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その日、リオン・ライフォード英海軍大佐は、艦娘のベルファストを伴い、スカパ・フローにある本国艦隊司令部を訪れていた。
第3次ブレスト沖海戦の敗北により、ジャン・トーヴィ大将以下、司令部要員を根こそぎ失った本国艦隊は、長らく司令部不在のまま仮運用を余儀なくされていた。
しかし今日、ようやく新司令部が発足する事になった。
司令官に選ばれたのは、ボルス・フレイザー大将。
トーヴィ指揮下の本国艦隊では、第2戦艦戦隊の司令官を務めた、生粋の「鉄砲屋」である。
爵位持ちの貴族階級に属する人物だが、その実績は現場叩き上げであり、一般兵士や艦娘達からの人気も高い。
海軍上層部としては、将兵、艦娘問わず人気があるフレイザーを司令官に据える事で、凋落した威信の回復を図りたいのだろう。
とは言え、そこに皮肉めいた物を感じずにはいられなかった。
「無理もない、か」
「何が?」
リオンの呟きに、隣のベルファストが訝りながら反応する。
開戦以来、多くの戦いに参加してきたリオンからすれば、現状は決して楽観視できない物である事を理解していた。
「ドイツ艦隊は大西洋戦線を放棄して本国に逃げ込んだが、それは裏を返せば、奴等は戦力の集中が完了したと言う事だ。上層部からしたら、急いで態勢を立て直したい所だろう」
対してイギリス海軍は、相変わらず世界中の植民地警備の為に艦隊を分散させており、本国周辺は手薄に近い状態だった。
それらの状況を踏まえて、ドイツ海軍と戦っていかなければならないのだ。未だ戦力優位とは言え、予断は許されなかった。
「それで、ご指名になったのが、あの人って訳?」
ベルファストが指差した先には、整った海軍軍装を纏った壮年の男性が入ってくるのが見えた。
皆が一斉に立ち上がり敬礼する。
リオンとベルファストも習って敬礼する中、男は壇上に立って敬礼を返す。
一同を見回した後、男が腕を下ろしたのを見て、皆も敬礼を解いた。
「本日付で、本国艦隊司令官に就任した、ボルス・フレイザーだ」
厳かな声で告げられる着任の挨拶。
皆が聞き入る中、フレイザーは続ける。
「皆、知っての通り、現在、我々が置かれている状況は決して楽観が許される物ではない。この2年間で多くの艦艇を失った我が海軍は危機的状況にある。対して、ドイツ海軍が受けた損害は、我々に比べてはるかに少ない。昨年の戦いで『ビスマルク』を撃沈する事には成功したが、我が軍もまた、苦しい状況にある。更に言えば、フォーブス。トーヴィ、両司令官を初め、多くの有為な人材を失った事も大きい。我が海軍が戦力を立て直すには、残念ながら、今暫くは掛かると言わざるを得んだろう」
フレイザーの言葉に、誰もが嘆息するしかない。
開戦以来、海軍は弱小だと侮っていたドイツ艦隊相手に苦戦を続けている。
参加した殆どの海戦で負け続けている。
「ビスマルク」を撃沈した事は唯一の功績と言っても過言ではないが、その時ですら、長年、英海軍の象徴であり続けた「フッド」を失っている。
「世界第2位」「7つの海を支配する」「ヨーロッパ最強」。
戦前に謳われたイギリス海軍の栄光は、今や多くの人材と共に深く暗い水底へと沈んでしまっていた。
しかもドイツ海軍は既に、ビスマルク級の2番艦「ティルピッツ」が完成している情報をイギリス軍は掴んでいる。
ビスマルク級戦艦には、最新鋭戦艦のキングジョージ5世級戦艦ですら、1対1ではかなわない事が証明されている。
加えてシャルンホルスト級巡洋戦艦を初めとする歴戦の艦隊が加わる事になる。
ドイツ海軍が、これまで以上の脅威になる事は明白だった。
それらに対する策を講じない限り、今後もイギリス海軍は無様な敗戦を重ねる事になりかねなかった。
「その為の対応策として、この者が・・・・・・・・・・・・」
言いながら、視線を巡らせるフレイザー。
「この者が・・・・・・・・・・・・」
視線を巡らせる。
「この、者・・・・・・・・・・・・」
巡らせる。
「・・・・・・・・・・・・えっと」
決まずい沈黙。
フレイザーは耳打ちするように、傍らの参謀へ振り返った。
「おい、参謀長はどうした?」
「はあ、そう言えば、先ほどから姿が見えておりませんでした」
ヒソヒソとした囁き声。
おいおい、
大丈夫か、この司令部?
