1
見開かれる、視界の彼方。
海面を切り裂いて突撃してくるイギリス戦艦。
「世界で最も美しい」と言われた巡洋戦艦「フッド」は、その謳い文句に違わない、優美なシルエットで海上を駆けてくる。
それはさながら、一頭の美しい騎馬の如く。
気品すら感じる姿。
突撃しながら8門の38.1センチ砲を撃ち放つ姿は神々しくすらある。
その美しい巡洋戦艦を、
ビスマルクは真っ向から見据える。
鋭い眼差しが、流麗な戦姿を捉えた。
次の瞬間、
「撃てェッ!!」
リンデマン艦長の号令。
撃ち放たれる、「ビスマルク」38センチ砲8門。
ほぼ同時に、「フッド」も8門の38.1センチ砲を放つ。
「フッド」と「ビスマルク」。
イギリスとドイツ。
互いの国を象徴する戦艦同士が、干戈を交える。
合計16発。
1発当たり800キロ。
総重量12.8トンの鋼鉄が、空中で交錯する。
当たるか?
どうだ?
固唾をのんで見守る中、
「フッド」の後部甲板付近に、爆炎が上がるのが見えた。
「よし、当たったッ!!」
喝さいを上げる。
命中弾を得た「ビスマルク」。
ここから一気に畳みかける。
そう思った、
次の瞬間だった。
突如、視界の彼方で、巨大な閃光が弾け飛んだ。
誰もが声を上げる間も無く、
次いで、巨大な爆炎が吹き上げられ、文字通りに天を衝く。
「フッド」の艦体は一瞬にして炎と煙に飲み込まれ、何も見えなくなってしまった。
いったい、
何が?
起きた?
リュッチェンスも、
リンデマンも、
ビスマルク本人ですら、
否、
この場にいる、英独双方の、将兵、艦娘、合わせて全員、何が起こったのか理解できたものはいなかった。
ただ、
一瞬にして、「フッド」の姿が消えた。
排水量4万トンを超える大型戦艦が、一瞬にして消滅した。
それだけの事しか分からない。
実はこの時、「ビスマルク」の放った38センチ砲弾の1発が、「フッド」の脆弱な水平装甲を貫通し艦内に突入、勢いそのままに
これにより、本来なら「ビスマルク」に叩きつける予定だった数百発の砲弾が一斉に艦内で誘爆を起こした。
数100発の砲弾が一斉にさく裂する衝撃は凄まじく、「フッド」の艦体は一瞬で内部から引き裂かれ轟沈したのだった。
「お、驚いた」
「ああ・・・・・・まったくだ」
ビスマルクの呟きに、リンデマンが呆然とした声で応じる。
あまりの事態に、誰もが呆然自失となっていた。
だが、
戦いはまだ、終わっていない。
「フッド」の仇を撃たんと、もう1隻のイギリス戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」が、まっすぐに向かってきているのだ。
勝ち逃げは許さないとばかりに、10門の36センチ砲を振りかざす「プリンス・オブ・ウェールズ」は、照準を「ビスマルク」に向け直す。
「目標変更、敵2番艦!!」
リュッチェンスが命じる中、いち早く先行する「プリンツ・オイゲン」が砲撃を再開するのが見えた。
8門の60口径20.3センチ砲を間断なく撃ち放ち、「プリンス・オブ・ウェールズ」の接近を拒みにかかる。
「ビスマルク」もまた、照準を変更。
主砲を旋回させて「プリンス・オブ・ウェールズ」を睨む。
「プリンツ・オイゲン」の放った砲弾が、向かってくる「プリンス・オブ・ウェールズ」に次々と命中し、艦上に火花が飛ぶのが見えた。
だが、「プリンス・オブ・ウェールズ」は構わずに向かってくる。
「オイゲン」の砲弾が甲板上で炸裂しているが、それで痛痒を感じている様子はない。
その主砲の照準は、「オイゲン」など眼中にない、とばかりに、まっすぐに「ビスマルク」へと向けられる。
放たれる、10門の36センチ砲弾。
既に10回以上の斉射を繰り返し、命中弾を得られなかった「プリンス・オブ・ウェールズ」。
しかし、流石に射撃データの解析は完了している。
放たれた砲弾は、低い弾道を描き、
ついに「ビスマルク」を捉えた。
襲い掛かる衝撃。
命中弾は2発。
「クッ!?」
激痛に、歯をくいしばって耐えるビスマルク。
