蒼海のRequiem外伝 ~北天の流星~   作:ファルクラム

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第1話「史上最大の海戦」

 

 

 

 

 

 

 

 

 波濤を切り裂いて、巨大な艨艟の群れが征く。

 

 一つの国家が、その威信にかけて築き上げた大艦隊。

 

 その圧倒的な光景は、見る者を震わせて止まない。

 

 マストに雄々しくはためくのは、翼を広げた鷲に鉄十字の紋章が描かれた軍艦旗。

 

 ドイツ帝国大海艦隊所属艦を表す旗だ。

 

 今この海域に、ドイツ大海艦隊のほぼ全戦力が集結していた。

 

 その中の1隻に、巡洋戦艦「デアフリンガー」の姿もあった。

 

 デアフリンガー級巡洋戦艦の1番艦であり、ドイツの巡洋戦艦としては最新鋭に当たる。

 

 常備排水量2万6600トン、主砲は45口径30・5センチ砲連装4基8門。速力は、この時期に活躍した戦艦としては破格の27ノット発揮可能。

 

 巡洋戦艦らしく、細い船体が優美な外見を齎していた。

 

 鋭い艦首は、荒い北海の海面を切り裂き、真っすぐに前へと進み続けていた。

 

 その艦橋に立つ、ウォルフ・アレイザー中佐は、手にした双眼鏡を胸に下げながら、真っすぐに前方を見据えている。

 

 荒天により海面は波立ち、艦橋も上下に揺れる中、しかしウォルフは小動すらせず、直立不動を保つ。

 

 そこへ、通信室から報告が上がる。

 

「偵察艦より入電ッ 『敵艦隊発見。艦隊よりの方位2-1-0!! 速力、約16ノット』!!」

「来たか」

 

 報告を聞き、低い声で呟く。

 

 いよいよだ。

 

 口元には、自然と笑みが浮かべられる。

 

 感じる震えは、恐怖からくるものではない。

 

 これから始まる、史上最大の戦い。

 

 その大いなる決戦を前に、興奮を隠しきれずにいた。

 

 そこでふと、

 

 ウォルフは自身の傍らを振り返る。

 

 そこに佇む少女。

 

 年の頃は、10代後半程だろうか?

 

 灰色と黒を基調とした海軍の士官服に、ミニスカートを穿いている。

 

 すらりと長い手足に、スレンダーな体つき。

 

 整った顔立ちは、双眸が僅かに吊り上がっている。

 

 長い金髪をストレートに流した美しい少女だ。

 

「緊張しているかテア?」

 

 テアと呼ばれた少女。

 

 この艦の、化身たる少女に対し、ウォルフは優しく声をかける。

 

 対して、

 

 少女は無言のまま振り返ると、首を横に振った。

 

「さっきまでは、少し。けど、今はもう、大丈夫」

 

 言ってから、少女はウォルフに笑いかける。

 

「あなたが一緒にいてくれる。だから、何も怖くはない」

 

 そう言われて、ウォルフは少し照れたように、テアから視線を外した。

 

 その時だった。

 

「旗艦『リュッツォウ』より入電ッ!! 『全艦、戦闘配置、最大戦速即時待機』!!」

 

 いよいよ、敵艦隊が間近へと迫っているのだ。

 

「準備は良いな?」

「ええ、勿論」

 

 ウォルフの言葉に、テアもまた頷きを返す。

 

「勝って帰りましょう。あの子の為にも」

 

 

 

 

 

 1914年。

 

 かねてから緊張状態が続いていた、ドイツ、オーストリア、オスマンを主軸とする中央軍事同盟と、イギリス、フランスを中心とした協商国との対立は、サラエボで起きたオーストリア大公暗殺事件、所謂「サラエボ事件」を機に、一気に両陣営の軍事衝突へと発展した。

 

 世に言う「第1次世界大戦」である。

 

 侵攻するドイツ軍に対し、フランス軍を中心とした連合運は塹壕戦等、徹底した防衛戦略で対抗する。

 

 攻め寄せる同盟軍を撃退し続ける連合軍。

 

 一方のドイツ軍も、連合軍の戦略に習い塹壕戦を展開。

 

 戦いは、当初から一進一退の、泥沼の様相を呈し始める。

 

 そんな中、膠着状態を打開すべく、ドイツ帝国海軍は大規模な軍事行動を起こした。

 

 当時、北海周辺の制海権はイギリス海軍が掌握していた。

 

