蒼海のRequiem外伝 ~北天の流星~   作:ファルクラム

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第89話「チェックメイト」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 北海の冷たい空気に揺り動かされるように、エアルは目を覚ました。

 

 体を起こすと、より一層の冷気に包まれる。

 

 頭が少し、ボーっとする。

 

 昨夜、エミーリアが夜泣きしたので、シャルンホルストと交代であやしていたのだ。

 

 幸い、暫くして泣き止んでくれたからよかったが、中途半端な時間に起こされたせいで、頭の中が完全に覚醒できないでいた。

 

 シャルンホルストはと言えば、エアルの傍らで寝息を立てている。彼女も疲れているのだろう。エアルが起きても、目を覚ます気配はなかった。

 

 当事者たるエミーリアも同様だ。エアルとシャルンホルストが寝ているベッドの脇に置かれたベビーベッドで、すやすやと眠っている。

 

 本当に、天使のようだ。

 

 どちらが? と言われたら「どっちも」と、即答できる自信がある。

 

 愛しい2人の寝顔を眺め、幸せな気分に浸りながら、静かに身支度を整える。

 

 軍服を着て、階級章を整える。

 

 姿見で、身支度を整える。

 

 司令官として、だらしない姿を部下には見せられない。

 

 机の上に置かれた2つの勲章。

 

 全く同じ形をしたその2つの内、1つを手に取って胸元に着ける。

 

 漆黒の鉄十字に、交差した宝剣と輝く柏葉が飾られている。

 

 宝剣ダイヤモンド柏葉付騎士鉄十字章。

 

 正に、最高の軍人へ送られる最高の勲章。

 

 数々の武勲を重ねたエアルとシャルンホルストにはついに、この最高位の騎士鉄十字章が授与された。

 

 これより上となると1つ。黄金柏葉宝剣ダイヤモンド付騎士鉄十字章のみとなるが、これを受賞したのはただ1人、クロウのかつての上官であるハンス・ルーデル大佐のみである。

 

 そもそも、黄金柏葉は高すぎる武勲を上げた(と言うより、現在進行形で上げ続けている)ルーデルを称えるのに、通常の騎士鉄十字章では足りなくなった為に創設された、紛れもなくルーデルの為の勲章である。

 

 因みに、黄金柏葉はルーデルに送られた物も含めて、全部で12個作られたが、恐らく受勲するのはルーデル1人のみだろう。

 

 最後に帽子を被った時だった。

 

「う、ん……おにーさん?」

「あ、ごめん、起こしちゃった?」

 

 ベッドの上で、シャルンホルストが眠い目をこすりながら身を起こす。

 

 やはり疲れが抜けないらしく、表情がいまいちはっきりしない。

 

 エアルはベッドに片膝を乗せて、起きたてのシャルンホルストに顔を近付ける。

 

 寝ぼけ眼の愛らしい少女の顔が、視界一杯に広がる。

 

「まだエミーと一緒に寝てて良いよ。今日は訓練も無いから」

「うん……」

 

 そう言うと、エアルはシャルンホルストと軽く口づけを交わして部屋を出るのだった。

 

 

 

 

 

 執務室に入ると、早速挙げられている情報の処理と、決済に必要な書類に目を通していく。

 

 先の戦い時の戦果と損害。更に基地内の備蓄物資。

 

 備蓄の物資に関しては、今のところ問題にはしていない。

 

 元々の物資に加え、襲撃した船団から拿捕した分もある。備蓄としては十分すぎるくらいだ。

 

「問題は……こっちなんだよな」

 

 そう言ってエアルは、深刻そうな表情で書類を手に取る。

 

 それは、本国周辺の戦況に関する書類。

 

 東西の戦線は既に破綻寸前となり、ドイツ軍は組織的な抵抗も出来ないまま押し込まれている。

 

 このまま行けば、このノルウェーよりも先にベルリンの方が陥落する事になる。

 

 そうなる前に自分達が取るべき道は、果たしてあるのか。

 

 更に、別の書類に目を通す。

 

 そこには、イギリスのポーツマスに、大規模な輸送船団が集結しているという情報だった。

 

 輸送船だけで30隻を越えるほどの大船団。

 

 恐らく目的地は、ソ連領ムルマンスクかアルハンゲリスクのいずれか、との事だが。

 

 しかし、エアルは一抹の違和感を拭えなかった。

 

 この、戦争が間もなく終わろうという時期に、これほど大規模な船団をソ連に派遣する意味はあるだろうか?

