1
エアル
エアル
エアル
クロウとサイアの事、お願いね。
あなたは、お兄ちゃんなんだから。
・・・・・との、約束よ。
お願いね、エアル。
心地よい揺れが、背中に感じる。
覚醒する意識の中、どんな夢を見ていたのか思い出そうとする。
とても心地よい、
懐かしさを感じる夢。
しかし夢は所詮、一瞬の幻。
覚めた時には、
「・・・・・・・・・・・・寝てた、のか」
背中に感じる、一定の揺れと車輪がレールをこする音。
そこで、自分が汽車に乗って移動中である事を思い出す。
大きく欠伸をして、体を伸ばす。
と、
周囲からクスクス、と控えめに笑う声が聞こえてくる。
見れば、周りにいる何人かが、こちらを見て笑っている。
赤面する。
ちょっと、恥ずかしい姿を見られてしまった。
まあ、とは言え、
無理からぬことではある。
何しろ、任地から辞令を受けて、ベルリンにある海軍総司令部へ出頭。
そこで新たなる着任命令書を受け取ると、身の回りの物を整える間もなく、慌ただしく汽車の人になったのだから。
おかげで、家族に会う事すらできなかった。
折角、任地から戻ったのだ。ほんの少しでも良いから会いたかったのだが。
「まあ、とは言え実際のところ、それも難しかったかも、だけどね」
人知れず呟きながら苦笑する。
何しろ、弟は空軍のパイロットとして国境線付近の任地にいる。
妹はと言えばエンジニア関係の仕事をしており、これまた職場から離れられる状態ではないのだとか。
時間を作ろうにも、お互いに多忙の身。なかなか会う時間は作れなかった。
それでも、2人とは時々、手紙のやり取りをしている。離れていても、お互いの事は多少わかるし、何より兄妹3人、目には見えない繋がりのような物は、しっかりと感じ取る事が出来ていた。
「それに、父さんは・・・・・・・・・・・・」
そこまで考えた時だった。
徐々に、汽車のスピードが緩まるのを感じる。
どうやら、目的地に着いたらしい。
減速した汽車は、徐々にスピードを落とし、やがて軽い衝撃と共に停止する。
同時に、乗客たちが入り口に向かって歩き出す。
その波に乗って、汽車の外へと出る。
ここが新しい職場となる場所だ。
「さて、頑張ろう」
エアル・アレイザー、ドイツ帝国海軍中佐は、気合いと共にそう呟いた。
運命の1939年。
やがて来る激動の時代など、遠くの幻でしかなく、世界は取りあえず安寧の内にあった。
誰もが、いずれ訪れる地獄を知らぬまま、日々を過ごしていた。
もっとも、火種その物は全く無かったとは言いきれないだろう。
特にスペインでは、長く続いた内戦が終結した。
戦いはマニュエル・アサーニャ首相率いる共和国軍と、フランシス・フランコ率いる反乱軍との間で行われる事となった。
これは同時に、ファシズム対反ファシズムと言う対立図式を描いている事から、この戦いは、一般に、第二次世界大戦の前哨戦とも言われている。
ただし、そこに諸外国の思惑が、複雑に絡み合う事となった。
ファシズムを掲げるフランシス・フランコ側には、イタリア王国、大日本帝国、そしてドイツ第3帝国と言った主要な大国が支援に回ったのに対し、共和国側には、ソビエト連邦やメキシコなど、一部の国が支援したのみだった。
イギリス、アメリカ、フランスと言った列強各国は、ファシズム国家との対立を恐れ、日和見と言う名の中立を宣言した。
当然の帰結として、戦いは反乱軍側の有利に推移する事となった。
大国の支援を受けたフランコ率いる反乱軍は快進撃を続け、ついには首都マドリードを制圧。戦いは反乱軍側の勝利に終わった。
この戦いでスペインにおける共和政は崩壊。代わって、フランコを中心としたファシズム政権が発足する事となった。
政権を奪取したフランコは、速やかな粛清を実行。生き残って逃げ遅れた共和国首脳陣を処刑して行く事となった。
一方、
この戦いに多くの部隊を義勇軍と言う形で派遣したドイツ国防軍は、多くの貴重な実戦経験を得る事となった。
