1
高速で駆け抜ける機体は、まるで大空を飛翔する嚆矢の如く。
翼に描かれた鉄十字が、誇らしく蒼穹を切り裂く。
猛禽の如き鋭い視線は、雲間から湧き出る黒い点を見逃さない。
無数に生じる点は、やがて大きく形を変え、翼をもつ鋼鉄の鳥となる。
「敵機確認ッ これより交戦に入る!!」
無線に吠えるように叫びながら、スロットルを開く。
エンジンが唸りを上げ、メッサーシュミットBf109は、一気に最高速度まで加速した。
他の烈機も同様に、翼を翻して、迎撃に向かってくるイギリス機へ襲い掛かる。
クロウ・アレイザーはこの日、ロンドンを空爆する爆撃機部隊の護衛として、イギリス本土上空へとやって来ていた。
既に、何度目かになるかも分からない程に、連日にわたって続けられている光景。
鮮やかな空にはいくつもの黒煙が上がり、眼下には爆炎が踊る。
世界でも有数の、美しい街並みが、ドイツ軍の爆撃によって破壊されていく。
その光景を螺旋する視界の中で見ながら、
クロウは自身の見定めた獲物に襲い掛かる。
相手は、爆撃隊にとりつこうとしているハリケーン戦闘機。
このままでは爆撃隊に被害が出てしまうだろう。
だが前方への攻撃に夢中になるあまり、後方から迫るクロウのメッサーシュミットには気付いていない。
スロットルを開くクロウ。
「やらせるかッ!!」
フル加速で近づくと同時に、翼内の機銃を一連射。
ハリケーンのパイロットは、背後から迫るメッサーシュミットに気付いていたが最早、退避の時間はない。
次の瞬間、
クロウの視界の中で、ハリケーンの機体は爆炎に飲まれた。
「次だッ!!」
すぐさま操縦桿を引いて、機体を翻す。
上げた戦果を喜んでいる暇はない。
時間が無いのだ。
メッサーシュミットの航続力を考えれば、あと数分の戦闘が限界だ。
スロットルを開き、次の目標を見定めるクロウ。
向かってくるスピットファイア。
すれ違いざまに、両者は機銃を相手に叩きつけた。
ゆっくりと高度落として接地。
同時にスロットルを絞りながら、機体を減速させる。
車輪が地面をこする音を聞きながら、やがてクロウのメッサーシュミットは停止位置で止まった。
プロペラが完全に止まるのを確認して、大きく息を吐いた。
体を包み込むのはひたすらな脱力感。
そして無力感。
「・・・・・・・・・・・・やれやれ、だな」
自分達が置かれている状況の空しさが、否応なく少年の心を削り取る
ハッチを開いてコックピットを降りると、機体の格納を整備兵に頼み、クロウの足は宿舎内へと向かった。
何でもいいから休みたい。
今は、それだけが望みだった。
宿舎の休憩所ではすでに、先に戻っていた幾人かの同僚がくつろいでいるところだった。
「ようッ」
「ああ、お疲れ」
顔馴染みのパイロットに挨拶を交わしながら、椅子にドカッと腰を下ろすクロウ。
今回の戦いも、クロウ達戦闘機隊にとって満足のいく物とはいかなかった。
クロウ自身は、敵戦闘機2機を撃墜したものの、それは戦局に関わる物ではなかった。
結局今回も、航続力の関係から護衛任務を途中で切り上げざるを得なくなったからだ。
作戦は当然、失敗、とまではいかずとも、全体的に見て満足がいく物とは言い難かった。
否、結局のところ、空爆による戦果は確認しづらい面がある。
爆弾は確かにロンドンに落ちて爆炎を上げているのだが、それがどれほど相手にダメージを与えたのかは全くの不明である。
イギリス空軍の迎撃は激しく、どれだけ攻撃を仕掛けても、イギリス軍には大した打撃にはなっていないのだ。
次々と湧いてくる敵機。
一向に音を上げる気配のないイギリス。
そして、無意味な攻撃命令をまき散らすだけの上層部。
それら全てが、ドイツ空軍パイロット全員の士気を低下させていた。
カウンターでミルクを注文すると、同じ部隊の同僚が、すぐ傍らにやってきて話しかけてきた。
「よ、お疲れ」
「ああ、そっちも」
互いに持っているカップを打ち付け、とりあえずの生還と再会を分ちあう。
とは言え、互いにひどい顔をしている事は見ればわかる。
連日の戦闘で、疲労はピークに達しているのだ。
そんな中、同僚は険しい眼差しで話しかけてきた。
「聞いたか? 今度、新戦術の発令があるらしいぞ」
「新戦術?」
何の事だ?
