蒼海のRequiem外伝 ~北天の流星~   作:ファルクラム

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第54話「1942年と言う時代」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 転換点。

 

 1942年と言う年を、一言で表すならば、まさにそれだろう。

 

 圧倒的な勢力でヨーロッパからロシア、更には中東、北アフリカと席巻したドイツ軍。

 

 その勢力は拡大を続け、いずれは世界の全てを戦火に覆うかと思われた。

 

 しかし、ソ連の燃料供給遮断を狙ったスターリングラード攻略の失敗。

 

 それも、1個軍団がまるまる消滅するほどの大敗を受け、その勢力は確実に後退を余儀なくされる事になる。

 

 前年のバルバロッサ作戦失敗と合わせると、ドイツ東部方面軍はほぼ半壊に近い損害を受けたと言っても過言ではなかった。

 

 しかし、損害と言う意味ではソ連軍も深刻だった。

 

 彼等はスターリングラードで170万人にも上る死傷者を出し、半ば壊滅に近い状態になっている。

 

 やはり弱体化しているとはいえ、ドイツ軍の猛攻を凌ぐのは並大抵ではなかったのだ。

 

 ソ連軍が残った部隊をまとめて再編成し、攻勢を仕掛けるにはまだしばらく時間が掛かる事になる。

 

 一方、北アフリカの戦況も、大きな動きを見せていた。

 

 アルフォンス・ロンメルの卓抜した指揮により、連合軍の攻勢を押し返し、要塞都市トブルクを陥落させた枢軸軍。

 

 このまま一気に攻勢を仕掛け、イギリス軍最後の要衝であるエル・アライメンを攻め落とすかに思われた。

 

 だが、ここに来て予想外の事が起こり、枢軸軍の動きが大幅に鈍る事になる。

 

 枢軸軍を指揮するロンメルが、急病により戦線離脱を余儀なくされたのだ。

 

 元々、ロンメルが置かれた状況は過酷だった。

 

 熾烈な砂漠の環境に、優勢な敵軍に劣勢な味方、頼りにならない同盟軍、中にはあからさまなサボタージュを働く者までいる。

 

 それら全てを纏め上げ、枢軸軍が戦線をどうにか維持できていたのは全て、ロンメルと言う名将の存在があったからこそである。

 

 そのロンメルが病に倒れ、一時的にドイツ本国に帰還せざるを得なくなった。

 

 当然、ロンメルは出発前に、副将に対し各種の指示を出し、自分が戻るまで守りを固め、決して無理をしないように伝えてから機上の人となった。

 

 だが、しかし、

 

 このロンメルの戦線離脱を、イギリス軍に察知されてしまった。

 

 そして、

 

 この千載一遇のチャンスを、逃すイギリス軍ではなかった。

 

 ロンメルさえいなければ、北アフリカの枢軸軍は烏合の衆に過ぎない。

 

 イギリス軍を指揮するガナード・モントゴメリ将軍は、トブルク攻防戦で敗走した味方を急ピッチで纏め上げると、敢えて攻勢に転じた。

 

 第3次ブレスト沖海戦において大規模輸送船団が壊滅し、一時的に補給不足に陥ったイギリス軍だったが、その後、ツェルベルス作戦によりドイツ第1艦隊が本国へ撤退した事で補給線が限定的ながら復活し、そこから可能な限りの物資や戦力が、イギリス軍の最重要拠点であるエル・アライメンに送り込まれた。

 

 一方の枢軸軍の補給線はマルタ島に展開したイギリス地中海艦隊によって阻まれ、逆に物資不足に陥りつつあった。

 

 頼みとしたイタリア艦隊は、タラント空襲以後、主力艦の損傷を恐れて内海に引きこもっている状態で頼りにならず、また、動きたくても燃料不足で殆ど身動きが取れない状態となっていた。

 

 Uボート艦隊は大西洋や地中海に広く展開し、少なくない数の敵輸送船を沈めたが、主力艦隊の援護が期待できない状況では、所詮は焼け石に水。イギリス軍の通商路を完全に遮断するには至らなかった。

 

 こうして、どうにか態勢を立て直した連合軍は、枢軸軍に対して一斉攻撃を仕掛けた。

 

 この連合軍の突然の攻勢に、ロンメル不在の枢軸軍は浮足立ち、完全に後手に回ってしまった。

 

 ロンメルの指示通り、守りを固めて防戦に徹する枢軸軍だったが、モントゴメリに率いられた連合軍は、徐々に戦線を押し上げて圧力を増していく。

 

