1
出撃の日が近づくにつれ、北ノルウェー基地の喧騒は日に日に高まりつつある。
それは最早、出撃前の恒例行事とも言えるだろう。
艦隊が出撃する。
それはある種の「祭り」にも似た熱気を齎す物なのだ。
総統命令による、出撃決定。それも全艦上げての出撃ともくれば、出撃準備だけでも戦闘時に匹敵する忙しさとなる。
とは言え今回、その熱気の中にも、はっきりと分かる程の「戸惑い」が含まれている事実について、誰もが目を背ける事は出来ない。
今回の出撃について、多くのドイツ海軍将兵、艦娘にとって承服しがたいものがあった。
これまで、ヒトラーが多くの戦いに強引に口出しし、その結果現場が混乱を来した、と言う事は伝え聞いている。
しかし、そのほとんどが陸軍や空軍に対する物であり、ヒトラーは、これまで海軍の作戦に対して、それ程介入した事はない。その為、ヒトラーが無茶な作戦を提示してくる、などと言う事態が海軍側にとってはどこか現実味の薄い話として受け止められていた。
それが現実となった形である。
ドイツにおいて、ヒトラーの命令は絶対。違える事は許されない。
たとえそれが、どれだけ生産性の低かったとしても。
ノルウェー基地では、各艦の出港準備が急ピッチで進められようとしていた。
燃料、弾薬、食料、その他、必要な物資の積み込み、各部署のチェック。
艦隊全てが、出撃に備えて整えられていく。
そんな中、出撃に備え、思い思いの日々を過ごす者達もいた。
「ふうん、そんな事があったんだ。ティルピッツがねえ」
「うん、いきなり来られたからびっくりした。正直、おにーさんが来てくれなかったら、どうなってたか」
シャルンホルストは、カフェで妹のグナイゼナウと向かい合いながら、嘆息気味に、先日起きた事を話していた。
突然、自分の目の前に現れたティルピッツ。
ティルピッツが自分の前に現れた事情は間違いなく、姉のビスマルクについてだろう。
糾弾しようと言うのか、あるいは恨み言をぶつけようとしたのか。
あの時は結局、彼女と話す機会を得る事が出来ず、その真意を推し量る事も出来ないのだが。
「だいたいさ、ビスマルクが沈んだのはシャルのせいじゃないでしょ。それをどうこう言う方がおかしいじゃない」
「それは、まあ、そうなんだけど・・・・・・」
言葉を濁すシャルンホルスト。
グナイゼナウの言いたい事は判る。
事情を理解できる者なら、シャルンホルストにはビスマルクを救いようが無かった事は十分理解できるだろう。
あの時、「ビスマルク」はイギリス艦隊の集中攻撃で武装の大半を破壊され、舵を失い、機関も停止状態にあった。世界最大の戦艦を曳航する事が出来たのは、あの場では「シャルンホルスト」だけだったが、その「シャルンホルスト」にしても機関の不調で、いつ航行不能になるか分からない。
そのような状況下で、ビスマルクを救い得る可能性はゼロだったと断言できる。
むしろ、誇りある死を選ばせてあげる事が出来ただけマシと言う物。
しかし、相手が沈めた人の身内となれば、話は別になってくる。
ティルピッツが、姉の死に対して思うところがあるのはある意味で当然であり、その当事者であるシャルンホルストを恨んでいたとしても(たとえそれが逆恨みであっても)不思議はない。
俯くシャルンホルスト。
正直、次にティルピッツと会う時、どんな事になるのか想像もできなかった。
そんな姉に対しグナイゼナウは、やれやれと呆れ気味に口を開いた。
「堂々としてればいいのよ」
「ゼナ?」
「シャルはビスマルクの為に、やるべき事をやった。その事を、その時その場にいなかったティルピッツにとやかく言われるような事じゃないでしょ。それでも何か言ってくるようだったら・・・・・・」
「だったら?」
首を傾げるシャルンホルストに、グナイゼナウはニコッと笑って見せる。
「あたしがガツンと言ってやるわよ。『うちの姉をイジメるな』てさ」
その言葉に、キョトンとするシャルンホルスト。
一方のグナイゼナウは、不敵な笑みでまっすぐに見据えて来る。
ややあって我に返ったシャルンホルストは、思わず吹き出してしまった。
「もうッ ボクの方がお姉ちゃんなのにッ」
これじゃ、どっちが姉か分からない。
けど、そうだった。
グナイゼナウは、いつだって自分を気遣ってくれた。
