1
互いの放つ砲弾が、大気を切り裂いて交錯する。
鋼鉄と炎の塊と化し、灼熱のエネルギーを内包した砲弾が、敵艦へと叩き付けられる。
アントワープ沖における独英両軍の戦いも、いよいよクライマックスを迎えつつあった。
轟音とともに主砲を放つ「ティルピッツ」。
お返しとばかりにイギリス海軍の戦艦「ライオン」「テメレーア」「アンソン」も砲撃を行う。
一見すると、数において勝るイギリス軍が有利に見える。
しかし、その動きは明らかに鈍い。
イギリス艦隊は旗艦「ライオン」がUボートの雷撃により損傷。その速力を大幅に減じている。
更に艦隊司令部からは隊列の維持が命じられている。その為、行き足の鈍った「ライオン」に合わせなければならない為、機動力が大幅に減じていた。
一方の「ティルピッツ」は、ほぼ完調に近い状態を維持している。
高い機動性を発揮しながら、己の有利な位置に艦を移動して砲撃を行う事が出来る「ティルピッツ」。
数において圧倒しながらも、イギリス艦隊はドイツ艦隊に対し、戦いのイニシアチブを握る事が出来ないでいた。
互いの放つ砲弾が、目標を捉えるべく飛翔。
やがて落下の時を迎える。
先制したのは、ドイツ側だった。
「ティルピッツ」が放った8発の40センチ砲弾の内、2発が「アンソン」の艦中央付近を直撃。爆炎と衝撃がイギリス戦艦を襲う。
1発は惜しくも装甲に弾かれたものの、もう1発は甲板上で炸裂。機銃1基と両用砲1基を吹き飛ばす。
しかし、未だに損傷は軽微。イギリス艦隊は衰える事無く、砲撃を続行するべく照準修正を行う。
勿論、ドイツ側も黙っていない。
更に畳みかける「ティルピッツ」。
「撃てェ!!」
ウォルフの命令を受け、主砲が一斉に放たれる。
イギリス側は、装填が終わっていない為、未だに発砲できない。
高速装填が可能な、ドイツ戦艦ならではの芸当である。
「ティルピッツ」が放った砲弾は、
飛翔の末に、再び「アンソン」を捉える。
今度は3発が命中。
うち1発は、艦内に突入し炸裂。甚大な被害をもたらす。
黒煙を上げる「アンソン」。
イギリス艦隊も果敢に反撃する。
装填が完了した各艦が主砲を発射する。
放たれる40センチ、36センチの各主砲。
この時、お互いの距離は既に2万を切っている。
機動力の低下に悩まされ、これまで効果的な反撃が出来なかったイギリス艦隊だが、ここまでくれば流石に照準の修正をしてくる。
放たれた砲弾の何発かは、「ティルピッツ」の至近に落下、吹き上げる水柱の飛沫が甲板にも落下する。
崩れ落ちる瀑布が、艦橋も包み込み、暫しの間視界を塞ぐ。
「奴を仕留めろ。次は当てて来るぞ」
鋭く指示を飛ばすウォルフ。
その命令に答えるように程なく、「ティルピッツ」の主砲が火を吹く。
放たれる40センチ砲弾。
空中を飛ぶ鋼鉄の火矢。
直撃を受け再度、「アンソン」の艦上に爆炎が踊った。
命中弾は3発。今度は、後部寄りに纏まって命中が確認される。
後部甲板に大穴が開き、そこから炎が噴き出す。
更に1発は、第
この時、『アンソン』の第3砲塔は、一見すると無傷のようにも見えた。
しかし、砲弾着弾の衝撃で、内部にいた砲員が壁に叩き付けられ殺傷された。
更に、着弾のショックで砲塔の旋回機構が故障、発砲不能に追い込まれた。
これで「アンソン」は、火力の半分近くを一気に失った事になる。
しかし、より深刻な事態が艦内で起きていた。
程なく、それは艦の異常な行動によって現れる。
突如、何の前触れもなく左へと回頭をする「アンソン」。
先行する「ライオン」と「テメレーア」は直進を続けている為、それがいかに奇異な行動であるかは言うまでも無いだろう。
炎を上げながら異常行動を行う「アンソン」の様子は、「ティルピッツ」からも確認できた。
「敵艦、取舵に転舵ッ 隊列を離れる模様!!」
「何、どういう事だ?」
首を傾げるウォルフ。
言いながら、双眼鏡を覗き込む。
見れば確かに、
1番艦と2番艦は直進を続けているのに、3番艦に位置するキング・ジョージ5世級戦艦だけが、緩やかに左へ回頭している。
見ようによっては、「ティルピッツ」に対し、距離を詰めようとしているとも受け取れるが。
「舵じゃないか?」
「……ああ、成程な」
シュレスの言葉に、頷きを返す。
確かに、納得できる理由だ。
この時、「ティルピッツ」の砲弾が艦内で炸裂した事により、舵機室が損傷した「アンソン」は艦の進路を制御できず、左旋回を繰り返す状態となったのだ。
「奴はもういい、次を狙え」
「アンソン」は脅威ではなくなった。そう判断したウォルフが新たに命じる。
次の瞬間、
不気味な風切り音が鳴り響いた。
来るッ
そう思った次の瞬間、
全速航行する「ティルピッツ」を取り囲むように、複数の砲弾が落下、巨大な水柱を突き上げる。
そして、衝撃が襲ってきた。
「クッ!?」
苦悶に顔を歪めるティルピッツ。
艦を襲う激震。
ウォルフ達も、思わず手近な物に掴まらないと立っていられない程の衝撃だった。
程なく、報告がもたらされる。
「左舷中央に直撃弾ッ 4番高角砲損傷!!」
「艦中央付近に火災発生ッ!!」
作戦の成功により、ここまで無傷を保ってきた「ティルピッツ」が、ここに来て直撃弾を受けたのだ。
顔を上げるウォルフ。
「……あいつか」
睨み据える先。
そこには、隊列を離れ、距離を詰めて来る「テメレーア」の姿があった。
「テメレーア」の隊列離脱。
その状況に「ライオン」の艦橋は、大混乱に陥りつつあった。
「おいッ おいおいおいッ 何だあれはッ!! 『テメレーア』は何をしているかッ!? さっさと隊列に戻るように言え!!」
「そ、それが、先ほどから呼び出していますが、『テメレーア』から応答がありません。恐らく、通信機の電源を落としている者と思われます!!」
