1
その日の北海は、朝から深い霧に包まれていた。
昼以降は晴れるとの予報が出ていたが、早朝の現在、ほんの数キロを見通す事すら困難な霧はどこか魔界への入り口を彷彿とさせ、見る者に得体の知れない恐怖を与えて来る。
そんな風に北海全体を霧が覆う中、シェトランド諸島沖を1隻の船が航行していた。
一見すると貨物船にも見えるその船は、しかし実際にはれっきとした軍艦である。
イギリス海軍仮装巡洋艦「ラワルピンディ」。
仮装巡洋艦とは、貨物船に偽装した戦闘艦の事で、武装を甲板上の貨物や舷側装甲に擬し、遠目には輸送船と区別が付かないようにした艦である。
通常時は輸送船に擬態した状態で航行しているが、戦闘時には瞬時に武装を展開して戦闘可能になる。
通常の輸送船や客船を改装して建造される関係から当然、攻撃力、防御力、速力、全てにおいて純粋な戦闘艦に劣る事になる。完全に奇襲専門の艦であり、主な任務は通商破壊戦となる。
大戦初期にはドイツ海軍も多数の仮装巡洋艦を運用していた。北海はもとより北極海、大西洋、最盛期にはインド洋にまで展開し、大きな戦果を挙げている。
その「ラワルピンディ」が今、霧に包まれた北海を航行していた。
その艦橋では、 1人の男が不機嫌な顔を張り付かせて佇んでいる。
「クソッ 何で、この俺が、こんなクソみたいな船を使わなきゃならんのだ」
愚痴る男。
低い声で発せられたその言葉が、周囲の者達に聞き咎められなかったのは、幸なのか不幸なのか、果たして。
「少佐」の階級章を付けたその男。
若く、端正な顔立ちは一見すると人を引き付ける物があるようにも見える。だが同時に、どこか傲慢さと卑屈さが感じられる雰囲気を持っていた。
ダリス・ケンウッド英国海軍少佐。
と言うのは、世を忍ぶ仮の姿。
その正体は、自称「次期国王」にして自称「救国の英雄」。
だった男。
ディラン・ケンブリッジだった。
なぜ、ディランがここにいるのか? そしてなぜ他人の姓名を名乗り、なぜ少佐の階級を付けているのか?
度重なる失態により、王室からも海軍からも放逐されたディランは、その後完全に路頭に迷った。
訳ではなかった。
実のところディランには、王室にも大半の側近にも秘密にしている隠し財産が結構な額、存在していた。
周囲の目を掻い潜り、予算をちょろまかしては貯め込んだ
こうしたところは抜け目がなかった。
とは言え、その「へそくり」は、相応の額であり、一般家庭の人間であるなら数年は働かずとも食い繋げるくらいの蓄えはあった。
そのなけなしの「へそくり」を持ち出したディランは、裏の伝手を使って「ダリス・ケンウッド」と言う架空の身分と、海軍少佐と言う地位、そして「ラワルピンディ」艦長と言う役職を金で買い、まんまと復職する事に成功していた。
ちなみに、「本物のダリス・ケンウッド少佐」は先月、行先も告げずに外出したきり音信不通となり、現在も行方が分かっていない。そしてつい2週間ほど前、テムズ川に身元不明の遺体が浮かんでいるのが発見されたが、その人物についても未だに正体が判っていない。
ともあれ、こうして海軍軍人として密かな復活を果たしたディランは、ドイツ海軍出撃の報を盗み聞きすると、「北海における哨戒ラインの形成」を理由に出撃してきたわけである。
全ては海軍上層部に諮る事ない、独断での出撃だった。
「艦長。今のところ順調です。レーダー、ソナー共に接近する艦影は見えません」
そう言うと、ベテランの風貌を持つ女性が敬礼する。
仮装巡洋艦「ラワルピンディ」の艦娘である彼女は、目の前の相手がかつての「救国の英雄」であるとは、つゆとも思っていない。
否、彼女だけではない。
誰も、こんなところに「ディラン・ケンブリッジ」がいるなどとは、思ってもみなかった。
ただ、自分達が祖国を守る為に戦える事を誇りに思っていた。
「ああ、そうかい。そのまま続けてろ」
ぞんざいに命令を下しながら、ディランは自分の脳内で計算する。
今回の戦いで、少なくとも1隻のドイツ艦を撃沈する。
そのネタを新聞社と軍の広報部に売りつけ、大いに宣伝させるのだ。
《復活の大英雄》
