蒼海のRequiem外伝 ~北天の流星~   作:ファルクラム

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第14話「猫の歩みは亀より遅い」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 日差しが、瞼を優しくくすぐるのを感じる。

 

 かすかに差し込む、陽の光。

 

 ああ、そっか。

 

 もう、朝なんだ。

 

 もう少しだけ、余韻に浸りたいんだけどな。

 

 そんな事を考えながら、瞼を開く。

 

 少しひんやりとした朝の空気。

 

「ふぁ」

 

 可愛らしく、小さな口を開けてあくびをしながら、シャルンホルストは身を起こした。

 

 下着の上から、寝間着代わりのYシャツを羽織っただけのラフな寝間着姿。

 

 以前にちょっと試したところ、意外に快眠だった為、以来、この格好で寝るのが癖になっていた。

 

 グナイゼナウからはみっともないからやめろと言われているのだが、こればかりはなかなかやめる気にはなれない。

 

 それにしても、

 

「うん、やっぱり自分の部屋、最高」

 

 周りを見回しながら言った。

 

 ここは彼女が入院している病室、ではなく、れっきとした巡洋戦艦「シャルンホルスト」の艦内にある艦娘専用ルーム。要するに、彼女の私室である。

 

 先日、ようやく退院の許可が下りて戻ってくる事が出来たシャルンホルスト。

 

 入院生活に死ぬほどの退屈を味わっていた彼女は、ここに戻ってようやく人心地着いた形であった。

 

 もっとも、

 

 退院はしたものの、艦体の方は未だに修理中。

 

 主砲の砲身交換や、損傷を負ったケーブルの交換等は終了しているが、不調を起こしたエンジン回りの整備がまだ残っている。

 

 こちらは入念に行われる予定である。

 

 「シャルンホルスト」が、外洋に出れるようになるには、もうしばらく時間がかかる予定だった。

 

 まあ、それはさておき、

 

「いよいよ今日、なんだよね・・・・・・・・・・・・うん」

 

 予定を思い出し、笑いが止まらなくなるシャルンホルスト。

 

 ドキドキする。

 

 気分が高揚するのを、抑える事が出来なかった。

 

 入院しているときから、今日をずっと楽しみにしていたのだ。

 

 シャルンホルストが入院中、エアルが言っていた事。

 

 退院したら、何かお祝いをしてくれるという。

 

 好きな所に連れてって、ご馳走してくれる。

 

 その約束の日が、今日だった。

 

 エアルとお出かけ。

 

 要するに、

 

 誘った方の思惑はどうあれ、

 

 少女からすれば、これは完全無欠に「デート」、

 

 と言って、差支えは無かった。

 

 そうと分かっていれば、こうしてはいられない。

 

 今日と言う日を最高にするために、入念な準備をしなくては。

 

「えっと、約束は10時だから、今から準備して・・・・・・」

 

 言いながら、

 

 シャルンホルストは何気なく、時計を見やる。

 

 そこで、

 

「・・・・・・・・・・・・へ?」

 

 絶句した。

 

 エアルとの約束の時間は10時。それは間違いない。

 

 今日が楽しみで、何度も確認したのだから。

 

 問題は現時刻。

 

 今は9時20分。

 

 準備、その他諸々の事を考えあわせれば、完全に、

 

「ち、遅刻ッ!?」

 

 慌てて跳ね起きるシャルンホルスト。

 

 次の瞬間、

 

「ヘブッ!?」

 

 勢いあまって、顔面から床にダイブ。

 

 朝っぱらからパンツ丸出しで、鼻の頭を思いっきりぶつける羽目になるシャルンホルスト。

 

 お尻に描かれたネコさんが、呆れたように鳴いた気がした。

 

 

 

 

 

 街行く人の表情は明るい。

 

 オープンテラスのカフェでコーヒーを口に運びながら、エアル・アレイザーは脳裏で呟いた。

 

 今日は久しぶりのオフの日。

 

 と言うよりは、用事があってわざわざ休暇を申請したのだ。

 

 退院したシャルンホルストをお祝いするために。

 

 その為、今日は軍服姿ではなく、ラフな私服姿をしている。

 

 思えば着任から数カ月。

 