艦体のダメージが艦娘である彼女にもフィードバックされる。
「艦首に直撃弾ッ 装甲貫通!!」
「艦中央に命中弾あり、カタパルト損傷!!」
もたらされる報告。
問題はない。
損傷は負ったが、戦艦としての「ビスマルク」の性能に、影響を与えるものではない。
艦首はもともと非装甲区画で、重要な設備は存在しない。
カタパルトが損傷した事で、艦載機の運用は出来なくなったが、必要なら「プリンツ・オイゲン」に命じればいいだけの事。
「やり返すぞッ!!」
「ああ、もちろんッ このままでは済まさん」
リンデマンの言葉に、奮い立つビスマルク。
流麗な双眸が、対峙する「プリンス・オブ・ウェールズ」を睨みつける。
8門の主砲には、既に次弾の装填が完了。
照準の修正も終えている。
「撃てェッ!!」
リンデマンの命令と共に、放たれる38センチ砲。
既に十分に距離を詰めていた「プリンス・オブ・ウェールズ」に、容赦なく襲い掛かる。
命中弾は3発。
1発は右舷舷側に命中、高角砲2基を叩き潰した。
1発は装填待ちをしていたA砲塔の天蓋に命中。砲塔を破壊する事は出来なかったが、衝撃でこれを旋回不能にした。
そして最後の1発は、艦橋を掠めるように命中。艦橋内にいたスタッフを軒並み吹き飛ばした。
一撃で大ダメージを負った「プリンス・オブ・ウェールズ」。
特に深刻なのは、主砲であろう。
キングジョージ5世級戦艦は3基の砲塔の内、A砲塔とX砲塔が4連装、B砲塔が連装と言う変則的な主砲配置をしている。
A砲塔を潰された事で、「プリンス・オブ・ウェールズ」は、一気に火力の40パーセントを削がれた事になる。
勝負あった。
後は奴にとどめを刺すだけ。
ドイツ艦隊の誰もがそう思った。
「敵艦回頭ッ 退避に入る模様!!」
見張り員からの報告に、リンデマンとビスマルクは双眼鏡を「プリンス・オブ・ウェールズ」へ向ける。
見れば確かに。
健在な後部X砲塔で応戦しつつも、「プリンス・オブ・ウェールズ」遠ざかるコースを取っているのが分かる。
この時、先の「ビスマルク」の砲撃を受け副長以下上層部の多数が戦死する中、重傷を負いながらも辛うじて生きていた「プリンス・オブ・ウェールズ」艦長が、退避を命じていた。
「フッド」を失い、「プリンス・オブ・ウェールズ」自身も戦力が低下した今、単独で第2戦闘群と戦っても勝ち目は皆無であると判断したのだ。
「逃がすなッ 砲撃続行!!」
「了解ッ!!」
ここで奴を沈める。
象徴である「フッド」に加えて、最新鋭戦艦まで失えば、イギリス海軍が一気に士気低下する事も狙える。
ここは何としても、「プリンス・オブ・ウェールズ」を撃沈すべきだ。
リンデマンも、ビスマルクも、その考えで一致していた。
だが、
この部隊の責任者は、リンデマンでもビスマルクでもなかった。
「砲撃やめ」
リュッチェンスは、低い声で命じた。
驚いて振り返る中、リュッチェンスは表情を変えずに告げた。
「戦闘終了。作戦を続行する」
戦闘終了。
つまりリュッチェンスは、「プリンス・オブ・ウェールズ」の撃沈よりも、ライン演習作戦の続行を優先したのだ。
「待ってくれ、提督ッ」
抗議したのはビスマルクだ。
「あいつは、あと一息で撃沈できるッ ここで沈めておくべきだ!!」
食い下がる様に告げるビスマルク。
殆ど掴み掛からんばかりの勢いだ。
しかし、リュッチェンスは首を横に振った。
「必要ない」
「提督ッ!!」
更に前へ出ようとするビスマルク。
それを制したのは、リンデマンだった。
「艦長?」
ビスマルクを下がらせると、今度はリンデマンが前に出た。
「提督、奴を今のうちに沈めておかねば、後々の作戦行動に支障が出かねないと考えますが?」
ここで「プリンス・オブ・ウェールズ」を沈めておけば、それが結果的にライン演習作戦の成功にもつながる筈。
逆に取り逃がせば、こちらの作戦を妨害してくるだろう。
リンデマンはそう言いたいのだ。
だが、
「必要ない」
リュッチェンスは取り付く島もなかった。
