蒼海のRequiem外伝 ~北天の流星~   作:ファルクラム

96 / 97
第95話「暁に謳う」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 砲煙が止んだ海上。

 

 静寂が戻り、ただ波のうねりだけが、静かな音を立てて存在していた。

 

 波が揺らす海面に、力尽きた巡洋戦艦は浮かんでいた。

 

 海上に停止した「シャルンホルスト」。

 

 艦体は左舷側にやや傾斜し、艦首から海面に沈み込む形になっている。

 

 急速に艦内を満たす海水により、喫水は徐々に上がりつつある。

 

 それは即ち、彼女が緩慢な死に向かっている事を意味していた。

 

 搭載されている全ての火砲は既に沈黙、艦上には多数の破孔が開き、そこから黒煙が噴き出し、「シャルンホルスト」の姿は、半ば覆い隠されている。

 

 主砲に関しては、最初に破壊された第1砲塔は完全に叩き潰され、砲身も失われている。

 

 第2砲塔は、左舷側に向いたまま、2本の砲身はだらりと下がり、俯角が掛かった状態で停止していた。

 

 ただ1基、最後まで抵抗した第3砲塔だけは、砲身に仰角を掛けて天を睨み、未だに抵抗の意志を示しているかのようだった。

 

 左右両舷の高角砲、機銃、魚雷発射管は完全に破壊。無事な物は1基も存在しなかった。

 

 艦中央付近のカタパルトデッキ、煙突も吹き飛ばされている。

 

 更に後部艦橋も、半ばから断ち切られており、上半分が消失している。そこにいたヴァルター・リード以下の乗組員たちが、既に天に召された事は明らかだった。

 

 そして、

 

 半壊しつつも、辛うじて原形をとどめている艦橋では、まだ動く影がまだあった。

 

 エアルだ。

 

 満身創痍の体で、どうにか窓枠に掴まりながら立ち上がる。

 

 周囲には、幕僚や乗組員たちが、軒並み倒れているのが見える。

 

 皆、動き出す様子はない。彼等の命運が、既に定まっている事は明らかだった。

 

 そんな中、エアルは目指す人物を探して視線を巡らせる。

 

 目当ての相手は、すぐに見つかった。

 

「シャル!!」

 

 自身も重傷を負いながらも、エアルは床に倒れている最愛の妻の下へ行き、抱き起す。

 

「シャル……シャルッ しっかりッ」

 

 必死に呼びかけるエアル。

 

 目を閉じたまま、ぐったりとしているシャルンホルスト。

 

 だが、

 

「シャルッ」

「…………ん」

 

 再度、呼びかけると、微かな呼吸と共に、巡戦少女は目を開いた。

 

 その様子に、ホッとするエアル。

 

「お……にー、さん…………」

「うん」

 

 ゆっくりと声を出すシャルンホルストを、抱きしめるエアル。

 

 既にイギリス海軍からの砲撃は止んでいる。

 

 フレイザーたちも、これ以上の攻撃は不要と判断したのだろう。

 

 それは、沈みかけの艦にこれ以上、無駄な砲弾を使う必要はないという合理的判断故か、あるいは、死にゆく者への情け故かは分からない。

 

 ただ、エアルにとってはありがたい話だった。

 

 これで、最後に残ったわずかな時間を、妻と静かに過ごす事が出来る。

 

「終わり……だね」

「ああ、よく、頑張ったよ」

 

 そう言って、少女を抱きしめるエアル。

 

 既に体に力が入らないシャルンホルストは、ただ、夫に身を委ねる。

 

 しっかりと抱き合う2人。

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水平線に上った輝きによって、2人の横顔が明るく照らし出された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思わず、顔を上げる2人。

 

 水平線を照らす光は急速に広がり、やがて海全体を照らし出す。

 

「…………あ……ああ」

 

 シャルンホルストが涙を流す。

 

 この瞬間。

 

 この太陽を勝ち取るために、自分達は戦ったのだ。

 

 エアルは、必死に彼女を抱き起す。

 

「判る、シャル? 見える?」

「うん。うんッ」

 

 エアルの問いかけに、必死に頷くシャルンホルスト。

 

 涙にぬれる瞳に、間違いなく上る曙光。

 

 輝く海原。

 

 これこそが、待ち望んだ勝利の証。

 

「おにーさんッ ボク達……これで、ボク達…………」

「ああ、俺達の、勝ちだ」

 

