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ドイツ艦特有の優美な外観を持つ戦艦は微速で海面を移動、やがて指定された桟橋でピタリと停止する。
その滑らかな動きには一切のよどみなく、艦長含めた乗組員たちが、いかに優秀で熟達しているかを表していた。
やがて、乗組員たちが上陸作業を進める中、艦長の青年が艦娘を伴って桟橋へと降り立った。
「急造だって聞いてたけど、意外としっかりしているもんだね」
「何か、聞いた話だと、1個艦隊くらいなら普通に収容できるって話だよ。あ、すごい、お店とかもあるッ おにーさん、後で行ってみようよ!!」
感心したようなエアルの言葉に、シャルンホルストはしゃいだ様子で周囲を見回しながら答える。
2人が立っている場所は、ドイツ国内の港ではない。
「ここが、俺達の新しい拠点、か」
エアルは感慨深げに呟く。
北ノルウェー一帯を要塞化して艦隊を進出させ、北海航路を通る船団を狙い撃ちにする。
その構想が、父を中心に進められている事はエアルも聞いていた。
正直、話を聞いた時、規模は大したことないだろうと考えていた。せいぜい、フィヨルドを利用して、簡素な入泊施設があるくらいの、申し訳程度の拠点が作られるだけだろう、と。
しかし、完成した拠点は、エアルの想像を遥かに超えていた。
停泊用の桟橋やブイは多数の上り、補給用倉庫、司令、通信設備に港湾要員の宿舎、敵の襲撃に備えた対空砲陣地も充実している。簡易ドックまで作られており、ある程度の損傷なら、本国に戻らなくても修理可能となっている。
そして、飲食店や映画館、スポーツ施設と言った娯楽施設もある。
ここは北ノルウェーのフィヨルド内に建設された、ドイツ海軍の新たな拠点だった。
周囲を見回せば、殆どドイツ国内にある港と変わらない規模の施設が立ち並んでいるのが分かる。
まるでキール軍港が、そのまま引っ越して来たみたいだ。
何より、港で働いている人々の顔が、生き生きとしているのが印象的だ。
この最北の地にあって、ドイツ軍側の士気は高い。
現在、困難な状況にある戦局を、自分達の手で逆転するのだ、と言う気概に満ち溢れているように思えた。
「状況が状況だからね」
声は、2人の背後から聞こえて来た。
振り返れば、良く見知った少女が、笑顔を浮かべて立っている。
「東部戦線がけっこう不味いみたいだし、急ピッチで建造にこぎつけたそうよ」
「ゼナ!!」
妹の姿を見て、飛びつくシャルンホルスト。
グナイゼナウの方も、久しぶりに会えた姉の姿に笑顔を見せて抱擁を受け入れる。
姉妹の再会ハグと言う微笑ましい光景に、周囲の兵士達がほっこりしながら見守る。
そんな様子を眺めながら、エアルが声を掛けた。
「ゼナがここにいるって事は、第1艦隊はもう到着したの?」
「ええ。2日前に。もう既に、大方の戦力は終結していますよ」
姉の頭をよしよしと撫でてやりながら、グナイゼナウは答える。
「そうそう、バレンツ海での報告は、既に私の方にも入って来てますよ。シャルも、よく頑張ったわね」
妹の誉め言葉に、照れて顔を赤くするシャルンホルスト。
バレンツ海海戦の結果、ドイツ軍は援ソ船団の航路に対し大打撃を与える事に成功した。
以後、暫くイギリスをはじめとした連合軍は北海経由の輸送を中止せざるを得ず、その事が東部戦線にも多大な影響を及ぼしている事は間違いなかった。
この大勝利にはヒトラーも大いに喜び、直々に海軍将兵、艦娘達を褒め称えていた程だった。
とは言え、油断は許されない。
未だに東部戦線では陸軍が、数に勝るソ連軍相手に苦戦を続けているし、イギリス軍もこのまま手を拱いているとは思えない。
今この一時、優勢になった状況を利用して、何としてもドイツ軍の優位を確立したい所だった。
「大丈夫だよ」
声を上げたのはシャルンホルストだった。
ようやく満足したらしく、妹をハグから解放するとエアルに向き直った。
