1
独英両艦隊が激突したのは、1940年4月11日早朝。
場所は、ノルウェー首都オスロの西方海上であった。
互いに砲戦部隊と高速部隊に分かれ、徐々にその距離を詰めて行く。
ドイツ海軍の戦力は、巡洋戦艦2隻、装甲艦3隻、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦6隻、駆逐艦14隻。
対して、イギリス海軍の戦力は、戦艦6隻、重巡洋艦1隻、軽巡洋艦5隻、駆逐艦21隻。
戦力は、圧倒的にイギリス海軍が有利だった。
しかし、
「負ける訳には、いかないからね」
不退転の決意と共に呟く、巡洋戦艦「シャルンホルスト」艦長エアル・アレイザー中佐。
青年の言葉が全てを物語るように、ドイツ海軍の誰もが、この戦いに勝利する以外の事を考えてはいなかった。
北海の荒い海面を、鋭く切り裂いて艦隊は進む。
マストに雄々しく掲げられた鉄十字。
ドイツ艦隊旗艦「シャルンホルスト」の艦橋で、司令官席に座る男は、腕組みをしたまま、前方を眺めていた。
ラインハルト・マルシャル大将は、編成された第1艦隊の司令官であり、本作戦における最高指揮官でもある。
マルシャル自身、自分が率いる艦隊が劣勢である事は理解していた。
相手はヨーロッパ最強のイギリス艦隊。
まともに戦えば敗北は必至。
しかし迫りくるイギリス艦隊を打ち破らなければ、「ヴェーゼル演習作戦」の成功は無い。
マルシャルは手持ちの戦力だけで、イギリス艦隊を撃破する事が求められている。
それも、ただの勝利ではない。
イギリス艦隊が少なくとも、数カ月は大規模な行動を控えるほどの大勝利だ。
「艦長、そろそろか?」
「そうですね」
促されて、エアルは腕時計に目をやる。
劣勢のドイツ艦隊は今回、イギリス艦隊と戦うにあたって策を持って当たる事になっている。
「偵察機からは報告が来ています。電文は既に転送済み。間も無く、攻撃開始時刻です。それを合図にして、あちらも攻撃を開始する手はずになっています」
そう言うと、エアルは自分の足元を差す。
「足の、下?」
シャルンホルストが、怪訝な面持ちで首をかしげる。
対して、エアルはフッと笑う。
「今回は海軍が総力を挙げて戦う作戦だからね。参加するのは、俺達だけではないって事だよ」
「?」
意味が分からず首をかしげるシャルンホルスト。
そんな少女の様子に、エアルとマルシャルはともに笑みを浮かべるのだった。
2
昨日まで視界全てを覆っていた霧も晴れ、北海海面は良好な視界の中で朝を迎えようとしていた。
波濤を切り裂いて進む、イギリス艦隊。
主力部隊であるフォースA、フォースBの両艦隊は、会敵を求めて進路を東へと取っている。
風になびくホワイトエンサインが、彼等の誇りを現している。
間もなく、戦いが始まる。
おごり高ぶるヒトラーの海軍を叩き潰し、誰がヨーロッパの王者なのか知らしめるための戦いが。
いくら独裁者が粋がったところで、海の王者には敵わない。
俄作りの艦隊如き、我らの誇りに賭けて叩き潰してやる。
誰もが、そう思っていた。
しかし、
その意気込みは、初手から空回る事となった。
「・・・・・・・・・・・・なぜ、奴らは来ない?」
戦艦「ラミリーズ」の艦橋で、艦長のディラン・ケンブリッジ大佐は苛立ちを隠さずにいた。
先程から艦橋の床を、行ったり来たりして歩き回っている。
その苛立ちは伝染し、「ラミリーズ」艦橋全体の空気が、泥濘と化したかのように淀んでいた。
無理もない。
ドイツ艦隊発見の報を受け、イギリス艦隊の主力を成すフォースAとフォースBは、夜を徹して会敵予定地点を目指して進撃を続けたのだ。
当初の予定では、既にドイツ海軍との戦闘が開始されている筈。
だと言うのに、会敵予想時刻が過ぎても、ドイツ艦艇はおろか、
「これは、あれですな。奴等は逃げた、と考えたほうがよろしいのでは?」
幕僚の1人が、名案を思いついたとばかりに、明るい口調で言い放った。
それに続き、他の幕僚たちも追随する。
「うむ、あり得ますな」
「確かに。出撃したは良いが、我らが予想外の大艦隊であったために、戦う事無く闘争を選んだのですよ」
「所詮は田舎のドイツ海軍。奴らは少しでも強い相手には逃げる事しかできないのですよ」
口々に、この場に現れない敵に対し、侮蔑の言葉を投げる幕僚たち。
そんな中、ラミリーズとアルヴァンだけは会話に加わらず、ジッと考え込んでいた。
果たして、本当に敵は逃げたのだろうか?
