1
その日、スカパフロー軍港に停泊中の、イギリス本国艦隊旗艦「ネルソン」の会議室には、本国艦隊に所属する主だった提督、艦長、艦娘が呼び出された。
連日のようにドイツ空軍がドーバーを越えて飛来する中、本国艦隊も緊張の毎日が続いていた。
現在、ドイツ空軍は飛行場やレーダー基地、更には戦闘機の製造工場と言った軍事施設を中心に攻撃を仕掛けてきている。
スカパフローは、本土にある海軍最大の拠点である。いつ何時、ドイツ軍が矛先を向けて来るか分からない。
それでなくても本国艦隊は以前、港内に潜入したUボートに、戦艦「ロイヤルオーク」を撃沈される醜態を演じている。
その為、スカパフローは連日のように緊張を強いられていた。
そんな中での旗艦への招集である。
何かあったと考えるのが妥当だった。
居並ぶ面々の顔にも、緊張の色が濃い。
その中に、リオンとベルファストの姿もあった。
皆が緊迫した空気を流す中、
リオンは泰然と腕を組み、目をつぶっている。
恐らく、何か全線で動きがあったのだろう。
それも、本国艦隊が出撃しなければならない何かが。
緊張は、否が応でも高まりを見せる。
が、
そんな緊張とは、おおよそ無関係な軽巡が1人。
沈思するリオンの横では、ベルファストが暇を持て余したように、椅子を二本足しながら口笛を吹いていた。
「ねね、リオン。何か、ロンドンに新しいお菓子のお店で来たんだって。今度、行ってみようよ」
「そうか」
声を掛けてくるベルファストに、短く答えるリオン。
無駄話をする気はない。
と言うアピールのつもりだったが、
「じゃあ、予定合わせよ。私の次のお休みはっと・・・・・・」
この相棒には通じなかった。
どうやら今度のリオンの休日は、強制的に予定が埋められる運命にあるらしい。
嬉々として手帳を取り出すベルファストを、嘆息交じりに横目で眺める。
だが、
その時に、あまり会いたくない人物の姿が、視界に飛び込み、内心で舌打ちした。
ディランだ。
このほど、竣工した最新鋭戦艦の艦長に就任したというディランも当然、この場に顔を出している。
艦長、艦娘以上の立場の者のみが出席を許される会議だと言うのに、相変わらずアルヴァン以下、取り巻き数人を引き連れて出席しているディラン。
嘆息していると、うっかり目が合ってしまった。
ニヤニヤと笑みを向けてくるディラン。取り巻き達も何が面白いのか、露骨にリオンを指差してゲラゲラと笑う。
これから会議が始まる緊迫した場だと言うのに、ディランの周囲一か所だけ、ずいぶんとお祭り騒ぎになっていた。
対して、リオンは相手にせずにそっぽを向く。
「何あれ? 相変わらずむかつくんですけど?」
「取り合うな。時間の無駄だ」
放っておくと兄相手にかみつきそうなベルファストを引き戻す。
実際、会議が始まる場で喧嘩を吹っ掛けられでもしたら堪ったものではなかった。
幸いにしてその時、会議室の扉が開いて、ジャン・トーヴィ大将以下、本国艦隊司令部幕僚が入室してくるのが見えた。
旗艦であるネルソンも、トーヴィのすぐ後ろに従っていた。
司令官が入室すると同時に、全員が椅子から起立。頭を向けて敬礼する。
この時ばかりは、流石のディランたちも同様に敬礼をしていた。
トーヴィの着席と共に、全員が席に着いた。
「諸君」
開口一番、トーヴィは重苦しい口調で話し始めた。
間違いなく、何か深刻な話題となるだろう。
リオンがそう予想する中、
次いで放ったトーヴィの言葉が、リオンの予想を全肯定していた。
「数時間前。スケガラック海峡監視中の潜水艦から連絡があった。それによると、キール軍港から、ドイツ艦隊主力の出航を確認。海峡通過後、ほぼ全部隊が、進路を北に取っているとの事だ」
トーヴィの言葉に、一同に波紋が広がる。