 2人で、しっかりと、焼き付ける。

 

「暁の水平線に、勝利を刻んだぞ」

 

 

 

 

 

 一方のイギリス海軍もまた、上り始めた曙光の中にあった。

 

 既に砲撃は停止。

 

 沈みゆく「シャルンホルスト」を遠望しながら、艦隊は取り囲んでいた。

 

「提督、結果が出ました」

「『コンカラー』と『デューク・オブ・ヨーク』は、やはりダメだったか?」

「はい…………」

 

 問いかけるフレイザーに、バーネットは力なく答えた。

 

 弾薬庫が誘爆した「コンカラー」は、どうにもならなかった。

 

 「デューク・オブ・ヨーク」も、既に総員退艦命令が出されていた。

 

 戦線離脱した後、艦内では必死にダメージコントロールが行われた「デューク・オブ・ヨーク」。一時は浸水を食い止め、助かるかと思われたがその後、別箇所から拡大した火災を食い止める事が出来ず、放棄のやむなきに至った。

 

 やはり艦長や副長が戦死し、的確な指示を出せる人間がいなくなったのが痛かったようだ。

 

 その他、重巡洋艦「ノーフォーク」、駆逐艦3隻を喪失。旗艦「サンダラー」や軽巡洋艦「ベルファスト」「フィジー」を初め、多くの艦が損傷していた。

 

 あまりに大きすぎる損害。

 

 大きすぎる犠牲。

 

 果たして、

 

 そこまでして、沈めなくてはならない相手だったのか「シャルンホルスト」は?

 

 あるいは、

 

 そこまでしてでも、沈めなくてはならない相手だったのか「シャルンホルスト」は?

 

 その審判は、いずれ下される事となるだろう。

 

 それにしても、終わってみれば疑問が残る戦いだったのは確かだ。

 

「果たして、彼等は何がしたかったのかな?」

 

 燃える「シャルンホルスト」を見つめながら、フレイザーは呟いた。

 

 逃げようと思えば、彼等は容易に逃げられたはずなのだ。

 

 高速を活かしてイギリス海軍の追撃を振り切り、船団に突入する事も出来たはず。

 

 にも拘らず、ドイツ海軍はまるで死に急ぐかのように、正面からの対決を挑んできた。

 

 彼我の戦力差を鑑みれば、多少の善戦は出来たとしても、結果は見えていたはずなのに。

 

 あまりにも不可解なドイツ艦隊の行動に、疑問を持たざるを得なかった。

 

 その答えは、程なくもたらされた。

 

「閣下、所在不明だった、もう1隻の敵空母の位置が判明しました」

「何、どこだ?」

「は、それが…………」

 

 バーネットは、手にした1枚の電文を差し出す。

 

 それを読んで、フレイザーは怪訝な面持ちになる。

 

「ベルゲン沖? しかも《入港の兆しあり》、だと?」

「どういう事でしょう?」

 

 てっきり、近海で待機し、攻撃の機会を伺うか、戦線を浸透して連合軍の船団を狙うと思っていた敵空母が戦線とは関係ない遥か南におり、それも奮闘する主力艦隊を無視して港に入ろうとしているとは。

 

 だが、続く一文を見て、フレイザーは目を細めた。

 

「……《敵艦隊は、複数の輸送船を伴う》だと?」

 

 その電文を読み、暫し沈思するフレイザー。

 

 ややあって、ある事に思い至り顔を上げた。

 

「ロブ、北ノルウェーの敵拠点を攻撃した爆撃隊から、敵の抵抗があったという報告は受けているか?」

「いえ、ありません。爆撃隊からは、敵拠点からの抵抗は一切なく攻撃終了。まるで演習のようだったと報告を受けています」

「…………」

 

 考え込むフレイザー。

 

 執拗に抵抗した敵の主力。

 

 戦線とは関係ない場所で発見された空母と船団。

 

 一切の抵抗が無かった敵拠点。

 

 それが意味する事とは…………

 

「…………そう言う事か」

「閣下?」

 

 ややあって、フレイザーは、確信したように顔を上げた。

 

 通常では考えられない事。

 

 しかし、

 

 全ての事象を繋ぎ合わせた先にある可能性は、明確に芯を射ていた。

 

「彼等は囮だったのだよ。恐らく、ベルゲン沖にいる空母と船団には、ノルウェーから脱出した兵士達が乗っているはずだ。『シャルンホルスト』以下のドイツ艦隊は、彼等を守る為に囮の役を担ったのだ」

