1
私は、絶対にあなたの物にはならない。
あなたはこれから、手に入らない物に絶望して生きて行けばいい。
さようなら
鳴り響く砲撃音。
その音で、フレデリックは現実に引き戻された。
ここは戦艦「ネルソン」の艦橋。
今は、ドイツ戦艦を追い詰めている最中だと言う事を、唐突に思い出した。
「・・・・・・・・・・・・フンッ」
鼻を鳴らすと、グラスの底に残っていたワインを一気に飲み干す。
「・・・・・・ドイツの女は、いつになっても強情な奴等ばかりと来た」
誰に聞かせるでもなく、呟きを漏らす。
次いで、指揮を執るトーヴィに向き直った。
「まだ終わらんのか? そろそろ飽きて来たぞ」
「もう終わる」
苛立ち紛れに返したのはネルソンだった。
「既に『ビスマルク』は死に体だ。決着はついた」
ネルソンの言う通りだった。
視界の彼方では最早。火災と煙に覆われて、姿を見る事さえ敵わなくなった「ビスマルク」の姿があった。
艦体は傾斜し、海上に完全に停止している。
前部のA、B砲塔は完全に破壊され、D砲塔も砲身が吹き飛ばされている。
C砲塔だけは原型をとどめているが、傾斜によって揚弾機が停止したらしく、既に沈黙していた。
煙突は半ば吹き飛ばされ、後部艦橋は喪失、前部艦橋も一部が直撃を浴びて崩壊しているのが見えた。
甲板や舷側には、多数の破孔が穿たれ、命中した砲弾の多さを物語っていた。
ドイツ海軍が期待を込めて建造した最新鋭戦艦「ビスマルク」。
その運命は、旦夕に迫っていた。
「とは言え、本艦も砲弾はほぼ撃ち尽くしました。トドメは駆逐艦の魚雷に委ねようと思います」
「・・・・・・好きにしろ」
トーヴィの言葉に、投げやり気味に返すフレデリック。
彼にとって最早、どうでも良い事だった。
意識を取り戻したのは、奇跡だったのかもしれない。
全身をさいなむ痛みに耐えながら、ビスマルクはどうにか身を起こした。
「・・・・・・・・・・・・グッ」
全身に力を込めて、立ち上がる。
既にほとんど動かなくなった体を、どうにか起き上がらせる。
砲撃音が、止まっている事にはすぐに気が付いた。
敵にしても既に、砲撃を行うまでもない、と言う事だろう。
「自分」が既に、戦闘力を喪失している事は、確認するまでもなく分かった。
「・・・・・・・・・・・・提督・・・・・・・・・・・・艦長」
2人の姿は、艦橋に倒れているのがすぐに見えた。
しかし、リュッチェンスもリンデマンも、呼びかけに答える様子はない。
2人の命が、既に失われている事は明白だった。
「みんな・・・・・・・・・・・・」
艦橋の床に座り込むビスマルク。
艦橋にいた人間で、生き残っているのはビスマルクだけ。
先に「ネルソン」の砲弾が艦橋付近をかすめ、その衝撃で全員がなぎ倒されたのだ。
ビスマルクも、最早立ち上がる気力もないまま、崩れ落ちるように床に座り込んだ。
その瞳から、一筋の雫が零れ落ちる。
自分が、もっとしっかりしていたら。
もっとちゃんと戦えていたら、
皆が死ぬことは無かったかもしれない。
艦橋の窓から、こちらに舷側を向けて停止する、複数の駆逐艦の姿が見える。
さながら銃殺隊のようにも見えるそれらは、文字通り「ビスマルク」にトドメを刺すべく、魚雷発射態勢に入っているのだ。
涙を湛えた瞳で、己に迫る最後を待つ。
その脳裏に浮かぶのは、まだ見ぬ妹の姿。
ティルピッツ。
会ってみたかった。
一緒に戦いたかった。
しかし、その夢はもう、叶わない。
「・・・・・・・・・・・・すまない」
そう呟いて、
目を閉じた。
次の瞬間、
突如、先頭の駆逐艦が閃光に包まれ、爆炎を噴き上げた。
更に1隻。
「ビスマルク」に魚雷を放とうとしていた駆逐艦が、爆炎に包まれる。
「な、何が・・・・・・・・・・・・」
呆然と呟くビスマルク。
