1
水平線の先に見えた艦影。
それが意味する物を理解するのに、刹那の間も必要とはしなかった。
ウォルフ・アレイザーは双眼鏡を下ろす。
「来たな」
呼びかける相手は仇敵。
太陽の沈まない帝国を標榜し、7つの海を支配するとまで豪語する欧州最強海軍。
そして、
彼の妻を奪った怨敵。
「ついに…………」
低く呟かれるウォルフの言葉。
傍らのシュレスが、微かに振り返る。
「ついに、この時が来た」
言葉の一つ一つに、想い感慨が込められる。
自分はこの時を25年待った。
妻を、
テアを殺したイギリス海軍。
そのイギリス海軍に復讐する機会を、ウォルフはついに得たのだ。
あの日、テアが、
「デアフリンガー」が沈んだというニュースを聞いた時、
あの時から全てを捨てて、この時だけを夢に見続けて来た。
その為に、独裁者に取り入った。
その為に、子供達も捨てた。
自分の命など、とうに無い物として扱ってきた。
全てを捨てた。
テアの仇を討つ。
それさえできるなら、自分の命などいらない。家族もいらない。悪魔にだって魂を売る。
この25年、それだけが、ウォルフにとって生きる意味だった。
その全ての清算をする。今日、ここで。
「敵艦隊、更に接近ッ」
見張り員の声が「ティルピッツ」艦橋に響く。
ふと唐突に、ウォルフの脳裏には、ある人物の事が思い浮かべられた。
「そうか…………だからあの時、シェア提督は…………」
それは、第1次世界大戦時、ドイツ大海艦隊司令長官だったシェア提督。
史上最大の海戦と言われるユトランド沖海戦の際、前半はドイツ艦隊有利に進んでいたにもかかわらず、シェアはイギリス海軍の本隊が到着すると、まるで怖気づいたように撤退を決め、そのまま全軍退却してしまった。
以後、ドイツ海軍は積極的攻勢を行わず、逆にイギリス艦隊の制海権は維持され、それが戦線の泥沼化と、最終的なドイツ戦線崩壊にも繋がっていく。
あの頃からウォルフは、一貫してシェアを非難し続けて来た。軽蔑すらしていた、と言っても過言ではない。
なぜあの時、戦わなかったのか? なぜ、怖気づいて撤退などしたのか?
結局、あの中途半端な戦いの結果が、巡り巡ってスカパ・フローでのドイツ艦隊自沈にまで繋がったのだから猶更である。
シェアは判断を間違った。
たとえあそこでドイツ艦隊が全滅したとしても、イギリス艦隊と刺し違える事が出来れば、第1次大戦の勝敗自体、逆転していた可能性すらある。
その為に死ねるなら、ドイツ海軍の将兵、艦娘一同、誰も恐れはしなかっただろう。無論、ウォルフやテアも同様である。
だが、
あれから30年、ウォルフは当時のシェアと同じ立場となり、多少ながら、あの時の上官の気持ちも理解する事が出来るようになった。
要するにシェアは、自分達が全滅した後、イギリス海軍が一定の戦力を保持したまま残り続ける事を恐れたのだ。
もしそうなれば、今度こそドイツは北海の制海権を失う事になる。そして、主力を失ったドイツ海軍に、イギリス海軍の作戦行動を阻止する力はなくなる。
それよりだったら、戦況有利なうちに撤退して主力艦隊を保持し、イギリス艦隊に圧力を掛け続けた方が良いと考えたのだ。
30年経って、ようやく当時の上官と同じ境地にたどり着けた気がした。
だが、
「俺は、シェアとは違う…………」
シェアはあの時、逃げる必要があったから逃げた。
だが、今の自分は、逃げる必要も無ければ、逃げる意味もない。
そして、
この場で踏みとどまって戦う。
それだけが唯一、ウォルフが生き恥を晒してまで成し遂げた意味だった。
「提督」
ティルピッツが声を掛けて来る。
