蒼海のRequiem外伝 ~北天の流星~   作:ファルクラム

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第48話「三つ首の魔犬」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その夜、海は静かだった。

 

 暗闇の中、微かに波のうねりは小さく、揺らぎも無い。

 

 耳に静かに伝わる潮騒だけが、海が奏でる唯一の自己主張だった。

 

 音もなく、

 

 闇に紛れながら、

 

 しかし着々と、準備は完了しつつあった。

 

 「自身」の艦橋に立ち、シャルンホルストは港全体を見回す。

 

 隣の埠頭に停泊している重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」。その先には、妹の「グナイゼナウ」の姿も見えた。

 

 更に、シャルンホルストのいる場所からは見えないが、艦の後方では空母「グラーフ・ツェッペリン」も停泊している。

 

 フランス・ブレスト軍港に駐留している、ドイツ海軍第1艦隊。

 

 その全艦が、既に出港準備を終え、命令を待っていた。

 

 時刻は深夜。

 

 中天の月にも雲がかかり、海は殆ど暗黒に染め上げられていると言って良い。

 

 このような時の出撃は、慎重を期さなくてはならない。下手をすると、熟練の艦長が指揮する艦でも衝突の危険がある。

 

 しかし今回、是が非でも、深夜の出航が求められた。

 

「シャル」

 

 声を掛けられ、振り返るシャルンホルスト。

 

 既に「シャルンホルスト」も出港準備を終え、機関に灯が入っている。後は出港の命令を待つばかりだった。

 

「もうすぐ出港だよ。体調は大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ。ありがとね」

 

 エアルの問いかけに、シャルンホルストは少し苦笑気味に笑いを返す。

 

 最近は調子が良いが、油断はできない。

 

 これから始まる作戦。万が一にも失敗するわけにはいかない。

 

 だからこそ、サイアに頼んで機関のチェックは入念にやってもらったし、シャルンホルスト自身も、事前に病院に行って検査を受けた。

 

「とうとうドイツに帰るんだね、ボク達」

「うん、そうだよ」

 

 本当に、長かった。

 

 エアルとシャルンホルストの胸に、同じ想いが浮かぶ。

 

 ベルリン作戦開始時からだから、もう1年になる。

 

 流石に、多少の郷愁も湧こうと言う物だ。

 

「戻ったら、前に一緒にいた店にまた行こう。シャルが好きな物、色々買ってあげるよ」

「ほんと? 約束だよ、おにーさん」

 

 目を輝かせるシャルンホルスト。

 

 可愛いなあ。

 

 本当にそう思う。

 

 まるで子犬のような可愛らしさは、出会った頃から変わらない。この子の魅力の一つだ。

 

 否、

 

 長くともにあり続けて、エアルの中で彼女に対する愛おしさが大きくなっているのが分かった。

 

 もっと、シャルと一緒にいたい。

 

 もっと、色んな事をしてみたい。

 

 そんな思いが、青年艦長の中で芽生え始めていた。

 

 だからこそ、今は生き残らなければならなかった。

 

「時間です!!」

 

 響く幕僚の声。

 

 同時に、

 

 港の仲が俄かに騒がしくなった。

 

 まず、駆逐艦部隊が先行して出港していく。

 

 港の外を警戒し、潜水艦が潜んでいないか確認するのだ。

 

 次いで、重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」が動き出すのが見えた。

 

 ドイツ巡洋艦特有の、重厚でありながらシャープな印象のシルエットが港口へと向かう。

 

 次は旗艦である「シャルンホルスト」の番だ。

 

「さ、行こうか」

「うん」

 

 頷き合う2人。

 

 エアルは背後を振り返る。

 

「出港します。良いですね」

「ああ」

 

 息子の問いかけに、答える父。

 

 頷くウォルフに対し、エアルは再び前を向いてシャルンホルストと並び立つ。

 

「出港、両舷前進微速!!」

 

 エアルの命令を受け、水面下でスクリューが回転を始める。

 

 ややあって、基準排水量3万1000トンの巡洋戦艦は、滑るように動き出した。

 

