蒼海のRequiem外伝 ~北天の流星~   作:ファルクラム

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第42話「倒れても屈せず」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 間も無く帳が落ちる。

 

 暗くなり始めた海面を、1隻の戦艦が東に向けて航行していた。

 

 「ビスマルク」である。

 

 ドイツ戦艦特有の重厚さとスマートさを兼ね備えたフォルムが、夕映えの海面に美しく映えている。

 

 僚艦「プリンツ・オイゲン」と別れた「ビスマルク」は、単独でサン・ナゼールへと向かっていた。

 

 防空指揮所に立つビスマルク。

 

 見張りの兵士とあいさつを交わし、視線を前に向ける。

 

 航行に合わせて吹き付ける風が、彼女の長い髪を揺らしていく。

 

 心地よい風に身を委ねながら、視界をは彼方を見続けている。

 

 航海は順調だった。

 

 巡洋艦の触接を振り切った後、「ビスマルク」はイギリス軍の妨害を受ける事無く、東へと進んでいる。

 

 間も無く、ドイツ空軍の防空圏内に入る事が出来る。この分なら、数日中にはサン・ナゼールにたどり着けるだろう。

 

 ビスマルクが前方を見ながら佇んでいると、背後から足音が聞こえてきた。

 

「心配か?」

 

 かけられた声に振り返るビスマルク。

 

 リンデマン艦長は、ビスマルクの傍らに立つと、壁に寄り掛かるようにして立った。

 

「間も無く、味方の援護を受けられる。敵もよもや、こちらの勢力圏にまでは追ってこないだろう」

「それは、ありがたい。流石にちょっと疲れたからな。少しは楽をさせてもらいたいものだ」

 

 そう言って苦笑するビスマルク。

 

 視線を彼方に向けると、ややあって口を開いた。

 

「・・・・・・妹の事を、考えていた」

「妹・・・・・・確か、ティルピッツ、だったか?」

 

 頷くビスマルク。

 

 ビスマルク級戦艦2番艦「ティルピッツ」は、今年の2月に竣工している。

 

 第1次大戦時の海軍長官から名を取ったこの艦は、「ビスマルク」建造に際して判明した諸問題を改善した形で竣工した為、より強力な戦艦に仕上がっている。

 

 ライン演習作戦への参加も検討されたが、流石に竣工直後で乗組員の練度に問題があるとして、今回は見送られた。

 

 とは言え、顔を合わせた事はない。

 

 出撃時の多忙さもあり、ビスマルクはついに、出撃前にティルピッツに会う事が出来なかった。

 

 それが彼女にとって、心残りだった。

 

 しかし、会った事が無いからこそ、想像が自分の中で膨らんでいく。

 

 顔はやはり似ているのだろうか? 性格はどうだろうか? 趣味は? 好きな食べ物は? 男性のタイプは?

 

 次々と湧いてくる興味が、心を躍らせていた。

 

 早く妹に会ってみたい。

 

 そんな思いを募らせていた。

 

「ちょっと、残念だな、と思ってな。せっかく一緒に戦えると思ったのに」

「機会はあるさ、いずれな。その為にも、お前は傷を癒して、次の作戦に備えるんだ」

「ああ」

 

 そう。

 

 機会はある。

 

 自分はヨーロッパ最強戦艦「ビスマルク」。

 

 自分があり続ける限り、海の上でドイツに負けはない。

 

 自分と「ティルピッツ」。2隻が海上に揃い踏みした時こそ、海におけるドイツの勝利が確定するのだ。

 

 そう、

 

 機会は、ある。

 

 そう、

 

 思っていた。

 

 その時までは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「右70度より、接近する機影あり!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悲鳴に近い、見張り員の絶叫。

 

 緊張が、一気にマックスを突く。

 

 仕掛けて来るのか?

 

 このタイミングで?