ミルクを口に運びながら、首をかしげるクロウ。
これまでも空軍は、イギリス攻略に向けて様々な戦術を考案し、前線のパイロット達にやらせてきた。
その中には有効なものもあるにはあったが、仲には愚にもつかない指示で多数の犠牲を出した事もあった。
そんな中、同僚は声を潜めて行った。
「ああ、何でも今後、戦闘機部隊に空戦を禁じ、爆撃機の護衛に徹しろって事らしいぞ」
「護衛なら、今でもやってるだろ」
何をいまさら、とクロウは思う。
そもそも、連日のように爆撃機護衛の為に出撃しているのだ。そんなものは新戦術でも何でもないと思うのだが。
しかし、同僚は続けた。
「そうじゃねえよ。要するに、上の連中は燃料が足らなくなるのは、パイロットが勝手に空戦をやるからだって言ってんだ。だからこれからは、爆撃機の傍から離れず、敵機が来たら、追い払うだけにしろって事らしい」
「はあッ? 何だそりゃ?」
思わず、素っ頓狂な声を上げるクロウ。
それじゃあまるで、戦闘機に爆撃機の盾になれ、と言っているに等しい。
言うまでも無いが、戦闘機の最大の武器は、その軽快な運動性にある。
大空を自由に飛び回る機動戦こそが、戦闘機の真骨頂であり存在意義でもある。
それを禁止してしまえば、戦闘機はただの空飛ぶ的でしかなくなる。
大体、追い払ってどうしろと言うのか? 追い払っただけでは、また敵は来る。確実に敵を撃墜しないと。
それに、戦闘機を爆撃機に盾にすれば当然、戦闘機の損害は劇的に増える事になる。そうして「盾」を失った爆撃機を、今度は誰が守ると言うのか?
こんな事は子供でも分かる単純な理屈だ。
しかし、その子供でも分かる理屈を、今や空軍上層部は誰もわかっていなかった。
クロウは、ヘルムトート・ゲーリングの太った顔を思い出しながら舌打ちした。
阿呆か。
クロウは内心で呟いた。
そもそも、攻撃目標を都市部に集中している、現在の空軍の戦略方針自体が間違いなのは語るまでもないだろう。
都市を攻撃したって、「イギリス軍」には何の痛痒にもならない。当初の方針通り、軍事施設を攻撃しないと。
勿論、軍事施設から、都市部へ攻撃変更がされたのは、ヒトラー総統からの直接命令が会った事を、クロウは知らないのだが。
しかし、上層部が自分達の戦略ミスを認めようとせず、前線のパイロット達に辛苦と犠牲を強いる事で、状況を糊塗しようとしている事だけは確かだった。
「・・・・・・・・・・・・冗談じゃねえよ」
そんなバカげた理由で、2階級特進なんぞまっぴらだ。
そんな新戦術を、律儀にやってやる義理はない。無視するに限る。
そう思って、出されたミルクをグイっと飲み干して立ち上がろうとした。
その時、
「失礼、あなたが、アレイザー中尉か?」
背後から、声を掛けられ振り返るクロウ。
一体、誰だ?
