1
2つの艦隊が、それぞれ東と西から全速力で接近する。
東側にはドイツ海軍第1艦隊。指揮官は第1戦闘群司令官ウォルフ・アレイザー中将。
西側にはイギリス海軍本国艦隊。指揮は司令官のジャン・トーヴィ大将が直接行う。
ドイツ艦隊の目的は、ジブラルタルを経由して北アフリカ戦線に向かう輸送船団の捕捉、撃滅。
イギリス艦隊の目的は当然、その阻止となる。
互いに持てる主砲にて決着をつけるべく、決戦海面へと急行する。
ドイツ艦隊司令官のウォルフは、巡洋戦艦2隻、重巡洋艦1隻から成る主隊を正面に置き、駆逐艦8隻を主隊の陰に隠す形で追随させている。シャルンホルスト級の速射性が高い主砲で敵を攪乱しつつ、タイミングを見て、駆逐艦を突撃させようとしているのは明白だった。
一方、イギリス艦隊司令官ジャン・トーヴィは、旗艦「ネルソン」を中心にして、重巡洋艦部隊を遊撃できるように独立行動させている。駆逐隊は2隊に分け、艦隊の両サイドを固めている。万が一、Uボートの襲撃があった際の備えだ。
互いに全速力で距離を詰める独英両艦隊。
ドイツ艦隊は主砲を全て左舷に向け、照準を定める。
距離は2万5000まで迫った。
次の瞬間、
「撃ち方始め!!」
「シャルンホルスト」艦橋で、エアルが叫んだ。
同時に、A、B、C各砲塔1門ずつ、合計3発の砲弾が発射される。
やや遅れて「グナイゼナウ」が3発。「プリンツ・オイゲン」から4発の砲弾が放たれる。
ややあって、「ネルソン」の周囲に、水柱が次々と立ち上るのが見えた。
「命中弾無しッ」
「だろうね」
見張り員からの報告に、エアルは冷静に返す。
瀑布の中から、突き破る様に「ネルソン」が姿を現す。
初弾から命中弾を期待できるとは思ってはいなかった。
それに、
「無理をする必要はない」
司令官席に座ったウォルフから、エアルへ指示が飛ぶ。
「敵を引き付ける事に専念しろ。今はな」
「了解」
元より、ビッグ7相手に正面戦闘で勝てるとは思っていない。
その間にも、「シャルンホルスト」は主砲を放つ。
対抗するように、水柱の林を抜けた「ネルソン」の前部甲板で、閃光が弾ける。
イギリス艦隊も、射撃を開始したのだ。
暫くして、「シャルンホルスト」周囲に、巨大な水柱が立ち上るのが見えた。
命中弾はない。
至近弾すらない。
まだ、弾着は遠い。
にも拘らず、すさまじい衝撃波が「シャルンホルスト」を襲った。
「キャァッ!?」
思わずシャルンホルストが悲鳴を上げるほどの衝撃。
恐るべきは、世界最強の40センチ砲の威力。
戦間期、世界中の海軍の王者を誇った7隻の戦艦。
ビッグ7。
妹の「ロドネイ」をノルウェー沖に失いながらも、その威容はいささかも衰えてはいなかった。
下手をすると、衝撃波だけでこちらを撃沈できそうな、そんな予感さえしてしまう。
しかし、
「大丈夫ッ」
エアルは崩れそうになるシャルンホルストの華奢な体を支える。
「速度を緩めないでッ こっちが全速で走っている限り、敵の攻撃だってそう簡単には当たらないから」
「う、うんッ」
エアルの言葉に、頷きを返すシャルンホルスト。
可憐な瞳はまっすぐに自分の艦長を見つめる。
その瞳に移る、全幅の信頼。
この人となら戦える。
この人と一緒にいれば負けはしない。
たとえ相手が、世界最強の存在だったとしても。
そう、シャルンホルストは心の中で強く思う。
主砲発射の指示を出しながら、エアルは腕時計を見やる。
「・・・・・・予定時間まで、あと15分」
それまで、どうにかして耐える必要があった。
その間にも28.3センチ砲を撃ち放つ、「シャルンホルスト」。
後続する「グナイゼナウ」「プリンツ・オイゲン」も砲撃を行う。
まだ、命中弾はない。
このまま、作戦開始時間まで粘る事が出来るか?