 

 臍を噛みたくなるのをこらえ、続報を待つ。

 

 まだ、味方の航空機が援護に来た可能性が残っている。

 

 考えられる最後の希望にすがり、緊張を張り巡らす。

 

 だが、

 

 希望はあえなく、打ち砕かれた。

 

「複葉の雷撃機ッ ソードフィッシュです!! 数15!! 突っ込んでくる!!」

「総員戦闘配置ッ 対空戦闘用意!!」

 

 リンデマンの命令が飛び、艦内を駆け回る。

 

 対空砲要員は直ちに高角砲、機銃に取り付いて空を睨んだ。

 

 リンデマンとビスマルクも、すぐに艦橋へと降りる。

 

 既にリュッチェンスは艦橋に詰めており、2人の到着を待っていた。

 

「2人とも、正念場だぞ」

「ああ、分かっている。ここを乗り切れば、こちらの勝ちだ」

 

 頷きながら、自分の席へと座るビスマルク。

 

 敵が空から来るのは、完全に予想外だった。

 

 実は、先の急転舵戦術で巡洋艦の触接を断った後、「ビスマルク」は一度、イギリス海軍の監視を完全に振り切っていた。

 

 そのまま味方の勢力圏まで逃げ切れれば良かったのだが、イギリス海軍も今回ばかりは執拗だった。

 

 「フッド」を沈めておいて、勝ち逃げは許さない。

 

 是が非でも沈めてやる。

 

 そんな執念すら感じる。

 

 そして「ビスマルク」が発した、僅かな通信を逆探知し、現在位置を特定する事に成功したのだ。

 

 しかし、位置は判ったものの、そこは既にドイツ空軍の行動圏内ギリギリ。Uボートを警戒しながらの追跡では間に合わない。

 

 そこで、H部隊が随伴している空母「アークロイヤル」から艦載機を発艦させ、「ビスマルク」を足止めを試みる事になったのだ。

 

 「ビスマルク」の側からすれば、完全に予想外。

 

 だが、裏を返せば、イギリス海軍に後は無く、ここさえ乗り切れば逃げられると言う事だ。

 

「敵機接近ッ!!」

 

 見張り員の絶叫。

 

 次の瞬間、

 

「対空戦闘、撃ち方始め!!」

 

 腹の底から響くリンデマンの声。

 

 同時に、

 

 「ビスマルク」艦上に備えられた10.5センチ高角砲、及び37ミリ、20ミリの各機銃が一斉に火を吹いた。

 

 艦上を真っ赤に染める程の火線。

 

 迫りくるソードフィッシュの前面に、鉄と炎の壁を築き上げる。

 

 同時に機関は出力を上げる。

 

 損傷によって速力が低下した「ビスマルク」だが、限界ギリギリの26ノットまでスピードを引き上げる。

 

「右舷前方ッ 敵機接近!! 雷撃態勢に入った!!」

「面舵一杯ッ!!」

 

 見張り員の報告を受け、転舵を命じるリンデマン。

 

 「ビスマルク」は右へと旋回しながら、ソードフィッシュの攻撃を回避しにかかる。

 

 構わず、魚雷を投下するソードフィッシュ。

 

 投下した魚雷の重みが消え、複葉雷撃機はふわりと浮き上がる。

 

 海面下を疾走する魚雷。

 

 しかし、予めソードフィッシュの進路を読んでいたリンデマンの的確な操艦により、魚雷は投下された直後には既に、「ビスマルク」から外れるコースに乗っていた。

 

 巨艦のすぐ脇を、白い航跡が駆け抜けていく。

 

 しかし、イギリス軍も諦めない。

 

 残った機体が四方から「ビスマルク」に殺到し始めた。

 

 対する「ビスマルク」も、激しく対空砲火を撃ち上げて対抗する。

 

 左舷から投下される魚雷。

 

 対して、リンデマンが取り舵を指示。

 

 程なく、直進から左に旋回を始めた「ビスマルク」。

 

 魚雷は、彼女の左舷側を駆け抜けていく。

 

 低速のソードフィッシュでは、なかなか「ビスマルク」を有効な射点に捉えられないのだ。

 

 一見すると「ビスマルク」の方が優位にも見える。

 

 が、

 

 実際は「ビスマルク」の側にも、ジレンマはあった。

 

「なかなか落ちんな。あの程度の旧式機が相手だと言うのに」

「ええ、対空砲火は当たりにくい、と言う話は聞いたことがありますが、まさかここまでとは」

 

 リュッチェンスとリンデマンが、苛立ち交じりに呟く。

 