事態を予想していた者。
予想できていなかった者。
反応はそれぞれ。
しかし、室内の緊張の度合いが、一気に危険域を差したのは言うまでもない。
聞きながら、リオンは己の中で胸が激しく鼓動を打つのを感じた。
ドイツ海軍の全軍が出てきたと言う事は当然、「シャルンホルスト」も出てきているだろう。
テムズ沖で一度だけ対峙した、ドイツ海軍の主力巡洋戦艦。
あの時は、相手が逃げを打ったため、砲火を交える事は無かった。
だから今度こそ、まみえる機会を得られる事を望んでいた。
「敵はどう動いたのですか?」
「潜水艦が途中まで追跡したが、見失ったとの事だ。恐らく、ノルウェーのどこかの港に入ったのだろう」
答えたのはネルソンだった。
同時に、壁に掛けられた地図を指し示す。
その地図には、北欧から英本土にかけて、一本のラインが引かれていた。
「現在、フィンランドから大量の資源を積んだ船団が、我が国を目指している。恐らく、ドイツ軍の目的は、この船団と思われる」
島国のイギリスは、物資の補充を海上路に頼らざるを得ない。
フィンランドから運ばれる物資も、今のイギリスにとっては喉から手が出るほど欲しい代物だ。
ましてか現在、バトルオブブリテンの真っ最中。たとえ一握りの物資でも、イギリスにとっては命と同じくらい貴重な代物だ。
この船団をドイツ艦隊に攻撃されれば、今後の作戦方針に影響が出るだけでは済まない。最悪、そのまま敗北への一里塚にすらなりかねないだろう。
何としても、守り抜かなくてはならない。
「そこで、作戦を伝える」
トーヴィが後を引き継いで言った。
「巡洋艦部隊は先行して出撃。北海海上において、敵主力補足、これを攻撃して足止めする一方、主力戦艦群は後発として出撃。先行した巡洋艦部隊と合同し、敵艦隊を包囲、殲滅する」
高速艦を揃えているドイツ海軍に追い付くには、低速の戦艦群を伴っていたのでは手遅れになる可能性がある。そこで、巡洋艦のみで先行して船団を守ろうと言うのだ。
時間との勝負になる。
ドイツ艦隊が船団を補足する前に、巡洋艦部隊が展開できるか?
あるいは巡洋艦部隊が持ちこたえている間に、戦艦部隊が間に合うかどうか。
いずれにせよ、主導権は襲撃してくるドイツ側にある。
イギリス側としては、ドイツ海軍が航路上のどのポイントで仕掛けて来るかを見極めなくてはならない。
「可能性としては2つ、考えられます。一つは、ノルウェー近海のロフォーテン諸島沖。忌々しい事に、ノルウェーは完全にドイツ側の支配下あります。ノルウェーにほど近いロフォーテン諸島なら、連中が身を潜め、襲撃するのに適していると考えます」
ロフォーテン諸島はノルウェーの北西、沿岸に近い場所にある島々である。
輸送船団の航路からは少し外れるが、複雑に入り組んだ群島は艦隊を隠すにはうってつけの場所。襲撃ポイントとしては申し分ない。
「あと一つは、フェロー諸島沖となる」
フェロー諸島はイギリス本国の北方に位置する群島である。
本土、特に本国艦隊の拠点であるスカパ・フローに近い事もあり、イギリス側からすれば、迎撃が容易だが、同時に航路からも近い為、襲撃がしやすい地点でもある。
ロフォーテン諸島か? それとも、フェロー諸島か?
両方を同時に守る事は出来ない。
イギリス艦隊はどちらか一方に戦力を集中し、ドイツ艦隊を迎撃する必要があった。
「一つ、宜しいですかな?」
挙手した人物に、一同の視線が集まる。
手を上げたのはディランだった。
「何ですかな、殿下?」
「作戦自体は大変すばらしく、我がイギリス海軍が行うにふさわしい、堂々たるものであると考えます。ただ、一点だけ、不安材料が無いとも言い切れませんなあ」
勿体付けたようなディランの口調に、誰もが首をかしげる。
それは一体何だ?