 過酷な任務に駆り出しておきながら、これまで一度も彼女を労った事が無かった気がする。

 

 だから今回は良い機会だと思った。

 

 因みに(シャルンホルストには誠に残念な事に)デートのつもりは、エアルには毛ほども無かった。

 

 周囲を見回せば、同様に休日を楽しんでいる様子の人々が目に入る。

 

 親子と思われる人たち。1人でゆっくりと茶を飲む人。そして、カップルと思われる男女。

 

 皆、表情は明るい。

 

 誰もが、ここ最近の景気の良いニュースに胸を躍らせている様子だ。

 

 無理もない。

 

 ここ最近のドイツ国内は、明るい話題にあふれている。

 

 ポーランド占領、ラプラタ沖海戦勝利、デンマーク電撃占領、ノルウェー沖海戦勝利。

 

 ドイツ軍は負け知らず、まさに開戦以来、破竹の快進撃と言えるだろう。

 

 そしてつい先日、ついにノルウェー政府がドイツ政府に対し、降伏を打診してきた。

 

 これに伴い、ドイツ軍はノルウェー全土の占領を宣言。

 

 ヴェーゼル演習作戦は、成功裏に幕を下ろす事が出来た。

 

 ノルウェーを占領できた意図は大きい。

 

 これでドイツ軍は、戦争遂行に必要不可欠な鉱物資源の調達を他国からの輸入に頼る必要がなくなったのだ。

 

 さらに海岸線に点在するフィヨルドには、既にUボート艦隊が進出。通商破壊戦の拠点となっている。近々、水上艦艇の進出も予定されているとか。

 

 これにより、北海北部の制海権は、ドイツ側が掌握するに至った。ドイツ海軍の基本戦略である通商破壊戦の効率は飛躍的に上昇。戦績は鰻登りに上がっていく。

 

 Uボートの乗組員や艦娘たちは、我こそが潜水艦戦のエース也と名乗りを上げる者が続出した。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 エアルはコーヒーをがぶりと飲む。

 

 苦い味と共に、先日聞いた戦況のニュースが思い出された。

 

 ドイツ軍の勝利に、一抹の影を落とす事態が起きた。

 

 ナルヴィク沖を航行中だったドイツ艦隊を、戦艦を含むイギリス艦隊が襲撃。

 

 ドイツ艦隊は勇戦したものの、火力差は如何ともしがたく、ほぼ全滅に近い損害を受けたという。

 

 装甲艦1、重巡洋艦1、軽巡洋艦1、駆逐艦3隻喪失。

 

 対して、敵に与えた損害は皆無に近いとか。

 

 他の国ならいざ知らず、元々、艦艇数の少ないドイツ海軍からすれば、致命的と言っても過言ではない数字だ。

 

 あまりの事態に激怒したヒトラー総統は、海軍総司令官であるエドワルド・レーダー元帥を呼び出し、厳しく詰問したと言う。

 

 今回の件、聊かの油断がなかったとは言い難い、とエアルは考えていた。

 

 ラプラタ沖やノルウェー沖での大勝利で、海軍全体が浮かれ気味になっていた感がある。

 

 いかに戦いで勝ったとはいえ、イギリス海軍はドイツ海軍に対して未だに優勢であり、戦力的にも余裕がある。

 

 正直なところ、ノルウェー沖での敗北など、彼等からすればさしたる痛痒になっていないのではないかとさえ思えた。

 

 劣勢のドイツ海軍が、イギリス海軍に勝ち続け、最終的にこの戦争を勝利に導くにはどうすれば良いか?

 

 ナルヴィク沖海戦の敗北により、エアルはその事を強く考えるようになっていた。

 

 手にしたコーヒーカップをソーサーに戻した時だった。

 

「おにーさーん!!」

 

 聞きなれた声に呼びかけられ、顔を上げるエアル。

 

 その視界の先では、見慣れた少女が店に上がり、手を振っている様子が見て取れた。

 

 手を振り返すと、シャルンホルストが笑顔で駆け寄ってきた。

 

 今日は彼女もオフと言う事で、軍服姿ではなく私服姿をしている。

 

 淡い青色のシャツに、短パン履き。上からフード付きのパーカーを羽織り、頭には大きめの帽子を被っていた。

 

 最近、軍服姿に見慣れた艦がある為、新鮮な感じがした。

 

 の、だが、

 

 時間は既に、10時5分。

 

 約束の時間より少し遅れている。

 

 無論、その程度の事でいちいち咎めるつもりはない。

 

 が、

 

 どうやら慌てて準備して走ってきたらしいシャルンホルストの息は乱れ、服も少しはだけているように見える。

 

 ちょっと、鼻が赤い気がするのはどうしたのだろう?