 激しく対空砲を撃ち上げる「ビスマルク」。

 

 しかし、今のところ、対空砲火による撃墜は1機も無かった。

 

 これには理由があり、まず1つは、2人の言う通り、ソードフィッシュのスピードに対して「ビスマルク」の対空砲は旋回が追い付かない事。

 

 主砲射撃式装置は最新型を搭載している「ビスマルク」だが、対空砲の指揮装置は従来の物を搭載しており、これが航空機のスピードに対応しきれていなかった。

 

 対空火力の薄さも、撃墜できない原因だった。

 

 対空戦闘の基本は、複数の艦艇で砲火を投げかけ、濃密な弾幕を形成する事にある。

 

 しかし現在、「ビスマルク」は単独で航行している為、他の艦と連携する事は出来ない。

 

 これでシャルンホルスト級巡洋戦艦のように、副砲を全て下ろして高角砲を増設していたら、少しは話が違ったかもしれないが。

 

 建造段階で対空戦闘を軽視したツケが、ここで回ってきていた。

 

 もう一つの理由として、(先の理由と矛盾するが)、ソードフィッシュのスピードが遅いせいで、対空砲の信管調整が合わない事も原因だった。

 

 対空砲弾には時限信管が取り付けられ、発射から一定の時間で炸裂する事になる。分かりやすく言うと、タイマー付きの爆弾を大砲で撃ち出しているようなものである。

 

 しかしソードフィッシュのスピードがあまりに遅い為、「ビスマルク」側の信管調整した時間には、まだ敵機は炸裂の圏外におり、砲弾は全てソードフィッシュの手前で炸裂していた。

 

 「ビスマルク」の乗組員は、殆どが初めての実戦参加であり、状況を見て信管を調整する作業が難しい事も原因だった。

 

 無論、それでもいくつかの破片は敵機に届いてはいるが、ここでソードフィッシュの特徴である「布張り」の機体が功を奏していた。

 

 機体のほとんどが布でできている為、命中した破片は全て機体にダメージを負わせる事が出来ず突き抜けてしまっているのだ。

 

 余談だが、イギリス海軍航空隊の雷撃機は、最新型のフェアリー・アルバコアが採用されていたが、同機は新型の割に、思ったほど性能が良いとは言えず、その上、下手に金属製にしたせいで安定性と機動性がソードフィッシュよりも低下。パイロット達から大不評を受けた。

 

 その為、今回の作戦で空母「アークロイヤル」は、旧来通りソードフィッシュを搭載して出撃してきた。

 

 この後、アルバコア雷撃機はイギリス海軍航空隊から完全に姿を消す事になる。

 

 イギリス海軍がソードフィッシュの後継機を得るのは1年以上先。単葉金属製のフェアリー・バラクーダの登場を待たなくてはならなかった。

 

 それでも、「ビスマルク」は奮闘を続けた。

 

 傷ついた身で必死に回避行動を続け、対空砲は当たらないまでも、敵機の接近を拒み続ける。

 

 襲来したソードフィッシュが少数だった事も功を奏した。おかげでイギリス軍の攻撃は波状攻撃とはならず、単発攻撃の繰り返しのようになった為、「ビスマルク」の側としても、迎撃しやすかったのだ。

 

 今も、対空砲火を撃ち上げながら左に旋回する「ビスマルク」。

 

 ソードフィッシュの放った魚雷は、「ビスマルク」の左舷側に抜けていく。

 

 既に大半の攻撃を回避する事に成功している。

 

 このまま、逃げ切れるか?

 

 そう、思った時だった。

 

「右舷、雷跡2ッ 急速接近!!」

 

 見張り員の絶叫。

 

 その報告に、リンデマンは思わずうなる。

 

 放たれた魚雷が、命中コースにあるのだ。

 

 「ビスマルク」は現在、取り舵に切って先に放たれた魚雷を回避した直後である。

 

 向かってくる魚雷を回避するためには、面舵に切り直して右に旋回する必要がある。

 

 しかし、今から舵輪を逆に回しても、実際に舵が利き始めるには1分近くかかるだろう。その間に、魚雷は命中してしまう。

 

 その間にも魚雷は迫ってくる。

 

 迷っている暇はない。

 

「取り舵続行!!」

 

