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陸地の方からは、工業機械が作動する音が低く聞こえてくる。
先の空襲によって、大きな損害を被ったブレスト軍港。
その復興の為の作業が始まっているのだ。
加えて、ドッグには2隻の巡洋戦艦。
「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」が並んで入渠。損傷修理を行って居る。
イギリス軍がもたらした被害は決して小さな物ではない。
しかし、それでも、人々は前を向いて歩きだしていた。
第1戦闘群旗艦「グラーフ・ツェッペリン」も、既にブレストに帰還し、岸壁に横付けして整備を受けていた。
2隻の巡戦のように損害を受けたわけではないが、このドイツ空母もまた、長きにわたる作戦行動で細かな疲労は蓄積している。
次の作戦がいつになるか分からない以上、整備を怠る事は出来なかった。
シュレスが司令官室に入ると、ウォルフが険しい表情で書類を眺めていた。
入ってきた彼女にも気づかない様子のウォルフに、シュレスは嘆息しながら近づく。
「それは、本国からの命令書か?」
「うん? ああ、来ていたのか、シュレス」
盟友の存在に気付き、顔を上げるウォルフ。
どうやら余程、深刻な事態であるらしい。
「何があった?」
尋ねるシュレスに、ウォルフは本国からの命令書を手渡す。
一読するシュレス。
ややあって、顔を綻ばせる。
「ほう、『ビスマルク』が来るのか」
ドイツ海軍が威信を賭けて建造した最強戦艦。
バルト海での完熟訓練を終えた「ビスマルク」が、ライン演習作戦に参加する為、出撃準備に入ったと言う報せだった。
それと同時に、第1戦闘群にも出撃命令が下っていた。
当初、第1戦闘群の作戦参加は見送られる見通しだったが、中央の方で作戦変更があったらしい。
恐らくは「ビスマルク」出撃でイギリス海軍が混乱している隙に、戦果を挙げようと言う狙いだろう。
しかし、
シュレスは訝りながらウォルフを見た。
「これの何が問題なんだ? 『ビスマルク』が来てくれれば、イギリス戦艦のほとんどは相手にならないだろう。より、こちらが有利となる条件が揃うだろう」
「時期が悪い」
ウォルフは切り捨てるように言った。
「我々にも作戦参加の要請が来ているが、第1戦闘群は今、動ける状態じゃない」
先のブレスト沖海戦の結果、「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」が損傷してドッグ入りしている現状、第1戦闘群で行動可能なのは、旗艦「グラーフ・ツェッペリン」のみ。
ベルリン作戦時から、引き続き空軍出向の部隊を艦載機として搭載している「グラーフ・ツェッペリン」は、作戦参加に問題はない。
しかし、「ビスマルク」の援護戦力として、不足しているのは語るまでもなかった。
加えて、作戦内容にも問題があるように思える。
海軍本部からの命令は、「ビスマルク」を主力とする第2戦闘群と合流して艦隊を組むのではなく、「グラーフ・ツェッペリン」は第2戦闘群出撃と呼応してブレストを出港し、南大西洋にて通商破壊戦を行え、と言う命令内容だった。
「ビスマルク」の出撃は北大西洋、「グラーフ・ツェッペリン」は南大西洋。
これでは、いざと言うときの連携が取れない。
「せめて、7月まで待てば、『シャルンホルスト』と『グナイゼナウ』の修理が完了する。それまで、作戦開始を待つべきだと言うのに」
本国が「ビスマルク」の作戦投入を急ぎたがる理由に、ウォルフは不安を覚えていた。
恐らくイギリスの警戒網が完成してしまう前に出撃を急ぎたいと言う心境なのかもしれないが、急いて事に及んでは、あたら最新鋭戦艦に不測の事態が及ばないとも限らない。
「しかし、こうして命令が来た以上、無視するわけにもいかんだろう」
「・・・・・・まあな」
不承不承と頷くウォルフ。
命令は命令として、従わないわけにもいかない。
「出撃準備を進めてくれ。今回は本艦のみでの出撃となる。物資と弾薬は十分に積み込むように」
「判った」
退出していくシュレス。
その背中を見送りながら、ウォルフは窓の外を見やる。
自分達にできる事は、「ビスマルク」出撃でイギリス海軍が混乱している隙に、いかに多くの戦果を上げる事ができるか、と言う事のみ。