 

 確かに、ここまで何度か、第2艦隊の襲撃で船団が壊滅している。追加の船団が必要になったと考えれば、そう思えなくも無いのだが。

 

 何かある。

 

 そう、思わずにはいられなかった。

 

 その時だった。

 

 突如、航空機のエンジン音が頭上から響いて来たのだ。

 

「何だッ!?」

 

 味方の航空隊が訓練を行うには早すぎる。

 

 敵が警戒網をすり抜けて襲撃して来たのか?

 

 そう思って外へと駆け出す。

 

 甲板に出ると、既に多くの兵士達が空を見上げていた。

 

「おい、どうしたんだ?」

「あ、提督」

 

 1人の兵士を捕まえて、事情を尋ねる。

 

「それが、どうやら味方の航空機が来たようなのです」

「味方?」

 

 なぜ味方がこの時期に、こんな北の果てに何の用があって来たのか?

 

 敵が来た、と言われた方がまだ納得できるものがある。

 

「あ、来ました!!」

 

 そう言うと兵士は、海面を指差す。

 

 見れば確かに、

 

 着水した飛行艇が1機、減速しながらこちらに向かってくる。

 

 大きい。

 

 太く長い胴体に、左右にまっすぐ左右に広がった翼。その翼には、6基ものエンジンを搭載しているのが見える。

 

「あれは……BV222じゃないか。何であんな物が…………」

 

 ブローム・ウント・フォス社が開発した超大型水上飛行艇で、この時期の飛行艇としては世界最大の大きさを誇る。

 

 あまりにコストがかかる為、13機のみの製造に留まった幻の機体である。

 

 そんな貴重な機体を使ってまで、いったい何を運んできたのやら。

 

 やがて、BV222は「シャルンホルスト」に並走する形で停止する。

 

 翼が広すぎて艦に横付けは出来ない為、そこから更に、こちらから派遣したボートを乗り継いで、搭乗者がやってくる。

 

 しかし、

 

 乗り込んできた相手を見て、エアルは思わず目を見張った。

 

 相手もエアルの顔を見て、顔を綻ばせた。

 

「久しぶりだな、アレイザー。少し痩せたか?」

「マルシャル提督!!」

 

 エアルは背筋を伸ばして敬礼する。

 

 居合わせた乗組員達も、エアルに倣って敬礼した。

 

 ラインハルト・マルシャル大将は、開戦初期のドイツ艦隊司令官であり、エアルの上官だった人物でもある。

 

 大戦初期におけるノルウェー沖海戦大勝利の立役者でもある。

 

 その後、空軍と海軍上層部の言いがかりに近い人事で更迭されてしまったが、その後は西部方面艦隊司令官等を歴任し前線での指揮を続けていた。

 

 更に、もう1人、乗艦してきた人物にも見覚えがあった。

 

「お久しぶりです大佐。おっと、今は少将閣下ですな。失礼しました」

「ああ、久しぶり。そっちも元気そうで」

 

 気さくに話しかけてきた壮年の人物は、ヴァルター・リード大佐。

 

 かつてエアルの下で「シャルンホルスト」副長を務めていた。ツェルベルス作戦を最期に、エアルの下を離れたが、その後は士官学校の教官や、海軍本部参謀等を努めて来た。

 

「アレイザー、積もる話は色々とあるが、取り急ぎ伝えたい事がある」

「判りました。では、執務室へどうぞ」

 

 そう言うと2人を連れて、執務室へ向かう。

 

 しかし、

 

 その心中において、エアルは穏やかざる物を感じていた。

 

 何かあったのだ。

 

 そうでなければ、大将の階級を持つ人物が、わざわざ貴重な飛行艇を使ってこんな場所に来たりはしないだろう。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 2人を執務室へ通し、従兵にコーヒーを持ってくるように命じる。

 

 ソファーに腰掛けたマルシャルとリードは、周囲を見回す。

 

「懐かしいな」

「まったくです」

 

 かつて、この場でともに戦った2人は、感慨深く呟く。

 