 世界第1位の戦力を誇るイギリス海軍が相手では、ドイツ海軍と言えど、正面からの激突は分が悪い。

 

 一方のイギリス海軍も、高性能艦を多数有するドイツ海軍の事を警戒していた。

 

 その結果、双方ともに積極的な攻勢を控えて主力艦隊を温存しつつ、ドイツ海軍は潜水艦や軽快な中・小型艦艇を用いた通商破壊戦を展開、イギリス海軍は商船を守るために海上護衛部隊を強化。

 

 両軍は小競り合いを繰り返す事になった。

 

 しかし、そんな中で、陸の戦況が膠着状態となってしまった。

 

 ドイツ軍としては、早急にイギリス海軍を撃滅し、新たなる補給線を海上に確保する必要が生じた。

 

 1916年5月30日早朝。

 

 ドイツ海軍は、ほぼ全艦隊が港を出撃。進路をイギリス本土へと向けた。

 

 目的は、イギリス海軍主力艦隊の捕捉、撃滅。

 

 これに対し、イギリス海軍も偵察情報から一早くドイツ海軍の動きを察知。主力全艦隊を迎撃に向かわせる。

 

 両艦隊は翌31日の正午、デンマークのユトランド半島沖にて激突した。

 

 ドイツ海軍は、戦艦22隻、巡洋戦艦5隻、軽巡洋艦11隻、水雷艇61隻、合計99隻

 

 イギリス海軍は、戦艦28隻、巡洋戦艦9隻、装甲巡洋艦8隻、軽巡洋艦26隻、駆逐艦78隻、機雷敷設艦1隻、水上機母艦1隻。合計151隻。

 

 両軍合わせて250隻の大艦隊。

 

 これほどの大規模な艦隊が、かくも狭い海域で激突するのは、後にも先にもこれ1回のみ。

 

 今、ここに、

 

 史上最大の海戦、「ユトランド沖海戦」が幕を上げた。

 

 

 

 

 

 戦いはまず、両軍の高速艦隊が先行する形で激突した。

 

 ドイツ海軍総司令長官シェアは、隻数的に自軍の不利を認識していた。

 

 その為、一計を案じる。

 

 すなわち、高速艦隊で敵に一当てし、しかる後、味方の主力艦隊が展開する海面に敵高速艦隊を誘致。各個撃破、包囲殲滅する作戦だった。

 

 巡洋戦艦「デアフリンガー」は、ドイツ艦隊次席指揮官ヒッパー提督率いる偵察艦隊の2番艦に位置し、全主砲を接近してくるイギリス艦隊へと向ける。

 

 一方、イギリス艦隊もビーティ提督率いる巡洋戦艦部隊を先鋒にして迫りくる。

 

 両艦隊共に、主力である巡洋戦艦は単縦陣を敷き突撃する。

 

 互いに北上する形となり、ドイツ艦隊が東側、イギリス艦隊が西側に陣取って同航戦の構えを見せる。

 

「旗艦、発砲まだかッ!?」

「まだ、確認されません!!」

 

 ウォルフの問いかけに、見張り員が双眼鏡を覗きながら答える。

 

 艦隊は司令官が座乗する旗艦が発砲しない限り、他の後続艦が射撃する事はできない。

 

 ヒッパー提督が座乗ずる巡洋戦艦「リュッツォウ」は、未だに発砲せず、主砲は沈黙を守っていた。

 

 その間にも、距離は急速に迫っていく。

 

 ウォルフが、テアが、「デアフリンガー」に乗る全ての乗組員が緊張した面持ちで時間が過ぎて行く。

 

 じりじりとした緊張感が、身を焦がしていくような感覚。

 

 時間の流れが、ひどく遅く感じる。

 

 やがて、両者の距離が、1万8000まで迫った瞬間、

 

 遠雷のような音が、海面を圧して鳴り響いた。

 

「旗艦、発砲を確認!!」

 

 見張り員からの声が響く。

 

 待ちに待った瞬間が訪れる。

 

 ウォルフとテア。

 

 共に、視線を交わす。

 

 次の瞬間、

 

「撃ち方始め!!」

 

 鋭い声と共に、振るわれる右腕。

 

 命令を受けた砲術長が、引き金を引いた。

 

 鳴り響く轟音。

 

 「デアフリンガー」を巡洋戦艦たらしめる象徴とも言うべき主砲、30・5センチ砲8門が、一斉に火を噴いた。

 