既に「ティルピッツ」は、北から迫るイギリス艦隊めがけて突撃を開始。
4基8門の47口径40センチ砲は左舷へ旋回を終え、射撃命令を今や遅しと待っていた。
「大ドイツ帝国戦艦『ティルピッツ』。全艦、戦闘準備完了しております。ご命令を」
頷くウォルフ。
その目は、接近してくるイギリス艦隊を睨み据え。
右手を高く掲げる。
次の瞬間、
「撃ち方始め!!」
勢いよく振り下ろされた。
一方、
駆逐艦を置き去りにする形で南下し来たイギリス艦隊も、自分達に向かってくる「ティルピッツ」には気付いていた。
その姿を見て、旗艦「ライオン」艦橋のフレデリックはほくそ笑む。
「はは、見ろッ あのみすぼらしい様を!! ナチスの豚はとうとう自暴自棄になったぞ。まさか1隻で向かってくるとはな」
せせら笑うフレデリック。
へらへらとした態度を見せながら、向かってくる「ティルピッツ」を指差す。
相手への敬意も、これから戦う事への緊張感も、微塵も感じる事も出来ないその態度。
向かってくる「ティルピッツ」の事も、「間抜けな獲物」程度にしか見えていない。
その視界の先で、前部2基4門の40センチ砲を放つ「ティルピッツ」の様子が見えた。
「おーおー、馬鹿なケダモノ程よく吠えると言うが、正しくと言ったところか。ナチの豚はしつけもなっていないと見える」
揶揄するフレデリックの言葉に、彼の取り巻きも追従の笑いを見せる。
主人の言葉に尻尾を振る事しか能の無い者達は、ただ成り行きに身を任せるしかなかった。
そんな取り巻きに囲まれ、フレデリックは玉座でふんぞり返り、手にしたグラスにワインを注がせる。
「まあ良い、大物狩りは見ごたえがあるからな。さっさと始めろ」
ぞんざいな口調で言いながら、ワインを口に運ぶ。
まったくもって、戦場にいるとは思えない、ふざけ切った態度。
しかし、命令を受け、イギリス艦隊は動き出す。
戦艦部隊は「ライオン」「テメレーア」「アンソン」の順で右へと回頭。
巡洋艦部隊は先行する形で「ティルピッツ」へと接近する。
全砲門を左舷側へ向け、砲撃態勢を整えあるイギリス艦隊。
「陛下、準備出来ました」
「よォし、豚狩りの開始だ」
ニヤリと笑うフレデリック。
良い余興だ。
酒が満たされたグラスを片手にしながら、ドイツ最強戦艦相手に圧倒的な戦力で行う狩り。
これほどの余興は他にない。
フレデリックにとって、ドイツ艦隊との決戦は、そこらの狩場でやる狩猟と変わらない認識だった。
「さっさと始めろ」
「は」
頷くアルヴァン。
その腕が振り上げられた。
次の瞬間、
突如、突き上げるよう強烈な衝撃が「ライオン」を襲った。
「フブブゥッ!?」
豚のような鳴き声と共に、フレデリックの体は突き上げる衝撃と共に浮き上がる。
その際に、手にしたグラスの中の高級ワインも一緒に宙に舞い上がり、そのまま中身を頭からひっかぶる羽目となった。
一瞬の間を置いて、落下するフレデリック。
「ブギャ!?」
これまた、屠殺場に送られる豚のような悲鳴と共に、尻から艦橋の床に落下した。
「なッ!? なッ!? なあッ!?」
無様にうろたえるフレデリック。
傍らのアルヴァンは手近な物に掴まって立っているが、フレデリックの取り巻き達は、1人の例外も無く、無様に床に投げ出されていた。
他の艦橋要員も何人か床に倒れている。
「んな、なんッ、なッ、なッ、なんッ なに、なに、何事だァッ さっさと状況を確認せんかァ!!」
うろたえまくった叫び。
言われなくても、既に艦長が状況確認を実施している。
程なく、報告がもたらされた。
「右舷に魚雷命中ッ 浸水発生!!」