《偉大なる救国の英雄ディラン王子再び!! 華麗なる戦略にて悪逆なるナチスへ正義の鉄槌を下す》
《次期国王確定》
そんな見出しの記事がロンドンに踊る様子が目に浮かぶ。
ほくそ笑むディラン。
晴れて凱旋、自分は救国の英雄として返り咲き、不逞に奪われた栄光と地位を取り戻すのだ。
次期国王の座が誰の物か、今一度、世間に知らしめてやる。
そんな夢想が、勝手に頭の中を走っていく。
しかし、
それがいかに霧の如く儚く消える「霧想」だったか、ディランは程なく思い知らされることになる。
「レーダーに感ありッ、3時の方向!! 反応、大!!」
緊張を走らせる「ラワルピンディ」の艦橋。
その時、
一瞬だが強風により霧が晴れ、彼方に浮かぶ相手の存在が見えた。
「んなァァァッ!?」
間抜けな悲鳴と共に、思わずディランは目をむいた。
それは、忘れたくても忘れられない相手。
幾度となくディランの前に立ちはだかり、そのたびに煮え湯を飲ませられた、「悪逆非道なるナチスの手先」。
「シャ、『シャルンホルスト』、だと!?」
見間違えるはずも無い。
戦艦にしては細い船体に、バランスよくまとまった砲塔と上部構造物。
そして、マストに誇らしく翻った鉄十字。
3基の47口径40センチ連装砲塔は、既に旋回を終えて「ラワルピンディ」を睨んでいる。
「艦長!!」
駆け寄ってくるラワルピンディ。
彼女も、相手が何者であるか気づいたのだ。
「すぐにこの事を司令部に連絡をッ それと武装を展開するよう命じてくれ!!」
既に、彼女は自分達の運命に見切りをつけていた。
自分達は助からない。ここで死ぬ。
しかし、死ぬ前にイギリス海軍軍人としての使命を果たし、更に敵に一矢報いる事で誇りを示すのだ。
たとえ自分達が死すとも、この事を味方に伝え、明日の勝利を祖国に捧げるのだ。
それが今、自分達にできる唯一の事の筈。
だが、
その命令を下すべきディランは、
まるで思考停止したように、その場から動こうとしなかった。
なぜだ?
なぜ、奴はいつも自分の前に現れる?
なぜ、いつも自分の邪魔をする?
なぜだ?
なぜだ?
そんな意味のない思考が繰り広げられる。
「艦長ッ しっかりしてくれ!! 艦長!!」
ラワルピンディの悲痛な叫びが、虚しく響く。
次の瞬間、
「シャルンホルスト」の主砲が、一斉に火を吹いた。
彼方に浮かぶ敵船。
否、
「元々は敵船だった炎と鉄くずの塊」は、徐々に沈みゆく様子が見える。
その様を見ながら、
「シャルンホルスト」艦橋に立つエアルとシャルンホルストは、互いに首を傾げた。
「何がしたかったの、あの船は?」
「さあ?」
意味不明な敵船の出現に驚きはしたが、慌てるほどではなかった。敵船が避退に移る前に主砲の一斉射で轟沈に追い込んでおいた。
こちらが近付いても、逃げるでも反撃するでもなく、更には味方に通信を送った気配すらない。
哨戒にしては無防備すぎる。
本当に、謎すぎる船だった。
エアルもシャルンホルストも、あまりにも呆気なさすぎる勝利に、たった今撃沈した船が輸送船ではなく仮装巡洋艦だった事すら気付いていなかった。
「まあ、いいさ」
そう言って肩を竦めるエアル。
今はノコノコと最前線をうろついていた間抜けな敵船よりも、こちらに向かっているであろう敵本隊の方が重要だった。
「スカパ・フローを偵察した空軍機から、大型艦を含む複数の艦隊が出撃している兆候があるそうだよ。間違いなく、そいつらの狙いは、こっちだろうね」
今回、輸送船団出港の報を聞き出撃して来たエアル達だが、その情報を額面通りに受け取る気は無かった。
恐らく輸送船団の出撃は、自分達を釣る為の囮。
不用意に出撃したところで、主力部隊で包囲するつもりなのだろう。
こちらは「シャルンホルスト」がいるとは言え少数の機動部隊でしかない。敵が大規模な艦隊を繰り出して来たら対抗する手段は無かった。
「敵は空母を連れてるって話だったよね」
「そうだね。最低1隻、悪くすると、もう1隻くらいは来てる事を想定した方が良いかもしれない」
エアルは敵の立場になって考える。
相手は目障りなドイツ巡戦。
これを確実に撃沈するとなれば、どうするか?
