1
後ろ手に縛られた手を、上下に動かし続ける。
縛られている上に、床に転がされている状態では、手首だけを動かす事も困難を極めたが、少女は一心不乱になってやり続ける。
「シャル、大丈夫?」
「ん、うん、もう少し・・・・・・」
背中から、ティルピッツの不安そうな声が聞こえてくる。
シャルンホルストとティルピッツは今、背中合わせになって床に転がっている。
シャルンホルストの手には、手のひら大のガラス片が握られている。先ほど、部屋の隅に落ちているのを見つけて拾う事に成功したのだ。
ガラスを拾ったシャルンホルストは、ティルピッツと背中合わせで横になり、後ろ手に彼女の腕を縛るロープを切るべく試みていた。
初めはなかなか腕をうまく動かす事が出来ずに苦戦したが、やがてコツを掴むと、少しずつガラスがロープに食い込んでいくのが判った。
「ッ!?」
掌に走る鈍い痛みに、思わずシャルンホルストは顔をしかめた。
ガラスが掌に食い込み、少女の柔らかい掌を傷つけたのだ。
「シャル!!」
悲痛な叫びをあげるティルピッツ。
しかし、シャルンホルストは手を止めない。
早く、何としてもクーデターの情報をエアル達に伝えないと。
それに、
まさか、オスカーまでもが、クーデターに加わっているなど。
信じたくは無い。が、実際に他の兵士達と一緒にいるところを目撃し、更にはシャルンホルスト達に捨て台詞まで吐いている。
反体制派への潜入、と言う線も無くは無いが、准将の階級にある人間が、そんな危険な任務を行うとも思えなかった。
事情はどうあれ、ともかくこの状況を脱しない事には。
そう思った時だった。
ガラスを持った手に、より確かな手ごたえが伝わって来た。
この時、シャルンホルストの努力が実り、ティルピッツの腕を縛るロープは半分以上切断され、更に食い込んだガラスによって、切り口が押し広げられたのだ。
更に腕を動かすシャルンホルスト。
やがて、プツッという微かな音と共に、背後で動きがあるのを感じた。
「やった」
ティルピッツは自分の腕が自由になった事を確認すると、素早く足のロープを解く。
完全に自由を取り戻すと、シャルンホルストに向き直った。
「待っててシャル、今、ほどいてあげる」
「お、おねがい」
ホッと息を吐き、背を向けると、ティルピッツがシャルンホルストの腕のロープを外していく。
それからしばらくして、どうにか自由を取り戻す事が出来た。
「シャル、手が・・・・・・」
血まみれになったシャルンホルストの手を見て、心配するティルピッツ。
しかし、事態はそれほど、呑気にしている場合ではなかった。
「良いから、早くここ出ようッ」
そう言うと、ティルピッツの手を取り、部屋の入口へと向かう。
部屋の状況から見て、最初にオスカー達を追って入った雑居ビルから動いていない筈。
ならば、ここを出て海軍本部へ向かうのは、そう難しい話ではない。
そう思って、ドアノブを取り、扉を開いた。
周囲を見回し確認する。
どうやら、見張りはいないらしい。
オスカー達も人員に余裕が無いのだろう。逃げる可能性の低い艦娘2人に監視を付ける余裕は無いのだ。
あるいは、非力な女2人、脱走などあり得ないとでも思っているのか。
いずれにしても好都合だった。
「大丈夫、行こう」
ティルピッツを促し、部屋を出るシャルンホルスト。
足音を殺して、廊下を進んでいく。
周囲に人の気配は感じない。
もしかすると、オスカー達はもう、どこか別の場所へ行ったんじゃないだろうか?
