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巡洋戦艦「フッド」沈没。戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」大破。
ランス・ホランド提督以下、乗員の大半が戦死。
デンマーク海峡海戦の名前で呼ばれる事になる戦いが、イギリス、特に海軍に与えた影響は、計り知れないものがあった。
長らくイギリス海軍の象徴として、国民からも絶大な人気を誇った「フッド」が撃沈される事になろうとは。
直ちに「フッド」の撃沈は全軍に告知される。
同時に国王フレデリックの耳にも入れられた。
「そうか、フッドが、な」
報告を聞いたフレデリックは、ポツリと漏らす。
さしもの豪胆な国王も、海軍の象徴たる艦が沈んだとあっては、悲しみに落ちてしまうのだろう。
側近がそう思った。
だが、
「それで?」
次の瞬間には、冷たい響きと共に問いかけた。
「戦闘結果はどうなった? 先を続けよ」
「ハッ・・・・・・ハッ!!」
慌てて報告書に目を向ける側近。
それによると、「ビスマルク」と交戦した「プリンス・オブ・ウェールズ」は、辛うじて戦場の離脱に成功。現在は「ノーフォーク」「サフォーク」の2重巡と合流し、再度、「ビスマルク」の追跡に当たっているとの事。
そして肝心の「ビスマルク」はと言えば、そのまま南下し、今夜中にはデンマーク海峡を抜けるだろう、との事だった。
「成程な」
報告を聞き終えたフレデリックは、頭の中で海図を思い描いた。
既に海軍には、全力で「ビスマルク」を補足するように伝えてある。
本国艦隊の戦力だけでは足りないと判断したフレデリックは、ジブラルタルに拠点を置くH部隊にも出撃を命じていた。
まさに、総力態勢である。
「面白くなってきたではないか」
訝る側近に目もくれず、フレデリックはニヤリと笑う。
戦艦「ビスマルク」
ヒトラーが自信をもって送り出した最高の
それがまだ、自分達の手の中にいると思えば、面白くて笑い転げたくなる。
沈んだフッドの事も、彼女に乗り込み共に戦ったホランド以下、「フッド」乗組員の事も、
今のフレデリックには一切、眼中になかった。
彼の頭の中にあるのは、「ビスマルク」を使って、どう遊んでやるか。ただ、それだけだった。
「よし、では行くとするか」
「ハッ へ、陛下、どちらに?」
立ち上がって歩き出したフレデリックに、側近は慌てて追随してくる。
だが、フレデリックは彼等にかまう事無く、大股で部屋を出て行く。
慌てて追随する側近。
大柄なフレデリックは歩く速度も速く、側近はついていくのも一苦労だ。
「それで、使える戦力は? どれくらいの艦が集結している?」
「ハッ ハッ!!」
慌てて歩きながら、書類のページをめくる側近。
その様子に、フレデリックはいら立ちを見せる。
自身の時間を一寸たりとも無駄にはしたくない国王にとって、「もたつく」事は、それだけで罪だった。
「早くせぬかッ!!」
「は、ハイィッ!!」
叱責されて、ようやく目当てのページを開く。
「す、既にスカパフローから本国艦隊の主力が出港。『ネルソン』を中心とした艦隊が『ビスマルクを追ってなんかしております。その他、ジブラルタルからはH部隊が出撃。こちらは巡洋戦艦「レパルス」と、空母『アークロイヤル』が中心となっております』
「キングジョージ5世級はいないのか?」
