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重苦しい雰囲気。
そうとしか言いようがない空気が、イギリス本国艦隊司令部の会議室を覆っていた。
居並ぶ将官たちの視線。
その全てが「被告」たる人物へと集中されていた。
ディラン・ケンブリッジ准将は、自身を非難する多数の視線を受けながらも、椅子に座ったままふんぞり返り足まで組んでいる。
この場に自分がいる事が不満で仕方がない。
その態度を崩そうともしなかった。
「まったくもって理解に苦しむな」
居並ぶボルス・フレイザー司令官や、クロード・グレイス参謀長を初めとした本国艦隊幕僚の1人1人を睨み付けながら、ディランは毒を含んだ声で言い放った。
居並ぶ将官の中には、リオン・ライフォードとベルファストの姿もあった。
2人も、リオンの兄であるクロードの要望で、この場に同席していた。
一方でディランの態度には、断罪を受ける者の殊勝な態度は一切見られず、むしろ余裕すら感じさせるほどふてぶてしい物があった。
自分に視線を向ける全ての者たちを、冷笑交じりに睨み返す。
「貴様らは一体、何の権限があって、このような扱いをしているのだ? 救国の英雄たるこの俺を」
「無論、あなたの責を問う為ですよ、殿下」
フレイザーが、冷静な口調で返す。
ディランがこのような態度をする事は、初めから分かり切っている事。今更、驚きも苛立ちも無い。
ただ、淡々と査問を続けるのみだった。
査問の内容は先ごろ、行われたスピッツベルゲン島沖海戦について。
ドイツ艦隊主力と、ディランが率いた本国艦隊U部隊との激突は、イギリス艦隊の大敗で幕を閉じた。
U部隊は巡洋戦艦「レナウン」はじめ、多くの艦艇を喪失。
新鋭戦艦である「キング・ジョージ5世」や旗艦「デューク・オブ・ヨーク」も損傷して後退せざるを得なくなった。
それだけではない。
スピッツベルゲン島に建設されたイギリス軍拠点は、ドイツ艦隊の艦砲射撃を受けて壊滅状態になった。
スピッツベルゲン島基地は、北ノルウェーに進出したドイツ海軍を牽制すると同時に、襲撃を受けた輸送船団の一時待避所としても機能しており、北海航路を維持する上で、イギリス海軍の最重要拠点と言っても過言ではなかった。
イギリス艦隊を撃破した後、ドイツ艦隊は第1、第2艦隊が合流し、再度、スピッツベルゲン島基地に徹底した艦砲射撃を仕掛けた。
その結果、スピッツベルゲン島基地は、救助と調査に赴いた部隊から「復旧するより放棄した方が早い」と言わしめるほど、徹底的に破壊しつくされたのだ。
由々しき事態だった。
スピッツベルゲン島基地を失ったおかげで、イギリス海軍は北海における制海権を喪失。
これにより、ドイツ軍による通商破壊戦は活発化し、既に北海航路における輸送船の被害は無視できないレベルで上がりつつあった。
そして、
その原因を作ったのは、間違いなく今、被告席に座っているディランだった。
しかし、
「責ッ!! 責と来たかッ!!」
フレイザーの言葉に、吹き出すディラン。まるで、サーカスのピエロ芸を見せられたかのような失笑振りである。
自分には何一つとして非はない。そう言いたげな態度だ。
「いったい、この俺が何をしたと言うのかッ!? お前達は何の責を問おうと言うのかッ!? 此度の敗戦の責は全て、ナチス共の攻撃で拠点を失った、役立たずのスピッツベルゲン島基地の守備隊、そして、この俺を補佐しきれなかった無能な幕僚共にある。だと言うのに、事の軽重を取り違え、この次期国王にして英雄たる、このディランを、このように罪人の如く扱うなど、万死を通り越して滑稽ですらあるぞ、フレイザー!!」
上官である本国艦隊司令官を呼び捨てにして愚弄する態度は居並ぶ幕僚、艦娘達は怒りを募らせる。
しかし、誰もが激高せずに見守っていられるのは、この場があくまで、本国艦隊司令部主導による正式な査問の場であるからに他ならなかった。
それにしても相変わらず、責任転嫁の弁舌だけは超一流だった。
ディランは傲然と胸を逸らして見せる。
悪いのは、あくまで自分以外。自分には一切の非は無く、責任を取るのは、自分以外の他の誰か。
そんな態度を隠そうともしないでいる。
「ですがね」
口を開いたのはクロードだ。
「証拠が上がっているのですよ。幕僚や艦娘達の証言、被害の状況、生き残ったスピッツベルゲン島基地守備隊員から聞き取った報告書、U部隊の作戦記録。その全てが、准将の判断ミスによる敗北を裏付けていますね」
