1
宵の闇が世界を覆い尽くす。
全ての生物が眠りにつく中、
港は静かな熱によって満たされようとしていた。
多くの船の機関に灯が入り、煤煙が煙突から吐き出される。
ドイツ海軍水上艦隊。
その主力全艦艇が出撃準備を終え、命令を待っていた。
ドイツ艦隊総旗艦「ティルピッツ」の艦橋で、艦隊司令官のウォルフ・アレイザーは、じっと身じろぎせず、司令官席に座っていた。
その傍らに立つティルピッツも、静かに佇み闇の先を見据えている。
姉譲りの長い金髪、そして鋭く研ぎ澄まされた眼差しは、闇夜においても輝きを失う事は無い。
間も無く訪れる、出撃の時。
その時に備え、集中を高めているのだ。
これから起こる戦いは、正に決戦である。
総旗艦の重責にある彼女は、その任を最期まで全うすべく、気合も十分だった。
艦橋に女性が入ってくる。
ウォルフは、視線だけ巡らせて振り向いた。
「ウォルフ」
声を掛けたのは、艦隊参謀長のシュレスビッヒ・ホルシュタインだった。
ウォルフにとっては妻テアの姉的存在であり、長年の友であり、そして生涯を掛けた復讐の共犯者でもある。
「間も無く刻限だ。全艦、問題はない」
「そうか、ご苦労」
報告を聞き、頷くウォルフ。
対して、シュレスは更に続けた。
「本当に、良いんだな? このまま出港してしまったら、もう…………」
「今更、どうする事も出来まい」
そう言って、ウォルフは自虐的に笑った。
心残りは、ある。
ウォルフは脳裏で、数日前の事を思い出していた。
その日、ウォルフはベルリンにいた。出撃前の様々な手続きを行う為である。
恐らく、今回が最後の出撃になるであろう事をウォルフは確信しており、以後の事について必要な事務手続きを終えて来たのだ。
全ての用事を終えたウォルフ。
本来ならば、すぐにでもキールに戻り出撃準備に取り掛かるべきところだが、その前にどうしても寄っておきたい場所があったウォルフの足は、自然とそちらへ向かった。
ウォルフが向かった先。それは、彼にとって馴染みが深い場所。
ベルリン総統府。
ドイツの中心であり、
正門ゲートを潜り、向かった先は建物の中ではなく中庭。
そこに築かれた地下への入り口が現在、総統大本営の入り口となっている。
しかし、
地下壕を降りた場所で、管理している親衛隊員に止められてしまった。
「この先、許可が無い方をお通しする事は出来ません」
目を細めるウォルフ。
やはり、か。
噂には聞いていたが、やはり警戒は想像以上に厳重なようだ。
先のクーデター未遂以降、ヒトラーが人前に姿を現す機会はめっきり減ったという事は話に聞いていた。それと同時に、面会の申し入れをしても、断られる事が多くなったとか。
失敗したな。
内心で舌打ちするウォルフ。
こんな事なら、事前に面会の予約を入れておくべきだった。
もしウォルフが面会の申し入れをしておけば、流石にヒトラーも断る事は無かっただろう。
忙しさにかまけて失念してしまった事が悔やまれた。
ダメ元で、聞いてみる。
「私はウォルフ・アレイザーSS海軍大将だが、やはりダメか?」
ウォルフが元々
「許可が無い者は、誰一人として通すなと命令されています。申し訳ありませんが」
予想通りと言うか、杓子定規の答しか返ってこなかった。最後の一言はむしろ、恐らく彼自身の良心の表れなのかもしれない。
いずれにせよ、この兵士を責める事は出来ない。彼はただ、任務に忠実なだけなのだから。
嘆息するウォルフ。
仕方がない。ここは諦めるしかないだろう。
「あい判った。任務、ご苦労」
そう言って、踵を返すウォルフ。
その背中に感じる、一抹の寂寥感。
予感がある。
恐らく、これがヒトラーに会う事が出来る、最後の機会だと。