「は、はいッ キングジョージ5世級戦艦は、2番艦『プリンス・オブ・ウェールズ』がご承知の通り、『ビスマルク』と交戦して大破、3番艦「デューク・オブ・ヨーク」は完熟訓練中、1番艦『キングジョージ5世』は、その、大変申し上げにくいのですが・・・・・・」
「フンッ バカ息子の無能なツケが、こんなところで回ってきたか」
言い淀む側近の言葉に、フレデリックは面白くなさそうに鼻を鳴らす。
キングジョージ5世級のネームシップである「キングジョージ5世」は、第2王子ディランの指揮でブレスト沖海戦に参加した際、Uボートの雷撃を受け、現在はドックで修理中である。出撃は当然、間に合わない。
「まあ良い。ともかく、数を揃えた事は誉めてやろう。行くぞ」
「はッ」
慌てる側近を引き連れ、フレデリックは大股で歩き去るのだった。
ライン演習作戦中止。
その一報は、ブレストでドック入りしている「シャルンホルスト」にももたらされた。
ヴァルターから手渡された電文を読み、エアルは険しい顔を作る。
戦況について、「シャルンホルスト」の通信室が受け取った情報は、第1戦闘群司令部と同じ。デンマーク海峡で有力なイギリス艦隊と交戦状態に入った、と言うところまで。
その後、作戦中止を告げる電文が、エアルの下へと送られてきた。
「ライン演習作戦中止、か」
「え、じゃあ、ビスマルクはやられたの?」
問いかける、シャルンホルストの声が、思わず震えるのが分かった。
世界最大最強の戦艦「ビスマルク」がまさかやられるとは、彼女はつゆほども考えていなかった。
大西洋に来れば、きっと一緒に戦う事が出来る。
その事を楽しみにしていたのに。
「いや、そこまでは書いていないよ。ただ、作戦は中止する、とあるだけ」
シャルンホルストを安心させるように、通信文の内容を読み上げてやる。
作戦中止と言う事は、裏を返せば、第2戦闘群は未だ健在であり、何らかの方法でイギリス海軍の警戒網を突破、あるいは回避する事に成功したことを意味している。
しかし同時に、作戦を中止せざるを得ない程の損害を被った事をも意味している。
そして、
手負いの「ビスマルク」を逃がすほど、イギリス海軍は甘くないだろう。十中の十、追っ手を差し向けているはず。
万に一つも、楽観はできなかった。
更に拙い事に現在、第2戦闘群は未だにイギリス海軍の勢力圏内にいる。
きわめて危険な状況だ。いかに最強戦艦の「ビスマルク」と言えど、傷付いたところをイギリス全軍から総攻撃を受けて、無事で済むはずも無い。
そして今、大西洋で唯一、作戦行動が可能な「グラーフ・ツェッペリン」は遥か南大西洋にいて、すぐに「ビスマルク」を援護できる状況ではない。
現在、北大西洋にあって、すぐにでも「ビスマルク」を援護できる戦力。
そんな物があるとすれば、
「・・・・・・・・・・・・」
黙り込むエアル。
それは、自分達しか、いないのではないか?
そう、結論せざるを得ない。
ただし「グナイゼナウ」はだめだ。向こうは、ブレスト沖海戦で魚雷を受け、その破孔が塞がれていない。
だが、本艦ならどうだ?
「シャルンホルスト」の修理箇所は、機関と、艦首甲板の破孔。後は艦内の区画。
実のところ、機関の修理はベルリン作戦の直後から行って居る為、殆ど終わっている。ただ、艦首部の破孔は、まだそのままになっているのと、機関にしたところで、実際に海に浮かべてテストしてみない事には、本当に直ったかどうか分からない。
だが、
しかし、
「グナイゼナウ」のように、喫水線下への損傷が無いなら、動けない事もないのではないか?