「フンッ それが何だと言うのだ?」
薄ら笑いを浮かべたまま、ディランが返した。
「無能な守備隊や、役立たずの艦娘が無様に叫んだとて、それが何だと言うのだ? 所詮は無能な馬鹿の戯言。そんな物を鵜吞みにする理由がどこにある? それこそ我がロイヤル・ネイビーにとって、鼎の軽重が問われると言う物だ」
その物言いに、居並ぶ一同が目の前の傲岸不遜な男に対する怒りを覚える。
守備隊はともかく、艦娘の存在は海軍にとって象徴であり、彼女らの存在は誇りでもある。
そんな艦娘を侮辱され、怒りを覚えない海軍士官など、世界中を探しても存在しないだろう。
「いい加減にしてください、兄上」
静かな怒りを湛えた声を発したのはリオンだった。
一同の視線が、リオンへと向く。
普段、物静かなリオンだが、今やその表情には明らかな怒りが見て取れる。
ここに来て尚、見苦しい態度を取り続けるディランに、弟して、王族として、一海軍士官として、言うべきことを言わねば収まりが付かなかった。
「リオン・・・・・・・・・・・・」
傍らのベルファストが、心配そうに見つめて来る。
そんな彼女を落ち着かせるように頷いてから、リオンは改めてディランに向き直った。
「こうして証拠が上がった以上、言い逃れは出来ません。どうか潔く罪を認めていただきたい」
「黙れ、無礼者が!!」
正論を告げる弟の声は届かず、返されたのは空虚な罵声だった。
ディランは顔を屈辱で真っ赤に染め、口からは汚く唾が飛ばしながら怒鳴り散らす。
「貴様が如き下賤の輩が、この次期国王たる俺に意見するなど、万死に値するッ 恥を知れ恥を!!」
喚くディラン。
普段から見下している弟に説教された事で、我を忘れるほどの怒りを発している。
しかし、既にこの場にいる全員が、喚き散らすディランを白けた目で見ていた。
誰も、目の前の男に同調する者はいない。皆が皆が、この「自称次期国王様」の相手に疲れを覚え始めているのだ。
正直、こんな男の相手をしなくてはいけない事自体、時間の無駄でしかない。
中には、露骨に欠伸をしている者までいた。
「まあ、良いでしょう」
締めくくるように、フレイザーが告げる。
「先にも言った通り、証拠は揃っているのです。我々は、これを上層部に提出して判断を仰ぐまでです」
「好きにするが良いさ。吠え面を欠くのは目に見えているがな」
せせら笑うディラン。
誰もが、ディランの失脚を想像する。
当のディラン本人を除いて。
そのディランはと言えば、腹の中で小馬鹿にしたように薄ら笑いを浮かべていた。
何とでも言うが良い低能どもが。
どのみち、この救国の英雄であり、次期国王を裁ける者など、この世に存在しない。
この後に出される結論は「無能な幕僚や艦娘、守備隊達の拙劣な戦いぶりによって、惜しくもイギリス軍の敗北に終わった。しかし、偉大なる英雄ディランの活躍により、イギリス軍は全滅を免れ、憎きドイツ軍に一矢報いると同時に、残存戦力の安全な撤退に成功した」と言う風に纏められる事になるだろうさ。
そしてフレイザーはじめ、目の前の無能な連中は左遷され、ディランは更なる昇進を果たし、栄光を手にする事になる。
そうだな、今度は本国艦隊司令官の席あたりを狙ってみるのもいいかもしれない。
「ディラン・ケンブリッジ本国艦隊司令官」。格としてはいまいちだが、響きとしてはまあまあだろう。
そして自分が指揮する本国艦隊が、薄汚いナチスの海軍を撃破。いずれ、その功績を持って、次期国王に就任する。
自身の脳内で思い描いた完璧な人生プランに、ほくそ笑むディラン。
丁度その時だった。
「会議中、失礼いたします」
そう言って入ってきたのは、ディランの副官でもあるアルヴァン・グラムセル大佐だった。
スピッツベルゲン島沖海戦では、ディランに敬遠され、別動隊指揮官に飛ばされながらも奮戦、残念ながらドイツ艦隊の攻撃を阻止するには至らなかったが、一矢報いる事で、その老練な指揮ぶりを見せつけた。
来た来た来た来たァッ。
入って来たアルヴァンの姿を見て、内心で喝さいを上げるディラン。
アルヴァンはディランの父である、現国王フレデリック3世とも通じている。勅命を携えて来た事は間違いないだろう。それ即ち、ディランの栄達が確定した事を意味している。
居並ぶ本国艦隊幕僚や、先ほど愚かにも自分を糾弾した「下賤な血を持つ自称弟」を睨みながら、腹の中で叫ぶ。
どうだ見たか、クソ共が!! これが俺の力だ!! 下等なお前らとは存在からして違うのだよ!!