イギリス軍も、突然の事態に、慌てて陣形を変更しようとしているのが見える。
狼狽するイギリス艦隊。
その彼方から駆けて来る、1隻の巡洋戦艦。
そのマストに、誇らしげに掲げられた旗印は鉄十字。
その姿に、思わずビスマルクは目を見開いた。
「シャルンホルストッ!?」
狩りとは、人を熱中の坩堝に呑み込む程の魅力があるらしい。
「ビスマルク狩り」に夢中になっていたイギリス艦隊は、数において優勢でありながら外周警戒用のピケット艦すら配置していなかった。
おかげで「シャルンホルスト」は、有効射程距離に踏み込むまで敵に察知される事無く、殆ど奇襲に近い形で襲撃に成功していた。
まず、「ビスマルク」に魚雷を放とうとしていた駆逐艦を追い散らす事に成功。
これで、当面の危機は去った。
次は、
「駆逐艦はもう良い、戦艦を狙って!!」
エアルは、イギリス艦隊の中心にいる「ネルソン」を睨み据えた。
イギリス艦隊に、他に戦艦はいない。
つまり「ネルソン」さえ倒せば、この場を脱する事も不可能ではない。
「取り舵一杯ッ 右砲戦用意!!」
エアルの指示に従い、左へと旋回する「シャルンホルスト」。
9門発射態勢が整うと同時に、艦橋トップの測距儀が「ネルソン」を補足。射撃データをA、B、C各砲塔へと伝達する。
「照準良し!!」
「装填完了!!」
報告を受け、エアルは目を見開いた。
「撃てェ!!」
同時に、
9門の28.3センチ砲が、一斉に放たれた。
飛来する「シャルンホルスト」の砲弾。
着弾と同時に林立する水中が、「ネルソン」を包み込む。
そして、
1発は「ネルソン」の右舷甲板に命中して弾けた。
「右舷中央付近に命中弾ッ 副砲損傷!!」
報告を受け、舌打ちするトーヴィ。
副砲の1基くらい、どうと言う事はない。このような局面で、「ネルソン」が敵の小型艦に肉薄を受ける可能性は皆無だろう。
問題は、「シャルンホルスト」が、かなり正確な射撃を行ってきている事だった。
現在、イギリス艦隊は「ビスマルク」包囲の為、陣形が散らばっている状態だ。その為、外側からの攻撃に非常に弱い状態である。
同様に、旗艦「ネルソン」周囲も手薄となっている。
「シャルンホルスト」は、そこを突いてきた形だった。
更にもう一つ、重大な問題がある。
「提督」
察したかのように、ネルソンが声を掛けて来た。
「ここは後退すべきだ。このままでは、こちらが不利になる」
「同感だ」
頷くトーヴィ。
だが、その判断に納得しない者が、1人いた。
「おいおいおいおい」
豪奢な椅子から腰を浮かしながら、声を上げたのは国王フレデリックだった。
「シャルンホルスト級など、巡洋艦に毛が生えた程度の攻撃力しかない、通称破壊くらいしか能の無い欠陥戦艦だろうが。そんな物に尻尾を撒けば、ビッグ7の名が泣くぞ」
「そういう問題じゃない」
小馬鹿にしたような口調のフレデリックに、苛立ちを隠そうともせず、ネルソンは撥ねつけるようにして答えた。
対して、フレデリックが何かを言う前に、トーヴィが割り込むようにして答えた。
「陛下、本艦は現在、『ビスマルク』への砲撃で、砲弾の9割近くを消耗しています。これ以上は・・・・・・・・・・・・」
「ああ、なるほど、そういう事か」
かつては海軍に所属し、前線でも戦った経験があるフレデリックは、トーヴィが何を言いたいのか瞬時に理解する。
奇妙な話と思うかもしれないが、軍艦と言うのは通常、砲弾を撃ち尽くす事は少ない。激しい砲撃戦を行った後でも、何割かの砲弾は残しておくのが常である。
これは帰投中に万が一、敵の追撃にあった場合の備えである。
勿論、少しでも敵の損害を拡大しておきたい時は、弾薬庫が空になるまで撃ち尽くす時もある。が、現状の「ネルソン」は、そこまでひっ迫もしていなかった。