聞きなれない声に、若干の苛立ちをぶつけるように、相手を見やる。
振り返ったクロウの視界の中には、
1人の少女が立っていた。
淡い金髪をツインテールに纏め、細身ながら、プロポーションを持つ少女。
しかし、
「・・・・・・えっと、誰?」
見覚えのない少女だった。
海軍の軍服を着ているところを見ると、どうやら軍人らしいのは判るのだが。
首をかしげるクロウに、少女は思いついたように口を開いた。
「失礼、私は・・・・・・・・・・・・」
そう言って、名乗る少女に、思わずクロウは息をのんだ。
2
目も眩むような華やかさが飛び込んでくる。
極彩色の色と光で、頭痛を催すようだ。
美しい物は人の心を魅了する、とは言うが。
しかし、過ぎたる美しさは、却って嫌悪感を呼び起こす物だった。
見る者を圧倒する、と言えば多少は荘厳さも加わって良い表現に聞こえるかもしれないが、一皮むけば、どろどろと醜い本性があらわとなる。
「ふわあ」
パーティの光景を見たベルファストは、思わず口を開けて感嘆の声を発した。
見回せば政治家や財界、学会、軍関係者、そして王族が軒を連ねる。
そのほとんどが彼女からすれば「雲上」と言っても良い立場の人間たちであり、普段なら顔を合わせる事すら無いだろう。
そのベルファストも、今日はいつもの軍服姿ではなく、貸衣装店で借りたドレス姿である。
今日の為に、わざわざ借りてきたのだ。
「あまり、きょろきょろするなよ。田舎者だってバレるぞ」
「余計なお世話ッ て言うか、誰が田舎者よッ!?」
からかうリオンに、食って掛かるベルファスト。
そのリオンも、軍服の正装でこの場に臨んでいた。
ここはイギリスの王宮。
年が明けて1941年1月3日。
この日、各界の代表が呼ばれ、新年の祝賀会が行われていた。
ベルファストはリオンの関係者と言う事もあり、パートナー役として呼ばれたのだ。
先のフェロー諸島沖海戦において、ドイツ巡洋戦艦「シャルンホルスト」と交戦し、負傷したベルファスト。
現在、艦体の方はドッグ入りして修理している最中である。
本来ならもっと早く、修理が完了していてもよさそうなものなのだが、他の艦の修理が優先された為、「ベルファスト」の修理は後回しとなったのだ。
艦娘のベルファストの方は、既に全快し私生活に支障が無いレベルにまで回復していた。
そこで、リオンが今回、新年の祝賀会のパートナー役として、彼女を誘ったと言う訳である。
「うう、何か場違いな感が半端ないんだけど?」
「そうか? もっとリラックスしろよ。緊張してると却ってバカみたいだぞ」
「あんたは良いよね、慣れてるから」
食って掛かるベルファスト。
だが、
「慣れてる、か」
リオンはと言えば、ベルファストの言葉に対し自嘲気味な笑みを見せる。
怪訝そうに首をかしげるベルファスト。
何か言おうと口を開いた時だった。
「おいおいおいおい」
突然、場違いとしか思えないような声が発せられ、周囲の人間が振り返る。
そんな中、
リオンは1人、嘆息気味に肩を落とした。
誰が来たか、などと誰何するまでもなく、声で相手が分かったのだ。
「いやはや愚弟よ、こんな所にまで顔を出すとは、図々しいにも程があるんじゃないのか?」
突然、背後から投げつけられた声に、リオンは思わず嘆息する。
正直、振り返る事すら億劫なのだが、この場にあっては無視するわけにもいかない。
仕方なく相手に顔を向けると、第2王子ディランが、相変わらずの取り巻き連中を引き連れて、こちらに歩いてくるところだった。
その堂々たる姿に、会場内の人間が感嘆の声を上げ、女性陣はうっとりと頬を赤らめる。
「見ろ、ディラン様だ」
「ああ、いつもながら堂々たるお姿、感服させられるよ」
「聞けば、先の戦いでも大きな戦果を挙げられたとか。やはり、次期国王はあの方で決まりだろう」
「素敵、ディラン様」