そう思った。
次の瞬間、
独特の風切り音が、急速に迫ってきた。
「敵弾接近ッ 近い!!」
絶叫が響いた瞬間、
「シャルンホルスト」を取り囲むように、巨大な水柱が立ち上った。
襲い来る衝撃。
立ち上る、強烈な水流。
これまでにないほど、基準排水量3万トンの巡洋戦艦は揺さぶられる。
その様子に、エアルは思わず舌打ちした。
「敵弾、本艦を挟叉しました!!」
悲鳴に近い、見張り員の報告。
自分が徐々に追い込まれつつあると言う状況は、お世辞にも気分が良い物ではなかった。
一方、
イギリス艦隊旗艦「ネルソン」からも、砲弾が「シャルンホルスト」を挟叉するのが見えていた。
優美な外見のドイツ巡戦を、巨大な水柱が包囲する。
命中弾はない。
しかし、砲撃の結果は、トーヴィ達を満足させるのに十分な物だった。
「よし、挟叉だッ」
「畳みかけるぞ!!」
笑みを浮かべるネルソンとトーヴィ。
挟叉したと言う事は、現在の「ネルソン」の照準がほぼ正確である事を示している。
一方のドイツ艦隊は、未だに「ネルソン」に対して有効弾を得られていない。
これで、イギリス艦隊が1点リードしたに等しい。
「やはり、作戦通りだな」
彼方で「シャルンホルスト」が主砲を撃つ様子を眺めながら、トーヴィは自分の作戦が間違っていなかったことを確信した。
トーヴィ達は、自分達の強みが何なのか、正確に理解していた。
それは、艦隊運用における圧倒的な習熟度。
イギリス海軍は第1次大戦後も、鎬を削る列強各国の中において、海軍力強化に邁進。その中でも常にトップクラスの海軍国であり続けた。
四方を海に囲まれたイギリスにとって、海路の防衛は死活問題に直結する。
故にこそ、艦隊運用のノウハウは蓄積されている。
第1次大戦後、長らくまともな水上艦隊を持たなかったドイツとは、文字通り年季が違うのだ。
今回、トーヴィ達が執った戦法はごくシンプル。
すなわち「徹底した艦隊戦」。
当たり前のことを言う、と思うかもしれないが、これが最もドイツ海軍に有効であると結論付けられた。
「下手な小細工は、却って敵に付け入るスキを与える事になりかねん」
トーヴィは自信ありげな口調で言い放つ。
「これまでドイツ海軍は、我が軍と戦う時に必ず機動力を重視した作戦で来ている。ならば、こちらはどっしりと構え、迎え撃つのが得策だ」
ラプラタ沖でも、ノルウェー沖でも、テムズ沖でも、ニューファンランド沖でも、全てがそうだった。
イギリス艦。特に戦艦は低速な艦が多い。その為、高速艦揃いのドイツ艦隊に機動力に翻弄され、陣形をボロボロにされた挙句に各個撃破されている。
それらの戦いをつぶさに研究し、トーヴィが導き出した答えがこれだった。
すなわち、「小細工など不要。全てを力でもって正面から叩き潰す」
まさに正攻法。
これぞ王道。
仮にドイツ海軍が機動戦を仕掛けてきたとしても、それには応じる事無くどっしりと構えて対応すれば勝てる。
ヨーロッパ最強海軍として取るべき、最上にして最強の手段であると信じていた。
その時だった。
「敵艦隊、面舵転舵ッ 本艦より遠ざかります!!」
見張り員からの報告を聞き、双眼鏡を取る。
確かに、
ドイツ艦隊は「シャルンホルスト」を先頭に、右へと旋回しイギリス艦隊と距離を取る進路となっている。
「ネルソン」が直前に放った砲撃は、転舵を計算に入れていなかった為、目標となった「シャルンホルスト」の左舷海面を叩くにとどまった。
本来なら、ここで追撃を仕掛けて徹底的にドイツ艦隊を叩くところではあるが。
しかし、
「追うな。陣形を維持しつつ距離を保て」
トーヴィは冷静に命じる。
敵が逃げるなら、無理に追う必要はない。
どのみち、輸送船団さえ守り切ればイギリス側の勝ちなのだ。