「ボクもゼナも強化されたし。それに他にもたくさん、新しい艦が加わったんだからさ」
そんなシャルンホルストの言葉に、エアルとグナイゼナウは顔を見合わせて苦笑するしかない。
とは言え、シャルンホルストの言葉は間違いではない。
エアル達が大西洋を転戦している間にも、ドイツ海軍はいくらかの新鋭艦を戦力化している。
更に、シャルンホルスト級巡洋戦艦も大幅に強化されている。
その戦闘力については、既にバレンツ海の勝利によって証明されていた。
視線を巡らして見回せば、桟橋に係留された「シャルンホルスト」が停泊しているのが見える。
基本となるシルエットは、あまり大きく変わっていない。
しかし、いくつかの装備が大きく変更されているのが分かる。
特に最大の特徴が、その主砲だろう。
元々、シャルンホルスト級巡洋戦艦は、54口径28.3センチ砲を3連装3基装備していたが、これは口径としては最小であり、世界中のどの戦艦よりも砲口が小さい。
弾が軽いので連射は効くし、巡洋艦以下の艦艇が相手なら十分な威力を発揮できるが、しかし相手が戦艦となればそうもいかず、これまでもしばしば苦戦を強いられる事が多かった。
そこで、ツェルベルス作戦後、シャルンホルスト級巡洋戦艦2隻が本国へ帰還したのを機に大改装の実施が決定した。
そもそも、シャルンホルスト級は建造当初、ビスマルク級と同じ47口径38センチ砲を連装3基6門搭載する予定になっていた。
しかし新型砲の開発が間に合わず、竣工の遅れを懸念した海軍上層部の決定により、ドイッチュラント級装甲艦の主砲の砲身を伸長した物を搭載した経緯がある。
故に、今回の改装では、当初の予定通り38センチ砲に換装されると思われた。
しかし、ここで海軍上層部、特に改装を主導したウォルフ・アレイザーは、ある物に目を付けた。
H級戦艦。
それは、ビスマルク級の次に建造される予定だった大型戦艦であり、主砲は47口径40センチ砲連装4基搭載。完成すれば世界最強の戦艦になると期待された艦であった。
6隻建造を計画して、既にプロジェクトもスタートしていたH級戦艦だったが、しかし、ヒトラーが当初の予定よりも3年も早く開戦したせいで予算と資材が不足し、開発は半ばで凍結してしまった。
しかし、開発は凍結したが、既に一部の装備は完成状態で倉庫に保管されていたのだ。
その中に、主砲の砲身と、砲塔の試作品もあった。
ウォルフは未完成に終わったH級戦艦の代わりに、この新型40センチ砲をシャルンホルスト級に搭載しようと考えたのだ。
幸い、6隻建造予定だった為、主砲の砲身は十分にストックされている。予備の砲身にも事欠かない。
38センチ砲と40センチ砲はシステム的に類似している為、大きな設計変更も必要ない。
こうして、「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」は、これまでの28.3センチ砲から、一気に数ランク上の40センチ砲を搭載した事で、列強の戦艦をも凌駕しうる最強戦艦に生まれ変わったのである。
現在、ヨーロッパにおいて、シャルンホルスト級に単独で対抗可能な戦艦は少ない。ライバルであるイギリス海軍の、キング・ジョージ5世級戦艦とて例外ではなかった。
更に、主砲だけではない。
副砲には新開発された60口径12.7センチ砲を連装11基22門搭載している。バレンツ海海戦において、イギリス軍の駆逐艦部隊を一切寄せ付けずに返り討ちにした事からも、その威力は証明されていた。
その他、機関出力も向上させ、最高速度は35ノットにも達している。ほぼ駆逐艦と同等の機動性を持ったに等しい。
更に補助兵装として、両舷には巨大なパラボラアンテナが2基ずつ、計4基搭載されている。これは、ドイツ軍が正式採用している高性能対空レーダー「ウルツブルク」である。これは敵機の高度、速度、進路を割り出し、対空砲を連動させる事が出来る。