皆が不安に思う中、廊下をバタバタと走る音が聞こえて来た。
扉を開いては言ってきたのは、30台中盤程のやせ型の男。
柔和な顔つきで、よく言えば優しげだが、逆に言えば緊張感を感じない。
とは言え、纏った軍服の胸には少将の階級章がある。どうやら、軍人である事は間違いないらしい。
「いやー 申し訳ないです。つい色々と調べ物をしていたら遅くなってしまいました。やはり本国は良いですな。欲しい資料がすぐに手に入る。外地じゃ流石にこうはいかない」
これまた、気の抜けるような事を言う。
「おい、挨拶くらいしろ」
「あ、すんません提督」
嘆息気味のフレイザーに促され、男はヘコヘコと頭を下げながら、一同に向き直った。
「ああ、どもどもー。この度、えー、本国艦隊? の参謀長になった、クロード・グレイス少将です。まあ、何とかよろしく」
何が「よろしく」なのか。
一同が呆気に取られる。
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
ほんとに大丈夫か、この司令部?
「ちょっと、何あれ?」
ベルファストもあんぐりと口を開けている。
そんな中、
「まさか・・・・・・・・・・・・」
「何よリオン、どうかしたの?」
怪訝な眼差しを向けるベルファストに対し、リオンは驚きの表情を隠せないままクロードに目を向けている。
「あ、兄上?」
その言葉に反応したのだろう。
クロードは、リオンに視線を向けると微かに笑みを向けて来た。
会議も終わり、各人が各々の持ち場へと戻っていく。
ともかくイギリス海軍が取るべき戦略としては、一言で言えば「現状維持」であった。
ドイツ軍の戦力は、少数とは言え未だ強力であり、下手に仕掛ければ却ってこちらが損害を被る可能性もある。
それよりも今は時間を稼ぎ、戦力の再建を待つのだ。
現在、キングジョージ5世級戦艦の4、5番艦が既に完熟訓練に入っているし、イラストリアス級航空母艦も3隻全てが就役している。
巡洋艦もフィジー級、ダイドー級の強力な艦が次々と就役している。
更にはキングジョージ5世級戦艦や、イラストリアス級航空母艦の拡大発展型、戦時急増の軽空母の建造も急がれている。
戦争前半で多くの戦力を失ったイギリス海軍だが、既に失った分を補い、新たな体制が築かれつつある。
今無理をせずとも、いずれはドイツ海軍を圧倒できるのは間違いなかった。
「いやー 驚かせちゃったね」
会議も終わり、艦に戻ろうとするリオンとベルファスト。
それを引き留めたのは、参謀長のクロードだった。
2人に紅茶を振舞いながら、緊張感のない笑いを見せるクロード。
一方で、毒気を抜かれたように座る2人。
ややあって、ベルファストが口を開く。
「何か、すごい拍子抜けなんだけど?」
ひそひそと、傍らのリオンに話しかける。
「あんたの兄貴だっていうから、もっと、こう・・・・・・威張り腐ってる感じを想像してたんだけど」
「うちの家系を何だと思ってるんだ?」
ベルファストの発言に対し、リオンは呆れ気味に返す。
まあ、ディランと言う「好例」がある以上、ベルファストの感想は無理からぬものがあるのだが。
割と終わっている感がある英国王室。
世も末である。
まあ、実のところ、リオンはこのクロードと言う兄について、それほど詳しく知っているわけではない。
会ったのは宮中での晩さん会に呼ばれた時程度だし、その時ですら、軽く挨拶をする程度の関係だった。
「それで、兄上」
リオンはクロードに向き直り尋ねる。
ここに自分達を呼んだ理由。
リオンとベルファスト。
2人だけを呼んだ理由が、何かあると思ったのだ。
「ドイツ海軍が集結を完了した今、奴等は遠からず打って出て来るだろう」
自身も紅茶を飲みながら、クロードが語り始める。
「けど、さっきの会議でも言った通り、今のイギリス海軍では、彼等への対抗は難しい。艦の数では勝っているけど、戦術面ではドイツ海軍に水をあけられているのが現状だ」
