蒼海のRequiem外伝 ~北天の流星~   作:ファルクラム

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第47話「本国への道」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界の先で、背を向けた女が軍服を整えている。

 

 先ほどまでの激しい情事を思わせる事無く、毅然とした態度はいささかも崩れる事はない。

 

 立場が上である自分の方が、思わず圧倒されてしまうほどだった。

 

 女は騎士だった。

 

 たとえ負けても、心まで屈する事無く、

 

 今なお、敵である自分と戦い続けているのだ。

 

 その証拠に、服を着ている間も、振り返ることなく、自分とは目を合わせない。

 

 たとえ体を許しても、心まで許す気はない。

 

 むしろ、体などいくら汚されても、心を犯す事は出来ない。

 

 そう言っているかのようだ。

 

 しかし、

 

 男は総身から沸き立つ愉悦に浸っていた。

 

 どう足掻いたところで、女が自分に勝てないのは明白。

 

 それ以前に、勝負はとっくについているのだ。

 

 彼女の祖国が、自分の国に負けると言う形で。

 

 口元に張り付いた笑みを隠そうともせず、彼女に話しかける。

 

 どうだ、お前にその気があるなら、俺の女にしてやるぞ。

 

 勿論、お前だけじゃない。

 

 他の女たちも、悪いようにはしない。全員、この国での暮らしが立つように計らってやる。

 

 悪い話ではない筈だ。

 

 どれだけ格好つけたところで、女は敗残兵の捕虜。

 

 自分は勝者で権力者だ。

 

 粋がったところで、女は自分にはかなわないのだ。

 

 たった今、このベッドの上で自分に抵抗も出来ずに組み敷かれて抱かれ、泣きながら嬌声を上げていたのが何よりの証拠。

 

 この国で、自分に逆らって得をする事など、何一つとしてない。

 

 むしろ、自分に従った方が、あらゆる意味で好都合だろう。

 

 女は国に夫と子供がいるらしいが、そんな事は知った事じゃない。どうせもう、会う事は無いのだから。

 

 自分は、この女に何でもしてやれる。

 

 ほしい物を何でも買い与え、贅沢な暮らしをさせてやれる。

 

 女にとって、これ以上の幸せは無いはずだ。

 

 「次期国王」の自分には、その権限があるのだから。

 

 まあ、もっとも、断るなら、それはそれで一向にかまわない。その時は他の女ともども、目の前の女を奴隷の身分に落とし、一生飼い殺して慰み者にしてやるまで。

 

 どっちにしても、女は自分の物になる。

 

 その運命は変えようがない。

 

 だが、

 

 女は軍服を整えると、ベッドから立ち上がった。

 

 そして振り返る。

 

 その瞳は、哀れみと蔑みがないまぜになった、濁った光を放つ。

 

 そう、

 

 文字通り、ゴミを見る目で自分を見ていた。

 

 「次期国王」の自分を。

 

「私は、絶対にあなたの物にならない」

 

 発せられた声は、聞いた事も無いほど冷ややかだった。

 

「あなたはこれから、手に入らない物に絶望して生きていけばいい」

 

 そう言うと、踵を返す女。

 

 そのまま、足を止めずに入口へと向かう。

 

 制止も聞かず、ただ一言。

 

「さよなら」

 

 そう告げると、女は部屋から出て行った。

 

 鼻で笑う。

 

 何とも強がりな女だ。

 

 まあ良いだろう。ああやって強がっていられるのも今の内だ。

 

 どう足掻いたところで、あの女の運命は自分の掌の中。逃げる事は出来ないのだから。

 

 女が自分に跪き「どうかあなたの女にしてください」と、泣いてすがってくる日を夢想して、愉悦に浸るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スカパ・フロー軍港に抑留されていたドイツ艦隊が一斉に自沈したと言う報告がもたらされたのは、その翌日の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フレデリックは目を覚ました。

 

 全身を覆うような倦怠感。

 

 ひどく、気分が悪い。

 

 理由は、分かっている。

 

 さっきまで見ていた、あの夢が原因だ。

 

 かつて、

 

 フレデリックがまだ、皇太子の身分であった頃の話。

 