 更に、後続する3隻の巡洋戦艦「ザイドリッツ」「モルトケ」「フォン・デル・タン」も砲撃を開始した。

 

 やや遅れて、イギリス艦隊も砲撃を開始した。

 

 両者、互いに砲弾の応酬が交わされ、海面を攪拌するように、水柱が立ち上る。

 

 しかし、ドイツ艦隊もイギリス艦隊も、共に有効弾がなかなか得られない。

 

 ドイツ艦隊からすれば、ここで相手を殲滅する事が目的ではなく、あくまで主力艦隊の射程圏内に敵を引き込むことが目的である。それ故、高速で機動しながら撃っている為、なかなか砲弾が命中しないのだ。

 

 それは、ウォルフが指揮する「デアフリンガー」も同様だった。

 

「意外に当たらない物だな」

「実戦となるとなかなか、ね」

 

 嘆息交じりのウォルフの言葉に、テアも苦笑を返す。

 

 訓練は十分に積んでいるが、実戦では不確定要素が増える事になる。

 

 砲弾を撃って、すぐに当たると言う訳にはいかなかった。

 

 その時だった。

 

「旗艦より信号!!」

 

 見張り員の報告を受け、ウォルフとテアは、すぐに双眼鏡を目に当てる。

 

 見れば確かに、「リュッツォウ」のマストに、新たな信号旗が上がっているのが見えた。

 

 同時に、「リュッツォウ」自身も、砲撃を行いながら右に回頭していくのが見える。

 

 ヒッパー提督は、イギリス艦隊を引き付ける事に成功したと判断し、作戦開始を決断したのだ。

 

 その様子を受け、ウォルフは命じた。

 

「面舵一杯ッ 旗艦に続行せよ!!」

「了解ッ 面舵一杯!!」

 

 ウォルフの命令を受け、舵輪が回される。

 

 暫く直進したのち、艦首を右に振る「デアフリンガー」。

 

 左舷側に見えていたイギリス艦隊が、徐々に艦尾側へと移動していく。

 

 更に、後続する艦隊も、「デアフリンガー」に倣って、右へと回頭する。

 

「イギリス艦隊の様子はどうだッ!?」

 

 これで、相手がこちらの動きに乗ってくれば、作戦は成功なのだが。

 

 緊張が続く中、

 

「敵艦隊回頭!! 我が艦隊を追撃する模様!!」

 

 その報告に、

 

 期せずして「デアフリンガー」の艦橋に、歓声が上がる。

 

 イギリス艦隊は乗ってきた。こちらの誘いに応じ、追撃戦を仕掛けてきたのだ。

 

「勝ったな」

「ええ。私達の、勝ちです」

 

 ウォルフの言葉に、テアも頷きを返す。

 

 やがて、両艦隊共に180度回頭を終え、先程までは北に進んでいた艦隊が、今度は南に進みながら、再び同航戦で砲撃を再開する。

 

 その頃になると、流石に両軍とも、命中弾が増え始めていた。

 

 まず、ドイツ艦隊旗艦「リュッツォウ」が、イギリス艦隊旗艦である巡洋戦艦「ライオン」に命中弾多数を浴びせ大破させる。

 

 黒煙を引きながら、隊列から脱落していく「ライオン」。

 

 撃沈には追い込めなかったものの、旗艦が脱落した事で、イギリス艦隊の指揮に乱れが生じた。

 

 直ちに、2番艦「クイーン・メリー」の艦長が、艦隊の指揮を引き継ぐ。

 

 だが、

 

 その「クイーン・メリー」を狙っていたのは、

 

 ドイツ艦隊の2番艦に位置する「デアフリンガー」だった。

 

 既に、数度の砲撃で弾着修正は済んでいる。

 

 次は当たる。

 

 その想いが、ウォルフとテアとの間で繋がる。

 

「撃てッ!!」

 

 撃ち放たれる、8発の30・5センチ砲弾。

 

 山なりの弾道を描いて飛翔する砲弾。

 

 そのうちの2発が、

 

 「クイーン・メリー」の甲板装甲を貫通。

 

 更に中甲板も突き破り、第2砲塔の弾薬庫へと飛び込むと、そこで炸裂したのだ。

 

 静寂の一瞬、

 

 次の瞬間、

 

 巨大な火柱が、「クイーン・メリー」の甲板を突き破って立ち上り、そのまま巡洋戦艦特有の細い艦体を前後に引き裂いた。

 