「何だとォ!?」
仰天するフレデリック。
そうしている間に、「ライオン」は徐々に傾斜を増しつつあった。
「ティルピッツ」艦上でも、イギリス艦隊の混乱は見て取れた。
「よし、完璧なタイミングだ。潜水艦隊には感謝しかないな」
双眼鏡を下ろしながら、ウォルフはほくそ笑む。
今回の戦い、まともな砲撃戦では、いかに「ティルピッツ」を要するとは言え、ドイツ艦隊の勝機は1パーセントたりとも存在しない。
しかし、劣勢になった今尚、ドイツ海軍がイギリス海軍に匹敵する物がある。
それこそが潜水艦隊の存在に他ならない。
今回の出撃に先立ちウォルフは、デーニッツを通じて北海周辺で活動するほぼ全てのUボートを作戦に参加させていた。
その数、実に32隻。
その内、大半は北方戦線に配置して敵艦隊の遅延に務めさせる一方、アントワープ沖にも10数隻のUボートを配置し、決戦時における支援雷撃を命じた。
敵は必ず「ティルピッツ」を沈めんと、接近してくる。
そこを、海底に伏せていたUボート艦隊が一斉攻撃を仕掛けるのだ。
つまり、「ティルピッツ」は、ただアントワープ沖で、敵が来るのを無為に待っていたのではない。
自ら囮にして、潜水艦隊による網を張って、待ち構えていたのだ。
その作戦が功を奏した。
イギリス艦隊は「ティルピッツ」と言う極上の獲物に目がくらみ、自ら罠の中に飛び込んできたのだ。
イギリス海軍は先に北方海域でUボートの襲撃を受けた事で、そちらに駆逐艦部隊を残置して来た。
そこに来ての第2弾攻撃。
旗艦「ライオン」と、巡洋艦2隻が被雷。
巡洋艦のうちの1隻は、既に沈みつつある。
その他の艦艇も陣形を乱して大混乱に陥っている。
駆逐艦を残して来たのが、完全に裏目に出ていた。
大いに陣形を乱したイギリス艦隊。
その好機を逃さず、ドイツ海軍が動く。
「よし、攻撃開始だ。奴等が混乱している間に確実に仕留めろ」
ウォルフの命令に従い、「ティルピッツ」の連装4基8門の40センチ砲が咆哮した。
旗艦「ライオン」損傷。
更に雷撃を回避する為に、各艦毎に回避運動を行った結果、イギリス海軍の陣形は大いに乱れを生じていた。
その間にも海面下に展開したUボート艦隊からは、雷撃が続行されている。
それに対しイギリス艦隊は、ただ逃げ惑う事しかできないでいる。
「役立たずの駆逐艦共を、とっとと呼び戻せ!!」
「いや、それよりも、まずはこの海域からの離脱を!!」
「『ティルピッツ』だッ 奴さえ沈めれば終わる!!」
「誰か何とかせんか!!」
無様に騒ぎ立てる事しかできないでいる、フレデリック以下幕僚達。
そんなフレデリック達を尻目に、艦長は素早く指示を出す。
このまま老害共の命令を待っていても、埒が明かないと考えたのだ。
「機関出力下げッ ダメージコントロール班、艦底部へ急行せよ!!」
「面舵一杯ッ 本艦は隊列を離れる!!」
速力が落ちた「ライオン」が、艦隊の先頭に立つわけにはいかない。そんな事をしたら、健在な「テメレーア」や「アンソン」の行動にも制限が掛かってしまう。
ここは「テメレーア」艦長に一時的に指揮権を預け、「ライオン」は応急処置に専念するのが得策だった。
しかし、
「ならんッ」
金属をひっかいたような、耳障りな叫び声が響き渡る。
見れば、アルヴァンの手を借りて玉座に座り直したフレデリックが、ぎらついた眼で睨み付けていた。
「ならんならんならんならんッ ならんぞォ!! 勝手な真似をするな!!」
「陛下?」
「先の命令は取り消し!! 戦艦部隊は現隊形を維持。敵戦艦に対して砲撃を続行せよ!!」
何を言っているんだ、この人は?
