蒼海のRequiem外伝 ~北天の流星~   作:ファルクラム

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第77話「無音の弔鐘」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 哄笑が鳴り響く。

 

 狂ったように笑い声をあげるオスカーを、エアルとシャルンホルストは唖然として見つめるしかない。

 

 ヒトラーが生きている。

 

 その事実を突きつけた途端、オスカーは笑い死にせんばかりに笑い声を上げている。

 

「最高だッ!! 最高の喜劇じゃないか、これはッ なあ!!」

「もうやめろ、オスカー!!」

 

 エアルが身を乗り出して叫ぶ。

 

「もう、終わったんだッ 総統閣下は生きてるッ クーデターは成功しないッ もう、何もかも終わったんだッ!!」

「・・・・・・・・・・・・終わった?」

 

 途端に、笑いを止めて静かになるオスカー。

 

「・・・・・・・・・・・・いいや」

 

 次の瞬間、

 

 右手が跳ね上がり、ワルサーの銃口がエアルに向けられた。

 

「まだ、終わらないさ!!」

「ッ!?」

 

 互いに、銃口を向け合うエアルとオスカー。

 

 睨み合う、両者。

 

 シャルンホルストは、エアルの背後で、そんな2人の様子を見守る事しかできない。

 

「もう、よせ」

 

 エアルは言い聞かせるように、努めて静かな声でオスカーに告げる。

 

「今頃、君の仲間の下にはゲシュタポが向かっている。全員が逮捕されるのも時間の問題だ」

「どうかな」

 

 言い募るエアルに、オスカーは強気な態度を崩さずに、銃口を向けて来る。

 

 その口元には、不敵な笑みが浮かぶ。

 

「シュタウフェンベルクがなぜ、海軍の俺を仲間に引き込んだと思う? クーデターの際に、同志を指揮し、海軍全体を制圧する為さ」

 

 シュタウフェンベルク達「黒いオーケストラ」のメンバーは、その殆どが陸軍に所属しており、海軍や空軍の同志は少ない。

 

 だからこそ、海軍に精通する仲間を欲した。

 

 その白羽の矢が立ったのが、オスカーと言う訳である。

 

「海軍内部にも同志は存在している。彼等と共に海軍本部を制圧。そこで命令発行期間を押さえ、海軍全部隊でもってメンバーを救出し、改めてクーデターを実行するまでだ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 演説のように語るオスカー。

 

 対してエアルは無言のまま、険しい表情で見据える。

 

 睨み合う、両者。

 

 ややあって、

 

 オスカーは力が抜けたように、銃を持つ腕を下ろした。

 

「・・・・・・・・・・・・まあ、そんな事をしても無駄な事は判ってるんだがな」

「そうだね」

 

 緊張感が抜けた声。

 

 エアルは、オスカーから戦意が抜けていくのが判った。

 

「それくらい、こっちもお見通しだよ。今頃、デーニッツ提督が直接指揮した野戦部隊が、各重要拠点の制圧に向かってる筈だ」

 

 ベルリンの施設は勿論、キールやヴィルヘルムス・ハーフェン等、主要な港も、既に海軍野戦部隊が押さえている。

 

 クーデター派の逮捕も進んでいる。

 

 幕切れは近かった。

 

「投降して、オスカー」

 

 静かな声で、エアルが告げる。

 

「これ以上、罪を重ねないで。君等にできる事は、もう何もない。後は法廷で自分達の正当性を、改めて主張すれば良いだろ」

 

 頼む。

 

 どうか・・・・・・

 

 祈りを込めるように、銃口を向けながら言い募るエアル。

 

 対して、

 

「できる事は、何もない。か・・・・・・・・・・・・」

 

 力なく呟くオスカー。

 

 次の瞬間、

 

「いいやッ」

 

 顔を上げるオスカー。

 

 その双眸に、確かな殺気が籠る。

 

「まだ、あるッ!!」

 

 言い放つと同時に、

 

 銃を持つ、オスカーの腕が跳ね上がった。

 

 エアルが反応する暇もない。

 

 その銃口は、

 

 まっすぐに、

 

 己の胸に、突き付けられた。

 

「オスカー!!」

 

 止める間も無く、

 

 オスカーは引き金を引いた。

 

 鳴り響く銃声。

 

 鮮血が飛び散る。

 

「キャァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 悲鳴を上げるシャルンホルスト。

 

 その声を聴きながら、

 

 オスカーはゆっくりと、仰向けに崩れ落ちた。

 

「オスカー!!」

 

 慌てて駆け寄るエアル。

 