これまでの多くの戦いにおいて、イギリス海軍はドイツ海軍に対して優勢な戦力を持ちながらも、彼等の巧みな戦術の前に敗北を喫してきた。
このまま戦っても、最終的にはイギリス軍が勝つかもしれない。
しかし、その間に多大な犠牲を必要となるであろう事は想像できた。
「だからこそ、ドイツ軍の戦術を研究し、それに対抗するための戦術を確立する必要がある。2人には、今までの戦いの経験を活かし、その手助けをしてもらいたいのさ」
「俺達が、ですか?」
言ってから、ベルファストと顔を見合わせるリオン。
クロードがなぜ、このような事を言ってきたのか、俄かには首肯しかねていた。
正直、戦略、戦術を考えるのは司令部参謀や軍令部の専属部署の者が行う物だ。少なくとも前線指揮官のリオン達がやる事ではない。
「あたしたちも忙しいんですけど?」
ベルファストが、やや口をとがらせて告げる。
これについては、リオンも同じ意見である。
ただでさえ仕事量は多いのだ。これ以上増やさないでもらいたいものである。
そんな2人に対して、クロードが笑いながら告げる。
「処遇の改善については、私からフレイザー提督へ話しておくよ」
言ってから、一転して真剣なまなざしを作る。
「我々が、最終的にドイツ海軍を打ち破り、この戦争に勝利する為には従来のやり方ではだめだ。もっと新しく、効果的な戦術が必要になる。その確率の為には、最前線で戦ってきた君たちの意見がどうしても必要なんだ。頼む、どうか協力してほしい」
そう言って、頭を下げるクロード。
慌てたのはリオンである。
「そんな、兄上、何を・・・・・・」
「こうしている今も、最前線の輸送路では、輸送船の乗組員がUボートや水上艦の襲撃におびえている。彼等を安心させ、ひいては前線に多くの物資を確実に届けるシステムが、どうしても必要なんだ」
リオンの言葉を遮って、自分の考えを述べるクロード。
「輸送船の乗組員」とクロードは言った。
これまでの兄たちなら、ディランを初め、そんな事は一切言わなかった。大概のところ「ドイツ艦隊を打ち破る為」とか言いそうなところである。
しかしクロードは、輸送船を守る為、と言った。
海軍の役割の最たる物は、輸送船を守り、そして相手の輸送を阻止する事である。
自分達の物資を確実に届け、逆に相手の物資輸送を阻止する事。
当たり前の事だが、そんな事も理解していない海軍軍人は多数存在している。
艦隊決戦を行い、華々しく敵艦を沈めて武功を上げる事こそ本懐。
そのような考えの軍人が多い中、クロードは輸送船の守護を第一方針に掲げた。
それだけでも、これまでの指揮官とは違う事が分かる。
確かに、今後もドイツ艦隊は前線輸送を行う船団を狙い撃ちにしてくるだろう。
となれば、敵の通称破壊部隊から船団を守るシステムの構築は急務となる。
「判りました」
頷くリオン。
ベルファストもまた、同じ想いで笑顔を浮かべている。
「ぜひ、協力させてください」
「そうか、やってくれるかッ」
笑顔を浮かべて、2人の手を取るクロード。
能天気と言うか、無邪気と言うか、
ある種の純粋さを感じさせる瞳は、とても軍人とは思えない。
しかしどこか憎めない、しいて言うなら愛嬌を思わせる雰囲気を感じさせるのだった。
2
ウォルフ・アレイザーの多忙さは、日を追う毎に増加している感さえある。
机の上には書類が山脈の如く詰まれ、手は常に紙面の上でペンを持ち踊っている。
執務室には耐えず人が出入りし、決裁が必要な書類を持参してくる。
それらに素早く目を通し、OKならサインをして決済に回し、不備があれば指摘してやり直させる。
ヒトラーから裁可された「アレイザー・プランⅡ」。
その実施に必要な物資の調達、現地への輸送、必要な人員と機材の確保、更には拠点確保後に送り込む兵力の選別。
