蒼海のRequiem外伝 ~北天の流星~   作:ファルクラム

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第61話「些事に過ぎない」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 長い廊下を、ずいぶんと歩かされた気がする。

 

 リオン・ライフォードは、傍らを歩く相棒たる少女と歩調を合わせながら、先を歩く兄の背中を追いかけていた。

 

「あの、兄上?」

「うん? どうかしたか?」

 

 問いかける弟に、クロード・グレイス海軍少将は、振り返らずに答える。その足を止める事はない。

 

「俺達はいったい、どこに向かっているのですか? この先に一体、何があるのです?」

「そうだよ。朝ごはんしてる最中に、いきなりこんなところ連れてきてさ。説明くらいしてよ」

 

 ベルファストも、口をとがらせて抗議する。

 

 今朝、2人が艦で朝食を食べていると、いきなり本国艦隊司令部への出頭命令が来た。

 

 何事かと顔を見合わせながらも、支度をして司令部に行くと、そのまま待っていたクロードと共に車に乗せられ、連れてこられたのがこの場所と言う訳だ。

 

「ああ、先に言っておく」

 

 クロードは足を止めて、2人へ振り返る。

 

 その表情は、いつになく緊張に満ちていた。

 

「ここから先にあるのは、大英帝国の中でもごく一部の人間しか知らない、最重要国家機密だ。2人とも、そこの事を十分に理解して、この先で見た物は、絶対に外で口外しないように」

「も、もし、言ったらどうなるの?」

 

 こわばった表情で尋ねるベルファスト。

 

 対してクロードは一歩、彼女に近づくと、右手で拳銃の真似をして少女の眉間に近付ける。

 

「命は無い」

「ええッ」

 

 驚くベルファスト。

 

 だが、その傍らでリオンは、ジト目をしたまま嘆息する。

 

「兄上の冗談だ。真に受けるな」

「ははは、まあね」

 

 肩を竦めるクロードに。

 

 対してベルファストは一瞬、キョトンとしたが、すぐに自分がからかわれた事に気付き、ぷくーッと頬を膨らませる。

 

「もうッ 馬鹿にして!!」

「ははは、良い反応だよ、ベル。まあ、命云々は半分冗談だが・・・・・・」

「半分なんだ」

「最重要機密ってのは本当だ。だから、公言は避けてくれよ」

 

 そう言うと、クロードは目の前の扉を開く。

 

 そこは思った以上に広い空間で、多数の通信用機材と、ヘッドホンに耳を当ててメモを取っている兵士たち。更にはそれらを統括するように指示を出している士官の姿も見える。

 

 総勢で100名以上入るだろうか。

 

 かなり大規模な通信施設である事は間違いない。

 

「これは、すごいな」

 

 驚きを隠せない様子で、リオンは呟いた。

 

「本国艦隊司令部の通信施設でも、これほどの規模じゃない筈」

「まあね。ここには国内外のあらゆる情報が集められる。言わば、大英帝国における情報関連の中枢と言っても過言じゃない」

 

 イギリスは古来より、国家戦略に情報戦を重視してきた国である。

 

 だからこそ、歴史的に多くの国難に見舞われながらも、他国に占領される事無く生き残ってきたのだ。

 

「こっちだ。着いて来てくれ」

 

 そう言ってクロードは、部屋の更に奥へと2人を連れていく。

 

 奥の小部屋に入ると、更に数人の兵士達が、一つの機械を囲むようにして作業に取り組んでいるのが見えた。

 

 と、

 

「これは・・・・・・・・・・・・」

 

 中央にある機械を見て、リオンは驚きの声を上げた。

 

 それは開閉式の大形の箱で、手前にはタイプライターのようなキーボードがあり、更にて前にはプラグを差し込むボードがある。奥には光るランプが差し込まれたボードも見えた。

 

 一見すると何の機械かは分かりづらいかもしれない。

 

 しかし、その機械が持つ潜在的価値がいかに計り知れないか、リオンには分かっていた。

 

「リオン、どうしたの?」

 

 キョトンとするベルファスト。

 

 対してリオンは、振り返らずに答える。

 

「写真でしか見た事が無い。実物を見るのは始めてだが・・・・・・」

 

 言いながら、クロードを見た。

 

「エニグマ、ですよね。これ?」

「え? エニグマって、あのエニグマッ!?」

 