 埠頭を離れ、港口へと艦首を向ける「シャルンホルスト」。

 

 港の風景が、徐々に離れていく。

 

 ふと、抗いがたい寂寥感が胸を支配する。

 

 ブレストはフランスの港だ。

 

 しかし、1年もの間、使用していれば、様々な感情が湧いてくる。

 

 しかし、エアルはある種の予感めいたものを感じずにはいられなかった。

 

 もう、この港に戻って来る事はないだろう。

 

 あるいはもしかしたら・・・・・・・・・・・・

 

 不吉な考えが頭の中をよぎった。

 

 その時だった。

 

「おにーさん、あれ見て!!」

「え?」

 

 シャルンホルストに促され、視線を陸へと向けるエアル。

 

 そこにあった光景を見て、思わず唸った。

 

 暗闇の中にあるので、詳しくは見て取れない。

 

 しかし、桟橋付近に多数の人だかりができ、その全ての人々が自分達に向かって手を振っているのが見えた。

 

 彼等はフランス人の技術者や、修理、整備を請け負ってくれた港湾関係者たちだ。

 

 第1艦隊の出港は、彼等に通達していない。万が一、スパイが紛れており、通報でもされたら事だからだ。

 

 しかし、一部の親しかった人たちがひそかに集まって見送りに来てくれたのだ。

 

 もしかしたら、彼等もまた、何か予感めいた物を感じて集まったのかもしれなかった。

 

「みんな・・・・・・・・・・・・」

 

 横で、シャルンホルストが声を上げる。

 

 微かに震えている声音から、少女が涙ぐんでいるのが分かった。

 

 彼等とは、元々敵同士だった。

 

 その関係は決して良好とは言えなかったし、もしかしたら今後、また敵同士になるかもしれない。

 

 しかし、長く共にあって、互いに言葉では言い表せない信頼関係を築いてきたのも事実である。

 

 そして今、第1艦隊出港に当たり、こうして見送ってくれている。

 

 本当に、ありがたい事だった。

 

 手を振り返す、エアルとシャルンホルスト。

 

 やがて、彼等の姿は艦体のシルエットに隠れ、見えなくなっていくのだった。

 

 

 

 

 

 1942年2月11日。

 

 この日、ドイツ海軍第1艦隊は、全艦を率いてブレスト軍港を出港した。

 

 作戦名「ツェルベルス」。

 

 神話に出て来る地獄の門を守る三つ首の魔犬「ケルベロス」より名を取った本作戦の目的は、第1艦隊のドイツ本国への帰還。

 

 闇の中を粛々と進んでいくドイツ第1艦隊。

 

 その戦力は、巡洋戦艦2隻、航空母艦1隻、重巡洋艦1隻、駆逐艦8隻。

 

 星明りの少ない穏やかな海面を、艦隊は静かに進んでいくのだった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 空けて翌日。

 

 その日、イギリス沿岸基地を飛び立ったハリファックス爆撃機1機が、フランス沿岸を目指して飛翔していた。

 

 目的は偵察。

 

 ドイツの目がソ連へと向き、イギリスへの攻撃が下火になったとは言え、未だに予断を許される状況ではない。

 

 日に何度か、偵察機を飛ばしドイツ軍の動向を探る事は重要な任務だった。

 

 とは言え、発見されれば即座に戦闘機の迎撃を受けかねない危険な任務である。

 

 爆撃機のクルーたちは皆、緊張で圧し潰されそうな時間を、狭い機内で過ごしていた。

 

 それでも、各偵察ポイントを回り、任務も後半へと入る。

 

 この後、最重要偵察地点である、ブレスト軍港上空に差し掛かる。

 

 ここにはドイツ海軍の主力艦隊が駐留している。その動向を探るのは、最重要任務だった。

 

 気付かれないように慎重に、機体をブレスト軍港上空へと導く。

 

 やがて雲が切れ、視界が開ける。

 

 港の様子が眼下に広がり、複数の艦船が停泊している様子が見えた。

 

 しかし、

 

「なッ いないッ!?」

 

 ブレスト上空に機体が侵入した時、機長は思わず叫び声をあげた。

 

 数日前に偵察した時には、確かにシャルンホルスト級巡洋戦艦やグラーフ・ツェッペリン級航空母艦の姿があった。

 

 しかし今、港の中を見回しても、大型艦艇の姿は見当たらない。

 

 念の為、隅々まで視線を巡らせるが、それらが停泊している様子は見られない。

 

 訓練に出ている可能性もある。

 

 しかし、もし、そうじゃなかったら?