「そこを何とかしろッ 奴等の首に縄を掛けてでも連れ戻せ!!」
大声で不可能亊をわめきたてるフレデリック。
その間にも「テメレーア」は、単独で「ティルピッツ」との砲戦を継続する。
「ティルピッツ」の方でも、「ライオン」よりも「テメレーア」の方が脅威と判断し、砲戦を行う態勢を取り始める。
「ライオン」ただ1隻が取り残された形である。
「とにかく、奴等を何としても連れ戻せッ 国家反逆罪で、乗組員全員処刑台に送ってくれる!!」
フレデリックの耳障りな喚き声だけが、「ライオン」の艦橋で空しく響き渡り続けていた。
一方の「テメレーア」では、不謹慎ながら艦長が、溜飲が下がる思いで命令を下していた。
「敵戦艦、取り舵に転舵。本艦と同航戦に入る模様!!」
「取り舵10ッ 砲術、落ち着いて狙え!!」
命令を下しながら、艦長はいら立ちを吐き出すように呟く。
「最初からこうするべきだったんだ。最初から、な……」
我慢の限界だった。
あんなヒステリックなジジィの言う事なんぞを聞き続けるから、本来なら楽勝で終わる筈だった戦いが、ここまで惨めな状態になってしまった。
既に通信室に、「ライオン」からの通信は取り次がないように伝えてある。
勿論、抗命罪に問われるだろうが知った事ではない。負けるよりマシだった。
主砲を放つ「テメレーア」。
「ティルピッツ」もまた「テメレーア」めがけて主砲を放ってくる。
互いに口径40センチ、1トンの砲弾が相手を襲う。
直撃を受ける「テメレーア」。
衝撃が全艦を覆い尽くす。
「上部装甲板貫通ッ 艦内火災発生!!」
「第3両用砲損傷!!」
損害報告が次々と齎される。
逆に「テメレーア」の砲撃も「ティルピッツ」を直撃。左舷甲板中央付近が激しく炎上する様子が見えた。
「よし良いぞッ このまま砲撃続行だ!!」
喝采に近い声を上げる艦長。
ここまで低レベルな命令に振り回され、しなくても良い苦戦を強いられてきたのだ。
溜まった鬱憤を、ここで晴らすように、「テメレーア」は咆哮する。
無論、「ティルピッツ」も負けてはいない。8門の主砲を「テメレーア」目掛けて撃ち放つ。
お互いに主砲を撃ちあう両者。
鋼鉄製の火矢が空中で交錯し、互いの艦体に爆炎を躍らせる。
しかし、こうなると地力の差が出始める。
「ティルピッツ」の主砲は47口径40センチ砲8門なのに対し、「テメレーア」は50口径40センチ砲9門。
主砲の初速、射程、貫通力、門数では「テメレーア」が優っている。
もっとも、発射速度は「ティルピッツ」20秒に対し、「テメレーア」は30秒かかる為、手数という意味では「ティルピッツ」が優る。
総じて、攻撃力においては双方、大差は無いように思える。
問題は防御力。
「ティルピッツ」を含むビスマルク級戦艦は、第1次大戦期に建造された戦艦のデータを元にして設計を強化したに過ぎず、防御面に聊か不安がある。1番艦「ビスマルク」に比べ、「ティルピッツ」は多少強化されてはいるが、それでも根本的な部分で不安要素は残っている。
対してライオン級戦艦は防御配置において良バランスと称されるキング・ジョージ5世級戦艦を発展させ、更にこれまでの戦訓を取り入れた最新の防御思想を元に建造されている。
この防御力の差が、じわじわと効き始めていた。
「テメレーア」の砲撃は、高初速で飛翔し「ティルピッツ」に命中。その装甲板を貫通、艦内にダメージを蓄積させる。
対して「ティルピッツ」の砲撃は、命中はするものの「テメレーア」の上部構造物、両用砲やポムポム砲を機銃、対空指揮装置を破壊するのみで、なかなか艦内への貫通は起きない。
逆に、「テメレーア」の砲弾が複数命中した「ティルピッツ」は、艦中央付近が激しく炎上している様子が見えた。
「ようし、行けるぞッ このまま押し込むッ!!」
炎上する「ティルピッツ」を見て喝采を上げるイギリス軍側。
ここまで手こずらせてくれたドイツ戦艦だが、ようやくイギリス海軍がイニシアティブを握れている。
その想いが、彼等を勢いづかせる。
放たれる「テメレーア」の主砲。
その一撃が、「ティルピッツ」の艦後部寄りに命中する。
踊る爆炎と同時に、黒い破片が飛び散るのが見えた。
明らかに、大ダメージを負わせたことが伺える。
報告は、程なくもたらされた。
「命中、敵戦艦、3番砲塔損傷の模様!!」
この時、「テメレーア」の放った砲弾は「ティルピッツ」の後部艦橋後方に着弾。装甲版を貫通し、中甲板で炸裂した。
この時、爆風が周辺の隔壁を破壊し、電源のケーブルを損傷させ、
艦橋で指揮を執っていたウォルフも、思わず舌打ちしたほどのダメージ。
火力25パーセント減。ドイツ側にとっては致命的な痛手である。
吉報を受け、更に沸き立つ「テメレーア」の艦橋。
発射速度が鬱陶しい主砲だが、潰してしまえば何の事はない。数が減った事で、命中率も下がるだろう。
「勝ったぞッ」
「テメレーア」艦長が意気を上げた。
次の瞬間、
巨大な水柱が、衝撃と共に突き上げられた。
思わず、その場にいた全員が床に叩き付けられるほどの衝撃。
「何事だッ!?」
顔を上げて叫ぶ艦長。
そこへ、悲鳴じみた報告がもたらされる。
「右舷後部に魚雷命中ッ 2番推進軸損傷ッ」
「右舷浸水発生ッ 速力、低下します!!」
馬鹿な。
驚愕する一同。
「またUボートの襲撃かッ!?」
「判りませんッ 雷跡等は確認できず!!」
ここまでUボートを活用して戦局を逆転して来たドイツ艦隊だ。この土壇場でも同様にUボートがいる海域に「テメレーア」を意図的に誘い出したとしてもおかしくはない。
しかし、「テメレーア」は30ノットの高速で航行していたのだ。果たして、Uボートが追い付けたものだろうか?
