1
死んだ者を悼み、冥福を祈る文化と言う物は、如何なる国、如何なる民族においても、形を変えて存在している。
大切な人が、来世においても幸せであるよう、今生において祈りを捧げ、神に祈ることは、世界共通の物であった。
墓石を前に立つ、3人の男女。
正面に立った少女が代表するように、手にした花束をそっと置いた。
それに合わせて全員が黙祷を捧げる。
これは言わば、儀式だ。
墓の下に、故人の遺体は無い。
その遺体は、遠き異郷の地の水底に沈んだままである。
しかしそれでも、
亡くなった、愛する人への哀悼を捧げる。
その行為は、ただそれだけで神聖であると言えた。
墓石に刻まれた文字。
『 ~ テア・アレイザー ~ 』
そこには、そう書かれていた。
エアル・アレイザーとクロウ・アレイザー。
共にドイツ軍に所属する、故人の息子たちは、亡き母への祈りをささげる。
そしてもう1人。
淡い色の髪をショートに切りそろえた少女が2人と並んで祈りをささげる。
やがて、目を開くエアル。
「ここのところ、出撃ばかりでどうなるかと思ったけど、どうにか母さんの命日に間に合って良かったよ」
「俺もちょっとやばかったかな、どうにか休暇取れたから良かったけどさ」
肩をすくめるクロウに、笑いかけるエアル。
今日は6月21日。
この日は第1次世界大戦終結の後、スカパフロー軍港に抑留されていたドイツ艦隊が一斉自沈した日である。
つまり、アレイザー兄妹にとっては、母の命日に当たると言う訳だ。
この日に合わせ、エアルとクロウは、それぞれ休暇を申請。それが通り、こうして久しぶりに兄妹が顔を合わせる事が出来ていた。
弟に笑みを見せるエアル。
次いで、視線は少女の方に向けた。
「サイアは悪かったね。仕事、忙しかったんじゃない?」
問いかけるエアルに対し、
少女、
サイア・アレイザー。
エアルの妹であり、クロウとは双子の兄妹に当たる。
彼女も今日、2人の兄に合わせて休暇を取っていた。
「まあ、ね。けど、あたしは兄さん達と違って、陸上勤務だし」
そう言って、少女は肩をすくめた。
軍の技術開発研究所に勤めるサイア。
この若さで、既にいくつかのプロジェクトを任されている才媛である。
今も、軍の要求仕様を満たす兵器の開発に携わっているという。中には、海軍に納品される兵器もあるのだとか。
海軍のエアル、空軍のクロウ、技術部のサイア。
ジャンルは違えど、アレイザー家の3兄妹は皆、何かに導かれるように、軍に携わる仕事についていた。
生きる世界そのものが違うと言ってもいい3人が、戦時下でこうして顔を合わせる事が出来たのは、正直なところ僥倖に近い物がある。
やはり対フランス戦でドイツ軍が勝利したことが大きい。これで万が一負けでもしたら、墓参りどころではなかっただろう。
「でもさ」
サイアが、どこか寂しさを滲ませるような声で言った。
「お母さんの事、わたし何にも覚えていなんだよね」
「そりゃ、俺もだって。けど、仕方ないだろ」
呆れ気味に答えたのはクロウである。
そうなのだ。
テアが死んだとき、クロウもサイアも、まだ生後1年ほどしか経っておらず、物心もついていない時期だった。
その後、写真を見てテアの顔は知っているが、母の記憶は2人にはほとんど無かった。
唯一、この中ではエアルだけが、僅かな期間だが、母と過ごした記憶を持っている事になる。
その事が少し、エアルにとっては後ろめたく感じる時もあった。
自分だけが母の事を知っている。
その事が、弟や妹に対し、申し訳ないと思えるのだった。
2人に気付かれないように嘆息しながら、エアルは話題を変えた。
「そういえばクロウ、この間は助かったよ」
「はは、やっぱ兄貴には気付かれてたか」
笑みを浮かべるクロウ。