それぞれに心地いい声を聴きながら、ディランはリオンの前へと歩み寄った。
「貴様、よくもまあ、恥ずかしげもなく、このような高貴な場に顔を出せたものだな。ここは貴様のような下賤な出自の人間が来る場所ではないぞ」
「・・・・・・・・・・・・」
各界の代表が集まる場にあって、リオンを罵るディラン。
しかし、それを咎めようと言う人間は、この場にはいなかった。
既にディランは、大英帝国随一の英雄とまで宣伝されている。
先のフェロー諸島沖海戦において、襲撃してきたドイツ艦隊を撃破。その後に現れたシャルンホルスト級巡洋戦艦との戦いでも、敵の卑劣な戦いに苦戦しながらも味方を守って奮戦、最終的に多くの輸送船を守り通した事で、国内における彼の人気は不動のものとなった。
連日のようにラジオ番組に出演。海軍の宣伝用広告には、必ずと言って良いほどディランの顔写真が出るほどである。
ファンクラブもいくつも作られているとか。
政治家や財界人は将来有望なディランに取り入る事に躍起になり、未婚の婦女子はディランの気を引こうと、最大限に着飾り、競う様に群がってくる。
今やディランはイギリス海軍の、更にはイギリス国民最大の英雄と言っても過言ではなかった。
無論、真実は違う。
そもそも初めの巡洋艦相手の戦闘で勝利できたのは、最新鋭戦艦「キングジョージ5世」の戦闘力をもってすれば当然である。
その後、追い付いてきたシャルンホルスト級巡洋戦艦には立ち上がりを制された事もあり、手も足も出ずに這う這うの体で退却してきた。
もし、リオン達が助けに入らなければ、「キングジョージ5世」は撃沈されていた可能性すらある。
しかし、それらの事実は徹底的に伏せられ、ディランはあくまで「英雄」として凱旋していた。
イギリス王室としても、一度は「英雄」として祭り上げてしまったディランを、今更その座から引きずり下ろすわけにもいかず、隠蔽と事実の誇張に奔走していた。
こうして「英雄」として順風満帆なディラン。
英雄ともてはやされ、次期国王候補筆頭とも言われる高貴なる第2王子と、どこの馬の骨とも知れない、諸子の出であり、大した戦果も挙げていない(と周囲は思っている)第8王子。
周囲の人間がどちらの味方に付くかは、自明の理だった。
ディランは蔑んだ眼を、容赦なくリオンへと向ける。
「貴様のような無能な弟を持って、私は実に恥ずかしいよ。同じ海軍に所属しながら、ろくな戦果も上げないとはな。まったくもって、お前は英国王室の恥晒しだよ。この私のように活躍できるよ、せいぜい精進するが良い」
周囲からも「その通りだ」「いや、流石はディラン王子。言う事が違う」「これで大英帝国も安泰だ」などといった声が聞こえてくる。
と、
「いい加減にしてよ!!」
声を上げたのは、ベルファストだった。
一同が視線を向ける中、少女はリオンの前へと出る。
「毎回毎回ッ リオンがあんたに何したっていうのよッ!?」
眦を釣り上げる少女。
下手をすれば、そのままディランに殴り掛かりそうな勢いである。
だが、
そんな少女の様子を見て、ますますディランたちは笑い声をあげる。
「おいおい、愚弟が飼っている野良犬が勝手に吠え始めたぞ」
「いやはや、どうやらしつけもなっていない様子。程度が知れますな」
「まあまあ皆さま、所詮は犬のする事。我々は温かい目で見守ってやろうじゃありませんか」
ディランと取り巻き達がゲラゲラと笑う。
笑いはたちどころに伝播し、周囲をも巻き込んでいく。
その様子を見て、ベルファストは悟った。
「慣れてる」など、とんでもない。
ここが、リオンがいつもいる世界なのだ、と。
周りに味方はおらず、全てを敵に囲まれている。
向けられるのは常に悪意と嘲笑ばかり。
手柄は奪われ、罪は押し付けられる。
きらびやかさで糊塗された、ひたすら醜い世界。