 

 近々、ドイツ艦隊が大規模な軍事行動を起こす予兆がある事は聞いている。

 

 今回、行方をくらました事が、それに関連している可能性は大いにあった。

 

「機長、直ちに本国に打電をッ」

「いや・・・・・・・・・・・・」

 

 副機長の提案に、機長は首を横に振った。

 

 ドイツ艦隊出港と言う重要な報告、本来なら直ちに本国に報せなくてはならない。

 

 しかし、そうできない事情が彼等にはあった。

 

「ディラン殿下より、直接通達を受けている。偵察を行った際、敵にこちらの動きを察知されないよう、無線は使わず、帰還後に直接、口頭で報告するように、と」

「いや、しかし、それでは、敵を取り逃がすかもしれません!!」

 

 それはディランが指揮するS部隊から昨日、正式に通達された命令だった。

 

 おかげで偵察に出た機体は、いちいち基地まで戻ってから報告すると言う手間を踏まされていた。

 

「報告すべきです!!」

「ダメだ、許可できない」

 

 機長はにべもなく首を振る。

 

 本音を言えば、機長も今すぐに報告すべきと思っている。

 

 敵艦隊が拠点からすべて姿を消すなど、間違いなく重大事だ。報告が遅れれば致命傷にもなりかねない。

 

 ディランの命令が、情報漏洩を警戒しての措置だと言う事は判る。

 

 聊か過剰な措置な気もするのだが。

 

 しかし、それが上級司令部からの直接命令である以上、無視するわけにもいかなかった。

 

「とにかく、急いで基地に戻るぞ。この情報、何としても持ち帰らなくては」

 

 そう言うと機長は、焦る想いを抱きながら操縦桿を倒して機体を旋回させる。

 

 結論から言えば、彼は命令を無視してでもすぐに司令部に報告を入れるべきだった。

 

 しかし、何と言っても相手は王族にして、現在の本国艦隊司令官代行の立場にある。

 

 今のディランに逆らえる者など、イギリス海軍には存在しなかった。

 

 帰還すべく、進路を北へと向けるハリファックス。

 

 結局、ハリファックスのクルーが基地に帰還し、得た情報を上官に直接伝える事が出来たのは、それから2時間後、S部隊司令部のディランに、その報告が上げられたのは、更にその1時間後の事だった。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 深夜にブレストを出航したドイツ海軍第1艦隊は、ブルターニュ半島北側を北東に向かって航行。ドーバー海峡への侵入を試みようとしていた。

 

 既に夜は完全に空け、右舷側の視界にはフランスの大地が映っている。

 

 左舷側に目を凝らせば、イギリスの大地も遠望できる。

 

 今のところ、艦隊周辺に敵が現れる兆候はない。

 

 が、

 

 通信士官がもたらした電文を一読して、エアルは目を細めた。

 

 それは、ブレストに残留した部隊からもたらされた情報。

 

 時刻は1時間ほど前、ブレスト上空をイギリス軍の偵察機と思しき機体が通過した、との事だった。

 

「気付かれた、か」

 

 巡洋戦艦や空母はただでさえ目立つ。いないとなれば、敵もすぐに気づくだろう。

 

 まだ、艦隊はドーバー海峡の入り口に達したばかり。これからが正念場である。

 

 イギリス軍が第1艦隊の動きを察知していれば、海峡出口を艦隊で封鎖してくるか、あるいは潜水艦を配置して奇襲をかけて来るだろう。

 