 あの頃と、余りにも状況が変わりすぎてしまった。

 

 しかしそれだけに、どこか実家に帰って来たような安心感が、ここにはあった。

 

「そう言えば提督。シャルとの間に子供が生まれたとか」

「ええ。あとで落ち着いたら会わせますよ」

 

 そう言うと、エアルも腰掛けた。

 

 2人にもぜひ、エミーリアの顔を見て行ってほしかった。きっと、シャルンホルストも喜ぶだろう。

 

 しかし、

 

 その前にどうしても、話を聞かなくてはならなかった。

 

「それで、何があったんです?」

 

 自身も対面のソファーに座ると、エアルはすぐに切り出した。

 

 恐らく韜晦に意味はない。

 

 単刀直入に切り込む事にした。

 

 本国が大変なこの時期に、わざわざこんな北の果てまで、旧知の海軍士官2人が尋ねてきたのだ。

 

 間違っても旧交を温める為ではあるまい。

 

 エアルは鋭い眼差しを向ける。

 

 対して、マルシャルとリードは互いに頷くとエアルに向き直った。

 

「アレイザー、落ち着いて聞いてくれ」

 

 まるで自分自身を落ち着かせるように、マルシャルは一拍置いて直に言った。

 

「ルールが、陥ちた」

「ッ!?」

 

 息を飲むエアル。

 

 正直、予想した事態の1つではある。

 

 予想はしていたが、やはり受ける衝撃は想像以上に大きかった。

 

 連合軍によって包囲されたルール工業地帯では、民間人も含めて徹底的な交戦が行われたが、やはり持ち堪える事は出来なかった。

 

 ルールに立て籠もっていたB軍集団は、圧倒的な戦力差を前にして、1歩も引かずに抵抗を続けたが、大軍に包囲される中、ついに物資が底をついたのだ。

 

 これを受け、司令官のモーデル元帥は、民間人、及び部下将兵に投降の許可を出すと、自身は米軍からの降伏勧告を拒絶し、郊外の森で拳銃自殺した。

 

 モーデルは着任前、ヒトラーに対し「降伏も撤退もせず、死ぬまで戦う」事を誓っていた。その約束を守った形である。

 

 まさにドイツ軍人として誇るべき人物。

 

 しかしナチス上層部は、そんなモーデルの決意を踏みにじり、「敗戦の責任は全てモーデルにある」と連日のように宣伝した。

 

 紛れもない責任転嫁である。

 

 ルールで奮戦するモーデルとB軍集団に対し、援軍も物資の補給も一切行わなかった自分達の怠慢は棚の奥にしまっておいて、である。滑稽の極みとしか言いようがなかった。

 

 しかし、これでいよいよ進退窮まった。

 

 ルール地方と、そこに立て籠もるB軍集団は、西部戦線最後の護りでもあった。

 

 それが失われた以上、西部戦線は完全に崩壊したと見て良い。

 

 更に東部戦線は、既に末期を通り越している。

 

 ドイツ軍は当初、ベルリン東部のゼーロウ高地を最終防衛ラインに定めていた。

 

 しかし、同地の守備隊は、当初から防衛戦闘に見切りをつけており、遊撃戦による遅滞戦闘に賭けていた。

 

 この作戦はソ連軍の戦術ミスにも助けられ一応は成功。守備隊は混乱するソ連軍の隙を突き、損害最小限で後退する事に成功した。

 

 後退した守備隊はその後、ベルリン郊外を流れるオーデル川と、その支流たるナイセ川の防衛線に合流している。

 

 川の西側には、ベルリンの市街地が広がっている。

 

 このオーデル・ナイセこそが、本当の意味での最終防衛ラインであり、ベルリンを守る最後の門でもある。

 

 既に戦線を飛び越え、一部の攻撃はベルリン市街に届き始めている状態だった。

 

 いよいよ、「終わり」は近付きつつあった。

 

「それ、で…………」

 

 エアルは最も気になっている事を尋ねる。

 

「本国は、あとどれくらい保ちそうなんですか?」

 

 ドイツは、あとどれくらい保つのか?