わざわざこちらを欺き、全艦隊を集結させて迎え撃つ体制を整えた程に周到な連中が、こちらの姿を見て、戦わずして逃げた?
ありえない。
そんな事をしても、ドイツ軍には何の得もないはず。
ひどく、嫌な予感がした。
その時だった。
「大変ですッ!!」
突如、駆けこんで来たのは「ラミリーズ」の通信長だった。
報告の手順も忘れて、その場で叩きつけるように叫ぶ。
「後方の輸送船団に、ドイツ艦隊が襲来ッ 攻撃を受けています!!」
「なッ!?」
その報告に、ディランをはじめ、その場にいた全員が衝撃を覚えたのは言うまでもないことだった。
駆逐艦が先行して敵の退路を塞ぎ、巡洋艦と装甲艦から成る本隊が護衛部隊を叩き潰す。
ドイツ海軍は、偵察の為に展開したUボートから報告を受け、イギリス艦隊後方に輸送船を伴った艦隊がいる事を突き止めると、これを襲撃する決断を下した。
輸送船の正体は恐らく、ノルウェーの防衛力強化を図るための増援部隊であると思われた。
この部隊が到着すれば、ドイツ軍の侵攻計画に大幅な支障が出る事になる。何としてもここで沈めておく必要がある。
夜陰に乗じて戦列を離れたドイツ海軍第2艦隊は、イギリス艦隊の進撃路を大きく迂回して後方に回り込み、払暁と同時に襲撃を敢行したのだ。
イギリス海軍はUボートの襲撃は警戒していたが、まさか1個艦隊が丸々突っ込んでくるとは思いもよらなかった。
護衛の駆逐艦は奮戦し、ドイツ海軍の駆逐艦2隻を脱落させることに成功したものの、それが彼等の限界だった。
包囲され、殲滅された護衛駆逐艦。
後に残されたのは、逃げ惑う事も出来ない羊と化した輸送船団だった。
「フン、ここまで予定通りだと、逆に拍子抜けしてしまうな」
旗艦「アドミラル・ヒッパー」の艦橋で冷徹に呟いたのは、リンター・リュッチェンス中将だった。
元々、巡洋艦部隊の司令官だったリュッチェンスは、今回の戦いに先立ち、第2艦隊の司令官に就任。事実上、本作戦におけるナンバー2の地位にあった。
第2艦隊は巡洋艦を中心にした部隊であり小回りが利く。
鈍重な輸送船如き、逃がす物ではなかった。
イギリス艦隊はUボートの攻撃を警戒して密集隊形を取り、護衛戦力を集中させていたが、それが完全に仇となった形だった。
まさかドイツ海軍が、1個艦隊丸ごと、船団狩りに投入してくるなどと、誰も想像できなかったのだ。
「砲撃開始!! 奴らを蹂躙しろ!!」
リュッチェンスの号令一下、第2艦隊の各艦が砲門を開く。
それに対し、護衛と言う盾を失った輸送船団の運命には、絶望以外の何物も存在しなかった。
砲火を浴びて、次々と炎を上げる輸送船。
北海海面は今や、完全にドイツ艦隊の草刈り場と化していった。
3
ドイツ艦隊、輸送船団を襲撃。
その報告にパニックに陥ったのは、旗艦「ロドネイ」艦上のイギリス艦隊司令部である。
決戦を企図して進撃してきたのに、敵が現れないばかりか、あろうことか自分達を素通りして、後方の輸送船団を襲っていると言うではないか。
イギリス海軍はレーダーを搭載している艦が多数あるが、ドイツ艦隊はそのレーダー探知範囲をすり抜ける形で後方の輸送船団を狙い撃ちにしたのだ。
まるで自分達を小ばかにするかのように。
「おのれ、あの田舎者どもがッ 奴らは艦隊戦の何たるかを知らんのかッ!!」
最早、地団太を踏む勢いのフォーブス。
彼は最早、「自分達の思い通りに動かない敵」に対するいら立ちを、隠そうともしなかった。
しかし、彼の立場として、苛立ちを周囲に撒き散らしてばかりもいられない。
こうしている間にも、輸送船団から悲痛な救援要請が飛んできていた。
《我、敵艦隊の攻撃を受く》
《主力艦隊は、直ちに反転されたし》
《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》
彼らの叫びが、事が急を要する事を告げていた。
直ちに、必要な措置が講じられる。
「フォースB司令部に連絡ッ 《直ちに反転、輸送船団の救援に向かえ》!!」
「フォースA全艦反転ッ!!」
矢継ぎ早に指示を飛ばすフォーブス。