「・・・・・・・・・・・・」
リオンを見るベルファスト。
当の第8王子は黙して語らず、周囲に反論もしない。
無駄だと分かっているからだ。何を言っても、奴等にとっては、格好のからかいネタでしかないのだから。
周囲、全てを巻き込む笑い声が、最高潮に達した時、
「やあみんな、ずいぶんと楽しそうだね」
静かな、
それでいて、全ての悪意に満ちた笑い声を圧倒するような、存在感のある声。
その声に、
笑っていた全ての人間が、思わず息をのんで体を強張らせた。
誰しもが視線を向ける中、
第1王子アルフレッドが、小さな女の子に手を引かれながら歩いてくるところだった。
「兄上・・・・・・・・・・・・」
思わず、声を発するリオン。
対して、アルフレッドは弟に、柔らかい笑みを向ける。
「やあ、リオン、久しぶり。無事に帰って来てくれてうれしいよ」
「は、はい・・・・・・」
居住まいを正して答えるリオン。
リオンだけではない。
その場にいたすべての人間が、まるで清浄な空気に触れたかのように、一気に沈静化していくのが分かった。
「こ、ここは少々暑いですな。少し、外で涼んできましょうか」
「そ、そうですな。せっかくですので、飲み物でも持ってこさせましょう」
「失礼いたしました、皆さま。ごきげんよう」
皆、それまでの悪意がうそのように毒気を抜かれ、散り散りにその場を立ち去っていく。
たった一言。
その場に登場しただけで、アルフレッドはリオンへの誹謗中傷を収めてしまった。
それも、誰も傷つかないやり方で。
ただ、その場にいるだけで、場を支配する能力。
ある種のカリスマとも言うべき資質を、リオンは兄に感じていた。
と、
そんな中で、空気を読まずに声を上げる者がいた。
ディランだ。
兄の登場を見た第2王子は、まるで周囲の様子が目に入っていないかのように話しかけてきた。
「やあやあ兄上、お加減は如何ですかな? このような場所に出てこられては体に障りますぞ。宜しければ、私が部屋まで・・・・・・・・・・・・」
場違いな程に張り上げられた声は、しかし最後まで言い切る事が出来なかった。
その前に、アルフレッドがディランに向き直ったからだ。
視線を向けた。
ただ、それだけで、ディランは言葉を詰まらせた。
アルフレッドは何も、威圧的に接したわけでもないし、殺気を放っているわけでもない。
ただ振り返り、
口元には柔らかく笑みを浮かべた。
ただ、それだけの事で、ディランはそれ以上、無駄な口を叩く事が出来なくなったのだ。
「ディラン、私も君に会えてうれしいよ。しかし、ここは祝賀の場だ。あまり騒いだら、他の人の為にもならないだろう」
「は、いや・・・・・・兄上、それは・・・・・・」
どもるディラン。
叱責されたわけでもないのに、この兄を前にしてはかしこまってしまう。
そんなディランの肩を、アルフレッドは優しく叩く。
「もうすぐ、父上の演説が始まるよ。だから、後でゆっくり話そう。土産話を聞かせてくれ」
それだけ言い置くと、少女の手を引いてリオンの方へと歩いてきた。
一礼するリオン。
「ありがとうございます、兄上」
「何の事だい?」
とぼけたように首をかしげるアルフレッド。
「私はただ、兄弟として挨拶しただけだよ」
その言葉に、リオンは苦笑する。
かなわないな、この人には。
そう思ってしまう。
と、リオンの目が、アルフレッドと手をつなぐ少女に向けられた。
「エリス、大きくなりましたね」
「ああ、リオンが最後に、この子に会ったのは、もう1年以上前だからね。エリス、リオン叔父上に、ごあいさつなさい」
エリスは、今年で4歳になるアルフレッドの娘である。
体の弱いアルフレッドだが、奥方との間にできた、たった1人の子供が、このエリスだった。
しかし、リオンと目が合ったとたん、エリスはアルフレッドの影へと隠れてしまった。
