ここからは、一気に行きます。
尚、この話は一度投稿した物を、加筆修正して再投稿しております。
1
1944年7月30日。
先のクーデター未遂事件の混乱冷めやらぬベルリンだったが、それでも総統ヒトラーが無事であったニュースが報じられ、徐々に落ち着きを取り戻しつつあった。
クーデターに加担した「黒いオーケストラ」メンバーは、次々と摘発、逮捕されて行っている。
事態は、収束に向かいつつある。
そんな中、エアル達は事態の収束に奔走していた。
何しろ時間が無い。
東部戦線のソ連軍に加えて、西部戦線も連合軍によって押し込まれている。
東西から攻め込まれているドイツ第3帝国。
手を拱いていれば、敗亡への一里塚である。
だが、希望はある。まだ。
幸いにして海軍は、オークニー諸島沖海戦の痛手から立ち直りつつある。空母機動部隊編成の目途も立った。
残された戦力を結集すれば、まだ戦えるはずだった。
ベッドの上に横たわる少女を見て、エアルは愛おし気に微笑む。
「本当に良かったよ。けがが大した事無くて」
「おにーさん、心配しすぎ。ほんのちょっと手を切っただけだよ」
そう言って、シャルンホルストは苦笑する。
その手には、包帯が巻かれている。
クーデターの後、念のため入院しているシャルンホルストを、エアルは見舞っていた。
幸いにして機動部隊創設プロジェクトは順調に進んでいる。責任者が少しくらい抜けても問題は無かった。
「とにかく、今はゆっくり休んで。あんな事があった後だからね」
クーデター派に捕まり、危うく強姦までされそうになったシャルンホルスト。
体も、心も深く傷ついている。
今は療養が必要な時だった。
「……ねえ、おにーさん」
「うん、どうしたの?」
「おにーさんは、大丈夫なの?」
シャルンホルストからの問いかけに、エアルは思わず言葉を詰まらせる。
大丈夫。
な、筈は無かった。
親友であるオスカー・バニッシュがクーデター派に加担し、最後は自ら命を絶ったのだから。
深い傷を負ったのは、エアルも同様だった。
忙しいのは、むしろ歓迎だった。
忙しくしていた方が、色々と気にせずにいられて楽だった。
クーデターの事も、オスカーの事も。
しかし、いくら自分をごまかしても、恋人である少女をごまかす事は出来ない。
それでも、
「大丈夫だよ、俺は……」
そう言ってエアルは、巡戦少女の明るい色の前髪をそっと撫でる。
愛おしい少女。
彼女の怪我が大した事無かった事だけが、エアルにとって唯一の救いだった。
「早く体治して、また一緒に海に出よう。君がいてくれないと、俺は……」
言いかけて、言葉を切る。
正直、不調の彼女に対し、負担を掛けるような言葉は掛けたくなかった。
だが、
そんなエアルの想いを察したように、シャルンホルストは、包帯に覆われた手を伸ばして来た。
少女の柔らかい掌が、エアルの頬を優しく撫でる。
「大丈夫、心配しないで」
「シャル」
「ボクはすぐに良くなって、おにーさんと一緒に戦うから。それまで待ってて」
互いに温かい笑みを交わす、エアルとシャルンホルスト。
お互いの愛しさが、あふれ出しそうだった。
「じゃあ、俺は行くよ。この後、海軍総本部で会議があるから」
「うん、頑張ってね」
何しろ時間は待ってくれない。
クーデター騒ぎの後始末から、更に機動部隊構想を軸とした主力艦隊再建計画と、やらなければならない事は山積していた。
踵を返すエアル。
丁度その時、扉が開いてシャルンホルスト担当の女医が入って来た。
「ああ、アレイザー准将、いらしてたんですね」
「ええ。シャルがお世話になってます」
この女医とはシャルンホルストを介して顔見知りであり、気さくで話しやすい印象だとエアルは感じていた。
何より、何人もの艦娘を受け持ってきただけあり、海軍側からの信頼が非常に厚かった。