過去の例から言って、まずは空母と航空機で足止めをして、その後、戦艦を含む本隊で包囲、殲滅を狙ってくる筈。
少数のドイツ艦隊相手には、確実性の高い戦術である。
それをやられた場合、第1戦闘群としては撤退以外の選択肢は取れないわけだが。
「まあ、それでもやるしかないんだけどね」
「面倒くさいよね」
揃って嘆息する、エアルとシャルンホルスト。
今回の出撃の理由は、ドイツ水上艦隊が未だ健在で、尚も積極的に活動する意志がある事を敵と、そして味方に見せつける事。
つまり、どうあっても退却するわけにはいかない事情があった。
「作戦を早めよう」
エアルは緊張を孕んだ声で告げた。
「さっきのが予想外の会敵だったのは確かだ。こちらの動きが敵に読まれている可能性もある」
ドイツ艦隊の出撃を察知したイギリス艦隊が早期警戒線を展開、こちらが掛かるのを待っていた。
先程の会敵を、エアルはそう判断したのだ。
まさか、元第2王子が自らの私利私欲の為、軍を出し抜いた挙句に自爆した、などとはつゆとも思わなかった。
「『オイゲン』以下、僚艦に通達。《分離行動を開始せよ》」
命令を受け、重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」と、護衛の駆逐艦4隻が「シャルンホルスト」から遠ざかっていく。
徐々に姿が小さくなる巡洋戦艦の様子を、自らの艦橋でオイゲンが眺めていた。
その表情には、憂いの色が濃く浮かんでいる。
「提督・・・・・・シャルさん・・・・・・」
遠ざかる「シャルンホルスト」に向けて呟きを漏らす。
その胸の内に今も疼くのは後悔。
あの、ライン演習作戦の時、自分が護衛から離れなければ「ビスマルク」は沈まず、彼女が死ぬことも無かった。
その想いがオイゲンの胸には刺さり続けている。
今のこの状況。
これは正にあの時、「ビスマルク」を置いて離脱せざるを得なかった時に似ている。
だからこそ、反対した。
今回の作戦に。
せめて自分1隻くらいは、「シャルンホルスト」の護衛に残してほしい、と。
しかしエアルも、何よりシャルンホルスト自身からも反対された。
この作戦の本来の目的を考えると、「プリンツ・オイゲン」は駆逐艦と行動した方が良いと判断したのだ。
「餌」は無防備なほうが、敵も食いつきやすいだろう。
そう言ってエアルとシャルンホルストは笑っていた。
何より、エアルによって示された今回の作戦目標は、オイゲンにとっても無視できるものではない。
「シャルンホルスト」の護衛と作戦目標の完遂。
それはオイゲンの中で天秤に掛けられる物ではなかった。
だが、エアルとシャルンホルスト、両者から説得され折れるしかなかった。
徐々に小さくなる巡洋戦艦の姿に、不安を感じずにはいられない重巡少女。
「お願い、どうか、無事で・・・・・・・・・・・・」
祈るような言葉は、波の音に乗って流れていくのだった。
2
空けて翌日。
昨日の濃霧とは打って変わり、北海一帯は晴天に支配されていた。
天気は晴朗にして波穏やか。
風も少なく、行きかう船には最適な条件が揃っている。
まさに、
嵐の前の静けさ、と言う表現がよく似合う海だった。
スカパ・フローを出港したイギリス艦隊は、進路を東にとって航行していた。
空母「アークロイヤル」を中心とした艦隊は、空母1隻、駆逐艦2隻から成っていた。
このほかにもう1隊、空母「インドミタブル」を中心とした部隊も展開している。
「我々の任務は敵の足止めだ」
艦長の言葉に、アークロイヤルは険しい顔で頷きを返す。
「ああ、それが限界だろうな。今の我々では」
その表情には微かな苦渋が滲む。
既に、ノルウェー沿岸のフィヨルドに潜伏中だった「シャルンホルスト」が出撃したと言う情報は艦隊にももたらされている。
規模は小さいが、有力な打撃部隊である。
何より、ポーツマス港を出港した輸送船団が、間もなく北海に差し掛かる。ドイツ艦隊の狙いがその輸送船団で間違いない以上、これは何としても阻止しなくてはならない。
しかし、その為の戦力が圧倒的に足りていなかった。
現在、「アークロイヤル」は万全とは言い難い。
無論、艦自体は先の戦いで損傷を負っていないのだが、肝心の艦載機が揃っていなかった。
今回の戦いで「アークロイヤル」が搭載して来た艦載機はシーファイア12機、バラクーダ攻撃機8機、ソードフィッシュ14機に過ぎない。