 しかし、今のところその兆候はない。恐らく、こちらの動きに、敵はまだ気付いていないのだ。

 

 と、

 

「うー・・・・・・」

「うん?」

 

 傍らから聞こえて来た唸り声に振り返ると、シャルンホルストがいつになく険しい表情で前方を凝視していた。

 

「どうしたの、シャル?」

「おにーさん・・・・・・・・・・・・」

 

 声を掛けると、振り返るシャルンホルスト。

 

 その可憐な眉根は寄せられ、明らかに緊張している様子が見て取れた。

 

「ドーバー海峡ってさ、やっぱ敵の真ん前じゃん。そこにこれから行くってなると、やっぱりちょっと、緊張しちゃって」

 

 そんな少女の様子に、クスッと笑うエアル。

 

 まあ、緊張すると言う意味では、気持ちはわかる。

 

 何しろ、これだけの大艦隊が敵の真ん前を横断しようとしているのだ。前代未聞であるのは間違いないし、もしかすると空前にして絶後かもしれない。

 

 少女の緊張も無理からぬところ。

 

 いつ敵が現れるか分からない、と言う緊張感は、戦闘中に感じる緊張とはまた別手の重苦しさがあった。

 

 苦笑するとエアルは、手にした物をシャルンホルストへ差し出した。

 

「はい、これでも食べて、少し落ち着こう」

 

 先ほど、調理場から戦闘配食が配られたのだ。エアルはシャルンホルストの分も確保しておいたのである。

 

 第1艦隊は深夜に出港した為、朝食はこのように、戦闘配置に着いたまま摂る事になったのだ。

 

「シャルも、朝食まだだったでしょ。これから忙しくなるだろうし、今のうちに食べておこう」

「ありがとう」

 

 受け取ったサンドイッチを、口に運ぶシャルンホルスト。

 

 思ったよりも空腹だったのか食はどんどん進んでいく。

 

 しかし、

 

 おかげで少し、落ち着いた気がした。

 

「ありがとうね、おにーさん」

「どういたしまして」

 

 言いながら、エアルは笑顔を見せた。

 

 今のところ、海面は穏やかであり、艦隊は順調に航行している。

 

 出港前に入念に整備した為、「シャルンホルスト」はじめ、機関に不調を訴える艦もいない。

 

 が、

 

「このまま何事もなく、と言う訳にはいかないだろうね」

 

 前方を注視しながら、エアルはぽつりと呟いた。

 

 仮に、こちらの作戦通りに進んでいるのだとしても、ドーバー海峡に進入すれば嫌でも敵に見つかるだろう。

 

 そうなると、多少なりとも戦闘になるのは避けられない。

 

 チラッと、サンドイッチを頬張るシャルンホルストに目をやるエアル。

 

 この子を何としても、本国に連れて帰る。

 

 改めて、その決意を胸に刻むエアル。

 

 間も無く、ドーバー海峡に入る。

 

 波は、徐々に高くなりつつあった。

 

 

 

 

 

 

 それから1時間ほどは、何事もなく過ぎていった。

 

 艦隊は順調に西進を続ける。

 

 このまま何事もなく、海峡最狭部のカレー沖へと侵入できるか?

 

 そう、思った時だった。

 

「右舷30度にスピットファイア1ッ 本艦に先行します!!」

 

 伝声管を通してもたらされた見張り員からの報告に、エアルとシャルンホルストは、とっさに窓へと駆け寄って双眼鏡を覗きこむ。

 

 見れば確かに、

 

 単発の戦闘機が、機首を北に向ける形で第1艦隊と並走しているのが見える。

 

 イギリス軍は、単座の戦闘機でも偵察に用いる事がある。

 

 あのスピットファイアが、偵察機なのは明らかだった。

 

 第1艦隊捜索の為に飛来したのか、それともたまたま定期の巡回航路に重なったのか、それは分からない。

 

 しかし、

 

「見つかったか・・・・・・・・・・・・」

 

 緊張をはらむ、エアルの声。

 

 行程としてはまだ、半分も来ていない。

 