一同が訝る中、
ディランの視線が、リオンに向けられた。
「この中に1人、臆病者がいる、と言う事ですよ」
「臆病者?」
「聞けば、我が愚弟は、先のテムズ沖海戦において、敵戦艦と遭遇しておきながら、一度も砲火を交える事無く、おめおめと逃げ帰ったとか」
ディランの言葉に、一同の視線はリオンに集まる。
確かに、テムズ沖海戦の折、リオンは「シャルンホルスト」と交戦する事は無かった。
事実だけを抜き取れば、ディランのような解釈が出来ない事もない。
しかしあの時は、あくまで溺者救助を優先した結果である。
もし、あの時、リオンが溺者救助を行わず、ドイツ艦隊の追撃を優先していたら、海面に投げ出された陸軍兵士たちが全滅していたであろう事は疑いない。
ディランの言動は、事実の一面を拡大解釈しているに過ぎない。
否、それを理由に、この場でリオンを物笑いの種にしようと言う意図は明白だった。
「そんな臆病者に、作戦の大事を任せるなど、私には怖くてとてもとても」
せせら笑うディラン。
アルヴァン以外の取り巻き達も、追従の笑いを見せている。
「全く持って、ディラン殿下のおっしゃる通りでございますな」
「いやはや、本当に殿下と同じ、栄えある英国王室の一員なのか大いに疑問があると言う物」
「勇猛果敢なご先祖様に、少しでも申し訳ないと思わないのですかな?」
口々にリオンをこき下ろす、ディランの取り巻き達。
耳障りの言い言葉を聞きながら、ディランはリオンに目を向けた。
「どうなのだ、リオン? この場で釈明すべき事があるなら言ってみるが良い」
「あなたねえッ いい加減にしなさいよ!!」
それに対して激高しかけたのは、リオンよりもベルファストの方だった。
居並ぶ将官、艦娘たちの面前でリオンが罵倒された事が我慢ならなかった。
だが、
「ベル」
立ち上がりかけたベルファストを、リオンは静かな声で制する。
「リオン・・・・・・・・・・・・」
「大丈夫だ。気にするな」
興奮する相棒を落ち着かせると、リオンは兄に向き直った。
「兄上、あの場で俺は、最善の行動を取ったと確信している。それ以上に言うべきことはない」
無駄に言い合いを続ける気はなく、ただ必要な事のみを簡潔に言ってのける。
対して、
ディランは大声をあげて笑い出した。
笑い声をあげるディランに合わせて、取り巻き達も笑い出す。
中には這いつくばり、どんどんと床を叩いて笑っている者もいるほどだった。
「おいおい、我が弟よ、冗談が過ぎると言う物だぞ、それは。寄りにもよって、敵に背を向け、尻尾を巻いて逃げ帰って来る事が、己の責務だとでも言うのか?」
「責務とは、おのれの役割を全うする事。あの場では敵と戦う事より、味方を救出する方が先決だと考えた」
言い募るリオン。
しかし、ディランの耳には届かない。
「私には真似できぬな。敵を目の前にして逃げ帰るなど、そんな恥ずかしい真似は、死んでも出来ないよ」
そう言ってせせら笑うディラン。
ラプラタ沖では「シャルンホルスト」に翻弄されて戦う事すらできず、ノルウェー沖では旗艦「ロドネイ」を守れず、あまつさえ乗艦「ラミリーズ」を撃沈され、自分が真っ先に逃げ出したことなど、きれいさっぱり、都合よくディランの頭から消去されていた。
言い合いは白熱し、更にどちらかが言い募ろうとした。
その時、
「両者、そこまでにしていただきたい」
静かな口調で遮ったのはトーヴィだった。
「殿下、既に作戦は可決された事。それを、今この場で混ぜ返すのは控えていただきたい」
たしなめる口調のトーヴィに対し、ディランは鼻白んだ様子でそっぽを向く。が、それ以上、何かを言ってくる様子もなかった。
「ま、ここは神聖なる作戦会議の場だ。我が愚弟の戯言を、これ以上聞くには堪えないし、ここは提督の顔を立てるとしましょうか」
偉そうに告げるディラン。
そもそも、自分が余計な糾弾をした事が発端だと言う事も、忘れ去られていた。
一方のリオンは何も言わず、トーヴィに軽く会釈をした。
頷きを返すトーヴィは、一同を見回していった。
「では、これより作戦を開始する。一同、よろしく頼む」
