1
闇夜の海面を、白波を上げて航行する2隻の軍艦。
漆黒の風が、マストの鉄十字を雄々しく靡かせる。
「シャルンホルスト」と「プリンツ・オイゲン」。
わずか2隻から成るドイツ第2艦隊は、イギリス海軍フォースBを退けた後、闇に紛れる形で戦場を離脱。
2隻は現在、進路を西にとって航行していた。
イギリス艦隊主力フォースAは、南東方向からドイツ艦隊を追撃。更に、先の交戦においてドイツ艦隊に敗れたフォースBも体勢を立て直し、北東方向から追いすがる。
南北からドイツ艦隊を挟み込む形だ。
エアルは時計を確認する。
マルシャルと約束した夜明けまでは、まだ4時間近くある。
敵艦隊は間違いなく、夜明け前に追い付いてくるだろう。
つまり、どうあっても予定時刻前に、一戦は避けられないと言う事だ。
現在、ドイツ艦隊の陣形は「プリンツ・オイゲン」「シャルンホルスト」の順で航行している。
本来なら旗艦である「シャルンホルスト」が先頭に立つべきなのだが、このまま行けば、敵は後方からドイツ艦隊に食い下がってくる形になる。
防御力の劣る「プリンツ・オイゲン」では、戦艦の砲撃に耐えられない可能性がある為、「シャルンホルスト」が殿を努める形で航行していた。
既に戦闘開始に備え、乗組員達には交代で休憩を取らせている。
それでなくても、昼間に対空戦闘を行っている。いざと言うときに疲れて動けない、では困るのだ。
同時に前部艦橋頂部のゼータクト・レーダーは常時起動状態を維持。不意の遭遇戦に備えている。敵艦隊の接近を検知した際には、すぐに戦闘態勢に移行可能だ。
レーダーを作動させれば、逆探で探知される恐れがあるが、既に発見され、敵巡洋艦部隊と一度交戦している身。出し惜しみする意味は無かった。
その時、
艦橋内の電話が鳴る。
エアルは、閉じていた目を静かに開いた。
「提督、レーダー室からです。対水上レーダーに感あり、左舷80度、急速接近ッ」
「…………来たか」
誰何の必要はない。
何が来たか、など問うまでも無かった。
「総員、第1戦闘配備、対水上戦闘用意!!」
エアルの命令に従い、「シャルンホルスト」艦内では、動きが生じる。
休憩を取っていた乗組員たちが自分達の配置へと走る。
ついに始まるのだ。
運命の、最後の戦いが。
「機関全速、取り舵10!!」
「主砲、左砲戦用意!!」
「目標、敵1番艦!!」
左に回頭しつつ、連装3基6門の47口径40センチ砲を、左舷側へと旋回させる。
同様の光景が、前方を行く「プリンツ・オイゲン」でも行われている筈である。
目標はイギリス艦隊旗艦「サンダラー」。
まずは敵の旗艦を潰す。
海戦のセオリーを、エアルはこの最終局面においても順守していた。
振り返り、背後を見る。
最愛の妻と目が合った。
シャルンホルストもまた、瞳を開けて真っ直ぐに夫を見つめる。
言葉はいらない。
ただ無言。
笑顔を浮かべ、頷きあうエアルとシャルンホルスト。
前を向くエアル。
その右手が大きく振り上げられた。
次の瞬間、
「撃ち方始め!!」
勢いよく振り下ろされた。
対するイギリス艦隊。
ボルス・フレイザー大将率いる本隊フォースAは、ついに射程距離内に仇敵「シャルンホルスト」を捉えていた。
こちらは、旗艦「サンダラー」を先頭に、「コンカラー」「デューク・オブ・ヨーク」が続く。
駆逐艦8隻は単縦陣を組み、後方から続行していた。