 これだけ目と鼻の先を航行する艦隊を、イギリス軍が見逃すとは思えなかった。

 

 と、

 

 袖をギュッと掴まれるような感覚に、振り返るエアル。

 

 見れば、前方を注視したまま、シャルンホルストがエアルの軍服の袖をつかんでいた。

 

 その手が、小刻みに震えているのが分かる。

 

 先ほどから感じている緊張が、敵に見つかった事でさらに増していた。

 

 もし、

 

 敵がこちらの行動を察知して、海峡出口付近で待ち構えていたりしたら、

 

 第1艦隊はほとんど抵抗も出来ず、敵に袋叩きにされる事だろう。

 

 フッと、笑うエアル。

 

 手を伸ばすと、少女の頭をそっと撫でる。

 

「おにーさん・・・・・・」

「大丈夫。大丈夫だよ、シャル。俺がついてるから」

 

 少女に告げると、エアルは背後の提督席に目を向ける。

 

 ウォルフは提督席で腕を組み、ジッと状況を見据えていた。

 

「提督、これで我が艦隊は、敵に発見されたと判断します」

「うむ」

 

 頷くウォルフ。

 

 元より、交戦無しでツェルベルス作戦を成功できるとは、ウォルフも思っていない。

 

 敵が来るなら一戦交えるまでだった。

 

「全艦、第2戦闘配置。総員、持ち場につけ」

『ハッ!!』

 

 ウォルフの命令を受け、艦内が俄かに慌ただしくなる。

 

 いつ敵が来ても良いように、乗組員は自身の配置へと走り、各砲には砲弾が装填される。

 

 同様の光景が「グナイゼナウ」「プリンツ・オイゲン」や護衛の駆逐艦でも行われている。

 

 特に駆逐艦では、対艦、対空戦闘準備に加えて、潜水艦の接近に備え対潜用の装備も準備される。

 

 航空母艦の「グラーフ・ツェッペリン」では、それに加えて艦載機の発艦準備も進められている。

 

 ジリジリとした緊張感が続く中。

 

 更に1時間が経過した、午前11時頃。

 

 それは姿を現した。

 

「左舷前方より接近する小型艦艇ありッ 魚雷艇です!!」

「え、魚雷艇?」

 

 その予想外すぎる報告に、思わずエアルは間抜けな声を上げて、双眼鏡を見る。

 

 小型の艦艇はなかなか見つけられなかったが、程なく、海面に細い航跡を描いて向かってくる、小さな姿が見て取れた。

 

 MTBと呼ばれる、イギリス海軍が開発した高速魚雷艇だ。

 

 全長35メートル、全幅6メートル、43口径5.7センチ砲1門、20ミリ機関砲3門、45センチ魚雷発射管4門、爆雷投射機2基を備え、速力は33ノット発揮可能。

 

 海峡のような狭い海域では小回りの利く魚雷艇は、大型艦にとって潜水艦並みに脅威となる船である。

 

 しかし、

 

「よぉしッ」

 

 接近してくるMTBの姿に、エアルは小さく喝さいを上げた。

 

 敵は少数の魚雷艇で第1撃を加えて来た。

 

 それはすなわち、こちらの海峡突破を予想しきれず、充分な迎撃態勢を取る事が出来なかった為、慌てて手持ちの戦力を差し向け、第1艦隊を足止めしようと試みているのだ。

 

 つまり、

 

 このまま全速力で駆け抜ければ、本国に逃げ込める可能性は高い。

 

「一気に駆け抜けるぞ、ぬかるなよ、艦長」

「ええ、言われるまでもありません」

 

 背後から発せられた父の言葉に、エアルも力強く返すのだった。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 その日、ディラン・ケンブリッジは、少し遅めの朝食を摂っていた。

 

 昨晩、宴会で深酒し、更にはパーティに出席していた財界人の娘を部屋に連れ込んで情事に耽った事もあり、朝起きてからも暫くは倦怠感を感じ、起き上がる事が億劫だったのだ。

 

 その為、起き出して朝食を始めた時には、既に9時を回っていた。

 