対して、一同は立ち上がって敬礼をするのだった。
2
イギリス海軍が、ドイツ海軍の行動に神経を尖らせていた頃、
その当のドイツ海軍はと言えば、本国を出港後、進路を北へ向けていた。
ここまでは、イギリス海軍の潜水艦が捕捉したとおりである。
その後、追跡を振り切った艦隊は、ノルウェー領のトロンヘイムへと投錨。輸送船団襲撃に向けて、息をひそめていた。
今回、ドイツ艦隊は船団襲撃の為、稼働可能な全艦艇で第1艦隊を編成し、出撃させている。
その編成は以下の通りだった。
〇ドイツ海軍第1艦隊
・本隊
巡洋戦艦「グナイゼナウ」(旗艦)「シャルンホルスト」
装甲艦「ドイッチュラント」
重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」
・第1偵察隊
軽巡洋艦「ニュルンベルク」
駆逐艦2隻
第2偵察隊
軽巡洋艦「カールスルーエ」
駆逐艦3隻
第3偵察隊
軽巡洋艦「ケルン」
駆逐艦3隻
第1艦隊司令部は、装甲艦「アドミラル・シェア」と、重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」の加入も望んだが、この2隻は大西洋上にて通称破壊任務に就いている為、参加は見合わせざるを得なかった。
又、最新鋭戦艦「ビスマルク」は、艤装の最終工事中であり、作戦参加どころか、戦力化にはまだ半年は掛かる見通しである為、諦めざるを得なかった。
代わり、と言う訳ではないのだが、今回から初参入したのが重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」だった。
アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦の3番艦に当たる彼女だが、性能的には姉である「
ヒッパー」や「ブリュッヒャー」と大きな変更はない。
しいて言うなら、艦首の形状が「ヒッパー」よりも、先にナルヴィク沖で沈んだ「ブリュッヒャー」に近い、鋭角的なアトランティックバウをしている事くらいだろう。
しかし元々、列強各国の重巡洋艦よりも高い性能を持つアドミラル・ヒッパー級である。その加入には大きな期待が寄せられていた。
「それにしても、さ」
並んで歩きながら、シャルンホルストがエアルに尋ねる。
「何で、今回はこんな風に、艦隊を小分けにしちゃったのかな? みんなで集まって戦った方が強いと思うんだけど」
「目的が艦隊決戦ならね」
苦笑しながら、エアルは答える。
「でも、今回は北から航行してくる、敵の輸送船団が狙いだから」
艦隊決戦が目的なら、シャルンホルストの言う通り戦力を集中すべきだろう。
しかし今回の襲撃任務ではまず、敵輸送船団の把握が必要となる。その為、艦隊を複数に分けて偵察を行う事になっていた。
その時だった。
「アレイザー? エアル・アレイザーじゃないか!!」
呼びかけられ、振り返るエアルとシャルンホルスト。
視線の先には、手を上げてこちらに歩いてくる、1人の提督の姿があった。
細身で、髪にはやや白いものが混じっている柔和そうな人物。
胸につけている階級章は、大将の物だった。
その姿を見て、エアルは背筋を伸ばして敬礼する。
「デーニッツ閣下」
「うむ、久しぶりだな、元気そうで何よりだ。活躍は聞いてるぞ」
そう言うと、エアルの肩を軽く叩く。
カーク・デーニッツ大将。
ドイツ海軍潜水艦隊の司令長官を務める人物である。
ドイツ海軍は水上艦隊と潜水艦隊で、指揮系統が完全に独立している。その一方のトップが、デーニッツと言う訳だ。
水上艦隊が貧弱なドイツ海軍にとって、真の主力はむしろ、熟達したUボートである。
そういう意味で、デーニッツはまさに、ドイツ艦隊主力艦隊のトップと言っても過言ではなかった。
第1次大戦の頃からUボートに乗り活躍した、生粋の潜水艦乗りである。
「おにーさん、知り合い?」
「うん。2年くらい前かな、潜水艦隊の主席参謀を務めた事があってね。その時の上官だった人だよ。まあ、1年くらいだったけど」