下手に追って陣形を乱し、ドツボにはまるよりは、当初の計画通り陣形を維持する事に専念した方が良いと判断されたのだ。
速力を落とすイギリス艦隊。
その視界の先で、背を向けたドイツ艦隊が急速に遠ざかっていった。
一方、
速力を落とすイギリス艦隊の様子は、ドイツ艦隊旗艦「シャルンホルスト」からも確認できた。
その様子を見て、シャルンホルストが身を乗り出す。
「おにーさんッ あれッ 敵の動きが止まったよ!!」
「うん、予定通りだ」
頷きつつも、エアルは少し呆れ気味に嘆息する。
まさか、
まさか、ここまでこっちの思惑通りに進むとは。
チラッと、司令官席に座るウォルフに目を向ける。
父はと言えば、当然だと言わんばかりに泰然としているのに対し、その傍らのシュレスは苦笑して肩を竦めていた。
「我々がイギリス艦隊に勝っているのは機動力だけだ。敵もその事は判っているだろうし、敵の指揮官が優秀なら、今までの戦いから、我々が機動戦を仕掛けて来るであろう事は読んでいただろう」
ウォルフは淡々とした口調で語る。
その間にも「ネルソン」からの砲撃が続くが、距離が開いた事で、弾着はかなり遠くなっている。
「敵がこちらの動きを読んで対応するなら、こちらは更にその裏をかけばいい。戦術の基本だ」
言いながら、ウォルフはエアルを見やる。
「お前も今後、指揮官として大成していくつもりがあるなら、こうした読み合いも学ばねばならんぞ」
「・・・・・・・・・・・・」
父の言葉に、エアルは答えず、視線を「ネルソン」に向ける。
その横顔を、覗き込むシャルンホルスト。
「おにーさん?」
心配そうに声を掛ける巡戦少女に、エアルはそっと笑いかける。
女の子に心配をかけてしまうのは、男として聊か情けない。
少し強がりでも、ここは笑って見せるべきところだった。
その時、
「ウォルフ、作戦海面に入ったぞ」
「よし」
シュレスの言葉に、ウォルフは立ち上がる。
舞台は整った。
後は一気に仕掛けるのみ。
「全軍に通達ッ これより、敵艦隊を殲滅する!!」
2
ドイツ艦隊が反転した時点で、トーヴィを含むイギリス艦隊首脳陣は自分達の勝利を確信していた。
ドイツ艦隊の機動力は確かに脅威だが、要はそれに応じなければいい。
輸送船団から離れず、どっしりと構えていれば敵は何もできないのだから。
仮に艦隊を迂回して輸送船団を突こうとしても、その行動には時間がかかる。ドイツ艦隊が回り込む前に、イギリス艦隊は余裕で態勢を再構築できる。
誰もが、そう思っていた。
その報告が舞い込むまでは。
「対空レーダーに感ッ 数、約10ッ!! まっすぐこちらに向かってきます!!」
「何ッ!?」
その報告に、トーヴィは思わずうなり声を上げた。
敵が空母を伴っているのは分かっていたし、それをどこかのタイミングで使ってくるであろう事は予想していた。
しかし彼はドイツ軍指揮官が、空母を輸送船団攻撃に振り向けて来るだろうと考えていた。
水上艦隊で「ネルソン」以下の主力を引き付け、その間に航空機の機動性を活かして船団を攻撃する。戦術として理にかなっている。
過去にも同様の戦術をドイツ艦隊は取っており、機動性に優れる彼等の常套手段でもあった。
だからこそ、主力艦隊を船団から離れ過ぎない位置に配置し、更に空母「アークロイヤル」は船団の直接護衛に回した。
「アークロイヤル」は今回、対艦用の装備は殆ど持ってきておらず、艦載機も戦闘機と、後はUボートの襲撃に備えて対潜攻撃用のソードフィッシュを少数乗せているのみ。対艦攻撃用の魚雷や爆弾は持ってきていない。
船団護衛が主任務なら、それが最適であると判断してトーヴィが命じた。
だが、
読み違えた。
ここに来て、トーヴィはドイツ艦隊司令官であるウォルフの考えを理解した。