 既に彼の指揮下にあるS部隊各艦は、早朝から補給作業に入っている。

 

 この後、1日かけて補給作業を行い、明日には出港、ドーバー海峡近海で待機してドイツ艦隊を待ち伏せする事になっていた。

 

 朝食のトーストを優雅に食べ終え、モーニンググティーに手を伸ばそうとした。

 

 取り巻きの1人が、駆け込んできたのは、その時だった。

 

「殿下!!」

 

 血相を変えて駆け込んできた取り巻きの姿に、ディランは顔をしかめる。

 

 今日の茶葉は、ディランが自分好みにブレンドさせた最高級の特注品だ。これを飲むのを、どれだけ楽しみにしていた事か。

 

「一大事です殿下ッ 実は」

「後にしろ。今は食事中だ」

 

 そう言って、そっぽを向くディラン。

 

 まったくもって、空気の読めない奴め。

 

 今は何よりも重要なティータイムだと言うのに、見て分からないのか。

 

 目の前の取り巻きをクビにする事を心に決め再度、カップを口に運ぼうとする。

 

「しかし殿下ッ!!」

「後で聞くッ 下がれ!!」

 

 叱責するディラン。

 

 尚も言い募ろうとする取り巻き。

 

 ドイツ艦隊がブレストから姿を消した情報は、すぐにでも司令官であるディランに伝えなくてはならない。

 

 だと言うのに、党のディラン本人がこの体たらくである。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「下がれと言っているだろうがッ とっとと失せろ、愚図!!」

 

 罵声を浴びせるディランに、ついに根負けした取り巻きは、すごすごと退散していく。

 

 その背中を、憎々し気に睨むディラン。

 

 そのまま、冷めて香りも味も落ちた紅茶を、無理やり喉に流し込むのだった。

 

 

 

 

 

 ところで、

 

 なぜ、ドイツ第1艦隊はイギリス海軍の裏を搔いて、昼間の海峡突破を決行したのか。

 

 それは、1日前の作戦会議の場にさかのぼる。

 

 参謀たちの殆どが、夜間海峡突破案に傾きかけている中、エアルは発言許可を得て立ち上がると、第一声で言った。

 

 だが、

 

 エアルが発した一言は、会議室の場に大きな波紋となって広がる事になる。

 

「俺は、ドーバー海峡を昼間に突破する方が良いと考えます」

 

 エアルのその言葉に、大半の幕僚たちが目を剥いた。

 

 いったい、何を言い出すのか?

 

 正気か?

 

 そんな声が聞こえて来るかのようだ。

 

「失礼ながら、アレイザー大佐のご意見には賛同しかねます。敵が待ち構えていると分かっている場所へ昼間に突撃するなど、無謀を通り越して、自殺志願としか思えません」

「そうです。ここは少しでも成功率を上げる為に、敵の目を晦ませられる可能性の高い、夜間突破を目指すべきです」

 

 確かに、幕僚たちの言う通り、この作戦の趣旨は艦隊の全戦力をいかに無傷で、本国へ辿り着かせるかにある。

 

 一見すると夜間突破の方が安全なようにも見えるのも頷ける。

 

 幕僚たちが、口々に反対意見を口にする。

 

 エアルの旗色は、明らかに悪かった。

 

「おにーさん・・・・・・」

 

 傍らのシャルンホルストも、心配そうに見つめて来る。

 

 どうやら彼女も、エアルを応援したいのは山々が、その考えには賛同しかねるようだ。

 

 まあ確かに、普通に考えれば正気を疑いたくもなるだろう。

 

 と、

 

「まあ、待て、みんな」

 

 言い募る幕僚たちを制したのは、参謀長のシュレスだった。

 

「大佐の否定するのは簡単だが、頭から無謀と決めつけてかかってしまえば、見える物も見えなくなる。まずはアレイザー大佐、お前が昼間の海峡突破を押す理由を聞こうじゃないか」

 

 そう言って、エアルを促すシュレス。

 

 エアルはシュレスに一礼すると、立ち上がって海図の前に進み出た。

 