時間はいくらあっても足りないと言うのに、やるべきことはいくらでもあった。
間も無く、東部方面軍が大規模な作戦を発動すると言う情報は、既にウォルフの下にも入ってきている。
詳細は不明だが、成功すればソ連軍の補給能力を著しく低下させる事が出来るのだとか。
できれば、その作戦に呼応したい所である。
陸軍がソ連国内の補給路を押さえ、海軍が海路の補給線を断つ。
そうなれば、ソ連と言う巨人は動脈硬化を引き起こしたにも等しく、物資の調達もままならなくなるだろう。
とは言え、北ノルウェーの要塞化構想は、まだ動き出したばかり。
夏季攻勢を予定している陸軍のスケジュールに間に合わせる事は難しい。
よって、さしあたりウォルフに求められるのは、陸軍の作戦後に、海上交通路を遮断し、ソ連を完全に干上がらせる事だった。
「こちらの書類、全て上がったぞ。あとでチェックを頼む」
そう言って、ウォルフの前に書類の束を置いたのは、先ごろまで第1艦隊参謀長としてウォルフの補佐に当たっていたシュレスビッヒ・ホルシュタインだった。
第1艦隊の解隊に伴い、司令部も解散。
本来ならシュレスも自分の艦体に戻る所である。
しかし、戻ったところで、旧式戦艦の「シュレスビッヒ・ホルシュタイン」に出番はなく、ただ港につながれて無聊を囲う日々があるのみ。
それならいっそ、多忙のウォルフを手伝おうと言って押しかけて来たわけである。
作業もひと段落した頃、ウォルフは手を休めてポットからコーヒーを淹れると、カップの一つをシュレスに渡す。
「一息入れよう」
「ああ、すまんな」
カップを受け取り、口に運ぶシュレス。
香ばしい香りと味を楽しみつつ、視線をウォルフへと向ける。
「しかし、北ノルウェーに艦隊を配置したとして、それで本当にソ連軍の補給線を断てるのか? ノルウェーはただでさえ北極海に面しているから寒波が凄まじいと聞く。部隊の稼働率が低下するのは避けられんと思うが?」
「無論、対策は十分に行う。我が軍は既に、多くの犠牲の上に貴重なデータを得ているしな」
そう言うと、ウォルフもコーヒーを口に運ぶ。
今回、アレイザー・プランⅡ実施に当たって、ウォルフが取得したデータの中には、失敗に終わったバルバロッサ作戦の資料も含まれている。
中盤まで優勢に戦局を進めていた陸軍が敗れたのは、作戦の遅延以外にもロシアの厳しい冬の気候に、ドイツ軍の防寒対策が追い付かなかった事が大きく影響している。
その為、ウォルフは防寒対策の徹底を命じている。
断じて、バルバロッサ作戦の二の舞にはさせないつもりだった。
「投入する戦力の中には当然、お前自身も含まれているのだろう?」
「言うまでも無い」
事も無げに、ウォルフは告げる。
仲間を質に送るような計画を立てておいて、自分は後方でぬくぬくとしている。
そんな真似は、ウォルフにはできないし、元よりするつもりも無かった。
「そう言えば・・・・・・・・・・・・」
ふと、思い出したようにシュレスは話題を変えた。
「あの2人は、そろそろ着いた頃か?」
「ああ、そう言えばそうだな」
時計を見ながら、ウォルフはそっけない感じに頷きを返した。
その脳裏には、2人の人物が思い浮かべられていた。
1人は自身の長男であるエアル。
そしてもう1人は、エアルと行動を共にしているであろう少女、シャルンホルストだった。
「お前でも気になるか、あの2人の事が?」
「・・・・・・・・・・・・さあな」
からかい交じりのシュレスの言葉に、ウォルフは嘆息しながら視線を逸らす。
その横顔からは、本当に気にしていないのか、あるいは気にしていないふりをしているのか、伺い知ることは出来ない。
しかし、
エアルとシャルンホルスト。
人間と艦娘が結ばれる事は、珍しくも無い。
ともに戦ううちに、互いを意識し合うようになるのはよくある事なのだが。
「・・・・・・因果は巡る、というのかね、これも?」
