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結局のところ、
ヘルムート・ゲーリング国家元帥、は総統アドルフ・ヒトラーに対する約束を果たす事はできなかった。
イギリス軍は連合運救出の為、空軍を総動員してダンケルク海岸の上空援護を行った。
少数ながら精鋭を揃えたイギリス空軍の妨害、新型戦闘機スピットファイアの初見参、更には爆弾の威力が大幅に減殺される砂浜と言う地形的不利が重なり、ドイツ空軍の攻撃は思うように戦果が上がらなかったのだ。
空軍がダンケルク海岸を攻めあぐねている戦況を受け、ヒトラーは陸軍に対する進軍停止命令を1日後には解除。再度の進軍を命じたのだった。
しかし、その判断は遅きに失した。
ドイツ軍が進軍を停止した1日の間に、連合軍はダンケルク周囲を強固な要塞陣地に仕立て上げてしまったのだ。
ドイツ軍が遅れて総攻撃を開始した時には既に手遅れ。容易な突破を許さぬほどにまで、防備が固められてしまっていた。
隘路を利用した徹底的な防衛戦闘と、空軍の支援により、ダンケルク一帯は蟻一匹はいいる隙間すらなかった。
ドイツ軍が攻めあぐねている隙に、連合軍は着々と撤退を完了させていった。
爆撃や、海軍の襲撃によって多数の船舶や、そこに乗り込んだ兵員を失いながらも、連合軍は根気よく撤退作業を続けた。
その結果、最終的には30万人前後の兵士がイギリス本土へと撤退する事が完了した。
ドイツ軍に包囲されながらも粘り強く防戦を続け、ついには部隊の大半を撤退させることに成功した事は、「ダンケルクの奇跡」と呼ばれ、後々まで語り継がれる事になる。
また、困難な状況の中でも諦めず、希望を求めて戦う事は「ダンケルク・スピリット」と呼ばれ、連合軍に所属する多くの兵士たちの、心のよりどころとなっていくのだった。
と、
美談を語れば尽きないのだが、
実際には、それ程楽な話でもなかった。
ダンケルクから撤退する事に成功した連合軍だったが、その内実は惨めな物だった。
脱出には小型船舶が使用された関係から、彼等は身一つで逃げなければならなかったのだ。
当然、戦車やトラック、重砲と言った大型装備は完全放棄。中には爆破処理も間に合わず、ドイツ軍に鹵獲された物も少なくはなかった。
又、ドイツ海軍の襲撃により、1万人近い兵士がドーヴァーの荒波に飲まれる結果になったのも事実である。
更に、これからの事を考えると、頭の痛い話はまだある。
上述の通り、連合軍は殆ど着の身着のまま逃げてきたと言っても過言ではない。
当然、彼等を再び戦場に送り出すためには」、充分な休養を取らせたうえで、装備も整えてやらなくてはならない。
30万人分の装備を整え、兵站を確保し、再び戦力化しなければならないのだ。
しかも、ドイツ軍との戦争はまだまだ継続するのだ。その間に前線に送る武器、弾薬も生産しなくてはならない。
彼等が再び前線に戻るまで、いったいどれだけの時間が掛かるか、見当もつかなかった。
一方、
大魚を逃がした形になったドイツ軍。
当然ながら、ヒトラーの機嫌が良かろうはずも無く、静かな怒気を振りまき、周囲の人間を畏怖させた。
大言壮語の末、敵を取り逃がすと言う失態を犯したゲーリングは、ひたすらにヒトラーの機嫌を取るのに躍起になった。
ヒトラー自身、己の計算からゲーリングの提案に安易に乗ってしまったと言う負い目もあるのだろう。彼ばかりを責める訳にも行かず、ただ苛立ちを自分の中で募らせて行くのみだった。
もっとも、
何はともあれ、連合軍を大陸から追い出す事には成功した訳である。とにもかくにも、ドイツ軍の戦略的勝利である事は疑いなかった。
フランス敗北の理由。
それは、単純にして明快。
一言で言えば、マジノ線に対する過度な自信だった。
無敵の要塞を奉じ、ある種の信仰にも近い念を抱き、その強化、維持に国家予算が傾くほどの費用を注ぎ込んだ結果、戦車、航空機、そして艦船と言った、本来必要となる筈の、機動兵器の調達が大幅に遅れてしまった。