「じゃあ、俺はこれで……」
「ああ、准将」
出て行こうとするエアルを、女医は引き留めた。
「何か?」
「少しで良いので、お時間頂けますか? お手間は取らせませんので」
訝るエアル。
腕時計を確認すると、会議までの時間はあまりない。
しかし、
担当の女医が、わざわざ引き留めて来た事が気がかりだった。
もしや、シャルンホルストの身に何かあったのかもしれない。
元々、体の弱い彼女の事。重大な症状があったりしたら……
見ればシャルンホルストも、不安げな面持ちで見上げてきている。
「……判りました」
聞かないわけにはいかない。
エアルは神妙な面持ちで座り直した。
2
スロットルを開き、機体を加速させる。
眼下の景色が、急速に後方に流れる中、
しかし、クロウ・アレイザー空軍大尉は、加速する機体に身を任せ、己の獲物を見定める。
眼前に迫る、ポリカルポフ戦闘機。
その上方から高速で接近し、両翼に装備した12.7ミリ機関砲を一連射。
弾丸は機体上部を貫き、爆発、炎上させる。
次、
と、呟く間もなく、既に新手は迫っている。
クロウの駆るメッサーシュミットBf109Fは急激な右旋回を掛けつつ速度を上げる。
後方から迫る敵機。
その両翼の機銃が、閃光を放つのが見えた。
だが、
「あ、たるかァッ」
メッサーシュミットの加速の方が速い。
わずかな差で、敵機が放った機銃弾が逸れるのを感じる。
「お返しだ!!」
操縦桿を引くクロウ。
メッサーシュミットは急旋回を駆けながら敵機の背後を取り、機関砲を連射。
敵パイロットは、必死に逃れようとするが、既に遅い。
背後から機関砲の直撃を受け、火球へと変じる。
鮮やかな勝利。
しかし、
「くそッ まだ、来るのかよッ!!」
舌打ちするクロウ。
その視界の先で、蒼穹を進行してくる爆撃機編隊が映りこむ。
しかも、1つや2つではない。
ざっと見えるだけで、10以上の爆撃機編隊が、陣形を組んで向かってきている。その総数は、少なく見積もっても100機以上。
対して、防空に上がっているドイツ空軍戦闘機隊は既に、クロウのメッサーシュミットを含めて10機も残っていない有様だった。
それだけではない。
地上に目を転じれば、多数の戦車部隊が連なるようにして大地を踏み鳴らしている。
大量の車両と、巻き上げられる砂塵、そして放たれる閃光によって地面が見えない。
その様は、まるで津波だ。
鋼鉄の津波が、ドイツ軍を飲み込もうと迫っているのだ。
「ッ!!」
呆けている暇は無かった。
機体の速度を上げ、突撃を開始するクロウ。
機体の速度はすぐに600キロを超え、敵の爆撃機部隊へと迫る。
同時に武装を20ミリモーターカノンに切り替える。分厚い装甲を誇る爆撃機に対し、12.7ミリでは威力不足だっだ。
接近と同時にモーターカノンを斉射。
銃弾は爆撃機のコックピット付近に命中し、これを吹き飛ばす。
そのまま、速度に任せて一航過。
反転して、再攻撃を仕掛ける。
爆撃機の方も防御砲火を上げるが、高速で飛び回るクロウのメッサーシュミットを阻止できるものではない。
たちまち、2機目を撃ち落とす。
防御砲火を逃れながら、一旦離脱。再突入の機会を伺う。
全部を落とすには、どう考えても弾丸が足りない。
それでも、やるしかない。
だが、
3機目に取り掛かろうとした時、クロウは背後から迫る影に気が付いた。
「チッ!!」
舌打ちするクロウ。
爆撃機への攻撃に気を取られ、背後から迫る戦闘機の存在に気付かなかったのだ。
速度を上げて、振り切ろうとする。
しかし、加速は相手の方が速い。
徐々に迫ってくる機影。
旋回も間に合わない。
「振り切れないかッ!!」
衝撃を覚悟した。
次の瞬間、
漆黒の閃光が駆け抜けた。
