1
背筋を伸ばし、律動的に歩くその姿は、鋼の如き精神を体現しているかのよう。
細く鋭い眼差しは、触れただけで切れそうな印象がある。
その人物を見た者は皆、思わず自らを正したくなるだろう。
ただ、そこにいるだけで空気が張り詰めるかのようだ。
歩く道すがら敬礼をしてくる相手にも、丁寧に目礼を返す姿は、正に「謹厳」と言う言葉がよく似合う。
ウォルフ・アレイザー中将は、廊下を真っすぐに歩きながら目指す部屋へと向かう。
御年52歳になる。
かつて巡洋戦艦「デアフリンガー」の艦長として第1次世界大戦を戦い抜いた男は、今や海軍内に置いても重鎮、と言っても良い立場へと出世していた。
そのウォルフは今、通常のドイツ海軍の軍服とは、少し型の違う漆黒の軍服に身を固めていた。
やがて、目指す部屋の前へと立つ。
立番の兵士に出頭の旨を伝えると、兵士は部屋の中へ。
ややあって、入室を許される。
1歩、部屋の中に入ると同時に踵を揃え背筋を伸ばす。
右手の指先を揃え、斜めに向かって突き上げる。
張り詰める空気。
「ハイル・ヒトラーッ!!」
この国における、最上位の敬礼。
それはたった1人、唯一無二の最高権力者へと送られる敬意の証。
対して、
部屋の主。
否、
この国における、最も大きな権限を持つ人物は、無言のまま執務席から立ち上がる。
ゆっくりとした足取り。
ウォルフの前まで歩み寄る。
震えがくる。
23年前、英巡戦から砲弾を受けた時ですら平然としていた自分が、目の前の人物を前に震えが止まらない。
目の前の人物は、決して強面の偉丈夫と言う訳ではない。
街の中にいれば、誰もが見向きもせずに通り過ぎるような、外見は何の変哲もない小男だ。
しかし、
小柄な体躯に鋭い眼差し、髪はきちんとセットされ、口に蓄えた僅かな口ひげ。
その総身より発せられる雰囲気は、他の者と明らかに一線を画している。
これは恐怖か?
あるいは焦慮か?
「よく来た、アレイザー中将。待っていたぞ」
否、
「歓喜」だ。
「ハッ 総統閣下ッ」
アドルフ・ヒトラー。
彼こそが、このドイツ帝国における最高権力者。
唯一無二、「
第1次世界大戦における敗北以降、ドイツは塗炭の苦しみの中にあった。
協商側各国は、同盟軍の主力を成したドイツに対し、それが自分達の当然の権利であると言わんばかりに、過酷な条件を突きつけた。
海外領土の割譲、軍備の縮小、そして払いきれるはずもない、莫大な賠償金。
ヴェルサイユ条約は比喩でも何でも無く、中央同盟諸国に対する、協商側の
しかし、負けた側は一切の反論は許されない。ただ、勝者の言いなりになるしかない。
感情でも論理でもない。
ただ「事実」がそこにあるだけだった。
戦時負債、戦傷者一時金や遺族年金に加えて莫大な賠償金。
当然の如くドイツ経済はごく短期間で破たんを見る事になる。
街には失業者が溢れ、あらゆるインフラが滞った。
仰ぐ天は暗く閉ざされ、ただ只管、苦しみの中に沈められた日々のみが積み重ねられていく。
ドイツと言う国その物が、このまま世界情勢の波に飲まれ、沈んでいくかに思われた。
だが、そのような状況に、転機が訪れる。
貧困に喘ぐドイツに、彗星のごとく現れた男が、全てを覆した。
その人物こそが、アドルフ・ヒトラー。
オーストリア出身で、元陸軍伍長だったこの男は、ファシズムを掲げるナチス党の党首として政界に進出、やがてドイツ帝国の首相へと就任すると、次々と革新的な政策を成功させて行く事となる。
ベルリンオリンピックの誘致成功、国土全てを繋ぐ
これらの政策により、ヒトラーは就任僅か数年で、失業者ゼロと言う偉業を成し遂げたのだ。
やがてヒトラーは、政府首班である「首相」、そして国家元首である「大統領」としての権限を集約させた「
アドルフ・ヒトラーとは正に、一代の英雄と呼ぶに相応しい存在だった。
国内経済は好転した。
ならば、次にやるべき事は何か?