また、マジノ線方面に多数の戦力を張り付かせた結果、そちらの兵力が遊兵化してしまったことも大きかった。結局、マジノ線に配備された主力軍は、全く戦局に寄与しないまま終わってしまったのだ。
マジノ線はフランス軍にとって、確かに絶対の切り札だった。
しかし同時に、「唯一」の切り札でもあったのだ。
そのマジノ線が無力化された時、もはや彼等にできる事は何もなかった。
ダンケルクの戦いを終えたドイツ軍は、改めて全軍集結し、フランス首都パリへの進軍を再開した。
対して最早、フランス軍にはドイツ軍を止める力は存在していなかった。
主力軍はマジノ線から動けず、頼みの連合軍も大陸から追い出された。
後は首都周辺にいる少数の部隊を除けば、二線級の部隊ばかり。それらをかき集めても、ドイツ軍の精鋭を止める事は不可能なのは明白だった。
6月10日。
フランス政府は首都機能を南西のボルドーへ移転。パリは無防備都市宣言を出し、ドイツ軍に占拠されるに至る。
しかし、それでもドイツ軍の進撃は止まらない。
このままでは、フランス全土が鉤十字によって蹂躙されるのも時間の問題だった。
こうして、ドイツ軍の侵攻開始から1か月半が過ぎた1940年6月26日。
ついにフランス政府は、ドイツに対し休戦の申し入れを行う。
事実上の、降伏宣言だった。
これを受け、ドイツ全軍は進軍を停止。
協議の末、ドイツ側は、フランス側の休戦を受け入れる事とした。
休戦協定は、コンピエーニュの森にて行われた。
忘れもしない。あの第1次世界大戦における、休戦条約締結が行われた場所である。
ドイツ軍にとっては、敗北の屈辱を飲まされた因縁の地である。
このコンピエーニュが停戦協定の場所に選ばれたのは、正しく意趣返し以外の何物でもなかった。
わざわざ、博物館に飾られていた、当時、休戦協定調印に使われた列車の客車まで運んでこさせる念の入りようだった。
こうして、フランスの戦いは終わった。
フランスはペタン元帥を新たなる首班として、ヴィシー・フランス政府が発足。今後は枢軸側に立って戦う事となった。
一方で、イギリスに逃れたフランス軍は「自由フランス軍」を名乗り、祖国奪還に向けて戦って行く事となった。
かつて、第1次世界大戦の折、5年かけてついには攻め落とす事が出来なかったフランスを、ドイツは今回、1か月強で降伏に追い込んでしまった。
まさに、電撃戦の理想的完成形であり、空前の快挙であった事は間違いない。
だからこそ、だろう。
ほんの僅か。
目に見えない程度に、
歯車が狂い始めている事に、誰もが気付かなかった。
たった1つの判断ミスが、やがて連鎖的に崩壊を引き起こす事は歴史上、多々ある事である。
そんなひずみが起きている事に、ドイツ軍の誰もが、まだ気付いてはいなかった。
さらにもう一つ、懸念すべきことがある。
ドイツはイタリア王国と同盟を結んでおり、フランス侵攻の際、イタリア軍も東側からフランス領へと進行している。
しかし、その時期が、あまりにも宜しくなかった。
事もあろうに、イタリアがフランスに宣戦布告したのが、パリ陥落の4日前。事実上、フランスがドイツに対して降伏するか否か、協議している最中の事だった。
その為、イタリアは世界中から「瀕死の病人に宣戦布告した」などと非難を浴びる事になる。
それだけでも十分恥晒しなのに、更に恥を上塗る事態があった。
当時、フランス軍は当然ながら、対ドイツ戦略を重視し、ドイツ国境付近に戦力を集中させていた。その為、イタリア方面に配備されていたのは、フランス軍でも二線級の部隊だったのだ。
にもかかわらず、侵攻したイタリア軍主力は、この二線級の部隊相手に大苦戦を演じ、とうとう蹴散らされ、押し返されてしまう体たらく。
結局、ドイツ軍によってパリが陥落したからよかったものの、一歩間違えばドイツ軍の戦略をも破壊しかねない失態だった。
気まぐれな独裁者の誤断。
更には不甲斐ない同盟国。
問題は未だ表在化していないが、ドイツと言う巨大な身の内に、確かに内包され、暴発の時を待っているかのようだ。
だが少なくとも、今は何の問題も起きてはおらず、ドイツ人の誰もが、歴史的勝利に酔いしれているのだった。
2
