1
唖然としている人物が、目の前に3人。
まさに、開いた口が塞がらない、と言った感じだ。
その反応を前にして、エアルとシャルンホルストは次の行動に迷わざるを得なかった。
予想できた事とは言え、なるべくしてなったと言える。
むしろ自分達の所業故と思えば、彼等の反応は当然の事だった。
病室のベッドの上で、上体を起こしているシャルンホルスト。
その傍らに立つエアル。
2人揃って、居心地の悪い想いは隠せない。
そして、
目の前には、エアルの父であるウォルフ・アレイザーと、エアルにとってもう1人の母ともう言うべきシュレスビッヒ・ホルシュタイン、そして妹のサイア・アレイザーが立っている。
皆、三者三様の表情を浮かべつつも、共通する要素があるとすれば「困惑」であった。
「い、いや…………」
口火を切ったのはウォルフだった。
「ほ、本当、なのか? その、彼女が?」
「う、うん」
頷くエアル。
その横で、シャルンホルストもいたたまれない様子で縮こまっている。
シャルンホルストの妊娠。
そして、お腹の子の父親がエアルである事。
3人を呼び、その事を告白したところ、返ってきた反応がこれだった。
次の瞬間。
「やったじゃんッ シャル!!」
「わわッ サイアッ!?」
兄を押しのける勢いで、サイアがシャルンホルストの首に飛びついた。
「赤ちゃんだよ赤ちゃんッ すごいじゃんッ え? て事は、私の姪? 私おばさんになるって事? やだ、それはそれでちょっとなあ、あ、でも、とっても嬉しいよ!!」
「落ち着きなさい、サイア」
苦笑しながら、シュレスがサイアを宥める。
取り合えず、妊婦相手に無茶な事はしないでほしかった。
「まあ、別に珍しい事ではないし、いけない事でもない。だから、あまり気にするんじゃないよ」
「は、はい」
シャルンホルストを安心させるように、優しく語り掛けるシュレス。
多くの艦娘の母親役を務めてきた彼女。こうした事態にも慣れた物である。
だが、
「いや、事態はそう簡単な話じゃない。事は、お前達2人だけの話には留まらないぞ」
水を差したのはウォレスだった。
険しい顔を、エアルとシャルンホルストに向ける。
「どういうことだ、ウォルフ?」
「そうだよ、こんなにおめでたいのに」
訝りながら訪ねるシュレスとサイア。
このおめでたい話に水を差すな。と言外に告げる女性陣。
だが、ウォルフはそんな2人に構わず続ける。
「めでたいのは確かにその通りだ。しかし妊娠、出産ともなれば、彼女が長期にわたって戦線離脱する事は避けられまい」
「それは…………」
言葉を詰まらせるエアル。
父が何を言いたいのか、理解したのだ。
「今、ドイツは厳しい状況に立たれている。そんな中で、シャルンホルスト程の有力艦が戦線離脱するとなれば、な」
オークニー諸島沖海戦で大敗し、壊滅状態にあるドイツ主力艦隊にとって、「シャルンホルスト」の存在は、外す事の出来ない支柱となっている。
その「シャルンホルスト」が、妊娠出産の為に長期戦線離脱したとなれば、ただでさえ劣勢の情勢に、更なる苦境が重なる事になる。
「その覚悟が、お前達にはあるのか?」
「それはッ」
「…………」
父の厳しい問いかけに、反論できずに黙り込む。
「シャルンホルスト」が抜ける穴を埋める算段。
それをどうするか、と言われれば、その答えを持ち合わせていないのも事実だった。
緊迫する空気。
エアルとウォルフは真っ向から睨み合う。
父と子が、まるで一触即発とも言うべき状況で睨み合う。
と、
その時だった。
「クックックックックック」
突然の笑い声に振り返ると、話を聞いていたシュレスが、口元を押さえて笑っているのが見えた。
訝るウォレス。
「おい、真面目な話をしてるんだぞ」
「ああ、すまんすまん」
そう言いつつも、笑いながら手を振るウォレス。
エアル達はと言えば、意味が分からず首を傾げるしかない。
「しかし、お前がそれを言うのか、ウォルフ?」
「何の話だ?」
「忘れたとは言わせないぞ、ドッガー・バンクの時の事」
シュレスの言葉に、今度はウォルフが言葉を詰まらせる番だった。
首を傾げるエアル。
「ドッガー・バンクって、1次大戦の時の海戦ですよね。確か
「そうだ。士官学校でも、課題が出ただろう」
ドッガー・バンク海戦は、第1次世界大戦中期に起こった、ドイツ海軍とイギリス海軍による大規模艦隊戦である。
当時、ドイツ海軍の高速艦隊に翻弄されたイギリス海軍は業を煮やし、これを撃滅すべく主力巡洋戦艦部隊を繰り出した。