これを逃せば、彼の偉大なる総統と会う事は2度とあるまい。
それを果たせぬまま去らねばならない。
できれば最後に一目、とも思ったのだが。
「…………いや、言うまい」
元々、一介の海軍提督と国家元首たる総統では立場が違いすぎる。今までの関係こそが、むしろ望外だったと言える。
それに、
自分はあくまで、ヒトラーを利用した身だ。テアの仇であるイギリスを討つ為に。
そして最後の最後となった今、その機会が巡って来た。
それで充分ではないか。
そのような自分が、総統閣下相手に、最後に一目会いたいなどと不敬にも程があると言う物だった。
総統府の門を出るウォルフ。
最後に振り返る。
二度とは戻らない。この場所へは。
その想いと共に、
最後に深々と、頭を下げるのだった。
「ウォルフ」
名前を呼ばれて振り返ると、参謀長のシュレスビッヒ・ホルシュタインが、真剣な眼差しを向けてきていた。
顔を上げるウォルフの、傍らにシュレスが立った。
その横では、同じくティルピッツが、真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「準備は完了した。いつでもいける」
「…………分かった」
頷くウォルフ。
全ての未練も、想いも、もはや過去の物となった。
後はただ、戦場に向けてひた走るのみ。
「じゃあ、行くとするか」
むしろ穏やかな程、静かな声でウォルフは告げた。
第2艦隊旗艦「シャルンホルスト」の艦橋では、エアル・アレイザー第2艦隊司令官が、闇を見つめながら佇んでいた。
やるべきことはやった。
正に人事を尽くし天命を待っている状況である。
しかし、敵の規模を考えれば、どれだけ準備をしても十分と言う事にはならない。
間違いなく、戦いは苦しい物となる。
それは確信ではなく、確定。
しかしそれでも尚、戦わなくてはならない時はある。
たとえ、負けると分かっていても。
「おにーさん」
その傍らに巡戦少女が立つ。
「ボクも準備できたよ。いつでもいける」
「うん」
頷くと、エアルはシャルンホルストに向き直る。
「調子はどう?」
「ばっちり…………」
言ってから、シャルンホルストは嘆息気味に苦笑する。
「て、言いたいんだけど……やっぱり、ちょっとね。全力は無理かも」
申し訳なさそうに答えるシャルンホルスト。
サイア達が必死に整備をしてくれたが結局、「シャルンホルスト」の機関が復調する事は無かった。
無理もない。問題はエンジンそのものではなく、シャルンホルスト本人にあるのだから。
妊娠は9カ月を過ぎた。今まであまり目立っていなかったお腹も、少しずつ大きくなり始めていた。
「無理はしないで。さあ、楽にして」
そう言うとエアルは、彼女をいたわりながら、艦娘席へと座らせる。
艦娘席も、それまでの簡素な物から、肘掛け、リクライニング付きの個人用ソファーに特注して変更しておいた。
本来なら妊娠中、それも妊娠後期に入っている彼女を戦場に立たせるなど言語道断なのだが、そんな彼女さえも頼らざるを得ないのが、ドイツ海軍の現状だった。
現在、「シャルンホルスト」は速力に制限が掛けられている。
それでも、司令部機能、支援戦力としては役に立つと考えられ、出撃が決定している。
「大丈夫よ」
背後からの声に振り返ると、エアルの妹であるサイアが、歩いてくるのが見えた。
「取り合えず、短時間なら全速力で回しても大丈夫だと思う。けど、くれぐれも注意してよ。お腹の子の為にもさ」
言ってから、サイアも溜息を吐く。
「ごめん、もうちょっと時間があれば完璧にできたんだけど」
「上出来だよ」
そう言ってエアルは妹の肩を叩く。