これが後々、ドイツが大きく躍進する力となっていく。
更に極東へ目を向ければ、大日本帝国と、ソビエト・モンゴル連合軍によるハルハ河戦争、所謂「ノモンハン事件」が勃発していた。
モンゴルと満州帝国の国境紛争に端を発した、この武力衝突は当初、機械化率の高い連合軍側が日本軍を圧倒していた。
しかし戦いの後半になると、白兵戦においては当時、世界最強とも言われた日本陸軍が戦線を押し返す展開を見せた。
最終的に、損害の多さにたまりかねた日本側が、連合軍に停戦を申し入れた事によって戦いは終結する事になる。
先に日本が音を上げた事により、この戦いは長らく、連合軍側の勝利だと思われてきた。
しかし戦後、かなりの時間が経ってから開示された資料によれば、実は連合軍側の損害は、日本軍側の損害を遥かに上回っており、軍は壊滅寸前だった事が明らかになった。
連合軍は自軍の損害をひた隠しにしたまま交渉に及び、実質的な勝利を物にしたのだ。
その為、ノモンハン事件は近年、「戦略的には連合軍が勝利、戦術的には日本軍が勝利」「日本が勝った戦いを自分で捨てた」などと言われる事になる。
このように、大小、いくつかの火種があったのは確かだが、幸か不幸か、すぐに大火になる事も無く、少なくとも世界規模で見れば、緩やかな時の流れにあった。
やがて来る、凄惨な地獄を知らないままに。
2
地図を見る。
前に進む。
暫く進んで立ち止まる。
周囲を見る。
目印になる物は、ない。
また地図を見る。
前に進む。
暫く進んで立ち止まる。
2秒ほど考えて、顔を上げる。
「うん、迷ったね。これは」
肩を竦めながら、エアルは呟いた。
あっけらかんとした口調。
一応、本人的には焦ってもいるのだが、傍から見ればそうは見えない。
困った時、焦っても仕方がない。焦ればそれだけドツボに嵌る。それよりも冷静になり、状況を整理する事が重要だった。
周囲を見回す。
誰かいれば、目的地までの道のりを聞けるのだが。
しかし道を聞こうにも、生憎と言うべきか、周囲に人影はいない。
早くも手詰まりになりつつあるのを感じる。
「やれやれ、着任初日から難儀だね、これは」
苦笑しながら、踵を返す。
仕方がないから、来た道を戻るとしよう。
記憶が少し曖昧だが、駅まで戻れば人に聞く事も出来るだろう。
そう思って、踵を返した時だった。
「おにーさん、もしかしてお困りだったりする?」
不意に、路地裏から声を掛けられ、エアルは足を止めて振り返る。
視線を向けた先、
路地からひょっこり顔を出すように、こちら覗き込む人物がいた。
女の子だ。
年齢は15か、16くらい。
肩より少し下くらいで切りそろえた明るい色の髪に、猫の髪留め。前髪の下からは、大きな瞳が、物珍しそうな視線をこちらへと向けている。
シャツに短パン履きの上から、裾の長いジャケットを着こんでいる。
小柄な身体つきをしており、短パンから伸びる足もほっそりとしていた。
女の子には違いないのだが、どこか少年めいた印象がある。
「君は、地元の子?」
「地元・・・・・て言って良いのかな?」
問いかけるエアルに対し、少女の答えはイマイチ要領を得ない返答である。
「けど、この辺くわしいのは確かだよ」
「あ、そうなんだ」
これは幸いだと思った。
地獄に神、
ではないが、助けになるのは確かだろう。
「実は来たばっかりで道に迷っちゃってさ。本当は港に行きたいんだけど・・・・・・」
「港に? それなら完全に反対方向だよ。何でこんな所にいるの?」
「え、嘘? 地図通りに来たはずなんだけど・・・・・・」
「ふうん、ちょっと見せて」
そう言うと、少女はエアルの手元にある地図を、横から覗き込む。
睨むこと暫し。
ややあって、
少女は微妙な表情で、顔を上げた。
「おにーさん・・・・・・これ、隣町の地図だけど?」
「え? あれッ!?」
慌てて地図を見直すエアル。
よくよく見れば確かに、表記が隣町の物になっている。
道順ばかり気にしていたから全く気付かなかった。