フォースBは巡洋艦中心の快速部隊。今から反転すれば、あるいは船団が壊滅する前に、ドイツ艦隊を補足する事も不可能ではないかもしれない。
勿論、フォーブス自身も手をこまねいてはいない。
直ちに直卒するフォースAも進路を反転を命じる。
低速の戦艦部隊では間に合わないだろうが、フォースBが敵艦隊を拘束している内に距離を詰める事が出来れば、後は圧倒的な火力を叩きつけるのみ。勝機はイギリス海軍に舞い込む事になる。
「クソッ こんなはずではなかったと言うのにッ」
臍を噛むフォーブス。
こんなはずではない。
自分はこんな事をするために、戦場に来たのではない。
そんな想いが、フォーブスの中で反芻される。
思い描いた堂々たる艦隊決戦。
自慢の戦艦群が隊列を組んで巨砲を撃ち放ち、必殺の雷撃が水面下を走る。
弱小のドイツ海軍を圧倒的な力で叩き伏せ、自分はホレイショ・ネルソン提督以来の英雄として称えられる。
そんな未来が、彼の中では思い描かれていた。
だと言うのに、
現実の彼は、ドイツ海軍の姑息な戦術に翻弄され続けていた。
こんなはずではなかった。
「・・・・・・見ていろ、ドイツの田舎者ども」
呪詛に近い声を発するフォーブス。
ペテンまがいの行為で調子づいていられるのも今のうちだ。
自分達が戦場に到着したからには、もう好きにはさせない。奴らに、真の艦隊決戦とは如何なる物か、たっぷりと思い知らせてやる。
やがて、反転を追えるフォースAの各艦。
急激な機動を行った際の陣形の乱れを戻そうと、駆逐艦が高速で動き回り、定位置へと戻っていく。
その間、海面が攪拌され、周囲に航跡が重なり合う。
だから、
誰も気付かなかった。
その、直前まで。
「左舷、雷跡ッ!! 近い!!」
悲鳴に近い見張り員の声。
蒼褪めるフォーブスたち。
次の瞬間、
旗艦「ロドネイ」の艦腹に水柱が2本、高々と突き上げられた。
「旗艦被雷ッ!! 速力低下します!!」
「『バーラム』、魚雷命中の模様!!」
「ラミリーズ」の艦橋に、悲痛な報告が飛び込み、ディランは呆然と立ち尽くす。
一瞬にして、絶望に染まるフォースA各艦。
深海から襲い掛かってきた刺客は、イギリス海軍が誇る主力戦艦群に、一斉に牙を剥いた。
ドイツ艦隊ばかりに気が向いていてイギリス艦隊。
そこに来て輸送船団が攻撃を受けた事を知り、狼狽した彼らは慌てて反転しようとした。
狙われたのは、正に反転のタイミングだった。
反転中は、どうしても艦隊の陣形が乱れる。
特に潜水艦にとって脅威となる駆逐艦は、外周を移動しなくてはならないため、フルスピードで自身の持ち場へと移動しようとする。
多くの駆逐艦が海面で動き回る為、水中聴音が利かなくなる。
その為、イギリス海軍はUボートの接近に全く気付かなかったのだ。
一方、ドイツ海軍の作戦は緻密だった。
ドイツ潜水艦隊が得意とする戦法で「
これは1隻の潜水艦が目標を発見すると、通信によって付近にいる味方艦を呼び寄せ、一斉に攻撃を仕掛けるのだ。
狼が遠吠えで仲間を呼び寄せる様に似ている事から、この名が付けられた。
今回、ドイツ艦隊はこの群狼戦法にひと手間を加えて実施した。
水上艦隊から偵察機を放ちイギリス艦隊の位置を把握すると、艦隊から各Uボートに転送。一斉攻撃を指示したのだ。
陣形改変中のイギリス艦隊は、ひとたまりもなかった。
一斉発射された魚雷に、翻弄されるイギリス艦隊。
一部の魚雷は迷走の末、「ラミリーズ」に迫って来ていた。
「右舷前方、雷跡接近!!」
「何だとぅッ!?」
思わず、叫びながら振りかえるディラン。
その眼には確かに、自分の艦にまっすぐ向かってくる白い航跡を捉えていた。
「おのれッ 卑怯者のナチスめがッ!! 真っ向から戦わず、またしてもこんな汚い手を使うかッ!!」
先のラプラタ沖海戦同様、「まともに」戦おうとしないドイツ海軍を罵るディラン。
しかし、呆けてばかりもいられない。こうしている間にも魚雷は接近してきているのだ。
「面舵いっぱいッ さっさとかわせェッ 愚図がァ!!」
「は、はいッ」
いら立ちを隠そうともせず、ラミリーズを罵るディラン。
暫くして、右へと回頭を始める「ラミリーズ」。
果たしてかわせるか?