決まっている。第1次世界大戦によって奪われた、旧領の回復だった。
だが、それは流石に一朝一夕にはいかない。奪われた領土は既に、他の国の領土として運営されている。ただ返せと言ったところで鼻で笑われる事は目に見えていた。
だからこそ、まずは力を取り戻す必要がある。
隣国は愚か、列強各国ですら容易には口出しを許さない、かつての帝国軍をも上回る強大な力を。
ヒトラーは宣言した。
ヴェルサイユ条約の破棄する、と。
これは即ち、ドイツがいよいよ、戦力増強に乗り出す事を意味していた。
再軍備を宣言したヒトラーは、国防軍の拡張計画を実行。その中に、海軍の再建計画「Z計画」も含まれていた。
当然の如く、欧州各国は反対の意を表明する。
かつての宿敵が復活するなど言語道断だと。
しかしヒトラーは、持ち前のカリスマ性と外交手腕を発揮して周辺諸国の追及を回避。ついには条約破棄に成功する。
枷を外されたドイツ軍は、既に復興が完了していた工業力を如何無く発揮し、瞬く間にかつての軍事力を取り戻していくのだった。
ウォルフが差し出した書類に、丹念に目を通していくヒトラー。
その間、ウォルフは直立不動のまま立ち続けている。
どれくらい、そうしていただろう。
ややあって、ヒトラーが顔を上げた。
「アレイザー中将」
「ハッ 総統閣下」
声を掛けられ、居住まいを正すウォルフ。
対してヒトラーは椅子から立ち上がると、窓の外へと目を向けた。
明るい日差しに包まれた、温かい風景。
総統官邸の前を行き交う人々の明るい表情。
少し前までのドイツでは、決して見られなかった光景だ。
その全てが、ヒトラーの偉業によって手に入った物である。
「間もなく、戦いが始まるであろう」
「・・・・・・はい」
ヒトラーの言葉に、ウォルフは躊躇いがちに頷きを返す。
戦い。
すなわち、また戦争が起こると言う事だ。
振り返るヒトラー。
「勘違いするな。余とて、無駄な争いは好まぬ。穏便に済むのであれば、それが良いと思っている」
後年の人々は誤解するであろうが、この時期のヒトラーは決して戦争を望んでいたわけではない。
確かに領土拡張や軍備増強等、強引な政策を強行していたのは確かであるが、それがイコール戦争を望んでいたと考えるのは、聊か短絡に過ぎるだろう。
ヒトラーの膨張政策は、あくまで自国の安寧と防衛、そして旧領回復のみを目指している。
その為の手段として、武力を保持しているに過ぎなかった。
それは彼が、最後まで周辺諸国との間に、粘り強く交渉を進めていた事からも明らかだった。
「だが、戦うべき時に躊躇う事は愚者の所業だ。それは理解していよう」
「無論です」
その為の国力増強。
その為の戦力増強。
あくまで敵対国がドイツの主張を認めないと言うなら、一戦交える事も辞さない。
戦力とは、最後の切り札である。これはつまり、これを切ってしまったらもう後がない事を意味している。
故にこそ、カードは最後の最後まで温存しておく物なのだ。
だが
「恐らく、ポーランドが有力でしょう。かの国は、再三に渡る我が国の要求にも応じる様子がありません」
「うむ。余の考えも同じだ」
ポーランド共和国はヴェルサイユ条約により、かつてドイツ領だった「ダンツィヒ回廊」と呼ばれる地域を割譲している。
この回廊をポーランドに押さえられているせいで、ドイツは自由都市ダンツィヒを含む地域と領土が寸断される形となっている。
回廊の奪還はドイツにとって悲願である。
ヒトラーは再三にわたって返還要求をしているが、ポーランドからの回答は芳しい物ではなかった。
最近になり、ポーランド側が戦力の増強を始めていると言う情報が入ってきている。
両国の緊張は、既に限界を超えている。
恐らく開戦は避けられないだろう。
正直、ポーランド1国を相手にするなら何の問題も無い。彼の国の戦力はたかが知れている。正面から戦えば、まず負ける事は無いだろう。
問題は、そのポーランドの背後にいる列強各国だった。