「全く、あのまま潜水艦隊にいれば、今ごろは複数のボートをお前に任せてたかもしれないってのに」
そう言いながら、やれやれと肩をすくめるデーニッツ。
その視線が傍らのシャルンホルストを見た。
「お、アレイザー、この娘は?」
「ああ、ご紹介します。この子は、巡洋戦艦シャルンホルストの艦娘で・・・・・・」
「おうおうおうッ 君がそうかッ!?」
エアルの説明が終わる前に、デーニッツは前に出ると、いきなりシャルンホルストの手を取った。
「わわッ!?」
「うんうん。活躍は聞いとるよッ すごいじゃないかッ まさにわが軍のエースだな、君はッ!!」
言いながら、シャルンホルストの頭やら肩やらを、無遠慮に撫でまわし始めた。
「ちょッ!? まッ!? ええッ!?」
「いや、初々しいのうッ 可愛くて強くて、最高じゃないか?」
戸惑ったように声を上げるシャルンホルスト。
しかしデーニッツは、無遠慮に鼻息を上げながら、シャルンホルストの体のあちこちを撫でまわしている。
それに対して、シャルンホルストは戸惑う事しかできなかった。
まあ、無理も無かろう。
いきなり見知らぬおじさんが現れたかと思うと、遠慮なしに撫でまわしてくるのだから。驚くなと言う方が、無理な話だ。
そう言えば、こういう人だった。
デーニッツの事を思い出し、エアルは苦笑する。
一言でいえば「女好き」。
れっきとした奥さんも子供もいるのに、可愛い女の子には目が無いと言う。
そして、やたらと触りたがる。
本人的には好意のつもりらしいから始末に負えなかった。
仕方なく、助け舟を出してやる。
「あの、提督、その辺で・・・・・・」
「おお、そうだな」
エアルの言葉に、頷くデーニッツ。
そして、
「それじゃあ、よろしく頼むよ、シャルちゃん」
言いながら、
デーニッツの手は、シャルンホルストのお尻を撫で上げる。
少女が、思いっきり悲鳴を上げたのは、言うまでもない事だった。
3
その機体は、真っ暗闇の中を、ただ1機で飛んでいた。
フラフラと、まるで母親とはぐれた子供のように。
本来なら、共に飛んでいるはずの烈機の姿はない。
「クソッ ここは一体どこなんだッ!?」
操縦桿を握ったパイロットは、舌打ちしながらも、緊張を隠せずにいた。
英本土攻撃の為に、フランス沿岸の基地を飛び立った。
しかし航法を誤った彼の機体は、仲間たちからはぐれ、どことも知れない場所を飛行していた。
周囲に灯火はなく、ひらすらに暗闇が広がるのみだった。
月と星は見えている為、大まかな位置はわかる。最悪でも基地に戻ることは不可能ではない。
しかし、ここはイギリス上空。敵地のど真ん中だ。
いつ何時、敵機が暗闇から現れて襲ってくるとも限らない。
操縦桿を握るパイロットは、責任と緊張で押しつぶされそうな想いだった。
早く、
早く、こんなところから立ち去りたい。
基地に帰ってシャワーを浴び、飯を食ってベッドで寝たい。
そんなささやかな思いが、今や最高の贅沢にさえ思えた。
コンパスを再度確認。方角が間違っていない事を確かめる。
大丈夫だ。このまままっすぐに飛べば、直にドーバー海峡に出る。そこまで行けば安全なはずだった。
その時だった。
黒々とした山影を飛び越えた瞬間だった。
突如そこに、
まばゆいばかりの光が溢れていたのだ。
思わず、目が眩むかのような光。
街だ。
それも田舎の村や町ではない。
祖国の首都、ベルリンにも匹敵する大都市だった。
敵国の大都市。
神々しいとさえ思える光の中で、住人たちは平和の中で暮らしている。
外の世界が、戦争をしている事など知らぬげに。
平和という名の惰眠をむさぼる巨大な都市。
それがパイロットには、極上の獲物に見えた。
「よし、やるぞ・・・・・・・・・・・・」
静かな口調と共に、スロットルを開くパイロット。
同時に後部デッキに、爆弾倉を開くように指示する。
速度を上げるハインケルHe111爆撃機。
目標は光の中心、
機体を突進させる。
今から自分たちが、この平和な都市を地獄へ叩き込むのだ。
その思いに、暗い愉悦が満たしていくようだった。