 悪手としか言いようが無いが、今は賭けに出るしかない。このまま取り舵回避を続けて、魚雷が逸れるのを祈るしかない。

 

 最悪、魚雷が命中したとしても、1本くらいの命中で「ビスマルク」が沈むはずも無い。

 

 チラッと、傍らのビスマルクに目をやるリンデマン。

 

「頼むぞッ」

 

 祈るような気持ちで、艦の旋回を見守る。

 

 あと少し、

 

 あと少し、

 

「右舷雷跡、近い!!」

 

 見張り員の絶叫。

 

 次の瞬間、

 

 白い航跡が、「ビスマルク」の左舷側を駆け抜けていくのが見えた。

 

「よし、かわしたッ!!」

 

 誰もが喝さいを上げる。

 

 これで最後だ。

 

 イギリス軍の攻撃は、全てしのぎ切った。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 艦尾から、突き上げるような衝撃が襲ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 艦橋にいた、誰もがよろける。

 

 放たれた魚雷は2本。

 

 「ビスマルク」は、うち1本の回避には成功したが、もう1本を食らってしまったのだ。

 

「損害報告ッ!!」

 

 直ちに命令を下すリンデマン。

 

 食らったとは言え1本だ。

 

 先に言った通り、その程度で「ビスマルク」は沈まない。

 

 だが、

 

 床に倒れこんだビスマルク。

 

 その彼女が、自分の左足を抑えていた。

 

「ビスマルク、どうした?」

「いや・・・・・・足が、動かない・・・・・・」

 

 苦痛に歪ませながら呟くビスマルク。

 

 感じる、イヤな予感。

 

 程なく、それが現実となる。

 

「先の魚雷は、艦尾に命中ッ 操舵装置が損傷しました!! 現在、取り舵のまま固定され、動作不能です!!」

 

 それは、全員に絶望を抱かせるには、充分過ぎる内容だった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 夜が明けた。

 

 上り始めた陽光が、巨艦を明るく照らし出す。

 

 ドイツ海軍の期待を一身に背負った最新鋭戦艦「ビスマルク」。

 

 世界最大最強の戦艦であり、ヒトラー総統も絶賛した巨大戦艦。

 

 その「ビスマルク」が今や、自らを制御する事すらできず、波間を漂流する難破船と化していた。

 

 夜間、数度に渡って襲撃を仕掛けてきた敵駆逐艦は、火力に任せてどうにか撃退する事が出来た。

 

 しかし、それらに対応している間に、時間が経過しすぎてしまった。

 

 戦闘の合間を縫い、何とか操舵能力の回復が試みられた。

 

 まず第1に、舵その物を修理できないか試してみたが、これは早々に失敗に終わった。

 

 どう舵輪を動かしても、まるで固定されたように動かない。

 

 ダイバーを潜らせて調査する案も出たが却下された。戦闘中に水中に潜るなど、自殺行為でしかない。

 

 一応、艦船には舵が故障した時のサブシステムとして、「人力操舵」と言う手段がある。これは、舵輪を回して操舵を行う「機力操舵」と違い、文字通り舵を人力で回す方法である。

 

 もっとも、数万トンの巨艦を動かすほどの舵である。力自慢の兵士10人以上の力が必要となるのだが。

 

 しかし、その人力操舵でも、操舵能力は回復しなかった。

 

 後に分かった事だが、この時「ビスマルク」は、魚雷命中時のショックで艦中央のメインスクリューがねじ曲がり、舵本体に引っ掛かってしまっていたのだ。その為、いくら力を加えたとしても、操舵力が回復する事は無かった。

 

 残された最後の手段は、スクリューの回転調整による方向転換だった。

 

 これはスクリューの回転方向を変える事で、船の進路を調整する方法である。例えば右に曲がりたいときは、右のスクリューを止めて左のスクリューを全開にする。左に進みたいときは、左のスクリューを止めて、右のスクリューを全開にする。といった具合に。

 

 望みをかけるように、作業が夜通し行われた。

 

 そして、どうにか「ビスマルク」は明け方近くになり、7ノット程度で直進する事に成功したのである。

 

 潮流の関係から、7ノットでは聊か心もとないが、それでもどうにか逃れる手段を得たのだ。

 