イギリスとフランス。
第1次大戦で戦った宿敵。
もしポーランドにドイツが攻め込めば、英仏が黙ってはいないだろう。間髪入れずに宣戦布告してくるであろう事は目に見えている。
仮にこれらの国を相手にするとなれば、たとえ今のドイツでも厳しいと言わざるを得ない。
そして、もう1つ。
ソビエト連邦の存在がある。
ユーラシア大陸の過半を領土とするソビエトは、ドイツと不倶戴天の敵である。
ドイツの外交情勢に対し、ソ連は今のところ沈黙を保っている。
しかしだからこそ、その不気味さは各国の中でも際立っているとさえ言えた。
ポーランドと開戦すれば、それらの強大な列強各国との戦いが避けられないであろう事は必定だった。
「君の作戦案だが・・・・・・」
ヒトラーは、ウォルフが持参した書類を指し示して言った。
「実に良くできている。海軍の作戦案としては上出来と言えよう」
「ありがとうございます」
ウォルフが持参したのは、開戦した場合、海軍が取るべき行動。その作戦が記されていた。
ウォルフが自身のスタッフと共に作成した物だが、海軍本来の作戦とは離れた物だが、そのせいもあるのだろう。ヒトラーの眼鏡に叶ったようだ。
「この作戦案を、以後は『アレイザー・プラン』と呼称し、正式に進行する事を許可する」
「ハッ ありがとうございます」
敬礼するウォルフ。
その姿を見て、ヒトラーは満足そうに頷くのだった。
総統執務室を後にし、廊下を歩くウォルフ。
幾人かの職員とすれ違いながらも、その歩みは止まらない。
瞳の中には、何か得体のしれない物が、燃え盛っているようにも思えた。
否、
これはウォルフの心を焼き尽くすほどに燃え上がる、歓喜に他ならなかった。
ようやくだ。
ようやく、ここまで来たのだ。
胸の内に燃え盛る炎。
そこに存在しているのは、英仏をはじめとした旧協商諸国に対する怨念と言っても良かった。
かつて、ウォルフの最愛の妻を奪ったイギリス。そして、それに加担したフランスをはじめとした諸国。
許さない。
絶対に許さない。
今でも覚えている。
手錠を嵌められ、連行されていく妻。
最後に振り返った時、それでも気丈に微笑んでいた妻。
そんな彼女を、下卑た目で見つめるイギリス軍の士官。
そして、何もできずに見送る事しかできなかった自分。
抑留先のスカパフロー軍港で、ドイツ艦隊が一斉自沈したと聞いた時は、世界が崩れたと思うほどに驚いた。
そして、自沈した艦の中に、妻の名前があった事で、自分の中で何かが切れてしまった。
彼女達は、辱めを受けるよりも誇り高い死を選んだのだ。
あの日からだ。
ウォルフが、全てを捨てて邁進するようになったのは。
対価は、いずれ支払わせる。
必ず、奴らを地獄に叩き落す。
その為に自分は、20年待ったのだ。
アドルフ・ヒトラーと言う稀代の天才を総統に戴き、ドイツは生まれ変わった。
再び帝政時代のような強国へとのし上がったのだ。
ヒトラーは開戦には消極的だが、ウォルフはそうではなかった。
イギリスとフランス。この2国を叩き潰す事。
それだけが、ウォルフの生きている証だった。
ポケットから、1枚の写真を取り出す。
それは、家族全員で撮った、最初で最後の1枚。
自分と妻。
2人の真ん中に緊張した顔の長男が立ち、自分の腕には次男が、椅子に座った妻の腕には長女が抱かれている。
ウォルフがまだ幸せだった頃の、最後の写真だった。
「もうすぐだ・・・・・・」
写真の妻の顔を見ながら、ウォルフは呟く。
「もうすぐだぞ、テア・・・・・・もうすぐ、君の仇を取ってやるからな」
身に宿したくらい炎が燃え上がる。
ウォルフ・アレイザー
彼を突き動かすのは、亡き妻への想いと、英仏への怨み。ただそれのみだった。
2
アラートが鳴り響く。
待機所のベッドから跳ね起きると同時に駆けだす。
その間に要した時間は、僅か30秒足らず。
待機所は滑走路に面している。