これで最低限、戦う目途は立った。
足りないと言い出せば、何もかもが足りないのだ。
人も、武器も、物資も、時間も。
それでも、その足りない物を、ある物で継ぎ接ぎして、自分達は戦場に赴かねばならない。
その時だった。
「総旗艦より信号ッ 《各艦、序列に従い出航を開始せよ》!!」
「ティルピッツ」からの命令。
すなわち、ドイツ艦隊司令官である父、ウォルフ・アレイザー大将からの出撃命令が全艦に伝えられる。
「シャル」
「うん、行こう、おにーさん」
見つめ合う、エアルとシャルンホルスト。
互いの顔に浮かべられる笑み。
お互い、誰よりも信頼し、愛し合っている相手に、頷いて見せる。
前を向くエアル。
「抜錨、出港用意!!」
「出港用意!!」
エアルの言葉を復唱するシャルンホルスト。
ガラガラと音を立てて、錨が巻き上げられる。
ドイツ艦隊全艦、決戦に向けて動き出した。
2
流石に夜は寒い。
任務を終えた兵士達が、各々の営みへと移っていく。
見上げれば月明かりの星が浮かび、風が微かに吹き付ける。
徐々に低くなる気温に、肌寒さを感じる。
静かな夜だった。
こんな日に当直に付かなくてはならない兵士達は、気の毒で仕方がない。
まあ、奴等が頑張ってくれるおかげで、自分は今日も美味い飯を食い、温かいベッドで女を抱く事が出来る訳だから、ほんのちょっとくらいは感謝してやってもいい。
まあ、そんな事はどうでも良いのだが。
せいぜい、寒い中で気合を入れて見張りをしてくれや。俺はその間、たっぷりと楽しませてもらうからさ。
そんな事を思いながら、いそいそと慰安所へと足を向ける。
お気に入りの女が、今日も自分を待ってくれている。
急がなければならない。遅れて彼女を他の男に取られようものなら、せっかくの夜なのに、寂しく指くわえて過ごす羽目になる。
そんな事になったら、明日からの任務に差支えが出るのは間違いない。
浮き立つ足を止めようとせず駆けていく。
間も無く、慰安所に着く。
めくるめく、パラダイスの時間が自分を待っているのだ。
もうすぐだ。
あの角を曲がれば、目指す慰安所が見えてくる。
そう、思った。
その時だった。
突如、遠くから地鳴りのような音が聞こえて来た。
音だけではない。微かに地面が揺れているのが判る。
「な、何だ?」
振動は、徐々に大きくなってくる。
地震か、とも思ったが、この辺は地震が殆ど起きない事で有名である。
では、いったい……
戸惑って足を止めた時。
突如、
すぐ脇に立っていた石の塀が、轟音と共に崩れ落ちた。
「なァッ!?」
驚く兵士。
衝撃で吹き飛ばされるように、その場で尻もちをつく。
濛々と立ち込める煙。
やがて、風に吹かれて視界が晴れる。
彼が視界に飛び込んできた物は、これまで見た事も無い巨大な戦車。
否、
そんな生易しい表現では済まされない。
目の前に現れた存在は最早、鋼鉄製の怪物と言って良いだろう。
見上げるような巨体に、これまで見た事も無いほど巨大な砲身を備えている。
「な、な、な、なん、なん、なん、何なんだ、こいつはァ!?」
驚く兵士の目の前で、小山のような砲塔を旋回させる戦車。
その砲門から、轟音と共に砲弾が撃ち放たれた。
1944年12月16日。
戦局が徐々に押し込まれつつある中、ドイツ第3帝国軍は突如、予期せぬ攻勢に転じた。
総統アドルフ・ヒトラー主導の下、立案された作戦名は「ラインの守り」
作戦概要は西部戦線で攻勢を強める連合軍に対する奇襲攻撃。
戦略目標は、連合軍に奪回されたベルギー、アントワープ港の再奪取。及び、それによって連合軍の連携に齟齬を生じさせ、西部戦線全体を押し戻す事にある。