「既に奴には十分なダメージを負わせている。暫くは損傷修理の為、出て来る事はないだろう。こちらの作戦を妨害できるとは思えん」
正論を告げるリュッチェンス。
「作戦終了だ。ライン演習作戦に復帰する」
決定事項を読み上げるように、リュッチェンスは事務的な口調で言った。
こうなると、最早どうしようもない。
作戦最高責任者である提督が決定した以上、艦長も艦娘も従う以外に無いのだ。
その間にも「プリンス・オブ・ウェールズ」は「ビスマルク」に背を向けて遠ざかっていく。
その姿を、ビスマルクたちは見送る事しかできなかった。
2
「ビスマルク」がデンマーク海峡でイギリス艦隊相手に戦闘を行っている頃、
はるか南の海では、呼応する形で出撃した航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」が、早くも通商破壊戦を展開していた。
ブレストを出港して4日。
早くも4隻の輸送船を補足、撃沈する事に成功していた「グラーフ・ツェッペリン」。
その「グラーフ・ツェッペリン」艦上の第1戦闘群司令部に、報告がもたらされたのは、5月25日の昼前の事だった。
午前中に輸送船攻撃を終えた航空隊の収容を終え、次の目標へ向かおうとした時の事だった。
司令官であるウォルフ・アレイザー中将の下へ、通信文が手渡された。
内容を一読すると、ウォルフは険しい表情を作る。
通信文には、デンマーク海峡において、第2戦闘群がイギリス艦隊と遭遇。戦闘に突入した旨が書かれていた。
「どうした、ウォルフ?」
「・・・・・・・・・・・・」
シュレスビッヒが尋ねると、ウォルフは無言のまま紙片を渡した。
渡されたシュレスも書かれている内容を読み、思わず眉を顰めた。
「『ビスマルク』が、イギリス艦隊に捕捉された、だと・・・・・・」
「どうやら出撃前に、既に発見されていたらしい。だが、上層部と第2戦闘群司令部は作戦を強行したようだ」
言いながら、ウォルフはリンター・リュッチェンスの顔を思い浮かべる。
ベルリン作戦時に、共に戦ったリュッチェンス。
手堅い用兵を好み、上層部からの命令に対して忠実である反面、お世辞にも融通が利く性格ではなかった。
恐らくは上層部の命令に忠実であろうとするあまり、危険を承知で出港したのだろうと考えられた。
「その後の続報は?」
「ない。戦闘を開始した、とあるだけだ」
時間的に見て、既に決着はついているはずである。
続報が流れてこないのは、本国がこちらに情報を回してこないだけか、それとも、「ビスマルク」側で無線封止しているからか?
あるいは・・・・・・・・・・・・
最悪の可能性を思い浮かべ首を振る。
余計な事を考えるのは後だ。
今、考えるべきは、今後の方針である。
仮に(現在のところ、その可能性が高いが)「ビスマルク」がイギリス海軍の包囲網を突破した場合、「グラーフ・ツェッペリン」は、どのように行動するのが最善なのか。
シュレス達が見守る中、ウォルフはややあって顔を上げた。
「『ビスマルク』が敵に発見された以上、既にライン演習作戦の意義は失われたと判断する。よって、現時刻をもって、第1戦闘群は通称破壊任務を破棄。以後は『ビスマルク』支援の為に北上するものとする」
あくまで「奇襲」が前提だったライン演習作戦。
その前提が崩れた今、「グラーフ・ツェッペリン」のみで通商破壊戦を続ける事の意味は薄い。
それよりも、「ビスマルク」の安全確保の為、支援行動を取るべきと判断したのだ。
命令は直ちに実行される。
「グラーフ・ツェッペリン」は大きく回頭し、進路を北へと向けた。
回頭する様子は、艦内にいても感じ取る事が出来た。
哨戒任務を終え、飛行甲板で整備兵達に引継ぎ作業を行っていたクロウも、旋回する艦の様子に気付いていた。
「何だ? 北へ向かってる?」
「グラーフ・ツェッペリン」は面舵を切り、艦首を北へと向けようとしている。
先ほどまで左方向に見えていた太陽が、今は後方に移動している。
しかも速力を上げつつあるのが分かった。