艦長は信じられない物を見るような目でフレデリックを見る。
狂気の沙汰、としか言いようがない。
ここは、「ライオン」は隊列を離れ、健在な「テメレーア」と「アンソン」に、行動の自由を与えるべきなのに。
「陛下、それではッ」
「うるさいうるさいうるさいッ ええーい、うるさいわッ 貴様の下らん意見なんぞ聞いとらんッ とっとと命令を実行しろ!!」
ここで自分の乗る艦が離脱してしまったら、「自分の手でドイツ艦隊を殲滅する」ことも「薄汚いナチス共を狩り尽くす」ことも出来なくなってしまう。
フレデリックは、まるでしがみつくように、自分の指揮権に拘った。
「動きがトロいぞ、この愚図がッ さっさとやらんか!!」
「…………承知しました」
納得は行かない。
行くわけがない。
しかし、相手はこんなのでも最高権力者だ。命令を聞かないわけにはいかない。
仕方なく、隊列を維持するイギリス艦隊。
しかし、雷撃によって速力が低下した「ライオン」に合わせている為、速力は22ノットが限界だった。
対して、「ティルピッツ」は最高速度の32ノットで距離を詰める。
正面から迫る「ティルピッツ」。
その動きは、イギリス艦隊に対し反航戦の構えを見せていた。
この時、ウォルフはイギリス艦隊、特に戦艦部隊の機動力が低下している事を見抜いていた。
恐らく、先のUボート艦隊による一斉雷撃で、損傷艦が出ているのだろう。
そこで、同航戦でまともに戦うよりも、機動戦を仕掛けて翻弄すべきと考えた。
敵の動きが鈍っているなら好都合。
こちらは自由な位置取りで射撃ができる。
ウォルフが反航戦を選んだのは、そのような理由からだった。
「面舵30ッ 機関最大、敵艦隊の背後に食らいつけ!!」
ウォルフの命令は、直ちに実行される。
速力を上げながら、右へと回頭する「ティルピッツ」。
同時に、4基の主砲も旋回し、新たな目標へと狙いを定めた。
「主砲、目標、敵3番艦!!」
命じるウォルフ。
本来なら1番艦の「ライオン」を狙うべきところだが、反航戦に移行した結果、「ティルピッツ」から、狙いやすいのは、隊列の後方に位置する「アンソン」と判断したのだ。
更に言えば、敢えて損傷して戦闘力が低下した敵は放置し、健在な敵から先に叩く事で、敵の行動に枷を嵌め続ける意味合いもある。
イギリス艦隊も、「ティルピッツ」に主砲を向けて来るのが見えた。
しかし、機動力の落ちた「ライオン」に歩調を合わせているせいで、その動きは思った以上に鈍い。
「目標敵3番艦ッ 照準良しッ」
「全主砲、装填完了!!」
報告を聞き、
ウォルフは眦を上げた。
「撃てェ!!」
放たれる咆哮。
飛翔する砲弾が、大気を切り裂く。
立ち上る水柱。
命中弾は無い。
しかし、
「初弾にしては、まずまずか」
弾着を確認したウォルフが呟く。
「ティルピッツ」の第1射は、「アンソン」左舷側、100メートル以内に落下した。初弾としては、かなりの至近距離に寄せる事が出来た。
次の瞬間、視界の彼方で閃光が奔る。
「敵艦発砲、衝撃に備えろ!!」
徐々に近づく、不気味な風切り音。
当たるか?