じりじりとした緊張感が続く中、
やがて魚雷は「ラミリーズ」の艦尾をかすめるようにかけ去っていくのだった。
「・・・・・・フッ」
回避に成功した様を見て、ディランは引きつった笑いを口元に浮かべる。
その額からは、大粒の脂汗がいくつも流れていた。
「フハ・・・・・・フハ、ハハ、ハハハハハハ・・・・・・・・・・・・み、見たか薄汚いナチス共ッ 貴様らが放った卑怯な魚雷など、この俺に当たるはずがなかろうッ!! 我らの正義と勇気、貴様ら如き薄汚い輩にやられるものかよ!!」
「流石です殿下ッ」
「ご立派です、殿下!!」
虚勢で胸を張るディランに、取り巻き達がすかさずよいしょの声を上げる。
だが、
どうにか回避には成功した「ラミリーズ」は、まだ幸運なだった。
「ロドネイ」が燃えていた。
イギリス本国艦隊旗艦であり、クレイズ・フォーブス提督の座乗艦。
そしてイギリス海軍が世界に誇る「ビッグ7」の1隻。
その「ロドネイ」が今、炎を上げながら傾斜していた。
その船腹を抉ったのは、放たれた2本の魚雷。
浸水は瞬く間に艦内に広がり、防水区画が冠水する。
とは言え、流石は大戦艦と言ったところだろう。
「ロドネイ」は炎上し傾斜はしているが、それ以上、沈降する様子は見せない。
どうやら応急修理に成功し、沈没は免れた様子だった。
しかし、
イギリスの誇りとも言うべき戦艦が炎を上げながら波間で喘いでいる姿は、大英帝国の斜陽を象徴しているかのようだった。
一方
海底に潜んでいた刺客にも、今の「ロドネイ」の様子は確認できていた。
それも、1隻ではない。
少なくとも複数の潜水艦が、周辺海域に潜伏し、状況を見守っている。
今回の「ロドネイ」攻撃は、偶然の産物ではない。
ドイツ艦隊が密かに集結させていたUボート艦隊が、一瞬の隙を突いて襲い掛かったのだ。
「流石は音に聞こえたビッグ7。魚雷2本程度じゃ沈みそうもないな」
U47の艦橋で、艦長のギリアム・プリーン大尉が、潜望鏡を覗きながら呟いた。
この攻撃に参加したのは、彼の艦を含むUボート8隻。
お世辞にも戦力的に充実しているとは言い難いドイツ海軍にとっては、破格の参加数である。この作戦に参加する為に、大西洋における通商破壊戦を一部キャンセルしたほどだった。
「あっちはどう? もう1隻の方」
「どれどれ?」
攻撃に参加したUボートの内、命中を得たのは
僚艦が攻撃を命中させた艦を探す。
程なく、ギリアムの視界に光景が飛び込んで来た。
「ああ、ありゃ沈むな」
淡々とした口調で告げる鉄牛艦長。
ギリアムがレンズ越しに見ているのは、戦艦「バーラム」だった。こちらは魚雷4本を喰らい、激しく炎上している。
既に傾斜によって甲板の半ばまで海面に浸かっている状態だ。あれでは、あと30分と保たないだろう。
戦艦1隻撃沈、1隻撃破。
勿論U47が1隻で成し得た手柄ではないが、戦果としては申し分なかった。
「よし、混乱に乗じて退避するぞ。駆逐艦に殺到してこられたら流石に厄介だしな」
「了解よ」
ギリアムに頷きを返すシーナ。
彼等の言う通り、旗艦に攻撃を受けたイギリス駆逐艦が、血眼になって向かってきている所だった。
しかし、
彼らが不埒な潜水艦を捉える事は、遂になかったのであった。
第10話「群狼」 終わり