 鮮血は一気に床に広がり、血溜まりが広がる。

 

 急いで軍服の前を開く。

 

 その間にもあふれ出す血で、床はあっという間に鮮血の沼と化す。

 

 傷口は胸の中央に開いており、尚も血が噴き出している。

 

「オスカーッ しっかりしろッ すぐ、医者を呼ぶから!!」

 

 必死に傷口を押さえながら、エアルが叫ぶ。

 

 ゴフッと言う湿った音と共に、オスカーの口からも鮮血が零れる。

 

 もう、助からない。

 

 それは、誰の目から見ても明らかだ。

 

「もう、良い・・・・・・」

「何言ってんの、オスカーッ!!」

「もう、良いんだ」

 

 その言葉に、エアルは傷口を押さえながら、オスカーの顔を見る。

 

 明らかな致命傷。

 

 こうしている間にも、オスカーの命は、鮮血と共に零れ落ちていく。

 

 にも拘らずその顔は、いっそ奇妙な程、穏やかだった。

 

「・・・・・・・・・・・・オスカー」

「頼むよ・・・・・・このまま、行かせてくれ」

 

 その言葉に、エアルは悟った。

 

 親友が何を思い、このクーデターに参加したのか。

 

「最初から、こうするつもりだったの? クーデターの成功なんてどうでも良くて、最初から?」

 

 問いかけるエアルに対し、オスカーはフッと笑う。

 

 傷口を押さえるエアルの手が、手首まで真っ赤に染まる中、オスカーは最後の力を振り絞るようにして口を開く。

 

「そいつは買いかぶりすぎだ。クーデターが成功して、この国が変われば良いと思ったのは確かだ。だが、どっちに転んでも、最後はこうするつもりだった、と言う意味では、確かにその通りだよ」

 

 元々、オークニー諸島沖海戦から帰還した後、一度は自決を決意したオスカー。

 

 図らずもシュタウフェンベルクに誘われた事で、先延ばしにしてきたが、結果を変えるつもりは無かった。

 

「俺には身内はいない。両親はとっくに他界したからな。そんな俺にとって、ゼナが全てだった。あいつがいない世界には、何の未練も無い」

 

 ゼナさえ生きてくれていれば、こんな事にはならなかった。

 

 ゼナさえ生きていてくれれば、他に何もいらなかった。

 

 オークニー諸島沖海戦で、「グナイゼナウ」が沈んだ時、オスカーの人生もまた終わったのだ。

 

 ふと、

 

 不意に、オスカーの中で全ての音が喪失した。

 

 周囲の音も、

 

 耳元で叫び続けるエアルの声すら聞こえない。

 

 ただ、

 

 誰かが歩いてくる足音だけが、やけにはっきり聞こえた。

 

 やがて、足音は自分のすぐ傍らに来ると立ち止まった。

 

 自分を見下ろすその人物を見た瞬間、思わずオスカーは苦笑した。

 

「何だよ、お前が迎えに来てくれたのか」

『何だ、とは随分と御挨拶ね。あなたが迷子にならないように、迎えに来てあげたってのに』

 

 そう言うと、グナイゼナウはおかしそうに笑った。

 

 同時に、その顔はどこか呆れたように、オスカーを睨む。

 

『まったく。あなた、頭良いのに、随分と馬鹿な事やったわね』

「うるさい、放っておけよ」

 

 そんな事は、自分が一番分かってる。

 

 そう言いたげなオスカーに対し、グナイゼナウは手を差し伸べる。

 

 久方ぶりに握る少女の手は、変わらずに柔らかく、温もりに満ちていた。

 

 少女の手を取り、立ち上がるオスカー。

 

「じゃあ、行くか」

『ええ』

 

 互いに笑顔を浮かべ、頷きあうオスカーとグナイゼナウ。

 

 2人はそのまま踵を返すと、ゆっくりと歩き出した。

 

 

 

 

 

「オスカー・・・・・・・・・・・・」

 

 自分の手の中で、親友の命が失われていくのが判った。

 

 静かに閉じられた瞳。

 

 呼びかけに答える声は、もう無い。

 

 ただ、その顔には満足げな笑みが浮かべられていた。

 

 エアルの士官学校以来の親友であり、大戦初期から共に組んで多くの作戦に従事したオスカー・バニッシュ。

 

 そのオスカーが今、二度と目覚める事のない眠りへとついた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 無言のまま、腕を下ろすエアル。

 

 後には、廃墟に響くシャルンホルストの慟哭だけが、死した者へのレクイエムとなって、鳴り響いていた。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 その後の展開は最早、考えるまでも無い事だろう。