「まさか、その為に、彼等は犠牲になったというのですか? それも自ら?」

「信じがたい話だ。だが、そう考えれば、全ての辻褄が合う」

 

 愕然とする。

 

 何という悲壮な決断。

 

 そして、

 

 何という尊い使命感。

 

 敵であるドイツ軍が、そこまでの決意を持って戦っていた事に、今や大いなる敬意と畏怖を感じていた。

 

「…………マイクを貸してくれ」

 

 フレイザーはそう言うと、兵士が差し出したマイクを取った。

 

 チャンネルを、イギリス海軍の全艦艇につなげる。

 

「諸君…………」

 

 語り始めるフレイザー。

 

 突然聞こえて来た司令官の声に、誰もが耳を傾ける。

 

「諸君、戦いは終わった…………シャルンホルストとの戦いは…………」

 

 一拍置いて、

 

 フレイザーは自嘲を含めるようにして言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「残念ながら、我々の負けだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 動揺が広がる。

 

 戦いに勝ったと思っていた将兵、艦娘も少ない中、指揮官が敗北宣言をするとは思わなかったのだ。

 

 フレイザーは続ける。

 

「彼等は、彼等の持てる全てを賭けて、守るべきものを守り通した。故に、この戦いは我々の負けだ」

 

 全てを投げうってでも、自分の大切な人たちを守り通したドイツ海軍。

 

 あの鬼気迫るような戦いぶりには、改めて戦慄せざるを得なかった。

 

「諸君」

 

 フレイザーは、諭すような声で続ける。

 

「もし諸君が、今後の海軍人生において、自身に倍する敵と対峙する事があったなら、シャルンホルストと、彼女を指揮した提督同様、勇敢に戦い艦を指揮する事を、私は切に望む次第である」

 

 そう言って、フレイザーはマイクを置くのだった。

 

 

 

 

 

 この戦いの後、ボルス・フレイザーは、今回の敗戦の責任を取るとして、辞表を提出している。

 

 しかし英海軍上層部は、北極海海戦はあくまでイギリス軍の勝利であると主張し、フレイザーの辞表を受理しなかった。

 

 結局、フレイザーはその後も要職に着き、定年を迎えるまで海軍に在籍し続けた。

 

 晩年、記者からの取材を受けた際、フレイザーは改めて、北極海海戦は自分の負けであると答えると、こう続けた。

 

「負けはしたが、不思議と、私の中で悔しさのような物は無かったよ。むしろ、晴れ晴れした思いさえあった。いずれにせよ、負け戦で、あのような気分になったのは、後にも先にも、あれ一度きりだったがね」

 

 と。

 

 

 

 

 

 フレイザーの演説は、フォースB旗艦「ベルファスト」でも聞こえていた。

 

 「プリンツ・オイゲン」、更に「シャルンホルスト」と戦い、4基ある砲塔の内、3基を破壊され、更に艦内部、機関にまで損傷が及んだ「ベルファスト」は、正に満身創痍と言ったところだ。

 

 既に自力航行できず、僚艦「シェフィールド」に曳航されている状態だった。

 

 ベルファスト自身、艦橋に駆け付けてくれた軍医から治療を受けていた。

 

 そんな中、リオンは艦橋に立ち、彼方で燃え盛る「シャルンホルスト」を見守っていた。

 

「…………良かった」

「え?」

 

 治療を受けながらベルファストは、リオンが呟いた言葉に顔を上げる。

 

「この地獄みたいな戦争で、最後に戦った相手があんな勇敢な奴等で、本当に良かった」

「…………そうだね」

 

 頷くベルファスト。

 

 リオンは踵を揃えると、沈みゆく「シャルンホルスト」に、見事な敬礼を行った。

 

 

 

 

 

 ベルゲンに入港する、ドイツ海軍脱出艦隊。

 

 旗艦「ペーター・シュトラッサー」の艦橋からも、近付いてくるフィヨルドの港が見えていた。

 

 桟橋が近付く。

 

 その様子を、サイアは涙で滲む瞳で見つめていた。

 

「アレイザー達のおかげだ」

 

 傍らに立ったラインハルト・マルシャルが呟く。

 

「彼等のおかげで、我々は無事にここまで来れたんだ」

「兄さん…………シャル…………」

 

 自分達がここに来れたという事は、2人は、もう…………

 