俺は更なる栄光を手に入れる。お前らはせいぜい、そんな俺を見て悔しがるが良いさ!!
「陛下からの、お言葉を伝えます」
アルヴァンはそう言うと、携えた髪を開いて一同の前で目を走らせる。
最早、口元に下品な笑みを隠そうともしないディラン。
そして、
「ディラン・ケンブリッジ海軍准将。この者の大英帝国軍における全権限を無効とし、階級も剝奪する事とする。更に、今後、ディラン・ケンブリッジの王族としての全権限を停止、第2王子の地位を剥奪、保有する全ての資産を凍結するものとする」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
間抜けな声を発すしたのはディラン。
対して、アルヴァンは淡々とした調子で告げた。
「以上が、国王、フレデリック3世陛下のお言葉です」
「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!!」
「尚、追記事項として、ディラン・ケンブリッジが今後一切、大英帝国の王族を名乗ることを禁じ、王宮その他、英国王室に連なる施設に出入りする事も一切を禁ずる。この布告は、発表を行った瞬間より効力を発揮する物とする。以上です」
愕然とするディランを無視して、淡々とした調子で言い終えるアルヴァン。
その襟首に、ディランが掴みかかる。
「全て、陛下の思し召しです」
「ふざけるなッ!!」
顔を真っ赤にして怒鳴るディラン。
軍人としての地位、権限をはく奪され、王族としての地位も剥奪、更に試算も凍結された。
つまり、軍人としても王族としても、最早ディランと言う存在が抹消された事を意味している。
間違いなく極刑にも等しい、最上級の罰だった。
「嘘だッ!!」
悪鬼の如き形相で怒鳴るディラン。
「俺を誰だと思っているッ!? 第2王子にして次期国王、そして英国海軍きっての大英雄であるこのディラン・ケンブリッジに対して、何たる言い草だッ!! そのような偽りを言って、ただで済むと思うなよ!!」
「私は、陛下のご意志を代読したまでです」
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!! 嘘だァァァァァァッ!! この男は噓を言っている!! 恐れ多くも国王陛下の名を騙り、我が名誉を貶めようとしているぞ!! 衛兵ッ 何をしているッ 早くこの男を拘束しろッ!!」
喚きたてるディラン。
だが、その時だった。
「その必要はない」
重苦しい言葉と共に入ってきた人物。
その姿を見て、フレイザーを始め、居並ぶ全員が立ち上がって敬礼する。
アルヴァンもまた、振り返って一礼する中、衛兵を引き連れてゆっくりと足を踏み入れた人物。
それは国王、フレデリック3世に他ならなかった。
「ああ、ち、父上ェ!!」
そんなフレデリックの姿に、ディランは情けなく、縋り付くように歩み寄る。
「聞いてください父上、この者達は不敬にも我が名誉を貶め、ひいては父上まで貶めようとしている亡国の輩ですッ どうか厳しいお裁きを!!」
言い終えた瞬間、
進み出た衛兵が、手にした銃を交差させて、ディランがフレデリックに近づくのを防いだ。
「何だ、これはッ!? どけ、貴様らッ 何の権限があってこのような不敬をするか!?」
喚き散らすディラン。
そんな息子、
否、
「元・息子」に対し、ゴミを見るような目を向ける。
「貴様のこれまでの所業、この私が知らぬとでも思っていたか? アルヴァンを通じて、全て我が耳に入っておったわ」
「そ、それは・・・・・・」
動揺するディラン。
振り返ってアルヴァンを睨み付けるが、当のアルヴァンは「元・上司」に対して知らぬげな視線を向け続けている。
「先日、ソ連のスターリンから、正式な抗議があった。曰く『先の海戦の結果を踏まえ、大英帝国に置かれては、綱紀粛正に一層励み、以後の物資輸送に支障なきように心がけられたし』だと」
フレデリックが読み上げた内容に、その場にいた全員が怒りと屈辱に震えた。
事もあろうに、スターリンはイギリス海軍に対し「もっとしっかりしろ」と、クレームをつけて来たのだ。