 

 気になる所はそこだった。

 

「…………半月」

 

 マルシャルが重々しく口を開く。

 

「最大限、大目に見積もっても1カ月……どう考えても、2カ月は無理だ」

「…………成程」

 

 慨嘆するエアル。

 

 仰ぐ天より、否応なく去来する虚無感。

 

 戦って、

 

 戦って、

 

 勝って、

 

 勝って、

 

 ここまで勝ち続けて、

 

 それで最後は負けるのか。

 

 こんな事があるのか。

 

 あって、良い物なのか?

 

 やるせなさに満たされる。

 

 いったい、自分達がこれまでやって来た事は何だったのか?

 

 これまで散っていった将兵、艦娘達の犠牲は何だったのか?

 

 その全てが、無駄になってしまった。

 

 これが、「負ける」と言う事か。

 

「提督」

 

 打ちひしがれるエアルに、ヴァルターが声を掛ける。

 

「今回、私とマルシャル提督は、総統閣下からの命令書を携えてきました」

「命令書? 今更?」

 

 訝るように顔を上げると、ヴァルターが差し出した書類を受け取る。

 

 厳重に蠟封された封筒を開け、中身を取り出す。

 

 一読して、

 

「ハ……ハハッ」

 

 エアルは乾いた笑いが漏れた。

 

 手にした書類を、机の上に放り出す。

 

「総統閣下はこんな事を、本気で可能だと思っているんですか?」

「残念ながら、な」

 

 中身の内容を知っているマルシャルも、嘆息気味に答える。

 

《第2艦隊は直ちに出港。イギリス本土に対し攻撃、これを壊滅せしめよ》

 

 命令書には、そう書かれている。

 

 しかも、それがヒトラー総統直々の命令である事を示すサインまで書かれている。

 

 つまり、これは正式な、ドイツ最高権力者からの命令書と言う訳だ。

 

 しかし、

 

「こんな事……」

 

 鼻で笑うエアル。

 

 無理、無茶、無謀、

 

 それらを超越したものを「不可能」という。

 

 ヒトラーは恐らく、またぞろ妄想にでも憑りつかれているのだろう。

 

 「まさに今、この時期に敵本土に対し攻撃を加え壊滅せしめれば、連合軍は動揺し脱落者が続出する。その時こそ、戦局は最大の転機を迎えるであろう」とか何とか。

 

 そんな物、もはや妄想ですらない。タチの悪い悪夢だ。もちろん、悪夢を見せられているのはヒトラー本人ではなく、付き合わされるドイツ軍人であり、ドイツ国民である。

 

「だが……」

 

 口を開いたのはマルシャルだ。

 

 投げ出された命令書を手に取る。

 

「こんな物、わざわざ聞く必要はない」

「え?」

 

 そう言った瞬間、

 

 マルシャルは、命令書を破り捨ててしまった。

 

「どの道、こんな作戦成功するとは思えんし、したとしても意味はない。今更、戦局の逆転などあり得ん」

「て、提督ッ」

 

 驚くエアルをよそに、マルシャルは破った命令書をクシャクシャに丸めてしまう。

 

「アレイザー、お前はこんな命令書に従わず、独自の判断で行動しろ。いっその事、降伏するのも一つの手だと、私は思っている」

「降伏…………」  

 

 口に出すのもおぞましい言葉だ。

 

 ここまで戦って、勝ち続け、最後に選ぶのが降伏と言うのは、どうあっても受け入れられる物ではない。

 

 だが、

 

 今のエアルは個人として軽々に判断できる立場ではない。

 

 第2艦隊に所属する将兵、艦娘、更に北ノルウェー基地の兵士、軍属、

 

 そして何より、シャルンホルストと、彼女との間に生まれた愛娘エミーリアの父親として判断を下さなければならない。

 

「閣下」

 

 苦悩するエアルを見かねたように、ヴァルターが口を出す。

 

「考える時間をあげたいのは山々ですが、申し訳ありません。時間があまり無いんです」

「…………どういう、意味ですか?」

「我々が本国を発つ直前に入ってきた情報なのですが、ソ連領に入ったイギリス空軍の爆撃機部隊が、消息を掴めずにいます。ただ、未確定情報ではありますが、北に向かったという噂もあります」

 

 北。

 

 既にドイツ全軍が退却中の東部戦線で、北に攻撃目標があるとは思えない。まして、イギリス軍がわざわざ長駆遠征してまで標的にする地上目標など皆無と言って良い。

 