先のテムズ沖海戦の折、クロウの駆るメッサーシュミットが、間一髪のところでエアルの「シャルンホルスト」を救う場面があった。
もし、あの時、クロウの援護が無ければ、エアルは今日、この場に来れなかったかもしれない。
「兄貴の為なら、いくらでも体張ってやるって」
「頼りにしてるよ」
言いながら、拳を打ち付ける、エアルとクロウ。
そんな兄たちの様子を、サイアが微笑ましそうに眺めている。
「わたしも、今度から、兄さんのところでお世話になることになったから、よろしくね」
「お世話になるのはこっちだよ。それより、サイアは本当に、あれで良かったの?」
心配そうに尋ねるエアル。
妹の今後について、兄として一抹の不安を感じずにはいられないエアル。
しかし、それでもサイアの存在は、彼にとってありがたくもあるのだが。
対して、サイアは微笑を口元に浮かべながら首を振る。
「マルシャル大将から話は聞いてるし、それに、兄さんが困ってるなら、力になりたいの」
「サイア・・・・・・」
「それに、わたしの技術が少しでも役に立つなら、それに越したことないし」
妹の言葉に、苦笑するエアル。
先に解任されたマルシャルだったが、今後の事を鑑みていくつか手を打って行ってくれた。
そのうちの一つが、サイアと言う訳だ。
彼女の存在が、どれほどの物か、エアルにとっては未知数である。
しかし、それでも妹が支えてくれるとなれば心強かった。
「そういえば・・・・・・・・・・・・」
そこでふと、サイアが思いついたように口を開いた。
「今年も来なかったね、お父さん」
「やめろよ」
少しうんざりしたようにクロウが言った。
少年の顔には、あからさまな嫌悪感が浮かべられていた。
「あいつの話なんかすんなよ」
「けど・・・・・・」
「どうせあいつは、どうでもいいと思ってるんだろうよ。俺たちの事、母さんの事もさ」
そう言うと、スタスタと先に歩き出すクロウ。
そんな様子を、エアルとサイアは嘆息気味に見つめるのだった。
2
1940年も間もなく7月に入ろうと言う頃、欧州戦線は再び、一時の静けさを取り戻していた。
フランスを降伏に追い込んだ事で、ドイツ軍は進軍を中止した。
当初の目的を果たした為、これ以上の進軍は必要ない。
それよりも連合軍との戦いで負ったダメージを回復し、次の戦いに備える必要がある。
言わばドイツ軍全体が、休養期間に入ったと言って良いだろう。
代わって戦いの場は、火花の散らない戦場へと移行する。
すなわち、政治と外交による戦いだ。
連合軍の最有力の一角だったフランスが降伏した事で、連合軍の主力を構成する国は事実上、イギリス一国となった。
イギリスのみでドイツの勢いを止めることは不可能。しかも現在、イギリスはダンケルクから着の身着のまま撤退して来た30万の兵士を抱え、それらを食わせる事にも精いっぱいな様子。
イギリスが頼みにしているアメリカも、沈黙を保ったまま参戦する気配を見せない。
つまり、イギリスは今、かなりの窮状に追い込まれている。
ここで、こちらの条件を突き付けて講和を迫れば、応じてくる可能性は高いとヒトラーは判断したのだ。
本音を言えば、ヒトラーもこれ以上の戦争継続は望んではいなかった。
フランスを倒したとはいえ、ドイツ軍の兵站状況はかなり厳しいところまで追い込まれていた。
急激な進軍に、補給線は伸び切り、攻勢の限界を迎えつつあったのだ。
もし、
マジノ線に展開したフランス軍主力がなりふり構わず反転し、ダンケルクの連合軍と共に、A軍集団を挟撃していたら、
あるいは壊滅していたのはドイツ軍の方だったかもしれない。
だからこそ、ここで戦争をやめる必要がある。
これが言わば最後のチャンス。
今ここでやめなければ、戦争は際限なく拡大していきかねない。
ただちにヒトラーの命を受けた全権代表が、中立国経由でイギリスに講和の打診を行う。