 ベルファストも、驚いて声を上げた。

 

 エニグマは、言うまでもなくドイツ軍が使用している高性能暗号機である。

 

 内部に回転する複数のローターが格納されており、キーボードを打つとローターが回転と反転を自動で行い、別の文字へと変換して発信する。

 

 文字を一つ打つ毎にローターは回転する為、同じ文字でも複数回打つと別の文字となる。

 

 ローターは1日ごとに交換される事になっている為、解読は非常に困難となる。

 

 エニグマから発せられた暗号を解読するには、「暗号機本体」「最新のローター」「解除キー」の3つが必須となるのだ。

 

 解読自体は戦前には既にできていたのだが、ドイツ軍は大戦勃発と合わせるように新型の暗号機を開発し戦線に投入した為、連合軍はドイツ軍の暗号を解読できず、対応が後手後手に回ってしまった。

 

 イギリス軍はドイツの気象観測船やUボートからエニグマを鹵獲する事を何度か試み、実際に成功もしていたが、その度にドイツ軍は新しいキーやローターに変更する為、イギリス軍による解読は遅々として進まなかった。

 

 また、複雑なシステムとは裏腹に、エニグマの構造自体はシンプルで扱いやすく、使い方さえ理解すれば素人でも使えるのも特徴だ。

 

 ドイツ軍が大戦初期に、あれほどの快進撃が出来た裏には、このエニグマ暗号機の存在が大きかった。正に、隠れた主力と言っても過言ではないだろう。

 

「今年の初めの事だ。損傷して自沈寸前だったUボートの鹵獲に成功し、同時に最新の暗号機、解除キー、ローターの鹵獲に成功したんだ」

 

 イギリス軍は、この事実をドイツ軍に知られない為、鹵獲の事実を徹底的に秘匿し、解読の為の専門チームを立ち上げた。

 

「それが、彼等『ウルトラ』と言う訳だ」

 

 ウルトラは既に活動を開始しており、いくつかの作戦においてドイツ軍の暗号解読に成功していた。

 

「では、これで我々はドイツ軍に対し優位に立てる訳ですね」

「そううまくいく物ではない。けど・・・・・・」

 

 薄く笑うクロード。

 

「かなり、アドバンテージを取れることは間違いないだろうね」

 

 話を聞きながら、リオンは自身がひどく高揚している事に気が付いた。

 

 これまで、イギリス海軍はドイツ海軍の様々な戦術に翻弄され敗北を重ねて来た。

 

 しかし、エニグマの解読に成功した事で、イギリス海軍が先手を取れるようになったのは間違いない。

 

 これで、勝てる。

 

 少なくとも、これまでのような無様な敗北を繰り返す事はなくなる。

 

 そう確信していた。

 

「あいつにも、勝てるかな」

 

 ぽつりとつぶやくベルファスト。

 

「ベル?」

「今度こそ、あいつに勝てるよね、リオン」

 

 ベルの言う「あいつ」。

 

 それが誰であるか、リオンには分かっていた。

 

 ドイツ巡洋戦艦「シャルンホルスト」。

 

 これまでに何度も、リオン達が戦場で対峙し、敗北を重ねて来た敵。

 

 否、

 

 敵、などと言う単純な言葉で言い表す事が出来ない、因縁の相手。

 

 「シャルンホルスト」を倒す。

 

 それは今や、リオンとベルファストにとって、戦争に勝つ事と同義の至上命題となっていると言っても過言ではなかった。

 

「ああ、必ずな」

 

 力強く頷くリオン。

 

 ベルファストもまた、相棒の言葉に笑みを作って頷きを返すのだった。

 

 その時だった。

 

 急に、周囲が慌ただしくなるのを感じ、顔を上げる。

 

「何があった?」

「さあ、急にどうしたんだろ?」

 

 訝る2人。

 

 そんな中、1人の通信士官が、紙片を片手にクロードへと足早に歩み寄った。

 

「閣下、これを」

 

 紙片を受け取ると、一読するクロード。

 

 その表情が、すぐに険しくなる。

 

「兄上、どうしたのですか?」

 

 怪訝な面持ちで尋ねる弟に、クロードは振り返って笑みを見せる。

 

「朗報だ」

「朗報?」

 

 訳が分からず、顔を見合わせる、リオンとベルファスト。

 