 

 報復は、速やかに行われた。

 

 「黒いオーケストラ」側が、クーデター実行に手間取っている間に、ヒトラーは己の健在を全土に知らしめ、同時にクーデター派の逮捕を命じた。

 

 これで、形勢は完全に逆転。

 

 各地で蜂起の時を待っていたクーデター派のメンバーは、次々と捕縛されて行った。

 

 一部では逃亡したメンバーもいたが、潜伏中の所を発見され、いずれも取り押さえられた。

 

 こうして、殆どのメンバーが逮捕された「黒いオーケストラ」。

 

 彼等を待っていたのは、ゲシュタポによる激しい尋問と拷問だった。

 

 苛烈な拷問によって情報を白状する者、持っている情報を全て話したにもかかわらず、理不尽な拷問を継続される者。

 

 見るも無残な有様だった。

 

 クライス・フォン・シュタウフェンベルク達は、本部にしていた国内予備軍司令部にて逮捕された。

 

 彼を逮捕したのは、かつての上官であり、国内予備軍司令官のフロム上級大将だった。

 

 フロムは「黒いオーケストラ」のメンバーではないが、事件前には彼等の行動に理解を示す動きを見せていた。

 

 その為クーデター派は、実行の際にはフロムが味方になってくれると考えていた。

 

 しかし、いざクーデター実行の段階になって、尻込みしたフロムは協力を拒否。そのままシュタウフェンベルク達に拘束された。

 

 しかし、ヒトラーの健在と、クーデター派逮捕命令が出ると、配下の兵達によって救出され、逆にシュタウフェンベルク達を逮捕した。

 

 フロムは解放されると、意気揚々とシュタウフェンベルク達の前に現れ、憎々し気な視線を向けて来る彼等に対し、即日軍事裁判を行い、死刑を言い渡した。

 

 名ばかりの裁判を終えた後、シュタウフェンベルク達はそのまま施設の中庭に引き出され、1人ずつ銃殺刑に処された。

 

 フロムがクーデター派を支持せず、あえて「黙認」と言う曖昧な態度を取ったのは、初めからクーデター派と総統派、うまく立ち回って双方に取り入ろうとしたからだった。

 

 首尾良くクーデターが成功した暁には、「黙認する事で協力した」とアピール。

 

 逆に失敗した時は「彼等に協力せず、阻止に貢献した」事を主張するつもりだったのだ。

 

 結果は、後者となった。

 

 正にフロムの狙い通りとなったわけだ。

 

 しかし、

 

 うまく立ち回って甘い汁を吸おうとした男の末路は、その行動に相応しい、自業自得な運命だった。

 

 シュタウフェンベルク達を処刑し、得意満面で報告したフロムに待っていたのは、賞賛でも勲章でもなく、彼自身に対する逮捕状だった。

 

 クーデター発生時の優柔不断な態度から、フロムはクーデター派の一員だと思われていたのだ。シュタウフェンベルク達の処刑も、隠蔽の為の口封じと見なされた。

 

 無実を叫んだとしても無駄だった。

 

 なぜなら、彼の無実を証言できる人間は全て、他ならぬフロム自身の手で処刑してしまった後だったからだ。

 

 結局、フロムもまた、銃殺刑に処された。

 

 正に、自業自得、としか言いようがなかった。

 

 その後、

 

 ドイツには粛清の嵐が吹き荒れた。

 

 逮捕された「黒いオーケストラ」幹部の運命は悲惨だった。

 

 彼等は皆、形ばかりの裁判にかけられた後、殆ど全員が処刑台の露と消えた。

 

 しかも、裁判もヒトラーの「クーデターに加担した者達へ、一切の慰めは無用、徹底した屈辱を与えよ。彼等の人としての尊厳を地に落とし、可能な限り死の苦しみを長引かせよ」との命令が最大限反映される形で実行された。

 

 メンバーはまず、軍事名誉法廷に出廷させられ、そこで軍籍を剥奪された。

 

 軍人は己の立場に絶対の誇りを持っている。ヒトラーは彼等の軍服と階級章を剝ぎ取る事で、彼等の誇りを踏みにじったのだ。

 

 その後、民間人の立場で、人民裁判にかけられた。

 

 裁判長のフライスラーは、元は第1次大戦に志願した兵士の1人だったが、そこでロシアの捕虜となった後、うまく立ち回ってソビエト共産党の政治委員をしていた経歴を持つ。

 