「海域を離れるのか? けど、何で?」
通商破壊戦では、一つ所に留まらないのはセオリーだが、だからと言って闇雲に動き回れば良いと言う話でもない。ある程度海域に留まって、敵を待ち伏せる事も必要だった。
それを考えれば、「グラーフ・ツェッペリン」の動きは急すぎるように思えるのだった。
「どうやら『ビスマルク』が敵に見つかったらしい」
「ツェッペリン?」
背後から声を掛けてきた少女に、クロウは振り返る。
艦娘の少女は、クロウの傍らに立つと進路前方を見据える。
「本艦は、『ビスマルク』援護に行くらしい」
「援護って、間に合うのかよ?」
ここは赤道を越えた南大西洋。
「ビスマルク」がいるのは、イギリス近海のデンマーク海峡。
そこまで行くには、高速の「グラーフ・ツェッペリン」でも数日は掛かるだろう。
その間、「ビスマルク」が無事でいられると言う保証はない。
「判らん、が、行くしかないだろう。それがアレイザー提督の意向だ」
「・・・・・・・・・・・・」
ウォルフの名を聞き、僅かに顔をしかめるクロウ。
この艦に乗って数カ月。
未だに親子の会話をしたことはない。無論、廊下ですれ違えば敬礼はするが、クロウも、ウォルフも、互いに相手を無視しているような状況だった。
「とにかく、急いでくれ」
クロウは、ツェッペリンを見ながら言った。
「『ビスマルク』を沈めるわけにはいかないからな」
「ああ、分かっている」
頷くツェッペリン。
だが、
どうあっても船足を速める事は出来ない。
ただ時間だけが、ジリジリと過ぎ去っていくのだった。
3
「グラーフ・ツェッペリン」が、「ビスマルク」支援の為に転進した頃、
当の「ビスマルク」では、深刻な問題が起きていた。
イギリス艦隊との戦闘を終え、巡洋戦艦1隻撃沈、戦艦1隻大破の損害を与えた「ビスマルク」。
紛う事無き大戦果である。
しかし、ドイツ側も無傷と言う訳にはいかなかった。
問題は、「プリンス・オブ・ウェールズ」が最後に放った砲弾によって生じた損傷。
その内の1発、艦首に命中した36センチ砲弾。
これが事もあろうに、「ビスマルク」の前部燃料タンクを直撃してしまったのだ。
幸い、砲弾はタンクの装甲で食い止められ、内壁を破壊しただけで済んだ。その為、引火による燃焼は起きていない。
しかし、艦首喫水付近への命中だったことが災いし、相当量の海水が、タンク内に流れ込んでしまった。
これにより、積載していた燃料の大半は、海水と混ざって使い物にならなくなってしまった。
ここに来て問題になったのは、ノルウェーで燃料補給を行わなかった事である。
そもそも足りなかった燃料が、損傷によって更に足りなくなってしまったのだ。
更に、燃料が海面に流出、「ビスマルク」が航行すると、長い油膜が尾のように後方に浮かび続けている。
これでは「ビスマルク」は、巨大な足跡を残しているようなものである。
艦首部を損傷した事で水圧が増した事も問題だった。そのせいで全速航行すれば内部隔壁が破られる恐れが出て来た。
その為、「ビスマルク」は航行速度を22ノットまで落とさざるを得なくなってしまった。戦闘時でも、最大で26ノットが限界であるとの報告がなされた。
「提督、遺憾ながら、これ以上の作戦続行は不可能であると断じざるを得ません」
「・・・・・・・・・・・・」
リンデマンの言葉に、リュッチェンスは黙したまま沈思する。
損傷に加え、燃料の喪失は致命的だった。
これで「ビスマルク」は、通商破壊戦に必要不可欠な長距離航行能力を喪失してしまった。
これはすなわち、作戦続行が物理的に不可能になった事を意味する。
「提督、これ以上は、もう・・・・・・・・・・・・」
促すようなビスマルクの言葉。
その言葉に、
リュッチェンスはついに折れた。
「・・・・・・・・・・・・現時点をもって、ライン演習作戦の続行は不可能と判断。本艦はこれより、味方の港へと退避する」
無念と共に、決断を口にするリュッチェンス。
それは、事実上の敗北宣言に等しかった。
第40話「栄光の代償」 終わり