今の「ネルソン」は派手に「ビスマルク」砲撃を行ったため、弾薬庫は空に近く、ほぼ全力発揮可能な「シャルンホルスト」と撃ち合うだけの余裕はなかった。
「いたし方あるまい。好きにしろ」
「ハッ ありがとうございます」
許可も下りた事で、改めて「ネルソン」に後退を指示する。
同時に、トーヴィはもう一手、打っておく事も忘れなかった。
「『ベルファスト』と『ドーセットシャー』に『シャルンホルスト』の相手をさせろ」
さすがの対応力、と言うべきか、「7つの海を支配する」と言う謳い文句は伊達ではない。
既に「シャルンホルスト」の奇襲から立ち直ったイギリス艦隊は、体勢を立て直して砲門を向けつつある。
一時は「ネルソン」の近辺まで切り込んだ「シャルンホルスト」だが、高速で迫りつつある巡洋艦と駆逐艦を前に、後退を余儀なくされていた。
後退しながらも主砲で反撃する「シャルンホルスト」
しかし、相手は数で攻めてきている。単純な撃ち合いでは不利だった。
しかも、
「こっちは、完全じゃないってのにッ」
現在、「シャルンホルスト」は艦首の破孔を応急的に塞いだだけであり、被弾に耐えられるほどの装甲は持っていない。もし、塞いだ破孔部分に1発でも食らおうものなら、たとえ駆逐艦の砲弾でも大ダメージを負いかねなかった。
「左舷前方、敵駆逐艦接近!!」
「左舷、高角砲応戦しろ!!」
「シャルンホルスト」が装備する10.5センチ高角砲の内、左舷に指向可能な8基16門が旋回。一斉に火を吹く。
不用意に接近しようとしていた駆逐艦は、弾幕射撃の前にたちまち後退を余儀なくされた。
とは言え、逃げてばかりもいられない。
こちらは「ビスマルク」を守りながら戦わなくてはならない身だ。
万が一、「シャルンホルスト」が後退した隙に、イギリス艦隊が「ビスマルク」に接近したりしたら、元も子もない。
そんな「シャルンホルスト」の苦境を、イギリス側も把握している。
だからこそ、攻撃の手を緩める気はない。
と、
「艦長、機関室から呼び出しです」
「悪いんだけど、今は無視して!!」
ヴァルターの報告に対し、エアルは叩きつけるように命じた。
どうせ、機関が限界だからスピードを落とせ、とでも言ってきているのだろう。
悪いが今は戦闘中。速力を落とすなど論外である。
サイア以下、機関部の連中には悪いが、今は出力維持に努めてもらう以外なかった。
「右舷70度に敵巡洋艦2!!」
「ドーセットシャー」と「ベルファスト」が、主砲を撃ちながら追いすがってくる。
2隻の巡洋艦で「シャルンホルスト」を拘束し、その間に駆逐艦が「ビスマルク」を叩く気なのだ。
舌打ちするエアル。
巡洋艦の対応くらい、今の「シャルンホルスト」でも、どうとでもない。
しかし、駆逐艦までは手が回らない。
多勢に無勢。
このままじゃ負ける。
せめて、あと1隻。戦える味方が近くにいてくれれば。
誰もが、そう思い始めた時。
「左舷、160度に、巡洋艦1!!」
絶叫する見張り員。
その声が、
「『プリンツ・オイゲン』です!!」
歓喜に染まった。
「まさか、こんな事になっているなんて。私たちが、あの時、『ビスマルク』のそばを離れなければ・・・・・・・・・・・・」
8門の20.3センチ砲を撃ち放ちながら突撃する「プリンツ・オイゲン」。
その艦橋にあって少女は、沸き上がる後悔に眩暈すら覚えていた。
視界の先には、炎上して海上に停止した「ビスマルク」。
そして、「ビスマルク」を守る為、傷付いた身で奮闘する「シャルンホルスト」の姿もある。
「私たちが一緒にいたら、こんな事には・・・・・・」
「命令だったんだ。仕方ない」
己を責めさいなむオイゲンを、艦長が厳しい口調で窘める。
彼にも後悔はあった。
リュッチェンスから分派行動を命じた時、もっと強く反対意見を言っていれば、このような事にはならなかったのではないか?
