠く離れた相手を、直接に殺傷することもできないということです』
山のふもと、木陰にひとつのコンテナが置かれていた。
鉄製。重機でもなければ破壊は不可能。その扉も、厳重に外から施錠されている。
その中に、ユウジはいた。
手足を
その姿で、必死にもがいていた。
ユウジの精神は、既に限界に近かった。これ以上「声」に耐えることはできなかった。
ならばどうするか。簡単だ。
従いたくても、従えなくしてしまえば良い。
ユウジは「声」に逆らってなどいない。もう逆らう必要など無かったのだ。
首を吊りたくても、コンテナから出られない。
自分の身を抉りたくても、手も足も出ない。
舌を噛みたくても、噛むことができない。
頭を打ち付けたくても、ヘルメットが邪魔をする。
一切の自傷を封じられ、死にたくても死ねない状態で、完全に拘束されていた。
ユウジの精神は狂乱の中にあったが、「視線」を感じた瞬間、わずかに「声」が途絶えた。
ギョロリと、ユウジの目が動き、蜘蛛神を視返す。目が合った。
ユウジの「声」が、逆流する。
“ やっと気付いたか、間抜け ”
“ だけどもう遅い。今からぶっ殺してやるから、震えて待っていろ ”
“ 山の神だかなんだか知らないが、今のお前はただの快楽殺人者だ ”
“ お前は人間を、生き物を甘く見たんだ ”
“ 親という生き物が、子どもを守るためにどれだけ凶暴になるのか甘く見た ”
“ あまり人間を舐めるなよ。この
あまりにも口汚い罵詈雑言が、「声」となって蜘蛛神に逆流する。
それに何かを感じた訳でも無いだろうが「視線」は途絶え、再びユウジは狂乱の中に戻る。
確かに自害は封じられたが、このままでは衰弱死は避けられない。
だが当然、そんなことは織り込み済み。
ユウジの役目は、陽動。蜘蛛神の目を引きつけ、釘付けにすることだった。太陽はもう南まで登っている。時間は十分に稼いだ。
尖兵は、既に放たれていた。
※
山の頂上付近、町を一望できるその丘に、その「群れ」は現れた。
蜘蛛神は、それを視ていた。
それは一見、ヒトに視えた。だが、よく視れば異なる。
ヒトでない、何かの群れ。
その群れは迷うことなく、蜘蛛神の
そして、手にした何かを振り上げ、また迷うことなく、叩き壊した。
ありえぬ事だった。
ヒトは、蜘蛛神の知るヒトというモノは、地蔵を壊したりはしない。“ そういうもの ”であるはずだった。
やはり、ヒトではないのだ。
群れが入ってくる。ぞろぞろと、ヒトでない何かが、己の住処に入ってくる。
次に視えたのは、強烈な光だった。
一切の光を通さぬはずの住処に、もう一つの太陽が現れた。
否、一つどころではない。二つ、三つ、……増えに増え、十を超した。
その太陽は異様な音を放ち、また臭気を撒き散らす、偽りの太陽。
その光に、己の住処は余すことなく照らされた。
咲き狂う彼岸花、己を祀る地蔵、地蔵、地蔵、地蔵……。
その全てを、群れは蹂躙しはじめた。
花を毟り取り、地蔵を壊し、壊し、壊してゆく。
それだけで飽き足らず、清めの塩をも撒き散らす。
盛り塩などという生易しいものではない、地を埋め尽くし、その地を穢すほどの塩、塩、塩……。
もはや我慢ならぬ事だった。
久しく感じなかった、その怒りに任せ、群れの全てに囁く。
ただ死せと。
「――――?」
「――?」
「――? ――?」
“――――?”