駐機された機体へと駆け寄ると、整備兵に挨拶をしてコックピットに乗り込む。
既にプロペラは回り暖気は済んでいる。機体はすぐにでも飛び立てる。
ゴーサインと共に、機体をスタートさせる。
心地よい加速。
操縦桿を引くと、浮遊感と共に大空へと舞い上がる。
クロウ・アレイザー少尉は、機体をターンさせながら通信機の回線を開く。
「アレイザーより指揮所、これより離陸する!! 目標の指示を!!」
《了解。目標は高度・・・・・・・・・・・・》
管制の指示に従い、機体を誘導させる。
領空侵犯の補足。
隣国との緊張下にあるドイツでは、珍しい話ではなかった。
加速する機体。
大気を切り裂き雲を突き抜け、機体は指示された高度へと到達する。
周囲360度。
グルリと視線を巡らせる。
2回目、
もう1度見回した時だった。
「いたッ」
自分の機体のやや下方に、ゆっくりと飛翔する機体がある事に気付く。
ポーランド軍の輸送機だ。
緊張状態にある隣国の機体。
時折、こうして国境侵犯を繰り返してくる。
ドイツが手出しできないと知っていて、挑発しているのだ。
領空侵犯機とは言え、れっきとしたポーランド軍の機体。あれを撃ち落とせば事実上、ドイツは「宣戦布告無しに隣国の機体を撃墜した卑劣な国家」と認定される事になる。
そうなれば、他の列強各国も敵に回す事になる。
ドイツ1国で全ての列強を相手にする事は不可能。そうなれば再び敗亡の道を辿る事になる。
その為、ドイツはポーランドに手出しできない。
それが判っているが故の挑発だった。
だが、
「そんなの、あんたには関係無いよなッ!!」
鋭く言い放つと、一気に期待を急降下させる。
メッサーシュミットBf109は、
直線速度に優れ、侵攻した敵機に対し素早く対応できる事が特徴である。
クロウが乗っているのは最新型のC型であり、7・92ミリ機関砲を4丁装備したタイプである。
一気に敵機との距離を詰めると、速度を緩めずに一降下する。
殆ど、衝突するかしないかと言うギリギリの位置。
輸送機のパイロットが肝を潰したであろう事は疑いない。
更にクロウは機体を反転させると、輸送機の背後へと回る。
一旦、背後を取った後、僅かにスピードを上げて前へと出る。
輸送機と並走し、コックピットが見える位置まで機体を進ませる。
親指を立てて背後を差す。
「戻れ」の合図だ。
まだ高性能無線機などと言う物がない時代、これが警告のやり方となる。
これで相手が反応を見せなければ、今度は警告射撃を行う。勿論、当てるのはご法度だが。
警告して、国境の外へと追い返す。
これが現状、できる事の全てだった。
これで相手が無視すれば事実上、手出しはできない。
どれくらい、そうしていただろうか?
暫く直進していた輸送機だが、やがて機体を傾けて旋回を始める。
どうやら退いてくれるらしい。
こちらが緊張しているのと同様、彼等も極度の緊張を強いられていたのだ。
何しろ、緊張状態にある隣国の戦闘機に張り付かれていたのだ。
たとえ撃たれないと判っていても安心できるものではない。
やがて輸送機は、雲の中に隠れて姿が見えなくなる。
「こちらアレイザー、帰投する」
そう告げると、クロウも機体を反転させるのだった。
2
シャルンホルスト級巡洋戦艦1番艦「シャルンホルスト」
それが、この艦の名前である。
シャルンホルスト級巡洋戦艦は、第1次世界大戦後、ドイツの軍備を制限した所謂「ヴェルサイユ体制」破棄を宣言した後、ドイツ国防海軍が初めて建造した本格的な戦艦である。現在、1番艦「シャルンホルスト」、2番艦「グナイゼナウ」2隻が就役している。
名前の由来となったのは、ナポレオン戦争時代、プロイセン軍を率いたゲルハルト・フォン・シャルンホルスト将軍から。
当時、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍がヨーロッパ全土を席巻していた。