 対して、クロードは弾む声を押さえるようにして言った。

 

「獲物が罠に掛かった」

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 こんな光景、見るのも久しぶりだな。

 

 クロウ・アレイザーは、愛機であるメッサーシュミットBf109Gの操縦桿を握りながら、そんな風に考えていた。

 

 白い雲が浮かぶ大空の只中、眼下には波打つ海面。

 

 そして周囲には、鉄十字を翼に描いた多数の味方機。

 

 その数は、ざっと見ただけでも100機以上。

 

 他方面の戦線と合わせると、総数では500機近い航空機がドーバーを越えて飛んでいる。

 

 雲間を抜けて飛翔する、鉄十字の騎士たち。

 

 その様は、3年前のバトル・オブ・ブリテンを彷彿とさせる。まさに「第2次バトル・オブ・ブリテン」と言った感じだ。

 

 1943年11月10日。

 

 フランス沿岸部の基地に集結したドイツ空軍(ルフトバッフェ)各部隊はこの日、約3年ぶりとなる、イギリス本土に対する大規模空襲を仕掛けた。

 

 この攻撃の為にドイツ空軍は、他戦線に展開中の部隊を縮小、可能な限りの兵力集中を図った。

 

 東部戦線の最前線にて陸軍支援を行っていたクロウの部隊も招集された1つである。

 

 劣勢の東部戦線支援は、ドイツ空軍にとって最重要任務であると言える。

 

 その東部戦線における航空支援を一時的に縮小してでも、イギリス攻撃の為の部隊編成を行った事から考えても、本作戦におけるヒトラーやゲーリングの意気込みが伺える。

 

 ヒトラーからすれば、先のベルリン空襲で余程、頭に血が上っている。イギリスも同じ目に合わせない事には、腹の虫が収まらない、と言ったところだろう。

 

 加えて、ヒトラーには焦りもあった。

 

 去る9月8日。枢軸国を激震させる、大事件が発生した。

 

 何と、枢軸国の1国であり、ドイツにとっては頼るべき盟友でもあったイタリアが、連合国との間に単独で休戦協定を結んだのだ。

 

 北アフリカ戦線で敗れ、地中海の制海権を失い、更に自国の本土にまで攻め込まれる事態に至り、とうとうイタリア国内では連合国との手打ちが考えられるようになった。

 

 既に統領であるベニト・ムッソリーニは、度重なる失態によって求心力を失っており、イタリア政権内部は、反ファシスト派によって統一されていた。

 

 元々、国内での結束が薄い国だったが、そのせいもあり「ムッソリーニ退陣」の運動は瞬く間に全土に広がった。

 

 政権交代。

 

 ムッソリーニ逮捕。

 

 一連の流れは速やかに行われ、発足した新政権は連合国に対し休戦の申し出を行った。

 

 その結果、1943年9月8日、イタリア王国は枢軸国からの脱退を宣言し、連合軍との間で休戦協定を締結した。

 

 事実上の、イタリア降伏。

 

 これは同時に、ドイツが自国南側の防衛線を失った事を意味する。

 

 西部戦線、東部戦線に加え、南部戦線までも圧迫されれば、対独包囲網が完成してしまう。そうなれば、ドイツの敗北は確定してしまうだろう。

 

 憂慮したヒトラーは、直ちに行動を起こした。

 

 約100名から成る特殊部隊を編成すると、「(オーク)作戦」を発動。

 

 イタリア中部グラン・サッソ山荘に幽閉中のムッソリーニを救出すると、彼の身柄をイタリア北部へと移送。そこでドイツ政府全面支援による新政権樹立。更に自国から兵力と兵器を供与し、軍事力の強化も促した。

 

 これによりイタリアは、南部「イタリア王国」と北部「イタリア社会共和国」とで分断。事実上の内戦状態に突入した。

 

 一方、救出されたムッソリーニは、ヒトラーの「好意」に感動し、彼と共に今次大戦を戦い抜く事を改めて誓った。

 

 もっとも、

 

 当然のことながら、ヒトラーからすれば善意から出た行動と言う訳ではない。イタリアの脱落は己の死活問題であり、どうにか影響力を保持したいと考えての行動であり、その為の材料としてムッソリーニが必要だったから助けただけの事。

 

 これによりムッソリーニは、完全にヒトラーの傀儡となった事を意味している。

 