クロウの機体に迫っていたソ連空軍機が、爆炎に飲み込まれるのが見えた。
同時に、
《危なかったね。これは、貸し1つって事で良いよな》
レシーバーから聞こえてくる、少しおどけたような若い男の声。
間一髪のところで、クロウを救った友軍のメッサーシュミットが、翼を並べて並走する。
その機首に描かれているのは、黒いチューリップ。
メッサーシュミットのコックピットでパイロットが、笑顔で手を振るのが見えた。
まだ年若い、クロウと同年代の青年の顔を見て、思わず苦笑が漏れた。
「お前かよ」
自分を救ってくれた相手に、クロウもまた手を振り返す。
「ありがとよ、ハルトマン!!」
エーリヒ・ハルトマン空軍大尉。
撃墜数200機以上を誇る、正真正銘の撃墜王である。
撃墜数100機越えのスーパーエースが綺羅星の如く名を連ねるルフトバッフェの中にあってさえ、ひと際に輝きを放つ存在である。
因みに、クロウも既に昨日までで143機の撃墜数を誇り、今日も4機の撃墜を記録している。
しかし、
クロウは地上に、そして上空へと視線を向ける。
いかに、エース達が獅子奮迅の活躍を示し、10機、20機の敵機を撃墜したところで、敵は1000機、2000機と繰り出してくる。押し留められる物ではなかった。
舌打ちする。
倒しても倒しても、その屍を乗り越えるようにして敵がやってくる。
まるで死人の群れのようだ。
それに対し、押し留めるドイツ軍の数は、あまりにも少なかった。
その時、
《ぼさっとすんなッ 次が来るぞ!!》
鋭い叫びと共に、降下する1羽の猛禽。
両翼に巨大な大砲を搭載したユンカースJu87Gスツーカが、眼下の敵戦車に狙いを定める。
撃ち上げられる対空砲火をものともせず、地表付近まで降下して一撃。
大威力を誇る37ミリ砲は、強靭な装甲を誇るソ連戦車を一撃で貫通、破壊してのける。
更にスツーカは、急旋回を掛けて鮮やかにターン。
逃げようとする戦車を捕捉すると、これを破壊してのけた。
《相変わらず、凄まじいね》
苦笑を含んだハルトマンの声に、全くの同意だと苦労も嘆息する。
やがて、まるで一仕事終えたとばかりに、スツーカは2人のメッサーシュミットに並走する。
《休んでる暇はないぞ、お前ら。弾が切れたんなら、とっとと戻って補充してこい》
「まったく、人使い荒いんだから、少佐は」
ぼやき交じりのクロウのセリフに、ハンス・ルーデル少佐は、ニヤリと笑う。
2000回以上の出撃回数を誇る爆撃機隊のエースは現在、第2地上攻撃航空団司令官の立場にある。
司令官と言えば、後方で指揮を執っているイメージだが、ルーデルにはそれが当たらない。
彼は副官に指揮全般を任せると、自身はスツーカを駆って前線で暴れまわっている。
今や敵からも味方からも注目の的となっているルーデル。
万が一、彼が戦死しようものなら、味方の士気低下は目も当てられない物となる。その事を懸念した上層部は、どうにかして彼を後方勤務に就かせようと躍起になっているらしいが、ルーデル本人が、それを蹴り続けている。
噂では、ヒトラーも直接、彼に後方勤務に回るように命じたらしいが、ルーデルは総統の要請すら拒否したらしい。
そんな傍若無人な態度が許されるのは全て、現実に彼が戦果を挙げ続けているからに他ならない。
世界最強の男と言う存在がいるとすれば、それはハンス・ルーデル以外にあり得なかった。
《イワン共はまだまだ来るッ 休んでいる暇はないぞッ》
《少佐はどうするんです?》
《決まってんだろ》
ハルトマンの質問に、ルーデルはニヤリと笑う。
《イワン共をぶっとばすッ!!》
言い放つと同時に、ルーデルは眼下の獲物に狙いを定めた。
3
鋼鉄の津波。
クロウが感じたイメージは、正にその通りとしか言いようがなかった。
1944年6月22日。
この日はついにやって来た。