 彼等が攻撃する物があるとすれば、

 

「…………目標は、俺達って事ですか」

「十中八九、な」

 

 頷くマルシャル。

 

 その言葉が、エアルを容赦なく追い詰めた。

 

 その爆撃機隊の規模がどれくらいかは分からないが、恐らく確実にこちらを壊滅させられるだけの規模と攻撃力を持っていると判断した方が良い。

 

 イギリス軍は本気だ。

 

 いよいよ本気で、第2艦隊を、

 

 ひいては「シャルンホルスト」を潰しに来たのだ。

 

「…………」

 

 立ち上がるエアル。

 

「アレイザー」

「…………すいません、少しだけ、考えさせてくれませんか」

「いや、しかし、提督ッ」

「お願いです」

 

 言い募ろうとするマルシャルとヴァルターを制するように、エアルは強い口調で言った。

 

「お2人には部屋を用意させますので、少しだけ、俺に時間をください」

 

 そう言うと、部屋を出て行くエアル。

 

 マルシャルとヴァルターは、その様子を黙って見守るしかなかった。

 

「仕方がない。待つしかないな」

「そうですね…………」

 

 嘆息する2人。

 

 無理もない話だ。ここまで話が急展開過ぎると、誰だってエアルと同じような状態になるだろう。

 

 時計に目をやるマルシャル。

 

 正直、リミットまでどれくらいあるか、誰にも分からない。今この瞬間に、敵の爆撃機隊が飛来する可能性だってある。

 

 しかし今は、信じて待つしかなかった。 

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 力ない足取りで、廊下を歩く。

 

 エアルの脳裏には、様々な情報と思考が、浮かんでは交錯し、そして消えていく。

 

 東西両戦線の崩壊。

 

 本国陥落秒読み。

 

 不可能以外の何物でもない、敵本土攻撃命令。

 

 そして北に向かった爆撃隊。

 

 その全てが、既に時間が無い事を示して居た。

 

 加えて、朝に入って来た報告。

 

 イギリスの輸送船団が出港準備に入っている。

 

 この事実を繋ぎ合わせると、一つの状況が見えてくる。

 

 すなわち、イギリス軍の作戦は2段構え。

 

 爆撃隊がノルウェー基地を爆撃する一方、輸送船団を囮に第2艦隊をおびき出し殲滅する。

 

 留まれば爆撃に潰され、出撃すれば艦隊に袋叩きにされる。

 

 座しても死、進んでも死。

 

 加えて時間を稼いでも、本国が陥落して終わり。

 

 どっちみち終了。

 

 まさしく王手詰み(チェックメイト)。

 

 もはや、どうしようもない。

 

 ドイツは負ける。

 

 そして、自分達も。

 

 だが、負けた後どうなる?

 

 シャルンホルストは? エミーリアは?

 

 2人を守りたい。

 

 けど、負ければもう、それも出来なくなる。

 

 恐らく自分は逮捕され、戦犯として裁かれる立場になるだろう。

 

 そうなれば、2人とも引き離されてしまう。

 

 これだけ抵抗し、敵艦を沈め、多くの将兵、艦娘を殺した自分を、敵側が見逃すはずがない。

 

 最悪、処刑される可能性だってある。

 

 如何なる形であろうと、死ぬのは怖くない。そんな感情は、海軍に入隊した瞬間に捨てている。

 

 ただ、自分が死んだあと、シャルンホルストとエミーリアを守ってやれなくなるのが怖かった。

 

 それに、基地にいる皆はどうなる?

 

 今、エアルの双肩に、責任者と言う肩書が重くのしかかる。

 

 全ては、エアルの決断に掛かっているのだ。

 

 どうする?

 

 どうすれば良い?

 

 一体、自分に何ができる?

 

 何をすれば、多くの人達を救える?

