部品を交換し、ねじを丁寧に締める。
一通りの作業を終え、試運転をする。
蒸気漏れも、機械の不具合も無い。
どうやら故障の原因は、経年劣化による部品の摩耗だったらしい。
古くなった部品を外し、新しい物と交換すれば問題は無かった。
「よし、終わり、っと」
作業を終えたサイア・アレイザーは、煤で汚れた額に浮かぶ汗をぬぐう。
そんなサイアに、ボイラーの修理を頼んだ家主の老婆は笑顔で応じる。
「いつも悪いね、サイア。はいこれ、修理代だよ」
「ありがとうございます。また不具合があったら、いつでも呼んでください」
そう言うとサイアは笑顔で老婆と別れ、家路へと付くべく自転車にまたがるのだった。
田舎道で、自転車を走らせる。
舗装されていない地面の振動が、ハンドルを握る手に直に伝わってきていた。
3年前に知人から譲り受け、以後、整備しながら使っている自転車は、今やサイアにとって欠かす事の出来ない相棒となっていた。
第2次世界大戦の終結から、5年の歳月が流れた。
世界は落ち着きを取り戻し、大戦の火は遥か彼方へと過ぎ去ろうとしている。
かに見えた。
少なくとも表面上は。
しかし、多くの人々が、ようやく取り戻した平穏を過ごす中、鉄のカーテンの奥では、誰にも知られる事のないまま、火種は不気味に燃え続けていた。
大戦後、連合国内で起こったのは、醜いまでの勢力争いだった。
特に大戦中に勢力を拡大させたソ連は、米英仏に対し、強硬に自分達の要求を主張。
確保した領土の自陣への編入と、賠償金の獲得、鹵獲兵器の引き渡し。
まるで当然の権利だと言わんばかりに、ソ連の要求は際限が無かった。
それに対し、連合国側も一歩も引かなかった。
結果、大戦前から存在した米英を始めとした西側諸国と、ソ連を中心とした東側諸国との溝は、大戦後には決定的なまでに拡大。
地球上を舞台に、東西両陣営が一触即発の状態で睨み合う事態となった。
超大国となったアメリカとソ連が、実際に砲火を交わす事はない。
しかし裏では、スパイを用いた諜報戦、被支援国同士の代理戦争が無数に勃発。
後に多くの悲劇を生み、無数の罪なき命を闇に飲み込む事になる、「東西冷戦」は、既に始まっていた。
大戦後の停戦交渉において、ドイツは国土を東西に分断され、西ドイツは米英主体の自由主義陣営に、東ドイツはソ連主体の共産主義陣営に組み込まれた。
ベルリンも東西に分断され、中央には国境を隔てる巨大な壁、所謂「ベルリンの壁」が築かれた。
大戦が終わって尚、ドイツは冷戦の最前線に立つ事となったのだ。
しかし、ドイツに掛けられた条件は、かつて第1次世界大戦終結後に掛けられた条件に比べれば、幾分か緩和されていた。
これはかつて、ドイツを必要以上に追い込みすぎた結果、ヒトラーと言う怪物が生まれるきっかけとなった苦い教訓故であると言われている。
加えて、東ドイツはソ連政府の支援を受け、軍備を着々と増強している。
それを考えれば、西ドイツは東ドイツ、更にはソ連を始めとした共産主義陣営への防波堤としての役割も期待されている。
米英政府からすれば、嫌でも西ドイツを支援しない事には、自分達の身すら危うい所であった。
そのような状況である為、東西ドイツの復興は、少なくとも第1次大戦直後よりはスムーズに行われていた。
勿論、その復興が打算と謀略の産物である事は、誰の目から見ても明らかだが。
かつての同盟国に目を向ければ、イタリアは比較的幸運だった。
イタリアは早期に連合軍に降伏した事もあり、降伏時における条件は緩和され、ある程度まとまった戦力を保持する事も許された。
驚いたのは極東の同盟国、日本だった。
日本は世界第3位と言われた海軍は壊滅、更に世界で唯一、原子爆弾が投下され、地方都市である広島が消滅。無数の犠牲者を出した。