戦力差は圧倒的。
本来であれば、イギリス艦隊の勝利に疑いはない。
しかし相手は今次大戦において、常に不利な状況に置かれながらしぶとく戦い、常にイギリス海軍を翻弄して来た歴戦の巡洋戦艦。
1ミリと言えど、侮る事は許されなかった。
「敵艦隊、取り舵に転舵ッ こちらの進路を塞ぐ模様!!」
「取り舵、右砲戦用意!!」
フレイザーの命令を受け、左に回頭する「サンダラー」。
同時に3基の3連装40センチ砲は右舷側へと旋回する。
後続する「コンカラー」「デューク・オブ・ヨーク」も、旗艦に追随している。
各艦、主砲を右に向けて砲撃体制に移行、闇の彼方にいる「シャルンホルスト」へ照準を向ける。
「しかし妙ですな」
バーネット参謀長が、首を傾げながら告げる。
「敵戦艦は、こちらよりも優速な筈。なぜ、足の速さを活かして振り切らなかったのでしょう?」
「確かにな」
その点はフレイザーも気になっていた。
ドイツ艦隊が連合軍の船団を狙うなら、速力に任せて振り切ってしまえばいい筈。
しかしドイツ艦隊はそうはせず、わざわざ待ち構えていたかのように、イギリス艦隊との砲戦に突入しようとしている。
「こちらの追撃を、まずは排除しようと考えたのでしょうか?」
「可能性はある。だが、いずれにせよ、こちらにとっても望んだ状況だ」
敵艦隊を難攻不落の拠点から誘い出し、拠点その物も壊滅させる。
更に航空戦力を撃滅し、制空権を確保すると同時に、護衛戦力を原子アする。
そして、上がる最終幕。
水上戦闘で「シャルンホルスト」を沈める。
それで、イギリス軍の勝ちだ。
事は正に、フレイザーが思い描いた通りに進んでいた。
やがて、砲撃準備が整う両者。
互いに同航戦の形となる、独英両艦隊。
イギリス海軍の戦艦3隻が、ドイツ艦隊に全砲門を向けた。
その時、
闇の彼方で瞬く閃光。
「敵艦発砲!!」
絶叫する見張り員の声が響き渡る。
ドイツ艦隊が先制攻撃を仕掛けて来たのだ。
だが、イギリス艦隊も既に態勢は整っていた。
「撃ち方始め!!」
フレイザーの命令を受け、「サンダラー」の主砲が放たれる。
後続する「コンカラー」「デューク・オブ・ヨーク」も射撃を開始する。
闇夜の中で、両軍の放つ、鋼鉄製の火矢が交錯する。
間も無く、敵の砲弾が着弾する。
そう、思った時だった。
突如、「サンダラー」上空で、敵の砲弾が炸裂、強烈な火花をまき散らした。
「何ッ!?」
驚くフレイザー。
闇夜が一瞬、明るく照らし出される。
「シャルンホルスト」の砲弾は、命中前に空中で炸裂したのだ。
「これは……やつら、榴弾を撃ってきたようですな」
「先に装填済みの砲弾を撃ち切ってから、徹甲弾に切り替えるつもりか……」
主砲の揚弾塔内に、対空用の榴弾があった為、それを撃ちきらないと徹甲弾に切り替える事が出来ない。
先の戦闘で榴弾を使用した「シャルンホルスト」が、それを先に撃ち切ろうとしている。
フレイザーは、そう考えたのだ。
更に連続して斉射を放つ「シャルンホルスト」。
砲弾はやはり「サンダラー」上空で炸裂、多数の榴弾子が、英戦艦の甲板へと降り注ぐ。
だが、
程なく、フレイザーたちは、エアルの思惑を知る事となる。
尚も「サンダラー」上空で炸裂し、火花をまき散らす榴弾。
レーダー室から悲鳴じみた報告がもたらされたのは、暫くしてからの事だった。
「大変ですッ 対水上レーダー、ブラックアウト!!」