敵の狙いは輸送船団じゃない。
ドイツ艦隊の、
ウォルフの狙いは、
「
叫ぶと同時に、
上空に展開したドイツ空軍のスツーカ隊が、攻撃態勢に入る。
グスタフ・レーベンス大尉率いる急降下爆撃隊は、ジェリコの喇叭を響かせながら急降下。
搭載してきた爆弾を、次々と投下する。
「対空戦闘!!」
トーヴィが命じるが、立ち上がりを制された事もあり、イギリス艦隊の動きは鈍い。
その間に、スツーカ隊の攻撃が次々と襲ってきた。
彼等の狙いは今回、大型艦ではない。
その周囲に展開している駆逐艦部隊だった。
駆逐艦は小型で俊敏であり、艦砲で捉えるのは難しい。
しかし、航空機ならば話は別だ。
まして、「グラーフ・ツェッペリン」航空隊のパイロット達は、ベルリン作戦や、第1次、第2次ブレスト沖海戦で経験を積んだベテラン部隊である。
陣形維持にこだわり、持ち前の機動力を低下させた駆逐艦を捉えるのは、さほど難しい事ではなかった。
たちまち、海上に爆炎が踊る。
単発機でありながら、爆弾搭載量が比較的多いスツーカの攻撃は、装甲皆無な駆逐艦には脅威となる。
次々と命中弾を浴びて海上に停止する艦が続出する。
勿論、命令を無視して回避行動を取り、どうにか攻撃を回避する事に成功した艦もある。
しかし、それでも半分以上の艦が、スツーカからの命中弾を浴びる結果となってしまった。
最終的にスツーカ隊が攻撃を終えて去った時、イギリス海軍は2隻の駆逐艦が沈没。4隻が損傷し、戦闘不能に陥った。
臍を噛む、トーヴィ。
敵がまさか、主力隊を狙ってくるとは。
これでは「敵の機動戦を封じて、艦隊戦に持ち込み殲滅する」と言う、トーヴィの作戦が完全に裏目に出た形だった。
ここは一旦退き、輸送船団と合流するか?
船団の護衛戦力と糾合できれば、まだ十分に戦う事が出来るはず。
幸い、ドイツ艦隊はイギリス艦隊から遠ざかるコースを取っている。今なら、敵に捕捉される前に、退避できるかもしれなかった。
「取り舵反転180度!!」
敵に背を向ける事への屈辱感はある。
しかし、護衛隊と合流できれば、まだ勝機はある。
明日の勝利の為に、今日1歩下がる事は、決して不名誉な事ではない。
だが、
トーヴィは気付いていなかった。
敵将ウォルフの執念深さを。
彼がイギリス艦隊殲滅の為に、周到に今回の作戦をくみ上げて来た事を。
そして、自分達がウォルフによって、この場所に誘導されていた事にも。
「左舷、雷跡多数接近!!」
「右舷からも来ます!!」
その報告に、
トーヴィは、青くなると同時に、血が出るほどに歯噛みする。
何が来たのかは、すぐにわかった。
Uボートだ。
自分達が作戦展開する足元に、Uボートが伏せられていたのだ。
敵は、
ウォルフは、初めからこれを狙っていたのだ。
水上艦隊でイギリス軍主力を引き付け、Uボートが展開している海面におびき寄せ、水上艦隊、潜水艦隊、航空部隊で3次元的に包囲して殲滅する。
潜水艦戦術に長けたドイツ海軍だからこそできる見事なまでの連携。
次の瞬間、
左右から放たれた魚雷が、次々とイギリス艦隊を襲った。
こうなると最早、どちらに回避しても魚雷を避ける事は出来ない。
まず、直撃を受けたのは重巡洋艦の「ヨーク」だった。
回避行動を取ろうと転舵したところ、左舷中央付近に魚雷が命中する。
ボイラーを直撃され、艦のスピードがみるみる落ちたところに、更に1本、今度は艦首付近に命中して、そこを丸ごと引きちぎってしまった。
軽巡洋艦の「サウサンプトン」は、艦尾に1発が命中し舵と推進軸を一気に吹き飛ばされ、その場に停止してしまった。
幸い、速力が急激に低下した事で魚雷の射線から外れ、それ以上は直撃を受ける事は無かった。