そんな事を考えながら進んでいく。
やがて、階段に行き当たると、慎重に階下を確認しながら降りていく。
大丈夫、誰もいない。
もうすぐ、ここから出られるだろう。
そう思った。
その時だった。
「女共が逃げたぞ!!」
突然、ビル全体に鳴り響く怒声。
同時に、複数の足音が、階上から聞こえてくる。
シャルンホルスト達の脱走に気付いた兵士達が追いかけて来たのだ。
「走って!!」
叫びながら、ティルピッツの背中を押す。
ともかく、外へ。
そうすれば、助けも呼べる。
階下へ駆け下り、そのまま転げるように、出口から路地へと駆け出る。
背後から聞こえてくる、複数の荒々しい足音。
少女たちは必死に駆けるが、徐々に足音が大きくなる。
その時、
「ううッ」
突然、シャルンホルストは胸を押さえたと思うと、足を止めて蹲る。
「シャル!!」
異変に気付き、戻ってくるティルピッツ。
対して、シャルンホルストは、胸を押さえたまま蹲る。
「クッ こんな、時に・・・・・・」
「シャル、しっかりッ」
シャルンホルストを抱えようとするティルピッツ。
しかし、背後からの足音はもう、すぐそこまで迫っていた。
その音を聞きながら、シャルンホルストは苦しげな顔を上げた。
「ティル、ボクが囮になるから、ティルは逃げて!!」
「何言ってんのシャルッ そんな事できる訳ッ」
「聞いて!!」
言い募ろうとするティルピッツに大声で制し、シャルンホルストは続ける。
「このままじゃ、2人とも捕まっちゃうッ どっちか1人だけでも逃げて、この事報せないと!!」
「じゃあ、私が囮になるから、シャルが逃げればいいでしょ!!」
「だめッ うぐッ」
大声を出した事で、シャルンホルストは再び胸の痛みに顔をしかめる。
「シャルッ」
「ボクの体力じゃ、どっちみち逃げられない。それよりも、ティルは逃げて、この事をおにーさん達に報せて」
客観的に、シャルンホルストの言っている事は正しい。動けないシャルンホルストが逃げるよりも、まだしもティルピッツの方が、逃げ切れる可能性が高いだろう。
しかし、分かっていても、簡単に割り切れる物ではないのも確かである。
だが、考えている時間は無い。もう、足音はすぐそこまで聞こえていた。
「行って」
短く告げて、微笑みを浮かべるシャルンホルスト。
不安がるティルピッツを安心させるように。
その笑みに、ティルピッツは後ろ髪を引かれながら立ち上がる。
「必ず・・・・・・必ず、助けに来るから」
「うん、できれば、早めにお願い」
その言葉に背を向け、走り出すティルピッツ。
ともかく、必死になって路地を駆ける。
背後から少女の悲鳴が聞こえて来たところで、目をつぶる。
だが、振り返らない。
ここで戻れば、シャルンホルストの献身が無駄になってしまう。
複雑な路地を抜け、ともかく通りを目指す。
大通りに出てしまえば、奴等も追っては来れない筈。
無我夢中で走り続け、
やがて、
光が見えた。
背後に追っ手の気配は無い。
最後の力を振り絞るようにして走る。
そして、
視界が開けた。
そこにあった光景に、
「あ・・・・・・・・・・・・」
思わず、声を上げた。
2
国内予備軍司令部は、シュタウフェンベルク大佐ら、黒いオーケストラのメンバーが多数所属している事もあり、ワルキューレ作戦実行時には、クーデター派の司令部として使用される予定になっていた。
待機場所を出て、司令部へとやって来たオスカーは、そこが蜂の巣を突いた騒ぎになっている事を知り訝った。
兵士達は忙しく走り回り、廊下はごった返している。
あちこちで怒号が飛び交い、近くの会話すら聞こえない程だった。
そんな中で、何人かの将校が、背後から銃口を突き付けられて歩いている様子を見ると、どうやら司令部の制圧には成功したらしいのだが。
オスカーが待機場所を離れ、司令部を訪れたのは、状況の侵攻が予定より遅れている事を懸念したからだ。
作戦発動は、本日の13時。
だと言うのに、15時を過ぎても作戦発動の命令は発せられず、焦れたオスカーは、こうして様子を見に来たわけである。
そうしたら、この騒ぎである。
オスカーならずとも、戸惑うのは無理ない話であった。
足早に、本部になっているオフィスへと足を踏み入れる。
中にはシュタウフェンベルク他、複数の将校が存在し、何やら狂ったように掛かってきている電話に対応しているところだった。
シュタウフェンベルクはと言えば、オスカーが入って来たのを見ると、少し待つようにジェスチャーで告げ、そのまま電話口に怒鳴り続ける。