しかし、帝国海軍は残る戦力を結集。多くの犠牲を払いながらも、2発目、3発目の原爆投下阻止に成功。
事ここに至り、日本との戦争にメリットを見いだせなくなったアメリカ政府は、停戦を打診。
日本は枢軸主要国の中で唯一、連合国と対等な立場での単独講和に成功したのだった。
まあ、そんな話はサイアにとっては、遠い異国の話に過ぎない。
今はこの、経済破綻したドイツの中にあって、いかにしてその日を生きて行くかが重要だった。
幸い、サイアは戦争中、ボイラー技士として働いた技術経験がある。その為、贅沢さえしなければ日々の糧には困らなかった。
サイアは戦争が終わった後、西ドイツの片田舎に空き家を借り、そこへ住み始めた。
当初、デーニッツやマルシャルは支援を申し出てくれたが、サイアは2人に感謝しつつも、その申し出を断った。
そもそも、2人とも戦犯として裁かれる身だ。どうやら極刑は免れたようだが、それでも迷惑はかけられなかった。
そんなわけで、ひっそりと暮らし始めたサイア。
勿論1人、
ではない。
「家族」と、一緒である。
借りている家が見える坂道の下まで、自転車を走らせて来た時だった。
「ママー!!」
坂の上から手を振る元気な声。
白いブラウスに、青いスカートを履き、笑顔で手を振る少女。
左右で結わえた明るい色の髪は母親譲りだろう。
生意気そうに少しつり上がった目は、父親譲りだろうか?
エミーリア・アレイザーは、サイアの姿を見つけると、一散に走って来た。
小さな体で、一生懸命にかけて来る少女。
一度、転びそうになってサイアを慌てさせたが、すぐに態勢を立て直す。
サイアの下まで走ってくると、腰のあたりに飛びついて来た。
「ママ、お帰りなさいッ」
「もう、エミー、いきなり走らないの。また転んで、今度こそ怪我したらどうするのよ」
そう言って叱っても、少女は「エヘヘー」と笑うだけだった。
まったくもう、この子は…………
ついこの間も、言いつけを破って全力疾走した挙句、スッ転んで盛大に地べたに顔面から突っ込んだばかりである。
幸い、雨が降った直後だった為、できていた水たまりに突っ込んだので本人は奇跡的に無傷。着ていたお洋服が泥だらけになっただけで済んだ。
あの時はもう、有無を言わさず速攻で家に連れ帰り、服を脱がせて風呂に放り込み、徹底的に洗ってやった。
で、その後はお仕置きの時間だ。それはもう、こっぴどく叱ってやったのだが……
どうやら、我が家の小さな天使様は、全然懲りていないらしかった。
まったく、この無鉄砲な性格は、いったい誰に似たのやら。
…………まあ、母親だろう。
「ただいまエミー。ちゃんと良い子にしてた?」
「うん」
手を繋ぎ、並んで歩く2人。
と、家の中から、1人の女性が出て来るのが見えた。
片手に杖を突き、不遇である事が判る、その女性。
しかし、かつての凛とした雰囲気は、軍服を脱いだ後も、聊かも失われてはいなかった。
「おばあちゃん!!」
笑顔で抱き着くエミーリア。
女性も、優しく少女を迎え入れる。
「ただいま、シュレスおば様」
「ああ、お帰り、サイア」
元ドイツ海軍戦艦「シュレスビッヒ・ホルシュタイン」。
その艦娘たる女性は、笑顔でサイアを迎え入れた。
あの、アントワープ沖海戦の後、シュレスは沈没する「ティルピッツ」から投げ出された。
そして気が付いた時、そこはイギリス本土の病院だった。
どうやらイギリス海軍が彼女を助け、手当てをしてくれたらしかった。
艦娘の保護は万国共通である。
イギリス軍は献身的にシュレスを治療し、介護してくれた。
その結果、足に障害は残ったものの、自力で歩ける程度には回復する事が出来た。