しかし、舵と推進軸を同時に破壊され、戦場のど真ん中で停止した艦の運命など、もはや語るまでも無い事だった。
旗艦「ネルソン」も右舷に魚雷1発が命中。
ただし、幸いにして艦中央の装甲で防ぎ留め、浸水も最小限にとどまっている。
しかし、
「やられたな」
自身の脇腹を抑えながら、ネルソンは険しい表情で呟く。
魚雷ダメージがフィードバックしているのだ。
対して、
そんなネルソンをチラッと見て、トーヴィは肩を落とした。
「・・・・・・・・・・・・すまん、ネルソン」
艦隊戦力で劣るドイツ軍が、まともな艦隊戦に応じるはずはないと言う点に関しては、トーヴィの判断は正しかった。
しかし、まさか航空部隊と潜水艦隊の戦力を集中してくるところまでは読めなかった。
最前まで、戦いを優勢に進めていたイギリス艦隊が、今や逆に追い込まれている。
この状況を覆す事は、今や不可能に近い。
既に状況は絶望的と言っても過言ではなかった。
だが、
「辛気臭い顔をするなッ」
「うぐッ!?」
いきなり背中を思いっきり叩かれ、思わず吹きそうになるトーヴィ。
顔を上げれば、ネルソンが満面の笑みを浮かべて見つめてきていた。
「戦いはこれからじゃないか。我等、ロイヤルネイヴィーは、いついかなる時であっても、戦いを投げ出したりはしない。そうだろう?」
「ネルソン・・・・・・・・・・・・」
そうだ。
その通りだ。
見敵必戦。
不退転。
敵がいかに強大であろうとも、自分達は決して引き下がらない。
倒れる時は、常に前に倒れるのみ。
それが、キャプテン・フランシス・ドレイク以来、イギリス海軍が守る続けてきた誇りでありあり方だ。
その時、
「ドイツ艦隊反転ッ こちらに向かってきます!!」
見張り員の絶叫。
意図を探るまでも無い。
敵はこちらにとどめを刺す気なのだ。
スツーカ隊とUボート艦隊の攻撃によって、既にイギリス艦隊の隊列はボロボロ。そこへ、水上砲戦で決するつもりなのだろう。
報告を聞いて、ネルソンは笑みを浮かべる。
「さあ、最後の花道を、敵が用意してくれたぞ。行こうじゃないか」
「ああ」
頷くトーヴィ。
眦を上げて、向かってくるドイツ艦隊を睨み据える。
「主砲、左砲戦用意ッ!!」
「『ノーフォーク』『ニューカッスル』に打電、《我ニ続ケ》!!」
残された戦力を全て糾合しても、イギリス艦隊はドイツ第1艦隊には及ばない。
この戦いは負ける。
それでもせめて、船団が安全圏に逃げるまでの時間は稼いで見せる。
その想いと共に、艦隊を前へと押し出す。
視界の彼方で、閃光が瞬くのが見えた。
ドイツ艦隊が、砲撃を開始したのだ。
たちまち、イギリス艦隊を多数の水柱が取り囲む。
その瀑布がもたらす飛沫を真っ向から浴びながら、
しかしトーヴィは、怯む事無く命じる。
「怯むなッ こちらも撃ち返せ!!」
声も高らかに叫ぶ提督。
その姿は、聊かも恐れる事無く、堂々と立ち続ける。
「我等英国海軍の底力、ドイツ海軍に見せつけてやるのだ!!」
砲撃を開始するイギリス艦隊。
その発射炎は「シャルンホルスト」艦橋からも確認する事が出来た。
「撃ってきたッ」
声を上げるシャルンホルスト。
「ネルソン」が、続けて「ノーフォーク」と「ニューカッスル」も射撃を開始したのが見えた。
生き残った駆逐艦も、隊列を組み直して向かってくるのが見えた。
「大したものだね」
双眼鏡を下ろしながら、エアルは呟いた。
既に艦隊は半壊、旗艦「ネルソン」も損傷していると言うのに、退く事無く向かってくる。
それは大英帝国海軍としての誇りか、あるいは、今尚、7つの海を支配する矜持か。
いずれにしても、同じ海軍軍人として尊敬は禁じ得ない。
だからこそ、勝つ。
そのような敵だからこそ、戦って勝つ意義がある。