「対空レーダー、ブラックアウト!!」
「通信アンテナ損傷!!」
「何だとッ!?」
驚愕するフレイザー。
「奴等の狙いはこれかッ」
バーネットも舌打ちする。
数的不利が明らかなドイツ艦隊は、まずイギリス艦隊の目を潰しにかかって来たのだ。
ドイツ艦隊は、先に砲弾を使い切る為に榴弾を撃っていたのではない。予め、作戦に従って砲撃を行っていたのだ。
ドイツ艦隊の思惑に気付くのが遅れたせいで、旗艦「サンダラー」のレーダーは破壊されてしまった。
この暗がりで、レーダーが無いのは不利。
フレイザーは、素早く決断した。
「本艦は一時速力を落とし、レーダー、及び通信システムの修理を試みる。『コンカラー』『デューク・オブ・ヨーク』には、砲撃続行を命じろ!!」
先の砲撃で通信アンテナが損傷した「サンダラー」は、旗艦としての任に支障が生じてしまっている。
速やかに指揮能力を回復させるため、フレイザーは一時戦線離脱を決断した。
フレイザーの命令は、直ちに発光信号を用いて各艦に通達される。
フレイザーの命令に従い、陣形を改変するイギリス艦隊。
速度を落とす旗艦「サンダラー」に対し、逆に「コンカラー」と「デューク・オブ・ヨーク」は、速力を上げて前に出た。
その様子を見ながら、フレイザーは敵将アレイザーに思いを馳せる。
「なかなかやるなッ」
やはり、一筋縄ではいかない。
この戦い、尚も様相を見通す事は出来なかった。
対して、
イギリス艦隊の動きは、「シャルンホルスト」艦橋のエアルも把握していた。
「敵旗艦、電波輻射弱まりました!!」
「敵艦隊、陣形改変する模様ッ 2番艦が前に出ます!!」
「狙い通りだ」
ニヤリと笑うエアル。
まずは先手を取った。
フレイザーたちが看破した通り、エアルがまず狙ったのは、敵に対する「目つぶし」だった。
敵艦隊は先頭艦が旗艦である可能性が高い。その旗艦のレーダーをまずは潰し、指揮系統を混乱させる事が狙いだ。
通信アンテナもついでに破壊できたのは、ドイツ海軍にとっては僥倖だった。
絶望的な戦力差がある中で、できるだけ長く敵を引き付ける必要がある以上、こちらの有利な状況を作る必要がある。
エアルはその一手として、まずは徹甲弾ではなくタイプ・ドライを主砲弾に装填するよう命じた。
空中炸裂型の榴弾を敵旗艦に浴びせる事で、敵のレーダー、通信系統の麻痺を狙ったのだ。
その為、フォースBとの戦いで使用した徹甲弾を一旦主砲の薬室から抜き、タイプ・ドライを装填し直すよう命じた。
本来、装填中の主砲弾を抜いて、別の砲弾を装填し直す行為は、非効率なうえに事故が起こる危険性もある為、あまり推奨されたものではない。
しかし今回、エアルは敢えてその奇策を仕掛けた。
その結果、エアルが望んだ通り、イギリス艦隊の指揮系統を乱す事に成功した。
後は、こちらが有利なうちに、かき乱せるだけかき乱すのみ。
「行くぞッ 面舵一杯!! 全艦、右一斉旋回頭、『オイゲン』に通達ッ 《我に続け》!!」
エアルの命令に従い、舵輪は右に回される。
右に回頭する「シャルンホルスト」
先行している「プリンツ・オイゲン」でも、同様の光景が見えている。
「主砲、右砲戦用意!! 砲塔旋回急げ!!」
命令を発するエアル。
それを受けて「シャルンホルスト」は回頭を行いつつ、3基の砲塔を、左から右へと旋回させ始めた。
一方のイギリス艦隊も、態勢を立て直しつつあった。