 望めば全ての物を手に入れて来た自分が、過去に唯一、手に入れそこなった物。

 

 恐らくは、自分の人生の中で最高ともいえる女が、彼女だった。

 

 敵国の捕虜であり、艦娘だった女を、フレデリックは権力をかさに着て手籠めにした。

 

 国には夫と3人の子供がいると言う。

 

 しかしだからこそ、フレデリックは女に夢中になった。

 

 初めは抵抗した女。

 

 しかし、結局、女は自分に従わざるを得なかった。

 

 女が従わないなら、捕虜にした他の艦娘に相手をさせると脅してやったのだ。

 

 屈辱に歪む女の顔は、今でも忘れられない。

 

 この女は落ちる。

 

 自分の物になる。

 

 そう確信していた。

 

 女が強がって捨て台詞を吐いていったが、そんな物はあっさりと聞き流していた。

 

 せいぜい吠えるだけ吠えていろ。女が泣いてすがってきたら、その時は散々に慰み者にしてやる。

 

 そう、余裕に思っていた。

 

 だが、

 

 女の言葉が強がりではなかった事を知ったのは、その翌日の事だった。

 

 スカパフロー軍港で抑留中のドイツ艦隊が一斉自沈。

 

 その中に、彼女もいた。

 

 フレデリックは女の言葉通り、手に入れたくても、一生手に入らない物を抱えてしまったのだ。

 

 以来、あの出来事は、フレデリックの中でトラウマとなって生き続けていた。

 

 なぜ、このような夢を見るようになったのか。

 

 理由は分かっている。

 

 ドイツ戦艦「ビスマルク」。

 

 あの壮絶な最期がトリガーとなり、フレデリックに過去の記憶を思い起こさせているのだ。

 

「全く・・・・・・ドイツの女は強情だ」

 

 嘆息した時だった。

 

「失礼します、陛下。間も無く、ご起床の時間となります」

「判った、暫し待て」

 

 廊下からの呼び声に対して苛立ち交じりに応えると、寝台から起き上がる。

 

 彼女の事は手に入れる事が出来なかった。

 

 だが、彼女がいた国を手に入れる。

 

 それが叶えば、あるいはこのトラウマも少しは薄れる事になるかもしれない。

 

 その為に、ドイツは潰す。

 

 ありとあらゆる手段を使って。

 

「あの世とやらがあるなら見ているが良い。お前の国が、我が足元で蹂躙されるのを」

 

 記憶の中で佇む女に語り掛ける。

 

「デアフリンガー・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウォルフ・アレイザーは、旗艦「シャルンホルスト」の会議室において、居並ぶ幕僚たちを見ながら情報参謀が読み上げる報告書に耳を傾けていた。

 

 傍らには、参謀長のシュレス。

 

 更には息子であり、旗艦艦長でもあるエアル・アレイザー大佐や、「グナイゼナウ」艦長のオスカー・バニッシュ大佐。その他、各艦の艦長と艦娘たちが集まっていた。の姿もあった。

 

 第1艦隊の上級将校と艦娘たちが集まっている状態だった。

 

 会議の議題は、艦隊の今後の方針について。

 

 その前段階として、現在は状況の説明を行って居るところだった。

 

 入ってくる情報は主に、陸の戦況についての物が多数を占めていた。

 

 陸軍の戦いだから、海軍の自分達には関係ない、などと言う事は無い。

 

 先の第3次ブレスト沖海戦のように、海戦の結果が間接的に陸軍の戦況に影響する事は多々ある。

 

 陸の戦局は、一進一退の様相を見せ始めていた。

 

 バルバロッサ作戦の失敗により、ソ連領からの撤退を余儀なくされたドイツ軍。

 

 これを全面的な潰走と取ったソ連上層部は、赤軍各部隊に追撃命令を下した。

 

 これを機に、ドイツ軍に少しでも打撃を与えておこうと言う思惑である。

 

 逃げるドイツ軍に対し、全面的な攻勢を出るソ連軍。

 

 しかし、彼等の認識は間違っていた。

 

 確かにドイツ軍敗れ、モスクワ近郊から敗走した。

 

 しかし、

 