ウォルフの方を見ながら、そっと呟く。
人間と艦娘。
かつて愛し合い、結ばれた2人を知っているシュレスは、感慨深いものを感じずにはいられないのだった。
3
静寂の中に、柔らかく風が吹く。
周囲に物音は無く、人の気配もない。
ただ、風に揺らされた木々の、歯がこすれる音だけが、唯一のBGMだった。
墓の前に立つエアルとシャルンホルスト。
少女は持ってきた花束を、墓石へと備える。
その傍らで、青年艦長が膝を突く。
「久しぶり、母さん」
エアルは優しげに言いながら、そっと墓石に手を伸ばす。
「最近、忙しくて来れなかったんだ、ごめんね」
『テア・アレイザー』
エアルの母、テアの墓である。
ツェルベルス作戦から数日。
エアルはシャルンホルストを伴って、母の墓へとやってきていた。
時期ではない事もあり、墓地には2人以外の姿はなく、場所の空気も相まって厳かな雰囲気がある。
しばし、この場に眠る者への祈りを捧げる2人。
「ねえ、おにーさん」
ややあって、顔を上げたシャルンホルストが尋ねる。
「おにーさんのお母さんって、その、沈んじゃったんだよね?」
「そうだよ」
言いづらそうに尋ねるシャルンホルスト。
対して、エアルは微笑みながら頷きを返す。
気を使ってくれる少女の優しさに、自然と笑みがこぼれた。
「じゃあ、この下には何も入って無いの?」
「いや、母さんが生前に使っていた持ち物とかが、代わりに埋めてあるんだ」
そう言うと、エアルはそっと墓石に手を置く。
「それに、思い出もね」
「思い出?」
「そう、亡くなった人への想いとか、そういう物も、この下には埋められている。俺は、そう思っているんだ」
亡くなった人への想い。
エアルは母、テアの事を想って祈りを捧げる。
ならば、
この戦いで失われた多くの命。
そして、
ビスマルク。
あの子の為に祈る事も、決して悪い事ではない筈。
そう思い、シャルンホルストはもう一度手を合わせ、静かに目を閉じるのだった。
と、
「どうやら、一雨来そうだね」
空を見上げていたエアルが呟く。
言われてみれば確かに、空には黒々とした雲が広がり、空気には湿り気が帯びてきている。
もう数分で本降りになる。
長く戦場にいるせいか、そう言う細かい状況の変化が分かるようになっていた。
「教会の建物まで行って雨宿りしよう。走れる?」
「うん、大丈夫」
今日、シャルンホルストはそこそこ体調が良い。少し走るくらいなら問題は無かった。
「よし、なら行こうッ」
「あッ」
シャルンホルストが何か言う前に、彼女の手を取るエアル。
2人はそのまま、立ち込める黒雲の下を駆け出した。
結論から言えば、
残念な事に、雨は2人が教会に飛び込む前に振りだしてしまった。
雨はたちまち土砂降りになり、2人は頭からずぶ濡れになる。
「シャル、もうちょっとだから!!」
「う、うんッ!!」
まるで砲戦で至近弾を受けた時のような水量だ。
2人が教会の中に入り、扉を閉めた時には、完全に濡れネズミと化していた。
「うわァ もうひどい目に遭っちゃったよ」
「よく拭いてかわかして。風邪をひくといけないから」
協会からタオルを借りたエアルが、シャルンホルストの頭へと掛けてやる。
体の弱いシャルンホルストは、こんな事でも体調を崩しかねなかった。
幸い、教会の方でも2人を快く受け入れ、雨が止むまでいて良いと言ってくれたので、お言葉に甘える事にした。
体と髪を良く拭いて、借りた毛布にくるまると暖炉の前で身を寄せる。
それだけで、身も心も温まるようだった。
牧師が淹れてくれたココアを揃って飲みながら、2人はどちらからともなく身を寄せ合い、静かに燃える炎を並んで見つめる。
「ねえ、シャル」
「なに?」
ややあって語り掛けて来たエアルに、振り返るシャルンホルスト。
視線が合い、2人は互いに見つめ合う。
どれくらいそうしていただろう?