戦闘機のシーファイアに対艦攻撃能力は無い為、実質的な戦力は22機の攻撃機のみとなる。
「インドミタブル」も同様で、あちらは総計で20機しか攻撃に使用できない。
合計で42機。
定数の半数以下の数字だが、オークニー諸島沖海戦において、艦載機部隊も少なく無い損害を受け、その再編成の最中に急な出撃命令を受けた為、補充もままならないまま出撃となった。
加えて、再編成によってこれまでの歴戦のパイロット達も、多くは他の空母や後方の教育隊に教官に取られてしまった事も大きい。
現在の「アークロイヤル」航空隊は、隊長クラスこそベテランが残留しているが、新しく配属された新米も混ざっている。攻撃力に不安がある。
本来なら作戦を延期し、充分な補充と錬成を重ねたいところなのだが。
「陛下が、短兵急な出撃を指示しなければ、君にこんな苦労をさせる事は無かった。本当に済まない」
「言うな」
詫びる艦長に、アークロイヤルは苦笑を返す。
「私とて、今回の出撃には思うところが多い。だが、軍人である以上、命令には従わなくてはならない」
「・・・・・・・・・・・・そうだな」
それがいかに理不尽な命令であっても、軍人ならば逆らう事は許されなかった。
唯一、明るい要素があるとすれば、ボルス・フレイザー本国艦隊司令官が、主力艦隊を率いて、後詰として出撃してくる事だろう。
その時だった。
「偵察機からの報告ですッ!!」
通信長が電文を手に駆け寄ってくる。
受け取って一読すると、艦長は電文をアークロイヤルにも渡した。
「《敵戦艦1、オスロ沖を西へ向けて航行中進路2―2―0。尚、護衛の艦船は見当たらず》か」
敵戦艦が単独で行動中。
護衛もつけず、戦艦が動いている理由。
これが意味するところは、1つしか考えられない。
「奴等、『シャルンホルスト』を囮にして船団を襲う気だ」
アークロイヤルは確信した声で呟く。
これまで、何度もドイツ海軍が取って来た戦術だ。
ドイツ艦隊の目的が輸送船団である以上、他の護衛艦は分離して船団に向かっていると判断すべきだった。
「それにしても1隻とはな。我々を舐めているのか? 開戦初期ならいざ知らず・・・・・・」
「あるいは、敵にはもう、あまり余裕はない、か」
開戦初期の、イギリス海軍が未だに態勢の整っていない状況であるなら、戦艦が単独で航行して通商破壊戦をやる余地もあった。
しかし今や、イギリス海軍が制海権を握るに至り、単独の水上艦を運用するのは危険極まりない。
「どちらにしてもチャンスだ。攻撃を仕掛けるぞ」
アークロイヤルが意気込んだように告げる。
「シャルンホルスト」さえ沈めてしまえば、後の重巡以下の艦が残ったところでさほどの脅威にはならない。後はフレイザーの本隊を待って殲滅しても良いし、そもそもそうなれば、敵の指揮官は撤退を決断する可能性が高い。
いずれにせよ、ここで攻撃しない手は無かった。
艦長も頷くと口を開いた。
「ソードフィッシュを何機か、対潜護衛に残すか?」
「いや、今は1機でも攻撃に振り分けたい。全力で掛かろう」
迷いなく答えるアークロイヤル。
元より、相手はヨーロッパ最強戦艦。片手間で掛かれば返り討ちに遭う事は間違いない。
既に会敵を予想して、艦載機の出撃準備は整えてある。後は命令を待つのみだった。
「発艦準備!!」
速力を上げる「アークロイヤル」。
その飛行甲板では、複数の航空機がプロペラを回転させる音が鳴り響く。
同時に「インドミタブル」にも、航空隊出撃の命令が発せられる。
相手は巡洋戦艦1隻。
2隻の空母から同時に攻撃隊を放ち、波状攻撃を仕掛ける。
そうして敵を足止めしたところで、本隊で止めを刺すのだ。
やがて、発艦開始の命令と共に、「アークロイヤル」の航空隊は、甲板を蹴って舞い上がって行った。
3
後部艦橋トップに搭載した艦載型ウルツブルクレーダーが、接近する機影を捉えると同時に、艦内には緊張が走った。
レーダー室からの報告を受け、エアルはスッと目を細めた。
「ここまでは予定通り、か」
既に近海を航行していたであろう英潜水艦が、「シャルンホルスト」発見の通報を送ったであろう事は報告を受けている。
ここが正念場だ。ここを切り抜けない事には話にならない。
振り返り、シャルンホルストと目を合わせる。
視線に気づき、彼女もまたエアルを見て来た。
互いに笑みを浮かべ、頷きあう。
「総員、第1戦闘配備。対空戦闘用意!!」
「機関最大、全速前進!!」
エアルの命令を受け、滑らかな加速で速力を上げる「シャルンホルスト」。