「おやおや」
困ったように声を発するアルフレッド。
対して、リオンは無言。
しかし、小さな女の子に避けられた事に対し、心穏やかなはずも無く。
内心では地味に落ち込んでいた。
と、そこに救世主が現れた。
「こらリオンッ あんた、ただでさえ顔怖いんだから、女の子怖がらせちゃダメでしょ!!」
「い、いや、俺は別に」
割って入るベルファスト。
少女はリオンを無視してかがみこむと、エリスに視線を合わせる。
「さ、ここは人がいっぱいいて怖いから、あっち行って、お姉ちゃんと一緒に遊ぼ」
ベルファストの言葉に、
エリスは小さく頷くと、手を取って歩き出す。
その様子を、アルフレッドは微笑まし気に眺める。
「気を使わせてしまったかな、彼女には」
「いえ・・・・・・・・・・・・」
リオンも苦笑を見せる。
ベルファストのあの気質だ。純粋に、子供の相手をしてあげたかっただけだろう。
とは言え、それについてありがたい事も確かだが。
その時だった。
人々の感嘆の声が響き、視線が壇上へと集中する。
一同が見守る中、悠然と進み出た人物。
ひときわ豪奢な礼服に身を包み、頭には志尊の王冠を頂いている。
齢にして50は越えているはずだが、その鍛え上げられた肉体は巌の如き印象があり、見る者に畏怖を与える。
「陛下・・・・・・」
「陛下だ」
「国王陛下・・・・・・」
一歩歩くごとに、周囲の人間がひれ伏すがごとく声を震わせる。
イギリス現国王フレデリック6世。
この国の君主であり、文字通りの最高権力者。
アルフレッドやディラン、リオンの父親に当たる人物でもある。
若いころは軍人として第1次世界大戦に出陣。
あのユトランド沖海戦においても、戦艦を指揮して奮闘した事は、今も英雄譚として語り継がれている。
フレデリックは壇上に立つと、一同を見回していった。
「諸君、今日と言う日を無事に迎えられた事を、うれしく思う。新たなる1年。その1日目に、こうして皆が集まる事が出来た事に対する大いなる意味を、余自身が深く噛みしめる思いだ」
重々しい口調で語る国王。
その圧倒的威圧感が、場の空気をも支配していく。
「多くの者が命を落とす中、この場に曲がりなりにも立てる者は皆、我が大英帝国を支える勇者であることに疑いはないだろう」
居並ぶ皆が襟を正し、直立不動で聞き入っている。
リオンも、アルフレッドも、
そしてディランですらも、静寂の中に身を置き、父の言葉を聞き入っている。
「しかるにッ!!」
声を荒げるフレデリック。
それだけで、室内全体が震えるようだった。
「我が心、晴れる事無しッ 大陸ではいまだに、悪逆非道かつ、卑劣極まりない独裁者に率いられたナチス共が幅を利かせ、その矛先は不遜にも今や、我が領土にまで及ぼしている。このドーバーの海を越えた、ほんの我が鼻先に、あの独裁者に率いられた亡者の如き軍勢がいると言うだけで、我がはらわたは引き裂かれるほどに怒りを発している!!」
圧倒的な声量。
殺気すら伴った言葉。
何人かの人間は、立っている事すらできずに座り込みそうになっているほどだった。
「我が望みはただ一つッ あの成り上がり者の独裁者と、それに追従する悪の軍勢を滅ぼし尽くし、このヨーロッパの地に、我が大英帝国の威光を知らしめる事のみ!!」
一同を見回して、フレデリックは言い放つ。
「各々、その事を心せよ」
言い終えた直後、
誰もが言葉を発する事が出来ず、立ち尽くす。
巨岩を削り出したような、圧倒的な存在感。
厳然たるカリスマが、そこにはあった。
皆が押し黙っている。
その時だった。
「素晴らしいッ 素晴らしいですぞ、父上、いやさ、陛下!!」
突然に響く道間声。
皆がギョッとして振り返る、その視線の先には、大股でこちらに向かって歩いてくる巨漢の男がいた。
大柄な体躯、筋肉質な四肢。