「『ティルピッツ』の砲撃、来ます!!」
見張り員の絶叫。
次の瞬間、水柱が立ち上り、衝撃が襲い掛かる。
その中で「テメレーア」の甲板上にも爆炎が襲う。
命中は2発。
うち1発は艦首甲板を貫通し、そこに大穴を開け、もう1発はカタパルトデッキに命中、射出機を粉砕した。
「反撃だッ 反撃しろッ まだ負けた訳じゃないッ ダメージコントロール班、被雷箇所へ急行、対応に当たれ!!」
矢継ぎ早に命令を飛ばす艦長。
炎を上げながらも、健在な9門の主砲を放つ「テメレーア」。
その時だった。
「対空レーダーに感ありッ ドイツ軍機です!!」
「何だとッ」
驚愕するイギリス軍。
見れば、
北の空から、鉄十字の翼を連ねて迫りくる、一群の航空隊が迫ってきていた。
第2艦隊を発したドイツ海軍攻撃隊が戦場上空に到着したのは、正に際どいタイミングだった。
孤軍となって奮戦を続ける「ティルピッツ」。
ドイツ海軍が追い詰められようとしている中での援軍だった。
上空に、敵の直掩機はいない。敵の空母は全て、第2艦隊攻撃に振り向けられたらしい。
正に千載一遇の好機。
第2艦隊は朝から防空戦闘に徹し、自ら攻撃隊を放つ事は無かった。
それは全て、この一手を打つ為の布石。
ここに、ドイツ海軍の作戦。その全ての条件が整った。
制空権を得たドイツ軍攻撃隊は、悠々とイギリス艦隊上空に達する。
攻撃隊の先頭でメッサーシュミットを駆るクロウは、素早く眼下を確認する。
その視界の中で、見慣れたシルエットの戦艦が見えている。
「ティルピッツ」だ。
父が乗る戦艦を見て、微かに目を細めるクロウ。
次いで、「ティルピッツ」と交戦中の敵戦艦に目を向けた。
「あいつをやるぞ、攻撃開始!!」
クロウの命令を受け、スツーカ隊と、爆装したフォッケウルフ隊が、攻撃態勢に入る。
「テメレーア」上空で旋回するスツーカ隊。
対して、「テメレーア」も、両用砲による対空射撃を開始する。
しかし、それまで「ティルピッツ」と交戦したいた為、大半の対空要員が持ち場を離れていた事が災いし、スツーカ隊が攻撃態勢に入るまで、「テメレーア」側は反撃体制の構築が出来なかった。
更に、反撃しようにも、対空砲の半数近くは「ティルピッツ」の攻撃によって破壊されていた。
撃ち上げられた砲火はまばらであり、全くと言って良いほど弾幕の体を成していない。
スツーカ隊は悠々と砲火をすり抜けて降下を開始。
必死の抵抗を行う「テメレーア」に対し、胴体下の500キロ爆弾と、翼下の50キロ爆弾を投下し、再び駆け上がっていく。
一部の機体は、翼内機銃にを掃射していく。
たちまち、艦上の至る場所で爆炎が踊る「テメレーア」。
後部艦橋や生き残った両用砲、機銃、マストが直撃を受けて破壊される。
そこへ更に、低空に舞い降りながら接近するフォッケウルフ隊。
接近角度の緩い緩降下爆撃によって、至近距離まで接近した後に爆弾を投下する。
スツーカの急降下爆撃に比べれば命中率は落ちるが、それでも数発が命中する。
更に炎が拡大する「テメレーア」。
そこへ、トドメとばかりに「ティルピッツ」の砲撃が浴びせられる。
第3砲塔を破壊された為、3基6門による砲撃。
放たれた砲火。
両者の距離は、既に1万まで縮まっている。どうあっても、外せる距離ではない。
「テメレーア」に命中した「ティルピッツ」の砲弾は4発。
内、1発は装甲に対し浅く命中した為に弾かれたが、残る3発が有効だとなる。
1発は舷側装甲を貫通し、艦内の区画を吹き飛ばす。
1発は、艦首舷側の水線下に命中、更に浸水を拡大させる。
最期の1発は、煙突に命中し根元から吹き飛ばした。
がっくりと速度を落とす「テメレーア」。
既に全ての主砲は沈黙している。
それからしばらくは惰性で動いていたが、
やがて、それもなくなり、ゆっくりと海上に停止した。
2
視界の先で、炎に包まれて停止する「テメレーア」。
「危なかったな。流石は新鋭戦艦と言ったところか。まともな砲戦なら、間違いなくこっちがやられていた」
「ああ、ナイン・ドライ、だったか? 同盟国様様と言ったところだ。まったく、大したもんだよ」
苦笑交じりに肩を竦める、ウォルフとシュレス。
あの時、嵩にかかって攻め込もうとした「テメレーア」を襲った魚雷。
あれはUボートによる物ではない。
魚雷を放ったのは「ティルピッツ」だった。
シャルンホルスト級巡洋戦艦と同様、「ティルピッツ」も艦中央に魚雷発射管を備えている。
しかも、今回使用したのはただの魚雷ではない。
タイプ
純粋酸素を動力源とするこの魚雷は、高速、長射程、大威力であると同時に、最大の特徴として、魚雷を発射した際に生じる航跡を殆ど残さない事にある。
この酸素魚雷を日本の水雷戦隊や潜水艦隊は主兵装とし、太平洋戦線で猛威を振るった。
そのあまりの高威力と、気付いた時には既に手遅れ、あっという間に撃沈される恐怖から、米軍からは「