 ヒトラーはとにかく、時間が欲しかった。

 

 東部と南部、双方の戦線を盛り返すための時間が作れるのであれば、使える物は何でも使うつもりだった。

 

 ムッソリーニは言わば、南からドイツに迫る連合軍への防波堤、その材料の一つに過ぎなかった。

 

 とは言え、これで南からの脅威が、今暫く抑えられたのも事実。ドイツ軍としては、今のうちに戦線をどうにか打開したいところ。

 

 今回のイギリス攻撃は、先のベルリン空襲の報復と言う意味合いもあるが、同時に北部で攻勢を予定している海軍の支援、と言う意味合いもある。それも、敵の包囲網が完成する前に、何としてもイギリス軍に大打撃を与え、あわよくば降伏まで追い込む事が出来れば上出来だった。

 

「・・・・・・・・・・・・さて」

 

 クロウは、愛機、メッサーシュミットBf109Gの操縦桿を握り直す。

 

 間も無く、イギリスの海岸線が見えてくる。

 

 イギリスの防空力の高さは3年前に嫌と言うほど味わっている。油断はできない。

 

 仕掛けてくるとすれば、そろそろの筈。

 

 そう、思った時だった。

 

 目の前を飛行していたドルニエDo217爆撃機が突如、爆炎と共に翼を折られて失速するのが見えた。

 

《敵襲ッ!!》

 

 無線から聞こえてきた悲痛な叫びに、クロウは思わず舌打ちする。

 

「やっぱ、待ち伏せてやがったか!!」

 

 叫びながら操縦桿を倒すクロウ。

 

 視界がグルリと巡る。

 

 鉄十字の翼は、蒼空で急激に旋回する。

 

 敵はスーパーマリーン・スピットファイアに、ホーカー・ハリケーン。

 

 3年前と同じ、イギリス空軍の主力戦闘機である。

 

 スロットルを開き、速力を上げるクロウ。

 

 同時に、最初の獲物であるスピットファイアに向けて突撃を開始するメッサーシュミット。

 

 照準器の中で膨らむ敵機の姿。

 

「食らえ!!」

 

 火を吹く、20ミリ・モーターカノン。

 

 火線はまっすぐに飛び出し、スピットファイアを捉える。

 

 砕け散る、英軍機。

 

 空中で吹き上がる火球を背に、クロウは翼を翻す。

 

 周囲では、ドイツ空軍とイギリス空軍の戦闘機が入り乱れて空戦を行っている。

 

 時折、火を吹きながら海面へと落下していく機体もある。

 

 一部のドイツ空軍の戦闘機隊を突破したイギリス軍機が、ドイツ軍の爆撃機隊に迫ろうとしている。

 

「やらせるかよッ!!」

 

 クロウは直ちにメッサーシュミットを加速させると、爆撃機に迫ろうとするハリケーンを追撃する。

 

 更に1機撃墜。

 

 手を振る爆撃機のクルーに笑みを返しながら、次の目標へと移るクロウ。

 

 だが、

 

 同時に焦りが募り始める。

 

 既に戦闘開始から10分以上経過している。

 

 先のバトル・オブ・ブリテン敗北の一因ともなった、Bf109の航続力の短さは、このG型になっても健在である。

 

 新型の増槽が開発され、多少は解消されているが、それでも長時間、敵地上空に留まって戦闘する事は出来ない。

 

 時間が来たら、否が応でも撤収しなくてはならないのだ。

 

 もう一度、時計を確認する。

 

「まだ、もう少し行けるッ」

 

 呟きながら、操縦かんを握り直した。

 

 次の瞬間、

 

 不意に、目の前のハインケル爆撃機が、火球に変じて爆散した。

 

「ッ!?」

 

 舌打ちするクロウ。

 

 その視界の先で、1機のスピットファイアが、挑発するように駆け抜けるのが見えた。

 

 

 

 

 

「はいはァい、正義の味方さーんじょーッ!! ナチの豚野郎共ッ 正義の鉄槌を食らえェ!!」

 

 口元に哄笑を刻みながら、スピットファイアの操縦桿を操る、英国第9王子リシャール。

 

 その鋭い攻撃に、また1機、ドイツ軍の爆撃機が炎に包まれる。

 

「遅い遅いおそーいッ そんなノロマじゃ豚狩りにもならないなァ!!」

 