「ビスマルク」沈没の苦い経験の果てに、ドイツ海軍では各艦の対空戦闘力向上が見直されており、こうして鉄壁の防空力を備えるに至っていた。
こうして、完成した「シャルンホルスト」は、
基準排水量3万5000トン、最高速度35ノットで、47口径40センチ砲連装3基6門を有する、ヨーロッパ最強戦艦に変貌を遂げたのだ。
ようやく、ドイツ海軍はイギリス海軍の戦艦と、正面から戦える戦艦を手に入れた訳である。
「さて」
グナイゼナウは、2人を見ながら口を開いた。
長話も過ぎた感がある。
「みんな既に集まっているわ。会議室の方に来て」
そう言って、先に立って歩き出すグナイゼナウ。
その背中を眺めながら、
「行こう、シャル」
「うん」
頷く2人。
そっと手を繋ぎ、基地の中へと歩き出した。
ドイツ海軍北ノルウェー基地。
それは、エアルの父、ウォルフ・アレイザーが提唱した「アレイザー・プランⅡ」の下、建設がすすめられた一大拠点である。
ノルウェーの海岸線を覆うように存在する多数のフィヨルドを利用するように建設されたこの拠点は、フィヨルド特有の奥行きが深く複雑な地形も相まって、外部からは非常に攻めにくい構造をしている。
また、水深も深く、幅もある程度広い為、大型艦の泊地としても十分に耐えられる。
正に進出拠点としては、申し分ない条件を揃えていた。
加えて、ドイツ軍の戦略事情から言っても、北ノルウェーは最適の場所だった。
ソ連軍は、戦争に必要な物資を、英米からの輸送に頼っている。
こうして派遣された輸送船団は、北海を経由してソ連のムルマンスク近辺に荷揚げされる。
つまり、必ずノルウェー北を通過する事になるのだ。
この拠点の役割は、そうした援ソ輸送船団を補足、撃滅する艦隊、及び航空部隊の後方支援となるわけだ。
「我々の置かれた状況は、まだまだ苦しいと言わざるを得ない」
苦い表情で第一声を放ったのは、ハインツ・シュニーヴィント大将。
ライン演習作戦時に「ビスマルク」と共に戦死した、リンター・リュッチェンス大将の後任として、長らく空位となっていたドイツ艦隊司令官に就任した人物である。
彼は北部方面艦隊司令官を兼任しており、事実上、この北ノルウェー基地、及び所属全部隊の総責任者であると言える。
「皆も知っての通り、
ウォルフが「アレイザー・プランⅡ」で立てた計画では、海上輸送を北ノルウェー基地所属の部隊が遮断し、南からの燃料輸送はスターリングラードを押さえた陸軍が遮断する事になっていた。
そうなれば、ソ連軍の動きは確実に鈍化する事になる。
そこで一気に反攻に転じれば、ソ連軍の壊滅は目に見えている。
はずだった。
しかし、ドイツ陸軍はスターリングラード攻略に失敗。
ソ連軍の輸送路遮断は成らず、ウォルフの計画は実現が困難となってしまった。
それどころか、第6軍がまるまる降伏してしまったおかげで、東部戦線はその維持すら困難となりつつある。
海軍としては、東部戦線の側面援護の必要性が増したと言えよう。何としても、北海輸送路に打撃を与え、陸軍が態勢を立て直す時間を稼がねばならなかった。
「しかし、ここに来て、新たなる問題が発生した」
そう告げると、シュニーヴィントは海図を指し示した。
その指先には、ノルウェーの更に北。
北極海に浮かぶ島。
比較的アイスランド寄りの海域に浮かぶその島は、スピッツベルゲン島と言う。
「この島に、イギリス軍が新たな拠点を築いているのが判明した。目的は、言うまでもなく我々への牽制だろう」
シュニーヴィントの言葉に、一同は息をのむ。
イギリス軍の対応は早い。
ドイツ軍が北海航路を狙って通商破壊戦を仕掛けてくると予測し、航路を守る為の拠点を迅速に確保してきたのだ。
ここに艦隊を進出させられたら、ドイツ海軍の作戦行動は大きく制限される事になる。
言わば北ノルウェー基地に対する、イギリス軍が築いた「付城」だった。