地を駆る鋼鉄の獣たち。
天空を埋め尽くす怪鳥の群れ。
圧倒的多数を誇る、殺戮者の集団。
それらが一斉に、西に進路を取って動き出した。
ソ連軍による「バグラチオン作戦」発動。
前年のクルスク会戦により、ウクライナ地方は完全にソ連軍によって奪還されるに至った。
これに伴い旧ソ連領の中で、未だにドイツ軍の支配下にあるのはベラルーシのみとなった。
そのベラルーシには東部方面軍主力の中央軍集団が駐留し、ソ連軍を迎え撃つ体制を整えていた。
ベラルーシは国土を森林地帯によっておおわれ、隘路が多数ある。その為、大軍の通行が難しく、防御に適した土地と言えた。
当然、ドイツ軍は隘路の先に重要拠点を多数構築し、ソ連軍の襲来に備えていた。
その総兵力は90万、戦車500両、航空機800機、火砲9000門
連合軍のノルマンディ上陸を許し、西部戦線にも増援を送らざるを得なくなったドイツ軍は、東部戦線から多数の精鋭部隊を引き抜き、西部戦線の防衛に当てていた。
更に、後方のパルチザン対策にも兵力を割かねばならず、中央軍集団の戦力は大きく弱体化していた。
一方、この作戦にソ連軍は、兵力170万、戦車4000両、航空機5500機、火砲2万4000門と言う、圧倒的な戦力を投入していた。
ソ連軍はこの大兵力でもって、南北1000キロに渡る巨大な戦線を構築、3方向からベラルーシへ進軍を開始した。
対するドイツ軍も、ソ連軍の攻勢が近い事は察知していた。
ドイツ軍、特にヒトラーを中心とした総統府は、ソ連軍の主攻勢は南から来ると読んでおり、各拠点に陣地死守を命じる一方、南部方面に増援部隊を差し向けていた。
だが、
その読みは間違えていた。
ソ連軍は初めから、正面からの平押しを企図していたのだ。
発動されるバグラチオン作戦。
その発令日である6月22日は3年前、ドイツ軍がバルバロッサ作戦を発動させた日でもある。その事実に、ソ連軍の強い執念を感じざるを得なかった。
ソ連軍の進撃速度は凄まじく、瞬く間にドイツ軍の前線拠点は激しい攻撃に晒された。
圧倒的な戦力で攻撃を仕掛けてくるソ連軍を前に、中央軍集団司令官のブッシュ元帥は、これが囮の為の予備攻撃ではなく、主攻撃であると判断。
ただちに総統府に対し状況を報告し、一時後退と、前線の再構築を進言した。
このまま戦力が分散した状態で防戦を行っても勝機は無い。それよりも後方に下がって戦力の集中を図るべきと考えたのだ。
だが、それに対するヒトラーの回答は、ブッシュの即時更迭だった。
ブッシュを中央軍集団司令官から解任すると、ヒトラーは自分の息のかかった人物を後任に当て、改めて陣地固守と後退禁止を命じた。
だが、
ブッシュの考えは正しかった。
ソ連軍の戦略目標は、ベラルーシ奪還と同時に、中央軍集団の壊滅を狙っていたのだ。
だが、まだ希望はある。
ドイツ軍にはアルフレート・マンシュタインがいる。
ドイツ軍最強の守護神にして、今代最高の名将。
彼がいれば、いかにソ連軍の大攻勢と言えど、必ずや撃退してくれるはず。
そう、
マンシュタインさえいれば。
だが、
ソ連軍の攻勢が始まった時、ドイツ軍の陣営に、マンシュタインの姿は無かった。
実は、これに先立つカナメツ・ポドリスキーの戦いに際し、彼は総統の後退禁止命令を無視して配下の部隊を後退させた事でヒトラーの怒りを買い、南方軍集団司令官を解任されていたのだ。
もっともこの戦い、マンシュタインはそもそも陣地死守には反対であり、それよりも包囲された第1装甲軍の救出に全力を注ぐべきと考えたのだ。
どのみち拠点を守っても維持する事は難しい。それよりも、有力な機甲部隊である最1装甲軍を救出し、この戦力を再編すればまだまだ十分に戦えるはずだった。
部隊撤退の為に作戦を展開するマンシュタイン。