「アルデンヌ攻勢」。あるいは後の世において「バルジ大攻勢」の名で知られる事になる戦いは、こうして突然に始まった。
劣勢にあるこの状況で敢えて攻勢に出る事によって、連合軍を混乱させ、その間に大打撃を与える、と言うのがヒトラーの狙いだった。
無謀としか言いようがない作戦。
多くの将官が反対する中、しかしヒトラーは強気な姿勢を崩さなかった。
ヒトラーには勝算があった。
その根拠が、アルデンヌの森の存在だった。
大戦初期にフランスへ侵攻した際、ドイツ軍は未開の地だったこの森を機甲師団で突破する事でフランス軍の後背に回り込み、防衛線を迂回する事に成功した。
あれから3年。
ドイツ軍は西部戦線への兵力移動を容易にするため、アルデンヌの森を切り開き、密かに道路を整備していた。
アルデンヌに関する情報は徹底的に秘匿され、連合軍にも察知されていなかった。
この整備されたアルデンヌを、ドイツ軍は迅速に突破し、連合軍の後方に回り込んだのだ。
更にヒトラーは、連合軍は言語の統一もされておらず、各国の軍は緊密な連携が取れている訳ではない。そこを、あえてこの時期、ドイツ軍が大軍でもって奇襲を仕掛ければ、敵は大混乱に陥り、各個撃破できることは疑いない。と、語った。
ヒトラーはこの作戦の為、ありとあらゆる戦線から兵力を引き抜いて部隊の編成を行った。
参加兵力は50万。
国内に残された予備兵力はおろか、一部は最重要である東部戦線からも部隊が引き抜かれた。
前線部隊や国防軍から猛烈な批判が寄せられたが全て無視。
補給物資も、この作戦参加部隊に優先的に回すように手配した。
こうして、どうにか3個軍団を編成したヒトラーは、周囲の反対を押し切って作戦にゴーサインを出した。
命令を受けたドイツ軍は、迅速にアルデンヌの森を突破。一帯を制圧し油断しきっていた連合軍に対し、一斉攻撃を開始した。
対して連合軍は、完全に虚を突かれて大混乱に陥った。
この段階になってドイツ軍が攻勢に転じ、更にいつの間にか後方に回り込まれていたのだ。混乱するな、と言う方が無理だろう。
予期せぬ奇襲と、大量投入された機甲師団による圧倒的な攻撃力によって、連合軍の戦線は一気に瓦解の憂き目にあう。
一時期よりも消耗を重ね、弱体化しているとはいえ、ドイツ軍機甲師団の戦闘力は未だに健在だった。
既に戦線に多数配置され活躍しているパンター、ティーガーⅠ、Ⅳ号と言った各主力戦車が混乱する連合軍に対し、容赦なく砲撃を仕掛ける。
しかし今回、そんな主力戦車群をも凌駕する、恐るべき怪物が戦線に姿を現した。
ドイツ軍が満を持して戦線に投入した超重戦車「ティーガーⅡ」。
通称「
ティーガーの名を冠してはいるが、その設計思想は、どちらかと言えばパンターに近い物がある。
比喩でも何でもなく、間違いなく第2次世界大戦における世界最強の戦車であり、1対1どころか、たとえ複数の戦車が束になって掛かっても、この戦車を撃破する事は不可能だった。
代償として、機動性は大幅に減じる事になったが。
しかし、その主砲はあらゆる敵戦車をアウトレンジで容易く貫通し、逆に強固な装甲は連合軍戦車のいかなる主砲をも弾き返す。
戦車と言うより最早、小型の移動要塞である。
ある意味、ヒトラーが持つ「1ミリたりとも後退は許さず、寸土と言えど敵には渡さない」と言う妄執が具現化したような戦車だった。
戦線に投入されたティーガーⅡは、例によって初期不良により戦線離脱する車両が多発した。
が、
そんな事は最早、どうでも良い。
数の問題ではない。
ティーガーⅡは、たとえ1両でも戦線にたどり着けば連合軍にとって大いなる脅威となった。なぜなら、連合軍地上部隊の持つ火力で、この怪物を撃破する事は不可能だからだ。