ひげ面の顔は、およそこの場には似つかわしくないどう猛さを感じる。
着こんでいる海軍の軍服ですら、どこか場違いにさえ見えてしまう。
何より、全身より発せられる雰囲気。
まるで、たった今、人を殺してきたような、血なまぐささを感じる。
誰もが恐怖の目を向ける中、
フレデリックは、目を輝かせた。
「おお、アンドリウス、戻っていたかッ!?」
「つい先日。挨拶が遅れ、申し訳ありません」
そう言って一礼する大柄な男。
第3王子アンドリウス。
この男もまた、リオンの兄の1人である。
アンドリウスだけではない。
彼に付き従うように3人。
双子の第4王子と第5王子、名前はそれぞれエドモンドとエディアン。
第6王子コルドリウス。
この4人は全員、先日まで地中海艦隊に所属し、イタリア軍相手に睨み合いをしていたのだが、新年の祝賀に出席するために帰国していたのだ。
「お前ッ アンドリウス!!」
父の前に進み出るアンドリウス王子に、食って掛かるように立ちはだかったのはディランだった。
「新年を祝う祝賀に遅参するとは、何たる不始末だッ 恥を知れ、貴様!!」
吠えつくように言い放つディラン。
対して、
アンドリウスはそこで初めて、兄の存在に気付いたように振り返った。
「これはこれはディラン兄上、お久しぶりですな。たいそうなご活躍だそうで」
言いながら、口元に笑みを浮かべるアンドリウス。
そこに含まれているのは、明らかな嘲笑。
「聞きましたぞ。何でも先日は、完成したばかりの最新鋭戦艦を傷物にしたとか。その前は、自分の艦を沈められたそうですな。その前は、何だったかな?」
「『味方が壊滅する中、自分は1発も撃てずに敵を取り逃がした』ですよ、兄上」
「おお、そうそう」
横から口を挟んだのは、第6王子のコルドリウスだ。
彼はアンドリウスの副官であり、彼が率いる部隊のブレーンでもある。
「いやー、我が兄の活躍ぶりには、このアンドリウスも遠い異郷の地において感動が絶えませんでしたぞ」
「貴様ッ」
明らかな挑発に、激高するディラン。
見ればエドモンドとエディアン両王子も、クスクスと笑い声を上げている。
その事が、更にディランの沸点を刺激する。
しかし、第2王子が何か言う前に、割って入った人物がいた。
「お前たち、それくらいにしておけ」
重厚な声が、場を圧倒する。
フレデリック王は、息子たちを順に見回しながら言った。
「我が息子ならば、見苦しい振る舞いは慎むが良い」
「ハ・・・・・・」
「ハハッ 父上の仰せの通りに」
ディランが何か言う前に、アンドリウスが深々と礼を取る。
一方のディランは、完全に機先を制された形だった。
そんな第3王子の様子に気をよくしたのか、フレデリックは息子の肩を叩く。
「さあ、奥へ行こうアンドリウス。たまに帰ってきたのだ。この父に土産話でも聞かせてくれ」
「はい。父上がお望みであるなら」
そう言うとフレデリックは、アンドリウスを伴って奥へと下がっていく。
それに続く、エドモンド、エディアン、コルドリウスの3王子。
すれ違う一瞬、アンドリウスはディランに勝ち誇ったように笑みを向ける。
しかし、ディランは何も言い返す事が出来ない。
ここで言い返せば、かえって自分の醜態を周囲に晒す事になると、流石に分かっているのだ。
「クソッ」
故に、ただ去っていく背中に、悪態をつく事しかできなかった。
と、
先を歩くフレデリックが一瞬、並んでたたずむリオンとアルフレッドへと向ける。
「・・・・・・・・・・・・」
視線が交錯したのは、ほんの一瞬。
次の瞬間には、フレデリックは息子たちにまるで興味が無いかのように、そのまま正面を向いて歩き去っていくのだった。
3
宴もお開きとなり、列席者達が帰宅の途に就く。
先ほどまでは色とりどりの喧騒に包まれていた王宮も、陽が落ちたように静けさを取り戻す。
本来なら、リオンとベルファストも宿舎に戻ろうと考えていた。