その波はプロイセンをも飲み込み、留まるところを知らなかったのだ。
シャルンホルスト将軍は、そのような情勢下の中で軍を纏め上げ、ナポレオン軍に対抗し続けた名将として知られている。
因みに2番艦の「グナイゼナウ」の方は、シャルンホルスト将軍の無二の親友で、将軍の死後、その遺志を継いでプロイセン軍を率いた、アウグスト・フォン・グナイゼナウ参謀長から来ている。
ヴェルサイユ条約破棄後、ドイツ帝国海軍は、水上艦隊の主力として、巡洋艦並みの船体に、戦艦並みの火力を搭載したドイッチェラント級装甲艦を3隻、建造、保有しており、これらの艦は、その性能から「ポケット戦艦」と言う愛称で呼ばれていた。
元々、このシャルンホルスト級巡洋戦艦も、ドイッチュラント級に続く「D級装甲艦」として建造される予定だった。
しかし、ライバルであるフランス海軍が建造した、ダンケルク級戦艦の存在が、シャルンホルスト級の運命を変える事となった。
54口径33センチ砲4連装2基8門を備え、最高速度31ノットを発揮可能なこのフランス新戦艦の存在は、ドイツのみならずヨーロッパ各国に衝撃を与えた。
攻防走のバランスが取れたダンケルク級戦艦に、真っ向から対抗できる戦艦を保有した国は、ヨーロッパには存在しなかったのだ。
中でも、仮想敵であるドイツの衝撃は大きかった。
全ての性能で劣るドイッチュラント級装甲艦では、ダンケルク級に対抗は不可能なばかりではなく、続く新造予定の艦もまた、歯が立たない事が明白となったのだ。
事は急を要する。
もし、フランスと戦争になった場合、ドイツ海軍はフランス海軍相手に、何の対抗策も持たない事になる。
手は早急に打たれた。
直ちに計画中にあった全艦艇の設計は白紙に戻され、新たな戦艦の建造が始まった。
その第1号が、シャルンホルスト級巡洋戦艦と言う訳だ。
基準排水量3万1800トン、全長235メートル、全幅30メートル。縦横比7・3:1と言う細い船体は、最高速度31ノットで航行可能となっている。これは、ほぼ巡洋艦と同等の速力であり、
肝心の主砲は、ドイッチュラント級にも搭載されている物を、更に砲身を伸ばした54・5口径28センチ砲を3連装3基9門装備している。
列強各国の主力戦艦が36センチ~40センチの大口径砲を搭載している事を考えれば、聊か見劣りする感は否めない。
しかし砲口径を小さくした事で、装填速度は毎分3・5発と速く、ほぼ巡洋艦並みの砲撃が可能となっている他、長砲身砲の採用により4万メートル近い射程距離を持つに至っている。
何より、高速、重装甲により、並の艦相手なら十分な戦闘力を発揮できると言われていた。
巡洋戦艦の艦長と言えば、当然の如く多忙を極める。
軍艦とは、それ自体が一個のコミュニティであると同時に、軍隊で言えば最小単位の「部隊」でもある。
部下の統率、各部署の調整、艦の癖の把握。
特にいざ戦闘になった際、乗組員を手足の如く動かす為には、入念な訓練が必要となる。
着任から3か月近くが経ち、エアルは日々、「シャルンホルスト」の性能を発揮できるよう、訓練を繰り返していた。
以前、水雷艇の艇長を務めた事もあるが、今回は乗組員の数の桁が違う。
把握するだけでも一苦労である。
しかも、
基本的に男社会の軍隊においては、「見た目」も一つのステータスとなる。
要するに、ヒョロヒョロの優男よりも、ムキムキのマッチョマンの方が船乗りからは好かれる傾向があるのだ。
その点で行けば、エアルは完全に落第である。
まず背が低い。身長は170を少し上回る程度であり、相応に体つきも痩せている。
かなり頼りがいの無い印象なのは確かだった。
その為、着任当初はあからさまにエアルを侮蔑する乗組員も少なくなかった。
しかし、それも訓練が始まるまでの事だった。
訓練開始と同時に、エアルは徹底した実戦訓練を乗組員たちに施した。
昼夜を問わず配置訓練を行い、外洋に出ての航海訓練、砲撃訓練等々、思いつく限り、ありとあらゆる訓練を施したのだ。