「しまった。出発の時バタバタしちゃったから気付かなかったよ」
これはもう、笑い話でしかない。
肩を竦めるエアル。
そんな青年の様子に、少女もつられて笑いだす。
「もう、ドジだなあ、おにーさんは」
ひどい言われようだが、こうなると否定も出来ない。
少女の言う通り、言われるまで気付かないなど、間抜けも良いところだろう。
「しょうがないなあ。じゃあ、ボクが港まで案内してあげるよ」
「ほんと? 助かるよ」
やはり、地獄に神だったか。
エアルは言われるがままに、少女に着いて行く事にした。
詳しい、と言うのはウソではなかったようだ。
少女はいくつかの路地を曲がると、すぐに人通りが多い道へと出てしまった。
軽快な足取りの少女。
振り返ると、エアルの方を真っすぐに見る。
「今更だけどさ」
少女はちょっと不思議そうな顔で、エアルに尋ねて来た。
「おにーさんはボクの事、怪しいとか思わなかったの?」
「うん? 怪しいって、どういう事? 何が?」
怪訝な顔つきをするエアル。
対して少女は、やれやれとばかりに息を吐きながら告げた。
「だから、急に目の前に現れて道案内してあげる、何ていうんだよ。普通変だと思うでしょ? おにーさんはボクが泥棒とかスリとか、そういう感じの連中の仲間で、おにーさんを嵌めようとしてるかも、とかは考えなかったのかって話」
言われてみれば確かに、そういう可能性はあった訳だ。
治安は良さそうな街ではあるが、どんな街でも大なり小なり暗部と言う物は存在している。
その暗闇に引き込まれれば、戻ってこれなくなることもあり得る。
もし少女が言う通りのような存在だったとすれば、エアルは身ぐるみはがされるか、最悪、命を奪われていた可能性すらあった。
しかし、
「でも、違うんでしょ?」
「へ?」
笑顔交じりのエアルに、少女はポカンとした。
そんな少女に続ける。
「違うんなら、それで問題は無いよ」
実際の話、エアルは少女の事を1ミリも疑っていなかった。
今日、初めて会ったばかりの少女に、こんな風に思っている事自体、エアルにとっても不思議なのだが、少女の事は信用できる。嘘は言っていない。
そんな風に思ったのだ。
だが、
それに対して帰って来た少女の反応は、明らかな「呆れ」だった。
「おにーさんさあ、周りから『お人よし』とか『すぐ騙されそう』とか言われたりしてない?」
「よくわかったね」
なんでわかったんだろう?
そのせいでよく、弟や妹から怒られたりしているのだが。
首を傾げるエアルに、少女は更に続ける。
「そんなんで良いの? おにーさんは海軍の軍人さんでしょ」
「まあ、ね」
「階級は・・・・・・中佐、か。よくそこまで出世できたね」
「あはは。それもよく言われる」
まあ、事実なのだから、苦笑するしかない。
そうしているうちに、人の流れが変わり始めたのを感じる。
同時に、微かな潮の匂いが漂い始めて来た。
どうやら、目的地は近いらしい。
「ほら、おにーさん。ここまで来れば、港はもうすぐだよ」
言いながら、振り返る少女。
だが、
「て、あれ?」
振り返った先に、青年の姿はない。
一体どこ行った?
まさか、またはぐれたのか?
そう思い、慌てて周囲を見回す。
と、
「はい、これ」
少女の鼻っ面に、何かが差し出される。
ひんやりとした空気と、甘い香り。
視線を辿れば、エアルが少女に向けてアイスを差し出してきていた。
「これ、アイス?」
「うん。そこの露店で売っててね。ここまで案内してくれたお礼」
そう言って、アイスを差し出すエアル。
いったい、いつの間に買ったのか。
「ボクに?」
「そう」
ニコニコと笑うエアル。
対して、
少女は少し不満そうに、青年を見上げる。
「おにーさん、ボクの事、子ども扱いしている?」
「いや、そんなつもりはないんだけど・・・・・・」
困惑するエアル。
自分は純粋に、お礼のつもりで渡したのだが。
少女にとっては、お気に召さなかっただろうか?