そう、思わずにはいられない。
しかし最早、時は戻らない。
であるならば、嘆く前にする事があった。
「失点は、己の働きによって取り戻す。それが、軍人と言う物だ」
「はいッ」
艦長の言葉に頷きを返すと、オイゲンは眦を上げる。
助ける。
何としても。その想いを胸に刻み、主砲を撃ち放った。
「プリンツ・オイゲン」と言う更なるドイツ軍側の援軍登場により、イギリス艦隊は再び混乱状態に陥りつつあった。
「プリンツ・オイゲン」は主に駆逐艦に狙いを絞って砲撃を行っている。
その為、「シャルンホルスト」を指揮するエアルは、「ドーセットシャー」と「ベルファスト」の相手に専念できるようになっていた。
視界の先で、ドイツ巡戦が主砲を放つのが見えた。
その瞬間、リオンの口が開く。
「取り舵一杯ッ!!」
高速航行しながら、左に旋回する「ベルファスト」。
間一髪。
「シャルンホルスト」の砲弾は、「ベルファスト」の後方に着弾して水柱を上げる。
28.3センチ砲弾の重量は312キロ。戦艦としては小型だが、巡洋艦にとっては大きな脅威となる。
リオンの的確な回避運動で、被弾を抑える「ベルファスト」。
しかし、僚艦の方はそうはいかなかった。
立ち上る水柱をかわしながら、向ける視線の先。
彼方で光る閃光。
「シャルンホルスト」が、9門の28.3センチ砲を放ったのだ。
次の瞬間、
「ドーセットシャー」の前部甲板に、爆炎が踊った。
「『ドーセットシャー』被弾!!」
悲鳴に近い、見張り員の声。
「ドーセットシャー」には「シャルンホルスト」の砲弾2発が前部甲板に集中して命中していた。その為、2基の主砲塔が電路切断により、射撃不能に陥っていた。
それでも「ドーセットシャー」は、機関は無事らしく、更には艦長以下、指揮系統も生きているらしい。どうにか後部砲塔で応戦しながら、転舵して「シャルンホルスト」から距離を取ろうとしていた。
「『ドーセットシャー』の援護に入れ!!」
叫びながら、リオンは「シャルンホルスト」を睨む。
あの艦が現れるまで、イギリス艦隊が優勢だった。後は「ビスマルク」にとどめを刺すだけの段階だったのだ。
しかし、あの艦が来た途端、状況は一変した。
「シャルンホルスト」は、たった1隻で状況をひっくり返してしまったのだ。
更に、イギリス艦隊を追い込む事態が起こる。
「対空レーダーに反応ッ 南より接近する航空機多数!!」
それはイギリス軍の機体ではない。
それは南大西洋から休みなしで全速航行で駆け、ようやく戦場に到着した「グラーフ・ツェッペリン」の航空隊だった。
来援した「グラーフ・ツェッペリン」航空隊。
その中には、クロウのメッサーシュミットもいた。
「何で、兄貴の艦までいるのか意味不明なんだが・・・・・・」
眼下で砲撃を行う「シャルンホルスト」を見ながら、呆れたように呟く。
「シャルンホルスト」は、修理中でドックから出せなかったはずだが。
「まあ、良いか」
兄には兄の考えがあっての行動なのだろう。
ならば、自分は自分の仕事をするだけだった。
クロウ達が制空権を維持している間に、爆撃機隊が攻撃を開始する。
翼に鉄十字を描いた機体は、次々と翻って爆弾を投下、駆逐艦部隊に攻撃を仕掛ける。
更には、後方に下がっている「ネルソン」に攻撃を仕掛ける機体もあった。
複数の爆弾を浴び、巨艦が炎を上げているのが見えた。
混乱はピークに達しつつある。
突如、現れたドイツ軍機を前に、イギリス軍の駆逐艦は最早戦闘どころではなく、ただ散を乱して逃げ回る以外に無かった。
中には旗艦「ネルソン」にまで攻撃を仕掛ける機体もいる。
直撃弾を浴びたのか、「ネルソン」から煙が上がているのが見えた。
この戦い、勝者は間違いなくイギリス海軍だ。