レーダーが破壊され、射撃不能になった旗艦「サンダラー」が後退。
前に出た「コンカラー」と「デューク・オブ・ヨーク」が、改めてレーダー探知を始める。
点灯するスコープ。
だが、
モニターを見た瞬間、イギリス側は仰天した。
「敵艦隊、進路変更、我が艦隊に反航しています!!」
先ほどまでドイツ艦隊は「プリンツ・オイゲン」「シャルンホルスト」の並びで、西に進路を取っていた。
しかし今、「シャルンホルスト」「プリンツ・オイゲン」の並びに変更され、進路を東に取って進んでいる。
ドイツ艦隊は「サンダラー」のレーダーが損傷し、イギリス艦隊が陣形改変の為に探知が鈍ったわずかなタイミングで進路を変更したのだ。
更にエアルは、一斉回頭ではなく、一斉旋回頭を行った。
一斉回頭の場合、1番艦から順番に同一点で回頭を行う。進路変更が終わった後、並び順の変更はない。
しかし一斉旋回頭の場合、各艦毎にその場で回頭を起こない、進路変更が終わった後、艦の並び順は回頭前とは逆で、最後尾艦が先頭となる。
イギリス艦隊が状況を把握した時、ドイツ艦隊は「シャルンホルスト」を先頭に、「プリンツ・オイゲン」が続行、イギリス艦隊に対して反航戦の形になっていた。
正に機動力に勝るドイツ艦隊の特性を活かした、絶技とも言える艦隊機動であった。
2
「シャルンホルスト」の艦橋で、眦を上げるエアル。
今や、状況は完全に整った。
後はただ、「戦」の一字あるのみ。
「目標、敵3番艦、撃ち方始め!!」
エアルの号令と共に、
「シャルンホルスト」の主砲が放たれた。
目標は、3番艦に位置していた「デューク・オブ・ヨーク」。
進路変更し反航戦の形を取った結果、「シャルンホルスト」からは、イギリス艦隊最後尾の「デューク・オブ・ヨーク」が最も狙いやすい位置にいたのだ。
大気を切り裂いて飛翔する砲弾。
遅れて「プリンツ・オイゲン」も射撃を開始する。
闇を飛翔した砲弾が、態勢を立て直そうとするイギリス戦艦に向かう。
対して、イギリス艦隊はドイツ艦隊の予期せぬ機動を前に、照準からやり直している状態だった。
「デューク・オブ・ヨーク」を囲むように落下する砲弾。
林立する水柱が、英戦艦の左右両舷に突き立った。
「本艦の砲撃、敵艦を挟叉しました!!」
歓喜の声が響く。
初弾からの挟叉は、砲術士官にとっては理想と言って良い。
「シャルンホルスト」は、その生涯最後の戦闘において、自身最高とも言える砲撃を行ったのだ。
「オイゲン」が行った砲撃も、命中はしなかったが、「デューク・オブ・ヨーク」の右舷側に落下、至近弾となる。
主砲塔を旋回させた「デューク・オブ・ヨーク」から、砲火が放たれた。
続いて「コンカラー」も主砲を放つ。
36センチと40センチ。2種類の砲弾が、ドイツ巡戦を撃ち抜くべく、闇の中を飛翔する。
ほぼ同時に、「シャルンホルスト」「プリンツ・オイゲン」も主砲を放つ。
空中で交差する両者の砲弾。
イギリス戦艦の砲撃は、目標を捉えるには至らず、「シャルンホルスト」の周囲に水柱を突き上げる。
対して、先に挟叉した「シャルンホルスト」の砲撃は的確だった。
放たれた6発の砲弾は、うち2発が「デューク・オブ・ヨーク」を直撃。
1発は艦中央に命中し両用砲を破壊。
もう1発は、後部