対してヒトラーは、彼の下へ補給物資を送らないなど、嫌がらせに近い妨害工作を行ってまで、陣地を死守させようとした。
しかし、マンシュタインは少ない物資と戦力をやりくりし、包囲網を一点突破させると、包囲されていた第1装甲軍を救出する事に成功したのだ。
これは正に2年前、スターリングラードにおいて試みて、結局果たせなかった「冬の嵐作戦」の再現であり、あの時のマンシュタインの考えが、全面的に正しかった事の証左に他ならなかった。
マンシュタインは正に、2年の歳月をかけて、あの時の
しかし、
このマンシュタインの成功を、ヒトラーは気に入らなかった。
自分の命令を無視した上で、大成功するなどもってのほかだった。
カナメツ・ポドリスキー失陥、及び、第1装甲軍が多大な損害を被った事を理由に、マンシュタインを更迭するヒトラー。
ここに、味方のみならず、敵からすら「ドイツ軍最高の名将」と称えられたマンシュタインは去り、彼が戦場に姿を見せる事は2度となかった。
そして、
自らの守護神を、自らの手で追いやったドイツ軍は、完全に烏合の衆と化した。
ブッシュの後任者は、ヒトラーの命令を忠実に実行した。
各拠点に分散配備した兵に対し、陣地死守を命じ、ソ連軍を迎え撃とうとした。
対して、圧倒的な戦力差で押し出してくるソ連軍。
ソ連軍総司令官ゲオルギー・ジューコフ元帥が中央軍集団殲滅の為に採った戦術は「全縦深突破戦術」。
これは、圧倒的多数の戦力で大きく広げた前線を一気に押し出すと同時に、航空部隊の爆撃により重要拠点の破壊、更に空挺部隊による降下作戦で敵後方を遮断。敵の拠点が孤立したところで、圧倒的兵力で飲み込み、圧し潰すと言う戦術だった。
その攻撃速度、そして敵後方に回り込んで重要拠点を破壊、敵前線を包囲すると言う戦術の性質からしばしば、「ソ連版電撃戦」とも呼ばれている。
ドイツ版電撃戦は、前線を押し出すと同時に一部の精鋭部隊が敵戦線を一点突破し後方に展開、重要拠点を破壊して敵の動揺を誘う事で、敵前線部隊を瓦解させる。
少数戦力でもって、短時間で敵戦線崩壊を狙える反面、敵が予想を超える戦力を用意していた場合、押し返される危険性がある。
一方のソ連版は、圧倒的な兵力で広く展開した前線を一気に押し出し、敵の拠点を飲み込み包囲する。
ただし、そもそもこの戦術を行う場合、相手よりも圧倒的多数の戦力を揃える必要がある。
これは、どちらの戦術が優れている、という話ではない。
言ってしまえば、攻撃速度と敵の心理的瓦解を重視するドイツ版電撃戦と、制圧力と包囲殲滅を重視するソ連版縦深突破戦術の違いだった。
ただ一つ言えば、この全縦深突破戦術は、大兵力を誇るソ連軍の戦略に見事に合致しているという事だった。
この戦術は、実はあの、ボリショイ・テロルの粛清劇によって無実の罪を着せられ処刑されたトハチェフスキー元帥が提唱した物だった。
ドイツのスパイ(と思われていた人物)が提唱した説である為、ソ連軍内では長らくタブーに近い扱いを受けていたが、ジューコフは亡き先輩元帥の戦術思想を採用する事を強く推進した。
濡れ衣で処刑された元帥の提唱した戦術が、死後に評価され、祖国を取り戻すために大きな貢献をする事になろうとは、皮肉な成り行きだろう。
だが、ともあれ、この戦術が有効な事は確かだった。
ドイツ軍の戦略ミスもあり、一気に戦線を押し上げるソ連軍。
ドイツ軍の最前線にある拠点は、押し寄せるソ連の大軍によって瞬く間に飲み込まれ、圧し潰される。
やがて、前線にある全ての拠点が、ソ連軍に奪還されるのに、そう時間はかからなかった。
ここで一息つくかと思いきや、ソ連軍はドイツ軍の後退を見越し、即座に行動を移した。
ソ連軍側の作戦は、初めから2段階で構成されており、一気にベラルーシ全土を席巻した。