「おにーさん・・・・・・」
呼ばれて、振り返るエアル。
見れば、シャルンホルストは、今にも泣きそうな目でこちらを見つめてきている。
言いたいけど、言い出せない。
「シャル・・・・・・」
彼女気持ちが、エアルには痛いほどわかる。
行動を起こすには、決断がいる。
だが、
今まさに、水平線の先では、友が助けを求め、孤独に戦っている。
その事を思えば、
迷う事など、何一つないのではないか。
ややあって、
エアルは顔を上げた。
「副長・・・・・・すぐに、これから俺の言う人達を集めてください」
暫くして、ヴァルターに伴われて艦橋に上がってきたのは、エアルの妹のサイア・アレイザー、そして修理の責任者をしているフランス人技師だった。
傍らには、シャルンホルストの姿もある。
2人の技術者を前にして、エアルは単刀直入に切り出した。
「率直に言います。本艦をドックから出して出港準備に入りたい。2人には、その協力をしてもらいたいのです」
その言葉に、皆が仰天したのは言うまでもない事だった。
「シャルンホルスト」は、今まさに修理中だ。
作業は半ばまで完了しているが、まだ途中である事に変わりはない。その上、艦内には多くの工事用機材まで運び込まれている。
「無理だよ、兄さん!!」
真っ先に声を上げたのはサイアだった。
「機関は、まあ、大分調整されて出力が安定するようにはなって来てるけど、それでもテストも無しに、いきなり戦闘なんてできないし、それに艦内の修理だって、まだ先でしょう!!」
ベルリン作戦以後、機関のオーバーホールはフランス人技師たちの協力の下、急ピッチで行ってきた。その為、一応のところ形にはなっている。
しかしサイアの言う通り、試運転もまだの状況である。
まして、艦首には爆撃を食らった際に穴が塞がれずに残っている。
出撃などできる状態ではない。
本来なら。
しかし、
「何とか明日、少なくとも明後日までに本艦を出航させたい」
エアルの脳裏に、イギリス周辺の地図が描き出されていた。
作戦続行を断念した「ビスマルク」が、向かうとすればどこか?
普通に考えれば、反転して本国に引き返すだろう。
しかし北海にはイギリス本国艦隊の本拠地であるスカパ・フロー軍港があり、アイスランド周辺を監視している事は間違いない。本国への帰投は、その網の中にわざわざ飛び込んでいくようなものだ。
とすれば、引き返す事はあり得ない。
ならば、「ビスマルク」はどう行動するか?
推察の末、ある結論に達する。
フランス、サン・ナゼール軍港。
ブルターニュ半島の南に位置し、ブレストから見れば南東にある港。
そこにはフランス大西洋岸では唯一、「ビスマルク」も収容可能な大型ドックがある。
一刻も早く損傷を修理したい「ビスマルク」は直進して大西洋に出ると、サン・ナゼールを目指す可能性が高い。何よりサン・ナゼールならブレストとも近い為、周辺には第1戦闘群を初め、多くのドイツ軍が駐留している。「ビスマルク」に対し、充実した支援を行う事が出来る。
以上の事からエアルは、「ビスマルク」が、サン・ナゼールを目指している可能性が高いと判断したのだ。
「だからって・・・・・・」
「やりましょう」
尚も言い募ろうとするサイアを制するように言ったのは、フランス人技師だった。
中堅どころで、いかにもベテランと言った風防の技師は、エアルをまっすぐに見据えて言った。
「完璧、とは流石にいきませんが、少なくとも上甲板の破孔を目立たない程度に塞ぐだけなら、突貫でやれば1日で終わると思います。もっとも、ただ塞ぐだけですので、空いた穴に紙を張って隠す程度と考えていただきたい」
「結構です。助かります」
そう言って頭を下げるエアル。
自分でも無茶ぶりをしている事は自覚している。だからこそ、それに答てくれた技師には感謝の言葉しかない。
対して、技師は笑って手を振る。