 無惨な姿は、すぐに立ち込める黒煙によって覆いつくされ見えなくなる。

 

 だが、

 

 疑う余地はない。

 

 「デアフリンガー」の砲撃によって「クイーン・メリー」が轟沈したのだ。

 

 湧き上がる歓声。

 

 ライバルであるイギリス海軍の、それも主力である巡洋戦艦の撃沈。

 

 誰もが、嬉しくないはずがなかった。

 

 そんな中、

 

「ウォルフッ!!」

「やったな、テア!!」

 

 ウォルフとテアがそっと、互いの手を絡ませた。

 

 旗艦の脱落に続き、2番艦の轟沈により、イギリス艦隊の混乱は頂点に達しつつあった。

 

 更に、

 

 イギリス艦隊の後方で、爆炎が躍った。

 

「敵5番艦、轟沈!!」

 

 ドイツ巡洋戦艦「フォン・デル・タン」の砲撃を受けたイギリス巡洋戦艦「インディファティカブル」が、先の「クイーン・メリー」同様に、弾薬庫を撃ち抜かれて爆沈したのだ。

 

 「インディファティカブル」は基準排水量1万8000トン、「クイーン・メリー」に至っては2万6000トンにまで達する。

 

 そのような巨艦が、相手も戦艦とは言え、ただの一撃で轟沈する様は、悲劇としか言いようがなかった。

 

 理由はある。

 

 実はこの時期の世界各国の海軍においては、巡洋戦艦の装甲、特に水平防御(甲板部分)の装甲は、あまり重視されていなかった。

 

 この傾向は特にイギリス海軍に根強く、「速力は防御力の代わりになる」と言う思想が信じられていたのだ。

 

 これは、あながち根拠の薄い話ではなく、これまでの戦いにおいては砲戦距離は近距離で行われるため、放たれた砲弾は概ね低軌道を描て飛翔し、垂直装甲(舷側部分)に命中する事になる。その為、垂直装甲さえしっかりとしていれば、水平装甲は可能な限り薄く作られる事が多かったのだ。

 

 しかし技術は時に急速に進歩する事がある。

 

 主砲の仰角が引き上げられる事で射程が伸び、更に遠距離でも安定した砲戦が可能な射撃指揮装置も開発された事で、以前よりも砲弾の飛距離が伸びた。それと同時に、砲弾は山なりに飛翔して、敵艦の甲板(水平装甲)に当たる事も多くなったのだ。

 

 これにより、ドイツ巡戦の砲弾は脆弱なイギリス巡戦の水平装甲を、いともあっさりと貫通してしまったのだ。

 

 対して、イギリス艦隊も果敢に反撃を行い、ドイツ巡戦へ命中弾を叩き込む。

 

 しかし、ドイツ海軍はこれまでの戦訓を鑑み、主力巡洋戦艦の防御力を向上させる工事を施していた。

 

 その為ドイツ艦隊の各巡戦は、多数の命中弾を喰らいながらも、全艦が戦闘航行可能な状態を保持していた。

 

 「デアフリンガー」もまた、敵艦からの命中弾を受けたが、主砲、機関ともに健在だった。

 

「テア、大丈夫か?」

「え、ええ。このくらいなら、まだ・・・・・・」

 

 問いかけるウォルフに、テアは気丈に答える。

 

 艦の化身たる彼女には、艦体が受けたダメージがそのままフィードバックする事になる。

 

 いかに艦体が健在とは言え、彼女自身が苦しくないはずがなかった。

 

 それでも尚、テアは怯む事無く艦橋へ立ち続けた。

 

「目標ッ!!」

 

 その間にウォルフが、主砲に新たな目標を指示する。

 

 巡洋戦艦部隊が壊乱状態にあるイギリス艦隊は、足の速い装甲巡洋艦部隊で距離を詰め、火力を補おうと試みていた。

 

 そのうちの1隻に、「デアフリンガー」の照準が向けられる。

 

「撃てェ!!」

 

 ウォルフの命令と共に、撃ち放たれる主砲。

 

 砲弾は、不用意に接近してきた装甲巡洋艦「ディフェンス」の薄い舷側をあっさりと突き破り、艦内に踊り込む。

 

 再び、先程の「クイーン・メリー」同様の光景が現出する。

 

 「デアフリンガー」の砲弾が弾薬庫を撃ち抜き、これを爆砕したのだ。

 