程なく、最大戦速の34ノットに達する。
合成風力でマスト上の鉄十字が靡き、艦首は波濤を鋭く切り裂く。
同時に高角砲、機銃が旋回、仰角を上げて空を睨む。
既にウルツブルクレーダーは、敵編隊の進路と高度を割り出している。後は射程に入り次第、攻撃を開始できるのだが。
ドイツが誇る高性能対空レーダーは、充分に役割をこなしていた。
同時に今回は、もう一手、仕掛ける事にしている。
「主砲、左砲戦用意!!」
連装3基6門の47口径40センチ砲が旋回し、天を睨む。
聊か奇異な光景に見えるだろう。
如何な大口径な主砲と言えど、高速で飛び回る航空機には無力に近い。
だが、「シャルンホルスト」に乗る、誰もがその光景に疑問を抱かなかった。
やがて、視界の先で複数の機体が編隊を組んで向かってくるのが見える。
海面を這うように向かってくる機体。
先に線上に到着したのは「インドミタブル」の航空隊である。
数はバラクーダ15機、ソードフィッシュ5機。
それらの機体が、「シャルンホルスト」めがけてまっすぐに向かってくる。
「距離、2万!!」
見張り員の報告。
対して、エアルは双眼鏡をじっと覗き込む。
やがて、
「1万5000!!」
見張り員の絶叫。
次の瞬間、
「撃ち方始め!!」
叩き付けるように命じるエアル。
同時に、
6門の40センチ砲が、一斉に撃ち放たれた。
これには、向かってくる敵パイロットの間に失笑が生まれた。
おいおい、ナチの奴らとうとう、頭までおかしくなったぞ。
航空機に主砲を撃ってどうするつもりなんだ? ただ弾を海面に捨てるだけだろう。
ヒトラーの飼い犬共が、所詮は田舎海軍だよ、奴等は。
失笑がマイクを通して垂れ流される。
だが次の瞬間、
彼等の前に、巨大な炎の壁が出現した。
「シャルンホルスト」が放った6発の砲弾が空中で炸裂し、内部に搭載されていた無数の焼夷弾子が放出されたのだ。
その一撃で、編隊を組んでいた機体が炎に巻き込まれて海面へと落下していく。
それまで嘲笑していたパイロットにも余裕が消え、恐怖に引きつった表情が浮かぶ。
いったい、何が起こったと言うのか?
一方、
「シャルンホルスト」艦橋のエアルは、余裕の表情で双眼鏡を下ろした。
「使えるね、この
たった今、「シャルンホルスト」が放った砲弾は、言わば巨大な散弾を空中にばらまき、敵機を一掃する事を目指した砲弾である。
開発したのはドイツではなく、同盟国の日本。
これまで何度か、日本とドイツは潜水艦による行き来を行っており、互いの軍事技術による交流を行っている。
当初、同盟国とは言え、他国が開発した兵器を使う事に難色を示す者が多かったが、しかし日本からもたらされた兵器はユニークな物が多く、そのいくつかが量産配備が決定された。
その中の一つが、日本では「
この砲弾は言わば榴弾の強化版であり、空中に無数の焼夷弾子をばらまき、炎で薙ぎ払う事が出来る。それで多数の航空機を一網打尽にできるのだ。
日本では更に、この砲弾に改良を加えた物が正式配備されているという。
効果は今見た通り。
一撃で、イギリス軍攻撃隊は半壊に近い損害を受けている。
だが、残った敵機は散開しつつ果敢に向かってくる。
こうなると、小回りの利かない主砲は役に立たない。
だが、今の一撃で敵の半数近くを一掃できた。役割としては十分すぎるくらいである。
「対空戦闘、撃ち方始め!!」
エアルの命令に従い、一斉に高角砲と機銃を撃ち放つ「シャルンホルスト」
魚雷を放つべく、低空に舞い降りようとしていた1機のソードフィッシュが、あおりを食らって海面に突っ込む。
更に、1機のバラクーダが、12.7センチ砲弾の直撃を浴びて火球に変じた。
「右舷敵機、魚雷投下態勢に入ります!!」
「面舵一杯!!」
34ノットのスピードで航行していた「シャルンホルスト」は、対空砲を撃ち上げながら右へと旋回。魚雷を回避する態勢に入る。
対して、残ったバラクーダとソードフィッシュが魚雷を海面へと投下する。
しかし、
「敵の腕は大したことないね。素人なのかな?」
エアルは嘆息しながら呟いた。
敵機の攻撃位置が、「シャルンホルスト」から、あまりにも遠すぎたのだ。
魚雷は白い航跡を引きながら海面を疾走して向かってくる。
だが、そのいずれもが「シャルンホルスト」から離れた海面に投下されている。
案の定、全速で回避運動を行う「シャルンホルスト」を捉える事は無く、虚しく走り抜けていくのだった。