「そこで、我が軍は、この拠点の破壊、無力化を最優先目標とする。既に敵の基地には、戦艦を含む大規模な艦隊が入港しているのが確認されている。その為、こちらも万全に態勢で挑む事とする」
配られた資料に目を通した一同は、目を見張った。
書かれた参加艦艇数は、ドイツ海軍水上艦隊が持つ、ほぼ全戦力に匹敵する。
中には、竣工したばかりの最新鋭艦も含まれている。
そして特筆すべき存在は、
「『ティルピッツ』が、来る」
「あ、ほんとだ」
エアルの言葉に、シャルンホルストも驚いて声を上げた。
ビスマルク級戦艦2番艦「ティルピッツ」。
第3次ブレスト沖海戦で「ビスマルク」を失ったドイツ海軍にとって、「ティルピッツ」は虎の子の最強戦艦である。
シャルンホルスト級巡洋戦艦と同時期に改装作業に入った事もあり、これまで出撃の機会を得られなかったのだが、それが晴れて初陣を迎えると言う訳だ。
その「ティルピッツ」を戦線投入する当たり、今回の作戦におけるドイツ海軍の意気込みがうかがえた。
「紹介しよう、入り給え」
シュニーヴィントに促され、入ってきたのは、1人の少女だった。
長い金髪にすらりとした四肢。
その容姿は、かつて会った事がある女性によく似ている。
ただ、キリッとした目元で、どこか女騎士を連想させた姉に比べ、彼女はどこか温和な雰囲気を見せている。
「彼女がティルピッツだ。今回の作戦で主力を務めてくれることになる」
「よろしく、お願いします」
そう言って会釈するティルピッツ。
透き通る様な声。
何の警戒もなく、心の内に飛び込んでくるような感覚だ。
皆がホッと息を吐く。
そんな中、
エアルは傍らのシャルンホルストが、深刻な顔で俯いているのを見て、怪訝な顔をする。
「シャル?」
「・・・・・・・・・・・・」
問いかけるエアルにも答えず、膝の上で両手の拳をきつく握りしめる少女。
そんなシャルンホルストの様子を、
壇上に立ったティルピッツが、ジッと眺めている事には、誰も気づかなかった。
2
イギリス海軍本国艦隊根拠地である、スカパ・フロー軍港では、数日前から喧騒が場を支配するようになっていた。
急ピッチで進められる補給と各種点検作業。
艦隊の出撃準備は着々と進められていく。
数日前にもたらされた情報は、彼等を騒然とさせるのに十分な物だった。
それによると、キールやヴィルヘルムスハーフェンに停泊していたドイツ艦隊が出撃、ほぼ全部隊が進路を北に取っているとの事だった。
既に連合軍は、ドイツ軍が北ノルウェーに大規模な軍事拠点を建設し、艦隊の一部を進出させている事を掴んでいる。
中でも昨年の年末に勃発したバレンツ海海戦では、護衛艦隊と輸送船団が壊滅的被害を受けると言う苦い経験をしている。
そんな中で、北へ向かうドイツ艦隊。
その目的がどこにあるのか、考えるまでも無かった。
スピッツベルゲン島基地。
イギリス軍が輸送船団の護衛、及び退避用の拠点として建設した最北の基地。
その無力化を、ドイツ軍は狙っているのだ。
それだけは、何としても阻止しなければならない。
スピッツベルゲン島を失えば、北極海の制海権は北ノルウェーのドイツ海軍に押さえられてしまう。
それ故、ドイツ海軍迎撃の為、スピッツベルゲン島に艦隊を派遣し防備を固める事となった。
その為の戦力として、戦艦2隻、軽巡洋艦4隻、空母1隻、駆逐艦22隻から成る艦隊を組織。
そして、その司令官となる男が今、出撃の挨拶として、国王フレデリックに謁見していた。
「それでは父上、行ってまいります」
意気揚々とお辞儀をするディラン・ケンブリッジ。
この程、少将への進級を果たした彼は本国艦隊所属として編成されたC部隊の司令官に就任。
今回のスピッツベルゲン島防衛作戦の総責任者に任命されていた。
無論、これまでの彼の、「輝かしい実績」を見れば、その人事は妥当な物であると言える。
表向きは。
そう、ディランの派遣はあくまで「政治的事情」を考慮した結果に過ぎなかった。