 しかし、

 

 時は既に、遅かったのだった。

 

「左舷、9時方向より艦艇多数!!」

 

 絶望的な見張り員の声。

 

 接近してくる大艦隊。

 

 その全てのマストに、ホワイトエンサインとユニオンジャックが、まるで見せつけるように靡いていた。

 

「状況は圧倒的不利、と言わざるを得ませんな」

「まだ分からん」

 

 肩を落とすリンデマンに対し、リュッチェンスは強気な態度を崩さずに告げる。

 

 とは言え、司令官の態度が空元気以外の何物でもない事は明白だった。

 

 「ビスマルク」を最強足らしめていたのは、あくまで「攻防走」の3拍子が高水準で纏まっていたからにすぎない。

 

 しかし今、その3つの内「走」。速力と機動力が失われ、「ビスマルク」は、低速で這うような速力でしか走れなくなってしまった。

 

 この状態で、イギリスの大艦隊と渡り合い、生き残る事は不可能としか言いようがない。

 

 誰もが絶望感に沈み始める。

 

 その時、

 

「まだだッ」

 

 凛とした叫びが、彼等の目の前に広がろうとする暗雲を切り裂いた。

 

 振り返る、リュッチェンスとリンデマン。

 

 その目には、兵士に支えられながら、どうにかして立ち上がるビスマルクの姿があった。

 

「ビスマルク・・・・・・」

「あきらめるなッ 私たちは誇り高きドイツ海軍。その象徴たる存在だ。我々が諦めてしまったら、いったい誰が、祖国を、仲間を、愛する人たちを守ると言うんだッ!!」

 

 既に動かなくなった足を引きずりながら、ビスマルクは2人に並び立つ。

 

「私はあきらめない。たとえこの身が、この海に沈む事になったとしても、私の放つ砲弾1発が、祖国にいる、愛する者を救う。そう、信じて戦い続けるのみだ」

 

 見開かれる双眸。

 

 その先には、迫りくる敵の大艦隊。

 

 そして、

 

 その先に待つであろう、仲間や妹の姿が思い浮かべられる。

 

 私は退かない。

 

 たとえこの身が砕け散ろうとも、砕けた身で貴様らを押し留めて見せる。

 

 その執念が、ビスマルクを海の上に立たせていた。

 

 その姿に、

 

 リュッチェンスとリンデマンは、顔を見合わせる。

 

 そして、どちらからともなく、笑みを浮かべた。

 

「やるか、艦長」

「ですな、提督」

 

 この娘に、ここまでの啖呵を切らせたのだ。

 

 艦長だの提督だの、大層な肩書を持つ自分達が、早々に諦めてなんとするのか。

 

 2人はそれぞれ、ビスマルクの肩を優しく叩くと、艦橋内へと戻る。

 

 そこで、

 

 思わず絶句した。

 

 何とそこには、司令部幕僚、艦橋要員、その全員が踵を揃えて敬礼していたからだ。

 

「大ドイツ帝国海軍所属、戦艦『ビスマルク』。全艦戦闘準備完了しております。ご命令を!!」

 

 幕僚の言葉に、一瞬、電撃に撃たれたような感覚に襲われる。

 

 ここにいる全員、

 

 否、

 

 この艦に乗り組んだ、全ての乗組員の想いは同じ。

 

 祖国にいる、愛する人を守りたい。

 

 その為ならば、たとえこの海に沈んでも構わない。

 

「全艦、第1戦闘配備ッ 対水上戦闘用意!!」

 

 リュッチェンスの号令と共に、持ち場へと走る。

 

 既にほとんど身動きすらままならない身だが、47口径38センチ砲は8門全門が健在。更に、ドイツ艦の特徴である重防御も生きている。

 

 まだ、戦える。

 

 来るなら来い。

 

 自分達は決して、屈しはしない。

 

 やがて、主砲の旋回を終え、照準が完了する。

 

 頷きあう、リュッチェンス、リンデマン、そしてビスマルク。

 

 次の瞬間、

 

「撃ち方始め!!」

 

 「ビスマルク」の8門の主砲が、一斉に火を吹いた。

 

 

 

 

 

 戦艦「ビスマルク」の捕捉、撃沈。

 