この一撃で、「デューク・オブ・ヨーク」の第3砲塔は、一見すると無傷のように見える。しかし、内部では機構に歪みが生じて旋回不能、事実上に射撃不能に追い込まれた。
更に「オイゲン」の砲弾は、3発が命中。機銃や対空砲、指揮装置を破壊する。
イギリス側が次の砲弾を放つ前に、「シャルンホルスト」は3斉射目を発射。
その一撃は、「デューク・オブ・ヨーク」に3発命中した。
内、2発は装甲を貫通し、艦内で炸裂。艦内に火災を引き起こす。
残る1発は後部艦橋に命中、真上から叩き潰す形で粉砕した。
徐々にダメージが蓄積する「デューク・オブ・ヨーク」。
後部
必死に反撃を行うも、主砲1基を失い火力がほぼ半減した状態では、命中弾も望めない。
砲弾は「シャルンホルスト」を飛び越え、左舷側の海面100メートルほどの所へ落下した。
その間に「シャルンホルスト」の放った砲撃が、再度「デューク・オブ・ヨーク」に殺到して来た。
今度も命中は3発。
英戦艦の艦上に爆炎が容赦なく踊る。
1発は艦首に命中、非装甲部分を貫通し、艦首に大穴を開けた。
2発目は舷側の装甲を突き破り艦内に突入すると、缶室内部にて炸裂、ボイラーを吹き飛ばした。
最後の1発は艦橋に命中。艦長以下、その場にいた全員を抹殺した。
沈黙し、がっくりと速度を落とす「デューク・オブ・ヨーク」。
艦首に空いた大穴から海水が流入し、徐々に傾斜が増していく。
やがて、海上に停止する「デューク・オブ・ヨーク」。
艦内ではダメージコントロールで大わらわだが、指示を出すべき艦長以下上層部が戦死した為、混乱が広がっている様子だ。
「デューク・オブ・ヨーク」が、もはや脅威にならない事は、火を見るよりも明らかだった。
「デューク・オブ・ヨーク」の沈黙を確認し、エアルは次の命令を発した。
「敵3番艦、完全に沈黙しました!!」
「目標変更、敵2番艦!!」
残る「コンカラー」に目標を定めるべく、「シャルンホルスト」は主砲を旋回させる。
とは言え、流石にここまで来れば、イギリス海軍も体勢を立て直してくる。
「コンカラー」も果敢に主砲を発射。その射撃精度は徐々に増し、「シャルンホルスト」の周囲に落下し始める。
突き上げる水柱は、かなり艦から近い場所に落下する。
至近弾の衝撃と瀑布が「シャルンホルスト」を容赦なく襲った。
「面舵10、機関全速!! 急げッ 次は当てて来るぞ!!」
増速する「シャルンホルスト」。
「コンカラー」が主砲を放つ。
しかし、砲弾は全速航行する「シャルンホルスト」の後方に着弾。巨大な水柱を突き上げる。
ドイツ巡戦の加速を読んでいなかった為、「コンカラー」の放った砲弾は、全て「シャルンホルスト」から逸れて落着した。
ニヤリと笑うエアル。
狙い通りだ。
相手は最新鋭のライオン級戦艦。まともに戦っては勝ち目は薄い。
機動力を持って敵の攻撃を回避しつつ砲撃を行うのだ。
そう判断し、エアルは命令を下す。
その時だった。
またしても、状況は動きを見せる。
「方位0-1―0に敵艦隊ッ!! 数3!!」
「ッ もう追い付いて来たかッ」
舌打ちするエアル。
先ほどの砲戦で圧倒したフォースBが態勢を立て直し、ドイツ艦隊を追撃して来たのだ。
正直、タイミングとしては、聊か宜しくない。
このままではドイツ艦隊は、敵に挟撃を受ける事になる。
どうする?
一旦、敵の戦艦部隊を引き離し、巡洋艦部隊を相手取るか?
あるいは、巡洋艦は無視して、戦艦に砲火を集中するか?