何しろ、彼は次期国王候補の最有力者であると同時に、国民が支持する英雄なのだから。最重要拠点の防衛に充てる人材として、これ程の適任者は他にはいるまい。
そう、思っているのは最早、真実を知らない国民と、一部の狂信的なディラン信者に限られていた。
その実態を知る者からすれば、これ程の茶番はないだろう。
何しろ、これまでディランが上げた戦果は、文字通りのゼロであり、かかわった全ての戦いにおいてイギリス海軍は惨めな敗北を経験している。
当然、その責任をディランも取らされてしかるべきなのだが、これまでのところ、国王の息子であると言う一点のみが考慮され、不問にされるどころか、全てにおいて多大な功績を残したとされ、ここまでの昇進を果たしていた。
何より周囲を呆れさせているのが、そうした状況もあって、ディランが己の行動を顧みるどころか、ますます増長している事だった。
近頃など、自分こそがイギリス海軍のトップであると言わんばかりに振る舞い、本国艦隊司令官のボルス・フレイザーも完全に持て余し気味だと言う。
「言うまでも無い事だが」
フレデリックは、自信満々な息子に対し、重々しい口調で告げた。
「今回の戦いは、非常に重要な位置づけにある。失敗は許されない。分かっているな?」
「勿論ですとも」
傲然と胸を張って、ディランは父の問いかけに応える。
その様子に、居並ぶ者達は呆れ気味に嘆息するしかない。
ここにいる殆どの人間は、ディランの実態について知っているのだ。
いったい、どの口がほざいているのか。
中には露骨に、ディランから視線を逸らす者までいるくらいだった。
「この私にお任せあれ。必ずや父上の期待に応え、我が大英帝国の威光を世界中に知らしめて御覧に入れましょうぞ」
そう言うと、意気揚々と踵を返すディラン。
それに追随する副官のアルヴァン・グラムセル大佐は、フレデリックに一礼する。
そんな2人の様子を見送った後、ウェリントン・チャーチル首相はフレデリックに向き直った。
「宜しかったのですかな陛下?」
常に豪胆さを見せる英国首相が、この時ばかりは少し呆れ気味に尋ねた。
「此度の大事、明らかに殿下の手には余るかと思われますが?」
遠回しに、ディランの無能さに言及するチャーチル。
本来なら不敬罪にも問われかねないところだが、しかしフレデリックは眉一つ動かさない。
この忠実なる共犯者にして同士たる首相の言わんとする事は、フレデリックも十分に理解していた。
「分かっている。しかしフレーザーより、本国艦隊主力の出撃準備完了には、今暫くかかるとの報告が来ている。加えて、スターリンからは、補給物資の矢の催促だ。フンッ 彼の薄汚いスラブ人は、戦争すら満足に1人でできないときた」
嘆息気味に告げるフレデリック。
まったく、どいつもこいつも、とでも言いたげな口調である。
「そんなわけだ。当面は、あの愚息に戦線を支えさせねばなるまい。その為に、戦力は十分に持たせた。今回ばかりは、毎度のようなヘマはするまいよ」
それに、
ディランは人一倍、見栄を張る事に拘る事をフレデリックはよく知っている。
そんな男が、父親である自分から直々に拝命した任務を疎かにはするまい。
「だが、もしまた、失敗したその時は・・・・・・・・・・・・」
その先を告げる事はなく、フレデリックはその無機物のような瞳で冷たい光を放つのだった。
エアルがその日の業務を全て終えて自室へ戻ると、部屋の中から人の気配がする事に気が付いた。
誰がいるか、などと考えるまでも無い事だろう。
こんな時間に司令官の部屋を訪ねて、勝手に入っている者など、1人しかいない。
「シャル」
扉を開けながら、中にいるであろう人物に声を掛ける。
案の定、と言うべきか、中には恋人である少女の姿があった。
既に入浴は済ませたらしく、ほんのり湯上りの香りが漂ってくる。
下着の上からYシャツを羽織っただけの、ラフな格好をしたシャルンホルスト。
裾から覗く白い素足が、健康的な色香を漂わせている。
だが、