 爆炎を上げて、海上に停止する「ディフェンス」。

 

 戦況は、明らかにドイツ艦隊有利に進みつつあった。

 

 イギリス艦隊は巡洋戦艦2隻をはじめ、既に複数の艦が沈没している。

 

 対して、ドイツ艦隊は損傷を負った艦こそいるが、未だに沈没艦は無い。

 

 このままなら勝てる。

 

 ドイツ海軍の誰もが、そう思い始めていた。

 

 そして、

 

 更なる朗報が舞い込む。

 

「本艦の方位280度に艦隊確認ッ 味方です!!」

 

 歓喜に包まれた声が響き渡る。

 

 見れば確かに。

 

 マストに雄々しく鉄十字をはためかせ、多数の艦隊が向かってくるのが見える。

 

 先頭を進むのは、ドイツ艦隊総旗艦「フリードリッヒ・デア・グロッセ」。

 

 シェア提督率いる、ドイツ艦隊本隊が戦場に到着したのだ。

 

 高速艦隊を利用し、味方の主力艦隊の下へ敵を引き付けると言うドイツ艦隊の作戦が、成功した瞬間だった。

 

「やったな」

「ええ。これで、私達の勝ちです」

 

 ウォルフの言葉に、テアもボロボロになりながら頷く。

 

 これで勝った。

 

 後は、イギリスの高速艦隊を全戦力で包囲殲滅。その後に現れるであろう、イギリス主力艦隊を火力で圧倒すれば、この戦いはドイツ海軍の勝利となる。

 

 誰もが、そう思っていた。

 

 まさか、

 

 その勝利に影が差す事になろうとは、誰も思ってはいなかった。

 

 突如、

 

 多数の砲弾が、ドイツ巡洋戦艦部隊を取り囲むように降り注いだ。

 

 激震に揺れる艦体。

 

「何事だッ!?」

 

 どうにか倒れまいとして、窓枠に掴まりながら叫ぶウォルフ。

 

 他の艦橋要員や、テアたちはその場に転倒しているのが見えた。

 

 その時、

 

「方位13度に、新たなる艦影ありッ 敵艦隊です!!」

 

 それは、悪夢のような報告だった。

 

 見れば確かに、ホワイトエンサインをマストに掲げた艦隊が、真っすぐにこちらへ向かってくるのが見える。

 

 ジェリコー提督率いるイギリス艦隊の本隊だった。

 

 まったくの偶然だが、両軍の総指揮官であるシェアとジェリコーは、同様の作戦を立てていた。

 

 シェアがヒッパーの巡洋戦艦部隊を使用して味方艦隊の射程圏内に引き込もうとしたのと同様、ジェリコーもまた、ビーティの艦隊を使って、ドイツ艦隊を包囲殲滅する作戦を考えていた。

 

 そして、その作戦は先に包囲網を完成させたドイツ艦隊に勝利をもたらすかに思われた。

 

 しかし、ジェリコーの方が、シェアよりも1枚上手だった。

 

 ジェリコーはビーティ艦隊がヒッパー艦隊に誘導されている事を悟ると、すぐさま会敵予想地点を変更。直卒の主力艦隊を、ドイツ艦隊の正面に誘導したのだ。

 

 ドイツ艦隊は敵を誘い込んだつもりでいて、その実、最も避けたい正面決戦に引きずり出されてしまったのだ。

 

 正面決戦ともなれば、兵力差がものを言う。

 

 イギリス艦隊は、多くの艦が脱落したとは言え、未だ数において、ドイツ海軍を圧倒している。

 

 正面決戦で、ドイツ艦隊の勝機は薄い。

 

 だが、

 

「上等だ」

 

 「デアフリンガー」の艦橋に立ちながら、ウォルフは低い声で呟く。

 

 元より、出撃した時点で死は覚悟している。

 

 ここで倒れようとも、祖国に勝利をもたらす事が出来れば本望。何より、ドイツ海軍軍人として、敵に背を向ける事など、矜持が許さない。

 

 それに、

 

 傍らのテアを見やる。

 

 彼女が共にいてくれる。ならば、どのような結果になろうとも後悔は無かった

 

 テアもまた、同じ思いなのだろう。

 

 こちらを見て、微笑みを返してくる。

 

 やがて、再開される砲戦。

 

 しかし、ドイツ巡戦部隊には最早、先程までの力は残されていなかった。

 