「判るかッ 我が屈辱が? この世界に冠たる大英帝国国王が、共産主義の、薄汚い成り上がり者から罵倒されたのだ。その全てが、貴様の責任だ!!」
「い、いや、それは・・・・・・」
弁明しようと口を開くディラン。
しかし、怒り狂ったフレデリックは、ディランから視線を外してアルヴァンを見た。
「この薄汚いゴミをとっとと放り出せッ 二度と我が目の触れる場所に入らせるな!!」
「ははッ」
アルヴァンは首を垂れると、すぐさま行動を起こした。
衛兵に命じ、ディランを拘束させる。
「待てッ 何をする、放せッ!! 俺を誰だと思っているッ 放せ、クズどもが!! 父上、話を聞いてくださいッ これは何かの陰謀ですッ そうに決まっていますッ 父上ッ!! 父上ェ!!」
「フンッ クズが」
引き立てられていくディラン。
その耳障りな声を聴きながら、フレデリックは吐き捨てるように告げると、次いでフレイザーに向き直った。
「フレイザー、これ以上の敗北は聞きたくない。我が大英帝国の名誉にかけて、必ずやナチスの艦隊を殲滅して見せよ」
「はッ」
言って出来れば苦労はしない。
ここまでイギリス海軍が苦戦を重ねてきたのは、何もディランが無能だったからばかりではない。
ドイツ海軍は少数ながら高性能な艦と優秀な指揮官多数を揃えている。質だけなら、イギリス海軍と同等と言って良いだろう。
ドイツ海軍に勝つのは容易な話ではない。
これまでの戦闘結果を読んだフレイザーの結論だった。
しかし、求められれば実行しなくてはいけないのが宮仕えと言う物。どのみち、ドイツ艦隊を殲滅しない事には自分達に勝利はないのもまた事実である。
ならば、
「やる」以外の選択肢は、残されていなかった。
「良いな。今後も、我が大英帝国の偉大なる勝利の為、貴様らの身命を捧げると良い。祖国に偉大なる勝利をもたらす為に命を投げ出す事だけが、貴様らの唯一、無上の価値であると心得よ」
そう言うと、直立不動で敬礼する一同を背に、部屋を出て行こうとするフレデリック。
アルヴァンも又、その後に続く。
いや、
並んで立っている、リオンとクロードに一瞬だけ、目を向けた。
ほんのコンマ数秒、
親子の視線が交錯する。
しかし、それは誰も気が付かないような、微かな時間でしかなかった。
緊張して身を強張らせる、リオンとクロード。
対して、フレデリックは冷ややかな眼光を2人に向けると、そのままアルヴァンを引き連れて、部屋を後にした。
途端に、緊張が一気に解ける。
盛大に漏れる溜息。
中には、露骨にその場に崩れ落ちる者までいる。
「き、緊張した~」
ベルファストも、その中の1人だった。
椅子に座り込み、息を吐き出す少女。
そんな少女の肩を優しく叩きながら、リオンはクロードに向き直った。
「驚きました。まさか、あの父上がディラン兄上を切り捨てるとは。てっきり、今回も兄上をかばって不問にすると思っていたのですが。いったい、どういう心境の変化なのでしょう?」
「いや、あの人は結局のところ、何一つ変わっちゃいないさ」
そう言って、クロードは苦笑する。
フレデリックが今回、ディランの権威剥奪と放逐に至った理由。
それは正道に立ち返ったからでも、息子に愛想を尽かしたわけでもない。
ソ連からの抗議によって自分自身の名誉が傷付けられた。それにより頭に血が上ったフレデリックは、これまでの事実を踏まえ、全責任をディランに押し付けたのだ。
言わば、ディランもフレデリックの被害者と言えよう。
無論、同情する気は微塵も無いが。
自身の名誉と面子。
あの「国王陛下」の頭の中にあるのはそれだけだった。
「しかし兄上、父上の言葉はどうあれ、何か手を打たねばならないのは確かなのでは?」
「まあね」
肩を竦めるクロード。
リオンの言う通り、ドイツ海軍が北ノルウェーで睨みを利かせている以上、北海の制海権は彼等に握られている。
ソ連に物資を送り込むには、どうしてもドイツ海軍と敵の北ノルウェー基地、双方を無力化する必要があった。
「既に手は打ってある。効果は、そう遠くないうちに表すだろうさ」