敗走するドイツ軍を、容赦なく追撃するソ連軍。
対して、ドイツ軍は成す術もなく蹂躙されていく。
遥か後方で、ヒトラーが現地死守と後退禁止を叫び続けるが、そんな事にかまっている余裕はなかった。
結局、
ソ連軍は僅か1カ月で700キロも前進。ベラルーシを完全に奪還する事に成功した。
その後、辛うじて中央軍集団が態勢を立て直した事で、それ以上の侵攻は食い止める事が出来たが、被害は目を覆いたくなるレベルだった。
この戦いでドイツ軍は、28個師団、40万人の兵力を喪失、31人の将官が死亡、東部方面軍主力の中央軍集団は壊滅した。
東部戦線自体も南北に分断されて崩壊、以後は個々の防衛戦に委ねる以外に無かった。
一方のソ連軍も17万の兵力を失ったが、ソ連軍上層部にとってこの数字は最早、許容の範囲内であり、何よりドイツ軍の東部戦線を崩壊させた事は大きかった。
以後、東部戦線の主導権は完全にソ連軍が掌握。
ドイツは、その命運を決したに等しかった。
4
「完敗、だな」
ポーランド内にある空軍基地に降り立ち、待機所の椅子に座り込んでから、クロウは大きく息を吐いた。
ソ連軍の怒涛の進撃を前に、拠点を悉く失った中央軍集団は、ベラルーシからの敗走を余儀なくされた。
その後、旧ポーランド領まで後退した中央軍集団は、本国からの増援部隊と合流。どうにか態勢を立て直し、防衛ラインの再構築に成功した。
ソ連軍もベラルーシ奪還、中央軍集団壊滅と言う戦略目標を達成したからには、これ以上の無理は無用と判断したのだろう。追撃を中止、戦線は膠着状態となった。
とは言え、ドイツ軍からすれば正しく「命拾いした」と言ったところである。
もしソ連軍が損害を顧みず、遮二無二追撃戦を展開していたら、ポーランドまで一気に失陥していてもおかしくはなかった。そうなれば、もはやドイツ本国を守る防波堤は何一つとして存在しなくなる。
「お疲れ様」
「ああ、悪い」
ハルトマンが差し出した水を一気に飲み干す。
その体からは、ただただ徒労感のみが漏れ出るようだった。
「結局、何もできなかったな」
クロウ達空軍は善戦した。
戦闘機部隊は押し寄せる敵機を片っ端から撃ち落とし、爆撃機隊は何100台もの敵車両を破壊した。
だが、それだけだった。
結局のところ支援部隊にすぎない空軍だけでは、敵を押し留める事は不可能。できる事には、おのずと限界がある。
「あまり、根詰めないでよ」
クロウの隣に腰を下ろしながら、ハルトマンが慰めの言葉を駆けてくる。
が、
言っておいて、すぐに苦笑を浮かべる。
「と、言っても無理か」
「ああ」
頷きながら、クロウはハルトマンの顔を見る。
ハルトマンはその顔立ちにどこか幼さが残り、未だに10代前半の少年と間違われる事もある。生来、無邪気な性格をしている事もあり、やや童顔ながら絵に描いたような二枚目男だ。
まったく、天に二物は与えず、とは誰が言ったのか。
ドイツ軍最高の撃墜王で二枚目で性格は最高。それでいて、故郷には2歳年下の可愛い婚約者がいると言うから羨ましい限りである。
あえて現代風に言えば「リア充爆発しろ」と言ったところである。
しかし、そんなハルトマンでも徒労感は隠せないらしく、グッタリと座り込んでいた。
と、
「おい、アレイザー」
呼ばれて振り返ると、戸口にもう1人の化け物が立っていた。
「何すか、少佐?」
現れたルーデルに、クロウはややげんなりした調子で尋ねる。
たった今、この基地に着いたところなのだ。再出撃は勘弁してくれ。
「少佐、俺、今来たとこなんですから、出撃ならちょっと休んでから」
「阿呆」
クロウの言葉に呆れながら、ルーデルは自身の背後を指差した。
「お前に客だよ」
「客?」
訝りながら視線を向ける。いったい、誰が来たと言うのか?