シャルンホルストを助け、時には姉を守る為に傷つく事も厭わなかった。
グナイゼナウがいてくれたからこそ、シャルンホルストは今日まで戦ってこられたと言っても良いだろう。
シャルンホルストにとって、グナイゼナウは誰よりも大切な、世界で一番、頼りになる妹だった。
「ゼナ」
「うん?」
「ありがとうね」
突然の、シャルンホルストの言葉に、キョトンとするグナイゼナウ。
「どうしたのよ、急に?」
「何となく、言いたくてさ」
そう言って笑うシャルンホルスト。
そんな姉の仕草が面白かったのか、グナイゼナウもつられて笑い出す。
出撃前の喧騒の一時、
巡戦姉妹の朗らかな笑いが、ノルウェー基地内に響き渡る。
その時だった。
「ゼナッ」
振り返れば、オスカー・バニッシュが手を上げながら歩いてくるのが見えた。
グナイゼナウはこの後、彼と出かける約束をしている。シャルンホルストとは、その間の時間を潰していたのだ。
「じゃね、シャル」
「うん、楽しんできて」
駆けていく妹の背中を、笑顔で見送るシャルンホルスト。
グナイゼナウは、オスカーと腕を組むと、そのまま談笑しながら去って行く。
「相変わらず、仲良いんだね」
微笑ましく、2人の様子を見守るシャルンホルスト。
本当に、お似合いの2人だと思う。
「結婚しないのかな、あの2人」
人間と艦娘が結婚する事は珍しくない。現に、恋人のエアル達兄妹だって人間と艦娘のハーフである。
だから、あの2人もくっつけばいいのに。そうすれば自分も嬉しいし。
そんな事を考えていると、ふと、自分達はどうなのだろう? と思った。
想像してみる。
自分とエアルが結婚する。
どこかの教会で式を上げ、そして一緒に暮らす。
勿論、今は戦時下である。そして自分は艦娘で、エアルは海軍の提督だから、一般人の普通の家庭のようにはいかないかもしれない。
でも、それはとても幸せな事なのではないだろうか。
きっと、楽しい未来が待っている。そんな確信に近い想いがあった。
悪くない。
そう、本当に悪くない考えだと思った。
叶えたい。
自分と、エアルの未来を。
その為には、
「負けられない、よね」
次の戦い、何としても勝たなければならない。
負ければ未来は閉ざされ、自分達は奈落の底へと転がり落ちる事になる。
勝って、自分達の未来を勝ち取る。
そう、心に改めて誓うのだった。
2
本国艦隊旗艦である戦艦「アンソン」は、キング・ジョージ5世級戦艦の4番艦に当たる。
同クラスは、全部で5隻建造されたが、2番艦の「プリンス・オブ・ウェールズ」が、マレー沖海戦で日本海軍の航空攻撃によって撃沈され、現在は4隻が健在である。
その「アンソン」で今、本国艦隊の首脳部、及び、各部隊の司令官、旗艦艦娘達が集まっていた。
議題は、ノルウェー駐留中のドイツ海軍の動きについて。
壇上に立ち、進行役となっている参謀長のクロードが、司令官のボルス・フレイザーの方を見た。
「全員揃いましたので、始めさせていただきます」
尋ねる参謀長に、フレイザーは黙して頷きを返した。
参加している面々の中に、リオンとベルファストの姿もあった。
2人とも、巡洋艦部隊の指揮官として、この会議への出席を命じられていた。
一同が視線を送る中、クロードが話し始めた。
「先日、情報部から報告がありました。ノルウェーに展開しているドイツ艦隊に動きがあった、と。既に数多くの輸送船が、ドイツ本国からノルウェーへと移動している事が判明、同時に傍受された通信の解析により、大規模な出撃がある事が判りました」
その言葉に、一同はざわつきを見せる。
ドイツ艦隊出撃。
それは一同にとって、寝耳に水に近い物だったからだ。
ドイツ艦隊の基本戦術は通商破壊戦にあり、ノルウェー基地もその為の存在であると認識されていたからだ。
通商破壊戦は、基本的に奇襲がメインとなり、今回のような大規模出撃では、その効果も望みにくい。
つまり、今回のドイツ艦隊の出撃は、これまでの彼等の戦略に矛盾しており、「北ノルウェー基地の戦略性」「奇襲によるアドバンテージの確保」と言う、ドイツ海軍の利点を捨てる事になる。
それなのに、利点を捨ててまで打って出る意味が分からなかった。
無論、これまでドイツ海軍は何度か全力出撃を行った事はあるが、今この時期に行う理由が不明なままだった。