 事態を知ったロンメルは、療養もそこそこに戦線へと舞い戻るが、その時にはすでに、手が付けられないまでに戦況は悪化していた。

 

 防衛ライン構成として敷設した地雷原は突破され、前線は連合軍から直接攻撃を受けている状態だった。

 

 連合軍は兵力15万、戦車1200両、航空機1500機をもって攻撃を仕掛けて来た。

 

 対する枢軸軍は、兵力10万、戦車500両、航空機450機でしかない。

 

 事態を把握したロンメルは、一目で戦線維持は困難と判断。

 

 ヒトラーに対してトブルクの放棄と、戦線の後退許可を求めた。

 

 エル・アライメンをめぐる戦いで、枢軸軍は3万もの兵力を失っている。すぐにでも撤退しないと全滅も有り得る。

 

 ここに留まって戦っても勝てないのは明白。

 

 それよりも後方に下がり、残存戦力を纏めた上で守りを固め、敵の息切れを待った方が得策と考えたのだ。

 

 程なくして「狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)」から、回答があった。

 

 「撤退は許可せず。現在地を死守し、不退転の決意で戦うべし」

 

 またしても、である。

 

 バルバロッサ作戦やスターリングラード攻防戦で発揮された(尚、この時点でスターリングラードの戦いは継続中)、ヒトラーの無意味な現地死守命令は、ここでも発揮されたのだ。

 

 しかし、最早どうする事もできない。

 

 ヒトラーがいくら安全な後方から、非現実的な「現地死守」を叫ぼうが、無理な物は無理なのだ。

 

 ヒトラーの指示を待たず、独断で撤退を開始するロンメル。

 

 しかし、事態は更なる急展開を迎える。

 

 1942年11月8日。

 

 連合軍による「トーチ作戦」発動。

 

 突如、ドナルド・アイゼンハワー将軍率いるアメリカ軍が、リビア後方のアルジェリアに上陸。これにより、エジプトの連合軍と合わせて枢軸軍を東西から挟撃する態勢が整えられた。

 

 ロンメルはよく戦い防戦したが、既に彼我の戦力差は10倍以上となり、いかに戦おうが戦線の維持は不可能となっていた。

 

 後退を重ねる枢軸軍。

 

 又、ロンメルは撤退戦でも優れた手腕を見せ、一時は連合軍の追撃を大きく引き離した事もあった。

 

 相変わらず、ヒトラーからは実情を無視した現地死守命令が飛んでくるが、そんな物に聞く耳を持っている暇すら無かった。

 

 ともかく、生き残っている戦力だけでもどうにか死守する。

 

 その想いだけが、ロンメルを支えていた。

 

 しかし、

 

 ここに来てイタリア軍上層部は、ロンメルへの誹謗中傷を始める。

 

 曰く「ロンメルはろくに戦いもせず、敵が来たら逃げ回り、イタリアの植民地を勝手に放棄している」との事。

 

 崩壊寸前だった戦線をロンメルによって救われ、今日までロンメルに戦線を支えてもらい、挙句に散々ロンメルの足を引っ張っておきながら、大した面の皮である。

 

 しかし、

 

 何と、この批判をヒトラーが政治的理由から受け入れてしまった。

 

 ヒトラーはロンメルのアフリカ方面軍司令官解任と、後任の司令官任命を行ってしまったのだ。

 

 ロンメルは抗議と実情報告の為、「狼の巣」へと飛んだが、そのまま戦線復帰は認められず、却ってベルリンでの療養を命じられた。

 

 こうして「砂漠の狐」ロンメルは、苦楽を共にした部下を置いて去る事を強要された。

 

 そして、

 

 ロンメルを失った枢軸軍は、あまりにも脆かった。

 

 東西から一斉に行われた総攻撃の前に、成す術もなく壊滅する枢軸軍。

 

 わずかに生き残った部隊は、地中海を渡ってイタリアに逃れる事が出来たが、大半の部隊は連合軍の物量に飲み込まれ、次々と全滅していった。

 

 こうして、北アフリカ戦線は、枢軸軍の大敗で幕を閉じた。

 

 以後、連合軍は北アフリカを橋頭保とし、イタリア本土への直接攻撃を視野に入れて、戦線を再構築して行く事になる。

 

 対して、ロンメルの支援すらろくに行う事が出来なかったイタリアには、これに対抗する有効な手段など、あるはずもなかった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 欧州戦線が激動を迎える中、太平洋でも大きな動きが見られた。

 