 数時間にわたる砲戦で艦は傷つき、兵達も疲労困憊と化している。そこに来て、勢いを盛り返したイギリス艦隊の砲火が集中されたのだ。

 

 高い防御力が功を奏し、撃沈されたのは旧式戦艦1隻のみ。

 

 しかし、主力巡洋戦艦も、次々と戦闘力を失う結果となった。

 

 そのような地獄とも言える状況の中でさえ、「デアフリンガー」は獅子奮迅の戦いぶりを見せ、巡洋戦艦「インヴィンシヴル」と装甲巡洋艦「ウォリアー」を撃沈した。

 

 だが、ドイツ巡洋戦艦部隊の奮戦も、そこまでだった。

 

 やがて砲火を集中された各艦は、夜半までに全艦が戦闘力を喪失するに至った。

 

 しかし、それでも3隻の主力巡洋戦艦を撃沈。その他多くの艦艇が損傷したイギリス巡洋戦艦部隊も、既に戦闘力をほぼ喪失していると言っても良いだろう。

 

 このまま夜の帳に紛れて双方、一旦後退する。

 

 そして、明日の払暁と同時に、主力戦艦部隊同士が砲戦を交わす事になる。

 

 誰もが、そう信じて疑わなかった。

 

 だが、

 

 

 

 

 

「撤退、だと・・・・・・・・・・・・」

 

 旗艦「フリードリッヒ・デア・グロッセ」から発せられた通信文を受け取り、ウォルフは愕然とした。

 

 ドイツ艦隊司令官のシェア提督は、主力艦同士の正面からの激突では、自分たちの勝ち目は薄いと判断し、撤退を決断したのだ。

 

 これからだ、と思っていた。

 

 ここで刺し違えてでもイギリス主力艦隊を撃滅できれば、北海における制海権の確保と言う戦略目標は達成される。そうなれば、陸戦で苦戦している味方に、新たな補給路を提供する事も出来ると言うのに。

 

 しかし、シェアの考えは違った。

 

 ここで主力艦隊の全てを失えば、イギリスに対して圧力をかける事は難しくなる。そうなれば、仮に補給線を確保できたとしても維持は難しいだろう。

 

 ここで全滅したら意味はない。ある程度の主力艦隊を維持してこそ、敵の脅威足り得る事が出来る。それが、シェアの考えだった。

 

 撤退するなら、イギリス艦隊の追撃が鈍る夜陰に紛れるしかなかった。

 

 その時だった。

 

 傍らで、何かが倒れる音がして振り返る。

 

 そこで、

 

 ウォルフは、血の気が引く思いだった。

 

「テアッ!!」

 

 ここまでの負傷と疲労が重なり、緊張の糸が途切れたのだろう。テアが艦橋の床に倒れ伏していた。

 

 駆け寄って、少女を抱き起すウォルフ。

 

「すぐに、軍医を!!」

「ハッ!!」

 

 ウォルフの指示を受け、駆け出す兵士。

 

 その間にも「デアフリンガー」は、そしてドイツ海軍の全艦隊は回頭し、進路を東へと向けて行のだった。

 

 

 

 

 

 ユトランド沖海戦の結果は、英独双方にとって不本意な結果となった。

 

 イギリス海軍は巡洋戦艦3隻をはじめ、14隻の艦艇を喪失。

 

 対するドイツ海軍は、帰路に航行不能となり自沈処分となった巡洋戦艦「リュッツォウ」を含め、11隻を喪失した。

 

 表面的な被害は、主力巡洋戦艦を3隻も沈められたイギリス海軍の方が大きいように見える。

 

 しかしドイツ海軍は「イギリス海軍撃滅による北海補給線の確保」に失敗した時点で、作戦は失敗した事になる。

 

 その為、客観的な見方をすれば「戦略的にはイギリス海軍の勝利、戦術的にはドイツ海軍の勝利」と言うのが一般的であり。

 

 しかし、双方ともに敵艦隊の殲滅に失敗した事で、以後もお互いの艦隊を警戒せざるを得ない両軍は、その後、積極的な作戦行動を行う事が出来ず、世界に冠たる海軍を持ちながら、第1次世界大戦と言う大舞台において、何ら戦局に寄与できないまま、時間だけが無為に過ぎ去っていくのだった。

 

 そして・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 心地よい、風が吹く。

 

 吹き抜ける風が、寂寥感に包まれた心を、少しずつ撫でて癒そうとしているかのようだ。

 