対するドイツ海軍も、ヒッパー提督率いる巡洋戦艦部隊を派遣。両軍は北海を舞台に激しい艦隊戦が行われた。
この戦いでドイツ海軍は、装甲巡洋艦1隻を失い事実上敗北した。
しかし、イギリス海軍の主力巡洋戦艦に大きな損害を与え、敗れつつもドイツ艦隊が奮戦した戦いとしても知られている。
そして、この戦いで巡洋戦艦の持つ脆弱性に気付いたドイツ海軍は、いち早く改装工事を実施し、それが後のユトランド沖海戦における被害極限に繋がったのだ。
そして、
この戦いで最も気を吐いたドイツ艦の1隻が、他ならぬ巡洋戦艦「デアフリンガー」、つまり、エアルやサイアの母だった。
「あの時な、実はテアの奴、妊娠してたんだよ」
「「「は?」」」
間抜けな声を発するエアル、サイア、シャルンホルスト。
特に衝撃の事実を知ったアレイザー兄妹の驚きは、想像を絶していた。
ドッガー・バンク海戦があったのは1915年なので、計算すれば……
「え、じゃあ、その後で生まれたのって……」
「そう、エアル、お前だよ。まあ、まだ妊娠初期だったから、ウォルフも、それこそテア本人も気付いていなかったんだがな」
とんでもない事実が、30年近く経って暴露された形である。
唖然とするエアル達。
我が両親ながら、とんだ無茶をしてくれたものである。
しかし、そうなると…………
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
4対の視線が、ウォルフへ向けられる。
気まずい。
どころの話ではない。
先ほどの比ではない程、緊張した空気に包まれる。
「…………ともかく、だ」
そんな空気を断ち切るように、ウォルフが言い放つ。
「どのような形にせよ、今後の対応については考えていく必要がある。俺が言いたいのは、そう言う事だ」
それだけ言うと、踵を返して病室を出て行くウォルフ。
後に残った4人は、その背中を見送る。
「…………逃げたな、あれは」
笑いをこらえきれないシュレスが呟く。
一方で、深刻な顔をしているのはシャルンホルストだった。
「でも、言う通りだよね。ボクが抜けたら、みんなが迷惑しちゃうんだし」
「そんな事、考えちゃだめだよシャル」
サイアが窘める。
それに同調するように、シュレスが続けた。
「サイアの言う通りだ。あなたは何も心配せず、元気な子を産む事だけを考えないさい」
「…………はい」
2人の温かい言葉。
それを聞くだけで、少しだけ、心が軽くなるようだった。
皆が帰った後、エアルとシャルンホルストだけが病室に残った。
ベッドに腰掛けたエアルが、そっと、シャルンホルストを抱き寄せる。
「おにーさん。ボク、どうしよう。みんなの足を引っ張っちゃう」
サイアやシュレスにはああ言われたが、やはり当事者としては責任を感じずにはいられない。
不安を口にするシャルンホルスト。
「心配ないよ」
そんな巡戦少女の想いを察し、エアルは優しく語り掛ける。
「もしもの時は、俺が何とかするから」
「何とかって、どうするの?」
「それは、まあ……」
珍しく歯切れの悪いエアル。
言っておいて何だが、エアルにだって具体策がある訳ではなかった。
しかし、
「アハッ」
「え、何?」
急に笑うシャルンホルストに、エアルは訝りながら訪ねる。
そんなエアルの胸に頭を寄せながら、シャルンホルストは口を開く。
「おにーさんでも、困る事ってあるんだなって思って。ちょっと安心した」
「……まったく」
何を呑気な事を。
これからの事を考えれば、頭の痛い事が山積みだというのに。
まあ、それもこれも、全て覚悟のうえで自分が蒔いた種だと思えば、改めて責任を受け止めるしかないわけだが。
今はとにかく、この少女と、そして、少女のお腹の中にいる子供と一緒にいれる喜びを感じておこう。
そう思って、エアルはシャルンホルストを優しく抱きしめるのだった。
2
蒼穹を駆け抜ける。
翼を翻して急旋回。
ターンすると同時に、急降下に入る。
海面近くで軽やかに機首を上げ、水平飛行しつつ、緩やかに高度を上げる。
一連の行動を何度か繰り返すと、機体が手に馴染むようだった。
全ての行程を終え、クロウ・アレイザーは機体を母艦に滑り込ませた。
飛行甲板に降り立ち、やがて定位置で停止する。
プロペラが止まるのを確認してから、クロウはコックピットを開いた。
「成程、癖が少ない。確かに良い機体だな」
言いながら、機体から降り立つ。