ドイツ海軍第1艦隊がキール軍港へ帰りついたのは、まだ休戦協定が結ばれていない、6月初めの事だった。
結局、海軍の攻撃である程度、敵に損害は与えられたものの、撤退自体を阻止するには至らず、ダンケルクの戦いは不十分な結果に終わってしまった。
第1艦隊がテムズ川河口沖に突入し、恐らくは数1000単位で連合軍兵士を海に沈める事には成功したものの、それは結局、敵軍全体から見ればほんの数パーセントにすぎず、当初、ドイツ軍上層部が目論んだ「連合軍の殲滅」とは程遠い戦果でしかなかった。
殆ど、敵を全滅させるほどの損害を与えたにもかかわらず、最終的な戦果が少なくなったことには理由があった。
それは、イギリス軍が撤退に小型船舶を多用したことが原因だった。
そのせいで、10隻や20隻程度沈めたくらいでは、大した戦果にはならなかったのだ。
もし、ヒトラーが進撃停止命令を出さなければ、
当初予定していた通りの、海陸からのダンケルク包囲殲滅が成功していれば、
その結果として、連合軍が回復不能な打撃を蒙っていたら、
あるいは、損害に耐えかねたイギリスも、降伏を申し出てきた可能性は十分にあったのだが。
しかし、時を戻せない以上、事実として受け入れるしかなかった。
何はともあれ、フランスを降したことに変わりはない。
連合軍の最有力である一角を降伏に追い込んだ事で事実上、残る敵はイギリスのみとなった。
そのイギリスさえ倒す事が出来れば、戦いはドイツの勝利に終わるのだ。
「これで終わってくれれば良いんだけど」
桟橋への接岸指揮を執りながら、エアルが呟いた言葉を、傍らのシャルンホルストが聞いて振り返った。
「おにーさん、どうかした?」
「いや」
言いながら、エアルは首を振る。
大きな戦いの後だから、少し疲れているのかもしれない。そうでなければ、こんな気弱な考えは浮かばなかっただろう。
戦いが終わるならそれで良し。矛を収めるまで。
まだ続くのであれば、ドイツ軍人として責務を全うするまでだった。
「それよりシャル、体調は大丈夫? 調子悪いところとかない?
前回のノルウェー沖の時は、戦闘直後に倒れたシャルンホルスト。
今回も又、戦闘後に少し、体調を崩している。
その事を考えれば、油断はできなかった。
「うん、もう大丈夫だよ」
「そう・・・・・・なら、良いんだけど」
少し疑うような眼差しを少女に向ける。
恐らく、エアルが着任する以前から調子が悪い時が何度かあったのだろうが、シャルンホルストはそれを隠していた節がある。
どうにも、少女の言葉を鵜呑みにはできなかった。
そんなエアルの様子に、シャルンホルストは苦笑する。
「もうッ おにーさん、過保護すぎ。ゼナじゃないんだからさ」
「ゼナ・・・・・・グナイゼナウって、そんなに過保護なの?」
まあ、あの生真面目な性格からは、容易に想像できるのだが。
「そりゃ、もう、ひどい時は本気でベッドに縛り付けられた時もあったし」
それは・・・・・・
話を聞いて、エアルは呆れる。
それは何と言うか、グナイゼナウがどうこうよりも、そこまでしなきゃ止まらないシャルンホルストの方が、どうかしていると思える。
「それで、どうにかこうにか抜け出して遊びに行ったんだけど、帰ってきたら大目玉でさ。もう、あれは鬼だったね。鬼妹。ほんと怖かったんだから、あの時のゼナ」
~一方その頃~
「クシュンッ」
「どうしたゼナ、風邪か?」
「いえ、違うと思う、けど・・・・・・取りあえず、シャルは後でお仕置きね」
「何のこっちゃ?」
艦を桟橋に着けると、エアルとシャルンホルストは連れ立つ形で陸へと降り立った。
キールの港は相変わらずの喧騒に包まれており、活気が満ち溢れていた。
否、
いつも通りではない。
これまで見た事も無いほど、人々の発する熱が港全体を覆っているようだった。
「ふわッ!?」
質量を伴ったような熱気を前に、思わず声を上げるシャルンホルスト。
隣のエアルも、思わずむせ返るような錯覚に陥ってしまう。
「これは、すごいね」
思わず、そんな言葉が出てしまうほどだった。
近くの作業員を捕まえて、問いただしてみる。
いったい、何があったというのか?