沈思するエアル。
その時だった。
「『オイゲン』より入電ッ 《我を顧みず、攻撃を続行されたし》!!」
その言葉の意味。
それを瞬時に理解し、エアルは唇を噛みしめる。
シャルンホルストもまた、険しい表情で状況を見守る。
後部艦橋にいるヴァルターから連絡が入ったのは、その時だった。
《「オイゲン」、取り舵に転舵、隊列離れますッ!! 後方の敵艦隊に向かう模様!!》
後続していた「プリンツ・オイゲン」が、速力を上げて、左へ回頭する。
「プリンツ・オイゲン」は、「シャルンホルスト」が対戦艦戦闘に集中できるよう、フォースBの巡洋艦部隊を単艦で相手取る気なのだ。
「オイゲン…………」
残った最後の友人を思い、シャルンホルストは呟きを漏らした。
闇の中で後続していた重巡洋艦が離れていく。
その光が、徐々に見えなくなっていった。
3
隊列を離れ、フォースBに向かう「プリンツ・オイゲン」。
その艦橋では、少女が悲壮な決意と共に佇んでいる。
視線の先には、3隻の英巡洋艦。
先に交戦したフォースBの生き残り。「ベルファスト」「シェフィールド」「ロンドン」の3隻だ。
オイゲンは宿敵たる英巡3隻を、真っ向から見据える。
「…………ようやく、です」
少女の可憐な唇から漏れる、自嘲とも取れる呟き。
「ようやく、私は贖罪が出来る」
少女の脳裏にある物。
それは忘れもしない、4年前。
ライン演習作戦において、救えなかった「ビスマルク」の姿。
ドイツ海軍の期待を一身に背負って誕生し、その期待に背かない勇猛な戦いぶりを示しながらも、ついに力尽きて波間に沈んだ巨大戦艦。
あの戦いは、正に転換点だった。
あそこでもし、「ビスマルク」が沈まず、ドイツ海軍が予定通り大西洋での作戦を遂行出来ていたら……
あるいは、戦局はもっと違った流れになっていたかもしれない。
その「ビスマルク」を護衛する任に当たりながらも全うできなかった事が、オイゲンの心に深く、深く刺さり続けていた。
「ビスマルク」を守れなかった。
それすなわち、ドイツを今の苦境に追いやった責任は自分にある。
誰もそんな事で彼女を責めたりはしなかった。
だがそれでも、オイゲンは己を許す事が、どうしても出来なかったのだ。
だからこそ、
今、
「全ての罪を清算しますッ 今日、ここで!!」
決意と共に叫ぶ少女。
その可憐な双眸は、闇から迫る英巡洋艦を睨み据える。
「あなた達を、シャルさんの元へは行かせない!!」
次の瞬間、
「プリンツ・オイゲン」は8門の20.3センチ主砲を撃ち放った。
接近するフォースB旗艦「ベルファスト」の艦橋でも、接近する「プリンツ・オイゲン」の姿は捉えていた。
「この期に及んで、単艦で向かって来るなんてッ」
「無謀……とも言い切れんか」
愕然とするベルファストの横で、リオンも険しい表情で「オイゲン」を見つめる。
「プリンツ・オイゲン」から発せられる、鬼気迫るような気配。
己の全てを投げ出しても尚、守るべきものの為に戦おうとする意志が、あのドイツ重巡洋艦から噴き出しているかのようだ。
侮ればやられるのは、自分達になりかねない。
「面舵一杯、主砲、左砲戦用意!! 目標、敵ヒッパー級重巡!!」
「『シェフィールド』『ロンドン』に通達、《準備出来次第、射撃開始せよ》!!」
右に回頭しつつ、主砲を左へと旋回させる「ベルファスト」。
接近する「オイゲン」が主砲を放ったのを機に、射撃を開始する。
1発当たりの威力に勝る「オイゲン」に対し、手数に勝る「ベルファスト」。
互いに砲撃を交わしながら距離を詰める。
互いの砲弾が海面を叩き、水柱が乱立する。
両者の戦い、先制したのは「オイゲン」だった。
3斉射目にして、「オイゲン」が放った砲弾は「ベルファスト」を直撃した。
激震に見舞われる「ベルファスト」。
命中は2発。