「目標、敵戦艦『ネルソン』ッ 照準完了次第撃て!!」
エアルの命令を受け、
「シャルンホルスト」は9門の28.3センチ砲を撃ち放つ。
後続の「グナイゼナウ」「プリンツ・オイゲン」も砲撃。
視界の先で、水柱に囲まれる「ネルソン」。
否、
複数の爆炎が、独特なシルエットの英戦艦上に立ち上るのが見えた。
「敵艦に直撃弾ッ 火災発生の模様!!」
見張り員の歓喜交じりの声。
見れば「ネルソン」の艦中央と艦尾付近から、火災が発生しているのが見えた。
「よし、このまま押し切る!!」
エアルの声と共に、「シャルンホルスト」は、再び主砲を撃ち放った。
次々に飛来する砲弾が、艦体を破壊していくのが分かる。
重量300キロの砲弾は、1発食らった程度では致命傷にはなりえない。
しかし、何しろ発射速度が速い。
「ネルソン」が1発撃っている間に、「シャルンホルスト」は2発。「ネルソン」が2発撃っている間に「シャルンホルスト」は4発は撃てる。
しかも、相手は2隻。砲撃量は4倍近い。
射撃量が多ければ、それだけ射撃データも修正しやすく、早く命中弾を得られるのも道理である。
対して「ネルソン」の砲撃は、殆ど命中しない。目標とした「シャルンホルスト」から、離れた海面を叩くばかりだった。
先のUボートの雷撃を食らい、浸水によって感が傾斜した結果トリムが狂い、正確な照準が出来なくなってしまったのだ。
現在、トリムの狂いを計算に入れ直して照準を修正している。
しかし、その間にもドイツ艦隊からの砲撃が襲ってくる。
「左舷、2番副砲損傷!!」
「後部機銃群、全滅!!」
「後部艦橋、通信途絶!!」
「艦首区画に命中弾ッ 浸水発生!!」
次々ともたらされる悲報。
「ネルソン」全体が炎に包まれ、浸水によってさらに速力が低下し始めている。
更に1発。
強烈な衝撃が襲い掛かる。
「グナイゼナウ」の放った28.3センチ砲弾が、艦橋基部付近を直撃したのだ。
砲弾が軽かったこともあり、装甲が砲弾を弾き返したが、かなりの衝撃が艦橋を襲った。
幕僚達が皆、なぎ倒される。
そんな中で、
トーヴィとネルソンだけは、直立で立ち続けていた。
「・・・・・・・・・・・・ここまでだな」
どこかさばさばした口調でネルソンが言った。
「速力は、既に10ノットも出ていない。これ以上の交戦は不可能だ」
まだ自慢の40センチ砲9門は健在である。戦おうと思えば、戦えない事はない。
しかし、速力が低下した「ネルソン」は、敵の格好の的である。
それに、「ネルソン」に合わせて動いていいては、後続する「ノーフォーク」と「ニューカッスル」も巻き添えで沈みかねない。
先ほど、敵に対して使った言葉を、今度は自分達に使わざるを得なかった。
「・・・・・・・・・・・・そうか」
ネルソンの言葉を聞き、
トーヴィは静かに頷きを返すとマイクを取り、全艦に通信を繋げるように指示を出した。
人事は尽くした。
あらゆる手も打った。
それでも尚、敵に及ばなかったのなら、それは最早諦めるしかないだろう。
後は、自分達の稼いだ時間で、船団が逃げ切ってくれることを祈るのみ。
「全艦に通達ッ!!」
張りのある声で、トーヴィは命じる。
その様は、死を目前とした敗将の物ではない。
まさにこれから、大敵を相手に戦いを挑まんとする、堂々とした姿であった。
「直ちに現海域を離脱ッ 輸送船団と合流し、以後の任務を全うせよッ」
言い放ってから、最後にもう一言告げる。
「殿は、本艦が引き受ける!!」
言い終えてから、マイクを置くトーヴィ。
そして振り返ると、ネルソンと目を合わせた。
「さて、行くとするか」
「ああ」
頷きあう2人。
そこへ、ドイツ艦隊からの砲弾が多数、飛来する。
立ち上る水柱。