勿論、訓練の際には自らが真っ先に艦橋に立ち、指揮統率を行う。
「勇将の下に弱卒無し」の言葉通り、まず指揮官が実際に実践して見せる事で、兵士たちの士気を鼓舞できるのだ。
こうして自らが率先して行った猛訓練の結果、巡洋戦艦「シャルンホルスト」は急速に戦力化する事に成功していた。
戦艦の艦長ともなれば、艦が停泊している平時でも多忙を極める。
訓練の報告書や決裁書類だけでも、机が埋まるレベルだ。
「シャルンホルスト」はドイツ海軍の最新鋭巡洋戦艦だ。それだけに問題点も多い。
それらの問題点を丁寧に洗い出して解決。自分の手に負えないと判断した時は、専門職や上級司令部に報告して対応を願う。
そうした地道な作業の1つ1つが、「シャルンホルスト」の戦力化に繋がるのだ。
書類と格闘する事数時間。
気が付けば、艦長室の窓から見える景色は、真っ暗になっていた。
「わ、もうこんな時間か」
気が付けば、とっくに消灯時間を過ぎている。
時間を把握すると同時に、感じたのは急激な空腹感だった。
そう言えば、今日は朝食に軽い物を食べたきり、他には飲まず食わずだったのを思い出す。
いい加減、何か腹に入れない事には、艦が戦力化する前に、艦長の自分が栄養失調で「撃沈」などと言う事にもなりかねない。
「食堂・・・・・・は、もうやってないよな。でも、行けば何かあるかも」
そう思い、席を立ち部屋を出る。
昼間は多くの兵士がせわしなく行き交う艦内も、夜間になれば人の気配はない。
暗がりの中、薄暗いライトだけを頼りに食堂へと向かう。
しばらく歩くと、食堂へと続く廊下に出る。
だが、
「あれ?」
食堂から明かりが漏れてきているのが見える。
それに、何やらひそひそと話す声まで聞こえて来ていた。
「誰か、いるのかな?」
訝りながら、中を覗き込む。
果たして、
食堂にいたのは、困り顔をした少女だった。
「うう、やっぱり、何も残ってない、か・・・・・・そりゃそうだよね。こんな時間だし」
途方に暮れたような声。
席に座って項垂れる少女を見て、エアルは声を掛けた。
「シャルンホルスト?」
「わわッ!? ごめんなさいッ 摘まみ食いなんてしてません!!」
跳ね起きた巡戦少女は、慌てふためいた様子でこちらを見る。
どうにも、良からぬことを企んでいた様子である。
「て、何だ、おにーさんか・・・・・・」
だが、相手がよく知った人物であると判ると、安堵したように胸をなでおろした。
そんな少女の反応に訝りつつ、エアルは食堂の扉を閉めると少女に歩み寄った。
「どうしたの、こんな時間に?」
「それはこっちのセリフ。おにーさんだって、こんな時間まで起きてるじゃん」
確かに。
人の事は言えないと苦笑する。
「ちょっと仕事が立て込んでね。晩御飯を食べ損ねたんだけど、何か残ってないかと思ってさ」
「あー・・・・・・ボクも似たような感じかな」
苦笑するシャルンホルスト。
まあ、艦長と艦娘が深夜の食堂で鉢合わせする理由など、他にあるとも思えないのだが。
「でも無駄足だったね。作り置きは何も無いみたいだよ」
シャルンホルストの言葉は、予想通りの物だった。
こんな時間に、賄の残りがあるはずも無く。
暗がりの中、空腹を抱えた艦長と艦娘が、間抜け面を突き合わせるしかなかった。
「仕込みの奴は、流石に手を出すわけにはいかないし」
「あれは、明日の朝食用だからね」
嘆息する。
結局、諦めるしかないのか。
・・・・・・・・・・・・いや。
「ねえ、シャルンホルスト。よかったら、俺が何か作ろうか?」
「え、お兄さんが?」
キョトンとする巡戦少女。
意外そうな面持ちのシャルンホルストに、エアルは厨房を見ながら続ける。
「仕込みの品は食べられないけど、食材を少し分けてもらうくらいは構わないんじゃないかな」
「え、でも、やっぱりまずいんじゃ・・・・・・」
勝手に使ってしまったら、あとで怒られないだろうか?