そう思った時、
「ティルピッツ」の後方に、複数の水柱が立ち上った。
命中弾は無い。
イギリス艦隊の砲撃は全て、「ティルピッツ」が通った後の海面を、虚しく叩いただけに終わった。
その光景にウォルフは、安堵しつつも笑みを浮かべた。
「どうやら、機動力の差が出たな」
「ティルピッツ」は32ノットで航行しているのに対し、イギリス艦隊は速力が低下した「ライオン」に合わせて20ノットそこそこしか出せていない。その為、照準装置による諸元解析が追い付かないのだ。
「砲術、腰を据えて撃て。敵の狙いはまだ定まって無いぞ」
ウォルフの指示を受け、再び主砲を放つ「ティルピッツ」。
今度も命中弾は無い。
しかし、目標とした「アンソン」の艦首近くの海面に着弾。
至近弾である。
次は当たる。
その期待と共に放たれる第3射。
イギリス戦艦が主砲を放つよりも早く、「ティルピッツ」が発砲する。
ドイツ戦艦特有の、高速装填が為せる業である。
今度こそは。
そう思った、次の瞬間。
視界の彼方で、爆炎が踊った。
「アンソン」の艦上で、踊る爆炎。
「『アンソン』に命中弾。炎上している模様!!」
「ティルピッツ」が放った40センチ砲弾の内、1発が「アンソン」の艦体中央に命中、上部装甲を貫通して内部で炸裂したのだ。
ダメージとしては、それほど大きいとは言えない。
しかし、ドイツ側が先制したのは確かだった。
「よしっ このまま畳みかけろ。敵が有効打を出す前に奴を沈めるぞ!!」
ウォルフが叫ぶと同時に、イギリス艦隊も応射する。
しかし、その砲弾が着弾する前に「ティルピッツ」も砲撃を放つ。
独英双方の放つ砲弾が、灼熱を帯びて空中で交錯した。
2
「ティルピッツ」が、イギリス艦隊主力と交戦を開始した頃、北方戦線でも動きがあった。
先の反転の際、Uボート艦隊の奇襲を受けたイギリス艦隊。
戦艦「ハウ」を初め、多くの艦が損傷、或いは沈没の憂き目にあっていた。
フレデリックが、駆逐艦を全て残してUボート狩りを命じた事が功を奏し、それ以上の被害は食い止められ、更には襲撃して来たUボートも多数撃沈する事が出来た。
「ハウ」もどうにかダメージコントロールに成功。沈没は免れ、スカパ・フローへ帰還する為に、進路を変更する。
艦首を南に向け、ゆっくりと航行する「ハウ」。
左舷に2本の魚雷が命中し、5000トン近い浸水が生じた「ハウ」の速力は、今や18ノットが限界だった。
その艦体も左舷側に傾斜している。
注水によるバランス回復を試みてはいるが、なかなか水平には戻らなかった。
足を引きずるように、南下を開始する「ハウ」を護衛するように、駆逐艦が警戒に着く。
ほっと息を着く。
これで大丈夫。後は本国に帰るだけだ。
そう思った時だった。
「後方より接近する艦影ありッ!!」
絶叫に近い、見張り員の報告。
その視界に移るのは、雄々しくはためく鉄十字。
「ドイツ艦隊です!!」
イギリス海軍の航空攻撃を凌いだ後、エアル率いる第2艦隊は第1艦隊支援の為に南下。
その過程において、退避中の「ハウ」と、駆逐艦部隊を発見した。
敵戦艦の様子から、損傷している事が伺える。そうでなければ、このような場所で1隻だけ戦艦がいる事はない。
「恐らく、潜水艦の攻撃を受けたか」
「ハウ」の様子を確認したエアルは、納得したように呟く。
父ウォルフが立案した作戦では、要所要所でUボートによる奇襲が用いられることになっていた。
目の前の戦艦が、その奇襲によって損傷し、退避中であることは明白だった。
現に、視界の先にいるキング・ジョージ5世級戦艦は僅かに傾斜し、煙を噴き出している。
Uボートの雷撃で損傷しているのは明らかだった。
「どうするの、おにーさん?」
「聞かれるまでもないよ」
シャルンホルストの問いかけに、エアルは笑みを返す。
敵を見逃してやる道理はない。
「全艦、戦闘準備!! 砲雷同時戦用意!!」