やがて、会話を終えて受話器を置くと、シュタウフェンベルクはオスカーに向き直った。
「ああ准将、待たせてすまない」
「そんな事は良い」
開口一番で謝罪を口にするシュタウフェンベルクに、オスカーは詰め寄った。
「なぜ、作戦開始が発動されない? 既に予定時間は大幅超過だ。みんなを待機させておくのにも限界があるぞ」
「・・・・・・・・・・・・実は」
シュタウフェンベルクは、疲れ切った調子で説明した。
しかし2時間かけ、東プロイセンからベルリンに到着してみると、何と未だにクーデター実行はされておらず、遅まきながら作戦発動を命じているらしかった。
更に、クーデター派のメンバーではないにしろ、実質的には支持者に近い立場にあった、国内予備軍総司令官のフロム上級大将が、土壇場で怖気づき、作戦発動反対に回ると言う日和見的な行動を取った為、彼を拘束し、新たな指揮系統を確立するのに手間取っていたというのだ。
「どういう事だ?」
「・・・・・・上層部の連中が、日和見に走ったんだ」
実のところ、ワルキューレ作戦実行のタイミングは、以前から何度かあった。
しかし、肝心かなめとなる、ヒトラー暗殺のタイミングなかなかやってこなかった。
と言うのも、戦況が悪化するにつれ、ヒトラーは引き籠る事が多くなり、人前に出る事自体が少なくなった。その為、暗殺実行のタイミングが極端に減ってしまったのだ。
稀に、人前に出る事があったが、その度に暗殺実行役が尻込みして失敗していた。
シュタウフェンベルクが暗殺実行役に選ばれたのは、彼がヒトラー主催の会議に出席する事が出来る数少ない人材だったからだ。
数カ月前に一度、暗殺実行可能なタイミングがあり、実際にワルキューレ作戦は発動。国内予備軍にも動員が掛けられた。
その際、シュタウフェンベルクは暗殺実行の許可を上層部に求めたが、承認されなかった。
クーデター派上層部の考えとしては、ヒトラー1人を暗殺しても意味はなく、同時にナチス党幹部も殺さなくてはいけないと考えていた。
特に、ナチス・ナンバー2のゲーリングや、親衛隊長官のヒムラーは、絶対に殺さないといけないと考えていた。
結局この時、暗殺は未発、作戦発動は解除された。
国内予備軍が動員された事に関しては、「首都が攻撃を受けた際の特別演習」と言う事でごまかし、どうにかクーデターの意図は隠す事が出来た。
だが、この上層部の煮え切らない態度に、シュタウフェンベルクを初め、少壮の士官たちは不満を募らせた。
同様の暗殺見送りが、その後も何度か起こり、業を煮やしたシュタウフェンベルク達は今回、上層部の許可を待たず、独断での暗殺決行を決め、上層部に追認させたのだ。
だが、上層部は尚も作戦発動に懐疑的であり、その為、シュタウフェンベルク達が戻ってくるまで作戦発動を見送っていたのだ。
それを今になってようやく、作戦を発動した訳である。
「大丈夫なのか?」
鋭い目で、オスカーが尋ねる。
事、この段に至った以上、今更引き返す事は出来ない。作戦中止など言語道断だ。
にも拘らず、上層部のあまりにも煮え切らない態度は、オスカーの目から見れば呑気を通り越して愚鈍にすら見えた。
「問題ない。総統が死んだ以上、政権派の動きは鈍るだろう。今から作戦を発動しても十分間に合うはずだ」
シュタウフェンベルクは確信のこもった眼で頷いた。
それに対して、オスカーは念を押すように口を開く。
「ヒトラーは、死んだんだな?」
「ああ、間違いない」
力強く頷くシュタウフェンベルク。
爆弾は確かに起爆した。
しかも設置場所は、ほぼヒトラーの足元である。あれで生きているはずがなかった。
「判った。じゃあ、俺は戻って、改めて作戦発動の指示を待つとする」
そう言って、オスカーは踵を返す。
「准将」
呼ばれて振り返るオスカー。
シュタウフェンベルクの隻眼が、まっすぐに見据えて来た。
「頼むぞ」
「ああ、任せろ」
それだけ言うと、オスカーは国内軍司令部を後にした。
3
「やってくれたなッ このクソガキ!!」
目の前に悪鬼の如き様相を見せる男に、震えが止まらなくなる。
結局、シャルンホルストは捕まり、再び監禁部屋まで連れ戻された。
今度は解けないよう、腕はロープではなく手錠が掛けられている。先ほどのような脱出は不可能だった。
足は拘束されていないが、両手が後ろに回されている中で、逃げる事は不可能だろう。
「もう1人の女はどうしたッ!?」