何発かは甲板に命中し爆炎が踊った。
だが、問題はない。
「ネルソン」をビッグ7足らしめている9門の40センチ砲は健在。
ならばまだまだ、戦う事が出来る。
「『ノーフォーク』『ニューカッスル』、離脱します!!」
「駆逐隊、全艦離脱します!!」
その報告に、頷きを返すトーヴィ。
これで良い。
これで、心置きなく戦えると言う物だ。
「目標、敵巡洋戦艦『シャルンホルスト』。準備出来次第、撃ち方始め!!」
彼方で、「ネルソン」が主砲を撃つのが見えた。
40センチ砲が放つ、巨大な発射炎は、距離が縮まって更に巨大に見える。
「まだ、諦めてないのッ!?」
「いや」
驚くシャルンホルストの言葉に、エアルは首を振ると双眼鏡を覗きこむ。
その視界の中で、「ネルソン」以外の艦が離脱していく様子が見て取れた。
「自分が囮になって、味方を逃がすつもりだ」
ここまでするか。
自分を犠牲にしても、生き残った味方と輸送船団を守る。
ドイツ艦隊は、この一戦に戦力を集中している。「ネルソン」撃破に時間を取られれば、肝心の輸送船団を逃がしてしまう可能性もあった。
しかし、尚も健在な主砲で抵抗を続ける「ネルソン」の存在は、ドイツ艦隊にとって脅威以外の何物でもない。
つまり、どうあっても立ち塞がる「ネルソン」を撃破しないと、その先には行けないと言う事だ。
「・・・・・・・・・・・・良いだろう」
「おにーさん?」
シャルンホルストが怪訝な顔で見詰める中、エアルは不敵な笑みを浮かべて帽子を被り直す。
正直、戦いが始まる前まで、エアルは「ネルソン」を、ただ「ビスマルク」の仇として、憎しみの感情だけを持っていた。
しかし今は違う。
我が身を犠牲にしても味方を助けようとする敵将と敵艦娘の心意気には、大いに感じ入る物があった。
「あいつを沈めよう、シャル」
「うん、分かった。任せて、おにーさんッ」
頷きあう2人。
その間にも、ドイツ艦隊の砲撃は「ネルソン」に撃ち込まれる。
その身に爆炎を躍らせる、イギリス最強戦艦。
その身を紅蓮に染め上げながらも、尚も抵抗をやめない。
しかし、
魚雷命中に加えて、ドイツ艦隊からの集中攻撃を受け、照準装置は狂っている。
放つ主砲は、全て明後日の方向に砲弾を飛ばす事しかできない。
対して、ドイツ艦隊は正確な砲撃で、徐々に「ネルソン」を追い詰める。
その様は正に、半年前、イギリス艦隊が「ビスマルク」に対して行った集中射撃の意趣返しに近かった。
やがて、
限界を迎えた「ネルソン」は、最後の全主砲を一斉発射した後、完全に沈黙した。
艦橋の床に座り込んだトーヴィ。
その隣には、ネルソンも並んで座っていた。
艦の傾斜に伴い、艦橋もまた傾いていた。
既に主砲は完全に沈黙。各所で上がった火災は、消火が不可能な規模に拡大していた。
総員退艦が命じられた「ネルソン」。
艦橋に残っているのは、2人だけだった。
「まあ、よくやった方だと思うぞ、我ながら」
「自分で言うかね」
トーヴィの物言いに、ネルソンは苦笑する。
もっとも、よくやったと思っているのは、彼女も同じなのだが。
ただ、今回は敵将の方が一枚上手だった。それだけの話である。
「この戦争は、これからどうなるのかねえ?」
「さあな。ドイツのソ連侵攻は頓挫したが、未だにドイツ軍の戦力は強大だ。それに比べて、連合軍もソ連軍も、未だに反攻作戦を行えるだけの戦力は整っていない。予断は許されん。・・・・・・だがな」
「だが?」
怪訝な面持ちのネルソンに、トーヴィは告げる。
「最後に勝つのは、我々だ。そう、心から思っているよ」
「それは・・・・・・そうだな」
後悔があるとすれば、その勝利の瞬間に自分達が立ち会えない事か。
しかし、それも最早、どうでも良い事だった。