 

「ごめん、待った?」

「うん、まあ、少しね」

 

 時計を確認しながら答えるエアル。

 

 とは言え、少し早めに到着したので、待ったのは15分少々。

 

 それ程、苦になるような時間ではなかった。

 

 だが、

 

 エアルの答を聞いたシャルンホルストは、不満そうに頬を膨らませる。

 

「な、何?」

 

 いきなり機嫌を下げた少女に、たじろく青年艦長。

 

「おにーさんさ、こういう時って、『いや、今来たとこだよ』って答えるのが、普通なんじゃないの?」

「そ、そう、なのかな?」

 

 いったい、どこで仕入れてきた知識なのやら。

 

 しかし、初手から差し違えた認識だけはあった。

 

 だが、

 

「もう、しょうがないな、おにーさんは」

 

 ニコッと笑うシャルンホルスト。

 

 ふんわりした少女の笑顔に、エアルもつられて笑顔になるのだった。

 

 

 

 

 

 こうして見ると、エアルも男であると言う事が分かる。

 

 青年の隣を歩きながら、シャルンホルストはそんな事を考えていた。

 

 普段見慣れている姿だが、やはり並んで歩くと背の高さの違いが分かる。

 

 シャルンホルストが比較的小柄な体格をしている事もあるのだろうが、並んでエアルの顔を見ようとすると、少し首が痛くなる。

 

 歩幅もそうだ。

 

 エアルと並んで歩こうとすると、どうしても早足になってしまう。

 

 細身のようでいて、軍人としてしっかり鍛えているエアルの事、ただ歩いているだけでも結構な足の速さだ。

 

 正直、病み上がりの身には、少しきつい。

 

 少し息が上がりそうになる。

 

 と、

 

「ほら」

「え?」

 

 声を掛けられて見上げると、エアルが足を止め、シャルンホルストに手を差し伸べていた。

 

「手、繋ごう。そうすれば、少し楽になるんじゃないかな?」

「えっと・・・・・・・・・・・・」

 

 どうやらエアルの方でも、シャルンホルストが辛そうにしている事に気付いていたらしい。

 

 その手のひらを、呆気に取られた様子で見詰めるシャルンホルスト。

 

「えっと・・・・・・・・・・・・」

 

 躊躇いがちに手を伸ばす。

 

 その手を、エアルが半ば強引に取った。

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 声を上げるシャルンホルストに、笑い掛けるエアル。

 

 今度はエアルも、歩幅を合わせて歩いてくれる。

 

 青年を見上げ、手のひらからは彼の温もりを感じる。

 

 そんな様子にシャルンホルストは、少しだけ気恥ずかしそうに顔を背けるのだった。

 

 

 

 

 

 エアルがシャルンホルストを連れてきた店は、待ち合わせ場所にしたカフェから、歩いて5分くらいの場所にあった。

 

 青年艦長が彼女の趣味に合わせたつもりのその店は、落ち着いた装飾のある、感じのいい店だった。

 

 可愛い物が嫌いな女の子は、万国共通的に見て少数派ではないだろうか?