 性格はヒステリックで独善的、かつ気分屋で、自身の好悪で裁決を下す事もある他、裁判中に被告を嘲笑、冒涜する下劣な品性の持ち主だった。

 

 そのような人物であった為、ヒトラーやナチス党幹部たちからすら信任の薄い人物だった。中には露骨に「狂人」「裏切者」「薄汚い演者」と称する者もいた程だ。

 

 半面、自身の経歴故に、上層部から信頼されていない事も自覚しており、ナチスとヒトラーへの忠誠心だけは異常に高かった。今回のクーデター事件前にも、反ナチス運動にかかわった者達を高圧的な裁判手法で、相手の尊厳を徹底的に貶め、たとえ相手が無罪であっても無理やり有罪にしてしまう事で有名だった。

 

 ヒトラーに裁判を任されたフライスラーは、餌を与えられた飼い犬のように、嬉々として己の責務に飛びついた。

 

 こうして、フライスラーの手によって、「黒いオーケストラ」メンバーは、全員が有罪判決、次々と処刑されて行った。

 

 その処刑方法も残酷だった。

 

 彼等はまず、衣服を全て剥ぎ取られ、見守るSS隊員たちに嘲笑されながら、全裸で刑場まで歩かされた。

 

 本来、処刑前には神職が神への祈りを捧げるのは、洋の東西を問わず常識なのだが、それも無し。

 

 処刑方法も、細いピアノ線を首にかけ、それを持ち上げる事でゆっくりと締め上げ、できるだけ長く苦しませる手法が取られた。

 

 本来、絞首刑とは、太めのロープを頸部に巻き、頸動脈を的確に押さえ一気に締め上げる事で血流を停止し、対象者の意識を一瞬で消失させた後、心臓を停止させる。

 

 苦しみを長引かせないようにする為の措置だった。

 

 しかし、細いピアノ線でゆっくりと締め上げる事で、対象者は意識を消失する事が出来ず、苦しみが長く持続する事になる。

 

 そんな苦しむメンバーの様子を見て、SS隊員たちはゲラゲラと品の無い笑いを上げていた。

 

 だがそれでも、「黒いオーケストラ」のメンバーは皆、立派だった。

 

 彼等は誰1人取り乱す事無く、粛々と刑の執行を受け入れ、処刑台の露と消えていった。

 

 この程度の屈辱は、彼等の理想と信念に対し、聊かの傷をつける事すらかなわなかったのだ。

 

 惜しむらくは裁判の場にも、処刑に当たったSS隊員の中にも、彼等の高潔な精神を理解できる脳みそを持ち合わせている人物は1人もいなかった事だが、それも彼等には、どうでも良い事だった。

 

 結局、逮捕者はクーデター関係者から、その家族、親類、縁者、使用人にも及び、果ては全く関係なくても、日ごろから反ナチス的な言動をしている人物まで逮捕。その数は数万人にも及び、最終的には1000人近くが処刑された。

 

 そんな中、冤罪も多数発生する事になる。

 

 有名な人物として、ドイツ軍内で英雄と称されたアルフレート・マンシュタインと、アルフォンス・ロンメルの両名だろう。

 

 マンシュタインは比較的、幸運だった。

 

 彼は審議に当たった裁判官が友人だった為、疑われたものの、すぐに無罪放免となった。

 

 実は、マンシュタインは事件前にシュタウフェンベルクから接触があり、その際にクーデター派の指導者へ就任するように要望があったが、これをきっぱりと断っている。

 

 その際に言い放った言葉は「プロイセン軍人は裏切りなどしない」だった。

 

 一方のロンメルは、

 

 ロンメルはその日を、自宅で迎えた。

 

 西部戦線で負傷し、療養の為に一時帰国していたのだ。

 

 朝食を終え、くつろいでいたところに来客を受けた。

 

 相手は国防軍の人事局長と、数名の兵士達だった。

 

 彼等が、ロンメルに対するメッセージを携えて来た。

 

 彼等がロンメルに提示した選択肢は2つ。

 

「即効性の毒薬で自害する。その場合、ロンメル自身の名誉は保たれ、残された家族にも十分な補償を行う」

「人民法廷にて裁きを受ける」

 

 話を聞いたロンメルは、暫し沈思した。

 

 同時に、己の運命が既に避けられない物である事を悟る。

 

 仮に後者を選んだとしても、最終的に運命は変わらない。しかも、その場合、自分が濡れ衣を着せられたうえ、全ての栄誉を剥奪された上で処刑される事になるだろう。

 

 天を仰ぐ。

 

 何より、この決定にヒトラーの意志が介在している。

 

 つまり、ロンメルが最も敬愛した総統が、自分の死を望んでいるのだ。

 

 選択の余地は無かった。

 

 己の運命を受け入れ、毒薬を飲み干すロンメル。

 

 彼の意識が途絶えるまでの間に、その脳裏に浮かんだものは何だったのか?