「オイゲン」の20.3センチ砲弾直撃により、「ベルファスト」の甲板中央で火災が発生する。
「火災消火、急げ!!」
リオンが叫ぶ中、ベルファストは目を閉じ、必死に艦の制御に集中する。
撃ち放たれる15.2センチ砲弾。
飛翔する砲弾が、ドイツ重巡へと落下。
うち、2発が命中し、閃光が瞬くのが見えた。
しかし、歓喜に沸く間は無かった。
「オイゲン」の放った砲弾が、再び「ベルファスト」を直撃したのだ。
今度は、前部甲板を中心に直撃弾を受け、艦橋にいたリオン達の視界が一瞬、閃光に焼かれたようにホワイトアウトする。
同時に、大きなものが壊れるような、不快な音が鳴り響いた。
何か深刻な事態が起きている。
そう感じたリオン。
程なく上げられた報告は、それが杞憂ではなかった事を物語る。
「A砲塔損傷!!」
報告を聞き、リオンは舌打ちした。
「オイゲン」の一撃は、「ベルファスト」の第1砲塔脇に命中。水平装甲に食い込む形で炸裂した。
砲弾炸裂の衝撃は砲塔の内部構造にまで及んでいた。A砲塔のターレット・リングにゆがみが生じ、射撃不能になってしまったのだ。
火力の25パーセントを削がれた「ベルファスト」。
だが、
「まだよッ」
痛みを噛み殺して、ベルファストが叫ぶ。
「まだ、行けるッ」
「砲撃続行だ!!」
相方の少女の気迫に答えるべく、リオンも鋭く命じる。
残る9門の主砲で反撃する「ベルファスト」。
「オイゲン」も負けじと、主砲を撃ち放つ。
互いに得る命中弾。
「オイゲン」の甲板中央付近に、「ベルファスト」が放った砲弾命中した砲弾により、火災が発生する。
逆に「オイゲン」の主砲も、「ベルファスト」の
ベルファストの艦上を覆い尽くすように火災が拡大。リオンは消火を命じるも、戦闘中ではそれもままならない。
対して「オイゲン」も直撃弾を受け、高角砲や機銃が数基破壊されるも、主砲、機関に損傷はなく全力発揮可能。
状況は「オイゲン」が優勢に進むかに思われた。
だが、「オイゲン」の有利は、長くは続かなかった。
「敵2番艦、射撃開始しました!!」
「ッ!?」
報告を聞き、オイゲンは息を飲む。
フォースBの2番艦に位置する「シェフィールド」が、回頭を終えて砲撃を開始したのだ。
そこへ呼応するように、損傷を押して「ベルファスト」も、後部2基の主砲塔を用いて砲撃を再開する。
2方向から砲火を浴びせられる「オイゲン」。
やむを得ず、「オイゲン」艦長は分火を決断。
前部砲塔で「ベルファスト」に対し砲撃続行する一方、後部艦橋に命じ、C、D砲塔で「シェフィールド」を撃つ「オイゲン」。
分火ははっきり言って悪手だが、1隻で複数の艦を相手取る以上、やむを得ない選択だった。
「ここで、倒れるわけにはいきません!!」
気迫で叫ぶ、重巡少女。
少女の想いに答えるように、「オイゲン」も咆哮する。
交わされる砲火。
1対2の状況で、尚も「オイゲン」は奮戦する。
「ベルファスト」の火力低下に助けられてか、尚も戦闘力を維持したまま、英軽巡2隻を相手取り、互角に戦って見せる。
まるで二刀流の剣士が、左右から襲い来る敵の剣閃を裁いているかのようだ。
無論、「オイゲン」も被弾する。
しかし、この状況下で尚、「オイゲン」は「ベルファスト」に1発、「シェフィールド」に2発、直撃弾を喰らわせる。
「ベルファスト」艦橋で、思わずリオンが焦慮を覚えた程の奮戦ぶり。
しかし、
「オイゲン」の奮戦も、やがては収束の時を迎える。
フォースBの残る1隻、「ロンドン」が、戦線に加入したのだ。
先の交戦で「シャルンホルスト」の40センチ砲弾を喰らい、砲塔1基を吹き飛ばされた「ロンドン」だが、残る3基6門の主砲で「オイゲン」へ砲撃を浴びせる。
艦周囲に林立する水柱。
そんな中で閃光が閃き、闇夜に爆炎が踊る。
命中弾の衝撃が、容赦なく「オイゲン」を襲った。
さしもの「オイゲン」も、これ以上分火は出来ない。