ドイツ側の要求はシンプルだった。
戦争開始から今日まで、獲得した領土の領有権認知。そして、第1次大戦によって奪われた領土の返還。
それさえ認めるならば、これ以上の戦闘行動を停止する用意がある。
ドイツ側の意思は、しっかりとイギリス側へと伝わった。後は、その回答を待つのみ。
だが、
当のイギリスはと言えば、ドイツ側の要求に対し、不気味な沈黙を保ち続けるのだった。
少女は不機嫌だった。
その理由については諸説ある。
例えば、朝、気持ちよく眠っていたかと思ったら、どこかの艦で早朝に奇襲訓練なんぞ始めた為、その轟音でたたき起こされた事とか。
例えば、今日は朝食に、好物の卵焼きが出なかった事とか。
例えば、遊びに行こうと思ったのに、今日は終日雨の天気予報だった事とか。
だが、それらの事は、少女にとって些細な事にすぎない。
多分。
「つまんない・・・・・・・・・・・・」
シャルンホルストは自室のベッドに寝ころびながら、ぽつりとつぶやいた。
今日はオフの日。
本来ならグナイゼナウあたりを誘って遊びに行きたい所なのが、生憎の雨でそれもかなわない。
前回の出撃前、エアルに買ってもらったネコのぬいぐるみをそっと抱きしめる。
分かっている。
自分がなぜ、退屈を感じているかは。
エアルがいない。
エアルは今、休暇を取り故郷へ帰省しているのだ。
何でも、お母さんの、お墓参りだとか。
エアルの母親が、既に他界していた事自体、シャルンホルストは聞いていなかった。
水臭い、と思う。
それくらい、教えてくれても良いだろうに。
だが、
そこでふと、自分とエアルの関係性について考えてしまう。
エアルとシャルンホルスト。
まあ、単純に関係性を考えれば、艦長と艦娘と言う事になる。
もう少し突っ込めば、友達だろうか?
だが、
最近、そんな答えでは満足していない自分がいるのを、シャルンホルストは感じていた。
エアルの事を考えれば、どうしても胸のあたりがざわついてしまう。
その正体が何なのか、巡戦少女はまだ分からない。
自分は、エアルをどうしたいのか?
あるいは、どうなりたいのか?
その問いかけは、暗い迷宮の中を彷徨うように、先を見通す事は出来ない。
嘆息するシャルンホルスト。
「こんなんでボク、どうするんだろう?」
軍には定期的な人事異動と言う物がある。
エアルとて、いつまでも「シャルンホルスト」の艦長でいられる訳ではない。いつかは艦を降りる時が来る。
それに、うまくいけば戦争は終わる。そうなれば、エアルのように活躍した艦長は中央への栄転もあるだろう。
そうなれば当然、シャルンホルストとは離れ離れになる事になる。
「・・・・・・・・・・・・おにーさん」
呟くシャルンホルスト。
寂しさを紛らわせるように、腕の中のぬいぐるみをギュッと抱きしめた。
ちょうど、その時だった。
ドアがノックされ、シャルンホルストはベッドの上で跳ね起きた。
「あ、はい。どうぞ、開いてるよ」
「失礼します」
入ってきたのは、当直士官の1人だった。
何やら緊張した面持ちで、シャルンホルストに敬礼する。
「失礼します、シャル。少し良いですか?」
「良いけど、どしたの?」
「実は・・・・・・急な来客がありまして」
「お客さん?」
わざわざ軍艦である「シャルンホルスト」に来たと言う事は、軍関係者なのだろう。
通常であれば、艦長や副長など、立場ある人間が対応する物であるが。
しかしエアルは私用で艦を離れている。
「ヴァルターはどうしたの?」
「それが、副長も司令部の方に出向いていて・・・・・・」
つまり今、「シャルンホルスト」は、トップ2人が不在と言う事である。
まあ、軍艦と言う物は序列がしっかりしているから、艦長、副長不在の状況でも、次席の階級の人間が指揮を執ることになるので、大きな問題にはならない。