戦略目的である「ビスマルク」は、まず間違いなく助からないだろう。これでドイツ海軍は大幅に弱体化する事は間違いない。
しかし、
今まさに、この戦場を支配しているのは、勝者であるイギリス海軍ではなく、敗者であるはずのドイツ海軍だった。
「旗艦より信号!!」
見張り員の声。
その内容は、
聞かずとも理解できた。
「リオン」
「ああ、分かってる」
ベルファストの言葉に、頷きを返すリオン。
「味方の支援を行いつつ後退する」
そう言うと、殿軍に立つよう、命じるのだった。
2
艦を近付ける。
ただそれだけで、惨状が見て取れた。
「ひどい・・・・・・・・・・・・」
シャルンホルストも、絶句したまま口に手を当てている。
誰もが言葉を失っている。
それ程までに「ビスマルク」の状況は絶望的だった。
4基ある主砲は、後部のC砲塔以外叩き潰され、舷側の副砲、対空砲は全滅。
後部艦橋は叩き潰され、煙突は上半分が消失、マストも折れている。
前部艦橋も半分近くが崩壊し、甲板の至る所に大小の破孔が穿たれていた。
浮かぶ幽霊船。
生存者がいるとは思えない様相だった。
その時、
「あッ」
シャルンホルストが声を上げた。
「おにーさんッ あれ!!」
少女が指示した先。
半ば崩れた前部艦橋の上に、立つ人影があった。
長い金髪を靡かせた、軍服姿の女性。
ビスマルクだ。
無事だった。
ホッとする一同。
と、
「あれは・・・・・・・・・・・・」
双眼鏡を覗いていたエアルが、何かに気付いた。
ビスマルクが、両手に何かを持っているのだ。
それが旗だと言う事はすぐにわかる。
手旗信号用の旗だろう。恐らく、戦死した信号手から拝借したのだ。
恐らく何かを伝えようとしているのだ。
「ビスマルク」は既に砲撃で通信アンテナは倒壊しているし、通信室も破壊されている。そもそも、通信用の士官が活きているとも思えない。
それ程までに、酷い惨状だった。
見守る一同に向けて、ビスマルクが旗を振り始めた。
「《キュ》《ウ》《エ》《ン》《カ》《ン》《シャ》《ス》。《キ》《カ》《ン》《ノ》《テ》《キ》《カ》《ク》《ナ》《ル》《エ》《ン》《ゴ》《ニ》《ヨ》《リ》、《ワ》《ガ》《ホ》《コ》《リ》《ハ》《マ》《モ》《ラ》《レ》《タ》」
《救援感謝す。貴艦の的確なる援護により、我が誇りは守られた》。
あのままイギリス艦隊に包囲され、嬲り者のように滅多打ちにされたら、「ビスマルク」は、踏みにじられ、全てを失って海底に沈んでいた事だろう。
そう考えれば「シャルンホルスト」の救援は、正にギリギリのタイミングだった。
「よし、曳航準備に掛かれ!!」
命じるエアル。
航行不能となった「ビスマルク」を「シャルンホルスト」で曳航してサン・ナゼールに向かうのだ。
そこまで行けば、修理も出来るはず。
そう思って作業を命じようとした。
その時、
「艦長!!」
副長のヴァルターが、声を上げて告げる。
「ビスマルクが!!」
視線を向ける。
そして、
《ワ》《レ》《ヲ》《シ》《ズ》《メ》《ヨ》
「え・・・・・・・・・・・・」
驚くエアル。
更に、ビスマルクは続けた。
《ワ》《レ》《ジ》《チ》《ン》《ヲ》《ノ》《ゾ》《ム》
「ダメッ ダメだよッ ビスマルク!!」
聞こえない事は判っている。
それでも、少女は叫ばずにはいられなかった。
「自沈なんてダメッ ボクが引っ張って行ってあげるからッ だから一緒に帰ろう!!」
悲痛な叫び。
だが、
現実は非情にも、少女の想いを引き裂く。
「艦長、アレイザー軍属が・・・・・・・・・・・・」
振り返ると、息を切らせて立っている妹の姿があった。
どうやら、いくら電話越しに叫んでも兄が聞く耳持たないから、機関室から駆け上がってきたらしい。
「兄さんッ これ以上は、ほんとに無理ッ」
艦橋に踏み込むなり、サイアは怒り交じりでエアルに言葉をぶつけた。