後はただ、「ビスマルク」の無事な大西洋進出を祈る以外になかった。
ライン演習作戦の要綱は当然、作戦に参加予定の各艦長にも配布される。
それは、ドック入りしている「シャルンホルスト」も例外ではない。
もっとも、「シャルンホルスト」の修理完了には、少なくとも2カ月は掛かる見込みである。当然、作戦参加は不可能なのだが。
「まあ、『ビスマルク』が来てくれるならありがたいけど」
エアルは書類を机の上に置きながら以前、シャルンホルストと一緒にキール軍港で見た「ビスマルク」の姿を思い浮かべた。
ドイツ最強戦艦の存在感はまさに圧倒的であったのを覚えている。
あの艦が戦線に投入されれば、「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」の不在分を、補って余りあるだろう。
間違いなく、戦局は変わる。
事によれば、バトル・オブ・ブリテンの失敗によって、無期限延期が決定された英本土上陸作戦「アシカ作戦」の遂行も可能となるかもしれない。
それ程までに「ビスマルク」の存在は大きかった。
その時だった。
「失礼しまーす」
元気な声と共に入ってきたのはシャルンホルストだった。
先日、ようやく復調して、退院の許可が下りた巡戦少女は軍務に復帰していた。
とは言えドッグ入りしている現状、彼女も出来る事は少ない。今はエアルの秘書のような立場で頑張っていた。
「おにーさん、これ修理の見積もりの書類ね。あと、進捗状況の説明。チェックしてサインしてほしいって」
「あ、ああ、うん、ありがと」
明るい調子の彼女の様子に、エアルは少し呆気に取られたように頷きを返す。
元気に振舞うシャルンホルスト。
体調が戻ったのだから当然の事。
なのだが。
しかし、エアルとしては聊か、違和感を感じずにはいられなかった。
この間、お仕置きとして、シャルンホルストのお尻を叩いたエアル。
正直、あんなことをした後である。あれで嫌われた、とは思わないが、避けられていてもおかしくはないと思っていた。
しかし、シャルンホルストは、今までと同じようにエアルに接していた。
年頃の少女の事、あんなふうにお尻を叩かれて、恥ずかしくなかったわけが無いのだが。
と、
そんな風に訝るエアルに、シャルンホルストが振り返った。
「あの、さ・・・・・・おにーさん」
「・・・・・・なに?」
緊張しながら、尋ねるエアル。
見上げるとシャルンホルストはエアルの前に立っている。
その顔は、ほんのり赤くしながら、視線は微妙にそっぽを向いている。指は意味もなく絡められていた。
ややあって、口を開くシャルンホルスト。
「ボク、気にしてないから」
「え、何が?」
「だから・・・・・・おにーさんが、その、ボクのお尻、叩いた事。ボクは全然気にしてないから」
言いながら、更に顔を赤くするシャルンホルスト。
エアルは呆気に取られて、少女を見つめる。
「むしろ・・・・・・その、ちょっと、うれしかったって言うか・・・・・・」
「へ?」
いきなり何を言い出すのか、この娘は。
お尻を叩かれてうれしかった、などと言われるとは。
「だから、この間の事・・・・・・おにーさんは、ボクの事が心配だった。だから叱ってくれたんだよね」
「ま、まあ・・・・・・そう、だけど」
「そりゃ、恥ずかしかったけど・・・・・・でも・・・・・・」
赤くなった顔を背ける巡戦少女。
「おにーさんが本気で、ボクの事叱ってくれた事、すごくうれしかった。だから・・・・・・」
「だから?」
「ボクが、また何かいけない事したら、その時は、ちゃんと叱ってほしいの」
そう言って、顔を俯かせるシャルンホルスト。
ややあって、エアルの方から口を開く。
「それって・・・・・・・・・・・・」
少しためらってから続けた。
「また、お尻叩いてほしいって事?」
「違ッ・・・・・・わ、ないのかな・・・・・・うん」
と、
そこで慌てて踵を返すシャルンホルスト。
「と、ともかく、そういう事だから、じゃあねッ おにーさん!!」
「あ、ちょっと、シャルッ!?」
制止する間も無く、駆け出していくシャルンホルスト。
後には、呆然としたまま、誰もいなくなった扉を見つめ続けるエアルだけが残される。
「・・・・・・・・・・・・」
妙な事になった。
正直、あんな風に言われたら、どうすれば良いのか。