 敗れはしたが、ドイツ軍は壊滅した訳ではない。それどころか生き残った部隊をまとめ、整然と隊列を組み、陣形を整えていた。

 

 むしろ、ソ連軍が笠に着て追撃してくるのを、彼等は待っていたのである。

 

 猛威を振るった冬将軍も、その圏内から出てしまえば勢力は弱まるのは必然。

 

 補給も到着し、万全の体制を整えたドイツ軍

 

 そこへ、ソ連軍は不用意に攻撃を仕掛けてしまった。

 

 結果、

 

 ドイツ軍が行った圧倒的な火力集中を前に、ソ連軍前線は壊乱状態に陥り、這う這うの体で逃げ帰る羽目になってしまったのだ。

 

 大敗を喫したとは言えドイツ陸軍は今尚、ヨーロッパ最強の存在である。ドイツ軍との戦いで多大な犠牲を出した上、内ゲバ的粛清で内部組織がガタガタなソ連軍に勝てる通りは無かった。

 

 一方、南の戦線は膠着していた。

 

 まだこの時期、イギリス軍のクルセイダー作戦により、北アフリカ戦線での枢軸軍は苦境に立たされていた。

 

 元々、戦力的劣勢は否めない事もあり、勢力を盛り返したイギリス軍相手に、枢軸軍は防戦一方に追い込まれつつある。

 

 ロンメルの機略で、トブルク奪取に成功するのはまだ数カ月先の話である。

 

 だが、イギリス軍も苦しい状況だった。

 

 枢軸軍を押し返す事には成功したものの、補給線は伸び切り、更には先日の第3次ブレスト沖海戦で大規模輸送船団が壊滅。

 

 イギリス軍の最前線は物資不足から、早期の攻勢が取れなくなっていた。

 

 双方とも、決め手に欠く睨み合いが続く中、

 

 奇妙な静穏が、ヨーロッパ一帯を支配していた。

 

「以上です」

 

 情報参謀は説明を終えると、ウォルフに対して一礼して着席した。

 

 陸の戦況は膠着状態。

 

 しかし、海の方はと言えば、変わらず劣勢と言って良い状態だった。

 

 第3次ブレスト沖海戦において、ドイツ海軍第1艦隊に敗れたイギリス本国艦隊は、その後、本土周辺において戦力を集中し守りを固める体制を整えていた。

 

 その戦力は、ドイツ海軍全体の4倍近い戦力にまで膨れ上がっている。

 

 数度にわたる勝利。

 

 それも、「完勝」と言っても過言ではない勝利を重ねて尚、埋まる事のなく、むしろ引き離されてさえ行く戦力差。

 

 それ程までに、ドイツ海軍とイギリス海軍の間には、絶望的な差があった。

 

「世界第2位の名は、伊達ではないと言う事か」

「せめて、Z計画が完遂されていたら・・・・・・」

 

 口々に愚痴めいた言葉が、幕僚たちから漏れ出る。

 

 負けても取り返しがつくイギリス海軍と、常に勝ち続けなければならないドイツ海軍。

 

 まるで泥濘の中でもがいているかのような徒労感に、誰もが疲労を感じ始めていた。

 

「無い物をねだっても仕方がないだろう」

 

 幕僚たちの言葉を遮るようにして、ウォルフは発言した。

 

「元々、我が国の主敵はソ連だ。ならば、予算が陸軍の増強に行くのは自然の事。一方を強化するのに、一方が割を食う。これは仕方のない事だ。我々に求められるのは、今ある戦力を活用する事のみ」

「それに、本国には『ティルピッツ』もいるし、グラーフ・ツェッペリン級空母の2番艦や、最新鋭の巡洋艦も完成している。それらと合流できれば、まだまだ戦えるはずだ」

 

 シュレスが、ウォルフの言葉を引き継ぐようにして言った。

 

 それでも、戦力が足りないのは分かっている。

 

 いくら新型艦を増強したところで、イギリスはその数倍の速さで増強してくるのだ。戦力差は埋められる物ではなかった。

 

 しかも、問題はそれだけではない。

 

「アメリカの存在もあります」

 

 その言葉に、居並ぶ全員が険しい顔を作った。

 