 真珠湾攻撃によってアメリカ太平洋艦隊を撃破し、更にマレー沖海戦の勝利によって、西太平洋の制海権を完全に手中にした日本軍は、勢いを駆ってフィリピン、グァムを攻略、更には東南アジアの資源地帯を占領し、長期自給体制の確立に成功した。

 

 更に2月にはインド洋へと侵攻し、イギリス軍の各拠点を壊滅させると同時に、イギリス東洋艦隊主力にも大打撃を与えた。

 

 勢いに乗る日本海軍は、いよいよアメリカ太平洋艦隊と雌雄を決するべく、中部太平洋侵攻を開始する。

 

 主力空母4隻、更に完成した最新鋭戦艦「大和」を含む、総勢150隻の大艦隊が、ハワイの西、ミッドウェー島攻略を目指し東進する。

 

 しかし、この作戦は、日本海軍の暗号解読に成功したアメリカ軍によって事前に察知され、空母3隻を主力とする艦隊に待ち伏せされていた。

 

 アメリカ海軍に奇襲を受けた日本海軍は、空母3隻を喪失。洋上航空兵力が半減すると同時に、中部太平洋攻勢は完全に頓挫した。

 

 ミッドウェーの敗北によって開戦初期の勢いを失った日本軍は、戦略の転換を余儀なくされる。

 

 それまでの短期決戦思想を捨て、長期戦略に切り替えるべく、進路を南へと向けた。

 

 連合軍の切り崩しを図るべく、米豪遮断作戦を発動。

 

 南洋諸島を占領する事でオーストラリアを孤立に追い込み、間接的に連合軍の弱体化を図ったのだ。

 

 第1次ソロモン開戦において、米輸送船団の撃滅に成功した日本海軍は、最重要拠点であるガダルカナル島を含む、ソロモン諸島全域の制海権確保に成功。

 

 更に、ガダルカナル島再奪取を目指して進撃してきた米艦隊を、第2次ソロモン海戦において撃退し、ソロモン周辺の完全制圧に成功した。

 

 こうして、南太平洋における優位を確立した日本軍は、更に南へと侵攻すべく、戦力を集結させる。

 

 目指すはニューヘブリディーズ諸島のエスピリトゥサント島。

 

 同地を攻略し、更に南への進軍を目指す。

 

 空母8隻、戦艦8隻を主力とする艦隊は、日本海軍最大の拠点であるトラック環礁へ集結、南へと進路を向ける。

 

 しかし、既に日本軍の目的を察知していたアメリカ軍は、南太平洋に強固な防衛ラインを形成して待ち構えていた。

 

 空母3隻、戦艦5隻を中心とした艦隊に加え、1000機近い航空戦力で鉄壁の守りを固めるアメリカ軍。

 

 世にいう「南太平洋海戦」である。

 

 日本海軍は激しい攻撃を仕掛け、アメリカ軍の空母2隻、戦艦4隻を撃沈するも、ついには防衛線を突破する事は叶わず、大損害を受けて後退。米豪遮断作戦は失敗した。

 

 事ここに至り、形勢不利を悟った日本軍は、ソロモン諸島の放棄と全軍の撤退を決断。

 

 追撃してきたアメリカ海軍との間に生起した第3次ソロモン海戦に辛うじて勝利したものの、戦略目標の米豪遮断は成らず、更には占領地を全て捨てざるを得ない状況は、まさしく大敗と言って差し支えなかった。

 

 「スターリングラード攻防戦」「エル・アライメン会戦」「ミッドウェー海戦」「南太平洋海戦」。

 

 これらの戦いは特に、第2次世界大戦における転換点になったと言われる。

 

 それまで優勢だった枢軸軍の攻勢が頓挫し、ついには押し返された戦い。

 

 これだけ重要な戦いが、僅か1年の間に起こったのだ。

 

 1942年と言う年が、いかに重大な年であったか分かると言う物だった。

 

 そして、

 

 その1942年最後となる戦いが、北の海で始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 波濤を切り裂き、艦隊は進撃する。

 

 そのマストには、誇らしげに鉄十字を靡かせて。

 

 重巡洋艦1隻、装甲艦2隻、駆逐艦5隻から成るドイツ海軍第2艦隊は、キール軍港を進発すると、ノルウェーを経由して北を目指した。

 

 指揮官は、ライカー・クメッツ大将。

 

 目指すはノルウェー北部のバレンツ海。

 

 第2艦隊の作戦目的は北海航路を通ってソ連領コラ湾を目指す、輸送船団の攻撃である。

 