各国海軍が躍起になって開発に取り組みながらも何度も事故を起こし、ついに実現を断念した酸素魚雷の開発に、技術的に劣っていると思われた日本海軍が、密かに開発成功していた事には、驚きしかなかった。
炎上しながら沈みつつある「テメレーア」。
全ての主砲が沈黙し、ガックリとうなだれるように海上に停止している。
既に脅威足り得ない事は、火を見るよりも明らかだった。
ふと、上空で頼もしいエンジン音を響かせる、味方の攻撃隊を見つめる。
正に、的確なタイミングでの援護攻撃には、感嘆すら覚える。
1機のメッサーシュミットが、艦前方で旋回する様子が見える。
何か、意味ありげな機動。
「…………クロウ?」
ふと、何の根拠もなく、そんな風に思った。
パイロットの顔が見えた訳ではない。
しかし、あのメッサーシュミットに乗っているのは、息子のような気がしたの。
とは言え、物思いにふけるのもそこまでだった。
炎上する「テメレーア」の横をすり抜け、「ティルピッツ」は最後の目標に狙いを定める。
まだ、戦いは終わっていない。
まだ、最後の敵が残っている。
睨む、視線の先。
そこには、今更になってノロノロ、よたよたとやって来た、敵総旗艦の姿があった。
「ライオン」はよろけるようにして接近しながら、主砲をこちらに向けて来る。
逃げる気は無いらしい。
味方の戦艦は全て脱落し、護衛の艦艇からも引き離された裸の王様。
それでも向かってくる様には、滑稽な妄執を感じる。
勿論、逃す気はないのだが。
「主砲目標、敵旗艦『ライオン』…………」
静かに命じるウォルフ。
その双眸が、
相手を睨み据える。
そして、
「撃てェ!!」
ウォルフの命令と共に、「ティルピッツ」は主砲を撃ち放った。
「ライオン」の艦橋は、混乱を通り越して絶望が支配し始めていた。
頼みの戦艦群は全て撃沈するか、戦闘不能に追い込まれた。
残っている巡洋艦は、何とか追いすがって「ティルピッツ」に砲撃を加えているが、それも微々たる効果しか望めていない。
その間にも距離を詰めて来るドイツ戦艦。
「な、何をしておるかァァァッ 早く奴を沈めんか、グズ共が!! さっさとしろォ!!」
相変わらず、状況も見えずに喚き続けるフレデリック。
だが、最早誰も、その言葉を聞こうとすらしない。
こんな老人に構っている暇などない。
今や、自分達が生きるか死ぬかの瀬戸際なのだから。
この時、「ライオン」は度重なる浸水で、速力は11ノットにまで低下していた。
魚雷が命中した後、フレデリックが速度を落とす事を認めず、全速航行させたため、浸水が拡大してしまったのだ。
更に至近弾の齎す水圧によって隔壁が損傷。艦内の浸水領域が、急速に拡大していた。
腹の中に大量の水を飲みこみ、這うような機動で動く「ライオン」。
そこへ、「ティルピッツ」の砲弾が容赦なく襲い掛かる。
次々と着弾する砲弾。
2射目にして、早くも「ティルピッツ」は「ライオン」に対し直撃弾を得る。
甲板に突き刺さる40センチ砲弾。
踊る爆炎と衝撃。
浸水によって復元力が低下した「ライオン」は、容赦なく揺さぶられる。
負けじと「ライオン」も撃ち返すが、その砲弾は全くの見当違いの場所へと落下し、水柱だけを空しく突き上げる。
対して、「ティルピッツ」の砲弾は、いっそ悪魔的ともいえる精度で「ライオン」に次々と命中した。
両用砲が、煙突が、マストが、次々と直撃弾を浴びて吹き飛ばされる。
主砲塔にも命中弾が生じる。
砲塔に当たった砲弾は流石にはじき返すが、砲身は捻じ曲げられ発砲不能に追い込まれる。
砲塔基部に命中した砲弾は内部で炸裂、ターレット・リングを破壊して旋回不能に追い込む。
「ライオン」が戦闘不能に陥るまで、殆ど時間を要しなかった。
炎上しながら、沈黙する英新鋭戦艦。
その艦橋にあって、フレデリックは喚き続けた。
「どうしたッ もっと撃てッ 撃ちまくれッ 早くあの、ナチの豚戦艦をとっとと沈めんか!!」
喚き声が響き渡る。
だが、
それに応える声は、今や無い。
ふと、我に返るフレデリック。
周囲を見回す。
だが、
先ほどまでいたはずの艦長や艦娘、更には側近のアルヴァンや取り巻き達の姿すら無かった。
「な、何だ、これは…………」
無人の艦橋で、佇むのは、裸の王様ただ1人。
愕然とする。
「お、おいッ どこに至ったクズどもッ 戻ってこいッ アルヴァンはどこだッ!? アルヴァンッ アルヴァンッ アルヴァァァァァァァァァァァァァン!!」
その頃、アルヴァンは密かに艦橋を出て、「ライオン」の上甲板近くまで降りてきていた。
その脳裏には、今頃必死になって自分を探しているであろう男の事が思い浮かべていた。
「全く、息子も息子なら、親父も親父だな。度し難いほどのクズだ」
自らの「主君」に対し、容赦ない暴言を吐く。
そこに敬意は一切なく、ひたすら侮蔑のみがあった。
「この私が、あれほど尽くしてやったというのに、このザマとは。馬鹿に付ける薬はないとはこの事よ」
元々、アルヴァンはイギリスでも上流階級の家柄出身で、将来の栄達は生まれた瞬間から約束されていた。