更にドイツ軍はここに来て、温存していた新兵器群を惜しげもなく戦線投入した。
最高時速870キロに達し、世界初の実用ジェット戦闘機となった、メッサーシュミットMe262「シュワルベ」。
世界最高の時速960キロ発揮可能な、ロケット戦闘機、メッサーシュミットMe163「コメート」。
これらの戦闘機は、レシプロ機では絶対に到達不可能な高速性能を駆使して連合軍機を圧倒した。
更にヒトラーは、とんでもない兵器を実戦投入した。
それこそがV2ロケット。
これは最大射程320キロ、速度は音速を越え、弾頭に装備したジャイロスコープによる自動進路調整が可能。つまり、目標座標を設定し発射すれば、自力で進路を調整して飛翔する事が可能となる。
世界初の、大陸間弾道ミサイルである。
当然だがこの時期、迎撃ミサイルなどと言う物は存在せず、音速で飛来するV2ロケットを撃ち落とす事は不可能だった。
これらをロンドンに向けて一斉に発射し、イギリス国民を恐怖に陥れた。
奇襲の勢いと、ティーガーⅡを始めとする機甲部隊の火力、さらに各種新兵器の存在でもって戦線を押し出すドイツ軍は、戦いを有利に進めていくのだった。
3
艦隊が海原を進む。
スケガラック海峡、カデガット海峡を抜け、北海へと出たドイツ艦隊は、進路を南に向け、進軍を開始していた。
その戦力は以下のとおりである。
〇 ドイツ海軍第1艦隊
戦艦「ティルピッツ」(総旗艦)
軽巡洋艦「マインツ」
駆逐艦7隻
〇 ドイツ海軍第2艦隊
航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」「ペーター・シュトラッサー」
巡洋戦艦「シャルンホルスト」(旗艦)
重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」
軽巡洋艦「エムデン」
駆逐艦6隻
戦艦2隻、航空母艦2隻、重巡洋艦1隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦13隻。
合計20隻。
大艦隊と言って良いだろう。
オークニー沖海戦で壊滅的な損害を受けて尚、ドイツ海軍はこれだけの規模の艦隊を繰り出せるだけの力を持っていた。
たとえ、これが残り少ない命を燃え尽くす行動だったとしても、
彼等は誇りを胸に、最後まで戦い抜く事を躊躇わない。
最終的な勝利など望むべくもない。
しかし、ただ1回の戦いで、全てを変えるべく、彼等は決戦海面へと向かっていた。
「陸軍が戦闘を開始したか」
「シャルンホルスト」艦橋にて、陸上の戦況を報せる電文を受け取り、エアルは呟いた。
第2艦隊は現在20ノットで、第1艦隊よりも先行する形で航行している。
「先行したUボートからの報告で、アントワープ沖にはイギリス艦隊と思しき艦隊が展開しているとの事。中には、空母や戦艦の姿も確認されています」
「さもありなん、だね」
参謀の言葉に、エアルは頷きを返す。
ドイツ軍の暗号が解読されているであろう事は想定済みである。敵が待ち構えている程度の事、驚くには値しなかった。
エアルはシャルンホルストを見た。
「俺達の任務は第1艦隊のアントワープ突入を援護する事にある。表向きはね」
「そういう風に、暗号電打ってたよね」
こちらの狙いが、あくまでアントワープ近郊の連合軍であると思わせるのだ。
スッと目を細めるエアル。
果たして、敵がこちらの思惑に乗って来るかどうか。
それが、戦いの趨勢を左右する筈だった。
一方、
ドイツ艦隊が目指すアントワープ近郊には、多数の連合軍艦船が集結していた。