問題は、今回のように、急な来訪者があった時の事だ。
「判った、じゃあ、ボクが出るよ」
「すみません」
「良いって良いって。誰もいないんじゃ、仕方ないよ」
艦娘も又、艦内では上位者の位置づけにある。何しろ、艦その物なのだから。
よってこの場合、シャルンホルストが対応に当たることについて、何の問題も無かった。
身支度を整え、会議室へと入るシャルンホルスト。
相手は階級が高い人物であると聞いていたので、念入りに身だしなみを整えている。
相手が上級者である以上、ちょっとした見た目も艦の査定に関わる場合があるのだ。
「失礼します」
部屋に入ると、踵を揃えて敬礼するシャルンホルスト。
艦娘は、生まれた時からある程度の知識は備わっている。
普段からアグレッシブな言動が多く、エアルやマルシャルにもフランクなシャルンホルストだが、相手がより上級者である以上、失礼にならない程度の礼を尽くす事くらいできる。
視線を向けるシャルンホルスト。
対して、
相手も立ち上がって敬礼する。
「うむ。艦長不在の中、急な来艦となり、申し訳ない」
その相手を見た瞬間、
「う・・・・・・・・・・・・」
思わずシャルンホルストは圧倒されそうになり、言葉を詰まらせた。
怖い。
いや、別に殺されそうとか、ごつくて怖いとか、そう言うわけではない。
ただ、
目の前の人物が発する雰囲気が、ひたすらに怖いと感じた。
その怜悧とも言える視線で見詰められただけで、魂を鷲掴みにでもされたような感覚に襲われる。
蛇に睨まれたカエル、とは正にこんな感じなのだろう。
「あの・・・・・・」
「ああ、すまない」
そんなシャルンホルストの様子を見て、男は居住まいを正した。
「申し遅れた。私は・・・・・・・・・・・・」
エアルが「シャルンホルスト」に戻ったのは、その日の夜の事だった。
タラップを上がり、当直の兵士に挨拶をすると、その足で艦内へ。
その足は、どこか浮き立つように軽い。
脳裏には、艦娘の少女の姿が映し出されていた。
「シャル、まだ起きてるかな? お土産とか買ってきたんだけど」
少し遅い時間の帰艦となってしまった。もしかしたら、巡戦少女はもう、寝ているかもしれない。
それならそれで、明日渡せばいい。
楽しみが少し伸びるだけの事だ。
そう思った時だった。
「・・・・・・・・・・・・」
足を止める。
艦内に入るとすぐに、空気がいつもと違う事に気が付いた。
何と言うか、空気が張り詰めている。
どこか冷気すら漂っているように思えた。
戦艦とは言え、こんな緊張感はあり得ない。
まるで戦闘中のようではないか。
と、
「艦長」
エアルの姿を見るなり、駆け寄ってきたのは、副長のヴァルターだった。
「副長、どうしたんですか? これはいったい・・・・・・・・・・・・」
「それが・・・・・・・・・・・・」
言葉を濁らせるヴァルター。
そして話を聞いた瞬間、
エアルは自分の荷物を放り出して駆け出した。
それを拾い、慌てて追いかけるヴァルター。
駆け込んだのは、会議室。
その中にいたのは、巡戦少女の姿だ。
「シャルっ」
「お、おにーさんッ」
エアルの姿を見るなり、シャルンホルストはホッとしたような表情を作る。
駆け寄る少女を、いたわるように抱き留めるエアル。
次いで、
エアルは対面に座る人物へと視線を移す。
対して、相手もエアルに気付いたのだろう。顔を上げて立ち上がる。
「久しぶりだな。1年・・・・・・いや、2年ぶりか?」
「3年ぶりだよ」
相手の言葉を訂正し、続ける。
「久しぶり・・・・・・・・・・・・父さん」
告げられて、
ウォルフ・アレイザーは、睨みつけるような視線を、エアルへと向けた。
第19話「朱に交わらぬ黒」 終わり