 

 勿論、その論法は艦娘にも当てはまる。

 

 もっとも、単純に「可愛い」と言うカテゴリに括ったとしても、その内部には千差万別の様相を内包している。

 

 はてさて、

 

 では、ドイツ海軍最強の少女はと言えば、

 

「わッ わッ この子可愛いッ あ、あっちの子も!! ああ、けど、あの子もな~」

 

 目をキラキラと輝かせ、夢のような光景に浸っている。

 

 シャルンホルストが見ているショーウィンドウの中には大量のぬいぐるみ。それも、ネコ限定のぬいぐるみばかり、これでもかと並べられていた。

 

 シャルンホルストは猫が好き。

 

 その事は彼女がネコグッズばかり集めている事からも察しがついていた。

 

 その為、エアルは退院祝いとして、彼女に何かネコ関連の物をあげようと思い、このぬいぐるみ専門店へと連れてきたのだ。

 

 着任して半年以上経ち、エアルもだいぶ、街の様子に慣れてきている。この店も、たまたま歩いているときに見つけたのだ。

 

 それにしても、

 

 紅潮した顔でネコのぬいぐるみを見繕っているシャルンホルスト。

 

 そんな彼女の横顔を眺めていると、エアルの方もうれしくなってくるのだった。

 

 

 

 

 

 店員のあいさつを背に、店を出る2人。

 

 シャルンホルストの手には、エアルに勝ってもらったぬいぐるみが大事そうに抱えられていた。

 

「おにーさん、ありがとうッ」

「うん、良いけど、本当にそれで良かったの?」

 

 怪訝そうに尋ねるエアル。

 

 結局、さんざん悩んだ末に、シャルンホルストが選んだのはクロネコのぬいぐるみだった。

 

 大きさは、シャルンホルストと比較すれば一抱えくらいあり、値段もそれなりの物ではあった。

 

 しかし正直、エアルの目からすれば、もっと可愛いのがいくらでもあったように見えたのだが。

 

 しかし、

 

「良いの、これで」

 

 シャルンホルストは言いながら、ぬいぐるみを大事そうにギュッと抱える。

 

 その幸せそうな顔を見ると、エアルも自然と笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 巡洋艦「ベルファスト」艦長リオン・ライフォード海軍中佐は、れっきとしたイギリス王室に所属する、いわゆる王族である。

 

 しかも現国王の八男。つまり、末席とは言え身分は王子様と言うわけだ。

 

 その為、一応、王宮に出入りする権限は持っている。

 

 その日、リオンはイギリス王宮に参内していた。

 

 長らく地中海艦隊に所属し、本国を留守にしてたリオン。

 

 しかし、本国艦隊に配置換えになり、こうして王宮にも足を運ぶことができるようになった為、どうしても会っておきたい人物に、この際だから会っておこうと考え、わざわざ時間を作り、ロンドンまで足を運んだのだ。

 

 王宮に入り、長い廊下を歩いて目的の部屋を目指す。

 

 部屋の前にいる兵士に来訪を告げる。

 

 殆ど待たされる事無く、入室を許可される。

 

 足を踏み入れると、部屋の中の様子が目に飛び込んできた。

 

 華美にならない程度に整えられた室内。

 

 いかにも派手さを嫌う、部屋の主の趣味を現している。

 

 その中央に置かれた大型のベッドの上で上体を起こした人物が、リオンの姿を見て微笑みを浮かべた。

 

「やあ、リオン、久しぶり。来てくれたんだね。うれしいよ」

 

 部屋の主である青年は快く、リオンの来訪を迎え入れる。

 

 対して、リオンも微かに笑みを見せると、ベッドへと歩み寄った。

 

「お久しぶりです、兄上。お加減、良さそうですね」

「うん。おかげさまでね。最近はすごく、調子が良いんだ」

 

 そう言うと、青年は読んでいた本を傍らに置いた。

 

 リオンの兄であるこの人物。

 

 名を、アルフレッド・ウェールズ侯爵と言う。

 

 現国王の長男。

 

 すなわち、この国の次期国王でもある、皇太子の地位にあった。

 

「こっちは寒いだろう。地中海はあったかいらしいからね」

「ええ、まあ。それに、あっちは良いところですよ、飯は美味いですし」

「アハ、それは良いね。私も一度行ってみたいよ」

 

 リオンの話に、笑みを浮かべるアルフレッド。

 

 こうして兄と会話する事はリオンにとっても楽しい事だった。

 

 とある事情から、他の兄弟たちからは疎まれているリオンにとって、王宮の中での見方は、このアルフレッドだけと言って良い。

 

 だからこそ、任務の合間に王宮を訪れては、こうして兄に会いに来る事は、リオンが帰国した際の、半ば自分に課している義務と言って良かった。

 