それらは全て、陸揚げを待つ輸送船と、それを護衛する為に出撃したイギリス本国艦隊である。
連合軍はアントワープ港を新たな橋頭保とし、補給線の効率化を図りたい考えであるが、アントワープ周辺のドイツ軍がゲリラ戦を展開して連合軍の妨害を行っている為、目下のところ、物資の揚陸が出来ずにいる状態だった。
イギリス本国艦隊は、戦艦5隻、航空母艦3隻、巡洋艦8隻、駆逐艦26隻を派遣して警戒に当たっていたが、そのような状態である為、無聊を囲う日々を送っていた。
「全く、陸軍の奴らときたら、不甲斐ないにも程がある。あの程度の敵に苦戦するとはのう」
「全くですな、陛下」
イギリス艦隊旗艦「ライオン」の艦橋で、ワインを片手に戦況を聞くフレデリックに、アルヴァンが相槌を打つ。
とても本国艦隊司令官と参謀長の態度とは思えないが、彼等の愚痴も分からないではなかった。
アントワープが使えるようになったと言う報せを受け、船団を護衛して来てみれば、未だに港は使用不能。物資陸揚げは延期となっている。
愚痴も言いたくなるのも分からないではない。
もっとも、艦隊指揮中に飲酒しているのは言語道断なのだが、この場にあって彼等を非難できる人間はいない。
仮にも国王陛下とその側近である。意見すればその場で解任、下手をすれば拘禁される可能性すらあるのだ。その為、傍若無人に振舞う「司令官閣下」に、誰も意見する事が出来なかった。
「ともかく、陸軍のボンクラ共に伝えろ。給料が欲しければさっさと仕事をしろ、とな」
「ハッ、直ちに」
アルヴァンが命令を伝えようとした、その時だった。
通信参謀が、電文を手に駆け寄って来た。
「陛下、スケガラック海峡監視中の潜水艦より入電です」
「あん?」
「読みます。《ドイツ艦隊主力と思しき艦隊の海峡突破を確認。数20隻以上、戦艦、空母を含む》との事です」
その言葉を聞き、フレデリックは顔にあからさまな喜色を浮かべる。
まるで、待ち望んでいた玩具がようやく届いた、と言わんばかりである。
「フンッ 来おったか。ドブネズミが猫を噛めるつもりのようだ」
退屈な状況を動かす要因の到来に、踊り出しそうなほどだ。
「全艦、一斉回頭だ。これより我が軍は、ドイツ艦隊殲滅に向かう!!」
意気揚々と告げるフレデリック。
そんな中、参謀の1人が恐る恐ると言った感じに手を上げる。
「陛下、それでは、船団ががら空きになる事に……」
「捨て置け。どのみち、我らがドイツ艦隊を打ち破れば、連中の安全はいくらでも確保できる」
退屈な護衛任務なんぞに、これ以上時間を割いて堪るか。
フレデリックのそんな考えが滲み出ている。
しかし参謀は、尚も食い下がる。
「しかし陛下、もし、ドイツ海軍がこちらの目をすり抜けたりしたら……」
船団に甚大な被害を出す事になりかねない。
何とか叛意させようとする参謀。
ドイツ海軍が通商破壊戦を最も得意とし、船団を無防備なまま放置すれば、敵艦やUボートの襲撃を受ける恐れがある事を懸念しているのだ。
任務に忠実な彼。
だが、そんな彼に、フレデリックは冷ややかな目を向ける。
「貴様は
「へ、陛下ッ」
「ええいッ 目障りだ愚図がッ 衛兵、こいつを独房に放り込んでおけ!! とっとと儂の前から消せ!!」
尚も喚き続ける参謀を、衛兵が連行していく様子を、もはや興味ないとばかりに背を向けるフレデリック。
「進路北へッ」
改めて、意気揚々と告げる。
「醜いナチスの豚が率いる艦隊共を殲滅しつくし、全てを海の藻屑にしてやるのだ!!」
フレデリックの命令の元、本国艦隊各艦が一斉に動き出す。
その進路は北。
ドイツ海軍との決戦が、迫ろうとしていた。
第82話「バルジ大攻勢」 終わり