自分が攻撃している大都市が、敵国の首都ロンドンである事。
そして、
自分が為している事が、いかに祖国の行く末に影響を及ぼそうとしているか。
彼はこの時、考えようともしなかった。
会議は、第1艦隊旗艦「グナイゼナウ」の会議室で行われた。
焦点となるのはやはり、どのタイミングで輸送船団に襲撃を仕掛けるか? それに合わせて、どの地点で待ち伏せするのか、と言う事。
陸上での待ち伏せと違って、海上での待ち伏せは長く一つの所にとどまる事は出来ない。
下手をすると潜水艦に発見されてしまう可能性もあるからだ。
その為、敵の航路、進路、速度を計算して最適なタイミングで接敵するようにしなくてはならない。
「現在、フィンランドの港を出港した輸送船団が、北海航路を取ってイギリス本土を目指していることが確認されている」
発言したのはデーニッツだった。
今回、第1艦隊は事前偵察を潜水艦隊に依頼している。その為、デーニッツがこの会議の場に出席をしていた。
とは言え、
デーニッツの姿を見て、シャルンホルストはササッとエアルの影に隠れた。
「ボク、あのおじさん嫌い」
「アハハ・・・・・・」
巡戦少女の反応に、乾いた笑いを浮かべるエアル。
どうやら、お尻を触られた事を相当、根に持っているらしい。
そう言えば、エアルが参謀をしていた頃、デーニッツが艦娘にセクハラして訴えられそうになったのを思い出す。
昔から変わらない事は、良い事なのか、悪い事なのか。
あれで指揮官としては超が付くほどに優秀なのだから、世の中判らない。
「やはり襲撃に最適なのは、フェロー諸島、あるいはロフォーテン諸島の沖合、だと思われます」
「グナイゼナウ」艦長の、オスカー・バニッシュ中佐が発言する。
彼の傍らでは、旗艦艦娘としてグナイゼナウも控えていた。
「このいずれか一方の近海で敵を待ち伏せするのが上策と考えます」
親友の言葉に、エアルも内心で頷く。
どちらも襲撃地点としては悪くない。
しいて言えば、フェロー諸島は敵の本国に近い事もあり、迎撃を受けやすくなる可能性がある。
となれば、ロフォーテン諸島での待ち伏せが最適と思われるのだが。
一同が視線を集めたのは、上座に座る司令官だった。
リンター・リュッチェンス海軍大将は、解任されたラインハルト・マルシャル大将の後任として、第1艦隊及び第1戦闘群司令官に就任した人物である。
ノルウェー沖海戦では第2艦隊司令官として参戦。英輸送船団の捕捉、撃滅に成功し、ドイツ艦隊勝利に大きく貢献した。
手堅い戦術を好む反面、堅物で融通の利く人物ではないと言う前評判がある。
「提督、如何でしょう?」
「うむ」
グナイゼナウに促され、頷くリュッチェンス。
一同を見回し、提督は口を開いた。
「では、作戦を伝える」
硬質感のある口調に、一同は居住まいを正した。
4
結局、会議は夜まで続けられ、そこで解散となった。
エアルはと言えば、せっかく友人の船に来たと言う事もあり、シャルンホルストを伴ってオスカーを訪ねる事にした。
シャルンホルストとしても久しぶりに妹に会える機会を得てうれしいのだろう。二つ返事でエアルについてきた。
「今回の作戦、お前はどう思う?」
「どうって?」
互いに酒の満たされたグラスを傾けながら、尋ねるオスカーにエアルは顔を上げる。
ここは「グナイゼナウ」にある、艦長室。
エアルとオスカーは今、差し向かいで酒を飲みながら語り合っていた。
「何か、不安な事でも?」
「ああ、司令官の事なんだが・・・・・・」
司令官のリュッチェンスは着任後、一貫して「グナイゼナウ」に将旗を掲げている。その為、エアルはこうした会議の席でしか顔を合わせる事が無い。
エアルはあの新司令官がどういった人物なのか、よく分からないのだった。
「正直、こんな事を言えば上官批判に当たるかもしれんが、俺はあの人の事が良くわからん。日常でも業務連絡以上の会話は殆ど無いし、作戦内容も一方的に通達するだけで、こちらの話を聞いてくることもないからな」
なるほど。
エアルはグラスを傾けながら頷く。