だが、
「ウソウソ。ありがとう、おにーさん」
差し出されたアイスを受け取ると、少女は一口舐める。
「ん~ 美味しいッ」
ひんやりとした甘さを堪能すると、踵を返す少女。
「じゃあね、おにーさん。もう迷っちゃだめだよ!!」
「うん、ここまでありがとう」
手を振るエアル。
少女の姿は、すぐに雑踏に紛れて見えなくなっていった。
その姿を見送ると、エアルも港のゲートへ向き直る。
「さて、じゃあ、俺も行こうかな」
荷物を手に歩き出すエアル。
だがふと、
思い出したように立ち止まり、少女がいなくなった方向を振り返る。
当然ながら、既にそこには少女の姿はない。
「・・・・・・そう言えば、名前、聞きそびれたな」
いったい、あの少女が何だったのか、判らずじまいだった。
突然現れて、ここまで案内してくれた少女の正体は、結局なぞのまま。
「まあ、良いか」
同じ町にいるなら、いずれはまた会える日も来るかもしれない。その時にでも、改めて名前を聞けばいい。
そう思いエアルは、再びゲートに向かって歩き出した。
3
キール軍港はヴィルヘルムスハーフェン軍港と並んで、ドイツ海軍最大の軍港の1つである。
位置的には北海とバルト海を結ぶ航路の中間地点と言う、非常に重要な位置にある。
北にはデンマークがあり、海路からキールに攻め込むには、スケガラック海峡、カデガット海峡を通過するしかない。
内海に面している事から考えても防御力が高く、艦隊の泊地としては理想的であると言えた。
首都ベルリンからも近い事から、連絡性にも優れている。正にドイツ海軍の最重要拠点である。
故に、海軍最大級の戦力が駐屯している。
海に目を転じれば、多くの艦艇が遊弋しているのが見える。
海の狼とでも称すべき、俊敏さを見せる駆逐艦。
スマートな外見を持つ巡洋艦。
その身に無限の可能性を秘める神秘の船、潜水艦。
そのどれもが、ドイツ海軍の健在ぶりをアピールしていた。
司令部に立ち寄り、着任の挨拶を終えたエアルは、そのまま自分の艦が係留されている桟橋へと向かった。
エアルにとって幸いだったのは、艦隊司令官であるラインハルト・マルシャル大将とは以前、同じ職場で働いていた経験があり、気心が知れている事だった。
上司に恵まれている事は有難い。
軍隊と言う閉鎖性の高い職場なら猶更だった。
エアルが艦長を務める事になる艦は、港の最奥部にある桟橋に係留されていた。
美しい艦である。
細い船体に、甲板は中部から艦首に向かってうねり上げるように隆起している。
アトランティック・バウの艦首が、鋭い外見を齎している。
見る者が見れば、東洋のサムライソード、「日本刀」を連想するのではないだろうか?
艦中央部に纏まっている構造物は重厚で、ドイツらしい質実剛健さを表している。
更に前部に2基、後部に1基、背負い式に配置された砲塔が、優美な外見を完成させている。
世界中を探しても、これほど美しい船は、そうは無いだろう。
舷梯を上がり、甲板へと出る。
そこで、少佐の階級章を付けた男性が、海軍式の敬礼で出迎える。
「お待ちしておりましたアレイザー中佐。本艦の副長を務めます、ヴァルター・リード少佐です」
対して、エアルも指先を揃えて答礼を返す。
「エアル・アレイザーです。よろしくお願いします」
簡潔な着任の挨拶。
長々と口上たれるのは、エアルの趣味ではない。必要な事を簡潔に述べた方が、相手にはむしろ伝わる事も多いと思っていた。
エアルが腕を降ろすと、ヴァルターも敬礼を解く。
話を聞けば、ヴァルターはこの艦の完成当初から勤務しており、大概の事は知り尽くしているとの事。
今後、エアルが務めていく上で、ひじょうに頼りになる存在だった。
「それから・・・・・・」
ヴァルターが先を続けようとした時だった。
パタパタと、軽快に甲板を蹴る音が聞こえてくる。
「ああ、もう。制服のスカートって、何でこんなに短いのさッ」
着ている服に苛立ちを募らせて駆けてく存在。
灰色の軍服に身を包み、自分で言っている通り、短いスカートを穿いた少女。
「彼女が?」
「ええ、そうです」
問いかけるエアルに、ヴァルターが頷く。
少女は駆け寄る。
そして、
顔を上げた。
「「・・・・・・・・・・・・あ」」
声を上げたのは、エアルと少女、同時だった。
驚く2人。
無理もない。
なぜなら、
少女はつい先刻まで一緒に降り、この港まで案内してくれた、あの少女だったのだから。
「君は・・・・・・・・・・・・」
「お、おにーさんッ!?」
素っ頓狂な声を上げる少女。
エアルも又、驚いて目を見開いている。
1人、ヴァルターだけは、何が起こったのかわからないまま、怪訝な顔つきをしている。
3者の内、
最も早く、次の行動を起こしたのはエアルだった。
踵を揃え、指先を伸ばすと手を額に当てる。
ドイツ海軍式の敬礼を、少女に向ける。
「ドイツ帝国海軍中佐エアル・アレイザー。本日付で本艦の艦長に着任した。よろしくね」
「う、うん。よろし、く?」
意表を突かれたように、戸惑いながらも返事をする少女。
そして、
「ドイツ海軍第1戦闘群旗艦、巡洋戦艦、シャルンホルスト・・・・・・です」
第2話「鉄十字の少女」 終わり