そこで、クロウは息をのんだ。
「お前…………」
やや銀色掛ったブロンドの髪をツインテールに縛り、白い軍服に身を包んだ少女。
今や、懐かしさすら覚える、その姿。
「ツェッペリン」
「久しぶりだな、中尉。いや、今は大尉だったな」
相変わらず堅苦しい口調。
それすら、今のクロウには懐かしく感じられるのだった。
積もる話もあるだろう、と言う事でルーデルが気を利かせてくれたのか、兵舎の一室を借りる事が出来た。
「東部戦線じゃ活躍しているみたいだな。改めて、昇進おめでとう」
「ありがとう。まあ、俺よりすごい奴なんかいくらでもいるから、あんまり自慢にはならないんだけどな」
そう言って苦笑するクロウ。
「そっちも、オークニー諸島沖の話は聞いたぞ」
「ああ。あれは、ひどい戦いだった。レーベンス大佐以下、多くの人達が命を落とした」
ドイツ海軍が大敗を喫した戦いの情報は、東部戦線にいても聞こえてきていた。
幸い、「グラーフ・ツェッペリン」や、兄の乗る「シャルンホルスト」は無事だったようだが、「グナイゼナウ」を初め、多くの艦と共に、艦娘、将兵が失われたという。
元々、イギリスに対して海軍力では大きく水を空けられているドイツだが、あの敗北で、海上における勝敗は決定的になったと言われている。
「それで、今日はどうしたんだよ? お前が、こんなところまで来るなんて」
わざわざ艦娘が最前線まで来るからには、よほどの事情があるのだろう。
そう言って、先を促すクロウに、ツェッペリンはカバンから書類を出した。
「今度、海軍主導で空母機動部隊が編制される事になった。それに伴い、空軍からパイロット、機体、及び人員を移籍する事になった」
「まあ、話くらいは聞いてるよ」
差し出された書類を受け取りながら、クロウは何の気なしに読み進める。
正直、自分には関係ない話だと思っていた。
機動部隊は2隻の空母「グラーフ・ツェッペリン」と「ペーター・シュトラッサー」を中心に編成、戦艦、巡洋艦、駆逐艦、果てはUボートも含めて、その護衛艦として運用される事になる。
これまで、水上艦中心、あるいは潜水艦中心の戦略を立てていたドイツ海軍からすれば、かなり思い切った編成だった。
ツェッペリンは、そんなクロウを見つめながら言った。
「大尉、そこで、あなたに、『私』の戦闘機隊隊長を務めていただきたい」
そこで、クロウはツェッペリンが自分の下へ来た理由を理解した。
要するにスカウトだ。
戦闘機隊を任せるにあたって、ツェッペリンは旧知のクロウにそれを依頼しようと思ったのだ。
だが、
「せっかくだが……」
殊更、低い声でクロウは告げる。
「この話、断らせてもらうよ」
今、東部戦線が苦しい状況にあって、自分がここを離れるわけにはいかない。
ツェッペリンには悪いが、他を当たってもらうしかない。
そう言おうとしたクロウだが、それを制するようにツェッペリンが口を開いた。
「新編成される、第1航空戦隊の人事欄。それを見ても、あなたは断れるのか?」
「人事欄?」
少し苛立ちを見せながら、もう一度資料を開く。
いったい、これが何だって言うのか?