攻撃は、さほど間を置かずに終了した。
ドイツ側に関して言えば、全くの無傷。完全なパーフェクトゲームと言える。
敵機の数がそもそも少なかった事。
敵の技量が低かった事。
更に「シャルンホルスト」が新兵器の「
だが、安心するのはまだ早かった。
「新たな敵編隊感知ッ 方位、右舷30度、高角60度!!」
レーダー室からの報告を聞き、エアルは更なる交戦の決意を固める。
双眼鏡を覗き込めば、向かってくる編隊が見える。
「主砲射撃は、間に合わないな」
高角砲と機銃のみでの戦闘となる。
「右舷、対空戦闘ッ 機関最大!!」
速力を上げつつ、右舷側の高角砲、機銃を振り上げる「シャルンホルスト」。
そこへ、敵機は突撃してきた。
遅れて到着した「アークロイヤル」航空隊の内、バラクーダ8機、ソードフィッシュ14機。
合計22機の内、魚雷を搭載した機体は15機、残り7機はロケット弾を装備していた。
「ロケット弾を搭載した機体は先行し牽制攻撃を仕掛けろッ 雷撃隊は続け!!」
ロケット弾を搭載した機体は速力を上げ、魚雷を搭載した機体は体調気に続いて高度を下げる。
技量未熟であった「インドミタブル」航空隊と違い、「アークロイヤル」航空隊の隊長クラスはまだ、ベテランが多く残っている。
それらのベテランに率いられ、攻撃態勢を整える。
彼等はもとより、あの「ビスマルク」の足を止め、最終的には撃沈に追い込んだ殊勲部隊でもある。
言わば、ドイツ海軍の戦略を根底から覆した部隊でもある。
それだけに、自分達に誇りを持っていた。
先行するロケット弾部隊が攻撃態勢に入った。
次の瞬間、
彼等の前に、巨大な炎の壁が出現した。
「な、何だ、これはッ!?」
視界全てを深紅に染められたかのような光景に、驚きの声を上げるパイロット達。
その声ですら、炎に飲み込まれて消えていく。
結局、ロケット弾発射予定地点にたどり着けた機体は、7機中、2機のみ。
他の5機の内、1機が発射前に撃墜され、残り4機は恐怖のあまり、射点の遥か手前で発射して退避に移った。
勇敢にも肉薄してロケット弾を放つ2機のソードフィッシュ。
直後、彼等の勇敢な行動は、彼等の命をも引き摺り込む。
「シャルンホルスト」が放った機銃弾がソードフィッシュを捉え、これを海面に叩き付けたのだ。
だがしかし、彼等の行動は正当には報われなかった。
放たれたロケット弾16発の内、命中したのは4発のみ。
「シャルンホルスト」の被った被害は、僅かに甲板が破壊されたのみ。実質的な戦闘力低下は無かった。
「くそッ 攻撃開始だ!!」
ロケット弾攻撃の失敗を見て、攻撃隊長は焦ったように命じる。
ロケット弾攻撃によって「シャルンホルスト」の対空砲を破壊し、減殺した火力の隙間を突く形で雷撃隊を突入させる作戦は完全に破綻してしまった。
低空を這うように進む雷撃隊。
その視界の中で、「シャルンホルスト」の艦体が大きく広がろうとしていた。
「左舷90度、バラクーダ4機、向かってきます!!」
報告を受けて、エアルは素早く視線を走らせる。
整然と編隊を組んで迫る姿は、ベテランの風格すら感じられる。
「機関全速、取り舵一杯!!」
対空砲を撃ち上げながら旋回する「シャルンホルスト」。
バラクーダ隊は一斉に魚雷を投下する。
しかし、34ノットで急旋回する「シャルンホルスト」は、激しく対空砲火を撃ち上げる。
その圧倒的な火力は、イギリス軍の攻撃隊をなかなか寄せ付けない。
実は今回、「シャルンホルスト」は、とある新戦術を実施していた。
日々、発達を続ける航空機の機動性と物量は水上艦にとって脅威となり得る。
現に太平洋戦線では、日本軍が航空攻撃のみで英戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」「レパルス」を撃沈している。ドイツ戦艦「ビスマルク」が航空機によって死命を制された事も忘れてはならないだろう。
それらを考慮したエアルは、対航空機戦闘に関する研究を行っていた。
航空機の脅威は、何と言ってもまず、その機動性にある。
時速数100キロに及ぶ速力に、対空砲の旋回や照準が追い付かないのだ。対空砲が当たりにくいのはその為である。
となれば、その機動性を封じる策を考えなくてはならない。
そこでエアルが考え付いたのが「射撃エリア制限による弾幕射撃」である。
各対空砲の射撃受け持ちエリアを細分化して決定し、そのエリア以外への射撃、旋回、照準を禁止する。