 それは今や、イギリス海軍にとって至上の命題と化していた。

 

 彼の最強戦艦を野放しにすれば、自分達に途轍もない災禍を齎す事は既に証明されている。

 

 故に、万難を排して「ビスマルク」は沈めなくてはならない。

 

 感情面の問題もあった。

 

 長くイギリス海軍の象徴であり、国民からも絶大な人気を誇った「フッド」。

 

 その「フッド」を沈めた奴を、決して逃がしはしない。

 

 怒りに燃えるイギリス海軍の将兵、艦娘は一丸となって「ビスマルク」を追ってきたのだ。

 

 決して生かしてドイツの港へは帰さない。ここで沈んでもらう。

 

 イギリス海軍が、手負いの「ビスマルク」を見逃す理由は、何一つとしてありはしなかった。

 

 そして、もう1つ。

 

 この男は、他の者達とは別の思惑で、戦場へと来ていた。

 

 

 

 

 

 イギリス本国艦隊の旗艦である「ネルソン」。

 

 その艦橋に誂えられた豪奢な椅子に座り、側近が注いだワインを満たしたグラスを傾ける男。

 

 国王フレデリックは、彼方で主砲をこちらに向けて来る「ビスマルク」を見ながら、グラスのワインに口を付ける。

 

「やれやれ、やっと着いたか。そら、さっさと始めろ。こっちはこの余興が見たくて、このような場所まで来たのだからな」

 

 傲慢な言いぐさ。

 

 傍らで聞いていた艦娘のネルソンが、むっとした顔を作る。

 

 その横では、本国艦隊司令官のジャン・トーヴィが、諦め顔で旗艦艦娘を窘めていた。

 

 フレデリックが水偵を使い、本国艦隊に合流したのは昨日の事だった。

 

 何事かと訝るネルソンたちは、とにもかくにも国王陛下の来訪とあっては無碍にもできず出迎える事にした。

 

 しかし、来艦の理由を聞いて、更に仰天した。

 

 何とフレデリックは、ドイツ艦隊との砲撃戦を間近で鑑賞したいから、わざわざやってきたのだと言う。

 

 バカげている。

 

 今は国王が親征し、騎士同士が馬上で剣戟を交わした古代の戦場ではない。一国の王がやって良い振る舞いではなかった。

 

 もし、フレデリックの身に何かあったら、イギリス全軍の指揮系統が混乱を来す事は目に見えている。

 

 にも拘らず、このような軽はずみな行動を取るとは。

 

 しかしフレデリックは、非難がましいネルソン達の視線など気にした風もなく、自分の席を艦橋の用意させ、側近を侍らせて観戦気取りだった。

 

「そら、対応がトロいぞ。奴はもう目の前じゃないか。とっとと始めないか」

 

 ネルソン達にとっては腹立たしい事この上ないが、これが自分達の最高権力者である。

 

 仕方なく、トーヴィと顔を合わせると、彼も嘆息交じりに頷きを返して来た。

 

「砲撃用意!!」

 

 トーヴィの号令と共に、戦闘態勢を整える本国艦隊。

 

 トーヴィ直卒の部隊は、戦艦「ネルソン」、重巡洋艦「ドーセットシャー」、軽巡洋艦「ベルファスト」、そして駆逐艦15隻から成っている。

 

 戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」や、重巡洋艦「ノーフォーク」「サフォーク」も参戦を希望したが、「プリンス・オブ・ウェールズ」はデンマーク海峡海戦での損傷が思いのほか大きく、ほぼ戦闘不能状態。巡洋艦部隊も数日にわたる追跡行で燃料不足になりかけている為、トーヴィの指示で後退していた。

 

 その他、南からは巡洋戦艦「レパルス」を主力としたH部隊も急行してきているが、そちらは時間の関係上、間に合わない物と考えられた。

 

 とは言え、本国艦隊主力はビッグ7の1隻「ネルソン」。いかに「ビスマルク」がドイツ最強戦艦だとしても負けるものではない。

 

 これで「ビスマルク」が万全の状態であるならば、あるいはフットワークで差を付けられて敗北する事もあり得たかもしれない。

 