だが、
「えっ!?」
思わず、声を上げた。
『第1航空戦隊司令官:エアル・アレイザー少将』
「あ、兄貴がッ!?」
離れていても、尊敬する兄の名を見間違えるはずがなかった。
兄の下で戦える。
兄と一緒に、また戦える。
その想いが、感情となってクロウの中を駆け抜ける。
以前、海軍に出向した時も、兄と共に戦ってはいるが、あの時とは違い、今度は完全にエアルの指揮下となるのだ。
クロウにとって、これ程魅力のある職場はない。
「けど…………」
どうしても、躊躇いが残るのは、この東部戦線の事だ。
今この苦しい状況の中で、苦楽を共にした仲間たちを置いて、自分だけが理想の職場に行く。
その罪悪感が、どうしてもあと一歩の決断を躊躇わせた。
その時だった。
「行って来いよ」
突然の声に、クロウとツェッペリンが振り返ると、そこには2人の仲間が笑みを浮かべて立っていた。
「少佐……ハルトマン……」
「行きたいんだろ。だったら行けよ」
「そうそう。こっちは俺達で何とかするからさ」
笑顔の仲間たち。
クロウは迷うように、ツェッペリンを見る。
少女は変わらず、冷静な瞳で見上げて来る。
だが、どこかすがるような光が混じっているのを、クロウは見逃さなかった。
消耗激しいドイツ空軍の中にあって、それでも海軍へ移籍しても構わないと考えている者は、それほど多くはない。
もし、クロウに断られたら、戦闘機隊隊長の当ては彼女には無い。完全にゼロから選定し直さなければならなくなる。
そうなれば、海軍航空隊の編成は大幅に遅れる事になる。
だからこそ、ツェッペリンは縋る思いで、この最前線にやって来たのだ。
友からの誘い。
尊敬する兄と共に戦えると言う高揚感。
仲間たちの後押し。
後は、クロウの決断あるのみ。
ややあって、クロウは顔を上げた。
「判った」
「大尉?」
怪訝な面持ちのツェッペリンに、笑いかける。
「戦闘機隊隊長の件、引き受けてやるよ」
「ありがとう」
クロウの手を取るツェッペリン。
その顔には、安堵の微笑みが浮かべられている。
そんな2人の様子を、ハルトマンとルーデルは、温かい眼差しで見詰めるのだった。
第78話「鼓動」 終わり
「今…………何て?」
自分がひどく、間抜けな面をしているであろう事を、エアルは重々理解していた。
チラッと横目で見れば、シャルンホルストもまた、ポカンと口を開けている。
そんな2人の反応を、可笑しそうに見つめる女医。
「まあ、無理もないですよね。だいぶ発見が遅れちゃったから。けど、ケースとしては珍しくないわよ」
そう言って、クスクスと笑う。
「えっと…………」
脳が現実に追い付かない。
目の前で起きている事の意味が、なかなか理解できない2人。
そんな2人に、女医ははっきりと告げた。
「シャルは妊娠しています。もう5カ月目ですね。なかなか検診に来ないから、少し発覚が遅れました」
告げられる真実は、いっそ敵戦艦からの砲撃以上に破壊力を持って襲い掛かって来た。
「妊娠、シャル、が……」
「ボクの…………」
呟きながら、シャルンホルストは、自分のお腹に掌を当てる。
「ボクの、お腹に、赤ちゃんが? おにーさんとの?」
顔を見合わせる2人。
あまりに突然すぎる事態。
一瞬、シャルンホルストの掌に、
ドクン
と、波打つのを感じた。