 無尽蔵ともいえるな資源と、強大な工業力アメリカの参戦により、イギリスの兵站は事実上、無限になったと言っても過言ではない。

 

 これから、独英の海上戦力差は、ますます開く一方だろう。

 

 今までは、さまざまな奇策や戦術を駆使して、どうにかイギリス軍に勝利してきたドイツ海軍だったが、今後は、そうはいかない。

 

 このまま行けば、圧倒的な戦力差の前に、押しつぶされるのは目に見えていた。

 

「だからこそ今、我々は生き残らなくてはならない」

 

 ウォルフは一同を見回していった。

 

「先日、ベルリンの海軍本部から、第1艦隊司令部あてに命令書が届いた。それによると、第1艦隊は、イギリス海軍の警戒網を突破して、本国に帰還せよ、とあった」

 

 ウォルフの言葉を聞いた一同の反応は、大きく2種類に分けられた。

 

 一方は、本国に帰れると言う歓喜。

 

 もう一方は、イギリスの警戒網を突破しなくてはならないと言う憂い。

 

 簡単に帰還と言っても、そうそう容易な話でないのは確かだった。

 

「どのみちこれ以上、水上艦が大西洋で戦うには無理が生じ始めている」

 

 シュレスは、苦々しいように言った。

 

 最近になって、イギリス軍の攻撃によって、ドイツ軍の補給艦が何隻か沈められる事態になっていた。

 

 ドイツ海軍が広範囲にわたって通商破壊戦を行えるのは、長大な航続力もさる事ながら、各所にて実戦部隊に物資を届けてくれる補給艦の存在が大きかった。

 

 イギリス軍は、その補給艦を狙い撃ちにしてきているのだ。

 

 明らかに、ドイツ海軍の通商破壊戦部隊を封じ込める狙いが感じられた。

 

「だが、本国に帰れば、我々はまだ戦う事が出来るのだ」

 

 本国へ帰る。

 

 本国に帰れば、少なくとも補給に関しては憂いがなくなる。

 

 それが自分達の生き残る唯一の道であり、祖国を守る為の最善手でもあった。

 

「しかし・・・・・・」

 

 挙手して発言したのはオスカーだった。

 

「実際問題として、本国に戻るとしても、イギリス軍が簡単にそれを許すとは思えません。恐らく、全力で阻止しにかかってくるでしょう」

 

 唯一にして、最大の問題がそれだった。

 

 第1艦隊がいるブレストから、ドイツ本国に帰還する為には、どうしたってイギリス本土の近海を通らなくてはならない。

 

 突破しようとすれば、水上艦隊と航空部隊、潜水艦隊の波状攻撃に晒されるのは目に見えていた。

 

 第1艦隊のみで、イギリス本国艦隊の全戦力を相手取る戦力はない。

 

「現状、全艦揃って本国への帰還を目指すとなれば、通れるルートはひとつ。ドーバー海峡を突破する以外に無い」

 

 シュレスは海図を差しながら言った。

 

 これまでドイツ海軍の水上部隊は、大西洋と北海を行き来する際には必ず警戒の薄い、イギリス本国西側の航路を使っていた。

 

 しかし、ライン演習作戦時の事もある様に、デンマーク海峡を中心とした西側は既に、イギリス軍の重点警戒範囲に入っている。今後、そちら側からの突破は難しいと言わざるを得ない。

 

 加えて、航続力に余裕がある大型艦ならともかく、駆逐艦や水雷艇を伴った状態で、遠回りとなるコースを行く事は難しい。

 

 そうなると、第1艦隊が本国帰還の為に使えるルートは、ドーバー海峡のみと言う事になるが、

 

 言うまでもなく、こちらはもっと難しいだろう。

 

 何しろドーバー海峡は、イギリスの鼻先であり、最峡部のカレー沖は34キロしかない。泳達者な者なら泳いで渡れる程だ。もし、敵がドイツ軍の動きを察知して海峡を封鎖していたら、第1艦隊は一方的に袋叩きにされかねなかった。

 

「ドーバー海峡突破を夜間に設定すればどうでしょう?」

 

 参謀の1人が、挙手をして発言した。

 