「知らないんですかい? ついこの間、完成した新鋭戦艦が今、ここに寄港しているんですよ」
成程。
確かに、真新しい艦が来ているとなれば、このお祭り騒ぎも納得がいくと言う物だった。
ドイツ海軍は戦前から、エドワルド・レーダー元帥主導の下、「Z計画」と呼ばれる海軍再建計画を推し進めてきた。
しかし、開戦に伴い、計画の殆どは凍結されてしまっている。
ヨーロッパでの戦いは陸戦が主体となる為、陸上兵器や、それを支援する航空機の開発、量産がメインとなる。海軍にしても、一度に大量生産が可能な潜水艦や駆逐艦、水雷艇が建造の中心となり、戦艦のような大型艦は、優先度的に最後になってしまっている。
そんな中、戦前に起工し、完成間近と言われていた新型戦艦までは建造を認められ、工事が進められていたのだ。
どうやら、その艦が完成したらしい。
「元々はハンブルクで造られてたんですがね、最終的な仕上げはゴーテンハーフェンでやるらしいんで、その為の回航らしいですよ」
「どうもありがとう」
説明してくれた作業員に礼を言うエアル。
ゴーテンハーフェンとは、旧ポーランド領にあり、旧名はグディニャ港と言う。西ポーランド併合に伴い、現在はドイツ軍が改名して使用しているのだ。
確かに、ハンブルクは北海に面している事もあり、連合軍からの爆撃に曝される危険がある。
その点、旧ポーランド領のゴーテンハーフェンなら空襲の心配は低いし、何より水深が深い為、大型艦の停泊地としても適している。新型戦艦の最終艤装を行う場所としては最適だった。
それにしても、
ドイツ海軍の軍人として、新型戦艦の戦列加入は、心強い限りだった。
今まではシャルンホルスト級巡洋戦艦の2隻がドイツ海軍最強として、水上砲戦部隊の主力を務めてきたが、やはり巨砲を有するイギリス戦艦を相手にした場合、砲力不足は否めない。
その点で行けば、新型戦艦は完成すれば、イギリスが持つどの戦艦をも圧倒しうる性能を持つとか。
主力は新型戦艦が務め、シャルンホルスト級巡戦はそのサポートに回る。と言うのが理想的な形だった。
と、
思案にふけっていたエアルの手が、急に強く引かれた。
「わッ!? ちょっとシャルッ!?」
自分の手を思いっきり引っ張って走るシャルンホルストに、驚いて声を上げるエアル。
対して、シャルンホルストは首だけで振り返って笑顔を見せる。
「おにーさんッ 悩んでいるくらいなら会いに行こうよ!!」
「いや、会いにって・・・・・・そもそも、俺は悩んでいたわけじゃッ てか、シャル、足速いって!!」
「ほら、早く早く!!」
抗議するエアルを他所に、シャルンホルストは駆ける足を止めない。
そう言えば、
最近の病弱騒動で忘れがちだったが、この巡戦少女が意外にアグレッシブな行動系少女だったのを思い出す。
「ちょッ シャル、だから危ないって、いきなり走ったらッ」
「大丈夫、大丈夫ッ」
言った瞬間、
「わわッ!?」
言わんこっちゃない、とでも言うべきか、
段差に躓いて、前のめりに倒れるシャルンホルスト。
そのまま少女は、顔面から地面に突っ込みそうになる。
だが、
「おっと」
つんのめる少女の腕を、エアルはとっさに掴んでいた腕を引っ張って助け起こす。
そのままの勢いで、少女の華奢な体は、青年艦長の腕に抱きとめられる形になった。
一瞬、
女の子特有の、甘い香りがエアルの鼻腔をくすぐる。
次いで、少女の柔らかい感触が、抱き留めた腕に伝わってきた。
エアル自身、決して大柄なほうではないが、シャルンホルストの体は青年よりもさらに小さく華奢である為、抱き留めれば、その体はすっぽりと腕の中に納まってしまった。