「まあ、何はともあれ、お疲れさん」
「ああ、そっちも」
笑って拳を打ち付け合う2人。
やがて、
とどめを刺すように、多数の砲弾が「ネルソン」に打ち付けられた。
視界の先では、炎を上げて海上に停止したイギリス戦艦が浮かんでいる。
とは言え、それは最早「戦艦」としての体を成しておらず、よく言って「海上に浮かぶ炎の塊」だった。
しかし、それでも尚、海上に姿をとどめる姿は、大英帝国海軍の、そしてビッグ7としての誇りを体現しているかのようだ。
見事。
まったくもって、見事としか言いようがない。
「・・・・・・・・・・・・」
エアルは自然と襟を正すと、
踵を揃え、燃え盛る英戦艦に向かって敬礼した。
「おにーさん・・・・・・・・・・・・」
怪訝な面持ちで見詰めて来たシャルンホルストだが、エアルの意図を察すると、少女も習って敬礼する。
見れば、「シャルンホルスト」、
否、
ドイツ艦隊の全艦において、手隙の乗組員たちが、「ネルソン」に向かって敬礼していた。
散り行く海の勇者に、最上級の敬意を。
それは敵であっても変わりはしなかった。
「・・・・・・・・・・・・行くぞ」
ややあって、口を開いたのはウォルフだった。
「俺達にはまだ、やるべきことがある」
「・・・・・・ああ」
頷きを返すエアル。
そう、
戦いは、まだ終わっていない。
最後の仕上げが、待っていた。
その後、
イギリス本国艦隊を撃破したドイツ海軍第1艦隊は、当初の予定通り、輸送船団襲撃を決行した。
水上艦艇に加えて、潜水艦隊、更に「グラーフ・ツェッペリン」の航空隊も加えた追撃戦は、約4日に渡って行われ、最終的に軽巡「ニューカッスル」と、輸送船18隻を撃沈する事に成功。
第3次ブレスト沖海戦は、ドイツ海軍の勝利で終わった。
主力艦隊に加えて、多数の輸送船、そして北アフリカ戦線支援の為の物資も大量に失ったイギリス軍。
前線の物資不足に伴い、北アフリカに展開したイギリス軍の攻撃は徐々に勢いを失っていく。
5月に入り、ガザラに展開した枢軸軍に攻撃を仕掛けるイギリス軍。
ここで枢軸軍を撃破し、一気に北アフリカ戦線の勝敗を決してしまおうと言う算段である。
手持ちの物資を大量投入して、攻勢を仕掛けるイギリス軍。
しかし、それは、ドイツ・アフリカ軍団司令官であるロンメルが仕掛けた、巧妙な罠だった。
第1次トブルク攻防戦で敗れたロンメルだったが、部隊をまとめ、敢えて後退する事で、イギリス軍の攻勢を誘発する。
誘い出されたイギリス軍を引き付けるだけ引き付けて、一気に反攻に転じたのだ。
更にロンメルは、狡猾だった。
ガザラ近郊まで攻め込んだイギリス軍が、正面に砂塵を上げながら向かってくる敵の大部隊を発見すると一斉攻撃を開始した。
両軍、一進一退の攻防を続けながらも、徐々にイギリス軍が押し始める。
こうして、間もなく戦線突破に成功するかと思われた時、
突如、イギリス軍の戦線は、横合いから強烈な急襲を食らった。
枢軸軍の真の主力部隊である、ドイツ・アフリカ軍団の総攻撃である。
敵は自分達の正面にいると思い込んでいたイギリス軍は、完全に虚を突かれた。
ロンメルは同盟軍であるイタリア軍にわざと派手に動いて砂塵を起こさせ、イギリス軍の注意を引き付けておいてから、戦線が伸び切ったタイミングで、自身が直卒する主力部隊に総攻撃を命じたのだ。
この予期し得ない奇襲に、イギリス軍の戦線はひとたまりもなく崩壊。
戦線は一気に押し戻された。
這う這うの体で敗走するイギリス軍。
一方、ついにイギリス軍を撃破したロンメルは、余勢を駆って進撃。
そして、6月にはついに、要衝トブルクが陥落。
北アフリカ戦線における、枢軸軍優位は、決定的な物となったのだった。
第46話「大洋の決闘者たち」 終わり