「けど、やはり祖国は良い。落ち着きます。海外じゃこうはいかない」

 

 実際のところ、海外にいれば居心地のいい場所はたくさんある。

 

 水が合う、と言う事だろうが、港の雰囲気や、その国を取り巻く状況が合致すれば、長居したくなる場所はあるものだ。

 

 しかし、どれだけ居づらくとも、それがたとえ他国との戦争状態であったとしても、祖国に勝る場所はないと言う事だ。

 

「今度は、少しは長くいられるのかな?」

「いえ、兄上・・・・・・・・・・・・」

 

 尋ねるアルフレッドに対し、リオンは言葉を濁す。

 

 正直、今回もあまり長居はできそうにない。

 

 大陸での戦況が、予断を許されない状況にある。上層部は近々、ドイツ軍が新たな軍事行動を起こすだろうと予測していた。

 

 北を制したドイツが、次に向かうとすれば、西以外にあり得ない。

 

 すなわち、連合軍の主力を成すフランスへの侵攻だ。

 

 フランスは海を隔ててイギリスと隣接している。

 

 万が一、フランスが敗れるような事があれば、次はイギリス本土が直接、攻撃に晒される事になる。

 

 その為、既にイギリスも手を打っている。

 

 3個軍団を主力とする大陸派遣軍(B E F)をフランス北部に送り込み、国境の防衛に当たっている。

 

 恐らく本国艦隊にも出撃命令が下る事だろう。既に「ベルファスト」にも待機命令が出されている。

 

 リオン自身、今日この足で、艦へと戻らなければならない。

 

「そうか。忙しいんだもんね。ごめんね、変な事言ってしまって」

「いえ、兄上、勿体ないお言葉です」

 

 そう言って、アルフレッドは力なく笑う。

 

 側近たちに聞いた事だが、この兄には、戦況については詳しく聞かせていないのだと言う。

 

 体の弱い兄が、苦戦している状況を知れば体調を崩しかねない、との配慮だった。

 

 いい事だと思う。

 

 正直、王宮は華やかなりし、とはいかない場所だ。

 

 光があれば影がある、などと使い古された言葉を出すまでもなく、イギリス王室にも暗部は存在している。

 

 陰謀はヘドロのようにこびりつき、美しい白の外壁、その裏側にこびり付いている。

 

 そうした醜い部分を、わざわざ病弱な兄に見せる事はなかった。

 

「残念だよ。リオンが聞かせてくれる他の国の話は、本当に面白いから、楽しみにしていたんだが」

「次に帰ってきた時に、必ずお聞かせしますよ」

 

 正直、「次」があると言う保証はない。

 

 先のナルヴィク沖ではリオン達が勝利したが、次は必ずドイツ海軍も主力を繰り出してくる事だろう。

 

 ノルウェー沖での戦闘詳報は、リオンも読んでいる。

 

 かなり手ごわい相手だ。

 

 「ベルファスト」だって、いつ沈められるか分からない。アルフレッドとは、今生の別れになる可能性だってあるのだ。

 

 だが、

 

「楽しみにしているよ」

 

 アルフレッドは何も言わず、ただそう言って、リオンに微笑むのだった。

 

 

 

 

 

 

 兄に見送られて部屋を出るリオン。

 

 やはり、帰ってきて良かった、と思う。

 

 こうして兄に会えただけで、戦場で受けた心の傷が消えていくようだった。

 

 リオンにとって、それだけ兄、アルフレッドは大きな存在だった。

 

 と、

 

「リオンっ」

 

 呼びかけられて顔を上げると、艦娘の少女が駆け寄ってくるのが見えた。

 

 ベルファストだ。

 

 付き添いと言う形で連れてきたが、流石に兄の部屋にまで同道させる事はできない為、別室で待ってもらっていたのだ。

 

 並んで歩く少女に、歩幅を合わせる。

 

「どうだった、お兄さん?」

「また、少しやせたみたいだ」

 

 兄の病状が日に日に進行してきている事は、リオンの目から見ても明らかだった。

 

 兄は長くない。

 

 素人のリオンの目から見ても、それは判るくらいだった。

 

 だからこそ今、王宮は後継者問題で揉めている。

 

 果たしてアルフレッドはどれくらい保つのか?