 自身の艦橋のトップに立ち、少女は周囲を見回した。

 

 翠が広がる丘陵地帯に、そのすそ野から広がる青い水面。

 

 波の白さがコントラストを創り出し、陽光に反射して光り輝いている。

 

「・・・・・・敵国の港でも、美しい光景に変わりないんですね」

 

 テアは静かな感動と共に、声で呟く。

 

 彼女が今いる場所は、イギリス北部スカパ・フロー。

 

 イギリス海軍の本拠地がある場所である。

 

 第1次世界大戦は、中央同盟側の敗北で幕を閉じた。

 

 ドイツ軍は勇戦した物の、東西から挟撃される形で押し込まれ、ついには戦線崩壊を起こし、全軍が潰走する結果となった。

 

 1918年11月11日。

 

 フランス、コンピエーニュの森にて、ドイツ軍と連合軍との間で停戦協定が結ばれる。これにより、第1次世界大戦は事実上、終結した。

 

 だが、

 

 悲劇はある意味、その瞬間から始まったと言っても過言ではなかった。

 

 敗れたドイツには、連合国から厳しい条件が突き付けられた。

 

 賠償金の支払い。領土の割譲。ドイツは莫大な負債を背負わされた上に、国外の領土に加えて国内の領土すら奪われた。

 

 協商各国は、ドイツをはじめとした旧中央同盟各国を、よってたかって食い物にしたのだ。

 

 そして軍備の縮小。保有兵器は大幅に制限されたドイツ軍に、かつての威容はどこにも見られなくなった。

 

 それは海軍についても同様である。

 

 ユトランド沖海戦以後、ドイツ海軍は全艦が揃って出撃する事は無かった為、多くの主力艦艇は生き残っていた。巡洋戦艦「デアフリンガー」も、その内の1隻である。

 

 連合軍は、こうして生き残った主力艦の引き渡しを要求。結果、ドイツ海軍には旧式艦を含む、小規模な艦隊しか残らなかった。

 

 そして、引き渡された「デアフリンガー」以下の主力艦隊は、このスカパフローに抑留されていた。

 

 このままだと、ドイツ艦隊の命運は、連合各国に引き渡されて編入されるか、あるいは観艦式のパレードで引き回されるか、あるいは見せしめにドイツ国民の前で自沈させられるか、いずれにしても屈辱的な結末が待っている事は疑いなかった。

 

 だからこそ、決断した。

 

 今日、ここで、自分たちの運命を終わらせる、と。

 

「テア」

 

 背後から、艦長が声をかける。

 

 彼は、あのユトランド諸島沖で共に戦ったウォルフ・アレイザーではない。その後に赴任した後任の艦長だった。

 

「本当に、良いんだな?」

「みんなで、決めた事ですから」

 

 問いかける艦長に、テアは柔らかく微笑みながら答える。

 

 既に、彼女の中で覚悟はできていた。

 

 その時だった。

 

 突如、遠雷のような音が響き渡り、同時に何かが崩れ落ちるような音が聞こえて来た。

 

「バイエルン、自沈開始した模様!!」

「ケーニヒ、沈みます!!」

「ザイドリッツ、傾斜しています!!」

「フォン・デル・タン、沈降はじめました!!」

 

 次々ともたらされる、悲鳴じみた報告。

 

 ドイツ海軍が世界に誇った戦艦群が、次々と沈んでいく。

 

 運命の瞬間が、来た事をテアは悟る。

 

 更に、

 

「フリードリヒが!!」

 

 悲痛な叫びが響く。

 

 見れば、ユトランド沖海戦でシェア提督が座乗した、栄光あるドイツ海軍総旗艦「フリードリヒ・デア・グロッセ」が、大傾斜を起こして海面下に引きずり込まれようとしていた。

 

 テアは、艦長へと振り返る。

 

「さあ、皆さんも行ってください。ここにいては危険です」

 

 テアの言葉に、艦長は悲痛な表情で俯く。

 

 しかし、やがて、どうしようもない事であると悟ると、顔を上げ、テアに対して敬礼すると、踵を返して去って行った。

 

 1人、「デアフリンガー」の艦橋に立つテア。

 

 自分自身でもある艦体を愛おし気に撫でながら想いを馳せる。

 

 最後になって、思い浮かべられるのは、祖国ドイツに残してきた子供達、そして愛する夫の事だった。

 