しかし、生来の貪欲さから、自らの出自のみでは満足できず、まだ皇太子だった頃のフレデリックに取り入り、第1の側近として甘い汁を吸い続けて来た。
元々、軍事的才能はあった為、海軍に籍を置きつつ、フレデリックの要求にこたえ続ける事は容易い事だった。
しかし、フレデリックに取り入りつつも、フレデリックに心酔した事など一度もなく、むしろ心の中では、その無能ぶりに軽蔑しきっていた。
それでも、豚もおだてりゃ木に上ると言うもの。腐っても相手は最高権力者だ。取り入っておけば、いずれは自分の出世に繋がる。
だからこそ、バカ息子の御守りも積極的にしてやったし、要求されれば、いくらでも汚れ仕事をやってやった。
女にだらしがないフレデリックの為に、何人もの美女、美少女を宛がってやった。
勿論、後始末も余念がない。国王がスキャンダルで失脚などされた日には、自分の計画が丸つぶれだからだ。
第1次大戦の後、捕虜にしたドイツ艦娘を手籠めにするよう進言したのもアルヴァンだった。
あの時は、我ながら名案を思いついたものだと思った。
捕虜ならいくら凌辱しようが問題ない。国内にいる以上、隠蔽工作は容易い。むしろ、あとくされなくて最高の娼婦共になる筈だった。
しかし、あの計画は失敗だった。まさかドイツ艦娘共があれほどまでに、融通の利かない頑固で石頭な馬鹿どもだったとは、アルヴァンの計算を超えていた。
まあ、勝手に沈んでくれたおかげで、後始末自体は楽だったが。
ただその後、フレデリックに新たな女を宛がい、ご機嫌を取るのには聊か苦労したが。
そこまでしてやったというのに、あのバカ王と来た日には、この有様である。
アルヴァンとしては、全くもって当てが外れたとしか言いようがなかった。
「…………まあ良い」
思考を切り替えて、ほくそ笑む。
どの道、あのバカはもうお終いだ。この
自分は生き残って、「次」を探すまで。
順当にいけば、ひ弱なまま死んでくれた
バカ王のバカ息子共は殆どが死に絶え、残っている2人はカスばかりだから当然だ。
まだ幼女と言うところが実に良い。これからいくらでも、都合よく仕立て上げる事が出来る。
国に戻ったら、あの無知な幼女を祭り上げ、再び権力の座に返り咲いてやる。
自分の力をもってすれば、造作もない事だ。
その時の事を夢想し、舌なめずりをする。
だが、
不埒な考えは、天が許しても、鋼と炎の鉄槌が逃しはしなかった。
「ティルピッツ」が放った砲弾が、アルヴァンの潜んでいた場所の10メートルほど先に着弾。
炎と衝撃波が容赦なく襲い掛かり、アルヴァンを吹き飛ばした。
「ガァァァァァァァァァァァァッ!?」
汚い悲鳴と共に、甲板に転がるアルヴァン。
四肢は吹き飛ばされ、芋虫のようになって甲板に転がる。
ここで、意識を失う事が出来れば、あるいは却って幸運だったかもしれない。
しかし、アルヴァンは意識を失わず、全身を喰らうかのような痛みが、より意識を覚醒させる。
「ば……馬鹿……な…………」
自分に起きた事が信じられない、とばかりに呟くアルヴァン。
その口から血反吐が溢れる。
徐々に失われていく命。
それでも尚、意識を失う事が出来ず、ただただ痛みだけが支配する。。
正に、生き地獄に等しい状況だった。
「い……いや、だ……こんな、ところで……死にたく、な…………」
意識を失う事も出来ず、ただ転がっている事しかできないアルヴァン。
その体を、燃え盛る炎が徐々に、少しずつ焦がしていった。
3
砲声が止む。
戦いに参加したイギリス戦艦は全て、沈むか戦闘不能になった。
後の戦場に残るのは、孤高の女王たる「ティルピッツ」のみ。
しかし、
その艦体もまた、幾度も砲弾を受け、ボロボロになり果てていた。
特にひどいのは
その他、後部艦橋も吹き飛ばされ、艦首と艦尾には巨大な破孔が空いている。
左右両舷の高角砲、機銃も軒並み破壊され、無事な物は1基も残っていない。
度重なる至近弾の衝撃で浸水も発生し、速力は27ノットにまで低下していた。
「終わったな」
声を掛けるシュレス。
その声は努めて平坦に抑えられている。
佇むウォルフ。
彼の生涯を掛けた悲願。
イギリス海軍を打ち破り、妻テアの仇を取る。
その悲願が、ついに達成されたのだ。
ウォルフの心にある思いはいかばかりか。
余韻に浸りたいところではある。
が、それは過ぎたる贅沢だった。
「方位1-8-0より、新たな敵艦隊接近ッ!!」
見張り員の報告に、振り返る。
その視線の先。
水平線の向こうから、ホワイトエンサインを掲げた艦隊が向かってくるのが見えた。
イギリス海軍第2戦艦戦隊旗艦「ウォースパイト」の艦橋において、司令官のクロード・グレイス少将は、呆れる思いで双眼鏡を下ろした。
フレデリックの行った理不尽な人事によって、本国艦隊参謀長の座を追われたクロードは、その後、旧式戦艦を中心とした第2戦艦戦隊司令官に就任した。