 

 そして、その後釜には誰が座るのか?

 

 王宮内は、そんな醜い思惑で溢れているのが現状だ。

 

 一部の心ある人たちがアルフレッドを守ってくれていると思うと心強かった。

 

「そっか、心配だね」

 

 ベルファストが、目を伏せながら言った。

 

 彼女はアルフレッドとは会った事がない。

 

 しかし、それでもこうして、兄の事を心配してくれる。

 

 そういう、少女なのだ。

 

「今度、紹介するよ、兄上の事」

「え? それってどういう・・・・・・」

 

 問い返そうとするベルファスト。

 

 だが、

 

 その言葉は、耳障りな金切り声によって遮られた。

 

「やあやあやあッ 久しぶりに王宮に来て、ずいぶんと泥臭い匂いがすると思ったら、それもそのはず、泥塗れの物乞いがいるから当然の事だったな!!」

 

 振り返るリオンとベルファスト。

 

 その視界の先で、取り巻きを引き連れて歩いてくる男がいるのが目に入る。

 

 その姿を見て、リオンはかすかに目を細め身構える。

 

 ディラン・ケンブリッジだ。

 

 第2王子はリオンの姿を見るや、無遠慮に歩み寄ってくる。

 

 その表情には、明らかな侮蔑が見て取れた。

 

「お久しぶりです、ディラン兄上」

「貴様ッ!!」

 

 激高したのはディランではなく、彼の取り巻きだった。

 

「卑しい庶民出の分際で、ディラン様の名を口にするとはッ 恥を知れ恥を!!」

「ここは貴様が如きクズが来るような場所ではないッ とっとと失せるが良い!!」

 

 たちまち、他の取り巻きからも「そうだ」「そうだ」と追従が上がる。

 

 リオンに対して罵詈雑言を浴びせる、ディランの取り巻き達。

 

 黙して状況を見守っているのは、アルヴァン・グラムセルくらいの物だった。

 

 八男とは言え、仮にも王族に対する言葉ではない。

 

 その理由は、先ほどの言葉の中にあった。

 

 アルフレッドとディランは、現国王の正室から生まれた子供。

 

 正室の女性は既に他界したが、侯爵家出身の、身分が高い女性だった。

 

 そして他の王子たちも、多少の身分差はあれ、皆、貴族出身の女性だった。

 

 そんな中、リオンの母だけは、平民出の身分が低い女性だったのだ。

 

 その為、王族は勿論、彼らの取り巻き達の中には、このように公然とリオンを侮蔑する者は少なくなかった。

 

「まあ、落ち着け皆。ここは王宮だ、そう騒がしくするものではない」

 

 余裕を湛えた様子で告げるディラン。

 

 すると、それまで騒々しくリオンを罵倒していた取り巻き達は、ピタリと声を上げるのをやめる。

 

 そこで改めて、ディランはリオンに向き直った。

 

「なあ、リオン。俺は今度、最新鋭戦艦の艦長に内定したぞ」

「それは・・・・・・おめでとうございます」

 

 ノルウェー沖海戦において、乗艦の「ラミリーズ」を撃沈されたディラン。

 

 本来であるならば、軍法会議にかけられ予備役編入されてもおかしくない。

 

 しかし、それはできなかった。

 

 ディランは今や「ノルウェー沖の英雄」として、国民から絶大な人気を誇っているのだ。

 

 ノルウェー沖海戦から帰還した後、徹底した情報操作と隠ぺいが行われた。

 

 その結果、ディランは「ナチスの卑劣な攻撃によって乗艦を撃沈される災禍に見舞われながらも、不屈の闘志と不退転の意思でもって生還を果たした英雄王子」としてのイメージが定着してしまった。

 

 無論、彼が旗艦「ロドネイ」やフォーブス以下、本国艦隊司令部幕僚を守り切れなかった事や、戦いに際して敵艦1隻すら撃沈できず無様な戦いをした事、取り巻きに抱えられた情けない姿で、誰よりも早く艦から降りた事などは一切、誰にも知らされていない。

 

 全ては王室ぐるみで行われた隠蔽工作の成果だった。

 