やって来た整備兵に機体を預けると、機材の陰から銀髪の少女が歩いてくるのが見えた。
ツェッペリンだ。
「お疲れ様、大尉。新しい機体はどうだ?」
「悪くないよ。兄貴達が正式採用した理由も判る」
言いながら、クロウは運ばれていく機体を見つめる。
その機体は、クロウの愛機であるメッサーシュミットBf109ではない。
フォッケウルフFw190ヴュルガー。
ドイツ軍が誇る主力航空機メーカーであるフォッケウルフ社が開発した主力戦闘機であり、クロウが愛機にしているメッサーシュミットBf109と双璧を成す存在である。
メッサーシュミットが、細い機体と翼が特徴の優美な外見なのに対し、フォッケウルフは胴体が太く、力強い印象がある。
海軍航空隊発足に当たり、フォッケウルフは主力艦上戦闘機として採用されていた。
これにはいくつか理由がある。
そもそもFw190を開発した、フォッケウルフ社の主任技術者クルト・タンクは、「戦闘機とは、速さだけが取り柄のひ弱なサラブレットではなく、騎兵の軍馬であるべき」と言う持論を強く持っている。
これはライバルのメッサーシュミットを、強く批判した言葉でもある。
確かにメッサーシュミットは、スピードだけ見れば列強各国の中でもトップクラスである。
しかし、基礎設計に脆弱さがあり、それが稼働率低下にもつながっている。
まずエンジンは、ドイツでは主流の液冷エンジンを採用しているが、このエンジンは高出力な反面、構造が複雑で故障を起こしやすく、かつ扱える技術者にも限りがある。とかく物資に乏しく環境の整わない最前線での整備に悪戦苦闘の連続だった。
翼に厚みがなく、内部に大口径の機銃を搭載できない。その為Bf109の主力武装であるモーターカノンは、プロペラ軸内に搭載するしかない。その他、ガンポットを翼下に搭載する案もあったが、これは空力抵抗が極端に悪化する事から、殆どのパイロットが忌避している。
更に致命的な欠陥として、主脚が挙げられる。Bf109の主脚は離陸後に折りたたむ際、胴体中央側から翼端方向、つまり外側に向かって開くように引き込まれる仕組みになっている。その為、左右の主脚間が狭く、これが構造上の脆弱性を齎している。過去、特に野戦飛行場において、この主脚問題に起因する事故が何度も起きていた。
タンク技師が、メッサーシュミットBf109を「脆弱なサラブレット」と言った意味がよくわかる。
一方のフォッケウルフFw109は、初めから余裕のある設計がされている為、構造にも問題は無く、さらに拡張性が高い為、偵察機型、爆撃機型、戦闘爆撃機型など、様々な機種バリエーションが開発され戦場で活躍している。
エンジンも構造が単純で、前線での整備が容易な空冷エンジンの中から、出力が高い物が選ばれている。
それらの結果、Fw109は、高空での最高速度こそメッサーシュミットに劣るが、低空ではむしろ運動性に優れ、尚且つ故障も少なく、前線での整備も容易で、高い稼働率を誇り、様々な戦局に投入できる万能型の機体となっていた。
正にタンク技師が目指した「空飛ぶ騎兵」の体現と言えるだろう。
「では、大尉も乗り換えるのか?」
「いや」
問いかけるツェッペリンに、クロウは不敵に笑う。
「俺はずっとメッサーで戦ってきたんだ。今更、馬は代えられねえよ」
そう言って、クロウは愛機であるメッサーシュミットの胴体を軽く叩く。
「それに、フォッケウルフは、少し纏まりて過ぎてて、乗ってて面白くない。やっぱ、少しくらいじゃじゃ馬の方が、俺には合ってるよ」
「あなたらしいな」
そう言って苦笑するツェッペリン。
そんな彼女を背に、クロウは機体へと乗り込む。
「さて、もう1回行ってくるぞ。今度は4小隊と5小隊を同時に上げろ」
「了解した」
機上の人になるクロウに、手を振るツェッペリン。
航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」は、徐々に機関出力を上げ、白波を蹴立てて最高速度で走り始めた。
ある者は愛を育み、ある者は大空を臨む。
失ったものは大きい。
しかし、失ったものをまた、別の何かで補いながら、ドイツは前へと進もうとしている。
少しずつ、
少しずつ、事態は良い方向に進んでいる。
そう、思えていた。
だが、
その全てを、完膚なきまでに破壊する事態が、すぐそこまで迫っていようとは、誰も、思ってもみないでいた。
3
こうした場は、いつ以来だろうか?
