チラ裏シリーズ   作:test sentinel

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或る天の片翼の話

 私は元々、ただの召使いだった。

 天の決定に従い、あの方の下につき、同僚の召使いたちと共に色恋の話に花を咲かせるような、そんな普通の召使いだった。

 私はその生き方に疑問を持ったことはなく、また不満もなかった。あの方は召使いにも平等に接する御方だったし、……私があの方のことを純粋に好きだったというのもある。

 私はそれでよかったのだ。それ以上のことなど望んではならなかった。だが私は、あの方の優しさに、勘を違えてしまった。

 その頃にはあの方も妻を迎え、幸せそうにしていたというのに。私は思い上がりも甚だしく、こう考えてしまった。

 

 召使いとしてではなく、一人の女として見て欲しいと。

 

 せめて、その思いをそのままあの方にぶつけられるほど、私が素直であれば。

 あるいは、あんな未来は、無かったのかもしれない──

 

 

 

 

 

 

「……?」

 顔を上げる。どうやら寝てしまっていたらしい。歳をとるとどこでも寝られるようになってしまって困る。だがさすがに崖の上に腰掛けて寝るのはまずいだろう。後で対策を考えよう。

 ……いや、私は対策など煩わしいことから逃げるためにここに来たんだった。

 この月都郊外──静かの海に。

「……ふぅ」

 目をこすって、眼前の巨大な穴を見る。音も生き物も色もない世界に、ぽっかりと開いた大きな穴。その淵の崖に私は座っていた。

 都の結界の中から見るのとは全く違う、水すら湛えない空っぽの海。あまりにも殺風景だ。明らかに鑑賞には向いていない。

 それゆえ、他の者達も好き好んでここへは来ない。(たまに妖精がいるせい、というのもあるが)考え事をするのには最適の場所、というわけだ。

 けれど、私は考え事をするためにここに来たわけではなかった。むしろ考えないためだ。

 月の都に召されてから幾度となく、私は視線に晒されていた。

 その目の殆どは冷ややかだった。当然だ。神の召使いがたまたま一度反乱分子を探り出した程度で、都の中心近くに住むことを許可されたのだから。

 実は中心近くに住んでいるのはまた別の理由なのだが、それは言ってはいけない事なのだろう。下手に手を打てば地上に追放されかねない。それほどに今の私の立場は危ういのだ。

 とにかく、視線だらけの月の都の中に居たくはない。かといって、地上に行くことは都が許さない。どうしようもなく私は、ここへ来た。逃げて来たのだ。

「……」

 思わず顔を伏せた。また寝てしまうのではないかと危惧する。だが、今は寧ろ眠りたかった。

 あの方なら、今の私を見てなんと思うだろうか? 

 私はあの時、どうすれば良かったのだろうか? 

 せめて夢でもいい。あの方に会って、答えが欲しかった。

 そう考え、目を瞑る。十秒。二十秒。三十秒。

 ふわりと体が浮くような感覚と共に、四肢から力が抜けてゆく。

 そして思考が鈍り、意識は夢の世界へと誘われる。

 眠りに落ち行く中、私は自然と口が動いていた。

 

「──稚彦様……」

 

 そして、世界は黒に塗りつぶされた。

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、私が夢を見ることは無かった。

 理由は単純。叩き起されたのだ。けたたましい、爆発のような音に。

「ふわぁ!? な、何!?」

 私は素早く立ち上がり、音のしたほうを見た。

 場所はすぐに分かった。崖下向こう、静かの海の真ん中近く。音のした箇所には、ちょうど土煙がもうもうと上がっていた。

「え……? 何事?」

 崖の上から様子を見る。土煙が巻き上がった高さは、ざっと七メートルかそこらだろう。かなりの威力だ。

 あれほどの煙をあげるような出来事となると……すぐに思いつくのは、兎たちの訓練だ。

 最近兎たちの戦闘技術を上げるため、綿月家のご息女が色々と無茶をしているという話を聞いたことがある。もしかしたら、あれもその一環かもしれない。

 しかし、私はその説をすぐに否定した。

 いくら何でも、七メートルの土煙が上がる訓練は、下手すれば死に至るだろう。死は穢れを呼び込む。

 いくら綿月家が穢れを祓えても、あんなに派手にやるのは月夜見様がお許しにならないはずだ。

 ならば無法者の修行か? いやいや、ここは月の都にかなり近い。無法者の頭が余程の無法地帯でもない限り、すぐに捕まる場所は選ばないだろう。

 となると、まず私がやるべきは。

 

「……土煙は、一秒と経たず土に戻った」

 

 私の言葉のとおりに、土煙は収まり、その中にあったものを露わにした。

 やるべき事。それは、真相を探ることだ。

 私は月の都が嫌いだ。たとえどれだけ平和でも──誰も口を滑らさずとはいえ──自分に向かって好奇の視線が飛び交う様な都など、聖人でもなければ愛する事は出来ないだろう。

 もちろん私にはできない。できない、けれど。

 

 私もそんな都の住人だ。

 私の唯一の帰る場所なのだ。

 いくら嫌っていても、その場所を脅かすようなものは許しはしない。

 

 だからこそ、ここで正体を暴き、都の危機を未然に防ぐ。そう、決して野次馬根性などではない。

 ……決して楽しそうだからなんて理由ではない。誰ともなく私は心の中で言い訳し、目を凝らす。

「さて、一体どんな輩かしら──!?」

 

 そして、目を疑った。

 

 その中にあったものは、人の形をしていた。ただし、どう見ても月の住人ではない。

 ところどころ擦り切れた、粗末な布の服。

 月の民ならありえないほどの出血と、大量の傷。

 そして──頭頂に立つ、小さな二本の角。

 

 

 地上の妖怪が、血塗れで月に倒れていた。

 

 

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