南下に当たりエアルは、「グラーフ・ツェッペリン」「ペーター・シュトラッサー」の2空母に、駆逐艦2隻を付けて後方に置いている。
万が一の遭遇戦に備えると同時に、切り札である2隻を温存する為だ。
その一方で、「シャルンホルスト」「プリンツ・オイゲン」「エムデン」を中心とした戦闘艦艇は、敵艦隊に向けて接近する。
「右砲戦用意、目標、敵キング・ジョージ5世級戦艦!!」
速力を上げつつ、主砲を右舷側へと旋回させる「シャルンホルスト」。
「ハウ」の側も、「シャルンホルスト」の接近に気付いたらしく、右に回頭しつつ主砲を右舷側へ旋回させているのが見えた。
その英戦艦の動きを見て、エアルも手を打つ。
「機関全速、取り舵10ッ 奴に主砲を向けさせるな!!」
右に回頭して射線を確保しようとする「ハウ」に対し、エアルは「シャルンホルスト」を加速させつつ左へ緩やかに回頭。「ハウ」の背後に回り込むように機動させる。
更に、駆逐艦部隊が隊列を整えて向かってくる。
イギリス海軍の駆逐艦は、救助作業やUボートとの戦闘で何隻か隊列を離れたが、それでも現状で14隻健在である。
距離を詰められ、魚雷を放たれると厄介である。
「『オイゲン』達に通達して。敵駆逐艦を近付けさせないようにッ 敵戦艦は、本艦が引き受ける!!」
エアルが言い放つと、「シャルンホルスト」は再び主砲を撃ち放った。
損傷し、満足に戦えない戦艦「ハウ」を守るべく、イギリス軍の駆逐艦部隊は、ドイツ艦隊に対し突撃を開始する。
傷付いた主人を守らんとする忠犬の如く、強大な敵へと立ち向かう駆逐艦たち。
その前に、鉄十字を掲げた重巡洋艦が立ちはだかる。
「シャルンホルスト」を守るように割って入った「プリンツ・オイゲン」。
左舷側に向けた連装4基8門の20センチ砲が火を吹く。
「先頭の奴をやるぞ、オイゲン。あの数で突っ込んでこられると厄介だ」
「了解です」
艦長の言葉に、頷きを返すオイゲン。
シャルンホルストはやらせない。
その不退転の決意と共に、主砲を撃ち放つ。
対して、イギリス側駆逐艦も反撃するべく火砲を撃ち放ってくる。
しかし、その動きはまばらで、砲火も散発的である。
最前まで、「ハウ」を護衛していた為、艦隊戦用の単縦陣を組む余裕がなく、各艦毎、あるいは数隻毎といったバラバラの陣形で突撃した事が理由だった。
イギリス駆逐艦が「プリンツ・オイゲン」に対して砲撃を行うが、乱れた陣形のままでは各個撃破の好餌である。
たちまち、複数の駆逐艦が砲撃を浴びて炎上する。
そこへ、「エムデン」と駆逐艦部隊も加わり砲撃を加えた。
それだけではない。
「シャルンホルスト」自身も、高角砲による射撃を開始。
その圧倒的な火力は、イギリス軍の駆逐艦を全くと言って良いほど寄せ付けなかった。
水平線の先で閃光が瞬く。
接近する「シャルンホルスト」に対し、「ハウ」が砲撃を開始したのだ。
全門斉射ではない。
恐らく後部
雷撃によって機動力が落ちている為、接近する「シャルンホルスト」に対し、回頭が追い付かず、全砲塔を向けるのに手間取っているのだ。
飛翔してきた砲弾が落下する。
「シャルンホルスト」の前方に突き上げられる水柱。
「どうやら、敵は照準を付けるのに手間取っているみたいだね」
ニヤリと笑うエアル。
被雷によって
対して「シャルンホルスト」は、正確な照準で「ハウ」を捉える。
2斉射目で、早くも挟叉弾を得ると、斉射を開始する「シャルンホルスト」。
程なく「ハウ」の艦上で、爆炎が踊るのが見えた。
3射目からは、砲弾が徹甲弾に切り替わる。
「シャルンホルスト」の放った砲弾が、「ハウ」の艦尾へ命中。比較的薄い装甲を貫通して艦内で炸裂したのだ。
火災が発生する「ハウ」。
「ハウ」も反撃を行うべく主砲を放つが、未だに砲弾はあらぬ方向に飛んでいく。
その間にも「シャルンホルスト」は、更なる砲撃を加える。
「ハウ」に向けて飛翔する、重量1トンの砲弾。
直撃を受けた「ハウ」は、右舷側の両用砲、ポムポム砲、機銃を吹き飛ばしていく。