だがそんな中、リオンとベルファストだけは落ち着いた様子を見せている。
「クロードの言う通りになったね」
「ああ」
頷きを返すリオン。
先日の事だった。
「ウルトラ」に案内された際、2人はクロードから作戦の説明を受けていた。
既にいくつかの情報分析から、ドイツ帝国総統のアドルフ・ヒトラーと言う人物に対する性格分析がなされていた。
曰く「恐ろしいほどに怜悧冷徹で、論理的思考を有し、巧妙な弁舌をもって大衆を誘導するカリスマ性に長ける。一方で、独裁者特有の猜疑心と独善性があり、更にプライドも一定以上に高い。所謂『我の強い人物』であり、全てが自身の思い通りに進まないと気が済まない」との事。
そのような人物であれば、自分の国の首都が大規模な爆撃を受けて破壊される事に我慢ならない筈。
そう考えたクロードは、空軍にも協力を取り付け、ベルリンに対する大規模な爆撃を実施させた。
因みに、そのベルリン大規模爆撃が行われた日に、たまたまヒトラーが滞在していたのは全くの偶然であり、その事についてはイギリス側も把握していなかった。
効果は抜群であり、ヒトラーは空軍の大部隊をフランス沿岸に集結させる一方、ノルウェーの艦隊も出撃させようとしていた。
まさにクロードが言った通り「獲物が罠に掛かった」のだ。
そして、
この情報が「ウルトラ」から齎されたであろう事には、リオンもベルファストも既に気付いていた。
「噂に違わず、と言ったところ」。イギリスが誇る最重要諜報機関は、期待通りの働きをしていた。
「では参謀長。作戦の具体的な説明を」
「はい」
促されて、クロードは一同に視線を向ける」
クロードの言葉に、一同の視線が集まる。
「我が艦隊は、北海を南下するドイツ艦隊を迎撃する為に出撃します。その作戦の骨子は『ドイツ艦隊の切り札を一つずつ潰していく』事にあります」
艦の外から聞こえてくる、出向に向けた喧騒。
それらを聞き流しながら、エアルは詰まれた書類にサインを記していく。
書類は主に、補給関連に関する物だ。
戦闘に必要な砲弾や魚雷、燃料、乗組員の食料や衣服の積み込みが滞りなく終わりつつあることを表している。
準備は順調。
戦力は可能な限り揃った。
艦隊の士気は高い。
にも拘らず、エアルの胸中には不安が隠せなかった。
ラプラタ沖で孤立無援の中、戦闘を決断した時も、ツェルベルス作戦で白昼の敵前中央突破を進言した時も、エアルは不安など一切感じなかった。
自分達ならやれる。
この「シャルンホルスト」に乗っている限り、決して不可能ではない。
そう信じて実行し、実際にやり遂げた。
しかし今、あの頃とは比較にならない程強力な味方に囲まれていながら、エアルは不安をぬぐい切れずにいた。
今回の作戦、ノルウェーを出航したドイツ艦隊は水上打撃部隊である第1艦隊と、航空支援部隊である第2艦隊とに分かれ、一路西進した後、南へと進路を転換、イギリス本土を目指す航路を取る。
目指すはオークニー諸島。イギリス本国艦隊の本拠地、スカパ・フロー軍港がある場所だ。
その過程で迎撃に現れるであろう、イギリス本国艦隊を誘い出し決戦に持ち込む。
イギリス本国艦隊撃破の後は、オークニー諸島へ突入、スカパ・フローへ艦砲射撃を行った後、離脱するのが一連の流れとなる。
現在、ドイツは西に連合軍、東にソ連軍との戦線を抱えている。
このまま行けば、ドイツは東西から押しつぶされて敗北する事になるだろう。その前に、イギリス海軍の根拠地を叩き、駐留する艦隊を殲滅する事で、連合軍の侵攻を遅らせる事が狙いだった。
この戦いに、投入可能な全戦力を用いる事が決定している。
しかし、
初戦に比べて弱体化したとは言え、イギリス本国艦隊は尚も強大であり、その戦力はドイツ海軍の全戦力を上回っている。
ヒトラーは初戦のノルウェー沖海戦の再現を狙い、戦力を集中させれば勝てる、と考えたのかもしれない。
しかしあの時、ドイツ側は長い時間をかけて綿密に計画を練り、イギリス海軍の行動を研究、更に初戦でイギリス海軍がまだ態勢を整えていないところに、敢えて戦力が少ないドイツ海軍が戦力を集中させ、味方の布陣するテリトリーに引き込んで殲滅する、と言う奇策が功を奏した上での勝利だった。言わば、1回こっきりの隠し玉が図に当たったに等しい。