「お、おにーさん?」
シャルンホルストの声に、我に返るエアル。
見れば、少女が戸惑った顔で、こちらを見上げてきていた。
頬がわずかに朱に染まり、目が潤んだように見える。
一方のエアルも、僅かに頬を染めている。
艦娘とは言え、相手は女の子である。
抱き留めた時に感じたふんわりした匂いが、脳を優しく包む。
少女特有の柔らかい体の感触が、掌に伝わってくる。
正直なところ、いつまでもそうしていたいとさえ、思ってしまう。
「あ、ご、ごめん」
慌ててシャルンホルストを放すエアル。
シャルンホルストの方も、どこか気まずげに視線を逸らす。
「と、とにかく、慌てなくても新型艦は逃げたりしないから、ゆっくり行こう」
「う、うん。そうだね」
頷く、エアルとシャルンホルスト。
しかし、どうにも気まずい空気が、2人の間に流れるのは避けられなかった。
本部で見学許可を取り、新造戦艦が係留されている区画へと立ち入る、エアルとシャルンホルスト。
警備兵に挨拶をして中へと入る、すぐにその戦艦が姿を現した。
一目見た瞬間、エアルが感じた言葉は「剛健」だった。
どちらかと言えば細身で、やや華奢な印象があるシャルンホルスト級巡洋戦艦に比べ、全長、横幅、双方において勝っており、明らかに一回りは大きい。
艦橋構造物はシャルンホルスト級に酷似しているが、こちらも大きく、その事も、この艦の巨大さを表しているかのようだった。
主砲は連装砲塔が、前部に2基、後部に2基、計8門装備されている。
正に「鋼鉄の城」と言った印象がある。
「うわー・・・・・・」
新型戦艦を見上げたシャルンホルストが、エアルの隣でポカンと口を空けている。
「自分」より大きな戦艦を間近で見るのは初めてなのだろう。思わず言葉も出ないようだ。
「おっきいねー おっきいねー」
もう、それしか無いらしい。
戦艦「ビスマルク」
ドイツ海軍が威信にかけて建造した最新鋭戦艦であり、ビスマルク級戦艦の1番艦。
帝政時代のドイツ発展に尽力した名宰相「オットー・フォン・ビスマルク」に因んでいる。
その卓抜した政治力と指導力から皇帝から絶大な信頼を寄せられた。
辣腕振りは国民に広く知れ渡り「鉄血宰相」の異名で呼ばれた人物である。
戦艦「ビスマルク」は、鉄血宰相の名に恥じる事無く、威風堂々とした姿を海上に浮かべていた。
基準排水量4万1700トン、全長251メートル、全幅36メートル。
シャルンホルスト級巡洋戦艦より明らかに一回り大きい巨体を誇りながら、最高速度はほぼ変わらない30・8ノット発揮可能。
主砲は47口径38センチ砲連装4基8門。
当然、防御力も相応に強化されている。
これまで世界最大の戦艦は、イギリス海軍の巡洋戦艦「フッド」であった。
しかし「ビスマルク」は、そのフッドをも上回り、名実ともに世界最大の戦艦となっている。
まさに、攻防走の三拍子揃った、ヨーロッパ最強戦艦と呼ぶにふさわしかった。
「おや、あなた達は?」
呼びかけに対し、振り返る。
スラリと高い背に、流れるような金髪。
鋭い眼差しは、中世の女騎士を連想させる。
長い手足と均整の取れたプロポーションを軍服で包んでいる。
美しさと精悍さを併せ持つ女性だった。
「ああ、ごめん。一応、許可は貰ったんだけど」
言いながら、エアルは女性に対して敬礼する。
「ドイツ帝国海軍第1戦闘群旗艦『シャルンホルスト』艦長、エアル・アレイザー中佐。こっちは旗艦艦娘のシャルンホルスト」
「こ、こんにちはー」
慌てた様子で、傍らのシャルンホルストが敬礼する。