 

 巡る思考。

 

 纏まらぬ想い。

 

 その全てが、

 

 やがて、一方向へと流れだす。

 

「…………」

 

 考えが…………

 

 浮かんだ。

 

 そう、あまりにも残酷な考えが。

 

 これを実行すれば、恐らく…………

 

 だが、

 

 それでも、

 

 考えているうちに、エアルの足は司令官公室の前までたどり着いてしまった。

 

 扉は、開いていた。

 

 中を覗き込んで、思わず息を飲む。

 

 中にはシャルンホルストと、彼女の腕に抱かれたエミーリアがいる。

 

 だが、

 

 どうやら授乳の真っ最中だったらしい。

 

 シャルンホルストは大胆にも軍服の前を開け、邪魔だったのかブラジャーは外され、自分の胸に娘の唇を当てていた。

 

 ずれた軍服が二の腕のあたりまではだけ、ささやかな乳房が完全に露出している。

 

 一応、ケットは掛けていたらしいが、それもずれて落ちており、胸はほぼ丸見えに等しい。

 

 無防備と言うか、彼女らしいというか、エアルが入って来た事にも気づいていない。

 

 しかし、

 

 その光景の、なんと神々しい事か。

 

 聖母。

 

 かの救世主を産んだ尊き女性を思わせる光景だ。

 

 と、

 

 そこでようやく、顔を上げたシャルンホルストは、エアルが見ている事に気付いた。

 

「あ……もうッ おにーさん!!」

 

 顔を赤くして、身体をずらし、胸元を隠す。

 

「いくら相手がおにーさんでも、ボクだって恥ずかしいんだからね、こんなところ見られたら」

「あ、ああ、そうだよな。ごめん」

 

 正直、彼女の裸は何度も見ているし、ある意味でもっと恥ずかしい所も見ているのだが、女性にとって「授乳シーンを見られる」と言うのは、また違った恥ずかしさがあるらしい。

 

 だったら、扉を閉めておくべきなのだろうが。そこは、あえてツッコまない事にした。

 

 暫くして授乳を終えたシャルンホルストは、衣服を直し、エミーリアをベビーベッドに寝かせた。

 

「そう言えば、マルシャル提督とリード副長が来たんでしょ。あとでボクも挨拶するよ」

「……ああ、そうだね」

「エミーも会わせたいしさ。2人とも、可愛がってくれるよね」

「……うん、きっとね」

 

 少女の後姿を見ながら、エアルは半ば虚ろな声で答える。

 

 今から、自分は彼女に残酷な事を告げる。

 

 告げなくてはならない。

 

 その為の勇気に、時間が必要だった。

 

「でも、急だよね。2人揃って来るなんてさ」

「うん」

「向こうは大変だろうに。あ、もしかして、ボク達に本国に戻れ、とか言いに来たのかな」

「…………」

「でも、正直、難しいよね。そんな事言われても」

「…………」

 

 黙るエアル。

 

 シャルンホルストは、怪訝な面持ちで振り返る。

 

「おにーさん、どうかした?」

「…………」

 

 エアルは無言。

 

 そのまま、

 

 少女を抱きしめた。

 

「…………おにーさん?」

「ごめん……シャル」

 

 殊更に低い声。

 

 シャルンホルストが、今まで聞いた事が無いような声だ。

 

「…………何か、あったんだね?」

「…………」

「ボクだって、ずっとおにーさんと一緒に戦ってきたんだもん。それくらい分かるよ」

 

 少女は互いの胸の間に手を入れると、少しだけエアルから離れ、顔を見上げる。

 

「話して、おにーさん。ボクは大丈夫だから」

「シャル……けど……」

「大丈夫。どんな事でも、驚いたりしないから」

 

 そして、

 

 エアルは話した。

 

 東西の両戦線が崩壊寸前な事。

 

 本国陥落が秒読みな事。

 

 敵船団が出撃間近な事。

 

 ソ連領に向かった爆撃隊の事。

 

 総統府から、イギリス本土への攻撃命令が出た事。

 

「…………そっか」

 

 全てを聞いて、シャルンホルストは静かに頷く。

 

 迫りくる運命。

 

 少女は受け入れる覚悟を決めていた。

 

「それで、おにーさんはどうするの?」

 

 まっすぐな目で訪ねる巡戦少女。

 

 エアルには、必ず考えがある。

 

 その事をシャルンホルストは誰よりも理解していた。

 

「言って。ボクはどんな事でも受け入れるから」

「シャル…………」

 

 少女の優しさ、温もり、想い。

 

 その全てを守らんとするように抱きしめる。

 

 そして、

 

 告げた。

 

 自分達の運命を。

 

 

 

 

 

第89話「チェックメイト」     終わり

 

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