 その為、今やイギリス国民の誰もが、ディランの「大活躍」を賞賛し、今後の戦いぶりに期待している状態である。

 

 その様はまるで救世主の如く。

 

 そんなディランの人気に比べたら、ナルヴィク沖のリオン達の勝利など、あって無いような如く扱われていた。

 

「お前もせいぜい頑張るんだなッ はいつくばって地べたでも舐めれば、私の万分の一くらいは人気が出るかもしれんぞッ まあ、泥臭いお前には無理だろうがなッ」

 

 そう言うと、ゲラゲラと下品な笑いを浮かべながらリオンの脇を通り過ぎていく。

 

 取り巻き達もまた、リオンを見てニヤニヤと笑い、ディランに続く。

 

 ただ1人、アルヴァンだけは、立ち止まってリオンに一礼して去って行った。

 

 あとに残されたのは、リオンとベルファストのみ。

 

「ちょっと、リオンッ」

 

 ディランたちの背中を見送りながら、少女が声を上げる。

 

「何で言われっぱなしにしとくのよッ あんな言い方、ぜったいおかしいでしょ!!」

 

 あまりに理不尽な様子に、怒りの声を上げるベルファスト。

 

 だが、

 

「良いんだ」

「良くないよ!! 何だって、あんな・・・・・・」

「良いんだ、ベル」

 

 強い口調で、少女を制するリオン。

 

 自分が嫌われている事は知っているし、今更気にもならない。

 

 何より、英雄なんぞに興味は無い。

 

 要は最終的にナチスを打倒し、イギリスが勝利を掴めればそれで良い。

 

 それが、リオンの偽らざる本音である。

 

 こんなくだらない事に気を使うのは、時間の、無駄以外の何物でもなかった。

 

 最も、彼に付き従う少女の方は、どうもいかないらしく、

 

 ベルファストは不満顔を浮かべてリオンを睨んでいる。

 

 そんな少女の様子に、リオンは苦笑する。

 

「ほら、不貞腐れてないでさっさと行くぞ。そろそろ艦に戻って、準備しないと」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 踵を返して、背を向けるリオン。

 

 その背中を、不満顔で見詰めるベルファスト。

 

「・・・・・・まったく、もうッ」

 

 足音も荒く追いかけると、並んで歩く。

 

 そんな少女の様子に、リオンはクスッと笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 公園のベンチに腰掛け、買ってきたソフトクリームを口に運ぶシャルンホルスト。

 

 時刻は夕暮れ迫る頃

 

 1日、遊び倒した2人は、最後に港近くにある公園に来ていた。

 

 そんな少女の様子を、横に座って眺める。

 

「あむ・・・・・・んむ・・・・・・」

 

 白いクリームを夢中になって口に運ぶ少女の姿に、エアルは自然と口元を綻ばせる。

 

 連れてきて良かった。

 

 正直なところ、病み上がりなシャルンホルストを連れまわす事に、抵抗がなかったわけではない。

 

 しかし、こうやって喜んでくれている姿を見れらただけでも、甲斐はあったとと思えるのだった。

 

 やがて、ソフトクリームを食べ終わったシャルンホルストは、エアルへと向き直る。

 

「あー おいしかった。ご馳走様、おにーさん」

「どういたしまして」

 

 立ち上がり、ゴミ箱へと紙くずを投げ入れる少女。

 

 どうやらもう、すっかり元気になったようだ。

 

 出撃命令がいつ降りるか分からない現状、シャルンホルストの回復は喜ばしい事。これでドイツ海軍は十全に力を発揮できる。

 

 否、

 

 そんな上辺の事ではない。

 

 彼女が元気になってくれた事が、エアルには単純にうれしかった。

 

 だからこそ、だろう。

 

 今日、彼女を誘ったのは。

 

「ねえ、おにーさん」

 

 クルッと振り返るシャルンホルスト。

 

「今日は本当にありがとう。ボク、楽しかったよ」

 

 その顔に、

 

 ニコッと、愛らしい笑顔を浮かべる。

 

 その笑顔に、

 

 思わず、ドキッとするエアル。

 

「あ、う、うん・・・・・・・・・・・・」

 

 夕日に染まる、少女の笑顔。

 

 その可憐さに、思わず声を詰まらせるエアル。

 

「ん? どうかした、おにーさん?」

「い、いや、何でもない、よ」

 

 不思議そうに覗き込んでくるシャルンホルストに、慌てて、目を逸らす青年。

 

 だが、

 

 少女の笑顔を見てから、胸が高鳴るのを抑えられないエアル。

 

 いったい、どうしたというのか?