「夜間ともなれば、敵はこちらを視認しづらくなります。特に視界が狭い潜水艦からの探知は難しいでしょう。更に航空機も飛ばせません。突破するなら、夜間が最適と思われます」

 

 その言葉に、参謀たちが賛同の意を示す。

 

 確かに、敵が待ち構えているところに、真昼間から突っ込んでいくのは愚の骨頂だろう。

 

 しかし、

 

「待ってください」

 

 挙手をしたのはエアルだった。

 

 参謀たちの意見は判るが、エアルの意見は別にあった。

 

「おにーさん?」

 

 横に座ったシャルンホルストが、怪訝そうに首をかしげる中、エアルは司令官である父、ウォルフをまっすぐに見据える。

 

「どうした、アレイザー大佐。意見があるなら遠慮なく言うが良い」

「はい」

 

 シュレスに促され、エアルは立ち上がる。

 

 普段は「シュレスおばさん」などと気軽に話しかけているエアルだが、今は公的な会議の場。弁えるべき事は、しっかりと弁えている。

 

 エアルは一同を見回してから口を開いた。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 大きなテーブルの上には、贅を尽くした料理の数々が並び、皆のグラスには一般人ではおいそれと味わえないような酒が満たされる。

 

 居並ぶ将官たちを前にして、ディラン・ケンブリッジ准将は、満悦な表情を見せ、手にしたグラスを傾けていた。

 

 先の第3次ブレスト沖海戦において、司令官ジャン・トーヴィ大将以下、司令部スタッフも含めて全滅の憂き目を見たイギリス本国艦隊は、まだ新たなる司令官の選定が終わっておらず、司令部は空白状態となっている。

 

 その為、現在は、本国における最強部隊であるS部隊の指揮官であるディランが実質、本国艦隊司令官代行を務めている状態だった。

 

「さあさあ、皆の者、これは前祝だ。遠慮せずにどんどんやってくれ!!」

 

 ディランに促され、歓声を上げる一同。

 

 既にでき上げっている者も少なくなく、状況は狂乱にはまり込もうとしていた。

 

「諸君、間もなく、ブレストを不当占拠しているナチの艦隊が、本国に帰る為に出撃するだろう。我らの任務は、その捕捉撃滅となる」

 

 グラスを片手に、ディランは上機嫌に演説めいたことを言い始める。

 

「しかしッ 奴等は祖国の地を見る事無く、空しく海の藻屑となる事だろうッ なぜならば、我々がいるからだ!!」

 

 そうだ!!

 

 その通りだ!!

 

 見よ、あの堂々たる様を。

 

 この頼もしさ、やはり殿下こそが、この英国を担うに相応しい。

 

 一同の間から、追従する歓声が上がる。

 

 その反応が、ディランの機嫌をさらに押し上げる。

 

「我々の戦力は、ナチ共に数倍しているッ 奴等は卑怯にも、我らの裏を搔こうとすることだろうッ 薄汚いヒトラーの下僕共が考えそうなことだがッ 正義に使者たる、我々の目をごまかす事などできはしないッ 既に奴等が通るであろう海域には、多数の潜水艦を配置して索敵に当たらせているッ その報告が入り次第、我らは出撃し、薄汚いナチス共を叩き潰すのだ!!」

 

 歓声が、一気にボリュームを増す。

 

 さすがは殿下だ。

 

 これはもう、我らの勝利は疑いあるまい。

 

 まだドイツ艦隊の姿すら見ていないどころか、出撃すらこれからだと言うのにこれである。もうすでにこの場では勝利は確定しているかのような扱いだった。

 

「それで殿下、我らはどのような作戦で、奴等を迎え撃つのですかな?」

「うむ。そんなものは簡単よ」

 

 上機嫌でワインを喉に流し込みながら、ディランは口を開いた。

 

「奴等が本国に帰る為には、ドーバー海峡を通る以外に無い。ならば話は簡単。海峡の監視を強化するとともに、報告があり次第、近海で待機していた我々が出撃し、奴等が海峡を通過する前に封鎖、後は火力に任せて圧し潰せば、我らの勝利は疑いない」

 

 よどみなく、自分の考えを披露するディランに、一同が感嘆の声を上げる。

 