 ポケットの中にある紙を取り出す。

 

 それは、家族で撮った、たった1枚の写真。

 

 椅子に座った自分と、その傍らに立つ夫。2人の間には3歳になったばかりの長男が立ち、次男は夫が、長女は自分が抱いている。

 

「エアル・・・・・・クロウ・・・・・・サイア・・・・・・・・・・・・」

 

 呟きと共に、零れる涙。

 

「ごめんね、みんな・・・・・・・・・・・・」

 

 腹の奥底で感じる、微かな動き。

 

 何かが体の中に入ってくる感触と共に、体の力が急速に失われていくのが判る。

 

 立っている事が出来ず、艦橋の床に座り込む。

 

 壁に背中を預けた。

 

 同時に、手から写真が零れ落ちる。

 

「ウォルフ・・・・・・子供たちの事・・・・・・お願い・・・・・・・・・・・・」

 

 最後にそう呟くと、

 

 テアは、そっと瞼を降ろした。

 

 

 

 

 

 その日、ウォルフは海軍総本部での勤務についていた。

 

 戦争には負けたが、軍組織としてのドイツ軍は残された。

 

 その新生ドイツ海軍に、ウォルフは留まっていた。

 

 生き残った自分達は、またこの国を守って行かなくてはならない。

 

 ともかく、やる事は山積している。

 

 海外領土からの撤兵、沿岸の防衛、敷設された機雷の除去。

 

 敗北を嘆いている暇などない。

 

 この国をより良く、そしてより強くするための戦いが待っているのだ。

 

 そしていつか、

 

 いつの日か、「彼女」がこの国に帰ってきた時、子供達と共に笑顔で迎えられるように。

 

 その日まで、ウォルフは戦い続けようと思っていた。

 

 だが、

 

 その想いは、けたたましい靴音と共に、崩れ落ちる事となる。

 

「ウォルフ、いるかッ!?」

「シュレス、どうした? うるさいぞ、静かにしろ」

 

 入って来た女性は、自分と妻の共通の友人に当たる人物だった。

 

 常に泰然とし佇まいでいる事の多い彼女が、その時はウォルフが見た事も無いほどに取り乱した様子を見せていた。

 

 訝るウォルフに、シュレスは足早に駆け寄る。

 

「良いかウォルフ、落ち着いて聞いてくれ。今、司令部の方に上がってきた情報だ」

 

 押し殺した声で話すシュレス。

 

 いったい何事が起こったのか?

 

 だが、

 

 聞いた瞬間、

 

 ウォルフは、

 

 呆然と立ち尽くした。

 

「ウォルフッ」

 

 崩れ落ちそうになる青年を、シュレスが支える。

 

 そんな彼女に縋りつくように、ウォルフは見上げた。

 

「テアは・・・・・・テアは、どうした?」

 

 問いかけは、譫言のように、口の中で響く。

 

 脳裏に浮かぶのは、愛する妻の姿。

 

 どうか間違いであってくれ。

 

 どうか、無事でいてくれ。

 

 祈るような思い。

 

 だが、

 

 悲痛な表情と共に、シュレスは首を横に振った。

 

 その瞬間、

 

 ウォルフの「世界」は崩壊した。

 

 まるで、深い奈落の底に落ちて行くように、視界が急速に暗転して行くのが判る。。

 

「ウォルフッ!! おいッ しっかりしろ、ウォルフ!!」

 

 シュレスが必死に呼びかけるが、その声すら、今のウォルフは聞き取る事が出来なかった。

 

 そのまま、

 

 意識は闇の底へと引き摺り込まれていくのだった。

 

 

 

 

 

 この日、ヴェルサイユ条約の下、イギリスに抑留されていたドイツ艦艇はスカパフロー港内において一斉に自沈。

 

 主力戦艦を含む、74隻中、実に52隻が沈没。

 

 ここに、栄光あるドイツ大海艦隊は壊滅したのだった。

 

 

 

 

 

第1話「史上最大の海戦」      終わり

 




さて、

書き始めては見た物の、果たしてどこまで書けるか(汗

個人的に太平洋戦線や、旧日本軍、アメリカ軍の事は多少知っているつもりですが、ドイツ軍やイギリス軍の事となると、あまり知らない上に、資料も手に入りにくいので。

判らない部分は、完全創作で書いたりしています。

それでも、どうにか書けるレベルまで達したので、どうにか最後まで頑張りたいと思っています。
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