前任のマルシャルは、どちらかと言えば立場を越えて様々な人たちから意見を聞くようにしていたし、必要なら他の艦に赴いて話を聞くこともあった。
当然、オスカーも何度も話し合いに参加し、人となりは互いに把握していた。
どうやらリュッチェンスはマルシャルとは真逆の性格をしているらしい。
勿論、リュッチェンスのやり方が悪いと言う訳ではない。そもそも作戦立案は司令官や参謀など、司令部幕僚の仕事だし、分業と言う点を考えれば、旗艦艦長に意見を求める方が間違っているともいえる。
しかし、リュッチェンスのように極端に堅物すぎると、息が詰まるのも確かだった。
「まあ、言っても、作戦はこれからなわけだし」
エアルは親友に笑いかけながら言った。
「提督のやり方が良いのか悪いのか、今回の戦いが終わってから判断してもいいんじゃない?」
そう言って「アハハー」と笑うエアルに、オスカーは嘆息する。
「他人事だと思って」
「だって他人事だし」
「お前な・・・・・・」
つられるように、オスカーも笑いだす。
能天気なエアルの顔。
その顔を見ていると、どうにも起こる気も失せて来るのだった。
「それはそうと、ゼナから聞いているぞ」
話題を変えるように、新たに酒をグラスに注ぎながらオスカーが言った。
「お前とシャル、最近、ずいぶんと仲がいいそうじゃないか」
「そりゃ、艦長と艦娘だし、それなりには、ね」
コミュニケーションは大事だ。
その点、エアルとシャルはうまくやれていると思う。
だが、
それだけか?
不意に、自分の中で浮かんだ疑問が、エアルの思考を停止させる。
艦長と、艦娘。
本当にそれだけなのか?
あるいは、
自分はもっと、シャルンホルストと違う関係になりたいのではないのか?
最近よく、そんな風に思う事が多くなった。
分からない。
その疑問は、まだ、エアルの中で答えが見えていない。
否、
簡単に、出していい答えだとは思えなかった。
オスカーも、親友の心を察したのだろう。
それ以上は何も言わず、酒の入ったグラスを傾ける。
その様子を見ながら、エアルは少女の事を思い浮かべた。
男達が聊か深刻な顔で語り合っている頃、
少女たちはと言えば、各々、ベッドに座って語り合っていた。
少女たちがいるベッドの上には菓子類やらジュースやらが並べられ、ちょっとした女子会モードである。
「おにーさんとの関係?」
お菓子を口に運びながら、シャルンホルストはキョトンとした顔で首をかしげる。
対して、少女に向けられる視線は2対。
「そう。結構、噂になってるわよ。シャルとアレイザー中佐が付き合ってるって」
「え、ちょッ 誰がそんな噂をッ!?」
グナイゼナウの言葉に、慌てるシャルンホルスト。
そこに、畳みかけるように、その場にいるもう1人の少女が口を開いた。
「私も聞きました。艦隊の中では有名みたいですね」
興味津々、と言った感じに告げたのは、金髪を二つ結びにした、小柄な少女だ。
どこか人懐っこそうな雰囲気があり、少し幼げな印象がある。
少女の名はプリンツ・オイゲン。
新鋭重巡の少女も、このお茶会にお呼ばれし参加していた。
「竣工したばかりのオイゲンの耳にも入ってるって事は、相当広まってるって考えていいんじゃない?」
「そ、そんなッ 誤解だよッ ボク達は別に・・・・・・・・・・・・」
言いかけて、
シャルンホルストは言葉を止めた。
別に、何だ?
その先が、続かない。
指先が、知らずに首元へ導かれる。
少女の首を飾る、騎士鉄十字章。
これを付けてもらった時に感じた温もりを思い出す。
「シャルさん?」
「う、うん」
問いかけるオイゲン。
しかしそれに対し、シャルンホルストは上の空で返事をするだけだった。
自分は、シャルンホルストとどうなりたいのか?
自分は、エアルとどうなりたいのか?
青年艦長と巡戦少女は、互いに空間を異にしながら、期せずして同じ疑問に突き当たり立ち止まっている。
遠くにいながら、互いを近くに感じる。
しかし、
その想いが既に通じ合っている事には、
エアルも、シャルンホルストも気付いてはいなかった。
第22話「夜会の語らい」 終わり