普段やり慣れていないせいか、ちょっと手の角度が変だった。
対して、
相手の女性も、背筋を伸ばして敬礼する。
「失礼した。ドイツ海軍、戦艦ビスマルクだ。竣工前だから所属はまだ無いが、よろしく頼む」
そう言って、ビスマルクは笑う。
「『シャルンホルスト』の活躍は、私も聞き及んでいる。ラプラタ沖やノルウェー沖の英雄に会えて光栄だ」
「英雄って、そんな」
「いやー それ程でも」
揃って顔を赤くしながらそっぽを向く、エアルとシャルンホルスト。
そんな2人の様子に、ビスマルクはクスッと笑うと、シャルンホルストに向き直った。
「会えて、本当にうれしく思う。いつか、あなたと一緒に戦えることを楽しみにしているわ」
「あ、う、うん」
差し出されたビスマルクの手を、戸惑い気味に握るシャルンホルスト。
その様子を、エアルは微笑ましそうに眺めているのだった。
「ビスマルク」の戦線加入は、間違いなくシーパワーのバランスを揺るがす事になる。
エアルは歩きながら、今後の情勢について思案を巡らせる。
エアルの記憶にある限り、イギリス海軍には「ビスマルク」に単独で勝てる戦艦は存在しない。
今までドイツ海軍は、イギリス海軍主力との正面からの激突は徹底的に避けて来た。
大規模戦闘になったノルウェー沖海戦ですら例外ではない。あの時も、ひたすら策を用いてイギリス艦隊の隊列を分断し、最終的に各個撃破に持ち込んだのだ。
其れはひとえに、イギリス海軍の戦艦に、対抗可能な戦艦がドイツには無かったからに他ならない。
しかし「ビスマルク」がいてくれたら、その心配も無くなる。
自分達は正面から、イギリス艦隊に挑む事も出来るようになるのだ。
場合によっては、これからますます戦いは激しくなるだろう。そんな中で、最強戦艦である「ビスマルク」の存在は大きかった。
と、
「・・・・・・美人だったよね」
「・・・・・・は?」
突然、ボソッと、傍らを歩くシャルンホルストが呟く。
振り返るエアル。
巡戦少女はと言えば、こちらを振り返る事無く、どこか虚ろな目をしていた。
「美人だったよね、ビスマルク」
「あ、うん・・・・・・そうだね」
いきなり何を言い出すのか。
戸惑うエアル。
そこでふと、何かを思い立ったように巡戦少女へ尋ねた。
「もしかして、羨ましいの?」
「はあッ!? べ、別に、そんなこと思ってないよ!! ただ、髪があんなに長くて金色で綺麗で、さらさらで、手も足も長くて、背も高くて、顔も格好良くて、オマケに、おっぱいもおっきかったなあ、くらいにしか思ってないんだから!!」
「・・・・・・めちゃくちゃ、羨ましいんだね」
ていうか、最後のコメントには、男としてどう対応すれば良いのか悩む所である。
「そうだね」などと同意しようものなら、目の前の少女が臍を曲げることは間違いない。
さりとて「そんな事無かったよ」などと言おう物なら、即座に嘘をついているとばれてしまう。
全く持って、女性の胸部装甲問題はデリケート過ぎて、男には手出ししづらい側面が大きかった。
代わりにエアルは、笑顔を少女に向けて行った。
「シャルだって可愛いよ」
「え?」
突然のエアルの言葉に、思わずシャルンホルストは思わず振り返る。
構わず、エアルは続けた。
「確かにビスマルクは美人だったけど、シャルだって十分可愛いんだから。その点は負けてないと思うよ」
「ほ、ほんと、おにーさん?」
「勿論。嘘なんかつかないさ」
褒められて、顔を赤くするシャルンホルスト。
どうやら、悪い気はしていないらしい。
「そっかー 可愛いかー ボクが」