その頬は油で真っ黒に染まっている。恐らく戦闘中は、不機嫌なエンジンをギリギリまでなだめすかし、「シャルンホルスト」が全速航行するのをサポートしてくれていたのだ。
しかし、それも限界なのだろう。
「これ以上は、技術屋として断固、許可できないッ いい加減スピード落として!!」
だからこうして、直接止めに来たのだ。
対して、
彼女の前に立ったのは、彼女の兄ではなく、艦娘の少女だった。
「サイア、お願い」
「シャル・・・・・・」
「もう少しなのッ もう少しで、あの子を助けられるの、だから・・・・・・だから・・・・・・」
すがるように、サイアの手を取るシャルンホルスト。
その手がきつく握りしめられる。
ここまで来た。
もう少しで助けられる。
だから、
どうか・・・・・・・・・・・・
今にも泣きそうな目で、サイアを見るシャルンホルスト。
だが、
「・・・・・・・・・・・・ごめん」
「サイアッ!!」
「ごめん、シャル」
顔を逸らすしかなかった。
そんな中、
ビスマルクが再び、信号旗を振った。
《タ》《ノ》《ム》
《ド》《ウ》《カ》
《ホ》《コ》《リ》《ア》《ル》《シ》《ヲ》
その言葉を受け、
エアルは、
帽子を目深にかぶり直した。
そして、
右手を掲げようとした。
だが、
「おにーさんッ!!」
その腕に、シャルンホルストが縋り付く。
「こんなのダメッ お願いッ お願いだから!!」
叫ぶシャルンホルスト。
そんな少女を、
「ッ!!」
エアルはその腕の中に抱きしめた。
感じる、青年の温もり。
小柄な少女は、それだけですっぽりと、青年の腕の中に納まってしまった。
「お、おにーさん・・・・・・・・・・・・」
呆然と、呟くシャルンホルスト。
対して、エアルは少女を抱く腕に力を籠める。
少女を拘束して、放さないとするかのように、きつく抱きしめる。
「やだ・・・・・こんなの、やだ、お願い、おにーさん・・・・・・・・・・・・」
尚も言い募るシャルンホルスト。
そんな彼女に、エアルは固い口調でそっと語り掛ける。
「背負うから」
「・・・・・・・・・・・・え?」
「今日のこの罪は、俺が全部背負うから。だから、君は何も悪くない」
八方塞がり。
状況は、そうとしか言いようがなかった。
「ビスマルク」は自力で航行する事が出来ない為、他の艦が曳航するしかない。
しかし、この場には「シャルンホルスト」と「プリンツ・オイゲン」しかいない。
「シャルンホルスト」は機関が不調で、自力航行がやっとの状態。
「プリンツ・オイゲン」なら状態は万全に近いが、重巡の機関出力で「ビスマルク」を引っ張ろうとすれば、せいぜい3~4ノットが限界だろう。
時間をかけてしまっては、イギリス軍の本国艦隊が引き返してくるかもしれない。
更に、より大きな脅威として、南からはH部隊が迫っている。
「ビスマルク」を曳航しながら、イギリス艦隊の追撃を振り切るのは不可能だった。
「ビスマルク」の損傷具合も問題だった。
あれでは、仮にドックに入渠できたとしても、修理には1年以上掛かるだろう。勿論その間、イギリス軍が手を拱いているとも思えない。最悪、「ビスマルク」はドック内で破壊される可能性もあった。
「シャルは何も悪くない。悪いのは、全部俺だ。だから、君は何も気にしなくて良い」
呟くと、
エアルは再び腕を大きく掲げた。
「右舷、雷撃戦用意!!」
上ずる声を張り上げて命じる。
「目標・・・・・・・・・・・・」
言い淀む。
そして、
自分の中にある物を振り払う様に叫んだ。
「目標ッ 『ビスマルク』!!」
「おにーさんッ!!」
シャルンホルストを抱いたまま、
エアルは、
振り上げた右腕を、鋭く振り下ろした。
奇妙な事に、自分に向かって放たれた魚雷の航跡は、くっきりと見る事が出来た。