懸念するシャルンホルスト。
だが、
「大丈夫」
エアルは笑顔で請け負う。
「だって、この艦では俺が1番偉いんだから。他の人に文句は言わせないよ」
それはそれは、
素晴らしいほどに説得力のある言葉だった。
結局、食材庫から若干の食材を失敬し、それを厨房で調理する。
エアルは手際よく作業を進めると、ものの15~6分ほどで、2人分の食事を用意してしまった。
時間が時間だし、あまり凝ったものは作れなかったが、ライスをベースにした雑炊のような物を2品作る。
それをテーブルに並べると、2人は掻きこむように食べ始める。
空腹も相まって、あっという間に皿の中が消費されていく。
「美味しい、美味しいよ、お兄さん!!」
「そう、良かった。ゆっくり食べてね」
苦笑しながら、エアルは自分も食べる手を進める。
急いで作った割りに、出来は悪くなかった。
「意外だね。おにーさん、料理上手なんだ」
「うちは、母親が早くに死んじゃったからね。まだ小さかった弟と妹の面倒を、俺が見てたんだ。その関係だよ」
エアルの言葉を聞き、シャルンホルストは食べる手を止める。
「あ・・・・・・何か、ごめん。変な事聞いちゃった」
「別に、良いよ。母さんが死んだのは、俺がまだ小さかった頃の話だし」
苦笑するエアル。
実際、母の記憶はほとんど残っていない。今ではうっすらと断片のように、思い出す事が出来るのみだった。
実際、不況の最中に、幼い弟と妹を育てるのは並大抵の苦労ではなかった。
父は家庭の事にはほとんど無関心だったし、周りに頼れる大人もいなかった。
必然、エアルが弟と妹の面倒を見るしかなかったのだ。
幸いだったのは、無関心な父も、生活費だけは毎月しっかりと払ってくれていた事。弟と妹がグレる事無く、しっかりと育ってくれた事だった。
やがてエアルも、軍の幼年学校に入学し、僅かながら給金を得られるようになる頃には、ようやく家計も安定してくれた。
おかげでエアルも訓練と研究に打ち込む事で、順調に出世する事が出来た訳である。
「そっか、おにーさん、頑張ったんだね。偉いよ」
「ハハ」
少し、顔を赤くするエアル。
見た目的にも年齢的にも、年下の少女に褒められると、何となく気恥ずかしい想いがするのだった。
エアルが作った簡単な料理を食べ終え、2人で食器を片付けると、その足で気分転換に甲板に出た。
途中、当直の兵士と挨拶を交わし、いくつかのラッタルを上がると、中央甲板に出る。ちょうど、右舷側にある1番副砲の前だった。
「ん~ 夜風が気持ちいいね」
「ちょっと、強い気もするけど」
大きく体を伸ばすシャルンホルスト。
そのスカートが、風にふわりと浮き上がる。
中から白い布地が見えて、思わず顔を逸らすエアル。
「ねえ、おにーさん」
「な、何、シャルンホルスト」
不意に、声をかけて来た少女に、引きつる声を抑えながら返事をするエアル。
故意ではないのだが、パンツが見えてしまったのが、バレてしまったのかと一瞬警戒したが、どうやら違うらしい。
巡戦少女は、微笑みを向けながら言った。
「ボクの事『シャル』で良いよ。ほら、僕の名前、長いし、呼びにくいでしょ。友達は、みんなそう呼ぶからさ」
「え? いや、でも・・・・・・」
友達に呼ばれているあだ名なら、自分が呼ぶのはおかしいのでは?
そもそも自分達は、友達でも何でも・・・・・・
そう言おうとしたエアルを、シャルンホルストは制する。
「だって、ボクとおにーさん、もう友達でしょ」
「あ・・・・・・・・・・・・」
そう言って笑うシャルンホルスト。
窓から差し込む月の光の中、
少女の笑顔は、一際に輝いて見えるのだった。
「よろしくね、おにーさん」
「う、うん」
差し出された巡戦少女の手を、握り返す青年艦長。
見た目相応に、華奢で柔らかい感触が伝わってくる。
その柔らかさに、エアルは心臓が微かに高鳴る。
やがて戦争が始まる。
自分も、この娘も、否応なくその波の飲み込まれる事になるだろう。
ならば、
この娘と共にあり、この娘を守り、この娘と戦う事こそが、自分の使命。
微笑みを向けるエアル。
釣られて、シャルンホルストも笑顔を浮かべる。
「よろしくね、シャル」
「うん」
戦い抜く。
きっと、この娘と。
その事を、改めて心に誓うのだった。
第3話「月下美人」 終わり
WOWSとかだと、シャルンホルストの愛称は「シャルン」が多いですけど、うちでは「シャル」で。
某難聴系主人公がいる学園ハーレムラノベに出てくるヒロインズの1人とキャラが被ってるなーとは思いました(因みに、あの娘が一番好きだった)が、暫く考えて、気にしない事にしました(爆