「先の空襲の時、アレイザー大佐は、我々の艦内退避をお命じくださった。そのおかげで、我々は全員が生き残る事が出来たのです。港の方に逃げた者には助からなかった者も多数いました。それを考えれば、大佐には感謝しかありません。大佐の頼みとあれば、断るわけにはいきますまいよ」
そう言って笑う技師。
次いで、エアルはサイアの方へ目を向けた。
「サイア」
「いや、だって・・・・・・」
兄の視線に、思わず目を逸らすサイア。
ビスマルクを助けに行きたい兄。
サイアとて、兄の想いにはこたえたいと思っている。
しかし、技術者としてのプライドが、どうしても首を縦に振るのを拒んでいた。
と、
「サイア、お願い」
すがるような少女の声。
振り返ると、シャルンホルストがまっすぐな瞳でサイアを見つめている。
どこかすがるような少女の目。
ビスマルクを助けたい。
あるいは、その想いが最も強いのは、この中では彼女だったのかもしれない。
そんな少女の視線が、サイアに突き刺さる。
正直、兄1人の頼みなら、サイアも技術屋のプライドとして断った事だろう。
「シャルンホルスト」の機関はデリケートな代物だ。万が一、海の上で機関が停止して漂流でもしたら事だ。
しかし、
この少女にまで頼み込まれると、サイアも強くは言えない。
まだ付き合いとしては短いサイアだが、シャルンホルストとは仲が良く、彼女の事は本当の妹のように可愛がっている。
だからこそ、万全の状態にして海に出してやりたいと思っている。
しかし同時に、彼女の願いをかなえてやりたいとも思っている。
その二律背反の板挟みに加え、皆が視線を集中させる中、
「う~~~ あ~~~ もーッ 分かったわよッ ただし、言うまでもなく、あたしも行くからね!! それから、絶対に無茶な戦い方はしない事ッ これが条件!!」
ついに、折れた。
「決まりだね」
指を鳴らすエアル。
一礼して去っていくフランス技師と、足音と鼻息を荒くして出て行くサイア。
2人を見送ると、エアルはヴァルターに向き直った。
問題はここからだ。
サイアに言われるまでもなく、修理途中の戦艦をドックから引っ張り出すなど、本来なら正気の沙汰ではない。
しかし今、「ビスマルク」の危機に間に合うのは自分達しかいない以上、行動こそが求められる最善の選択肢だった。
「物資の積み込みをお願いします。砲弾と食料、それに燃料。明日1日で、可能な限りの手配をお願いします。それと同時に、ドックの注水作業も並行して進めます」
「了解しました」
敬礼して出て行くヴァルター。
後には、エアルとシャルンホルストだけが残された。
「・・・・・・ごめんね、おにーさん」
ややあって、シャルンホルストの方から口を開いた。
見上げるようにエアルを見ながら、どこか申し訳なさそうにしている少女。
「また、ボクのせいで無茶させちゃって」
そんなシャルンホルストを、
エアルはそっと手を伸ばし、頭を撫でてやる。
「そんな事無いよ」
「おにーさん」
「ビスマルクを助けたいって気持ちは、俺もシャルと一緒だ。だから、必要な事をやろうと思ったんだ。けど・・・・・・・」
「けど?」
「それを決断させてくれたのはシャルだ。だから、ありがとう」
そう言って笑うエアル。
シャルンホルストも、ほんのり顔を赤くして笑顔を返す。
「一緒に、ビスマルクを助けよう」
「うん」
頷きあう2人。
こうして、「シャルンホルスト」出港に向け、一同は動き出したのだった。
2
背後に、巨艦が遠ざかっていくのが見える。
昨日まで共に戦った艦の姿は、しかし出撃前に比べてやつれたようにも見える。
重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」は今、東に向かう旗艦「ビスマルク」から離れ、南に向かうコースを取っていた。
司令官リンター・リュッチェンスの命により、「ビスマルク」とは分離行動を取る事になったのだ。