 

 自身が忠誠を誓った国家と、総統についてか?

 

 遺していく家族への想いか?

 

 それとも、熱狂するように駆け抜けた、灼熱の北アフリカ戦線についてか?

 

 それを知る者は、誰もいなかった。

 

 唯一の救いは、約束が守られた事だった。

 

 ロンメルの死は、戦傷の悪化による物と発表され、故人の栄誉を称える為、大々的な国葬が執り行われた。

 

 更に残された遺族には、手厚い保護が成された。

 

 ただ、

 

 国葬を行った際、棺の中にはロンメルの遺体は無かったと言われている。

 

 と言うのも、あまりにも毒物が強力だったこともあり、遺体が急速に腐敗して悪臭を放つようになったため、仕方なく、空の棺を使ったとも言われていた。

 

 こうして、

 

 多くの悲劇を生み落とし、多数の命を奪いながら、クーデター劇は幕を閉じるのだった。

 

 後年、言われる事は、仮に全てがうまくいったとして、果たして彼等の思惑通りになっただろうか? と言う事。

 

 ヒトラー暗殺に成功し、クーデターも成功し、「黒いオーケストラ」が政権を取り、連合軍の和平交渉に入る事が、果たして出来ただろうか?

 

 残念ながら、多くの有識者がそれを否定している。

 

 事件が起きた時期は、ヒトラーの支持者は未だに多数存在しており、事件後はナチス党本部に見舞いの献金が多数寄せられたほどだ。むしろ、クーデター派を非難する声が多数に上った。

 

 仮にクーデター成功したとしても、多くの反攻者が生まれ、最悪、内戦状態になっていた可能性すらある。

 

 いずれにせよ、時代は彼等ではなく、ヒトラーを選んだ。

 

 事実は、それだけだった。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 担架に乗せられ、廃ビルから搬出されるシャルンホルスト。

 

 その傍らには、エアルが少女の手を握りながら付き添っている。

 

 あの後、後続して来た部隊によってクーデター派は完全に制圧。シャルンホルストも、無事に助け出されたのだ。

 

 シャルンホルストも、駆け付けた軍医によって簡単な診察を受け、外傷は殆ど無い事が確認されている。

 

 しかし、

 

 今回の事件で、シャルンホルストが心に負った傷は、肉体のそれより遥かに深刻だった。

 

 加えて、逃亡中に持病の発作も起こしている。

 

 少女はこの後、軍病院に入院して、医師の診察を受ける事になる。

 

「ごめんね、おにーさん。迷惑かけちゃって」

 

 申し訳なさそうに謝るシャルンホルスト。

 

 対して、エアルは笑って首を横に振る。

 

「何言ってんの。シャルが無事で、本当に良かった」

 

 そう言って、少女の髪を優しく撫でてやる。

 

 その時だった。

 

「シャルッ!!」

「シャルさん!!」

 

 叫び声と共に、友人の少女2人が掛けて来るのが見えた。

 

「ティル・・・・・・オイゲン・・・・・・」

 

 駆け寄るティルピッツとプリンツ・オイゲン。

 

 2人とも顔を真っ赤にして、泣き腫らした目を充血させている。

 

 そんな2人に、笑顔を見せるシャルンホルスト。

 

「よかった、2人とも、無事だったんだね」

「こっちのセリフよ、馬鹿!!」

「そうですよッ こんな無茶して!!」

 

 縋り付いて泣きじゃくる2人。

 

 しかし、それでも、互いに無事な姿を見て、顔には笑顔が浮かぶ。

 

 泣きながら笑う少女たち。

 

 そんな3人の様子を見て、エアルは天を仰ぐ。

 

「・・・・・・・・・・・・オスカー」

 

 亡き友へ、そっと語り掛ける。

 

 だが、

 

 言葉が続かなかった。

 

 愛する者を亡くし、自分を裏切った国家に反旗を翻したオスカー。

 

 最後には自ら命を絶ち、愛する者の下へと旅立った友へ、何と声を掛ければ良いのか分からなかったのだ。

 

 ただ、今は彼等の魂に冥福が訪れん事を。

 

 祈る事。

 

 それだけが、エアルにできる、唯一の事だった。

 

 

 

 

 

第77話「無音の弔鐘」      終わり

 

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