 腕の中のエミーリアを、ギュッと抱き締める。

 

 2人の忘れ形見であり、希望の象徴となった少女が、静かな寝息を立てていた。

 

 

 

 

 

 動く者が、誰も居なくなった「シャルンホルスト」。

 

 その艦橋も、例外ではない。

 

 エアルとシャルンホルストは、互いに抱き合う形で床に倒れていた。

 

 既に総員退艦は発令し、艦内に残っていた者達は脱出を始めている。

 

 彼等の内、どれほどの人間が生き残れるかは分からない。

 

 しかし、僅かでも生き残り、戦後、祖国に戻って復興の役に立ってくれれば、と思う。

 

「ねえ……おにーさん」

「うん?」

 

 腕の中のシャルンホルストから声を掛けられ、エアルは頷く。

 

 既に2人とも致命傷を受けており、その命が長くは続かないであろう事は明白だった。

 

 ただ、残された時間を穏やかに過ごせることだけが幸せだった。

 

「ボク……楽しかったよ……おにーさんと、一緒にいられて……いっぱい、いろんな所に行って……いろんな事して……エミーも生まれて……ほんとうに……とっても、とっても楽しかったよ」

「……ああ、俺もだよ」

 

 あの時、

 

 着任したキール軍港で彼女と出会い、共に過ごし、共に戦い、愛し合い、エミーリアが生まれ……

 

 本当に、幸せな日々だった。

 

「……けどね」

 

 穏やかな笑みを浮かべながら、シャルンホルストは続ける。

 

「本当は、もっと色んな事、やりたかったんだよ」

「うん」

「おにーさんと、エミーと、一緒に遊びに行ったり、旅行に行ったり……外国とかも行ってみたかったな」

「そうだね。家族旅行とか、俺もしたかったよ」

「それに、家族3人で、静かに暮らすのも良いかも」

「ああ、それも良いな」

「あ、ごはんは、おにーさんが作ってね」

「シャルも頑張りなよ」

「えー だって、おにーさんが作ってくれた方が、絶対美味しいじゃん」

「しょうがないな……まあ、良いけど」

「エミーが大きくなって、学校行くようになったら、授業参観とか、運動会とか、色々やる事増えるね」

「勉強なんかできなくても良いから、元気に育ってほしいよ」

「そうだね……それで、もっと成長したら、彼氏とか連れてきちゃったりして」

「それは…………まだ、早いんじゃない?」

「あ、おにーさん、今、嫉妬したでしょ」

「娘の彼氏に、嫉妬しない父親がいるなら、会ってみたいね」

「えー……おとーさんとか?」

「あれは例外」

 

 笑いあう2人。

 

 残り少ない時間は、着実に減っていく。

 

「シャル……ありがとうね」

「ううん。ボクの方こそ。ありがとう。おにーさん」

 

 心地よい温もりに包まれながら、

 

 目を閉じるエアル。

 

 本当に、

 

 本当に、楽しかった。

 

 こんな思いをしながら死ねる自分は、本当に幸せだ。

 

 もう、目は見えない。

 

 ただ、

 

 抱きしめたシャルンホルストの温もりだけは、最後まで感じている事が出来た。

 

「それでね、おにーさん」

「…………」

「おにーさん?」

 

 シャルンホルストの呼びかけに、エアルは応えない。

 

 ただ、

 

 幸せそうに、

 

 本当に、幸せそうに、

 

 穏やかな笑みを浮かべながら、

 

 瞳は、静かに閉じられていた。

 

 その寝顔のような表情を見ながら、

 

 シャルンホルストは、エアルの胸に身を預ける。

 

「待ってて、おにーさん。ボクも、すぐに行くからね。どこまでも、一緒だよ」

 

 そう言うと、

 

 シャルンホルストも、静かに目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エミー……どうか、パパとママの分も幸せになってね…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「シャルンホルスト」が沈む。

 

 燃え盛る炎が、沈む事によって消火されていくのが判る。

 

 立ち上る水蒸気が、沈み行く艦体を覆い尽くして見えなくする。

 

 その様子を、イギリス艦隊は遠巻きに眺めながら見送る。

 

 艦橋では、伴侶たる提督と艦娘が、互いにしっかりと抱き合いながら沈み行く。

 

 ただ1人の、愛しい娘の幸せを願い、

 

 死闘の末に勝ち取った、暁の曙光に照らされながら。

 

 

 

 

 

第95話「暁に謳う」      終わり

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。