「まず、皆さんが懸念する、イギリス軍による海峡待ち伏せですが、これに関して言えば、昼間でも夜間でもさほど変わらないと考えます。理由としては、敵には優秀な沿岸レーダーがあります。そうなれば、夜間だろうが昼間だろうが、敵は海峡を通過する我が艦隊を容易に察知できるでしょう」

 

 エアルの言葉に、参謀たちの一部は、罰が悪そうに嘆息する。

 

 イギリス軍のレーダーが優秀なのは、バトル・オブ・ブリテンで証明されている。あの時、猛威を振るったのは対空レーダーだったが、当然、沿岸部には海峡見張り用のレーダー基地が設置されているのは間違いない。

 

 今からそれを見つけて叩く、と言うのは現実的とは言えないだろう。

 

 となれば、どうあっても海峡通過中の艦隊は、敵から丸見えと言う事になる。

 

「しかし、それでも昼間の方がリスクが高い事には変わりないのでは?」

 

 尚も、参謀の1人が反論してくる。

 

「レーダーに関しては、アレイザー大佐のおっしゃる通りでしょう。しかし、昼間は、そこに目視による監視も加わります。それに、発見されれば、敵艦のみではなく、航空機による攻撃も懸念されます。海と空から挟撃されれば、ひとたまりもありません」

「確かにその通りです」

 

 参謀の主張を認めつつ、エアルは自分の意見を続ける。

 

 発見されれば、艦隊は空と海から波状攻撃に晒される事になる。

 

 しかし、その反論が来る事は、エアルは想定済みだった。

 

「けど、昼間なら、仮に発見されて攻撃を受けても、こちらもフランス沿岸基地に展開している空軍部隊の援護を受けられます。それに、『グラーフ・ツェッペリン』の航空隊も使用できます。防空戦闘を行いながら突破するのは、十分可能ではないでしょうか?」

 

 一同は考え込む。

 

 一見すると、無謀ともいえるエアルの案。

 

 しかし、

 

 誰もが「一理ある」と思い始めているのは確かだった。

 

「加えて」

 

 エアルはそこで、ダメ押しの一手に出る。

 

「海峡突破を昼間にするなら、逆算でブレストを出港する時間は夜間に設定できます。これはつまり、艦隊の出港時間を敵に悟られにくいことを意味しています。どちらにしても敵にバレるなら、こちらの行動はギリギリまで秘匿した方が、都合は良いかと」

 

 言い終えると、エアルは満足したように着席した。

 

 

 

 

 

 視界の先に、かすかに浮かぶ炎と煙、そして何かの残骸。

 

 それらは、彼等が存在した唯一の痕跡だった。

 

 襲撃してきたMTBは、外周を警戒する駆逐艦による砲撃を受け、魚雷射点に取り付く暇もなく撃退された。

 

 「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」「プリンツ・オイゲン」の3隻は、主砲はおろか機銃の1発も撃つ事は無かった。

 

 散発的な攻撃。

 

 これは、イギリス軍が、第1艦隊の海峡突破に対して、有効な阻止戦力を用意できずにいる事を意味している。

 

 「夜間に出港し、昼間に突破する」と言うエアルの作戦は、ひとまずは順調に推移している証拠だった。

 

 だが、無論、

 

「これで終わりじゃないよ」

「うん、分かってる」

 

 頷くシャルンホルスト。

 

 それに答えるように、低空を飛行して艦隊に向かってくる機影が見えた。

 

 複葉の攻撃機、ソードフィッシュだ。

 

「今度は流石に、何もしないと言うわけにはいかない、な」

 

 言いながら、右手を掲げるエアル。

 

 ソードフィッシュの数は、それほど多くはない。

 

 しかし、彼等は果敢にもドイツ艦隊を足止めすべく向かってくる。

 

 その様子を真っ向から見据えるエアル。

 

 そして、

 

「対空戦闘、撃ち方始め!!」

 

 振り上げた右腕を、鋭く振り下ろした。

 

 

 

 

 

第48話「三つ首の魔犬」      終わり

 

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