ドイツ陸軍のバルジ攻勢に呼応する形で、残存する主力艦隊がキールから出撃した事を、南部ポーツマスで受け取ったクロードは、部隊を纏めてアントワープ沖に急行したものの、結局は間に合わず、主力艦隊は壊滅の憂き目にあっていた。
「執念も、積もれば海を割る、か。まさか、壊滅寸前のドイツ海軍に、ここまで良いようにやられるとは」
嘆息する。
ここまで来れば、強大な敵への畏怖も、怒りも通り越して、唯々、味方の不甲斐なさに呆れるしかなかった。
「まあ、無理もあるまい。上が無能じゃ、下がいくら頑張ってもな」
「それで、どうする、司令官?」
尋ねたのは艦娘のウォースパイトだ。
ストレートに伸ばした金髪に、麗しい瞳。
「姫騎士」を連想させる出で立ちの女性は、泰然として佇んでいる。
正直、事ここに至った以上、この場で戦ったとしても得られる物は少ない。せいぜい「戦闘後のドイツ艦隊を撃滅した」という、自己満足レベルの戦果を示すのが関の山だ。
だが、
「無論、やるさ」
クロードは、あっけらかんとした調子で告げた。
「事情はどうあれ、奴がドイツ戦艦、それも味方の主力をほとんど1隻で壊滅させた危険な艦である事に変わりはない。生かしておく理由は、水平線の彼方まで探したって見つからんよ」
「そうだな」
頷くウォースパイト。
彼等が見ている前で、「ウォースパイト」の前部甲板に備えられた連装2基4門の42口径38センチ砲塔が旋回を始めた。
速力を上げて接近してくるイギリス艦隊。
それに対し、「ティルピッツ」も、応戦すべく砲塔を旋回させる。
既に度重なる戦闘により、「ティルピッツ」の戦闘力は、ほとんど失われているに等しい。
それでも、最後までドイツ戦艦としての誇りを全うすべく突撃を開始する。
その上空を、留まっていた1機のメッサーシュミットが旋回している。
クロウの機体だ。
味方機は全て先に帰還させたが、クロウだけは戦場上空に留まっていたのだ。
メッサーシュミットのコックピットで、眼下の「ティルピッツ」を見つめるクロウ。
その胸の内に、何とも言えない感情が浮かんできた。
あの艦を指揮しているのは、クロウの父だ。
しかし、クロウは生まれてこの方、あの男から父親らしい事は何一つとしてしてもらった覚えは無かった。
それどころか、顔を合わせる事すら、1年に1~2回程度。記憶にすら残っていない。
クロウにとって家族とは、兄のエアルと、妹のサイア、そして幼い頃から、なにくれとなく面倒を見てくれたシュレスくらい。
クロウがウォルフを父親だと思った事など一度も無い。言うなれば。ただの血の繋がった他人に過ぎない。
そう、思っていた。
「…………何なんだよ」
コックピットで操縦桿を握りながら、クロウは呟きを漏らす。
「何なんだよ、あんたは…………いっつも、いっつも、自分勝手な事して…………俺達の事なんか全然、見向きもしないで…………いつもいつも、兄貴や俺達を振り回してッ」
無論、相手に聞こえない事は判っている。
それでも、クロウは言わずにはいられなかった。
「そんで、今度は勝手に戦って、勝手に死ぬのかよッ どこまで勝手なんだよッ あんたはよ!!」
叫ぶクロウ。
滲ませる怒り。
「…………ふざ…………けんなよ」
しかし、
「…………何で…………だよ」
その双眸から零れ落ちる涙が、どうしても止まらなかった。
「…………父…………さん」
ゴーグルを上げ、流れる涙をグイっと拭うクロウ。
赤くなった瞳で、「ティルピッツ」の艦橋を見つめる。
やがて、
何かを決意したように、操縦桿を倒してメッサーシュミットの翼を翻した。
艦の上空を飛ぶメッサーシュミット。
それに誰が乗っているかは、ウォルフも察していた。
怒りもあろう。
恨みもあろう。
父親らしい事は何もしなかった自分に、ぶつけたい事は多い筈だ。
そんな様々な感情を受け止めてやる事は、もはやできそうにない。
だからこそ、息子が駆る戦闘機を、ウォルフは優しく見守る。
「……もう良い。もう良いから、行けクロウ…………早く行かない、燃料が無くなるぞ」
やがて、そんな父親の声が聞こえた訳でもないだろうが、クロウのメッサーシュミットが翼を翻す。
そのまま立ち去るのかと思いきや。
何と、艦前方を霞めるように飛翔する。
ちょうど、
殆どぶつかるかぶつからないかの曲芸飛行。
今更ながら、パイロットとしての息子の技量が高い事に驚かされる。
苦笑するウォルフ。
そんな事も知らなかった自分が、滑稽に思えて仕方がなかった。
と、
メッサーシュミットのコックピットで、
パイロットが、
敬礼しているのが見えた。
「…………クロウ」
息子の名を、慈しむように呟くウォルフ。
その右手が掲げられ、敬礼を返す。
やがて、
メッサーシュミットは、最後に別れを惜しむように、もう一度だけ艦上空を旋回すると、北に向かって飛び去って行くのだった。
迫りくる、イギリス海軍の増援部隊。
運命の時は、刻一刻と迫ろうとしていた。
ティルピッツは、静かに艦橋に佇み、最後の時を穏やかに迎えようとしていた。
そんな少女の肩を、シュレスが優しく叩く。
「すまないな」
「え?」