居並ぶ面々と、この場所を見渡しながら、ドイツ海軍総司令官カーク・デーニッツ元帥は、そんな事を考えていた。
陸海空3軍の幹部たちが集まり、会議室は手狭な感すらある。
ここはドイツ第3帝国首都ベルリン。その行政の中心たる総統府である。
と言っても、日の当たる地上ではない。
場所は総統府地下に建設された地下壕である。
バグラチオン作戦以後、さらに攻勢を強めるソ連軍によって、東部戦線が押し込まれるにつれ、戦線はついに旧ポーランド領にまで及んでいる。
事ここに至り、最前線に近い
かねてより、総統府の地下には巨大な防空壕が建設されていた。現在はそこが、ドイツ全軍の指揮中枢となっている。
地下壕と言っても、単なる待避所とはわけが違う。
ここはドイツが持てる技術の粋を尽くして建設された地下城塞である。
地下深くに掘られた空間は、壁面と天井を大量のセメントによって固められ、大規模空襲にも余裕で耐えられる構造をしている。
内部は想像以上に広く、更にいくつもの部屋に区切られている。最奥部の総統執務室にたどり着くには、いくつもの扉を経由する複雑なルートを進まねばならず、迷宮さながらの構造をしている。当然、その間は親衛隊員によって警護されている。暗殺者が潜り込むことは100パーセント不可能だ。
少し神話に詳しい人間がいれば、ギリシャ神話に登場し、牛頭人体の怪物を封印したとされるクノッソスの迷宮を連想させる。
通気性にも配慮がなされ、化学戦兵器が投入されても、地下壕に影響を及ぼす事はない。
勿論、ただ大きくて広くて頑丈というだけではない。
内装には贅を尽くされており、王侯貴族が住まう宮殿並みの様式と調度品が揃えられている。
当然、インフラ整備も完璧であり、物資も十分に蓄えられている。たとえベルリンに敵が攻めてきても、数年は籠城できる計算だった。
この地下壕は最高クラスの防御力を備えた城塞であると同時に、総統アドルフ・ヒトラーが住まう宮殿に他ならなかった。
デーニッツのいる会議室では間も無く、総統主催の戦略会議が行われようとしていた。
会議が行われる事自体、不思議な事ではない。ドイツ全軍の総司令官は、総統ヒトラーである以上、定期的な会議は行われる。
しかし7月20日のクーデター未遂事件以降、ヒトラー主催の会議は行われていなかった。
あの暗殺未遂が会議の最中に起こったことを踏まえ、再度の暗殺を警戒しての事、と言う意味合いもあるだろう。
しかし、デーニッツはとある噂を耳にしていた。
どうもヒトラーが、国防軍を信用していないらしい、との事なのだ。
理由は、あのクーデターが国防軍中心で実施された事だった。
無論、クーデター派の中心となった「黒いオーケストラ」幹部は、軒並み逮捕されている。
しかしヒトラーは、メンバーの残党や、あるいは彼等の潜在的なシンパとなるような人物が、国防軍内部に未だに残っているのではと疑っているのだ。
その為、国防軍の人間はヒトラーに近付く事すらできず、重要な戦略会議は専ら、ヒトラーとその側近のみで実施、決定され、国防軍に決定事項が通達されているのが実情だった。
勿論、ヒトラーも側近達も本職の国防軍人と違い、その殆どが軍事素人である。その為、実情にそぐわない作戦ばかりが乱発され前線は混乱、せっかく立て直しつつあった戦線も急速に崩れつつあった。
そのような中での総統会議である。
デーニッツならずとも、不信を抱かずにはいられなかった。
やがて、ヒトラーが会議室の中に入ってくると、全員が一斉に起立。右手を斜め前方にまっすぐ掲げるナチス式の敬礼を行う。
『ハイル・ヒトラー!!』
ヒトラーが着席すると、早速会議が開始される。
「諸君、余は重大な決断をした。本日をもって戦局は逆転。我が偉大なるドイツに仇成す不届き者達は一掃され、我らの覇権は、必ずや確固たるものとなるであろう!!」
ヒトラーの熱い熱弁から、会議は始まる。
しかし、
デーニッツはヒトラーの言葉に、先ほどから感じていた不安を更に深めずにはいられなかった。
何か、良くない事が起こる。
そう直感が告げる。
不幸な事に、
デーニッツの不安は、杞憂では終わらなかった。
ベッドの上で目を閉じ、静かな寝息を立てるシャルンホルスト。
そんな彼女の髪を、エアルは優しく撫でる。
いとおしい少女。
彼女のお腹の中に今、自分の子供がいると思えば、猶更に愛おしさが増してくる。
「大丈夫……大丈夫だよ。君達の事は、必ず俺が守るから」
優しく告げると、それが伝わったのか、シャルンホルストは寝ながら微笑みを浮かべた。
今まさに、絶望的な状況が侵攻しつつあることなど、知らぬげに。
第79話「過去からの衝撃」 終わり