しかし、アルフレッドに誘われた2人は、宴が終わるとすぐに、第1王子の私室へと招かれていた。
せっかく久しぶりに会ったのだから、もう少し話を聞かせてほしいと頼まれたのだ。
リオンにとしては、少し安堵していた。
華やかでありながら、果てしなく重苦しい式典に肩が凝っていたリオンとしては、尊敬する兄からの誘いはとてもありがたい物があった。
テーブルを囲み、差し向かいでグラスを取る、リオンとアルフレッドの兄弟。
兄が用意した酒に口を付けるリオン。
のど越しに感じる香ばしい味わい。
軽い酩酊が、疲れた心と体を癒してくれる。
それだけで、先ほどまでの地獄がうそのようだった。
と、
リオンは思い出したように、アルフレッドに向き直った。
「すみません、兄上。何か、その・・・・・・」
「うん? 何がだい?」
「あれ、です」
リオンが指差したのは、アルフレッドのベッド。
そこには、2人の少女が互いに抱き合うような形で眠りこけていた。
エリスと、そしてベルファストである。
先ほどまで遊んで疲れたのだろう。2人は瞼を閉じ、静かな寝息を立てていた。
エリスは小さな手でベルファストにしがみつき、ベルファストも又、エリスを守るようにしっかりと抱きしめている。
一国の王女を抱いて眠るなど不敬も甚だしいが、アルフレッドは気にした様子はなかった。
「不思議な子だね」
「確かに、不思議な子ですね。エリスは。どこか、浮世離れしているような雰囲気があります」
呟くように言ったアルフレッドの言葉に、頷きを返すリオン。
妖精のような、と言う表現がぴったり似合いそうなほど、はかなげな雰囲気のある少女である。
だが、
そんな弟の言葉に、アルフレッドは苦笑しながら首を振る。
「違うよ。私が不思議と言ったのは、ベルファストの事さ」
「え、ベルが、ですか? どこが?」
訝るリオン。
正直、普段から腐れ縁みたいに一緒にいる身としては、ただの姦しい娘にしか見えないのだが。
そんな弟の様子に、笑いながら口を開く第1王子。
「エリスは人見知りが激しい子でね。特に初対面の人間とは目も合わせようとはしない。だが、彼女には素直に着いていった。それが珍しくてね」
言われて、リオンも納得する。
ベルファストは、少々気が強い所が玉に瑕ではあるが、反面、人と人との垣根をあまり気にしないところがある。
身分とか階級とか、そう言った物を無視して距離を詰めて来るのだ。
それが、エリスの心をつかんだのかもしれなかった。
「それが、あいつの良い所ですから」
普段、本人には絶対に言わないような事も、ついつい兄相手には言ってしまう。
そんなリオンの様子がおかしかったのか、アルフレッドはクスッと笑った。
「よく、分かってるんだね、彼女の事」
「・・・・・・まあ」
少し、気恥ずかしい気がして目を逸らした。
「ねえ、リオン」
そんな弟に、アルフレッドは語り掛ける。
どこか、消え入りそうな、そんなはかなさを感じる兄の声に、リオンはグラスを持つ手を止めて振り返る。
「もし、私が死んだら・・・・・・・・・・・・」
「兄上ッ」
冗談でもそんなこと言わないでほしい。
感情もあらわに叫ぶリオン。
だが、アルフレッドは努めて穏やかに、言葉を続ける。
「自分の事は自分が良く分かっている。恐らく、私は長くは生きられないだろう」
「・・・・・・・・・・・・」
兄の言葉に、リオンは無言。
否定する言葉が、とっさに見つからなかったのだ。
「もし、私に何かあったその時は、エリスを頼む」
「エリスを?」
「君達なら安心して任せる事が出来る。これは、私の一生の頼みと思って、どうか受けてくれないか?」
そう言って、リオンの肩を叩くアルフレッド。
対して、
リオンは、兄の気持ちを受け止めて頷きを返すのだった。
第27話「汚泥の底にも花は咲く」 終わり