 

 自分でも戸惑うしかない事態に、エアルはただ、少女の顔を直視できずにいるのだった。

 

 

 

 

 

第14話「猫の歩みは亀より遅い」      終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベッドに入ったまま、目を開く。

 

 買ってもらった、黒猫のぬいぐるみをそっと抱きしめた。

 

 時刻は既に10時を回っている。

 

 とっくに消灯の時間である。

 

 しかしシャルンホルストは、昼間の余韻に浸ったまま、まだ眠れずにいた。

 

 楽しかった。

 

 エアルと初めてのデート。

 

 もしかしたら、エアルにはそんなつもりはなかったのかもしれない。単純に退院したお祝いのつもりだったのかもしれない。

 

 しかし、それでも良かった。

 

 エアルと一緒に買い物して、食事をして、楽しくおしゃべりもした。

 

 ただそれだけで、心が踊ってやまない。

 

 戦争は続く。

 

 次の出撃も近い。

 

 あるいはもしかしたら、自分も沈むかもしれない。

 

 しかし今、こうしてエアルと共にあり、共に歩むことができる。

 

 その事が、少女にはとても幸せに感じる事が出来た。

 

 この感情が何なのか、少女はまだ知らない。

 

 しかし、

 

 エアルの事を考えるだけで、心がふわふわと浮かび上がるような温かさを感じるのだった。

 

「・・・・・・・・・・・・おにーさん」

 

 そっと呟くきながら、

 

 少女は黒猫のぬいぐるみを抱きしめるのだった。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 エアルもまた、眠れぬ夜を過ごしていた。

 

 昼間に見たシャルンホルストの笑顔。

 

 少女らしい、その仕草。

 

 思い出すだけで、胸が高鳴るのを感じる。

 

 いったい、自分はどうしてしまったのか?

 

 手にしたグラスに入った琥珀色の液体に口を付け、グイっと煽る。

 

 喉が焼けるような感触と適度な苦み。

 

 しかし、どんな美味い酒も、エアルの心を満たしてはくれない。

 

「・・・・・・・・・・・・シャル」

 

 自分の胸に芽生えた小さな気持ち。

 

 その気持ちの正体に、エアルはまだ気づいてはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、

 

 激流の如く流れる時代は、そんな青年や少女の想いを、容易く洗い流していく。

 

 ドイツ第3帝国総統官邸。

 

 その会議室に居並ぶ面々は、席に座っている。

 

 今この場には、ドイツ帝国を構成する頭脳とも呼ぶべき人々が揃っていた。

 

 政治、経済を司る閣僚たち。

 

 そして勿論、陸、海、空3軍の首脳部。

 

 その中に、ウォルフ・アレイザーの姿もあった。

 

 緊張が続く中、やがてヒトラーが入室すると、一同は立ち上がって向き直る。

 

 ヒトラーが一堂に向き直る。

 

 同時に、全員が右手の指先を揃え、斜め上へと真っ直ぐ突き上げた。

 

『ハイル・ヒトラー!!』

 

 ナチス式の敬礼が唱和する。

 

 ヒトラーが手を上げると、一同もうでを下ろして着席する。

 

「諸君、いよいよだ。既に準備はできている事と思う。すでに最終的勝利は我がドイツと決まっているが、その勝利を諸君の手で、より確実な物としてもらいたい」

「既に全軍、配置に着いております」

 

 答えたのは、国防軍総司令官のカイテル元帥である。

 

「後は、総統閣下のお下知を頂くだけです」

「うむ」

 

 ヒトラーの言葉に、頷く一同。

 

 皆、一様に士気は高い。

 

 これなら確実に勝利を掴むことができるはず。

 

 確信と共に、ヒトラーは言い放った。

 

「これより我が軍は、フランス共和国に対する侵攻作戦を開始するッ!!」

 

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