 しかし今、「ビスマルク」は「アークロイヤル」の攻撃で足を潰されている。

 

 機動力さえ封じてしまえば、40センチ砲9門を装備する「ネルソン」の敵ではない。

 

 その時だった。

 

 水平線上に、複数の閃光が瞬くのが見える。

 

 明らかに、発砲による閃光だ。

 

「敵艦、射撃開始しました!!」

 

 見張り員の報告。

 

 それを聞いて、

 

「そら、撃ってきたぞ。もたもたするな」

 

 背後からヤジを飛ばす国王。

 

 その態度に苛立ちながらも、ネルソンはトーヴィに向き直る。

 

「こっちも準備完了だ。いつでもやれる」

「よし」

 

 頷くトーヴィ。

 

 提督の右手が高々と振り上げられると、そのまままっすぐに振り下ろされた。

 

「撃てェ!!」

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 絶望的な戦いが、始まった。

 

 相手は稼働可能なイギリス海軍、その全戦力。

 

 対して、こちらは「ビスマルク」1隻。しかも舵を破壊されて、まともに身動きすら取れない。

 

 この状態での勝機など、一分すらありはしない。

 

 しかし

 

 ビスマルクは、

 

 リンデマンは、

 

 リュッチェンスは、

 

 そして「ビスマルク」に乗る、全ての将兵は、一歩たりとも退こうとはしない。

 

 自分達は、生きて帰る事は出来ない。

 

 それは良い。

 

 だが、たとえ死しても、お前たちをドイツには行かせない。

 

 その想いが、一丸となり、8門の38センチ砲を撃ち放つ。

 

 轟音と共に、放たれる砲弾。

 

 鋭い飛翔音を引きながら、重量800キロの火矢が飛ぶ。

 

 傷ついて尚、「ビスマルク」の射撃精度は健在だった。

 

 砲撃数回。

 

 先に、有効弾を出したのは「ビスマルク」だった。

 

 放たれた38センチ砲弾は、目標であるイギリス艦隊旗艦「ネルソン」を包み込むように落下、高々と水柱を噴き上げる。

 

 挟叉。

 

 すなわち、現在の「ビスマルク」の照準が、ほぼ正確になった事を意味する。

 

「よしッ 一気に撃ち込め!!」

 

 吠えるリンデマン。

 

 まだやれる。

 

 自分達はまだ戦える。

 

 その想いが、奮い立たせる。

 

 だが、

 

 報復は、速やかに行われた。

 

 「ネルソン」が放った9発の40センチ砲弾。

 

 「ビスマルク」の砲弾を上回る重量1トンの砲弾は、山なりの弾道を描いて迫る。

 

 耳障りな風切り音。

 

「マズイッ!!」

 

 リンデマンが叫んだ瞬間、

 

 衝撃が襲ってきた。

 

 前部甲板に叩き付けられた砲弾。

 

 その圧倒的な威力を前に、基準排水量4万1000トンの巨体は激震に見舞われる。

 

 艦橋にいた者は、リンデマンも、ビスマルクも、リュッチェンスも、例外なく床に叩き付けられた。

 

「な、何がッ!?」

 

 呻きながら、身を起こすリュッチェンス。

 

 リンデマンはビスマルクを助け起こしながら顔を上げる。

 

「損害報告!!」

 

 程なくしてもたらされた報告は、一同をして絶望させるのに十分な内容だった。

 

「前部甲板に直撃弾ッ A砲塔旋回不能!!」

「B砲塔より、報告ッ 射撃不能との事!!」

 

 「ビスマルク」はただの一撃で、前部の主砲2基を同時に破壊されてしまったのだ。

 

 火力の50パーセントを一気に失ってしまった。

 

「まだだッ!!」

 

 叫んだのはビスマルクである。

 

「まだ、後部の主砲がある!!」

 

 ビスマルクの闘志に応えるように、後部C、D砲塔が咆哮する。

 

 しかし、その頃になると、距離を詰めたイギリスの巡洋艦も、「ビスマルク」に対して砲撃を開始していた。

 

 

 

 

 

 巡洋艦「ベルファスト」は、重巡洋艦「ドーセットシャー」に後続しながら、射程に入ると同時に12門の15.2センチ砲を撃ち放った。

 