自身に向かって伸びる白い航跡。
あれが間も無く、自分の艦体に突き立てられることになる。
その様子をビスマルクは、ひどく穏やかな気持ちで眺めていた。
「ありがとう・・・・・・・・・・・・」
いつか、一度だけ会った事がある「シャルンホルスト」艦長に、礼を述べる。
彼にはつらい決断をさせてしまった。
それに、
シャルンホルスト。
彼女にも、悲しい思いをさせてしまった。
あの2人が、どうか後悔の海に沈まない事を願うばかりである。
その間にも、魚雷は徐々に近づいてくる。
最強戦艦として生まれ、総統閣下を初め多くの人々の期待を背負いながら、それにこたえる事が出来ず、初戦で散る事に対する後悔はある。
だがドイツは、敗亡と絶望の中から再び立ち上がった強い国だ。きっと、自分がいなくても、残った皆が立派に戦い、国を、愛する人々を守ってくれることだろう。
「ああ、そうだ。最後にこれだけは・・・・・・・・・・・・」
呟くと、再び信号旗を掲げる。
そしてメッセージを送り終えると同時に、
目の前に、巨大な水柱が立ち上った。
痛みは、感じなかった。
ただ、
ビスマルクは全てを受け入れ、
静かに目を閉じた。
3
こうして、
ドイツ海軍が期待をかけて実施した、ライン演習作戦は失敗に終わった。
ドイツ海軍の損害は、戦艦1隻沈没のみ。
しかし、その1隻の喪失が、あまりにも大きかった。
常に劣勢の戦いを強いられているドイツ海軍にとって、「ビスマルク」はまさに希望の星だった。
その希望が失われたのだ。
今後、ますますつらい戦いを強いられるであろう事は、想像に難くなかった。
「そうか、『ビスマルク』は沈んだか」
総統官邸で、海戦結果の報告を受けたヒトラー。
その表情は、流石に落胆に満ちていた。
「ビスマルク」はドイツ最強戦艦であり、ヒトラーにとっては海軍力で劣る自分達が、イギリス海軍を圧倒しうる切り札だった。
その切り札が失われたのだ。ヒトラーと言えども、落胆は禁じ得なかった。
「レーダー、通商破壊戦の成果はどうなっている? イギリスの補給路は、まだ遮断できぬか?」
「ハッ 遺憾ながら」
ヒトラーの質問に、海軍元帥のエドワルド・レーダーは恐懼して答える。
ドイツ海軍は大西洋各所で通商破壊戦を展開しているが、イギリス軍は複数の輸送航路を使い分ける事で、被害を最小限に押さえるように努めている。
加えて、R部隊壊滅後も、新たなる対潜部隊が多数出現し、Uボートの活動が抑えられつつあるのが現状だった。
「ゲーリング、空軍はどうか?」
「ハッ 閣下。我が勇壮無比なるルフトバッフェの精鋭たちは、連日の如く出撃して不倶戴天なるイギリスに正義の鉄槌を振り下ろし続けております。今、暫くご猶予を頂けるなら、必ずや、奴等を屈服させて御覧に入れまする!!」
美辞麗句で盛ってはいるが、要するにイギリス軍の防衛ラインが硬すぎて突破は難しい、と言う事だった。
嘆息するヒトラー。
ドイツが海に囲まれたイギリスを打倒するには、どうしても制海権と制空権の確保は必須となる。
ヒトラーとしては、
「アシカ作戦」と名付けられたこの作戦は、バトル・オブ・ブリテンの状況が芳しくない為、一時的に延期していた。
故に、ヒトラーが「ビスマルク」が状況を打開してくれる事を期待していたのだ。
しかし、その「ビスマルク」が失われた。
まさに、最後の希望は失われたのだ。
「あい分かった」
ヒトラーは、静かな声で言った。
「ビスマルク」を失い、バトル・オブ・ブリテンの状況も芳しくない以上、早期のイギリス屈服はあきらめざるをえまい。
「アシカ作戦を初めとする、イギリスに対する積極的攻勢は無期限延期とする。我々はこれより、新たなる目標に向けて邁進する事にする」
居住まいを正す一同。