あの時、シャルンホルストをお仕置きした事について、エアルは自分が間違った事をしたとは思っていない。
シャルンホルストの力は今後も必要だが、だからと言って無理をしてほしいとも思わない。
そんなシャルンホルストを戒める為だったのだが、
「まさか、それがこんな事になるとは・・・・・・・・・・・・」
これまでに経験した事もないパターンである事は間違いない。
あまりな状況に、エアルは頭を抱えながら嘆息するのだった。
一方、
廊下に飛び出したシャルンホルストも、角を曲がったところで立ち止まる。
「~~~~~~~~~~~~ッ!?」
同時に、先ほどの自分の行動を顧みて、一気に全身から炎が噴き出しそうなほどの熱さに襲われた。
恥ずかしい
恥ずかしい
寄りにもよって「お尻を叩いてください」などと。
これではまるで・・・・・・・・・・・・
「ち、違うよッ ボクは変態さんじゃないよッ!!」
誰もいないのを良い事に、とんでもない事を叫ぶ巡戦少女。
しかし、
先ほどの言動からして、そう思われても仕方のない部分もある。
無論、真意は違う。
シャルンホルストとしては、自分が悪いことをしたら、きちんと叱ってほしい。そう伝えたつもりだった。
叱ると言う事は、決して悪意から出る事ではない。むしろ、相手を愛しているからこそできる事。
「愛情」の反対は「憎しみ」と思われがちだが、そうではない。
「愛情」の反対は「無関心」である。人は、その人の事を本島に機雷なら、そもそも関心を向けようとすらしない。
だからこそ、叱られる、と言う事はエアルがシャルンホルストに一定以上の愛情を抱いている事を意味している。
無論、叱られてばかりじゃ話にならないし、下手をすればそれこそ見捨てられかねないが。
エアルが自分を愛しているからこそ、叱ってくれたのだし、これからもそうして欲しい。
それが、シャルンホルストの偽らざる本音、だったのだが。
しかし、先ほどのセリフだけを抜き出せば、かなり「危ない人」に見られかねなかった。
「あーもーッ どうしたら良いのッ!?」
頭を抱えてもだえるシャルンホルスト。
報告書をもって艦長室へ向かおうとしたヴァルター・リード副長が、不審者を見るような目で少女の横を通り抜けていったが、それにすら気付けない程だった。
2
1941年5月18日。
旧ポーランド領ゴーテンハーフェン軍港を出港した戦艦「ビスマルク」、及び重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」から成る、ドイツ海軍第2戦闘群は、イギリス軍の偵察網を掻い潜り、ノルウェーのベルゲンに投錨していた。
ここで最終的な補給を行った後、ドイツ艦特有の高速と長い航続力を活かしてイギリス軍の警戒網を突破、大西洋に進出する事になる。
現在、「プリンツ・オイゲン」が補給を受けている。終わり次第、「ビスマルク」への給油が開始される予定だった。
その間、乗組員には出撃前、最後の休暇が与えられていた。
食事をする者、読書をする者、体を動かす者、音楽を演奏する者と、それに聞き入る者、甲板で日光浴をする者。様々である。
そんな中、艦娘のビスマルクは、司令官のリュッチェンスと共に甲板を見て回っていた。
兵士たちの敬礼に対し、答礼を返すリュッチェンス。
その様子を眺めながら、ビスマルクは感心したように言った。
「皆、士気は高いようだな」
「当然だろう」
誇らしげに告げるリュッチェンス。
謹厳な提督にしては珍しく、口元に笑みを浮かべているのが見えた。
「世界最大最強の戦艦に乗っているんだ。男なら誰だって興奮するさ」
言いながら、敬礼してくる兵士に手を上げて返事をするリュッチェンス。
そんな提督の横顔を見ながら、ビスマルクはクスッと笑った。
「何だ?」
「いや・・・・・・」
訝るリュッチェンスに、ビスマルクはクスクスと笑い続ける。
「一番、興奮しているのは、実は誰なのか? と考えてな」
世界最大の戦艦。
その指揮を任されて興奮しないわけがない。
照れ隠しなのか、そっぽを向くリュッチェンス。
そんな提督の姿に、ビスマルクはおかしそうに笑うのだった。
と、
そこで目に入ってきたものに、ビスマルクは足を止めた。
それは中型の連装砲塔。
ビスマルクの副砲である、55口径15センチ砲だ。