 独ソ戦が激化する中、イギリスからソ連領へ向かう輸送船団の頻度も日増しに上がってきている。

 

 海軍としてはこれまで、Uボートによる通商破壊戦をメインに戦ってきたが、今後は水上艦艇も投入した、大規模な作戦を検討中だった。

 

 今回の出撃も、その一環だった。

 

「駆逐艦『エックボルト』より入電。《本艦ヨリ11時方向ニ敵輸送船団ト思シキ艦影ヲ確認。尚、敵ハ巡洋艦複数ヲ含ム》!!」

「やはり、護衛がいたか」

 

 報告を受けたクメッツ提督は、舌打ち交じりに呟きを漏らす。

 

 今回の襲撃作戦、敵は最低限の護衛の身でソ連領を目指すとの事前情報を得た為、ドイツ側は襲撃を決意した、と言う背景があった。

 

 第2艦隊の戦力は、必ずしも万全とは言い難い。

 

 今回は急な出撃であった為、Uボート艦隊の援護も無い。その為、ドイツ側としては、なるべく損害を抑えたい、と言う意図がある。

 

 一応、装甲艦の「ドイッチュラント」と「アドミラル・シェア」が加わっている。巡洋艦相手なら、火力には申し分ないが、それでも数において聊かの心もとなさは感じずにはいられなかった。

 

 一応、支援戦力となる部隊が後方から追随してきてはいるが、その合流を待っていたら輸送船団を取り逃がす恐れがある。

 

 以上の判断から、クメッツは現有戦力のみでの輸送船団襲撃を決断したのである。

 

「敵艦隊更に接近ッ 輸送船団の前面に展開します!!」

 

 自分達を盾にして、その間に輸送船を離脱させる腹だろう。

 

 わが身を犠牲にしても、守るべき物を守り通す。

 

 さすがはイギリス海軍と言うべきか、その姿勢には尊敬の念すら抱く。

 

 だが、

 

 強敵に対する賛辞は別にして、クメッツたちは彼等を突破し、背後にいる敵輸送船団を撃滅する事が求められる。

 

「合戦準備!! 砲雷同時戦用意!!」

 

 大音声が響く。

 

 同時に、

 

 ドイツ艦隊各艦は、一斉に速力を上げて突撃を開始した。

 

 

 

 

 

第54話「1942年と言う時代」      終わり

 




「蒼海のRequiem」本編解説

〇 ミッドウェー海戦
史実では4空母が撃沈された戦いでしたが、「蒼レク」では「蒼龍」が生き残り、以後も活躍しています。

〇 第1次ソロモン海戦
日本海軍が、第8艦隊の支援戦力として第11戦隊(姫神型巡戦2隻と「島風」)を投入した事で、連合軍艦隊と輸送船団双方を撃滅。ソロモン諸島全域の支配に成功する。

〇 第2次ソロモン海戦
米軍がガダルカナル島再奪取の為に艦隊を派遣、日本海軍も迎撃の為に機動部隊をソロモン諸島に派遣する。しかし日本海軍は連携不足、米海軍は情報不足から互いに決定打は奪えず、最終的に戦艦1、空母1を失った米軍が撤退する形で幕を閉じた。

〇 南太平洋海戦
ソロモン諸島を実効支配した日本軍が、本格的に米豪遮断を行うべくニューヘブリディーズ諸島に侵攻したが、米軍はこれを予期して迎撃のための艦隊を展開する。日本海軍は過去最大規模の航空戦力を繰り出すが米軍の迎撃網を突破できず、更に後方拠点のラバウルが急襲を受けた事で戦線維持は困難と判断され、日本艦隊は撤退。米豪遮断作戦は中止となった。

〇 第3次ソロモン海戦
ソロモン諸島早期撤退を決めた日本軍だったが、それよりも早く米軍がソロモン諸島に侵攻して来た。南太平洋海戦の痛手から回復していなかった日本軍は、「大和」を含む残存戦力を集結させて支援艦隊を編成。旧式戦艦4隻を主力とした米海軍と交戦しこれを撃滅。辛うじて撤退に成功した。

※史実では、第2次大戦の転換点とされている戦いは「エル・アライメン「スターリングラード」「ミッドウェー」「第3次ソロモン」なのですが、蒼レク世界では、南太平洋海戦で日本軍の攻勢は事実上とん挫し、その後の第3次ソロモン海戦は、実質、撤退支援の為の戦いなので、「転換点」と言う意味では、南太平洋海戦の方が相応しいと思ったので差し替えました。
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