上部装甲を貫通した砲弾は艦内で炸裂し、隔壁を容赦なく破壊する。
徐々にダメージが蓄積する「ハウ」。
もっとも、イギリス側も黙ってはいない。
その頃になると、ようやく回頭を完了し、「シャルンホルスト」に対し、全砲門を向ける事が可能になった「ハウ」は、10門に36センチ砲を一斉発射する。
照準が狂っているなら、一時の発射量を増やして補おうと言うのか。
一見すると力業にしか見えない判断。
しかし、この場合、その判断は間違いではない。
降り注ぐ砲弾。
その内1発が、「シャルンホルスト」の甲板中央に命中した。
踊る爆炎。
衝撃が巡洋戦艦全体を襲う。
「んッ!?」
悲鳴を押し殺すシャルンホルスト。
少女を気遣うように視線を向けるエアル。
対して、シャルンホルストは、気丈に微笑んで見せる。
「ボクは、大丈夫だよ」
そうは言いつつも、手は自分のお腹を押さえている。
お腹の中にいる子供をかばう少女の姿に、エアルは唇を噛みしめながら前方を見る。
彼女を気遣う事はできる。
駆け寄って支えてやる事は簡単だ。
しかし、それは今ではない。
今は一刻も早く目の前の敵を倒す事。それがエアルの指揮官としての務めであり、結果として彼女を救う事に繋がるのだ。
「砲撃続行だ!!」
エアルの命令に答えるように、主砲を放つ「シャルンホルスト」。
飛翔した砲弾は、「ハウ」の後部へ命中。派手な爆炎を上げる。
「命中っ 敵艦、後部砲塔損傷の模様!!」
何ッ?
双眼鏡を取り、覗いてみる。
見れば確かに、「ハウ」の後部では激しく火災が起こっている。
後部の
キング・ジョージ5世級戦艦の主砲は4連装2基、連装1基の計10門。
「ハウ」はこれで、主砲の4割と、後方への火力を一気に失った事になる。
それでも前部砲塔のみで、果敢に反撃してくる。
対して「シャルンホルスト」も撃ち返す。
互いの全砲弾が交差する空中。
飛来する砲弾。
しかし、発射門数が減った事で、再び「ハウ」の砲撃は、「シャルンホルスト」を捉えられない。
逆に「シャルンホルスト」の砲弾は、「ハウ」を的確に捉える。
爆炎がイギリス戦艦の艦上で踊る。
カタパルトは叩き折られ、煙突が吹き飛ばされる。
更に、畳みかけるように主砲を放つ「シャルンホルスト」。
今度は「ハウ」の艦首に命中。そこに大穴を開ける。
海水が艦内に流入し、ガックリと速力を落とす「ハウ」。
艦全体が黒煙に覆われる。
あの状態で尚も反撃して来た事には感心する。
が、最早それはコケ脅し以上の物にはならなかった。
「シャルンホルスト」の左舷側に突き上げられる水柱。
その中から、ドイツ巡戦が姿を現した時、6門の40センチ砲は、完全に射撃体勢を整えていた。
「撃てェッ!!」
放たれる砲弾。
大気を切り裂いて飛翔する鋼鉄の火矢。
その一撃が、「ハウ」を貫いた。
1発は、尚も反撃を行うべく照準の修正を行っていた
1発は艦橋を直撃。艦長以下、全員を吹き飛ばした。
3発目は、既に破壊されていた上甲板から艦内に突入し、艦内深くで炸裂。機械室を炎で飲み込んだ。
黒煙を上げて、海上に対しする「ハウ」。
その様子を見て、
エアルは双眼鏡を下ろした。
「撃ち方、やめ」
エアルの命令により、砲撃を停止する「シャルンホルスト」。
一方の「ハウ」は完全に海上に停止している。
全艦、炎に包まれ、艦首は大きく下げられている。
勝敗は、決した。
「ハウ」撃沈確実。
更に「オイゲン」達も奮闘し、敵の駆逐艦4隻を撃沈。7隻に損傷を与え、撃退した。
第2艦隊も、駆逐艦2隻を隊列から失ったが、勝利は間違いなかった。
アントワープ沖海戦、北方戦線の戦いはドイツ海軍の勝利である。
そして、
これで全ての準備は整った。作戦は最終段階に入る。
「『グラーフ・ツェッペリン』『ペーター・シュトラッサー』に通達。《攻撃隊を発艦させよ》!!」
これが最後だ。
ここで勝負をかけるべく、エアルは切り札を切った。
第85話「迫撃の鉄十字」 終わり