そう言うと、クロードは意味ありげに笑って見せるのだった。
2
ディランの王族剥奪と、軍からの放逐。
それらの処置は全て電撃的に行われた。
更に、当然ながらディラン指揮下のU部隊は解隊され、同時に彼の取り巻きだった連中も降格、あるいは地方の閑職へと左遷される憂き目にあった。
残った戦力は本国艦隊直轄として再編成される事となった。
ディラン本人はと言えば、宣言通り、軍人としても王族としても全ての権限を剝奪されて放逐された。
とは言え、これでも一応は英雄と言う立場にある人物である。事実をありのままに公表すれば、王室も海軍も権威を落としかねない。
その為、対外的にはディランは「持病悪化の為予備役に編入、その後、王室保有の別荘地にて加療中」と発表された。
今まで権威を笠に着て好き放題やって来たディラン。軍からも王族からも見放されては行く当てなどあろうはずもない。
最後には使用人からも見放され、見るも哀れな有様となって去って行ったと言う。
とは言え、この処遇を歓迎しない者は、少なくともイギリス海軍にはいなかった。
今まで(少なくとも対外的に)英雄と言う立場にありながら、無能采配の極みだったディランが失脚した事で、英国海軍全体の風通しが良くなり、ひいては海軍全体の戦力向上が期待されていた。
イギリス海軍は変わる。
誰もが、その希望を抱かずにはいられなかった。
そして、現実にそうなりつつあるのは確かである。
ボルス・フレイザー本国艦隊司令官は、U部隊解隊に伴い、浮いた余剰兵力を本国艦隊に再編成すると同時に、艦隊内部にも綱紀粛正を徹底している。
更に、新型の戦艦や空母、巡洋艦、駆逐艦が続々と戦力に組み込まれつつある。
質、量ともに、充実し始めているイギリス海軍。
今はまだ、ライバルであるドイツ艦隊と正面切って戦うだけの戦力は無い。
しかし、その戦力は徐々に、しかし確実に増大しつつあった。
一方、
動きは海を越えた敵国でも起こっていた。
北ノルウェー基地に、その情報がもたらされたのは、クルスクでの戦いが終わり、10月に入っての事だった。
久しぶりに仲の良いメンバーが揃ったところで、エアルはもたらされた情報を披露した。
「大西洋の壁? 何それ?」
テーブルの上に乗った焼き菓子を頬張りながら、シャルンホルストがキョトンとした顔で尋ねる。
テーブルを共に囲むのは、彼女の恋人でもあるエアル・アレイザー、そして妹のグナイゼナウに、その彼氏であるオスカー・バニッシュ准将だった。
ここはノルウェー基地内にあるカフェテリア。
長期における艦隊の作戦行動を支える事を目的に建造されたノルウェー基地は、こうした娯楽施設も充実していた。
居並ぶメンバーは、エアルとシャルンホルスト、更にはオスカー・バニッシュ准将と、彼の恋人であるグナイゼナウ、その他に重巡洋艦のプリンツ・オイゲンの姿もあった。
今はオフと言う事もあり、それぞれ軍服姿ではなく、思い思いの私服姿で集っていた。
エアルが切り出した話題は先日、総統府から発令された作戦についてだった。
「上層部が以前から計画していた事だよ。連合軍の反抗に備えて、ノルウェーからフランス沿岸にかけて、海岸線を全て塞ぐように長大な要塞を建設するんだって」
「ずいぶん大掛かりですね。ていうか、そんな事できるのですか?」
エアルの説明を聞いて、オイゲンが手元のオレンジジュースを口に運びながら疑問を呈する。
彼女の懸念はもっともだ。
ノルウェーからフランス沿岸までとなると、途方もない距離になる。
完成すれば、開戦前にフランス軍が建設したマジノ線ですら遥かに超える、超巨大要塞線となるだろう。
総工費も、使われる資材、建造にかかる時間、いずれもとんでもない物となるだろう。
「上層部はできるって判断しているみたいだね。その為の資材を、本国と占領地からかき集めているみたいだし」
言いながら、エアルはコーヒーに口を付ける。
熱く苦い液体を飲み干しながら、
しかし頭では、上層部の正気を疑いたくなっていた。