「ハッ 申し訳ありません。見失いましたッ」
「馬鹿野郎ッ 准将が戻ってきたらどう言い訳するつもりだッ!! 探せッ 何としても探して連れて来い!!」
「ハッ」
敬礼していく兵士。
その様子を見て、シャルンホルストは、取り合えずティルピッツが無事らしい事は察した。
よかった、と取り合えずホッとする。
これで、彼女の安全は確保されただろう。
更にもう1つ、オスカーは今、ここにはいないらしい。
後は、ティルピッツが、エアル達にここの場所を教えてくれれば、必ず助けが来るだろう。
だが、
「チッ」
舌打ちと共に、目の前の兵士が振り返る。
そこで、シャルンホルストは気が付いた。
目の前の兵士が、先程、自分に迫ってきた男である事に。
「まったく、ムカつくガキだぜ。おかげで、俺が責任を問われるじゃねえか」
憎しみのこもった眼で睨み付けて来る兵士。
その瞳に睨まれ、シャルンホルストは震え上がる。
知らずに、後ずさろうとするが、手錠で拘束されている身である為、殆ど身動きが取れない。
「責任取ってもらうぜ、ガキ」
そう言うと、男は自分のズボンのベルトに手をかけてカチャカチャと外し始めた。
ズボンを下ろすと、そのままシャルンホルストに迫る。
「やだッ やめて!!」
これから何をされるのかを悟り、悲鳴を上げるシャルンホルスト。
しかし男は少女を捕まえると、両膝に手をかけて、無理やり開かせようとする。
「やだッ やだァッ!!」
必死に抵抗しようとするシャルンホルスト。
体をよじり、動かせる足でバタバタと空を蹴る。
だが、
「抵抗するんじゃねえッ」
「ヒッ!?」
怒鳴る兵士。
同時に、シャルンホルストの頬に、硬く冷たい物が当てられた。
男はナイフを取り出し、突き付けて来たのだ。
「テメェ、調子こいてんじゃねえぞ。さっきはあのすました准将がいたから引き下がったがよ、俺は艦娘なんぞ、何とも思っちゃいねえ。あんま騒ぐと、グサッとやっちまうからな」
殆ど、チンピラと変わらない脅し。
しかし、無抵抗な少女には、それだけで十分に効果的だった。
と、
チョロチョロチョロチョロチョロチョロチョロチョロ
聞こえてくる水音。
水音は、シャルンホルストの開いている足の間から聞こえてくる。
少女の股間から流れ出した液体は、そのままシャルンホルストのパンツと短パンを濡らし、お尻の下に水たまりを作る。
「あ、や、やだッ 見ないでぇ・・・・・・・・・・・・」
何が起こったのか、理解したシャルンホルストは顔を赤くする。
涙を流しながら、相手の男に懇願する事しかできない。
だが、
「うわ、きったねぇ。こいつ、漏らしやがったッ」
恐怖の為に、おもらしをしてしまったシャルンホルストを、嘲る男。
その事が、更にシャルンホルストの羞恥を煽る。
「良いか、動くんじゃねえぞ。動いたら、マジで刺すからな」
自分が完全に、シャルンホルストを支配下に置いたと判断した男は、シャルンホルストに手を伸ばす。
短パンを脱がされ、純白のパンツが露わになる。
おもらししたせいで、股間部分が黄色く染まっていた。
「いやぁ・・・・・・・・・・・・」
力弱く鳴き声を上げる事しかできないシャルンホルスト。
おもらしした恥ずかしい姿を見られた事。
こんな男に、良いようにされている自分。
そして何より、
エアル以外の男に、こんな事をされている事が、少女には悔しくて、恥ずかしくて、仕方がなかった。
男の下卑た顔が、シャルンホルストに近付く。
「・・・・・・・・・・・・助けて、おにーさん」
次の瞬間、
突如、銃声が鳴り響いた。
「がはァッ!?」
同時に、今にもシャルンホルストに掴みかかろうとしていた男は、吹き飛ばされるように床に転がった。
その肩口からは、凄まじい量の出血が見られ、着ている軍服を真っ赤に染める。
何が起こったのか?
泣き腫らした目を開き、シャルンホルストは入口の方を見る。
果たしてそこには、
彼女の最も焦がれる人物が立っていた。
「お、おにー、さん?」
「シャルッ!!」
男を排除したエアルは、拳銃を片手にシャルンホルストへと駆け寄る。
床に膝を突くと、そのままシャルンホルストを抱きしめた。
「よくがんばったね。もう、大丈夫だよ」
その言葉に、
緊張の糸が切れたシャルンホルストの顔が、クシャッと歪む。
次の瞬間、
少女は声を上げて泣き出す。
泣きじゃくるシャルンホルスト。
そんな少女を、エアルは優しく抱きしめるのだった。
第75話「脱出劇」 終わり