「あなたほどの艦娘を、こんなところで…………」
言いかけるシュレス。
だが、ティルピッツは、皆まで言うなとばかりに、笑顔で首を振る。
「私は誓ったんです。姉に……ビスマルクに、恥じない戦いをするって」
「ティル…………」
「姉は、祖国と仲間の為に、最後まで勇敢に戦いました。その姉に倣って、私も最後まで勇敢に戦うって決めたんです。だから、後悔はありません」
そう言うと、ティルピッツは静かに目を閉じる。
…………
姉様。
ビスマルク姉様。
ティルも、間もなくそちらに参ります。
お話したい事が、たくさんあります。
楽しみに、待っていてください。
佇むウォルフは身じろぎせずにいる。
視界の先では、イギリス艦隊が今にも砲門を開かんと迫ってくる。
その様を、ジッと見据える。
悔いはない。
第1次世界大戦を戦い、妻のテアを失ってから、復讐の為だけに生きて来た。
その人生を全うできたのだ。悔いなど、あろうはずもない。
心残りがあるとすれば、子供たちの事だが、
それも今更だろう。
エアル、クロウ、サイア。
3人を捨てた自分に、今更彼等の行く末を心配する資格はない。何より、3人とももう大人だ。自分の道は自分で決めて、歩いて行ってくれるだろう。
親は無くとも子は育つ。
自分が言えば最低だという事は判っている。
が、正にその通りだと思った。
ふと、
全ての音が一瞬、かき消えた。
遠くの砲火の音も、近くの喧騒も、ウォルフの耳には聞こえてこない。
ただ、
自分の右手に、誰かの手がそっと、重ねられるのを感じた。
「…………」
息を飲む。
懐かしい。
思わず、涙が出る程の懐かしさ。
この感触、この温もり。誰が忘れる物か。
振り返る。
そこには、ウォルフが、焦がれて、焦がれて、どうしても会いたかった女性が、笑顔で佇んでいた。
「…………テア」
《ええ、ウォルフ。久しぶり》
そう言って、微笑むテア。
何も変わっていない。
子供を産み円熟しながらも、どこか幼さが抜けきらない雰囲気は、間違いなく記憶にある妻、テア…………デアフリンガーに間違いない。
思わず、泣きそうになる。
だが、
ウォルフはそんなテアから、スッと視線を逸らした。
《ウォルフ?》
「迎えなら、いらんぞ」
素っ気ない口調で、突き放すように告げるウォルフ。
「俺には、お前に迎えに来てもらう資格など無い」
《…………》
「俺は、お前の復讐を言い訳にして、子供たちを捨てた。エアルも、クロウも、サイアもだ。そんな俺が、お前に迎えに来てもらう資格など、ある訳ないだろう」
地獄なら、1人で行く。
そうあるべきだ。
だが、
《もうッ そんな事言って》
テアは、プクッと頬を膨らませ、ウォルフの顔を覗き込む。
テアの顔が、ウォルフのすぐ目の前にアップで近付けられた。
《私が迎えに来たいから来たのッ》
「…………」
《あなたが行くなら、私が迎えに来ないでどうするのよ!!》
「テア…………」
《それに》
テアはそっと、ウォルフの手を取る。
《あの子たちの事なら心配いらないわ。きっと、大丈夫だから》
優しく包み込む、妻の手の温もりを感じ、心穏やかになるウォルフ。
その手を、しっかりと握りしめる。
もう、絶対に放さないと誓って。
次の瞬間、
強烈な閃光と衝撃に包み込まれた。
3
ドイツ軍が起死回生を掛けた「ラインの守り作戦」。
アルデンヌ攻勢。通称「バルジ大攻勢」は1944年の12月から始まり、翌年の1月まで継続された。
密かに整備されたアルデンヌの森を利用した一大奇襲作戦は、連合軍を大いに驚かせ、一時は戦線崩壊寸前まで追い詰めた。
そのまま、ドイツ軍が戦線突破に成功するかと思われた。
だが、
連合軍は、誰もが驚くほどの素早さで態勢を立て直すと、一気に反攻に転じた。
ヒトラーは当初、連合軍は言語の統一も成されておらず、その連携は極めて脆弱であると指摘し、この時期にドイツ全軍をもって奇襲を仕掛ければ、戦局の転換は容易いと語っていた。
その認識は、ある意味で間違いではなかった。
確かに連合軍、特に上層部の間では不和が存在した。
連合軍総司令官のアイゼンハワーと、イギリス軍総司令官のモントゴメリーは犬猿の仲であり、特にモントゴメリーは戦後の著書で、アイゼンハワーの指揮統率をボロクソに扱き下ろす程、彼の事を嫌っていた。
しかし、いざドイツ軍が反攻に転じた事を知ると、アイゼンハワーとモントゴメリーは、普段の反目が嘘か演技としか思えないほどの、緊密な連携を見せた。
モントゴメリーが最前線に赴いて将兵を叱咤して戦線を保たせる一方、アイゼンハワーは戦線後方で休息中の部隊を纏め、再編成してモントゴメリーへの増援として次々と送り出した。
結果、ごく短時間で連合軍の戦線は復活を遂げ、ドイツ軍は攻めあぐねる事となった。
一方、
当初こそ奇襲が功を奏し、戦況を優位に進めたドイツ軍だったが、急速な前進は部隊の連携齟齬を生んだ。
まず、急速に進軍した事で、物資の輸送が追い付かなくなった。