シャルンホルストはただ黙って、エアルが語り出すのを待つ。
「本当はさ、今、俺の異動話が出ているんだ」
「・・・・・・・・・・・・うん」
それは、シャルンホルストも聞いている。
巡戦の艦長は激務だ。それをエアルは3年近くにわたって務め、その間に多大な戦果を挙げている。
海軍上層部としては、そろそろエアルに新しいポストを宛がいたいと思う頃合いだろう。
エアルが艦を降りる。
その事実にシャルンホルストは、内心では少なからず衝撃を受けている。」
開戦からここまで、共に戦ってくれたエアル。
その存在は単に艦長と艦娘以上に、彼女の心の中で大きくなっていた。
エアルがいなくなる。
自分の前から去ってしまう。
その事実に、言いようのない寂寥感が、少女の心の中で渦巻いていた。
しかし、
それでも送り出さなければならない。
エアルは男であると同時に、ドイツ海軍の軍人である。シャルンホルストの我儘で、引き留めて良い筈がない。
「おにーさん、ボクは大丈夫・・・・・・・」
「けど、断る事にした」
言いかけたシャルンホルストを遮るように、エアルはさばさばとした口調で言った。
「え?」
驚くシャルンホルスト。
対して、エアルは優しく笑いかける。
「何で?」
「これから、厳しい戦いが続く事になると思う。イギリス軍は多分、総力を挙げて俺達を潰しにかかってくるだろうしね。だからこそ、あいつらとの戦い方を知っている人間は前線にいるべきなんだ」
今、海軍では大規模な戦力強化計画が行われている。
父も何やら噛んでいるらしいその計画には、シャルンホルスト級巡洋戦艦の2隻も含まれている。
より強大化するイギリス海軍に対抗する為に、ドイツ海軍も強化を急いでいる段階だった。
だからこそ、自分は前線にいるべきだと、エアルは思っていた。
前線でこそ、自分の能力を活かせると。
だが、
「あの、それだけ?」
上目遣いに尋ねるシャルンホルスト。
それだけなのか?
エアルが前線に留まるのは、本当に戦うためだけなのか?
どこか、すがるような瞳。
対して、
「・・・・・・・・・・・・君を、1人にしたくなかった」
そっと、
囁くようにエアルは告げる。
「君と、一緒にいたい。だからこそ、俺は残る道を選ぶことにしたんだ」
「おにーさん・・・・・・・・・・・・」
潤んだ瞳を、エアルに向けるシャルンホルスト。
見つめ返すエアル。
シャルンホルストは、エアルの事が好き。
それはもう、ずっと前から自覚していた事。
そして、
それはエアルもまた、同じ想いであった。
暖炉の炎が、2人の横顔を明るく照らし出す。
やがて、
2人は目を閉じると、お互いに唇を重ね合わせるのだった。
第52話「因果繰り返す決意」 終わり
今回はめちゃくちゃ苦戦しましたね。
何と、書いた物に納得いかず、4回も書き直す羽目になってしまった(汗