 発射速度の速い砲撃は、たちまち「ビスマルク」に命中弾を与え、甲板上には無数の炸裂炎が弾けるのが見えた。

 

 軽巡洋艦の主砲では「ビスマルク」の装甲を撃ち抜けないが、艦上構造物にダメージを与える事は出来る。

 

 高角砲、機銃、射撃管制装置。

 

 それらの設備が、「ベルファスト」の砲撃によって破壊されていく。

 

 しかし、

 

 視界の先では、後部4門の主砲のみで「ネルソン」に反撃を試みる「ビスマルク」の姿がある。

 

「あの状態で、まだ撃つか」

 

 唸るように呟く、リオン。

 

 既に「ビスマルク」は、「ネルソン」「ドーセットシャー」「ベルファスト」から集中砲火を受け、全艦火だるまと化しつつある。

 

 艦内もおそらく、死傷者で溢れ始めている事だろう。

 

 そのような地獄の状況で尚、反撃に出て来る敵戦艦に、敬服すら覚える。

 

 しかし、

 

 個人的な念はともかく、今はイギリス軍人としての義務を果たさなくてはならない。

 

「ベル」

「何、リオン?」

 

 相棒に呼びかけると、彼女の肩を叩きながら告げる。

 

 現状「ビスマルク」の砲撃は脅威以外の何物でもない。このままでは、被害が出るのも時間の問題だろう。

 

 そうなる前に、何とかして奴の砲撃を止める必要がある。

 

「『ビスマルク』の前部艦橋付近を狙いたい。できるか?」

「オッケー、やってみる」

 

 笑いながら頷くと、集中すべく目を閉じるベルファスト。

 

 同時にリオンも、目標の変更を砲術長に指示する。

 

「撃てッ!!」

 

 リオンの命令と共に、「ベルファスト」は12門の主砲を撃ち放った。

 

 

 

 

 

 使える砲が4門に減った事で、「ビスマルク」の砲撃は、なかなか「ネルソン」を捉える事が出来ずにいた。

 

 その間にも、イギリス軍の砲撃は次々と突き刺さる。

 

 「ネルソン」の砲撃によって艦首には大穴を開けられ、更には既に射撃不能になっていたA砲塔も吹き飛ばされる。

 

 煙突も直撃を受けて、半ばから吹き飛ばされていた。

 

 「ドーセットシャー」「ベルファスト」の砲撃は、艦上構造物を次々と削り取っていく。

 

 甲板上で発生した火災は艦内にまで延焼が広がり、手が付けられなくなりつつある。

 

 既に消火に必要な人員の確保すら、ままならなくなりつつあった。

 

 しかし、

 

「まだ・・・・・・まだッ!!」

 

 ビスマルクの叫びと共に、4門に減少した38センチ砲が放たれる。

 

 まだ、諦める気はない。

 

 使える砲が1門でもある限り。

 

 その想いが、ビスマルクを突き動かす。

 

 しかし次の瞬間、

 

 やけに甲高い風切り音と共に、艦橋を衝撃が走った。

 

「グハッ!?」

 

 頭部に走る激痛に、思わず長い金髪を押さえて蹲るビスマルク。

 

「しっかりしろッ!!」

 

 リンデマンが助け起こそうとしたが、同時に「ネルソン」の40センチ砲弾が中央甲板に命中。貫通こそ免れたものの、強烈な振動が「ビスマルク」を襲った。

 

 程なく、報告が上げられてきた。

 

「前部射撃指揮所壊滅ッ 砲術長以下、全員戦死!!」

 

 「ベルファスト」が放った砲弾が直撃したのだ。

 

 射撃指揮所を破壊されたと言う事は最早、「ビスマルク」は主砲の統一射撃が不可能になったことを意味している。

 

 残された反撃手段は、砲塔別個別照準による射撃だが、こちらは統一射撃に比べて、著しく命中率が落ちる。

 

「それでも、まだ・・・・・・・・・・・・」

 

 顔を上げるビスマルク。

 

 次の瞬間、

 

 これまでにないほど、強烈な衝撃が襲い掛かり、艦橋にいた全員をなぎ倒した。

 

 

 

 

 

第42話「倒れても屈せず」      終わり

 

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