その視線の先には、
ドイツの東に広がる、広大な土地を持つ大国が描かれていた。
「シャルンホルスト」が「プリンツ・オイゲン」に護衛されてブレストへ帰還したのは、「ビスマルク」沈没から2日後の事だった。
更に5日後、H部隊の追跡を振り切った空母「グラーフ・ツェッペリン」も帰還。
これで、ライン演習作戦に参加した艦艇は、全て帰還した事になる。
ただ1隻を除いて。
「グラーフ・ツェッペリン」の帰還と同時に、エアルは第1戦闘群司令部への出頭を命じられた。
恐らく、無断で修理中の「シャルンホルスト」を出撃させた事への処分が言い渡される事だろう。
既に「シャルンホルスト」はドックへと再入渠し、中断されていた修復作業が再開されている。
そして、
シャルンホルスト自身はと言えば、自分の部屋に引きこもったまま、出てこようとはしなかった。
やはり、ビスマルクを自らの手で葬らなくてはならなかったのがショックだったのだ。
「グラーフ・ツェッペリン」の司令官室に入ると、父であり、第1戦闘群司令官の「ウォルフ・アレイザー中将、そして参謀長の艦娘、シュレスビッヒ・ホルシュタインが待っていた。
「無茶をしたものだな」
嘆息交じりの父の言葉。
その声を、エアルは直立不動で聞いている。
「言うまでもなく、修理中の艦を、しかも無断で動かすなど、重大な規律違反になる。お前がやった事は、一歩間違えば反逆行為にもとられかねないぞ」
「覚悟の上です」
あの時は、ああするのが最善だったと、エアルは今でも信じている。
あの時、すぐに救援に駆け付けられる艦は「シャルンホルスト」しかいなかったのだ。
結果的に「ビスマルク」を救えなかった事だけが後悔ではあるが。
そんな息子の様子に、嘆息するウォルフ。
やがて、数枚の紙を取り出すと、それを差し出して来た。
「それにサインして、明日までに提出しろ。俺からは以上だ」
それだけ言うと、部屋を出て行くウォルフ。
訝りながら、書類に目を通すと、それは「シャルンホルスト」の出撃を命じる、第1戦闘群司令官としての正式な命令書、物資搬入の許可証、ドックの出渠手続きの書類等、どれも「事後承諾」に必要な書類だった。
要するに、「シャルンホルスト」の出撃は、全て第1戦闘群司令官であるウォルフの命令であり、「エアルが独断で出撃した」などと言う事実はこの世に存在しない。と言う事を証明する書類だった。
「父に感謝しろよ」
後に残ったシュレスが、どこか笑みを含んだ声で告げた。
「シュレスおばさん?」
「あれでも、結構お前の事を心配していたみたいだぞ。どうすれば、お前に累が及ばないようにできるか、とな」
言いながら、シュレスはエアルの肩を叩いた。
「うれしかったんだろうさ。自分達は、お世辞にも的確に『ビスマルク』を援護できたとは言えないのに、お前が変わって援護してくれた事が、な」
それだけ言うと、シュレスもまた部屋を出て行くのだった。
1人、残されたエアル。
父が、自分の事をかばってくれた事への、純粋なうれしさはある。
まさか、あの父が。
家族を全く顧みず、軍務と母の復讐に人生を費やして来た父が、このような形で自分をかばってくれるとは。
家族。
そう、あの父ですら、家族の事を僅かなり、思わずにはいられないのだ。
エアルには、ビスマルクが送ってきた、最後のメッセージが浮かんでいた。
《イ》《モ》《ウ》《ト》《ヲ》《タ》《ノ》《ム》
ビスマルクの妹。
それはすなわち、本国にいる「ティルピッツ」の事を意味している。
最期を迎える時、彼女が最も気にしたのは、彼女の家族の事だった。
ならば、その意志は守らなければならない。
それが、彼女を助ける事が出来なかった、自分達の責任だ。
その想いを、強く心に誓うのだった。
第43話「ラスト・メッセージ」 終わり