 ディランはその歓声を心地よさげに聞き入りながら続けた。

 

「さらに言えば、卑怯極まりない連中の事だ。恐らくは姑息にも我らの目を欺こうと考えて、夜間の海峡突破を狙ってくるだろう。しかし、奴等がいかに卑怯に振舞おうが、我等にはレーダーと言う絶対の目がある。奴等が海峡に進入すれば、すぐにでも察知は可能と言う訳だ」

 

 得意げに説明するディランに、誰もが称賛の声を惜しみなく浴びせる。

 

 もっとも、ディランが言った程度の事など、多少なり軍事知識があればだれでも思いつく程度の事でしかない。

 

 だが、それでも、皆が皆、揃ってディランに追従する。

 

 今や「飛ぶ鳥を落とす」と言っても過言ではないディランについていけば、自分達の地位も安泰と考えているのだ。

 

 誰もが豪華客船「ディラン号」に乗ろうと、必死にしがみついていた。

 

 得意絶頂のディラン。

 

 場の空気が、際限なく膨張しかけた時、

 

「それで、本当に良いんですか?」

 

 冷水を浴びせるようにかけられた静かな声に、一同は笑いを止めて振り返る。

 

 見れば、

 

 同じS部隊所属と言う事で、今回の席にも呼ばれていたリオン・ライフォード大佐が、鋭い眼差しを一同に向けていた。

 

 リオンは引き続き、軽巡洋艦「ベルファスト」艦長、兼、巡洋戦隊司令官と言う立場で本国艦隊に在籍している。

 

 つまり、今はディランの部下と言う立場にあるわけだ。

 

 対して、

 

 自分達の上がりかけたテンションに水を差されたディランは、生物学上の弟を睨みつけて口を開いた。

 

「何だ、リオン? 言いたいことがあるなら言ってみろ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 促されるも、リオンは口をつぐむ。

 

 これまでの数々の経験から、この兄が自分の意見など聞く耳持たない事は百も承知している。

 

 しかし、それでも言わずにはいられなかった。

 

「固定観念に囚われる事は危険だと考えます」

「貴様ッ」

 

 激高した、ディランの取り巻きが声を上げる。

 

 相手が王族だと言う事すら忘れている様子。

 

 否、

 

 そもそも彼等は、庶民出のリオンを、王族とは見ていなかった。

 

「殿下の考えが間違っていると言うのかッ」

「不敬にも程があるぞッ」

「恥を知れ恥を!!」

 

 途端、口々に罵声を浴びせられる。

 

 だが、

 

 リオンは顔色一つ変えようとはしない。

 

 こんな事は以前からあった事。今更、怯むにも値しない。

 

 そもそも、他人を批判するのにも頭数を揃えなければできないような連中は、端から眼中になかった。

 

 そして、

 

 それは、一応は「兄」であるディランに対しても同様だった。

 

 リオンに罵声を浴びせる取り巻き達の様子に気を良くしたのか、ディランが彼等を制して進み出る。

 

「それで、リオン、貴様はどうするべきだと考えるのだ? 意見があるならサッサと言うが良い」

 

 どうせ無駄だろうが、聞くだけ聞いてやる。

 

 そのうえで、さらし者にしてやるよ。

 

 そんな兄の思惑が透けて見える中、リオンは嘆息交じりに口を開いた。

 

「なら、言わせてもらいます」

 

 その眼は、まっすぐにディランを睨む。

 

「敵がドーバー海峡を昼間に突破する可能性も、考慮に入れて作戦を立てるべきじゃないですか?」

 

 そのリオンの発言を聞いた瞬間、居並ぶ一同は全員がポカンとした顔をする。

 

 誰もが、リオンの言っている言葉の意味を理解できない、と言った感じだ。

 

 次の瞬間、

 

 一斉に大爆笑が沸き起こった。

 

 勿論、その中には躊躇う事無くディランも加わっている。

 

「おいおいおいおいおい、我が愚弟も、とうとう脳みそが腐り始めたか?」

 

 こらえ切れない笑いをそのままに、ディランはリオンを侮辱する言葉を吐き出す。

 