 機体を旋回させるリシャール。

 

 その照準器が、逃げ惑うハインケルを狙う。

 

 必死に防御砲火を撃ち放つハインケル。

 

 しかし、リシャールは、機体を左右に振って攻撃を回避すると、あっさりと射点に収め、ハインケルを撃墜してしまった。

 

「あー楽ちーッ さいこーッ 生きてるってさいこーッ 僕の為に生きててくれてありがとー豚君たち!! そして死んでくれてありがとー!!」

 

 機体を操りながら、下品な笑いをやめようともしないリシャール。

 

 相変わらずの技量の高さ。

 

 人格の下劣さも合わせて、全く変化が無いのもまた、この男故と言えるだろう。

 

 そう、

 

 リシャールにとって、全てがどうでも良い事だった。

 

 王位継承権も、王室内の内紛も全て。

 

 腹違いの兄、ディランが王位継承権を剥奪された事は、リシャールの耳にも届いていたが、聞いて数秒で忘れた。どうでも良い事だから。

 

 リシャールにも、王位継承に名乗りを上げてほしいとの打診が来ていたが、すぐに断った。どうでも良い事だから。

 

 そんな使者が来た事すら、すぐに忘れた。どうでも良い事だから。

 

 全てがどうでもよかった。

 

 リシャールにとって、戦闘機に乗って戦う事。

 

 否、

 

 戦闘機(おもちゃ)を使って自分が一方的に敵を虐殺(ゲーム)をすること以外、心の底からどうでもよかった。

 

 ただ、敵を虐殺し、自分が気持ちよくなれればそれでいい。

 

 ただ、それだけだった。

 

 そのリシャールが、新たな目標に目を付ける。

 

 眼下に、間抜けな姿をさらして飛んでいるナチの爆撃機。

 

 舌なめずりをする。

 

 あいつを落とせば、もっと気持ちよくなれるのは間違いない。

 

 速度を上げる、リシャールのスピットファイア。

 

「さあ、僕に狩られろ、豚ァァァァァァッ!!」

 

 叫ぶと同時に、トリガーを絞るリシャール。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その体は、背後から放たれた弾丸に撃ち抜かれ、鮮血をまき散らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あッ・・・・・・が?・・・・・・あ?」

 

 言葉にならない言葉を吐き出すリシャール。

 

 その口元から、

 

「ブゴッ」

 

 豚のような無様な声と共に、どす黒い血が迸った。

 

 次いで理解する。

 

 自分の身に、何が起きたのかを。

 

 撃たれた?

 

 どこから?

 

 自分が?

 

 噓でしょ?

 

 そんな意味のない疑問が、次々と浮かんでは消えていく。

 

 と、

 

 その視界がグルリと回り、正面から海面が迫ってくるのが見えた。

 

 見れば、機体のプロペラが止まっている。

 

 動力を失ったスピットファイアは、ドーバー海峡の海面に向かって、まっしぐらに落ちていこうとしているのだ。

 

「ッ!? ッ!? ッ!?」

 

 慌てて、操縦桿を動かすが、当然ながら機体は一切反応を示さない。

 

 それでもガチャガチャと操縦桿を動かす、無意味な行動を繰り返す。

 

 その間にも、徐々に近づく海面。

 

「い、い、いや・・・・・・いや、だ」

 

 鮮血が零れる口から、悲痛な呟きが漏れる。

 

「イヤだァ!! し、死にたくないッ 死にたくないッ こんなッ こんなッ!!」

 

 海面に向かって、まっしぐらに落ちていくスピットファイア。

 

 リシャールは、自分の顔面を血と涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら、みっともなく泣きわめく。

 

「こんなのやだァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 次の瞬間、

 

 リシャールのスピットファイアは、海面にぶつかって木っ端みじんに砕け散った。

 

 その搭乗者ごと。

 

 

 

 

 

「よし、次だッ!!」

 

 操縦桿を引いて、メッサーシュミットを反転させるクロウ。

 

 既に、戦場に留まれる時間は、残りわずかとなっている。

 

 はやる気持ちに拍車をかけて、クロウは次の目標へと向かう。

 

 たった今、自分が撃墜したスピットファイアの事は、もう頭に無かった。

 

 どうでも良い事だから。

 

 

 

 

 

第61話「些事に過ぎない」      終わり

 

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