「ビスマルク、本当に大丈夫でしょうか? あんなに損傷しているのに・・・・・・」
艦橋に立ったオイゲンが、徐々に遠ざかっていく「ビスマルク」の姿を眺めながら、ぽつりと呟く。
「ビスマルク」は「プリンス・オブ・ウェールズ」からの砲撃によって、いくつかの損傷を負っている。幸い、当たり所が良かったこともあり、対空砲やその他の構造物に若干の損傷を負った程度であるが。
しかし何と言ってもやはり深刻なのは、艦首に受けた「フッド」の38.1センチ砲弾だろう。
艦首に空いた破孔によって速力は低下し、更に燃料の流出は今も続いている。
長く引いた油膜の尾は、上空から見ればこの上ない目印になるのは間違いない。
幸いにして、上空には厚い雲が張られている。
どうにか、サン・ナゼール入港まで、敵に見つからずにやり過ごせれば良いのだが。
「命令である以上は仕方がない」
艦長が、諦念を現すように、力なくオイゲンに声を掛けた。
「この上は、『ビスマルク』が無事にサン・ナゼールにたどり着けるよう、我々も側面援護に力を入れるとしよう」
「はい」
頷くオイゲンは、もう一度、遠ざかっていく「ビスマルク」に目を向ける。
既にドイツが誇る最新鋭戦艦は、水平線近くで小さくなりつつある。間も無く、その姿は消えて見えなくなることだろう。
しかしオイゲンは、「ビスマルク」の姿が完全に水平線に隠れるまで、見守り続けていた。
後年、リュッチェンス提督がなぜ、「プリンツ・オイゲン」に分派行動を命じたのか、その理由について明らかにされていない。
「プリンツ・オイゲン」だけでもライン演習作戦を続行させようとした。
傷ついた「ビスマルク」から分離する事で、「プリンツ・オイゲン」の安全を確保しようとした。
逆に無傷の「プリンツ・オイゲン」に囮を頼み、その間に「ビスマルク」を味方の勢力圏に逃げ込ませようとした。
諸説囁かれてはいるが、どれも物証に乏しく、推測の域を出ない。
ただ一つ、
言える事があるとすれば、
もしこの時、「プリンツ・オイゲン」を分離しなければ、
この先の展開が、もう少し変わっていたかもしれない、と言う事だった。
翌25日。
「プリンツ・オイゲン」と別れた「ビスマルク」は、進路を東にとって、フランスのサン・ナゼール軍港を目指していた。
そこまで行けば、潜水艦隊や空軍部隊の支援を受けられるし、「ビスマルク」を修理可能な大型ドックがある。
何よりほど近いブレストには第1戦闘群が駐留している。
サン・ナゼールまで行けば損傷を修理して燃料を補給。その後は、第1戦闘群と共に、改めて作戦に当たる事も出来る。
だが、その為にはどうしても、イギリス軍の監視を撒く必要がある。
ビスマルクは艦橋の窓から、双眼鏡を「自分」の左舷へと向ける。
水平線上に、うっすらと見える小型のシルエット。
イギリス海軍の巡洋艦「サフォーク」だ。
デンマーク海峡海戦以前の遭遇戦からこっち、「ビスマルク」との触接を保ち続けている。
当初は「ノーフォーク」と「サフォーク」のみの監視だったが、今は更に複数の巡洋艦が加わり、交代で「ビスマルク」を追跡していた。
「まだ、いるか?」
「ああ」
リンデマン艦長の問いかけに、ビスマルクは双眼鏡を下ろして頷く。
しつこい、と言えば聞こえは悪いが、彼等も必死だ。
ここで「ビスマルク」を逃せば、イギリス軍にとって大きな脅威になる。それは「フッド」爆沈の悪夢で既に証明されていた。
それに、触接している巡洋艦からしても、いつ「ビスマルク」から撃たれるか分からない恐怖と戦いながらの追跡行である。戦々恐々と言ったところだろう。
そして、
この状況こそ、リンデマンやビスマルク、リュッチェンスが狙った物だった。
「よし、仕掛けるぞ、ビスマルク」
「ああ、いつでもいける」
頷きあう、リンデマンとビスマルク。
次いで、リンデマンは司令官席に座るリュッチェンスへと目を向けた。
リュッチェンスは無言。