ここに来るまでに、既に「ベルファスト」「シェフィールド」から多数の15.2センチ砲弾を喰らっていた「オイゲン」は、既に限界を超えて戦っていた。
3隻から殺到する砲弾。
命中弾が連続する。
「ベルファスト」の砲弾は艦首を吹き飛ばす。
「シェフィールド」の砲撃によって、A砲塔が旋回不能となる。
「ロンドン」の砲撃が装甲を貫通、艦内部を破壊する。
基準排水量1万4000トン。列強各国が保有する巡洋艦の中でもひときわ大きく、防御力に優れるアドミラル・ヒッパー級重巡洋艦の艦体が、悲鳴を上げているかのようだ。
無論、「プリンツ・オイゲン」も反撃する。
損傷に耐えながら主砲を撃ち放ち、回避運動を試みる。
苦し紛れに魚雷を発射するも、命中する事は無かった。
「まだ……まだ、です!!」
執念で立ちながら、オイゲンは眦を必死に上げる。
全身の傷から血が噴き出し、満身創痍の様相。
それでも尚、倒れる事を拒み続ける。
「シャルさんを……エミーちゃんを……絶対に、守って見せます!!」
叫びながら、主砲を撃ち放つ「プリンツ・オイゲン」。
しかし、事この段階になっては最早、戦力差を覆す事は出来ない。
たちまち、複数の砲弾が命中し、炎を噴き上げる「オイゲン」。
その地獄のような状況ですら「ベルファスト」に2発の命中弾を与え、小規模の火災を発生させた。
しかし、
それが限界だった。
逆に、英巡洋艦3隻から集中砲火を浴び、全艦炎に覆われる「オイゲン」。
既にダメージは機関部にまで達し、速力も10ノット以下に低下している。
やがて、ノロノロと惰性で航行しながら、「オイゲン」は海上に停止する。
最後に、
炎上し、海上に停止する「プリンツ・オイゲン」。
その艦橋の床に、少女は座り込む。
既に艦長以下、艦橋要員たちも床に倒れている。彼等の魂が天に召されている事は、確かめるまでも無かった。
「ここまで……ですね」
そのまま、床に倒れ込むオイゲン。
既に体に力は入らず、意識が急速に失われていくのが判る。
薄れゆく意識の中で、虚脱感が徐々に満たしていく。
後悔はある。
敵の巡洋艦を、結局阻止する事は出来なかった。
シャルンホルストを、
友達を、守る事が出来なかった。
ただ、
この戦いは、あくまでも脱出艦隊が逃げ切るまでの時間稼ぎ。
その為の役目は、全うできたと思う。
それに、
「まあ……良いか……今回は、最後まで……できたし」
奇妙な満足感を覚えながら、目を閉じる少女。
沈んでいく、意識。
耳元に、優しく呼びかける声が聞こえたような気がした。
それは、いったい何だったのか?
共に戦った艦長たち戦友の声なのか?
それともヒッパー、ブリュッヒャーと言った、先に沈んだ姉達の声なのか?
あるいは、
かつて守りたくて、それでも守れなかった、あの気高き女性の声なのか?
ついに最後まで分からなった。
ただ、その優しい声に身を委ねた瞬間、
オイゲンの意識は、二度と戻らない永遠の虚無へと落ちていった。
「『プリンツ・オイゲン』、通信途絶!!」
「オイゲンッ」
報告を受け、悲痛な声を発するシャルンホルスト。
エアルもまた、唇を噛みしめて天を仰ぐ。
「……とうとう、俺達だけになったか」
この海域にいるドイツ艦は、もはや「シャルンホルスト」1隻。
しかし、稼ぐべき時間はまだまだある。
ここから始まるのは、真に孤独な戦い。
しかし、守るべきものを、守る為の戦いでもある。
負ける事は、決して許されない。
「大丈夫だよ」
立ち上がったシャルンホルストがそっと、夫の手を取る。
「ボクは、最後まで、おにーさんと一緒にいるから」
「シャル……ありがとう」
そう言って、エアルも少女の手に、自分の掌を重ねる。
飛んでくる敵砲弾。
その水柱をかき分け、巡洋戦艦「シャルンホルスト」は進む。
ただ、前進あるのみ。
第93話「オイゲン、挺身」 終わり