顔の形が崩れそうなほどにニヤける少女。
だが、
そこでハッと、我に返る。
「ってッ!? それって要するに、ボクがチンチクリンって事だよね!!」
「へ? いや、そんなつもりは・・・・・・・・・・・・」
言われて、エアルは自分の言動を振り返る。
確かにビスマルクの事を語る時は「美人」と称したが、シャルンホルストを誉める時は「可愛い」と言った。
普通、可愛いと言う表現は一部の例外を除いて、目下や年下の人間に対して使う物。
そこから考えれば、確かにシャルンホルストとビスマルクに対する誉め言葉を、無意識のうちに使い分けていたのかもしれない。
「もーッ!! おにーさんのバカー!!」
「ちょっ シャル!?」
プンスカと、怒りまくる少女。
そんな姿もまた、「可愛らしい」と思えるのだが、
結局その日、完全にへそを曲げてしまったシャルンホルストを宥めるのに、青年艦長は一苦労するのだった。
だが、
そんなエアル達を、予期せぬ事態が襲う事になった。
キールへ帰還してから数日後の事。
その報せを受けた時、エアルも、そしてシャルンホルストも、驚きを隠せなかった。
「か、解任ッ!?」
「えッ!? ちょッ!? どういう事なの、提督ッ!?」
血相を変えて、マルシャルに詰め寄る、エアルとシャルンホルスト。
対して、当のマルシャルはと言えば泰然としたままの態度を崩さずにいる。
「どうもこうもない。海軍本部からの正式な命令である以上、従わない訳にはいくまい」
淡々とした口調のマルシャル。
表面上は、事実を受け入れているかのようにも見える。
しかし、その内面においては忸怩たるものがあるのだろう。
つい数刻前、「シャルンホルスト」に届けられた命令書。
それは、ラインハルト・マルシャル大将の第1戦闘群司令官解任と、海軍司令部への出頭命令だった。
「多分、前回の戦いの事だろう。あれが決定打だったのは間違いない」
前回、ダンケルクの戦いにおいて、マルシャルは命令違反を犯している。
ダンケルク沖に突入を命じた海軍司令部の命令を無視して、敵船団の補足、撃滅に目標を変更している。
「だって、あの時は、しょうがなかったじゃん!!」
食って掛かるシャルンホルスト。
確かに、あの時は上級司令部、もっと言えば(これはドイツ国内では口が裂けても言えないが)ヒトラーの判断ミスにより突入時期を逸していた。
あのまま突入していたとしても戦果は上がらなかったばかりか、却ってドイツ艦隊が大損害を喰らって敗走していた可能性すらある。現場判断で目標を変更したマルシャルの好判断だったと言える。
だがそれでも、海軍司令部からすれば、マルシャルの判断は容認できない物であるらしかった。
とは言え、実際の所を言えば、今回のマルシャル解任には、政治的な意図に拠るところが大きかった。
今回、ダンケルクに突入しようとする第1艦隊の行動に「待った」を掛けたのは、空軍のヘルムート・ゲーリング元帥だった。
そのせいで突入時期を逸し、連合軍を取り逃がす結果となった。
だが、事もあろうにゲーリングは、この非を認めようとせず、事もあろうに海軍に責任を押し付けてきたのだ。
曰く「自分たちの攻撃に不備は無かった。しかし、海軍の援護が適切ではなかった為、結果的に敵を取り逃がす事になった。もし、海軍が予定通りダンケルク海岸を封鎖していたら、我が精強無比なる空軍兵士達は必ずや連合軍兵士を一兵残らず殲滅しおおせた事、疑う余地はない。本作戦が失敗に終わったのは全て、海軍の怠慢にこそ責任がある」。
との事だった。
本来であれば、そのような無茶な論理が通る筈もない。