作戦立案から開始までの期間があまりに短すぎた為、ドイツ軍の補給計画は万全ではなかったのだ。
緒戦で砲弾を撃ち尽くした部隊は、補給が届かないまま進軍を停止せざるを得ない。そうした光景が、最前線のそこかしこで見られた。
更に、練度の問題があった。
ヒトラーは先のクーデター事件以降、国防軍を全く信用しておらず、重要な戦線は全て、配下の
しかし、親衛隊は一部の武装親衛隊と呼ばれる精鋭を除き、その殆どが前線を経験した事も無いようなド素人の集まりに過ぎなかった。
ヒトラーはそうしたド素人集団に、パンターやティーガーと言った最新鋭の兵器を優先的に持たせて送り出したのだ。
戦場のイロハすら知らないような親衛隊員は、戦略も戦術も考えずに突出し、結果、反撃を喰らって壊滅するSS部隊が後を絶たなかった。
中には40両のパンター戦車を要しながら、たった3両のM4中戦車しか保有していない米軍部隊に敗北。30両以上の戦車を失って敗走した親衛隊もいた程だった。
やがて連合軍が反攻に転じると、見せかけだけ立派な、ズブの素人集団に過ぎない親衛隊は瞬く間に蹴散らされ、踏みとどまって奮戦する友軍を見捨てて逃走する有様だった。
これにより、ドイツ軍の戦線は完全に崩壊。体勢を立て直す事も出来ずに撤退していった。
こうして、ヒトラー最後の賭けは、失敗に終わった。
この戦いで、アルデンヌを中心に巨大な
だが、それは戦局に対し、何ら寄与する物ではない。
ドイツ軍のバルジ攻勢は、連合軍を大いに驚かせた。
しかし結局のところ、「大いに驚かせただけ」で終わったのだった。
北へ向かう艦隊。
その中心を航行する旗艦「シャルンホルスト」の艦橋で、司令官のエアル・アレイザーは、1通の電文を握りしめた。
《第1艦隊全滅。生存者無し》
生き残っていたUボートからもたらされた電文だ。
本国艦隊主力を撃破した「ティルピッツ」はその後、増援に現れたイギリス艦隊の別動隊と、最後の戦いに臨んだ。
その戦いでも、「ティルピッツ」は、奮戦した。
戦艦「ヴァリアント」を中破、「アイアン・デューク」大破の戦果を上げるも、その後、集中砲火を受け、ついに力尽きた。
最期は英艦隊に看取られながら、静かに北海に沈んでいった。
司令官、艦娘以下、全乗組員は艦と運命を共にした。
一方で、軽巡洋艦「マインツ」以下、アントワープ突入部隊は、「ティルピッツ」の援護もあり、突入に成功、予定通り在泊艦船への攻撃、及び港湾施設への艦砲射撃を行った。
これにより、在泊艦船を多数撃沈すると同時に、港湾施設へもダメージを追わせる事に成功した。
しかし、軽巡と駆逐艦のみの艦砲射撃だけでは、やはり限界があった。
船はある程度沈めたものの、港湾施設へのダメージは限定的な物に留まった。当初の作戦目的であった、アントワープの港湾機能壊滅は達成できなかったのだ。
その後、「マインツ」以下の艦隊は、イギリス艦隊と空軍部隊に捕捉され全滅。
第1艦隊全滅をもって、ドイツ海軍の全作戦は終了した。
「父さん…………」
亡き父へ、そっと呼びかける。
父は、満足だっただろうか?
復讐の為に生き、復讐の為に死んだ父。
その心中を推し量る事は、もはや永遠に不可能となった。
「おにーさん」
呼びかけられ、振り返るエアル。
お腹に自分の子を宿した巡戦少女が、気遣うような瞳でこちらを見ている。
シャルンホルストはエアルに歩み寄ると、その傍らに寄り添った。
彼女もまた、親友のティルピッツを失い失意にくれている。
そんな少女をいたわる様に、エアルはシャルンホルストの肩に手を回し、そっと抱き寄せる。
「これから、どうする?」
戦いは終わった。
恐らく、ドイツは負けるだろう。
それは初めから分かり切っていた事。
こんな無謀な作戦が成功するとは、エアルは端から微塵も考えていなかった。
そして、事実として、その通りになりつつあった。
しかし、まだ終わりではない。
戦いは終わっても、戦争は終わっていないからだ。
ならばこそ、エアル達にはまだ、やる事が残されていた。
「北へ行こう」
囁くように告げる。
「ノルウェーに行こう。そして、最後まで戦おう」
ノルウェーに行け。
出撃前に父から言われた言葉が、結果としてウォルフの遺言となった。
出撃に先立ちウォルフは、アントワープ沖での戦いが終了した後、残存艦艇を率いてノルウェーに再進出する旨を、艦隊司令官の権限でもって命令書を発行。エアルに手渡していた。
つまり、戦場を離脱した第2艦隊が、ノルウェーに向かうのは抗命や敵前逃亡には当たらず、ドイツ艦隊司令官の正式な作戦命令と言う事になる。
彼の極北の地へ行けば、まだ戦う事が出来る。
その先に待つ物が何であるかは分からない。
しかし今は、自分達にできる事をする。
それが、生き残った者の務めだった。
「うん、分かった。行こう、ノルウェーに」
頷く、巡戦少女。
寄り添いながら、艦橋にエアルとシャルンホルスト。
そんな2人を乗せて、「シャルンホルスト」は北への海を進んでいった。
第86話「父よ」 終わり