疑問が、場を埋め尽くす。
群れに囁きは届いている。だが、何かが遮っている。
囁きが意味を成していない。囁きの意味を解していない。
やはりヒトでないモノに、囁きは通じぬのか。
蜘蛛神は、久しく感じなかった
※
『古来、
『
『いわゆる
「What did you say?」
「Nichts sagen」
「我的耳朵疼」
「Давай закончим раньше」
「――――、――」
「――」
洞窟内を、様々な言語が飛び交っていた。今この場に日本人は一人としていない。
ユウジの大学に通う外国人講師、留学生、その知り合い、家族、はては出稼ぎ労働者まで、多種多様な国籍の男たちが数十人。
方々からかき集めてきた彼らの人選における条件は2つ。
「日本の生まれではないこと」そして「日本語が堪能ではないこと」
この国の血が流れておらず、この国の言葉も分からない彼らには、蜘蛛神の「声」の効きが著しく悪い。
蜘蛛神に翻訳機能じみた力まであるかどうかは未知数だったが、元より「声」に即効性が無いことは確かだった。
時間をかけて心を弱らせ、その隙につけ込むことこそが、あの蜘蛛神の力。
ユウジの時間稼ぎにより、その隙を与えずに奇襲を成功させることができた。
「This is it.Let's break」
「我明白」
「現地調査のための下準備」と称し、アルバイトとして雇われた彼らは、何の躊躇いもなく地蔵を叩き壊していく。
日本人では躊躇っただろう。しかし彼らはそうでなかった。
この国への信仰心が無い、あるいは祖国に確固たる信仰を別に持つ彼らには、それはただの石でしかない。
それは土地に己を縛り付ける
各所に張り巡らされていた赤い糸による障壁も、岩盤ごと破壊されれば意味を成さなかった。
更に、塩分を多量に含んだ凍結防止剤を地面に敷き詰めていく。清めの塩であると同時に、それは塩害となって土地を侵食してしまう。
土地もまた神々の力を支える。それを侵せばどうなるかは明白だ。
蜘蛛神とて、黙ってそれを視ている訳も無い。
「声」が届かぬのなら手ずから葬るまでと、子蜘蛛を放つ。昼中といえここは己の住処、ヒト
だが。
新たに設置された工事用投光器が太陽の如く輝く。懐中電灯などとはわけが違う、ディーゼルエンジンが生み出す強烈な光は、洞窟内を昼間のように照らし出す。闇の中でしか活動できない子蜘蛛には、まさに手も足も出ない。
それでも、わずかな影をたどり、果敢にも男たちに牙を剥いた子蜘蛛もいた。見たことも無い不気味な姿の、子犬ほどの大きさの蜘蛛に男たちは慌てふためくが、
「Fuck you!」
ぐしゃり。
命知らずの男が投げた岩により、子蜘蛛が無残な死骸へと変わる。そこから先は早かった。
岩が、安全靴が、スコップが、ハンマーが、つるはしが、時には削岩機が、子蜘蛛を潰していく。
子蜘蛛がお化けのように虚ろな存在だったなら、潰されなかっただろう。しかし子蜘蛛は血肉を持っていた。
相手がか弱い少女だったなら、容易く葬れただろう。しかし相手は屈強な男たちだった。
相手が一人しかいなかったなら、群がって食い尽くせただろう。しかし男たちの方が数が多かった。
ぐしゃり、ぐしゃり、と、子蜘蛛が潰されていく。それはもはや、ただの害虫駆除でしかなかった。
“ ヤメテ ヤメテ ヤメテ ”
蜘蛛神の「声」は男たちに届かない。届いたとしても、男たちは聞く耳を持たない。
“ ヒドイ ヒドイ ヤメテ ”
削岩機で地蔵が石クズと化していく、刈り払い機で彼岸花が生ゴミと化していく。
“ イタイ カワイソウ カワイソウ ”
仕事を邪魔した害虫の死骸を踏みにじり、唾を吐きかける。
“ ヒドイ ヤメテ ヤメテ ”
塩害が土地に深く侵食する。もはや草一本生えないほどに。
“ ヤメテ! ヤメテ! ヤメテ! ”
遂には、奥地の巨大な
消えていく。
蜘蛛神を縛っていた戒めが、力を与えていた礎が消えていく。
その身が軽く、軽くなっていくが、それは血や内臓を失ったことと同義。
蜘蛛神が、ただのお化けと大差なくなるほどにその身を軽くするまで、男たちの作業は続く。
だがこれですら、まだ本命ではない。
人が画策した神殺し。その最後の仕上げが、始まろうとしていた。
※
「やるよ! ハル!」
「うん!」