現実問題として、ノルウェーからフランスにかけて大掛かりな要塞を、全域に張り巡らせるなど不可能に近い。
話を聞いて、エアルが感じたのは、上層部、ひいてはアドルフ・ヒトラー総統が感じているジレンマだった。
このうえ、万が一にも大西洋で連合軍の反撃を受ける事にでもなったら、ドイツは三方から敵に囲まれる事になり敗北は決定的となる。
そうなる前に、連合軍の反攻を水際で食い止めるための要塞を建設しようと言うのだ。
「正直、あまり賛成はできないな?」
「おにーさんは、無駄だと思ってるの?」
「まあね」
現実問題として、そんな巨大な壁を張り巡らせることなど不可能だし、下手をすると全くの役立たずで終わったマジノ線の二の舞いになりかねない。
そんな事よりも、これまで通り水上艦やUボートの増産を行い、敵を海上で食い止める事を考えるべきだと思うのだが。
どうやらヒトラーを初め、ナチス党の幹部たちは、今現在郵政とは言え、イギリス相手に大きく戦力に水を空けられている海軍に頼るよりも、自分達が頼む陸軍に命運を委ねた方が勝率は高いと判断したらしい。
元々、ドイツは陸軍中心の国。その気持ちは分からないでもない。
海軍士官としては腹立たしい事この上ないが、それが上層部の判断だった。
と、
「ごめん、ちょっとボク、お手洗いに行ってくるね」
「ああ。場所は判る?」
「大丈夫。もう覚えたから」
何しろ建設されたばかりの基地である。下手をすれば迷って出て来られなくなる、などと言う事にもなりかねなかった。
トイレの方へと小走りに駆けていくシャルンホルスト。
その背中を見送るエアルに、グナイゼナウはふと、気になった事を尋ねてみた。
「ねえ、アレイザー准将。最近、あの子、調子どう?」
「あの子って、シャルの事だよね。別に、普通だと思うけど?」
「そう・・・・・・・・・・・・」
言葉を濁すグナイゼナウに、エアルとオスカーは訝るように視線を向ける。
「どうかしたのか?」
「うん・・・・・・シャルさ、何だか、ちょっと落ち込んでいる気がして」
その言葉に、エアルは少し納得する。
確かに、ここのところのシャルンホルストは、少し元気がない。
そして、その原因も、エアルには心当たりがあった。
先のスピッツベルゲン島沖海戦に先だって、初めて顔を合わせたティルピッツ。
彼女の姉であるビスマルクを、他ならぬ自分で沈めなくてはならなかった事への後悔。
その事が、シャルンホルストの心を苛んでいるのだ。
夜ごと、隣で眠るシャルンホルストが、うなされているのを見ているエアルは、彼女の気持ちが痛いほどに分かった。
「やっぱり、このままじゃまずい、よね」
そっと呟くエアル。
いつも明るいシャルンホルストが落ち込んでいる様子は、見ていて辛くなってくる。
恋人の悩みを、少しでも軽くしてあげたい。
エアルは心から、そう思うのだった。
用を足したシャルンホルストは、手を洗いながら鏡に向かってため息をつく。
「ああ、みんなに心配かけちゃったよね・・・・・・・・・・・・」
頭を抱える。
せっかくの休日だと言うのに、どうしても気分が乗らない。
戦っている時はそうでもないのだが、港にいればどうしても、あの娘の事を考えてしまう。
ティルピッツ。
イギリス海軍相手に、たった1隻で勇敢に戦い、最後はシャルンホルストの魚雷で自沈させざるを得なかった少女の妹。
ビスマルクの最後の姿は、今もシャルンホルストの脳裏に鮮明に焼き付けられている。
そんなビスマルクの妹が、自分の目の前に現れた。
シャルンホルストは内心の動揺を隠しきる事が出来なかった。
「このままじゃ、絶対だめだよね」
溜息をつく。
しかし、結局のところ、どうすれば良いのか。
その答えを少女は持ち得ていなかった。
と、その時だった。
「ちょっと、良いかしら」
「はい?」
呼ばれて振り返るシャルンホルスト。
そこで、
ギョッとした。
「話があるんだけど。少し、付き合ってくれる?」
そう言って、シャルンホルストに鋭い眼光を投げつける人物。
それは、たった今まで思い浮かべていた少女、ティルピッツに他ならなかった。
第59話「英王室の変」 終わり