一見すると、却って火力が低下しそうだが、いたずらに対空砲を旋回させれば、却って多数の航空機に肉薄されると旋回が追い付かなくなる。
それよりも、自分の担当エリアのみに射撃するように厳命すれば、旋回は少なくて済む。
どのみち航空機も、魚雷にしろ爆弾しろ、命中率を高めるには目いっぱい目標に接近する必要がある。つまり、形成した弾幕の中に敵が勝手に飛び込んできてくれる事になるのだ。
敵が接近を諦めて遠距離で魚雷、爆弾を投下するならそれもよし。距離が離れれば回避もやりやすくなる。
言わば対空砲火の投網で、接近する敵機を絡め捕るのだ。
作戦は功を奏した。
「シャルンホルスト」を攻撃すべく接近してきたイギリス軍機は、濃密な対空砲火に絡め捕られ、次々と火を吹いていった。
一方、
攻撃を仕掛けるイギリス側の隊長は、悪夢を見るかのような思いだった。
精鋭と信じた自分達が手も足も出せず、たった1隻の巡洋戦艦に次々と返り討ちにされて行っているのだ。
指揮官からすれば、目を覆いたくなる光景だった。
「ひ、怯むなァッ 1発当てればこちらの勝ちなのだ!!」
焦りをそのまま言葉に乗せて叫ぶ。
確かに、1発魚雷を撃ちこむ事が出来れば「シャルンホルスト」の動きを鈍らせる事が出来る。そうなれば、後続する本国艦隊主力が捕捉する目も出て来るだろう。
1発、
そう、たった1発で良いのだ。
だが、その1発がいかに遠い存在であるか、
程なく指揮官は、己の身をもって経験する事になる。
しかし、彼がその貴重な経験を活かす事も、後進に伝える事も無かった。
低空に舞い降りる、バラクーダ指揮官機。
次の瞬間、
「シャルンホルスト」が放った高角砲弾がすぐそばで炸裂。
指揮官は言葉を発する事も出来ず、機体はバランスを失って海面へと突っ込んだ。
悉く、攻撃に失敗したイギリス海軍航空隊。
空中にまき散らされた炎と煤が舞う中、
後には、海上にあって、堂々とした姿を見せる「シャルンホルスト」のみが残されたのだった。
4
「アークロイヤル」の艦橋は、混乱の坩堝と化していた。
攻撃失敗、「シャルンホルスト」健在、指揮官戦死、部隊は壊滅状態となり退却中。
悲痛な報告が次々と入ってきている。
通信状況から、戦況が芳しくない事は伝わってきていた。敵が何か新兵器を使い、攻撃隊に甚大な損害を被った、ともあった。
「やはり、無理があったか」
アークロイヤルが、苦渋の表情で呟く。
全軍で掛かれば敵巡戦の足止めくらいはできるかと期待したのだが、やはり新兵交じりの部隊では無理があったらしい。
「帰還する部隊を収容しよう」
うなだれるアークロイヤルに、艦長がいたわるように声を掛ける。
「ともかく、敵艦へ攻撃を仕掛けて引き付ける役割は果たせたんだ。後はフレイザー提督の本隊に任せ、我々は帰投しよう」
「・・・・・・そうだな」
頷くアークロイヤル。
彼女とて分かっているのだ。
これ以上は、どう足掻いても戦いようがないと言う事が。
そもそも、今回の出撃自体が、国王の無茶ぶりから始まった、決して健全とは言い難い作戦内容である。
何もかもが準備不足で始まった作戦は案の定、破綻を見つつある。
これ以上、戦場に留まるのは無意味であり無駄でしかない。帰還して部隊を再編成し、再起の時に備えるのだ。
「判った、後退しよう」
アークロイヤルの言葉に、艦長は安堵の笑みを浮かべた。
そして、
「左舷90度に敵艦ッ 急速接近!!」
見張り員の悲鳴に近い絶叫。
次の瞬間、
誰もが驚く中、アークロイヤルはとっさに左舷に目を向ける。
果たしてそこには、
鉄十字を風になびかせて、急速に接近してくる艦隊の姿があった。
「敵は重巡1、駆逐艦4!! 重巡はヒッパー級!!」
ヒッパー級巡巡洋艦は、オークニー諸島沖で仕留め損ねた「プリンツ・オイゲン」だろう。
彼等はイギリス海軍が「シャルンホルスト」に攻撃を集中している隙に距離を詰めて来たのだ。
「まさか、『シャルンホルスト』が単独行動していたのは、この為だったかッ!?」
歯を噛み鳴らすアークロイヤル。
「シャルンホルスト」が単独で航行しているという報告を受けた際、他の軽快艦艇は、全て輸送船団に向かっていると考えた。
だが違った。
彼等は初めから、これを狙っていたのだ。
「シャルンホルスト」は確かに囮だった。
だが、ドイツ側の狙いは、イギリス海軍の目が「シャルンホルスト」に向いている隙に、高速艦隊を先行させ、空母に攻撃を仕掛ける事だったのだ。