しかし、主張しているのは何といっても、ナチスナンバー2のゲーリングである。
党の内外にいくつものパイプを持つゲーリングは、その政治力をいかんなく発揮して海軍に責任を押し付けてきたのだ。
こうなると、海軍も聊か旗色が悪くなる。下手をすると、上級司令部が責任を問われる事になりかねない。そうなる前に、誰かに責任を取らせなくてはならない。
そのスケープゴートが、マルシャルと言うわけである。
事情はどうあれ、マルシャルが命令違反を犯した事実は間違いない。海軍としても、切り捨てるのに都合が良かった、と言うわけである。
「仕方ないさ」
シャルンホルストを宥めつつ、マルシャルは肩を竦める。
「事実だけを見れば、私は確かに命令違反を犯している。それについて、誰かが責任を取らなければいけないのなら、それは私であるべきだ」
責任者は責任を取る為にいる。
ドイツ軍は信賞必罰に厳しい組織だ。
無論、いきなり処刑などと言う事態にはならないだろうが、マルシャルが今後、戦局とは直接関係ない部署に左遷させられる事は十分に考えられる事だった。
「それとな、艦長」
シャルンホルストから遠ざかるようにして、マルシャルは声を潜めるとエアルに向かって言った。
「シャルの事だ」
「シャルが、どうかしました?」
チラッと、少女の方に視線を向ける。
今もプンスカ起こっている彼女を、副長のヴァルターが、苦笑しながら宥めている様子が見て取れた。
「彼女の身体の事について、どこまで当てになるか分からないが、司令部に要望を出しておいた」
「あ・・・・・・」
シャルンホルストは体が弱い。
普段、割とアクティブな行動が多いから忘れられがちだが、激しい戦闘が行われた後は、体調を崩す事がある。
それは艦娘としての彼女自身ではなく、艦体としての「彼女」の方に問題があり、医者に見せた所でどうなるものではない。せいぜい、苦痛が緩和し、症状がある程度改善される程度。根本的な解決にはならない。
その事は、マルシャルにも判っている筈である。
「どこまでできるかは未知数だが、私の方でも手を打っておいた。そちらは後は君が対応してくれ」
「ありがとうございます」
そう言って、頭を下げるエアル。
マルシャルは頷くと、最後にシャルンホルスト頭を軽く撫で、艦を降りていく。
後には、見送るエアルとシャルンホルストだけが残された。
「行っちゃったね、提督」
「うん」
寂寥感と共に、呟きを漏らす。
エアルは思う。
もし、
責任を取らされたのが、マルシャルじゃなく自分だったら?
自分が、この艦を降りる事になったら?
そうなると当然、シャルンホルストとは別れなくてはならなくなる。
「それは、イヤだな・・・・・・・・・・・・」
隣の少女に聞こえないよう、口の中でそっと呟く。
シャルンホルストと別れる日が来る。
それを想像するだけで、自分の中に言いようのない不安感が募るのを、エアルは抑えられなかった。
と、
隣のシャルンホルストが、そっと、エアルの手に自分の指を絡めてきた。
「シャル?」
「おにーさん・・・・・・おにーさんは、どこにも行かないで」
どこか潤んだ瞳で、見上げてくるシャルンホルスト。
捨てられた迷い子のように、寂しげな瞳を向けてくる。
ああ、そうか。
唐突に、エアルは悟る。
この子も又、自分と同じ気持ちなんだ。
そう思うと、胸の内が温かくなるようだった。
「大丈夫。俺はどこにも行かないから、ね」
「・・・・・・・・・・・・うん」
エアルの言葉に対し、
シャルンホルストは安心したように、微笑むのだった。
第18話「君と繋ぐ」 終わり