捕虜となったシュレスは初め戸惑ったが、イギリス海軍から、戦闘記録の作成に協力するように要請された時、迷いながらもこれを受ける事とした。
自分が供述する事で、ウォルフ達の事が少しでも記録として残せれば、と思ったのだ。
イギリス軍としても、第1次大戦前に生まれ、艦娘として、軍人として活躍し、最終的にはドイツ海軍艦隊参謀長まで務めたシュレスの知識、記憶は貴重な財産だった。
こうして、捕虜としてイギリスで暮らしていたシュレスだったが、ちょうど記録編纂が終わる頃、帰国の許可が下りた。
2年ぶりに踏む、祖国の土。
かつてのドイツ海軍の本拠地だった旧キール軍港でシュレスを待っていたのはサイアと、彼女に連れられたエミーリアだった。
サイアはシュレスを温かく迎え入れ、共に暮らし始めたのだった。
「まったく皮肉だな。皆沈んでしまい、結局、ロートルの私だけが生き残ってしまうとは」
皮肉交じりに告げるシュレス。
既に戦艦の「シュレスビッヒ・ホルシュタイン」は解体され、彼女には帰る場所など無かった。
そんなシュレスに対し、サイアは告げる。
「だったら、その残った人生、私達にくれませんか? 私とエミーの為に、生きてはくれませんか?」
迷いなく告げられる、サイアの言葉。
そんなサイアに手を引かれて、幼いエミーリアが不思議そうな眼差しでシュレスを見上げていた。
そんな小さな少女を、シュレスは愛おし気に見つめる。
エアルとシャルンホルストの忘れ形見。
そして、ウォルフとテアの孫。
そんなエミーリアの為にできる事があるのなら、
自分が生き残ってしまった事にも、きっと意味がある。そう思えるのだった。
真ん中にエミーリアを挟み、右にはサイア、左にはシュレスが手を繋ぐ。
楽しそうに、調子の外れた鼻歌を歌いながら、飛び跳ねるように歩く少女。
そんなエミーリアを、サイアは愛おしく思いながらも、複雑な思いを抱かずにはいられなかった。
自分は、この子の本当のママではない。
だからこそ、エミーリアが自分の事を「ママ」と呼ぶ度に、幸せに思う反面、拭いようのない罪悪感が沸き上がる。
エミーリアにはまだ、本当の両親の事について話していない。
今はまだ、言っても理解できないだろう。
だが、いずれは伝えなければならない。
その時の事を想うと、サイアは憂いを感じずにいられなかった。
果たして、真実を知れば、あの子はどう思うだろう?
もしかしたら、隠し事をした自分を許さないかもしれない。
却ってあの子を、傷付けてしまうかもしれない。
けど、これは自分の責任だ。
あの日、
北ノルウェー基地を脱出する時、エアルとシャルンホルストから、赤ん坊だったエミーリアを託された自分の使命だと思っている。
だから、どんなに怖くても、逃げるわけにはいかない。
それに、
きっと大丈夫。
そんな風に、楽観的に考えている部分もあった。
何しろ、エミーリアは、エアルとシャルンホルストが愛し合って生まれた子だ。ならば、きっとわかってくれるはず。
その時は、たくさん話してあげよう。
あなたの本当のパパとママは、あなたを守る為に、最後まで勇敢に戦ったんだよ、と。
「ママ!! おばあちゃん!! 見て見て、あれー!!」
エミーリアが、元気に指差す北の空。
そこに広がる星空。
空の全てを覆い尽くし、明るく照らしていた。
「きれい!!」
感動するエミーリア。
本当に、きれいだった。
そして、
あの星の輝きは、彼女の両親が眠る海も照らしている。
「兄さん…………シャル…………」
そっと祈る。
どうか、エミーを見守っていてあげて。
そんな思いに応えるように、
北天の空に星が一つ、流れていった。
最終話「北天の流星」 終わり
蒼海のRequiem外伝 ~北天の流星~ 完