イギリス海軍の航空機は、(たとえば日本の航空機と比べると)航続力が非常に短い。その為、攻撃する際は空母自体も戦場となる海域に接近する必要がある。その特性を逆用された形だった。
「敵小型艦分離、こちらに向かってきます!!」
「敵重巡、転舵!! 主砲旋回中の模様!!」
次々と絶望的な報告がもたらされる。
対して今、「アークロイヤル」に反撃の手段はない。
攻撃機は全て「シャルンホルスト」攻撃に振り向けた後であり、艦内には対艦攻撃能力の低い戦闘機しか残っていない。
事実上の反撃能力は皆無である。
唯一、できる事と言えば、護衛の駆逐艦がドイツ艦隊を牽制している間に戦線離脱する事のみだった。
しかし、駆逐艦の数も、イギリス側が2に対し、ドイツ側が4。牽制が成功するとは思えない。
「敵艦隊、突撃開始しました!!」
見張り員の悲痛な叫びが、絶望を加速させた。
ついに、
そう、ついに、この時が来た。
彼方で避退を始める空母を眺めながら、プリンツ・オイゲンは込み上げる物を押さえる事が出来なかった。
思い返すは3年前。
無念の内に沈んだビスマルク。
彼女を守る立場にいながら、全うできなかった事実は、ずっとオイゲンの胸に刺さる棘となり、今も血を流し続けている。
その、ビスマルクの仇が今、目の前にいる。
自分の主砲が、届く所にいる。
空母「アークロイヤル」。
「ビスマルク」の舵を破壊し、彼女が沈む決定的な役割を果たした艦だ。
「あなたを沈めても、あの人が帰ってくるわけじゃない」
そんな事は判っている。
「あなたを沈めても、私の罪が消える訳じゃない」
そんな事は判っている。
「あなたを沈めても、何かが変わるわけじゃない」
そんな事は判っている。
判っている。
全て判っていて、尚、プリンツ・オイゲンは「アークロイヤル」を沈める決意を固めていた。
「アークロイヤル」の護衛についていた2隻の駆逐艦が、主を守る猟犬のようにこちらに向かってくるのが見えた。
しかし、それに対抗するようにドイツ側の駆逐艦が突撃する。
激しく砲火を交わす、両軍の駆逐艦。
そんな中、「プリンツ・オイゲン」は「アークロイヤル」目指して突撃を開始する。
同時に、連装4基8門の20センチ砲が一斉に撃ち放たれた。
自身に向けられた閃光。
その様子を、自身の艦橋から眺めるアークロイヤル。
既に敵艦に距離を詰められている。
事この段に至っては、逃げる事も抵抗する事も不可能。
「ここまで、か」
静かに目を閉じる。
そこに悔しさはなく、ただ事実を静かに受け入れた静かな思いだけが存在している。
これも全て、因果が巡った結果。
ならば、受け入れるしかない。
それに、
悪くない人生だった。
心の底からそう思える。
イギリス海軍における空母の雛型として生を受け、開戦から今日に至るまで最前線で戦い続けた。
祖国の為に戦い、祖国の為に散る事が出来る。
艦娘として、これ以上の幸せがあろうか。
やがて、襲い来る衝撃。
アークロイヤルは全てを受け入れ、
静かに目を閉じた。
「シェトランド諸島沖海戦」と呼ばれる一連の戦いは、ドイツ海軍の勝利で幕を閉じた。
先のオークニー諸島沖海戦における大敗から、僅か1か月後に起こった戦いでの勝利はドイツ全軍を奮い立たせ、同時にその健在を大いに宣伝する事に成功した。
一方のイギリス海軍は、歴戦の空母「アークロイヤル」を失うなど、再び大きな痛手を負う事となった。
凱歌を上げるドイツ海軍。
しかし、
結果的に見て、この勝利は戦局に対して大きな影響を及ぼす事は無かった。
既に多少の艦船を沈めた程度で、独英海軍の戦力差が埋まる事はなく、却ってドイツ海軍の窮状を知らしめる形となった。
連合軍による援ソ船団は、その後も継続され、物資は尽きる事無くソ連領へと運び込まれた。
また、同時にイギリス本土でも着々と反攻準備は整えられつつある。
東西から迫る、破滅の波。
それを押し留める力は最早、ドイツ海軍には存在しなかった。
第70話「3年目の仇討ち」 終わり
ミッドウェー沖で「赤城」が発見され、世間を沸かせましたね。
この調子で「シャルンホルスト」も見つけてくれないもんかな、とも思うのですが、場所的にちょっと難しいかもしれません。
しかし、
私が尊敬する横山信義先生が「赤城」を主役艦にした本を書き始めた直後に「赤城」が発見された事には、とんだ偶然もあったものだと驚いています。