エアルが入ってきて顔を上げるシャルンホルスト。
その顔には、常にはない憂いが秘められているのが分かった。
「どうか、したの?」
昼間、様子がおかしかった事を思い出し、声を掛ける。
「・・・・・・・・・・・・うん」
対して、シャルンホルストはうつむいたまま首肯する。
訝りながらもエアルは、軍服の上着をハンガーにかけ、帽子を机の上に置くと、シャルンホルストの横に座る。
対して、少女はすぐに甘えるように、エアルの胸に頭を持たせかけて来た。
少女の頭を優しく抱く青年提督。
自分からは何も聞かない。
ただ、シャルンホルストが落ち着いて、話し始めるのを待つ。
「・・・・・・・・・・・・似てたね」
暫くして、ようやくシャルンホルストが、躊躇うように口を開いた。
「あの娘、ティルピッツさ・・・・・・ビスマルクに、似てたよね」
「・・・・・・そうだね」
エアルもまた、自分の言葉を噛みしめるようにして頷く。
シャルンホルストが考えている事は、エアルも同時に思っていた事だった。
あまりにも、ティルピッツは姉のビスマルクに似すぎていたのだ。
だからこそ、余計に意識してしまう。
「ボクは、あの娘のお姉さんを救えなかった。それどころか、最後はボクの魚雷で沈めてしまった・・・・・・」
最後は、「シャルンホルスト」の放った魚雷で、「ビスマルク」を自沈させざるを得なかった。
状況的には仕方がなかったとはいえ、その事実は今日に至るまでシャルンホルストの心に傷を負わせ続けていた。
「あれはシャルのせいじゃない」
強い語調で言いながら、エアルはシャルンホルストを抱きしめる。
「命じたのは俺だ。シャルはただ、それに従っただけ。すべての責任は、俺にある。そう言ったはずでしょ」
「でもッ でもッ」
見上げるシャルンホルスト。
その眼からは涙がこぼれ、エアルの顔をまっすぐに見つめる。
「だって、それでも・・・・・・ボクがもっと強ければ、ビスマルクを助けられたかもしれないのに・・・・・・せめて、あの時不調じゃなかったら・・・・・・」
あの時、「シャルンホルスト」はベルリン作戦と、それに続く第2次ブレスト沖海戦の影響で数々の不具合を起こしていた。
そもそも、あの時の出撃自体が無理に無理を重ねた物だった。
あの場に間に合った事自体、奇跡に等しい。
しかし、
それさえなければ、初めからライン演習作戦に参加し「ビスマルク」を援護できたかもしれない。
そう、思わずにはいられなかった。
「シャル」
エアルは少し強めの口調で告げると、シャルンホルストを自分の方へ振り返らせる。
「おにーさん・・・・・・」
「どんなに嘆いたって、ビスマルクが戻ってくるわけじゃない。それでも、俺達にできる事があるとすれば、彼女の想いを果たす事だ」
言われて、シャルンホルストはハッとする。
ビスマルクは沈む間際、確かに言った。
妹を頼む、と。
彼女の妹である、ティルピッツを守り戦う。
それが、死んでいったビスマルクに自分達ができる、唯一の事だった。
「安心して。君は1人じゃない。俺がいる。俺が、シャルと一緒に最後まで戦うから。だから、1人でそんな風に思いつめないで」
「おにーさん」
吐息が重なる距離で見つめ合う2人。
やがて、どちらからともなく、唇を重ねるのだった。
ティルピッツは1人、部屋の中で佇む。
これから始まる、彼女の初陣。
ドイツ最強戦艦として、自らの力を存分に振るい、祖国に勝利をもたらす。
その使命に胸に刻む。
しかし、
少女の脳裏にはもう一つ、どうしても消し難い想いが渦巻いていた。
それは、昼間の会議の事。
そこに列席していた2人の人物を思い出し、スッと目を細める。
「あれが・・・・・・シャルンホルスト、そして、エアル・アレイザー准将・・・・・・」
鋭い眼差しには、暗い炎が宿る。
やがて、
その唇より、這いずるような声が響いてきた。
「姉さまを、沈めた人たち・・・・・・・・・・・・」
第56話「消せない傷跡」 終わり