シャルンホルスト級巡洋戦艦では、連装4基、単装4基の装備だったこの砲を、「ビスマルク」では連装6基に纏めて装備している。
砲門数は同じだが、全てを連装砲に纏めた分、スペースをより多く確保でき、空きスペースにはより多数の装備を搭載する事が出来た。
「どうかしたか?」
「いや、確か、この副砲を撤去して、対空砲を増設する案もあったのを思い出してな」
実際、「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」は同様の改装を施し、ベルリン作戦やブレスト沖海戦で戦果を挙げている。
「ああ、確かにあったな。だが、反対意見の方が多かったから却下された。航空機よりも駆逐艦の方が脅威は大きいと判断された」
確かに。
この時はまだ、航空機による戦艦の撃沈例はタラント空襲以外に無く、「航空機の攻撃のみで、作戦行動中の戦艦を撃沈する事は不可能」と各国の海軍関係者の大半は考えていた。
航空機の脅威がより大きく認識されるようになるのは、まだ先の話である。
それよりも、「ビスマルク」のような大型艦にとっては、高速で接近してくる駆逐艦の方が脅威は大きいと判断されたのだ。
「だが、ブレスト沖海戦では、『グナイゼナウ』が航空機の攻撃を受けて損傷したと聞いたぞ」
「だが、『グナイゼナウ』は沈まなかった。つまりは、そういう事だよ」
撃沈されていない以上、未だに航空機は戦艦に勝てない、と言う事だ。
「そんなものか」
納得したように頷くビスマルク。
その時だった。
俄かに、兵士達の様子が騒がしくなった。
皆、緊張した様子で走り回り、中には上を見上げて指差しているものまでいる。
「いったい、何があったんだ?」
戸惑うビスマルクを他所に、リュッチェンスは壁際の内線電話に駆け寄ると、受話器をひっつかむ。
すぐに艦橋を呼び出すと、ややあってリンデマン艦長が電話口に出た。
《提督。少々、厄介な事になりました》
「何があった?」
《イギリス軍の偵察機に発見されました》
その報告に、リュッチェンスは思わず臍を噛む。
事態は、思った以上に深刻だった。
今回のライン演習作戦は、少なくとも大西洋に出るまでは発見されない事が条件である。
まさか、こんなにも早く敵に見つかってしまうとは。
実は、イギリス軍も「ビスマルク」の動向には目を光らせていたのだ。
ドイツ軍が建造した世界最強の戦艦。それが戦線に出てくれば、イギリス軍の戦艦では対抗できない。
だからこそ、彼等は「ビスマルク」の動きに神経を尖らせた。
そして数日前、第2戦闘群がゴーテンハーフェンから姿を消したとの情報を掴んだ彼等は、躍起になってその行方を追っていたのである。
その偵察網に、「ビスマルク」達は捕捉されたのだ。
拙い事になった。
第2戦闘群の補給作業は、まだ終わっていない。
予定ではこれから「ビスマルク」の補給を行い、明日未明にベルゲンを出港する予定だったのに。
これは、作戦が破綻しかねない失態である。
「ビスマルク、今、燃料がどれくらいあるか分かるか?」
「満載の6割、と言ったところだ。長期間の作戦行動には不安がある」
ビスマルクの返答を聞いて、リュッチェンスは頭の中で計算する。
現状の積載燃料では、確かにビスマルクの言う通り、作戦行動に支障が出るのは明白だ。
しかし、偵察機に発見されたことで、イギリス軍の警戒網が強化されるのは明白。
そうなれば、作戦遂行その物が不可能となる。
ライン演習作戦を遂行するためには、どうにかして敵の警戒網が完成する前に大西洋に出なければならない。
その為に必要な行動は・・・・・・
「出港を早めるぞ」
リュッチェンスは低い声で告げた。
「直ちに全乗組員に招集をかける。今夜半にベルゲンを出る」
「しかし、それでは補給が・・・・・・」
「ビスマルク」の補給は、夜を徹して行われる予定だった。
リュッチェンスの決断は、その予定のキャンセルを意味している。
「今ある燃料でも、大西洋には到達できるはずだ。イギリス軍の警戒網を抜けた後、補給船と合流できるように手配する。問題はない」
そう言い置くと、命令を発令すべく、足早に艦橋へと急ぐリュッチェンス。
その背中を、ビスマルクは緊張した面持ちで見詰めるしかなかった。
第38話「ライン演習作戦」 終わり
何か、やっとここまで漕ぎ着けたって感じ。
長ェわ(苦笑