 それに追従して、下品な笑い声をあげる一同。

 

 中には、衆目も気にせず、床に転がる者までいるほどだ。

 

 仮にも王族相手に取る態度ではない。

 

 対してリオンは、自分に向けられた嘲笑を無視して続ける。相手にするだけ、時間の無駄だった。

 

「ドイツ艦隊、特にブレストに駐留している第1艦隊と奴等が呼称している艦隊は、今まで巧妙に我が軍の裏を搔き続けてきました。そんな連中が、我々が警戒している海域にノコノコと無警戒にやってくるはずがありません。必ず、何らかの仕掛けをしてくると考えます」

 

 誠実な発言はしかし、侮蔑と嘲弄によって返される。

 

「いやいやいやいや、リオン殿下の『妄想』も大した物ですな。ここまで来ると芸術レベルですぞ」

「左様。何なら、軍人などやめて、小説家にでもなったらいかがか?」

「いやいや、この程度の三文小説、誰も買いますまい」

「しかり。もっと、現実を見たストーリーでなければ。よろしかったら、わたくしめの知り合いに小説家が幾人かおります故、ご紹介いたしましょうか?」

 

 王族への敬意も、へったくれもあったものではない。

 

 最早、彼等はリオンを、場を盛り上げるピエロ程度にしか思っていなかった。

 

「良いか、リオン。お前はひとつ、勘違いをしている」

 

 尚も止まらない笑いをこらえながら、ディランは嘲る口調で言った。

 

「ナチスは巧妙なんじゃない。臆病で卑怯で薄汚い、そこらのドブネズミのようなものだ。それを海の覇者たる、我が大英帝国海軍が恐れるなど、それこそ世界中に笑いの種をばらまいているようなものだ」

「まことに、殿下のおっしゃる通り!!」

「この堂々たるお姿、まさしく、次代の大英帝国を担うに相応しい!!」

 

 最早、何を言っても無駄だった。

 

 踵を返すリオン。

 

 ここにいるだけ、時間の無駄としか思えなかった。

 

 そんなリオンに、もはや興味を示す事無く、歓談へと戻っていくディランとその取り巻き達。

 

 空騒ぎの如き宴は、その後も深夜まで続くのだった。

 

 

 

 

 

 部屋を出ると、嘆息する。

 

 結局、言うだけ無駄だったか。

 

 肩を竦めるリオン。

 

 まあ、こうなる事は初めから分かっていた事。今更、嘆くに値しない。

 

 と、

 

「まーた、無駄なことしちゃって、まあ。あのバカ兄貴たちに何言っても無駄な事くらい、あんたが一番分かってるでしょうが」

 

 呆れ気味に投げかけられた声に振り返ると、相棒の少女がジト目でこちらを睨んできているのが見えた。

 

「ベル・・・・・・」

「まあ、無駄と分かってても放っておけないって言う、あんたのやり方は嫌いじゃないけどね」

 

 そう告げるベルファストに、リオンも苦笑を返す。

 

 お互いに性格は判っている。

 

 だからこそ、ベルファストはリオンがディランに意見するのを止めなかったし、終わった後、労わる為に、こうして待っていたのだ。

 

「ねえ、これからエリスちゃんに会いに、アルフレッド殿下の部屋に行くんだけど、あんたも一緒に行こうよ」

「お前な、仮にも第1王子の部屋に、気軽に行こうとか言うなよ」

 

 呆れ気味に言うリオン。

 

 しかし、肉親の中では唯一、自分を気にかけてくれている兄には会いたいし、可愛い名の顔も見ておきたい。

 

「ほら、行こう」

 

 そう言って、リオンの手を取るベルファスト。

 

 その姿に笑みを浮かべ、リオンもまた、兄の部屋に向かって歩き出す。

 

 

 

 

 

 南ではドイツ海軍第1艦隊が本国帰還を目指して蠢動を初め、北ではそれを阻止する為、イギリス本国艦隊が動き出す。

 

 それぞれの思惑が重なり合い、うねりとなって流れゆく。

 

 やがて狭隘なドーバー海峡での激突を迎える事になるのだった。

 

 

 

 

 

第47話「本国への道」      終わり

 


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