ただ、黙って頷きを返す。
作戦実行の合図だった。
現在、「ビスマルク」は先に述べた通り、サン・ナゼール入港を目指し、東へ向かって航行している。
その北側、「ビスマルク」から見れば、左舷側に重巡洋艦「サフォーク」が並走している状態だった。
しかし、「サフォーク」はUボートからの雷撃を警戒してジグザグに航行している。
加えて「サフォーク」は「ビスマルク」からの砲撃も警戒しなくてはならない為、レーダー探知範囲のギリギリを航行していた。
そこで、ビスマルク達の作戦はこうである。
「サフォーク」が取り舵(左)に転舵したタイミングで「ビスマルク」は面舵(右)に転舵。敵から遠ざかるコースに入り、レーダー探知範囲から逃れようと言う物だった。
「タイミングが重要だ。見張り員、警戒を怠るなッ」
リンデマンからの命令が飛び、防空指揮所で監視に当たっている見張り員たちは、目を凝らして双眼鏡に取り付く。
やがて、
「敵艦、取り舵に転舵!!」
報告を聞き、リンデマンはすかさず命じる。
「今だ、機関全速ッ 面舵一杯!!」
損傷を受け、出し得るギリギリである26ノットまで速力を上げながら右へと旋回する。
景色が大きく変わる中、そのまま一気にイギリス艦隊から遠ざかっていく。
「・・・・・・どうだ?」
やや緊張した面持ちで尋ねるリュッチェンス。
しかし、それにこたえるものは誰もいない。
振り切ったのかどうか、すぐには分からないのだ。
ややあって、
「敵艦の姿が見えませんッ 逆探に反応も無し!!」
歓喜に満ちた報告が上げられてきた。
すなわち、作戦成功し、イギリス軍を振り切ったのだ。
「成功です」
リンデマンの言葉に、満足そうに頷くリュッチェンス。
ビスマルクもまた、嬉しそうに笑う。
これでイギリス軍の監視は振り切った。「ビスマルク」が逃げ切れる目が出て来たのだ。
デンマーク海峡で「フッド」達と交戦して以後、ようやく少しだけ、希望が見えてきた。
あと少し、
ここを乗り切れば、フランスの港まで一直線だった。
一方その頃、
ブレストでは、巡洋戦艦「シャルンホルスト」が、出撃準備を完了させようとしていた。
とは言え、その身はお世辞にも完璧とは程遠い。
不調のワグナー高圧缶は、修理は一通り終えているとはいえ、テスト運転が完璧ではない。
艦首の破孔は、溶接を駆使して突貫工事を行い、どうにか塞いでいるものの、せいぜい「人が乗っても壊れない」程度の物でしかない。砲弾どころか、機銃1発食らっただけでも穴が開く可能性がある。
全てが未完成。
全てが不十分。
しかし、それでも行かねばならなかった。
フランス人技師たちは退艦する際にエアルに言った。
「まだ工事は途中ですので、必ず帰ってきてください。帰ってきたら、続きをやりますので」
その言葉の、なんとありがたい事か。
「おにーさん」
傍らのシャルンホルストが声を掛けて来る。
既に彼女も軍服に着替え、戦闘態勢を整えていた。
「準備完了、いつでもいけるよ」
既にドック内には注水が完了されている。
後は命令を待つのみだった。
「判った」
立ち上がるエアル。
その双眸には、迷いは一切見られない。
「出港用意ッ ゲート開けッ!!」
鋭く飛ぶ、エアルの命令。
後方のゲートが開かれ、「シャルンホルスト」はタグボートに引かれながら、滑るようにドックから姿を現す。
やがて、完全に港の中へと姿を現す「シャルンホルスト」。
傷つき、病み上がりの身を、海面に浮かべる。
だがそれでも、
3連装3基の54.5口径28.3センチ砲は、鋭い輝きを放ち、自らの友を傷つける敵を撃たんと意気を上げているかのようだ。
微かに揺れる波に身を委ねながら、エアルは眦を上げた。
「機関始動ッ 微速前進!!」
3軸のスクリューが回転し、海面が白く泡立つ。
同時に、
巡洋戦艦「シャルンホルスト」は、ゆっくりと前へと進み始めた。
第41話「友の為に走れ」 終わり