あれから4年が経ち、イギリス海軍は消耗を重ねつつも、新規戦力を増やしているのに対し、ドイツは陸軍と空軍の増強が優先され、海軍はUボート以外では、「ティルピッツ」やグラーフ・ツェッペリン級航空母艦、ザイドリッツ級軽巡洋艦が戦力に加わったのみ。
イギリス海軍もあれから更に研究を重ね、戦力を整えている事だろう。少なくとも、これまでのような無様な戦いはするまい。
つまりドイツ海軍は、初戦の頃と殆ど変わらない戦力で、初戦の頃よりも遥かの強大になったイギリス海軍と戦わなくてはならないのだ。
簡単に行くとは思えない。
無論、ドイツ海軍軍人として最善を尽くして戦う。
しかし、負けを許されない戦いで、不利な状況を強いられているのは間違いなかった。
「・・・・・・そう言えば」
エアルはふと、父の事を思い出した。
実は先日、第2艦隊司令官だったライカー・クメッツ大将が、本国に帰還してしまった。
理由は体調不良。ノルウェーの過酷な環境にあって軍務を続けた事で、体を壊してしまったのだ。
ドイツ海軍は、決戦を前にして実戦部隊のナンバー2を失った事を意味する。
早急な司令官代行が求められる中、白羽の矢が立ったのが、総統閣下の命令を伝える為、ノルウェーを訪れていたウォルフ・アレイザー親衛隊中将だった。
ウォルフはベルリン作戦やツェルベルス作戦時、第1航空群や第1艦隊を率いている。
第3次ブレスト沖海戦では艦隊を指揮しイギリス艦隊撃破、作戦成功に導いている。
正に、うってつけの人材と言う訳だ。
「また、父さんと戦う訳か」
エアルが率いる第1戦闘群は、ウォルフ指揮下の第2艦隊に所属している。
つまりエアルにとってはまた、父が直属の上官になったわけだ。
大西洋の戦いで指揮下として戦い、ウォルフの手腕は知っている。その実力に不安はない。
しかし、それでもやはり、蟠りがある父の下で戦うのは、息子としては複雑だった。
その時だった。
ふと、足音が聞こえて振り返ると、そこにはよく見慣れた巡戦少女の姿があった。
「・・・・・・父さんは今度の作戦、どう思ってるんだろう」
父はヒトラー総統の側近であり、私的な面では友人でもある。
一方でアレイザー・プランの立案や北ノルウェー基地の建設による北方航路遮断等、数々の作戦に寄与し、切れ者としても通っている。
そのウォルフが、今回の作戦について何も思うところがないとは思えないのだが。
正直、直接問いただしてみたいと思わないでもない。
しかし、蟠りのある父と直接対面する事は、正直なところ躊躇われる。
何より、あの父が息子の質問だからと言って、おいそれと己の心中を話すとも思えなかった。
「結局、俺達は従うしかない、と言う訳か」
ドイツにおいて、ヒトラーの命令は絶対である以上、それに従うしかない。
それはたとえ、父であっても同様。聞くだけ時間の無駄だった。
と、
「おにーさん」
背後から声を掛けられて振り返ると、そこにはたった今戻って来たらしいシャルンホルストが佇んでいた。
「ああ、シャルお帰り」
笑いかけるエアル。
シャルンホルストは軽い足取りで歩み寄ると、そっと、椅子に座るエアルを抱きしめる。
驚くエアル。
しかし、すぐに微笑むと、そっと彼女の髪をなでる。
「どうかした?」
「ううん。ちょっと、こうしたかっただけ」
そう言いながら、エアルを抱く腕に少しだけ力を籠めるシャルンホルスト。
シャルンホルストの温もりを腕の中に感じながら、エアルは己の中にある幸福を改めて強く感じる。
恋人同士になってからも、互いに深め合ってきた愛情。
エアルにとって、シャルンホルストの存在こそが、今や自分の中で最も大きな物となっている。
この娘の為なら戦える。
この娘の為なら、いかなる強大な敵であっても恐れはしない。
その想いが、温もりと共に胸の内を満たしていく。
決戦の時は近い。
勝てるという保証も、どこにもない。
だからこそ、
大事な人を守る。
未来を勝ち取るために。
ただ、それだけの為に戦おう。
エアルとシャルンホルスト。
2人の胸の内に、その決意が改めて灯るのだった。
独英、両海軍が決戦に向けて進み始める。
その先にある物は、希望か、或いは、
破滅か・・・・・・・・・・・・
第62話「暗中に灯る希望の温もり」 終わり